第5話 ゴブリン退治 後
ラシェルを連れてリッケルトが村長宅の前に戻ると、家の前にはすでにマルクも揃っていた。
「リックっ! それにラシェルもっ! よかったぁ、心配したんだからっ!」
二人の姿に気づいて真っ先に駆け寄ってきたのは、レイリアだ。その後ろから、不機嫌に顔をしかめたマリシエラも歩み寄ってくる。
レイリアは真っ直ぐに駆け寄ると、そのままラシェルを抱きしめた。
「ひゃぅっ……ぁ、あの、遅くなって、ごめんなさい……」
「ううん、大丈夫だよっ。でも、その」
言い淀んだレイリアは、ちらりとマリシエラを振り返る。マリシエラは、真剣なまなざしでラシェルを真正面から見据えた。
「戻ってきたならなにも聞かないわ。けれど……いけるの?」
ラシェルはそれを受け止め、揺らぐことなくその瞳を見つめ返す。
「うん、いける」
そして、しっかりとひとつ頷いた。
「そう、なら急ぎましょう。依頼人を待たせてるわ」
「あ、待ってよマリシエラ! 本当に大丈夫?」
「うん……大丈夫、だよ」
レイリアが念を押して聞いても、ラシェルの答えは変わらない。
それを確認して、レイリアもマリシエラの後を追う。
リッケルトは、ラシェルにそっと耳打ちした。
「な、怒鳴らなかっただろ?」
「う、うん……!」
それから一行は、遅れたことをマルクに謝罪した。マルクは深くは聞かず、森への案内を始める。
陽はすでに昇りきっている。予定の時間から遅れながらも、レイリアたちにとっての大舞台が幕を開けようとしていた。
◆
ザラムの東側に広がる森は、野生動物の生息も多く、人間も頻繁に足を踏み入れるため、下草は短く藪も浅く、比較的歩きやすい状態が保たれている。
マルクの案内で森に走る小路を進むレイリアは、初めての依頼で薬草を採るために訪れた森を思い出していた。
「ここ、ワイルドボアと戦ったところと似てるね」
最後尾を歩きながらリッケルトが答えた。
「そりゃあ、ウェンデルの森とここは繋がってるからな」
「あっ、そっか」
先頭を歩いていたマルクが振り返る。
「ワイルドボアとやりあったことがあるんですか」
「うんっ! 最初はわたしとマリシエラで、途中からラシェルも力を貸してくれて!」
「そりゃすごい。狩りで出会うと手を焼くんですよ、あいつらは」
動くものを見れば見境なく突撃してくるのが荒猪だ。鹿などの獲物を狩るために森や山に入る狩人にとっては、天敵のようなものだった。
そんな話をしながら森を進むと、あるところでマルクが足を止めた。
「ここです、最初にゴブリンを見かけたのは」
マルクは森の奥を指さす。
「村を襲った時も、連中は東に引き上げていきました」
「この先にはなにかあるのかしら?」
足元を見ながら歩いていたマリシエラが、マルクの指さす先を見ながら訊ねる。
「狩りの時期に使う狩猟小屋があります。もしかすると、そこをねぐらにされてるんじゃないかって村では話していました」
「なるほどね……」
また足元に目を落として、マリシエラが呟く。
もしかすると、もうなにか痕跡を見つけているのかもしれない、とレイリアには思えた。
「そ、それじゃあ俺はここで。村への道はわかりますよね?」
どこかにいるかもしれないゴブリンに緊張しているのだろう、やや震える声でマルクは言った。レイリアが一同の顔を見回すと、マリシエラとラシェルは頷き、リッケルトはなにも言わなかった。
「うんっ、あとは任せて。必ずゴブリンをやっつけてくるから!」
「よろしくお願いします!」
力強く言い切ったレイリアに安心したように振り返り、マルクは来た道を戻っていった。
それを確認し、レイリアはマリシエラに向き直る。
「どう?」
「この先なのは間違いないわね。小路にゴブリンの足跡と、村の方からなにかを引きずった跡が続いてる。きっと奪われたっていう家畜だわ」
レイリアはその答えに頷き、隊列を入れ替える。マリシエラが先頭を進み、ラシェルとリッケルトがそこから距離を開けて進む。最後にレイリアが続く形を取った。
朝霧の晴れてきた森の中の道行は、静かなものであった。
木々の合間を小鳥たちが飛び交い、辺りに羽音とさえずりを残していく。時折小動物が茂みを揺らす音が聞こえ、レイリアとラシェルは肩を跳ね上げさせたが、マリシエラは意に介することなく小路を進んで行く。
この森のどこかにゴブリンがいるという事実が、レイリアとラシェル、そしてマリシエラにも確かに緊張という形で圧力をかけてくる。
リッケルトは、強張った様子こそ見せてはいないが、静かに引き締めた面持ちで道行を見守っていた。
やがて進む先の木々が開け、その中に大きな影が見えてくる。
丸太を組んで作ったような狩猟小屋がそこにあった。
木立の中から出る手前まで進んで、マリシエラは後ろに停止の合図を出す。
一行が歩みを止めると、小屋の様子を茂みの陰から窺ったマリシエラが、腰をかがめながら道を引き返してくる。
「小屋の入り口に見張りが立ってるわ。連中もその程度の知恵はあるのね」
声を潜め、マリシエラが小屋の様相を報告する。
「小屋自体もそこまで大きくはないわね。十匹も入ればぎゅう詰めでしょうから、数はラシェルの見立て通りだと思うわ」
「入り口って、その見張りのいるひとつだけなの?」
「いえ、脇にもうひとつあるわ」
その答えに、レイリアは考え込む。
「じゃあ、正面から乗り込んでも、逃げられちゃうかもしれないかぁ」
どこまでも突撃思考な発言に、マリシエラのみならずラシェルからも白い視線が向けられた。
「なんでそう後先考えないのよ……」
「せ、狭い小屋の中で戦うのは、危ない……と思う……」
「ぅ、そ、そっか」
「い、いっそ、小屋に火をつけちゃう、とか……」
あんまりなラシェルの提案に、レイリアとマリシエラが目を剥いた。
「だ、ダメだよ! 狩猟小屋なんだし、村の人たちがあとで困っちゃうよ!」
「あなたねえ、森を燃やすつもりなの!?」
「ひゃぅ……ご、ごめんなさい……」
危うく大きな声を出しそうになり、三人は慌てて手で口を押える。
「じゃ、じゃあどうやって戦うの?」
三人ともが悩みこんでしまう。
これまで彼女たちの戦いは、そのいずれもが遭遇戦であった。こうして自分たちから攻め込むのは初めての経験である。
ゴブリンを退治する、という単純な目標を前に、小屋に籠ったゴブリンたちをどう対処するべきか、考えあぐねいてしまうのであった。
見かねたリッケルトが口を挟んだ。
「現状をどうすればいいか悩むなら、ひとつずつ達成するべき目標を考えていけばいい」
リッケルトの言葉に顔を上げた三人は、もう一度顔を突き合わせた。
「えっと、一番の目標は、ゴブリンを退治すること、だよねっ」
「そうね。それも一匹残らず、よ」
「うん……に、逃がすと、仲間を連れてくる、かも……」
「そうなると、まずは小屋から釣り出す必要があるわね。立て籠もられると厄介よ」
「で、でも、外だと逃げられやすい……」
腕を組んで考え込んでいたレイリアが、ふと、顔を上げた。
「逃げられない、って思わせられないかな?」
その提案に、マリシエラとラシェルは顔を見合わせた。
◆
ゴブリンは退屈していた。小屋の前で見張りに立って、もうどれほど時間が経ったことか。小屋の周りは静かで、誰も近寄って来るものはいない。兎の一匹でも来れば腹の足しにしてやろうというところだが、それすらも見かけはしなかった。
人間たちから奪った羊は、昨夜で食べ尽くしている。
今夜辺り、次の襲撃に向かうことになるだろうか、とゴブリンは考えた。
ゴブリンたちは、村をいい食糧庫として、完全に目をつけていた。
自分たちに立ち向かってくるような強い人間もいなければ、番犬の姿もない。まだまだ家畜はたくさんいたし、なんなら弱そうな人間を攫ってきてもいい。食いでは少ないが、村の連中はますます自分たちに逆らおうとはしなくなるだろう。
いずれはこの小屋も捨てて、村を丸ごと乗っ取ってやろうとすら思っていた。そのためには、流石にどこかから仲間を呼ぶ必要があるが……。
そんなことを考えていたゴブリンの視界に、動くものがあった。
なにかとそちらを見れば、どうしたことだろう、人間がひとり歩いて近づいてくるではないか。
慌ててゴブリンは、小屋の中にいる仲間たちに声をかけた。
人間は構わず近寄ってくる。そして、十歩ほど離れたところで足を止めた。
小屋から出てきた仲間たちもその人間を見て、すぐにそれぞれの武器を取り出した。木をへし折ったこん棒や、尖った石だ。
人間を取り囲むように動いて、近寄ってきた人間をよく見て、ゴブリンは嘲笑った。
人間には二種類いる。大きくて強そうなやつと、そうでないやつ。これは、近づいてきたのは、そうでないやつの方だった。剣や鎧を身に付けているが、こちらは七人で向こうは一匹。圧倒的に有利だ。
人間が剣を抜いた。どうやら戦うつもりらしい。この数にどうやって勝つつもりなのか。
ゴブリンはじりじりと包囲の輪を狭めていく。そして一斉に飛びかかる。
その寸前。
人間が一足先に、跳ぶようにして踏み込み、剣を逆袈裟に振りぬいた。
見張りだったゴブリンの隣で、仲間が倒れる音がした。仲間は剣を防ぐこともできずに、地面に横たわっている。
瞬間的に、怒りがゴブリンの脳を支配した。
仲間を殺された。この人間を絶対に殺さなくては。
剣を振り切った人間の背後から、怒りに駆られた別の仲間が飛びかかろうとする。だがそれも叶わなかった。
突如としてどこからか飛来した矢が、そのゴブリンの頭を射抜いたのだ。
ゴブリンたちは恐怖した。仲間を隠していたなんて! なんて卑劣なやつだ!
だが、相手の数もわからない以上、このままでは不利だ。ぎゃいぎゃいと口汚く、彼らの言葉で罵りながら、ゴブリンたちは矢の飛んできたのとは反対に逃げようとする。
だがその時、激しく迸る光がゴブリンたちの目を眩ませた。仲間の悲鳴が上がる。
ようやく視界を取り戻してみれば、仲間の一人が胸に穴を開けて倒れている。
魔法使いだ! 魔法使いまで連れてきている!
ゴブリンたちを混乱が襲った。
囲まれた。
逃げ場がない。
「さあ、ゴブリンたち! 村の人たちに代わって、わたしたちが相手をしてあげるからっ!」
ゴブリンたちの身体を揺さぶるほどの、その身体のどこから発せられているのかと目を見張るほどの怒号が、目の前の人間から発せられた。
叫んで剣を振り上げた人間の言葉は、ゴブリンには通じることはなかったが、彼らの目はその姿に釘付けになった。
この人間を殺さないと逃げられない。
そんな思い込みが、ゴブリンたちの中に広がった。
◆
マリシエラの弓とラシェルの魔法が奔った途端、ゴブリンたちの動きが止まった。視線を右往左往させ、明らかに狼狽した様子を見せている。
ここだ。ゴブリンたちが混乱しているその中で、レイリアは剣を振り上げて叫びをあげた。
「さあ、ゴブリンたち! 村の人たちに代わって、わたしたちが相手をしてあげるからっ!」
雄々しく響き渡った鬨の声に、ゴブリンたちの視線が一斉にレイリアに集まる。そして自分への殺気が膨れ上がった瞬間、レイリアは咄嗟に前に転がった。
一瞬前までレイリアがいたその場所に、凶器を振りかぶった四匹のゴブリンが殺到した。
すんででその攻撃を躱し振り向くと、目の前には粗末なこん棒が迫っている!
レイリアは咄嗟に剣を掲げてそれを防ぐ。いくら棒切れとはいえ、それで全力で殴られれば無事では済まない。
立て続けに振り回されるこん棒を、レイリアは剣でしのぎ続ける。
その後ろで一匹のゴブリンが悲鳴を上げて倒れる。マリシエラの矢だ。続けてもう一匹。
だがそこで、横合いから別のゴブリンがレイリアに飛びかかってくる!
こん棒のゴブリンに集中していたレイリアは、それを避けきれなかった。
レイリアは押し倒される。自分に馬乗りになり、尖った石を突き立ててこようとするゴブリンの腕を、必死に剣で押しとどめた。
「こ、の……!」
じりじりとゴブリンの石が迫る。
「≪痺れよ≫!」
ラシェルの声が響いた。
すると、ゴブリンが目を見開き、その腕から急に力が抜けた。上手く身体を操れないかのように、手から石を取り落とした。
咄嗟にレイリアは、腰から引き抜いた短剣をゴブリンの胸に突き立てる。そして悲鳴を上げたゴブリンを蹴り飛ばし身を起こすと、後ろに向かって長剣を振りぬいた!
そこには、一匹のゴブリンがいた。組み敷かれるレイリアの頭を叩き潰そうと、こん棒を大上段に構えたゴブリンが。
いたのだ。レイリアによって剣が振りぬかれるその瞬間までは。
振りぬいた剣によって切り飛ばされたゴブリンの頭が、どさりと音を立ててどこかに落ちた。残されたゴブリンの身体から力が抜け、斜めに傾いでいく。
その身体が倒れる音が響いたきり、レイリアの周りで動くものはもうなにもいなかった。
肩で息をしながら、レイリアは立ち上がる。
辺りを見回せば、ゴブリンたちの亡骸が転がっている。
「や、った……?」
その背中に勢いよくぶつかってくるものがあり、まだ生き残りがいたのかとレイリアは一瞬色めき立った。
「……った……」
だがそれは、茂みから飛び出してきたラシェルだった。
「ラ、ラシェル、どうしたのっ?」
ラシェルが顔を上げた。その瞳は、溢れんばかりの輝きに満ちていた。
「や……った……! ラシェル、上手くできた……!」
それが、咄嗟の判断でかけたナムネスの魔法のことだと悟り、レイリアはしがみついてきたラシェルの身体を抱きしめ返した。
「うんっ、うんっ! ラシェルのおかげでわたし、助かったよ! それに≪光の矢≫の魔法もすごかった!」
「ぇへへ……レイリアも、すごく、すっごくかっこよかった……!」
それに、とラシェルは顔を上げる。
喜びを分かち合う二人に歩み寄ってくるマリシエラの姿があった。
「そ、それに、マリシエラの弓も……百発百中……!」
「そうっ! やっぱりマリシエラはすごいよ!」
マリシエラは二人の傍らで立ち止まると、腕を組んで呆れたような顔を作る。
「あのね、ゴブリンを退治したくらいで、喜びすぎよ」
「そんなこと言って、マリシエラも顔がにやけてるよっ」
「なん、そんなこと……あ、ちょっと!」
「ほら、マリシエラも!」
慌てて顔を押さえるマリシエラを、レイリアは無理やり引っ張りこむ。
「わたしたちやったんだよ、ゴブリン退治を成し遂げたんだっ!」
声高らかなレイリアの宣言に、ラシェルから、そして堪えきれなかったマリシエラから笑いがこぼれた。
抱き合って達成感を分かち合う少女たちを目に焼き付けながら、リッケルトはさっそく頭の中で詩を組み立てていた。これが、彼女たちの伝説の第一章だと噛みしめながら。
「リックー!」
レイリアに手を振られ、リッケルトもそちらへと歩み寄っていった。
◆
それから、念のために小屋の中を調べても、もう間違いなくゴブリンの姿は見られなかった。
来た道を引き返し、森の中の小路を進んで行く。
森の入り口では、マルクがそわそわしながら四人を待ち受けていた。森からやってくる姿を見つけると、安堵の表情で駆け寄ってくる。
事の顛末を報告すれば、マルクは大声で結果を村中に報せながら駆けていった。
村の人間にも小屋を確認してもらい、確かにゴブリンが退治されたとわかると、村を挙げての感謝の宴が開かれた。鶏よ牛よと焼かれた肉に、野菜をたっぷり入れたスープ。しまいには果物をたっぷりと使ったケーキまで出され、レイリアたちは恐縮しながらも、そのもてなしを存分に受け取った。
レイリアたちが前日以上のご馳走に舌鼓を打っていると、リュートの音が響き始めた。
言わずもがな、それはリッケルトのものであった。
おどろおどろしい低い音色から演奏は始まった。
────闇に光る黄色い目、暗がりをつんざく耳障りな叫び。
────見ろ! 小鬼どもがやってきた!
────肉が裂け、血の迸る忌まわしき夜。
────見ろ! 暗黒の尖兵がやってきた!
村人たちが息を飲む音が聞こえた。
────火を灯せ、戸を閉めろ。
────朝陽が差すまで息をひそめろ。
────震える娘よ、怯える子らよ。
────夜が去るまで息をひそめろ……。
次第に音色は勢いを増し、勇壮さを思わせる響きに代わる。
────そしてそれはやってきた。
────それは闇を射抜く金の一滴。
────それは囁きにうねる見えざる力。
────それは木々を揺さぶる鬨の声。
────それは夜明けを告げる姦しい声!
────まだ見ぬ明日へ向かう輝きたち!
────手を叩け! 踏み鳴らせ!
────冒険者たちに杯を掲げよ!
『冒険者たちに杯を掲げよ!』
後年。
この歌は、ある伝説の英雄たちの最初の叙事詩として、この村に永きに渡って語り継がれてゆくこととなる。