82<聖なる星々の国~誤った選択の代償~
腕を捩じ上げられ膝を蹴られ強制的に跪かせられた
背を押され無理矢理歩かされたのも
薄汚い場所に足を踏み入れたのも初めてだった
”この者を牢に放り込みなさい”
これまで散々他者に向けて口にしてきた言葉が
自分に向けられる日が来るなど思いもしなかった
床板さえ張られていない冷たい地面
どこからか漂ってくる不快な臭い
灯りは通路に等間隔で設置されているだけで
その光は牢内の奥までは届かない
自分が今どこに立っているのか
その事実を受け入れる事ができず顔を歪める
「っ……」
嫌で嫌で仕方がない、嫌悪と拒絶で気が狂いそうだ
何かを擦りつけたような跡、悪臭を放つ淀んだ色の泥のような何かが
あちらこちらで床を汚している様子を、牢に入れられるまでに沢山目にした
通り道ですら既に汚いのだ、ならば牢の中は言わずとも知れている
そんな場所に足を踏み入れた段階で「ひぃ」と引きつった悲鳴を上げたイプシロネはドレスの裾を汚すまいと必死に裾を持ち上げていた
立ちっぱなしでいなくても、押し込まれた牢の奥に
座れる場所は『おそらく』ある……断言できないのは
牢に押し込まれて直ぐに、奥に広がる暗闇から目を逸らしたから。
通路の明かりが届かない牢の奥まった場所は完全に闇に呑まれていたが
そこから漂ってくる汚物の臭いと微かに見えた大壷の存在を認識した所で
イプシロネの思考は理解を拒んだからだ
(悍ましい……悍ましいわ!!)
通路だけであれほど汚らしかったのだ、座る場所だって
座る気になどなれないほど薄汚れているに決まっている
換気口すら見当たらない、当然外の気配も全くしない
粘つく足元の感触に鳥肌が立つ、足踏みする事さえ躊躇するその場所で
目の前の鉄格子を睨み付けながら叫ぶ
「出して!早くここから出しなさいよ!
誰かいないの?!」
イプシロネを牢に押し込んだ兵士の姿は既にない
苛立った大きな声は反響することなく、応える者もいない
この場所にある何物にも触れたくはない
ヒールの底が触れている地面でさえ不快で仕方がないというのに
これ以上この場にあるものに触れるなど
煌びやかな生活しか知らないイプシロネに出来るワケが無かった
「ここから出たら捨てなきゃ……」
身につけている物を、全部。
靴は宝石をあしらったお気に入りのヒールだった、しかし
こんなにも汚くて臭い場所に踏み込んだ物だと思うと
それまで抱いていた愛着など一瞬で失せた
身に着けている豪奢なドレスも、こんなにも臭い場所なのだから
臭いだって沁みついてしまっている
綺麗に編み込んだ髪も、手入れの行き届いた体も
己の全てが悪臭漂う空気に汚されてしまったように思えて
直ぐにでも風呂に直行したい気持ちでいっぱいだった
息もしたくない、ここの空気を吸い込みたくない
「ここから出して!!
ねぇ!聞いてるの!!?」
牢の周囲は不気味なほど静まり返っている
しかしイプシロネは叫び続けた
「早く戻らないとパーティが終わってしまうわ!
私と導師様のお披露目の席だったのに
主役がいないんじゃ意味ないのに……!!」
焦りの余り、イプシロネは片方の手を己の口元へやり爪を噛む
そうしてうっかり片手を離してしまった事で
裾の半分が汚い床に触れた事実に気が付き
「~っもう!!なんなのよ!」
更に苛立ちを刺激されたイプシロネはヤケになって
もう片方の手も放し、その場で宙を叩くように両手拳を振り下ろした
「下ろし立てだったのに!
導師様に合わせて作らせたのに!
最低だわ!」
導師の僧衣に合わせ白を基調に仕立てられたドレスは
僅かな黒ずみさえも天敵であった
裾が汚れた、ドレスが穢れた
その事実に涙が出たが、寸での所でしゃがみ込んでしまう事は堪えた
本当ならその場に蹲って泣いてしまいたいほど屈辱だったが
しゃがみ込んだりなどすれば余計にドレスが汚れてしまう
イプシロネの公女としての誇示が辛うじて理性を繋ぎ止める
だが、想像だにしていなかった己の現状にいっぱいいっぱいで
「パー…… ティ ……」
背後で呟かれた第三者の声と蠢く影の存在に気付く事ができなかった
地下牢の事情など知らないイプシロネは、今いる場所が最下層の
重い罪を背負った罪人だけが閉じ込められる場所である事を知らない
そして何より、宮殿内の殆どの者から
大層嫌われ、恨みを買っているという事実を自覚していなかった
「イプシロネ……?」
「その声は……カストル!?カストルなのね!
私はここよ!」
不意に通路の向こう側から聞こえてきた己を呼ぶ、覚えのある声に
イプシロネは一層鉄格子の傍に近づき、顔を寄せて通路側に呼びかける
格子の間から手を伸ばして場所を示したかったが
やはり袖が汚れるのが嫌で格子には一切触れる事無く必死に声を上げた
やがて鉄格子の前に姿を見せた青年にイプシロネは喜びから破顔する
「ああ、イプシロネ可哀想に」
「カストル、来てくれるって信じてたわ」
カストル・アルトバーン
タウィスの一人として傍に侍っていた彼はイプシロネにとって
己の願いを何でも叶えてくれる非常に都合の良い『犬』だった
最近では目障りなシェアト妹の殺害に失敗したり
導師に寄生する卑しい冒険者の男の排除に失敗したりと
使えない事が多かったためエサやりは控えていたのだが……
「カストル、早くここから出して!
もう一秒だって居たくないわ」
「勿論さ、君をこんな場所に置くだなんて神官たちはどうかしてる
……でも、」
「え?」
「イプシロネ……導師と婚約だなんて、嘘だよな?
俺と結婚するっていう話だったのに」
カストルの手には牢の鍵が握られていた
二心を疑う男を前にイプシロネの思考が加速する
このような状況下においても慣れ切った犬の扱いは十分に心得ていた
目の前の男を散々利用してきた女は悲劇的に振舞う
「嘘に決まってるわ、当然でしょう?
導師との婚約は公女としての私の立場を盤石にするもので
それ以上でも以下でもないもの……それに
導師は救世の旅とやらですぐにこの国を出て行くのよ
正式に結婚して私の傍に居るのは貴方だけだわ」
「……婚約は芝居だった、ということか?」
「ええ、そうよ
カストル……ここは寒いわ
早く出して、その腕で私を温めて……」
エサやりを控えていたのは不幸中の幸いだった
カストルが欲を溜め込んでいる事を察したイプシロネは
自慢の体型を駆使して上目遣いにカストルに縋る
二の腕で胸を寄せ、意図的に谷間を強調する女の色香に
頬を染め熱の籠った目をして笑みを浮かべた男は地下牢という滅多にお目にかかれないシチュエーションにある種の興奮を覚えつつ
牢を開放すべく錠へ鍵を差し込もうと手元に視線を落としかけ
すぐさま何かに気が付いたように慌てて顔を上げて叫んだ
「イプシロネ!!」
「えっ?」
突然の男の叫びに呆気にとられた女は背後から伸びてきた両手に首を掴まれ、細首に皺が出来るほど強く締め付けられた喉から潰れた声を出しながら牢の奥に広がっている暗闇へと引き摺り込まれた
床に尻もちを突き、辛うじて見えている女の踵が何度も地面を打ちつける
その拍子にヒールが片方あさっての方角へ飛び
捲れ上がったスカートの裾から真っ白な太腿が垣間見えた
「くそっ!……イプシロネ!
待ってろ!直ぐ助ける!!」
女の背後に別の誰かが居た事に驚愕した男は
暗がりの奥で断続的に聞こえる呻き声に焦りながら
急いで牢を開錠すると重く錆びついた格子を力任せに開く
薄明りで辛うじて見えた苦し気にもがき続ける女の足からある程度の位置を把握して彼女の上半身があるだろう場所に手を伸ばした
手に触れたのが女の肩であると分かると思い切り自分に向かって引き寄せる
それは予想に反していとも容易く男の腕の中に倒れ込んできた
「イプシロネ!大丈、うっ!?」
女の両肩を抱き寄せた男は
己の顔面に生暖かい液体が大量に降り注いだのが分かった
「へ、ぇ?」
一度だけではない、不規則に複数回
真下から飛沫のように顔にかかるそれに目を白黒させる
その間もイプシロネの体は激しく痙攣を繰り返していた
暗くて手元がよく見えないが、男はそれがただの水ではない事を確信する
愛しい女を腕に抱き寄せたまま、震える手で己の顔に指先を滑らせれば
その感触は水とは違い、どこかぬるりとしていた
「……ッひ」
妙な感触の正体に一拍置いて気が付いた男は感じた恐怖から奇声を零し
抱き寄せていた女の頭を反射的に抱き込もうとしたが
本来頭がある筈の場所に向けたはずの手は空を切り
己の鎖骨部分へとぶつかる
「……イっ ぎゃああああ!!あっあ"!あ"ァ"っ! ァ」
空を切った小指の側面が
粘着質な音を立てた感触で今度こそ叫び声を上げた
「んー……?今叫び声みたいなの聞こえたか?」
「元ステラ様が怒鳴り散らしてるんだろ、ほっとけほっとけ」
吐き捨てるように言った兵士は手持ちのカードを一枚、テーブルへと切る
牢番の兵士は罪人を牢に入れる以外、基本的に地下牢には立ち入らない
入口脇のカウンターに常駐しているのみだ
そこでは数名の兵士が輪になってテーブルを囲みカードに興じている
「今”肥溜め”に入れてるのって、クソ女だけ……だったっけ?」
「いや、シェアト姉妹の妹も入ってるぜ」
「妹さん?昨日までは”物置”に居たよな?」
「暴れて物壊したから、”肥溜め”に移動させられたんだってよ
丁度良いと思って同じ独房に放り込んでやった」
「元奴隷と元主人を一緒の房に入れるって……意地悪いなぁ
今頃喧嘩でもしてんじゃねーの」
「善意だよ、善意
プラムの子だってステラが憎くて仕方なかっただろうし
この機会にちょっとでも恨みが晴らせるなら
そっちの方がいいだろうなと思っただけさ」
「後で始末書、書かされても知らねーぞー」
手持ちの札を見て難しい顔する兵士の言葉に賛同と理解の声が上がる
イプシロネが学園を退学処分になった時も
ステラの資格をはく奪された時も宮殿の者たちは諸手を挙げて喜んだ
今更投獄されたからといって同情する者はひとりもいない
上層階で見張りをしていた兵士は牢の奥から奇声が聞こえようとも
下層に入る連中は大体叫んだり怒鳴ったりしているので
「いつもの事だ」と気にも留めない
そんな彼らの足元をゆっくりと這う黒い靄にも
誰一人として気付く事はできなかった
*****
「何が、起こったの?」
会場内は逃げ惑う人々で混乱を極めている
そんな最中、ラピスはただ一人
呆然とした面持ちで天井に向けて伸びている黒い靄を見つめていた
ダンスを楽しんだ後
会話と食事を堪能すべく会場後方の立食スペースにいたラピスとクラウス、セイリオスの三人は騒ぎが起きて直ぐに互いがはぐれないよう身を寄せ合った
クラウスは『嬢ちゃんを守れ』というアシュランの命令故
セイリオスはラピスへの恋慕故
そんな三人のすぐ後ろには、偶然にも元プラムであったミラ・サビクとその恋人の元タウィス、アルカイド・クルックスが立っていた
最初の悲鳴を皮切りに、次々と人の叫び声が上がり
最初は傍観者の立ち位置で遠目に様子を窺っていた会場内の人々は波紋を広げるように恐怖を伝播させ瞬く間に冷静さを失った
「逃げろ!逃げろー!!」
誰かの叫び声が聞こえた、その言葉に促されるように会場内の視界に収まっているほぼ全員がラピスたちの居る方向へと押し寄せてきた
会場後方の立食スペースの背後、つまりラピスたちの後ろに
外へとつながるテラスが存在していたからだ
前方の高座袖にも会場外へと通じる通路はあるがテラスほど開放的ではなく、既に人が集中し避難の動きが鈍っている
押し寄せてくる人の波を前に視線を巡らせたセイリオスは
足が竦んでしまって動けそうにないラピスを守るべく
近くにあった大きなテーブルを二つ引き倒し
バリケードを張るようにラピスたちの前に引き寄せる
思惑通り押し寄せてきた人々の波は割れたが
その周囲は次第に悲惨な様相へと変わっていく
大量の食事が盛られた、幅が大人の背丈ほどもあるテーブルをひっくり返した為にバリケードの向こう側は割れたグラスや皿
飲み物や食べ物が散乱してしまっている
そこへ走り込んで滑り転ぶ人が続出
倒れ込んだ人は散らばっていたガラスや皿で傷を負い
転んだ人の背中を踏みつける人まで出始めた
踏まれ続けた一部の人は既に身動きをしていない
周囲で繰り広げられている地獄のような光景は、テーブルを盾に内側で身の安全を図っていたラピスたちには全く見えていなかった
セイリオスがテーブルをひっくり返した時点で
周囲がどうなるかを予想できたクラウスは
最悪な形で対応を誤ったセイリオスの必死な様子を見て呟いた
「意外に残酷な事をするんだな」
「無駄口を叩く暇があったら
テーブルが倒れないように押さえたらどうだ!」
騎士職の資格を有しているセイリオスは導技を使う事が出来る
人の波に呑まれる前にラピスを抱えてテラスから脱出すれば良かったのに
その能力を、あろうことか巨大なテーブルを動かす事に使った
まだ学生を卒業したばかりで実地訓練など受けていないとはいえ
脱出経路の直前に障害物を作るという対応はあまりに悪手
テーブルの影で踏み殺される命が順調に増え続けている
足元で上がっている潰れた断末魔は
ラピスの身を案じるセイリオスの耳には届いていない
怯える彼女を抱きしめている男の思考は姫を守る騎士であろう
反してラピスはすぐ傍で死に逝く人の声をしっかりと拾い上げていた
やめて、と声なき声を紡ぐ唇を震わせながら青年を見上げている
彼女が怯えている原因が、周りが全く見えていない己にあるのだと
恋する青年はいつ気が付くだろうか
クラウスは込み上げてくる愉悦に堪らず口の端を釣り上げる
人間は愚かだ、自分さえよければ他人などどうでもいい
己の所業の所為で死に逝く命に見向きもせず
好いた女を身を挺して守るという行動に酔っている男の真剣な横顔は
声を大にして笑いたいほど滑稽であった
(……だが、)
クラウスは悦楽の感情を押し殺し冷えた表情をその顔に張り付ける
現状をそのまま鑑賞していたら確実に己が主の不興を買う
笑っていたなどと知られてしまえば、ヘタをすればその場で捨てられる
それが分かっていた為、愉悦もそこそこに阿鼻叫喚渦巻く中
緊張感の欠片も無くのんびりとラピスへ声をかけた
「ラピス」
「はい!クラウス様」
「アシュの所へ行くけど」
お前も来るか
言外に尋ねたクラウスの意図を即座に理解したラピスは
迷いのない眼差しでしゅぴっと指の先まで美しい挙手をする
その目は直前まで怯えていた色は微塵も見受けられない
「私も行きます!セイリオス、離して?」
「駄目だ!ここから動いたら危険だ!」
アシュランの事となると途端に盲目になるこの女も
大概人でなしだな、と一度は思ったクラウスだが
その表情に悲壮感が漂っているのを見つけて、男の腕から抜け出す切っ掛けが欲しかっただけかもしれないと思い直す
何にせよ結果的に助け舟を出す形になった事に
人間嫌いのクラウスが内心で舌打ちをするのは変わりないのだが。
「お願い!アッシュ様の所へ行きたいの!」
普段の大人しい様子から一転
目を見据え、強く訴えたラピスに怯んだセイリオスは反射的に腕の力を抜く
緩んだ腕を振りほどき急ぎ足で歩み寄ったラピスを荷物のように担ぎ上げたクラウスは、傷ついた表情でラピスを見つめるセイリオスに冷めた眼差しを向け
その場で会場出入り口に向かって大きく跳躍し
天井に付かんばかりの高さで逃げ惑う人の波を揚々と飛び越える
眼下にいたセイリオスはクラウスの能力を初めて目にして
驚愕に目を見開き、悔しそうに表情を歪めた
高い視点から会場全体の様子を目にしたラピスは
「ああ」と、悲愴に染まった声を上げて両手で顔を覆う
セイリオスが張ったバリケードの周囲を見てしまったのだろう
「なんて事……セイリオス……!」
「あの光景は逃げ遅れたお前の所為でもあるんだぞ」
何を他人事ぶってるんだ、と
責めるでもない淡々とした指摘を受け呼吸を止めたラピスは直後
己の責を自覚し悲鳴を上げて大粒の涙を零し始める
震えるラピスの様子を横目に、クラウスは短く鼻で笑った
*****
今、俺は
いい歳こいて『女優泣き』している。
「あんたが悪い」
「ええ分かっています全部私の所為です
アッシュ、すみませんでした……ですから、あの」
泣き止んで下さい
なんて!!言われても!なァ!!!
許せる!わけが!!ないだろ!!!
俺は真に受けたんだぞ!お前の!言葉を!!!信じて!!
フッザけんな!!冗談言うにも時と場合を選べ!!!
T・P・O!分かる!? T ! P ! O !
一瞬俺の存在意義が失われたわ!アイデンティティー崩壊だわ!!
馬鹿!バカ!!ばか!!!ルルムスのっ
ヴァァァァアアアアカ!!
「ほ……本当にすみませんでした、本当に、本当に
まさか本気と捉えるとは思わな……ああっいえ、アッシュ
あの、後でいくらでも殴られますから」
殴られて!そんで!!やり返すんだろ!!!
倍返しされるって分かってて殴るかバカ!!
お前な!自分の言葉の重みを理解しろォ!!
自分が見てた物が幻覚で!味方の足引っ張った事実に血の気が引いてた所で俺が見てた光景の方が正しいって内容ひっくり返されて!
ただでさえ混乱してた所に聖女だったとか言われて!!
四十年近く男として生きてきた人間が!!
行き成り貴方は女性ですなんて言われて
どんだけ衝撃を受けると思う!?
「殴られたからと言ってやり返したりしませんから!
言葉通り気の済むまで殴ってくれていいですから」
殴らねェよ馬鹿!友達殴るワケねーだろッ馬鹿!!
正に晴天の霹靂だよ!!天地がひっくり返る衝撃だよ!!
ショック死寸前だったわ!お蔭で涙腺ぶっ壊れたわ!
自我の喪失と冗談と知った安堵で中身ぐっちゃぐちゃだわ!!
男だってなぁ!!心が繊細な奴だっていっぱいいるんだよ!!
見返り美人な俺の心臓にダイレクトアタックだわ!(※25話中盤参照)
初めてできた友人の言葉だぞ!信じるに決まってるだろ!!
疑う訳ないだろ!!俺の!純情!!弄びやがって!!!
「アッシュ……」
現在の俺は絶賛無表情で大泣き中だ
女優泣きの号泣バージョンだ
本当に涙腺が壊れた、ついでに表情筋も壊れた
不安と安堵と怒りと虚無でめちゃくちゃだ、全部ルルムスの所為だ
「ええ私の所為です、どうか許して下さい
もう二度とこんな質の悪い冗談は言いません」
ルルムスもタジタジだ、これ以上にないほど狼狽している
後ろに居るフリッツは先ほどから
俺の頭を不慣れな手つきでわしわしと撫で続けている
というか実際問題、今の俺……
体が動かないんだが?
ただただ無表情で泣き続けている状態、普通じゃない。
覚えがあるぞこの感じ、ずっと前にも一度体験した事がある
まだセインツヴァイト領に居た頃(※10話中盤参照)
昼間のギルドの実態を知って怒髪天を突いた時の事だ
あの時の俺は怒りに駆られて体の制御が殆ど利かなかった
『アシュラン』の感情が強く出ていた時だ
あの時は根性でなんとか体の自由を取り戻す事に成功したが
ということは今の俺は?もしやもう一人の
『田崎』の感情が前面に出ている所為で
体が思うように動いてないのではないか?
コミュニケーション能力が底辺で感情フィルターが
プレパラートなノミの心臓田崎が表に出てるとなれば
そりゃあリアクションだって無茶苦茶になるってモンだ
この体で過ごし始めてそこそこ経つが
アシュランも田崎も、まだ俺とひとつになりきっていないらしい
今のような無防備状況に陥る可能性は
今後の旅の為にも潰しておかなければならない
今回はルルムスの力量に余裕があるから良かったが
絶体絶命の状況で俺が足を引っ張って総崩れ、なんて事になったら
それこそ目も当てられない
田崎もアシュランも、早く”俺”と一つになってしまえ
俺はお前たちで、お前たちは俺だ
何度もそう念じていたら指先の感覚が戻ってきた、そして
動かせるようになった両手を勢いよく振り上げて天井を仰ぎながら
パァアン!!!と清々しい音を奏でつつ力加減なく顔面を張ると
ジンと痺れる顔面を張った手で抑えたまま、ルルムスに告げる
「ルルムス、フリッツ」
「はい」
「ああ」
「お前らは何も見なかった
大事な事なのでもう一度言う、お前らは何も見なかった
いいな?」
「貴方が望む通りに」
至極真面目な顔でしかと頷いたルルムスは
隔離された結界内で暴れまわる黒い靄の対応に集中すべく
視界から俺の姿を大きく外して目の前の事に集中し始め
「俺は始めから何も見てないぞ」
俺が動けるようになった段階で頭に置いてた手を引っ込めたフリッツも
素っ気ない声色で一歩前へ出て剣を構えると前方をじっと見据えた
(違う、そうじゃない)
俺は再度心で泣いた
二人とも真面目に捉えないでくれ
笑う所だぞ?笑う所なんだよここは。
今の俺のポーズちゃんと見てるか?天井仰いでジーザスしてる格好で
真面目言う訳ないだろいい加減にしろ!!
テンプレな念押し文句にあろうことかマジレスされた
嗚呼、現実は非情である
笑い話で終わらせる道が絶たれた、もう引き返せない
(……これだけボロ泣きされたら
そりゃあフザけられないよな)
笑えと言った俺の方が無茶振りだったよ
目を覆っていた手をそろりと離した俺の視界に見えたのは
巨悪に立ち向かう導師と勇敢な後ろ姿を見せている騎士
両目が真っ赤になっている俺を視界に入れないように、という配慮だろう
王道であれば俺の立ち位置にはヒロインが納まってるのになぁ、と残念がる
KY田崎の呟きは放り投げておくとして
彼らの頼もしい背中を目にした瞬間
俺は、俺にとっての大事な『何か』を捨て去ってしまった
その『何か』に名前を付けるとしたら
『四十手前のオッサンのプライド』とでも命名しておこうか
俺の要求を笑い話にすることなく
真面目に見なかった事にしてくれた二人の
あからさま過ぎる気遣いがトドメになったのは言うまでもない
世間体とか見栄とか
もう、何もかもどうでもよくなった
一時的にでも前面に出た田崎の意識はまだ勢いに乗っている
その証拠に「もうどうにでもな~れ」という
ネット界お馴染みのアスキーアートが頭の中で乱舞していた




