37<翼竜の所為でアディオスが言えなかった
「起きてるか」
控えめに扉をノックする音の後にフリッツの声が聞こえてきた
明け方近くまで書類整理をしていた俺はうっすらと瞼を開き
目の前にあったシーツをぼんやりと見つめた
二時間ぐらいは眠れただろうか、声をかけられたタイミングが
丁度眠りの浅い状況だったからかすぐに意識が浮上したようだ
フリッツを部屋から追い出した後
魔導袋に仕舞い込んでいた書類棚を全部出して
アレグロスティの暴動に関する資料を選んで
必要な物だけをベッドに広げ内容を精査しつつ渡すべき情報を整理した
で、ベスカトーレ卿に充てる手紙の内容にも色々と苦悩して
出来上がった書状と分かり易くまとめた重要書類と要点のみまとめた領地奪還計画書を魔導袋に仕舞い込んでいた革製の書類入れに収めて枕元に放り、夕食を見事に完食し先にぐっすりと眠っていたクラウスの横に倒れ込んで眠った
アシュランの計画的犯行に対する能力というか経験値というか
今は俺が作ったわけだが怖ろしいまでの犯罪者脳だと思う
一番時間が掛ったのが領地奪還計画書の作成だ
要点だけに絞ったのはアレグロスティ元伯爵の参謀であったベスカトーレ卿の手腕を考慮した結果だ。彼が居るなら必ず押さえておかねばならない要点だけ伝えておけばあとは自分で上手くやるだろう
なにしろ当時アシュランの魔の手から逃げ切っただけでなく
手痛い意趣返しまでしてきた奴だからな
フリッツにはポロっと話してしまったが、隣り領地で暴動が起こった五年前
アシュランはその混乱に乗じて人を使って恐喝やらかしてました
今回の書状に謝罪の旨もしっかり書き綴っておきました
ついでにギルドで引き出せる軍資金用の小切手も同封してあります
これで許されるとは思わないが
領地奪還、どうにか成功してほしいものだ
「入るぞ」
そういえばこの部屋の鍵はフリッツの荷物に仕舞われてたんだったか
内側からかけていた鍵が開けられ扉が開く音が聞こえてくる
書類棚は魔導袋に仕舞ったし、見た目で増えたのは革製書類入れだけの筈
それ以外で、室内で目立つ物と言えばものすごい量の食器ぐらいか
不審に思われるものは目につく所には置いてなかったよな、と
寝起きに微睡みつつ考える
「朝飯を持ってきた、そろそろ起きろよ」
「うお!スゲェ皿の量だな!あの量を全部食ったのか!?」
「クラウスが食べ続けてたけどあの後結局完食したみたいだな」
「コイツじゃなくて子供が食ったのか!?
ガキは食べ盛りと言うが明らかに食いすぎだろ!」
「二人とも全然お腹膨れてないわね、羨ましいわ」
「俺たち四人でも相当残したのに……
部屋に残ってる分持ってきた方がいいかな」
「クラウスが喜ぶならいいんじゃない?
持ってくるのも大変だし僕が部屋に連れてくよ、一緒に行こっかクラウス!」
トルピットが楽しそうに呼びかけている
まだ一度も会話が成立していないようだが
見た目同い年だから仲良くしたいんだろうな
寝起きの俺と違ってもう起床してるみたいだし
腹いっぱい食べるのは大事なことだ、食べたいなら行ってきていいぞクラウス
シーツの波に揺蕩いながら心の中で同行を勧める
すると少ししてトルピットの嬉しそうな声が聞こえてきた
「わ、来てくれるんだ?やった!
エメ姉、鍵かして!もっかい部屋に行ってくる!」
「食事を終えたらすぐに出発よ」
「分かってるって!行こうクラウス!
僕たちの部屋に昨夜の夕食がいっぱい残ってるんだ!」
「コランダス、俺たちは酒樽を運ぼう
こっちは殆ど消費してないみたいだし」
「ありがてェ、道中も酒が飲めるじゃねェか」
「荷物が増えるのは避けたいけど酒は腐らないからね」
早歩きで出て行く足音、クラウスはとうとう俺から離れて行動し始めたか
うむうむ、良い傾向だ
トルピットは若干金に執着するきらいはあるが悪い奴ではない
これを機にクラウスと友好関係になってくれたらいいな
コランダスとヒユイは酒樽を部屋から運び出しているのだろう
樽を転がす音が響いている
寝起きの俺の周りでこれまでにない人数の賑やかな気配
いいなぁこういうの、学生の頃の修学旅行の朝を思い出す
「起きないな」
「うつ伏せに寝るなんて苦しくないのかしら」
「あの双子領主の話だと寝起きはすこぶる機嫌が悪いらしいが」
「話し合いは上手くいったんでしょう……もしかして
寝起きで機嫌が悪いから話し合いを反故にされる可能性があるとか?」
「ははっそれはないだろ……多分」
「ちょっと」
「冗談だよ
アシュラン、そろそろ起きろよ
もうすぐ出発するからメシ食う時間なくなるぞ」
肩を揺すられてのっそりと身を起こす
開き切らない目をそのままにくあっと欠伸をして
いつも通り体の曲げ伸ばしを繰り返した
「アシュラン、起きたか」
「起きた、起きた、メシ」
返事はするが目はまだ開いてない
胡坐をかいた上に両手を落としてぼんやりし続ける
「スープもあるんだからテーブルに置いとくぞ」
「メシ」
「渡しても零しそうじゃないか?」
「メシ」
「……ほれ、パン浸けとくぞ」
「こういう所はお坊ちゃん気質なのね」
甲斐甲斐しいなフリッツ、ありがとよ
ベッドに座り込んだままの俺の手元に暖かい器が触れる
器に突っ込まれたパンがスープを吸って柔らかくなった頃合いで口に運ぶ
これまでよりマシな目覚めとはいえまだ目が開かないのは寝足りないからだな
目を閉じたままもくもくと食べて、食べ終える頃にやっと目が開いてくれた
その間ずっと食事する俺の様子を窺っていたのか
ベッド脇に座って俺を見ているエメラインと
その隣に立って俺を見下ろしている二人が居た
「……フリッツ」
「おはようさん、すげぇ寝起きになってるぞ
顔洗って来いよ」
「ホントね、おはようアシュラン」
「ああ、おはよ
エメラインもおはよ、そうする」
「洗面器で溺れるなよ」
フリッツの注意喚起にふわっとしていた思考が一気に重量感を増した気がした
流石にそれはない
自分でもちょっと意外だが別段機嫌が悪くなった気はしない
もしかしてアレか?友人に起こしてもらえたのが
結構嬉しかったりなんかしちゃったんだろうな
なんて思いつつ洗面台の鏡を覗き込んで目を見張る
鏡の中の自分はだらしないほど嬉しそうな顔をしてた
フリッツのアホみたいな一言の理由が分かった
二人ともこの状態の俺の顔をジロジロ見てたのか!
ぐぉぉおお恥ずかしい!威厳が!年上としての威厳がぁ!!
蛇口を捻って勢いよく洗面器に水をためてこれまた勢いよく顔を洗う
壁一枚隔てて激しい水音が立つのを聞いたフリッツとエメラインは
互いに顔を見合わせて笑っていた
「どこが寝起き悪いのよ、むしろ上機嫌じゃない」
「誰かと日常的な会話が出来る事に喜び感じてるみたいだからな
初対面の時も相当切羽詰まってたみたいだし
友人も俺が初めてなのかもしれない」
「私もアシュランの友達になろうかしら、あんなに嬉しそうなんだもの
寝起きも意外にあどけなくて母性本能を刺激されちゃったわ」
「聞こえてんぞテメェら」
「あら、水も滴るいい男」
髭を剃り終え首にタオルを引っかけて装備を置いてるベッド脇に歩み寄る
エメラインも見た目妙齢なんだから
オッサンに変に気を持たせるような事を言うんじゃない
男は美人におだてられるとすぐ調子に乗る単純な生き物なんだからな
「褒めてもなんの得もねェぞ、出発の準備はできてんのか?」
「宿を引き払うまで余裕あるわよ
クラウスくんも昨夜の残りを食べに行ってるし
アシュランもゆっくり準備したらいいわ」
装備をひとつずつ身に付けていく俺の行動を眺めているエメラインの横で
フリッツの視線は昨夜にはなかった革製鞄に向けられている
それを横からかっさらいボディバッグに仕舞う
昨夜「証拠の書類」と言ったから気になるんだろうな
俺の行動に何か言いたげな表情をするフリッツの傍で立ち上がったエメラインがクラウスとトルピットに声をかける為部屋を出ていった
二人きりになった所でフリッツがボソリと呟く
「なぁ、それ……」
「後でな」
「どうせ渡すなら今でもいいんじゃないのか?」
「今渡したらお前が読みそうだろ
これはベスカトーレ卿に宛てたものだ
お前はそれを運ぶだけ、読みたいなら卿が読んだ後だ」
「書状の使いぐらいできる」
「説得力ねェよ」
目がめちゃくちゃ読みたいって訴えてるだろうが
「読まない!絶対に読まないから今渡してくれ!」
「ダメだ、領境で別れ際に渡す」
「いいだろ少しぐらい見せてくれてもっ」
「読む気満々じゃねーか」
「昨日の話で気になる事山盛りなんだよ!」
「ベスカトーレ卿の後に読めばいい、順番は大事だ」
フリッツに全部教えたらこの正義漢は確実に暴走しそうだからな
事情を伝える相手は選ぶべきだ
アヴァロッティを引き摺り降ろしたいのなら尚更。
身に付けているボディバッグの開け口に手を伸ばすフリッツを躱して
椅子の背にかけていた外套を取り全身を覆い隠すと
フードを目深に被って口布もしっかりと当てる
建物前でコランダスとヒユイが待機していた馬車に乗り込む直前
宿のおばちゃんが出てきて携帯食を持たせてくれた
金貨一枚でここまでしても十分黒字なのだろう
丁度エメラインたちも出てきて
「また来とくれよ」というおばちゃんの見送りを受けながら宿を出発した
他の馬車も頻繁に行き来している所為か、道には分かり易い轍ができている
それに沿って進む中、前日と同じく早速乗り物に酔い始めたトルピットが
気を紛らわすために他愛のない雑談を始める
「聞いてくれよ兄ちゃん
クラウスの奴スゲーんだよ」
「どうした」
「僕たちが残した夕食、綺麗に平らげちゃったんだ
すんごい量が残ってたんだよ?胃袋どうなってんだよ~」
「あの量を?凄いわね……もしかしたらクラウスくん
体内の導力保有量が多いのかもしれないわ」
「ほゆーりょー?」
「胃袋の大きさみたいなもんだな」
「なるほど」
「そういえば導術を使いすぎると腹が減るって学院で習ったな」
「その通りよ
クラウスくんの場合は人間的な意味で量そのものが異常だから
一度看破持ちの導師に視てもらった方がいいかも
特殊能力を持ってる可能性が高いから」
そりゃあドラゴンの卵から生まれた人型モンスターは
高確率で特殊能力を持ってるだろうな
調べるにしても裏ルートじゃないとヘタしたら世界中から追われる身になる
竜の子なんてどの国も欲しがりそうだし
「腹が膨れれば導力も回復するのか」
「導力自体の回復量は微々たるものよ、一番は回復薬が望ましいわ
どっちもない状況だったら最悪の手段しかないわね」
「俺は導技しか修学してなくてな、後学の為に教えてもらえるか?」
「教えてあげてもいいけれどあくまで最後の手段よ」
「ああ」
「対象の導力回路を直接体内に取り込むの
魔物の血肉は魔素が大量に含まれているから
大人が食べても食あたりを起こすことが多いわ
子供が食べたらそれこそ毒だから絶対に食べさせたら駄目」
「回復するのに効率のいい部位はあるのか?」
「基本は脳か心臓ね
生きてる間か死んだ直後に急いで取り込まないと意味がないわ」
話を聞いていたトルピットが「オエ」と言って嘔吐いてる
生きてる内に脳ミソ引きずり出して食べるなど
普通の人間にはできない芸当だな、俺も絶対に無理だ
食べるぐらいなら死んだ方がマシだな
「魔物によって回路が集中してる部位が異なる場合もあるの
今分かってる魔物だったら、例えば有名所だと翼竜
翼の前腕部”尺骨”と”とう骨”の間に導力回路が集中してる」
「人でいう所の手首から肘にかけての部分か
それで風属性の導術が得意な個体が多いんだな
手羽先なら、まぁ……食べられない事もないか?」
「手羽先って、兄ちゃん……」
「甘辛ソースでも付けて炙れば半生でもなんとか食えそうだ」
「聞いただけなら美味しそうね
導力は回復するでしょうけど、確実にお腹壊すわよ」
出発した町も後方の地平線に隠れ見えなくなって
どれぐらい時間が経っただろうか、もうすぐ領境に差し掛かろう所で
それまで隣で大人しく座っていたクラウスが
俺の外套をつかみ軽く引っ張ってきた
「ん?どうした」
朝あれだけ食べたんだからそろそろトイレタイムか?
喋りそうにないので真意を探るべくじっと観察してみるが
クラウスは申し訳なさそうに眉を顰めるだけで
何を言いたがっているのか分からない
「うんこか、しっこか」
「アシュランさん、言い方」
御者台で手綱をあやつってたヒユイからツッコミが入る
あからさまな単語にエメラインも苦い顔でため息を吐く
幌を避けて太陽の位置を確認したコランダスが
腹を撫でつつ提案してきた
「そろそろ領境だな、昼飯時も近ェからメシ食ってから別れるか」
「賛成……そして食後暫く腹ごなししてから移動したい」
「僕も……食べて直ぐは無理……」
「フリッツもトルピットも早く乗り物酔い克服しろよォ
毎回それじゃあ不便で仕方ねェ」
「鋭意努力する……うっぷ」
「これ慣れるモンなの?おえっ」
「ここまでの道中一度も魔物の襲撃を受けないなんて運が良いわね
ヒユイ、向こうの川に沿って止めてくれる?」
轍を逸れた馬車は掛け声と共に停まる
すぐ傍を穏やかで浅い川が流れていて目に涼しい光景が広がっていた
さて皆で降りて昼食を取るか、と
フリッツとトルピットが荷台から身を乗り出した所で
御者台から降りたヒユイが叫んだ
「翼竜だ!!目視できるだけで五匹!一直線にこっちに向かってる!」
「出せヒユイ!一番近い森に入れ!!そこまで行きゃあ逃げ切れる!」
「全員乗ってるだろうな!?」
「大丈夫よ!出して!」
叫びながらの報告と同時に御者台に乗り込む音がした後
バシン、と手綱が撓り馬車が急発進する
とんでもない振動の中全員が馬車の中で身を固めて
最後尾に居るフリッツとトルピットは
後方から飛んでくる翼竜の動向を観察し続けた
どうやら完全にロックオンされてしまっているらしい
遠めに見ても物騒な気配がするので
追いつかれれば襲われるのは確実だろう
(って、おいおい)
このまま森に突入されたら俺、領境を超えちまうんだが?
かといってこのまま降りたら場所はだだっ広い平原だ
どこにも身を隠せず翼竜に目を付けられ襲われる可能性が高い
このまま乗車し続けても全身死にそうなほどの痛みに襲われる
……進むも地獄戻るも地獄ってヤツか?
「フリッツ、俺はここで降りるぞ」
「俺を置いて先に行けとか格好つける気じゃないだろうな?」
「保身以外の何物でもねェよ
このままだと領境を超えちまう、激痛で死ぬのはご免だ
翼竜から逃げ切って生き残れる可能性に賭ける」
「痛いといっても暫くは持つんじゃないのか?」
「持たねェな、色んな場所で試したと言っただろう
俺が試したのは片腕だけだ、それで耐えられなかったんだから
全身領外に飛び出せば確実に痛みで死ぬ」
バッグに仕舞っていた革製鞄を取り出しフリッツに押し付け
ついでに襟足の装備を掴んで馬車の前方へ転がす
鞄を胸に抱えて前に積まれている積荷に頭をぶつけたフリッツは
態勢を崩しながらも俺の外套を掴もうとするが俺の行動の方が早い
「じゃあな」
「アシュラン!!」
叫ぶように俺を呼ぶフリッツの声を背に受けながら飛び降り
身体強化で着地の衝撃を和らげると翼竜の一匹が俺に向かって降下してきた




