30<胎動
夜の間中走りっ通しだったアシュランやフリッツが
丁度寝入ったその日の同時刻、明け方
世界各国で権力を持つ者たち全てが騒然としていた
ある国では高名な占い師が発狂し
またとある国では重役たちが青褪め
遠方の大陸は歓喜の渦に巻き込まれる
兆候を知る誰もが取り乱し叫んだ
『 世界の終わりが始まった 』
そしてアシュランが暮らす領地セインツヴァイト公爵領公爵邸では
王宮から遣わされた竜騎士によって届けられたばかりの
王命が記された召喚状を片手でヒラつかせる男が笑みを浮かべていた
上等な一人掛けのソファーで長い脚を組み直し
明け方の霞む光を窓越しに背に受け光の届かぬ暗がりを見やる
「国王陛下より公爵家当主へ王城召喚の命が下った
待ち望んでいた時が来たぞ、シャーサ」
男の呼びかけに答えるように暗がりが蠢き
闇から這い出てくるようにゆっくりと姿を見せる
明け方のぼんやりとした薄明りに浮かび上がったのは
女として最上級とも言えるボディラインを持つ
薄地の真っ白なドレスを身に纏った美しい女性
「昨夜『第一の兆し』を見たから知っているわ
ああ……とうとうこの時が来たのね
わたくしたちが長年待ち望んでいたあのお方が
遂にお目覚めになられたのよ!シャノス!」
表情は恍惚としており
陶酔しきった両目の瞳孔は縮小と散大を繰り返し
何かが目の前にいるかのような様子で宙を見つめている
艶めく唇は弧を描き悩まし気な熱い吐息が室内に響く
恍惚とした様を見ていた男の気配も熱気を帯び
手にしていた書状の端を唇に挟むと紙に唾液の染みが広がる
「これから世界中があのお方の為に動き出す
我々は玉座を整えなければならない
その為に長い時をかけてこの地を少しずつ闇に染めてきたんだ
だが、まだ完全ではない……分かっているな?」
「そうね、そうよ、でも……でも、ああ!早くお会いしたいわ!!
ずっとずぅっと待っていたんだもの!!
焦がれ続けて気が狂うかと思うほど我慢したのよ!
ねぇシャノス?もういいわよね?もういいでしょう?!
あのお方を迎えに行きたいわ!」
「抜け駆けは許さないよシャーサ、ぼくだって早くお会いしたいんだ
そして触れたい、お声を聴きたい、ご命令が欲しい」
「当然よ、分かっているわ
わたくしたちは二人でひとつ、一緒に生まれ変わるの
あのお方の忠実なる僕として!」
「伝承通り、大地を闇の楔が貫き最初の変革が生された
これより最後の変革が終わるまでに
あのお方の洗礼を受けなければならないよ」
「その為に、」
「ああ、その為に」
「「アースラムお兄様を殺さなければ」」
「だからこの領地に閉じ込めたの
この日の為だけに閉じ込め続けたのよ?
報われなければおかしいわ」
「シャーサは天才だ
お兄様はきっと、よい頃合いだよ」
「胸を裂いて心臓を取り出すの」
「沢山の恨みと憎しみを育てたんだ
きっととても綺麗だろうね」
「赤く熟れた瞳を舌の上に乗せて」
「黒く爛れた性の証に口付けを」
「空っぽの躯を抱きしめて」
「沢山の愛を詰め込み、そして捧げるんだ」
「きっとお喜びになるわ」
「そして我々を愛して下さる」
「そうすればあのお方とわたくしたちは永遠に一緒ね」
「ぼくたちが望む未来はそれで全てが完成する」
「その為に最大の障害となる英雄と聖女
賢者、騎士、導師を排除しなければならないわ
本当に現れるのかしら?
どうすれば見つけられるのかしら?」
「聖女は彼の国の神殿で匿われている
導師になりそうな人物は既に目星を付けているよ
その為に無理をしてここへ引き入れたのだから」
「まぁ!!素晴らしいわシャノス!……でも、」
「ああ、英雄も聖女も他の目障りな者たちも
覚醒してからでなければ始末しても意味がない
ぼくたちの一番近くにいる彼はまだ導師として覚醒してはいない
王都で行われる継承の儀を急がせなければならないね」
「まだ待たなければいけないというの?
早くあのお方に会いに行きたいのに」
悲しそうに俯く女性に男が手を伸ばし
真っ白な頬を撫で煌めく髪を梳き慰める
「あと少しの辛抱だ、共に待とう
ぼくの半身、ラクシャーサ」
「ええ、共に待ちましょう
わたくしの半身、ラクシャノス」
「ふふっ楽しみだな
アースラムお兄様は弟しか居ないと思っている」
「そうね、それも楽しみだわ
あの頃は本当に楽しかった、弟しかいないと思わせて
お兄様を相手に代わりばんこ、二人で一人のフリをしていたもの」
「妹もいると分かったらきっととても吃驚するだろう」
「……喜んで、くれるかしら」
「不安か?」
「少しだけ」
俯き、自信なさげに肩を寄せる女性を己の膝の上に導いた男は
腕に収まった女を優しく抱きしめ言い聞かせる
「きっと喜んでくれる
もしそうでなくても大丈夫、アースラムお兄様は殺してしまうのだから
辛いならシャーサは目を背けて耳を塞いでおいで?
ぼくが全部やってあげよう、見たくないモノは見なくてもいいんだ」
「それはイヤよ
アースラムお兄様をシャノスに独り占めなんてさせないわ
一緒に二人で分け合うの、そしてあのお方に捧げるの」
「解ってるよ、シャーサ」
「抜け駆けはイヤよ、シャノス」
密やかな笑い声が響く室内は所々に赤が散っている
昇り始めた日の光が室内を鮮明に照らし
血に染まった男と女の横顔にも日が差し込んだ
乾ききっていない赤を引いた男の唇が愉悦に弧を描く
「シャーサは帰ってきたばかりだから知らないだろう」
「なぁに?」
「二週間前に面白い報告を受けたんだ
導師になる予定の男はアースラムお兄様と交流を持ったらしい
私室で楽しそうにお茶をして
あろうことか”愛称”で呼び合っていたそうだよ
…… 『 アッシュ 』 とね」
話を聞き始め徐々に表情を失くした女性は
最後の言葉を聞いた直後に豹変し
喉の奥から絹を裂くような悲鳴を上げ
室内が肌を刺し貫く程鋭い気配に満たされる
息の続く限り響いた悲鳴の後、呼吸を整えた女性は目を見開き
心底楽しそうに己の様子を眺めている男を見据えた
「殺すわ、わたくしが直々に殺しに行く
アースラムお兄様を愛称で呼ぶなんて許さない
よくも、よくもっ」
「急がなくても問題ない、彼は上の者の命令には従順だ
警告後、アースラムお兄様との交流は絶たれている
この二週間二人は接触していないという報告を受けているよ」
「駄目よ、もう決めたの
その男はわたくしが殺すわ
アースラムお兄様を愛称で呼んでいいのはわたくしたちだけ!
お兄様を愛していいのはわたくしたちだけ!
『 アッシュ 』 と呼ばれるお兄様もわたくしたちだけのものよ!!
……そうでしょう?シャノス」
「シャーサの言う通りだ、けど
彼を殺すのは覚醒した後にしよう
今は殺し方を選んでおけばいい」
「そんなの知らないわ!!わたくしは耐えられないのよ!!
アースラムお兄様はわたくしたちだけもの!
その愛もわたくしたちだけのもの!誰にも渡さないわ!!」
「では、お兄様を連れ帰ってぼくらの部屋にでも閉じ込めるかい?」
「そっ……」
男の指摘に、頭に血が上っていた女性は顔を真っ赤にして俯いた
先ほどまでの豹変が嘘のように可憐な少女のような恥じらいを見せている
「そうしたいのは山々だけれど、いじわるだわシャノス
できないの分かってるクセに」
「ぼくたちのお役目も困ったものだ
傍に置いておくとどうしても愛さずにはいられない」
「そうよ、駄目なのよ
悪意と憎悪無くしてわたくしたちの愛で満たしてしまったら
あのお方へ捧げられなくなってしまうもの」
「お兄様には悪意と憎悪を」
「わたくしたちは愛と献身を」
「愛するアースラムお兄様、絶望を抱きながら待っていて下さい
もうすぐシャーサとぼくが殺しにいって差し上げますから」
「ああ、殺したいほど愛おしいお兄様
シャノスとわたくしが会いに行きますわ、楽しみにしていらして」
二人の眼差しは壁一面に飾られた肖像画へと注がれる
そこに描かれていた人物はかつて公爵家の嫡男で、何事も無ければ
セインツヴァイト公爵領を継承する筈だった男、アースラム・セインツヴァイト
現三十九歳でもうすぐ四十になるアシュランの若かりし頃……の、
加工という文字すらも驚愕させるほどに美化されまくった姿だった
本人の面影が欠片も無い「誰それ」状態であるが
とある事情から公爵邸の誰もがその事実を指摘する事が出来ないでいる
そんな事実に全く気付かない二人は「ほう……」と熱くため息を吐き
眩しいものを見る様な眼差しを肖像画()へと送り続けた
不意に窓の外で弱弱しい鳴き声が響く
王宮より騎士が騎乗してきた竜の
散々に痛めつけられ弱り切った最後の断末魔であった
それを耳にした二人は肖像画(笑)から目を話すことなく言葉を交わし合う
「人に飼いならされた竜は不味そうだわ」
「乗り手の肉を添えてみようか
彼らは異種間にも関わらず絆を育んでいるからね」
「まぁ!シャノスは天才ね
彼らの絆を直に味わえるかもしれないと思うとゾクゾクしてくるわ
これ、メイド」
二度手を叩いた女性の呼びかけに応じて静かに扉が開かれ
足音を忍ばせつつ数名のメイドが素早く入室し
既に指示される内容をある程度察しているのか
女性が告げる間に室内に転がっている塊へと歩み寄る
「”ソレ”を厨房へ
今し方中庭で討伐を終えた竜に添えて出しなさい」
「かしこまりました」
ピクリとも動かない塊の傍に防水シートを広げたメイドが
”ソレ”を転がしシート中央へ移動させ、四方の端を持ち部屋を出ていく
扉の開放を行ったメイドが入って来た時と同じように静かに頭を下げ
再び扉は閉ざされた
当主の部屋から運び出されたのは全身が赤に塗れた竜騎士
それを見送った扉の前の衛兵が諦めたように目を伏せ
顔色を失いながら声に出すことなく
誰か助けてくれ、と呟いた
同じ頃、神殿長自室にて
拝殿で行われている朝の祈りを遠くに聞きながら
いつも通り自室にて朝の書きつけを行っていたルルムスは
音のない呼びかけに声を出して答える
(ルルムス様)
「教皇様の遣使ですね」
(緊急事態につき面会をと申しております)
「用件は分かっています、通しなさい」
教皇の側近を名乗る使いの者が先触れなく訪れても
別段取り乱す事もなく部屋へ通すよう指示を出す
その直後、音も無くルルムスの傍へと降り立った男は
跪いた姿勢でルルムスへと書状を差し出した
王家の封蝋が施された書状を無言で受け取り
素早く開封し目を通すルルムスの瞳に動揺はない
昨夜の『兆候』を目の当たりにしていた為
教皇の手の者による訪問を予期していたからだ
渡された書状を読み終えると指先から導力を流し
手にしていた紙を塵に返す
「王命、賜りました
急ぎ支度をします、出立の準備を」
「はっ」
傍らに跪いていた影は掻き消え
天井裏から短く返された返事も気配を消した
遠くから昇る朝日を窓から眺め、呟く
「継承の義、か」
その言葉はルルムスが教皇として神殿のトップに立つことを意味していた
過去幾度となく読み上げた神殿の伝承を言葉にする
「 ” 悪しき王が目覚めし時、世界に闇の楔が穿たれる ”
……世界が終末へ向かって動き始めたか」
このタイミングでの継承の義とくれば
教皇となった己に課せられる最初の任務がなんであるかは想像に難くない
十中八九、導師として英雄の旅路への同行だ
永劫目覚める事無く大人しく眠っておればよいのに、と
未だ姿の分からぬ古の王に向かって吐き捨てる
「このまま王宮に向かえば」
もう、この町に戻ってくることもないのだろうか
ルルムスの脳裏に愛称で呼ばれた事を心から喜ぶ友人の姿が浮かぶ
別れの挨拶だけでもしておきたかったが
「難しいだろうな」
幸いなのは昨日の昼過ぎにアシュランがこっそりと顔を見せに来て
去り際に「いってらっしゃい」と一言だけでも言えたことだろう
アシュランが神殿へ侵入した際、それを目撃し通報しようとした領民に
ルルムスの近衛が機転を利かせて対応しなければどうなっていた事か
ここの領主から『警告』を受けている今の状況で
アシュランと会っていると知られるとどのような目に遭うか分からない
約二週間前、ギルド長と話をしたその日の夜
アシュランに対して行われている不条理が事実かどうか
もし事実なら何故そのような事をするのか真意を探るべく
神官のひとりに書状を預け公爵邸へと向かわせた、しかし
その日の内に帰ってきた答えは
拷問を受け死にかけた神官の姿と
その口に詰め込まれていた紙に書かれた
『 従わぬ者には罰を 』 という脅し文句
神官には治療を施し
すぐさま王都に居る教皇へ事の次第を報告したが
教皇側から明確な返答は得られず、返信の手紙にも
ただ「領主の意向に従うように」としか書かれていなかった
瀕死状態だった神官も目に見える傷が癒えてはいたものの公爵邸で行われたであろう拷問による心への負担が大きすぎたらしく、数日後に自ら命を絶った
「忘れたい」と独り言を呟き自室に引きこもってしまった為
精神面への配慮が不十分であったことが悔やまれてならない
「ルルムス様、出立の準備が整いました」
「分かりました、すぐに向かいます」
教皇はおそらく、この地で行われている不条理の理由を知っている
継承の義を終えれば全てをお話下さるだろう
教皇となる事で古の悪しき王を打ち倒さねばならない苦難の旅路に
出ることになろうともその前にせめて事情を聞いて、そして出来る事なら
真っ当に生きようと努力しているアシュランの力になれる事をしておきたい
それ位の時間は捻出できるはずだ
簡単な荷造りを終えて
最後に日々付けている日記を鞄へと仕舞う
「彼は、あの様子では気付いていないのだろうな」
日々嫌がらせに通っていた神殿の事を、そこで働く全ての神官を
「むしろ好き」「みんな優しくていい人だ」と評価していたアシュラン
自覚した風も無く ” 心の拠り所だったのではないか ” と
他人事のように言った彼の言葉の裏にどうしようもない淋しさが秘められていたのだと気付いたルルムスは胸を強く締め付けられた
その答えを聞いた当初
冷静を装うためにどれほど表情筋を酷使したことか
神殿を心の拠り所とする理由など一つしかない
アシュランはずっと……長い間ずっと、たったひとりで『助けを求めていた』
心を許せる者を作ればそれはすぐに離れていき
時には姿さえも消してしまうこの領地で
自身を取り巻く抗いようのない孤独に気付いてほしくて
毎日神殿に通い続けていたのだとすれば余りにも残酷な仕打ちだ
彼が廃嫡になって約二十年
毎日どんな気持ちで神殿を訪れていたか
何を思ってあくせく働く神官を見ていたのだろう
手の届く距離にある救いが
これまでのように理不尽に奪われぬよう、無くならぬよう
本当に伝えたい事の欠片も言い出すことなく、手を伸ばすことをせず
逆に悪態を貫き関係を悪化させる事で好きなものを守ろうとしたアシュランを
どうして神殿長である己が放っておけるだろうか
察しが良く頭の良いアシュランでも気付けぬほど
巧妙に孤立させられ広められた悪意は
彼の心から全ての希望を奪い去るには十分な時間だった
その希望を取り戻したいと思った、孤独を無くしてやりたいと思った
(だから私は、彼の友人に立候補したんだ)
心を許した彼と言葉を交わす度に色々な事に気が付いた
仏頂面で決して表情を緩めず周囲を威嚇し続けていたアシュランは
本当は感情豊かでよく笑いよく泣く、とても素直な男だった
最初は別人かと思うほどの変貌ぶりだと思ったが
仕草や行動はアシュランそのままな部分も多い
だから人そのものが変わったわけでは無いのだと理解した
ルルムスの持つ能力で時折彼を観察しても”それ”は変わっておらず
悪いと思ったら本気で謝れるし心根は穏やかで優しい
好んで着ている服の趣味は奇抜ながら不思議とよく似合う
「……継承を終えたら」
必ずここへ戻ってこよう
なんとしてもその時間を作ろう
そしてアシュランにこの領地を取り巻く理不尽の全てを伝えよう
この地に暮らすひとりの人間として
彼には知る権利があるのだから




