3<神殿長だが、要注意人物の様子がおかしい
私が『彼』を知ったのは、もう何年も前の事だった
何百年と続く誇り高い公爵家の嫡男として生まれ
その出生と権力を傘に好き放題して結局成人を迎える前に廃嫡
一族から追放されるという憂き目に遭い
未だに上位貴族の間では悪い意味での噂に事欠かない公爵家の面汚し
”ただの”アシュラン
かつての家名を名乗る事を許されない、現在は
平民以下の行いに手を染めている最低最悪の男だ
極悪非道、傍若無人……
伝え聞く限りでは捕まっていないだけで犯罪者と相違ない
そんな、人としてすら最低な人物とここまで深く関わる羽目になるなど
当時の私は思いもしていなかった
ところが一か月前、突然の出向命令が下った
組織のナンバー2まで上り詰め次期教皇とまで目されていた私が
異例の人事によって王都に隣接する領地の神殿へと向かう事になり
事実上の左遷に近かった……否、当時の私にとっては左遷も同然
王都の隣とはいえ出世の道が閉ざされたと判断してしまうのも仕方ない
不可解極まりない出向命令の詳細を問い質すも
教皇の返答は最後まで曖昧なままだった
まともな説明もしてもらえなかったという事はつまり
神殿長よりもっと上の人間が何らかの理由で圧力をかけ
私を王都から追い出した、という事実に他ならない
半ば強制的に隣領地に放り込まれた私が
ここの神殿長に着任して早々出遭う羽目になった煩わしい男に
多少大人げなく八つ当たりしてしまったのも無理からぬこと
そして、私に割り振られる仕事のなんと低レベルなことか!
王都の隣とはいえ、仮にも公爵領だというのに
ここまで職務内容の質が落ちるのかとガッカリさせられた
ここの神殿に勤める者たちも事実上左遷の私を腫れものの様に扱い
気遣いの延長なのかなんなのか、業務の殆どを
神殿長補佐とその部下たちが取りまとめている
よって私に回ってくる仕事がない、「お飾り神殿長」もいい所だ
その上更に憤慨せずにはいられない事実がある
着任初日に憂さ晴らしも兼ねてやり合った煩わしい男、アシュラン
その日の内に奴の対応が何故か全部私の仕事になってしまっていた
迷惑な神殿利用者はどこにでもいる、だがアシュランは
病気ではないかと思うほど迷惑の範疇を逸脱した男だった
華々しい生活を欲しいままにしていた公爵家嫡男は見る影もなく
平気で他者を貶めるどうしようもない悪人に成り下がっていた
領民の評判も最悪、町の皆からも嫌われている
ここまで酷いと呆れ果てるというものだ
怒りどころか哀れみすら感じない、まるで道端に捨てられたゴミのような……
ただただ視界に入ると目障りなだけのどうでもいい存在に思えた
顔を合わせる度に子供に言い聞かせるように
領民が知っていて当たり前の講釈を懇切丁寧に言って聞かせる
目の前で喚こうが騒ごうが、私が言うべきことはいつも変わらない
にも関わらず男は飽きもせずほぼ毎日神殿に迷惑行為を繰り返した
朝、おはようと挨拶する代わりに「二日酔いの頭痛を治せ」
昼、こんにちはと挨拶するかのように「肩が凝った、マッサージ治療しろ」
夜、こんばんはと挨拶せんばかりに「酒も薬の一種だろうが、酒を出せ」
一番酷かったのは確か
「爪の甘皮が逆剥けした、地味に痛いから治せ」だったか
ヤツが持ち込む治療案件はどれも酷い内容ばかりで甲乙付け難い
そんな経緯もありアシュランは神殿従事者全員から嫌われている
気が弱い者が多かったのも災いして、私が赴任してくるまでは
彼の態度に押し切られ渋々治療を施していたらしい
私が着任してからはその身勝手な振る舞いも全て叩き返しているが。
今では他の者からは「対アシュラン防衛兵器」と呼ばれてしまっている
そのような二つ名も当然不愉快、むしろ名誉棄損だ
頼りにされるのは悪い気はしないが、どうにも利用されてる感が拭えない
望まぬ人事と現状の職務内容に不満を蓄積させながら
いつになったら王都へ戻れるのだろうか、と
本来の勤務地へと思いを馳せる事も多くなってきた矢先
異動願いの書類を作成していた深夜、アシュランが神殿に姿を見せた
暗がりでも分かるほど今までになくボロボロの見た目
少しばかり驚いたが最初に思い浮かんだのは「自業自得」という言葉だった
正直な心根を言えば「死んでいれば良かったのに」だな
その時の私の心情に言い訳をするならば
ストレス過多で精神状態も最悪だった
自身を取り巻く現状に気持ちが腐りきっていた
次期教皇と言われていた私の心はこの時死んでいたも同然で
見るからに大怪我をしている彼を見ても
助けてやろうなどといった仏心は全く顔を出さなかったのだから。
分かっている
本心から「死んでいれば良かったのに」と思った私は
既に神殿に従事する者として失格だ
だが、その本心もすぐに後悔した
普段の様に強い口調で牽制しても言い返してこない男の姿を見て
ただ事ではないと直ぐに理解できたがそれでもまだ警戒の方が大きかった
奴は演技達者で相手の同情を誘うのも巧い、今の姿もポーズかもしれない
警戒心も剥き出しに普段通りに追い返しにかかれば
驚いたことにアシュランは大人しく背を向け神殿の敷地から出て行った
あんなにも傷だらけの姿でわき腹を赤く染めているのに
暗がりの中、終始苦しそうに俯いていた彼が
僅かに視線を上げて私と視線を交わした時
ほんの少しだが薄く笑ったように見えた
私の目には、自嘲したように映り「まさか」と目を疑った
あのアシュランが自省するなどありえない
しかし、何も言い返すことなく大人しく引き下がったのは事実だ
壁に寄りかかりながら塒へと向かうアシュランの汚れた背中を見送り
「……~くそッ」
彼の背中が外壁で見えなくなった所で
居ても立ってもいられなくなった私は急いで身を翻し自室に駆け込むと
簡単に外出の身支度を整えてアシュランの後を追った
部屋を飛び出す際、ひったくるように掴んだカバンの中には
緊急時に使用する回復薬と中和剤が入っている
べっ別にヤツを治療すると決めたわけではない
一応、一応だ。備えあればなんとやらと言うだろう
内心で誰に訴えるでもなく言い訳している時点で、らしくない
アシュランが塒にしている場所は知っている
常日頃から神殿だけでなく領地全体で要注意人物と見られていた為
私が神殿長に着任する以前から各方面より情報が届けられる状態であり
普段の行動範囲から知りたくも無いのに色々と把握済みだったからだ
常日頃から監視され情報が行き渡るほど
町全体で嫌われまくっているアシュランはよっぽどだと言える
ほんの少し駆け足で追っただけで目的の背中が見つかった
こっそりと後を付けて観察して気が付いたが、片腕が動いていない
僅かな段差に躓いている様子からも視界が悪くなっている事が窺える
内心でハラハラしながらも塒に入るのを見届けて
暫く様子を見ても動きが無ければ部屋を訪ねようと心に決め
幾分か待ったところでアシュランが建物から出てきた
見た所様子は変わらないが動かせている方の手の動きが先ほどより忙しない
まるで殆ど見えていないかのような動きだ
流石にこれ以上の見極めは必要ない、と
応急処置ではあるが彼の傷を治療すべく物陰から一歩踏み出した所で
アシュランがならず者たちに取り囲まれた
話の内容からして同業者にハメられて大怪我を負ったらしい
やはり自業自得だとは思ったが
目の前で人殺しが行われるのは看過できない
アシュランにナイフを突き立てようとした男の間に割って入り
放った導術で輩どもを昏倒させ背に庇ったアシュランを振り返れば
彼も体力の限界だったのか仰向けに地面へ倒れ込んでいた
受け身も取れなかったらしく倒れ込んだ拍子に色々ぶつけたようだ
後頭部からは血を流し口からも血を吐いている
それでも意識があるらしく口元が何事か呟いているが聞き取れない
「おい!聞こえるか?おいっ」
その場にしゃがみ込んで頬を軽く叩いた所でうっすらと目が開かれる……が、
顔を近づけ確認したその瞳は濁っており、視野が機能していない事も分かった
しかし彼の唇は「ルルムス」と、確かに私の名を模る
私の事は認識できているようだ
動く方の手が腰のバッグから何かが詰まった袋を取り出し
傍らで覗き込んでいる私に手渡すように向けられた過程でその袋を取り落とす
地面に落ちた袋から零れ散らばる白金貨に目を見張った
建物を出てきた時点でまさかとは思ったが
あのアシュランが金を渡してきただと?
塒に戻ったのは治療費を持ってくるためだったと?
私が治療費を先に払えと言ったから、こんな死にかけの怪我をしているのに
あのアシュランがゴネもせず素直に治療費を取りに塒に戻っただと?
金が詰まった袋を取り落としたと気付かず袋を握った形のまま
私の胸元に押し付けられる……力のこもっていない手
本来のこの男であれば「さっさと治しやがれ」と
金を叩きつけるぐらいはするだろう
その体力が無いにしてもこの男がここまで素直になるとは
目の前の事実にただただ驚愕していた私には
あの乱暴で迷惑しかかけてこない男の頼りない手の感触すら
現実味が感じられなかった
信じられないという面持ちのまま見下ろす先で
何かを紡ぎ続ける男は気を失う直前、乾ききってひび割れたその唇で
「ごめんなさい」と
確かな言葉を模った
あのアシュランが謝った、という事実に私はまたしても愕然とする
見下ろしている間に彼はとうとう意識を失ったらしく
触れていた手が地に落ちようとするのを反射的に掴んで掬い上げ
無意識に自身の胸元に抱え込んでしまう
この男が真実、心から謝罪を口にしているのだと直感したからだ
領民から散々に嫌われている男の手に初めて触れたその感触は
意外にも細くて頼りない、苦労を滲ませたもののように思えた
彼の背を追いかけた時点でほぼ心を決めていたようなものだったが
この瞬間の私は一切の迷いを断ち切っていた
導術により応急治療を施し、同時に
胸を締め付けられるような感覚に陥る
思い出したのは治癒師見習いとして神殿に勤め始めた頃の気持ち
「ごめんなさい、か……」
出世街道を突き進んでいた私自身が
長く忘れていた何かを思い出せたような気がして
知らず口角が上がり、目じりも緩んでしまっていた
私が「ごめんなさい」という言葉を最後に口にしたのは
果たしていつだっただろうか。




