13<気付かないフリをするのも大事
「余計な事を言うな馬鹿者が!!」
元ベテラン冒険者と名高いおじいさんの拳が叫んだ職員を殴り飛ばした
職員は受け身も取れず壁に叩きつけられその場に倒れ込む
うわぁまともに入ったよ、めっちゃ痛そう……
それを見たルルムスが思わずといった様子で席を立ち
殴り飛ばされ鼻血を流す職員へと足早に歩み寄る
怪我人を見ると助けずにはいられない俺の友達、聖人すぎるだろ
「大丈夫ですか」
痛みに蹲った職員はルルムスの呼びかけに応じる余裕も無いらしく引きつった泣き声を零す。途切れ途切れの呼吸に交じってボソボソと呟いているが距離が遠くて何を言っているのか聞き取れない
俺に向き直ったおじいさんが床に膝を突いたまま真っ直ぐに俺を見据える
強い決意を秘めた眼差しだ
「此度の不正、誠に申し訳ない事をしたとギルドを代表して謝罪致します
その上で手前勝手とは重々承知しておりますがどうかお聞き入れ願いたい
今回の不始末、内々で済ませては頂けませぬか
職員二百六十名全員を路頭に迷わせるわけには行かぬのです
上層部への報告以外の全てをアシュラン殿の望む通りに致します
情報開示に関しては今すぐにでも資料をお持ちいたします
おい、例の書類だ
ひとっ走り行ってこい」
ずっと土下座していた職員はおじいさんに言われて無言で頷くと
部屋を飛び出し走って行ってしまった
扉がしっかりと締まるのを見届けて再び俺に向き直ったおじいさん
「示談金もご希望の額をお支払いすると約束します
必要であればワシの命も喜んで差し出しましょう」
武士だ
歴戦の武将が目の前に居る
思いがけず相手の弁慶の泣き所を捉えてしまったのだろう
一方的に蹂躙し尽くすようなワンサイドゲームになってしまった
餅は餅屋に任せようと思ったんだが思わぬ事態だ
武士モードでじっと見据えてくるおじいさんからそろりと視線を逸らし
ちらりとルルムスを見ると、彼もおじいさんの発言が聊か不可解なようで
難しい顔をしながら職員の傷を治療している
おじいさんは兎にも角にも『報告』だけはしたくないらしい
「……そうまでして報告を拒む理由はなんだ」
「お話しできません」
「ギルド上層部は不正に対して
命を取るほど容赦のない罰則を設けているのか?」
「お話できません」
「アッシュ」
ルルムスからそっと名を呼ばれて目を向けると
小さく首を左右に振るジェスチャーをされてしまった
蹲り泣き続ける職員から何か聞いたのだろうか?
兎に角これ以上は追及してやるなってことだよな
おじいさんも命を差し出すと断言するぐらいだ、唯事ではない
このまま問い質し続けると余計に厄介な事態に見舞われそうな予感がするし今はこれ以上突っ込まない方がいいのかもしれないな
「分かった、では今後の調査過程で悪質な不正が発覚した場合
俺個人の裁量で罰則を設けるが異存はないな」
気が進まないが、然るべき機関で裁けないなら俺がやるしかない
とりあえずこの場はそれで収めておこう
後々の話し合いでもっと良い解決策が出てくるかもしれないからな。
俺の提案におじいさんは驚いたように目を見開きながらも深く頷き
やっとその場から立ち上がり向かいの椅子に座り直した
頬の治癒が終わった職員も顔色は悪いままだがおじいさんの後ろへ戻り
同じようにルルムスも元の席へ腰を下ろした
その様子を眺めながら良心の呵責に苛まれる俺
(”俺個人の裁量で罰則”だとよ)
その場しのぎとはいえ、ホントふざけんな
どの口が言いやがるんだか。
むしろ俺も罰を受けなきゃならない悪党だろうが
着実に罪過を稼ぎ続けてる俺を誰か罰してくれ
目の前に真剣な表情をしたおじいさんが座っているのも構わず
はぁ~、と深いため息をついて机の上に腕を組み顔を伏せると
席に着こうとしたルルムスが心配してくれたのか俺の傍らに歩み寄ってきた
やめてくれ、今優しくされると余計に心が痛む
「どうしましたか、アッシュ」
「ルルムス……悪いんだが、ちょっと俺を殴ってくれないか?」
「喜んで」
「ぐッほァ!」
痛ェ!!
躊躇なくストレートパンチかよ
じんじんと容赦のない痛みを訴え始める頬を抑え切れた唇から血を垂らす
ちょ、おま、手加減なしに殴ったよな?首も痛い、歯もグラついてる
頬骨ヒビ入ったんじゃないか?殴ってくれとは言ったけどここまでするか?
と言わんばかりに信じられない眼差しをルルムスに向けてしまう
突然の事におじいさんも吃驚しちゃってるだろ
どうすんだよこの微妙な空気
「請われて施す痛みは暴力ではないのですよ」
謝ってもらえる所かニコリと笑みを向けられてしまった……
そういやコイツ、自傷行為を容認するマゾヒスト集団を束ねるボスだったよ
頼む相手を間違えた、俺が愚かだった
「自戒行為だったようですので特別に無料で治療して差し上げましょう
本来は色々と戒律が定められているのですが
貴方は神官ではありませんからそこまで倣う必要はありませんよ
さぁ顔をこちらへ向けて下さい」
「……あいあふぉ」
ルルムスの言い分に呆然としていると暗に「言え」と
命じられたかのように感謝の言葉が自然と口から零れ落ちた
なんで殴られて礼を言わなきゃならないんだ
体育会系でいう所の指導官にビンタ喰らって
「有難う御座います!」って野太く叫ぶヤツか、アツいぜ
とはいえルルムスは体育会系ではない
安易に足を踏み入れてはいけない領域のヤツだ
俺、知らぬ間に調教されてる?なにそれ怖い
人を思いっきり殴っておいてとてもいい顔をしているルルムスは
腫れ始めた頬に掌を添えて治癒術を施し始める
ひんやりと心地よい感触が頬を包み痛みが和らいでいく
なんだこれ、すっごく気持ちいい
本当に大怪我するとこんなにも心地良い治療をしてもらえるのか
数日前に治してもらった時は意識なかったからなぁ
それ以前の治療も大したことないのばかりだったし
治療してくれてたのもルルムスほどの実力は持たない他の神官ばかりだった
意識保ったまままともな治癒術を、しかも神殿長のルルムスに
かけてもらったのはこれが初めてになるのか
幹部を包む淡い光が視界すらも癒す
気持ちいいなぁ、クセになりそうだ
(……ん?)
ふ、と気が付いてしまった
神殿が自傷行為容認してるのって
この気持ちのいい治療行為が原因なのでは。
ルルムスも日常茶飯事って言ってたくらいだし
治療目的の自傷行為……有り寄りの有り、ではないか?
それこそ痛気持ちいいの極致を追求しちゃうイケナイ系神官とか育っちゃうのでは。ということは自戒行為が激しいと評判(?)のクリストファー神官ってもしかして……
いや、まさか な?
ルルムスが何か言いかけて止めてたけどまさかだよな?!
肩をカチコチに固めて冷や汗をダラダラと流しながらルルムスの治療を受けていると
疑念に渦巻き焦る俺の胸中を見透かしたかのように
おじいさんから顔を隠す形で耳元に唇を寄せたルルムスが
他の誰にも聞こえないよう意味深に囁く
「勘が良いのも、程々にしておきましょうか」
さっ……
サディスト……やっぱりサディストだ
とんでもねェ趣味抱えてやがる、スゲー危ねェ奴だよこいつ
世の神殿長はみんなこうなのか?その上高額な治療費を取るだと?
しかも世間では信奉されている清廉潔白な組織……っ
悪党やってる俺よりよっぽどデカい悪
「ね、アッシュ」
「……」
俺は、何も気づかなかった事にした
世の中知らない方が良い事だってある
微笑むルルムスに悪魔のような角が見えたのは気のせいだろう
俺の友人が実は聖人の皮被った悪魔だなんて、そんなの
(絶対見間違いに決まってる……!)
震えつつ半泣きだったのは心の中でだけの話だ
その後、職員が持ってきた資料に目を通した俺は
差し引かれた報酬の大半がギルド運営に充てられている事を知って良心的な使い道であった事に安堵したが、計算していると少なくない額が不自然に消えている事が発覚し、それについてギルド内で調査する事を約束してもらった
悪質な横領が行われた場合はギルド長の権限で厳しく罰則を与えてもらうよう取り決めをし、示談金も報酬返還もなしという俺の返答に三人は耳を疑っていた。
だって大半がアシュラン被害に対する救済金として扱われてたんだもんさ……ギルド側にこっそり積み立てられるほどご迷惑おかけしてたってだけでこっちは平謝りだよ
ただ、今後の依頼に関しては
二度と今回のような事は行わないと約束してもらえた
話し合いが終わる頃には既に外は暗くなり始めており
ようやっと顔を上げた職員二人は口々に俺に話しかけ始める
「アシュランさん、見た目だけでなく本当に変わられたんですね
ケレンちゃんを神殿に運んだと聞いた時は信じられませんでした」
「昼間に顔を見せたのだって十数年ぶりでしょう
何か心境の変化でも?」
嘘だろう、アシュランがフレンドリーに話しかけられている、だと……!?
突然の事に喜びで慌てながらも
何から話すべきだろうかと思いながら口を開こうとして
それより早くおじいさんが職員二人に向かってぴしゃりと言い放つ
「人様の込み入った事情に安易に踏み込むもんじゃないぞ二人とも
ワシはまだ彼らと話がある、先に戻って今回の件の調査に取り掛かっておけ
他の連中に気取られんようにな」
ええ!?せっかく話しかけてもらえたのにおじいさん殺生な!
上司からとっとと帰れと促された職員は席を立ち書類の端を揃える
「了解ですギルマス」
「サブマス、僕が資料をお持ちしますよ」
「頼む、ではお先に失礼します」
「失礼します」
嗚呼……!貴重な雑談交流の機会が……!
心の中で別れを惜しむべく手を伸ばす俺
職員の二人が多少厚みを増した資料を抱えて部屋を出ていき
部屋の前から気配が遠ざかった所でおじいさんは難しい表情を見せた
はぁ……交流を広げるのはまたの機会でいいか。
急ぐ事でもないもんな、のんびりじっくりやっていこう
「確認ですが……本当に、示談金も正規報酬の返還も求めないのですか」
「ああ、ギルドにはこれまで散々迷惑をかけてきたからな
迷惑料として受け取っておいてくれ
今後もいち冒険者としてギルドに協力できることがあれば力になるよ」
「……アシュラン殿から斯様な言葉を聞く事になろうとは
人生何が起こるかわからんものですな
貴公に知れたと報告を受けた時は
脅され巻き上げられ絞りつくされるとばかり思っておりました」
「数日前の俺ならそうだったかもしれない
少なくとも今日の流れになる事は無かったよ
あんたの言葉に惑わされて有耶無耶になってただろう」
「ええ、私もそうしてやろうと思っておりました……
ですが、本当にお変わりになられた」
まさかご実家に近づく事を厭わぬとは、と言う声は本当に小さくて
俺に向けて言われた言葉ではないと判断し曖昧な笑みを浮かべておいた
話も終わった事だし、完全に日が暮れる前に帰ろう
昼を食いっぱぐれているので空腹だ、買い物する時間はあるだろうか
「そろそろ俺も塒に戻るとするか
体が本調子に戻るまで夜は出歩かない事にしてるんだ」
「賢明ですな
丁度良くない話を小耳に挟んだばかりでした
盗賊ギルドの一派がアシュラン殿に懸賞金をかけたとか
今度は何をやらかしてそうなったのやら」
多分ドラゴンの卵の密猟で暗殺されそうになって
殺されずに生き延びてるもんだからそれに関わる輩が
改めて懸賞金までかけて殺しにきてるんだろうな
なんて思ってたら、不意にルルムスの不機嫌そうな呟きが耳に届く
「連中……あれだけ痛めつけてやったのに
まだ懲りていなかったのか」
ちょ、ルルムス、今の幻聴じゃあないよな?
あの時俺を助け出してくれただけでなく
襲撃してきた連中を全員撃退したというのか?
なんだそれイケメンかよ惚れてまうやろ
「その気持ち悪い目を止めて下さい」
俺の友人マジ聖人。
キラキラした眼差しで見つめていたらやはり拒絶されてしまった
格好良いヤツめ!
それにしても金を掛けられてまで命を狙われるとは
冒険者Aみたいなモブ悪党の俺には豪華すぎる死亡フラグだな
……殺したいほど恨まれてるなら仕方がないか。
「犯罪者ギルドに賞金かけられるのは今回で何度目だったかなぁ」
「折角変わられたのですから、御身お大事になさって下され」
「おう、貴重な情報ありがとなギルドマスター
……えーっと、ルルムス
今日掛かった費用の支払い、明日でもいいか?」
「今回神殿にお世話になりましたうちの者の治療費は
アシュラン殿の被災者用積立金から既に支払い済みなのでお気遣いなく」
ルルムスが答える前におじいさんが教えてくれた
「ひさ……、俺は自然災害か何かか?」
「同じようなものでしょう、というわけで
アッシュからお支払いいただくのは
部屋の貸出料と家具の弁償代と清め代で金貨一枚です」
「うっ テーブル壊してすまん……
それなら今払える」
被害者なら分かるけど被災者って……いくらなんでも規模大きすぎない?
そっか……犯罪者扱いだと思ってたけど災害扱いだったのか
ルルムスのツッコミも容赦ないし、辛い。
この部屋の貸出料金込みでちゃっかり請求されてしまった
この貸出料、ルルムスの仲介料も入ってそうだな
内訳は部屋代十枚、テーブル代十枚で
浄化導術の技術代銀貨八十枚ぐらいだろうか?
ただの洗濯代だと思うとものすごく高いけど
一瞬で清潔になれる神官の技術料だと思えば安い方なのかな
ルルムスの手に金貨一枚を置き部屋を出る
二人はまだ話すことがあるらしく
ルルムスは微笑みを浮かべて、おじいさんは椅子に座ったまま
真面目な表情で小さく礼をしてくれたので俺も会釈を返してその場で別れた
そうして室内に残った二人が何を話すのか
(今日の夕飯なに食べよ)
既に思考を食材で満たしていた俺はこれっぽっちも気にしていなかった