101<不義と背信の徒~ボス戦は逃走不可という常識~
第四監視塔の付近に身を潜めた冒険者たちは
程なくして第三監視塔方面で上がった爆発音で互いの顔を見合わせ
手薄になるまで潜んでいよう、という意味を込めて頷き合う……が、
「ちょっと……爆発大き過ぎない?」
「スゲー地響きしてるんだが
あの男どんだけ火薬を仕込んだんだ?」
「陽動するにしてもやり過ぎだ
アイツ、もしかして爆弾魔だったんじゃ……」
遠くで景気よく響き続ける爆発音に
冒険者たちは一様に不安そうな顔をするが
過剰な陽動の効果は抜群だったらしく
目の前の監視塔が手薄になるのも早かった
小竜が放ったドラゴンブレスにより
三番監視塔に隣接した工場とスラム街を隔てる分厚い壁が破壊された
破壊、というよりドロドロに融解したという表現が適切だが
隔たりが失せたお蔭で壁の向こう側に滞留していた汚染された空気が一気にスラム側に流れ込み、何が原因となったのかは分からないが
スラム側のすぐ近くにあった建物で大規模な爆発が起こった
更に壁を融解させたドラゴンブレスの火種が
工場側のタンクに穴を開け、大爆発が起こる
監視塔近くに住民はいなかったので
人命の被害は最小限に留められてるだろうが
誰が見ても明らかに度が過ぎた陽動爆破になってしまった
「こうは…ならんやろ……」
最初に小竜へ「ブレスで壁を崩せるか?」と尋ね
頷いてもらえたので「壁を崩してくれ」と
指示した以外は何もしていないアッシュも
己の周囲で起こった意図せぬ大惨事を前に、その場で棒立ちになる
当然だが目は死んだ魚のようになっていた
(小竜のブレス、甘く見てた)
小さい体でこの火力、竜族はピンからキリまでゴツい揃いだ
視界の端で監視塔が轟音を立てて倒壊する
工場内で爆発が続いている……と、いうより被害が拡大している?
(地表に充満してる汚染した空気の所為か?)
人が近づけないほどの炎に巻かれているアッシュは
小竜が張った結界のお陰か炎熱や二酸化炭素の影響を一切受けていない
炎の中から跳躍して脱すると、ドラゴンブレスの炎を避けて
壁の融解していない部分に上り工業地帯を見下ろして一気に血の気が引いた
見えている地面の殆どが火に巻かれている
撒いたガソリンに引火しているかのように揺らめく炎の高さは
幸いなことに人の足首程のものだから
殆どがコンクリート張りの建物には燃え移っていないものの
このまま放置したら先ほどのように
ヤバそうなタンクや可燃物に引火しないとも限らない
このままではドゥベル地区全域に拡大する可能性もあることに気付き
しかし同時に地表を漂っていた濁った空気が薄まっているようにも見える
「空気中の毒素が燃焼されてる?
ということは、気化してるってことか?」
重さがあって地表に留まっていた毒が気化すると言う事はつまり……
「ルルムス!悪ィ下手打った!!
ドゥベル地区の広範囲に渡って
地面に溜まってた毒素が燃えて気化してる可能性がある!
このままじゃ地区に住んでる奴らが全員死んじまう!
どうすればいい!?」
『 送迎に向かわせた元素竜がそちらに着いている筈です
その竜種の能力なら何かしらの対応ができるでしょう、クラウス 』
『 貴様が指図するな
身の程知らずで思い上がり甚だしい元素竜には既に指示を出してある
周りの些事など気にせずアシュの思うままに行動してくれ 』
些事というレベルではないのだが
ブレスひとつでこの惨事を引き起こすような竜族にとっては
広範囲が火の海になる程度はやはり「些事」なのだろう
そう思うと物凄く納得できた
目の前で起こっている些事に対して心配事が無くなった所で
気になったのは、今回の送迎担当の事
「今回の送迎はまたマッドなのか」
そして何故クラウスは
『身の程知らずで思い上がり甚だしい』などと暴言を吐いているのか。
『 主はそんなにも元素竜が気に入ったのか 』
「なんでそうなる」
『 マッド・ドラゴンなどという特別な呼び名を授けただろう
ずるい、おれも主から特別な名を賜りたい 』
なるほど
『身の程知らずで思い上がり甚だしい』などと言っていた理由が分かった
つまり、「黄金の魔眼!竜人クラウス!」的な
厨二病全開の二つ名みたいなのが自分も欲しいと言う事だろうか。
クラウスもとうとう思春期から黒歴史時代に突入したのか
その内食い気より色気になって
竜族の女の子を追いかけ回す様になるのだろうな
人型だし、できれば人型の女の子相手に
燃え上がるような恋でもしてほしいものだが
(例えば……そう、ラピス嬢ちゃんとか)
などと、工場地帯が見渡せる壁の上でしゃがみ込んで
そう遠くない未来に思いを馳せていると
首元で大人しくしていた小竜が突然長い首を撥ね上げて「ピィイ!!」と叫んだ
直後、背後に防護結界が発動したが俺が振り向くより先に
結界にぶつかった何かの衝撃に押されて工場地帯側に落とされる
(攻撃されたのか?!)
小竜の魔法で不可視化されており、アッシュの姿は誰にも認識できない筈だが
今し方の攻撃は明らかに壁の上に居るアッシュを狙って放たれたものだった
即座に空中で態勢を立て直し身体強化で難なく着地したが
炎が周囲を取り巻く中、溶解した壁の向こう側から
姿を見せた人物を見て目を剥く
「なんでアイツがここに」
アッシュの視線の先に居たのは軍部で出会った重要人物
ヴィドーと呼ばれる聖者のひとりだった
軍部内で見た時とは違い、肩に固定するタイプの外套を羽織っている
見た目は正しくどこかしらの王子様というヤツだ
後ろで一括りされた長い黒髪は周囲の熱気で艶を放ちながら靡き
深い知性を宿した群青色の瞳は切れ長の目によって鋭さを増し
見えているぞ、と言わんばかりにアッシュを見据え
悠々と炎の中を歩きながら近づいてきている
広い肩幅と引き締まった腰の対比が
見事な逆三角形のボディラインを演出しており
インテリなだけでなく肉弾戦も得意とする武士の気配を纏っていた
「やべェ、アイツとは戦えん」
相手は聖者のひとり『賢者』
先ほど攻撃された所を見るに、完全に敵認定されてしまっている
(まぁ、こんな状況だったら
テロ首謀者と判断されても仕方がないか)
ルルムスと共に改めて入国した時にでも弁明しよう。
そう考えたアッシュは賢者の背後に大勢いる兵士たちの姿を見渡す
派手な陽動爆破ができてしまっただけに兵の集まりも順調で
アッシュが予測した通り、爆発が確認された時点で
テロ鎮圧のための人員が軍部から大量投入されていた
人数も見渡しただけで五十では利かないほど集まっている
四番塔の監視も手薄になっているだろう
アッシュは十分に役目を果たしたと言える、ならば
わざわざ面倒な相手と剣を交えてまでこの場に留まる理由はない
子供たちの元へ戻る為には『賢者』を撒かねばならないが
撤退行動だけに集中するなら勝機はある
三十六計、逃げるに如かず
身を翻し、逃走を始めたアッシュを追うべく賢者も走り出した
小竜の幻覚が通じないのなら素早さで勝負を……と思っていたら
舞い散る火の粉を物ともせずアッシュを見据えたまま姿勢を低くし
忍び走りを始めた賢者が両掌にルルムス張りの速さで術陣を展開し
移動速度を強化して驚くほどの速さで距離を詰めてきた
同時にアッシュの足元にも術陣が展開され途端に動きが鈍くなる
「ウッソだろ?!」
通常、弱体化の導術を動き回る対象に掛けることは
空間導術も同時に発動しなければならないので
実用はほぼ不可能だと言われるほど高度な技術を要する
にも関わらず、動く対象に弱体化の導術を瞬時にかけるという
神懸り的な能力を発揮している賢者に
(『賢者』だったら出来て当然ってか!!)
驚愕しつつも納得したアッシュは急いで導技で対抗するが
王国で騎士にすらなれなかったアッシュの導力で賢者の導力に勝てるはずもなく、術陣の収縮と同時に両足に掛けられた弱体化の導術の所為で走る速度が常人レベルにまで落ち込んだ
このままでは確実に追いつかれると判断し
背後から迫る賢者へ向けて、急所を避けて暗器を放つ
(これだけの導術が使えるなら簡単な回復術も使えるはずだ)
致命傷にならなければいい、兎に角自分が捕まるのは不味い
ここでアッシュは更に判断を誤った
先の最上級冒険者であったギルド支部長の老人相手に手加減しようとしたように、遥かに格上の『賢者』相手に
身の程知らずにも手加減を考えてしまった
相手はアッシュよりも若いとはいえ、ルルムスと同年代ぐらいの『賢者』だ
当然、ルルムスと同じかそれ以上に導術に長けている事も十分に考えられる
それだけではなく
『 賢者は既に小竜の幻覚魔法を見破っている 』
魔法というものに対する認識が甘く
賢者に見破られた事実を深く考えられなかったアッシュは
まさか己の身を守ってくれていた小竜が
害されるなどとは考えてすらいなかった
「ピュィィイ!!」
後方に放った暗器は容易く弾かれ、首元で小竜の悲鳴が上がった
何が起きたのかは分からないが
外套の下で首から胸に伝う液体の感触を受けて
なんらかの攻撃により小竜が負傷した事を悟る
(!)
クラウスから渡された妖竜種の
跡取りになるかもしれない大事な小竜を死なせるわけにはいかない
逃げ切れないなら剣を交えるしかない
振り返り、身構えた時には既に賢者が目の前に迫っていた
初撃、死角から襲い掛かってきた刃を短剣で受け止めようとしたが
賢者の振るう刃が導術で強化されている事を知り
すぐさま回避の態勢に切り替える
上体を斜めに逸らす事で紙一重で避けきり
下腹から肩まで外套を逆風斬りにされるだけで済んだ
そのままバク転してなんとか回避には成功したが
重くなった足では大して間合いが稼げない
賢者が二撃目に入る前になんとか首元に居た小竜だけでも、と
盾を展開した腕で首を覆うがやはり賢者の力で強化された刃は
魔導具の盾すらあっさりと両断してしまった
賢者が振るう刃の切っ先が目の前を掠める
視界の端で次々と術陣が展開しては弾けているので
切り結ぶのと並行しながら小竜との導術戦もこなしているようだ
絶え間なく次々と展開する双方の術陣は拮抗しているようにも見えるが
アッシュの耳には小竜の弱弱しい鳴き声が聞こえていた
逃げ切れなかった時点で、勝ち目もなかった
(……相手が悪すぎた)
導術は魔法には勝てないと聞いていたが
目の前にいる賢者は小竜の魔法を捌ききっている
(もっと早く気付くべきだった)
再度剣を構えた男を前に、肩の力を抜いたアッシュは
手にしていた短剣をその場に捨てた
カラン、と軽い音を立てて短剣が転がる
「降参だ……もう止めろ」
囁くように言った後半の言葉は小竜へ向けたもので
襟の裏側で震えていた小竜はアッシュの言う通りにしたのか
周囲に展開される術陣は弾かれなくなった
苦しそうな呼吸が聞こえたアッシュは襟の上から小竜を撫でて労う
展開しきった無数の術陣から氷の刃が形成された
鋭い切っ先全てがアッシュへと向けられている
「アイスランスか、中々高度な攻撃導術を使うんだな」
「貴様がこの事態を引き起こしたのか」
「俺は壁を壊しただけだ
まさか小さな火種がここまで燃え広がるとは思っても見なかったが」
「目的はなんだ」
「出国」
瞬間、向けられていた無数の氷の刃の内三本がアッシュの左肩を貫く
賢者の力の前では導術が施された高価な上着も無意味だ
刺さったままの氷が解ける気配はない
患部が凍らされ始めているので失血死する事はないだろうが
左肩から下が思うように動かなくなったと気付き
人体の構造を知り尽くしている賢者の命中精度に感心する
「次に偽りを言えば命はない」
「お前ほどの実力者を前に嘘なんかつかねェよ」
「謙遜するな、貴様の導術も桁外れに強い
その上僅かでも導技まで使えるとなれば稀に見ぬ逸材だろう
生け捕りは不可能だと思ったが
大人しく投降するのであれば命まで奪いはしない」
外套は肩まで裂けたが首元はまだ覆われている
相手の言動から小竜の存在にはまだ気づかれていない
逃がすなら今しかない
襟の内側に口元を隠し、囁くように小竜へ告げる
「子供たちの元に戻って元素竜と一緒に脱出しろ
クラウス、ルルムスとラピスを守れ
勝手な行動を取ったら承知しない
ルルムス……悪ィな、ちと帰れなくなった
自分でなんとかするからこっちの事は心配すんな」
「ピィィ」
「命令だ、従え」
嫌がる小竜にピシャリと告げると身を固め静かになった
従順なのはいい事だが、己の立場を考えると誰かに命令するのは気が滅入る
心底嫌々ながら言ってはみたものの、激しい自己嫌悪に駆られた
「黙れ、口を開くな」
炎が燃える中でもボソボソ呟いているのが聞こえた地獄耳の賢者が
警戒しつつ歩み寄ってきた
手を伸ばせば届く距離
片手に新たな陣を展開させ、それをアッシュに翳そうとした瞬間
周りに展開されていたアイスランスが弾け飛び
首元から顔を突き出した小竜が賢者に向けてブレスを放った
分厚い壁を融解させるほどの威力を持ったブレスを
あろうことか人間に、
「止めろ!!!」
すぐさま動く方の手で小竜の口を覆いブレスを止めさせたが
慌てて賢者の様子を見れば直撃を受けた顔面に何重もの術陣を重ねて展開し即座に治療を開始したようだが陣が安定しておらず顔から煙が上がっている
人体が焼ける独特の臭いも漂ってきた
「ぐっ……ぅ、ぅぅ」
よろめき呻く賢者の姿に顔面蒼白になり
小竜を首から引き剥がして「行け!」と言う怒声と共に空へ放り投げると
アッシュの指示通り、小竜は子供たちが待つ倉庫の方角へ飛んで行った
地面を走る火の勢いも大分収まったので元素竜がうまくやってくれたのだろう
兎に角今は賢者だ
その場に両膝を突き、呻き声が悲鳴に変わり始めた段階で
不安定だった治癒導術の術陣が完全に掻き消える
「ぐぁ、ぁあああ!!」
痛みに叫ぶ賢者が仰向けに倒れ込み
地面に後頭部をぶつける所をギリギリで膝を滑り込ませる事で防ぎ
動く方の手でボディバッグの中身をその場にぶちまけ
中和剤と回復薬をあるだけ全部賢者の顔に振りかける
「治癒をかけろ!治癒だ!分かるか!治癒導術を使え!」
小規模で一瞬の事だったが、それでもドラゴンブレスを顔面に受けたのだ
本来なら首から上が一瞬で溶けている筈
それでも一時だが治癒を行おうと陣を展開できるほど意識がハッキリしていたなら助かる見込みは十分にある
焼け石に水をかけるような蒸気が発生する中必死に呼びかけるが
既に意識が無いのか動く気配はない
薬のお陰で再生が始まってはいるが
皮膚を焼き続ける無数の小さな火種が消えない
このままでは……
「クソッ!!」
アッシュは一旦薬をかけるのを止めて
薬の効果と拮抗するように赤く燻る火種の上に自らの手を押し当てた
通常の火とは異なると分かっていたのに策が思いつかなかったアッシュは
自分の手での消火を試みてしまっていた
田崎であった時、まだタバコに慣れなかった時期
ズボンに零れた火を見て、つい手を突いて処理してしまった時のように
ジュウ、と立つ音は痛みの象徴になる筈だったが極度の興奮状態でアドレナリンでも多量分泌されていたのかなんの痛みも感じる事無く
賢者の顔で燻っていた火種を全て拭うように消し終えて
再度残った全ての薬を振りかけた
煙を立ち上らせながら再生していく賢者の肌
意識が戻ったのか眉を顰め呻き始めた様子に安堵して
最後の一本を力なく開かれた口に流し込み
飲み下すのを見届けてやっと息を吐く
粗方再生しきったがただの炎ではない竜の息吹をその身に受けたのだ
本当に異常はないだろうかと不安になる
賢者の顔に触れて確かめていると
不意に、背中の数か所が燃える様に熱くなった
「うっ……」
途端に遠のいていく意識
視界が暗転する寸前、目を覚ました賢者の群青色の瞳が
覆い被さる様に倒れ込もうとするアッシュの姿を映していた