100<不義と背信の徒~脱出前のいざこざ~
夜半を過ぎた頃――……
二十四時間絶えず稼働している機械音を叩き潰す様に響く轟音に遅れて
辺りを漂っていた煙が同一方向へと吹き飛ばされる
スラム街に隣接する工業地区内の監視塔が襲撃された合図
何があったのかとざわめき様子を見に外へ出てくる人々の視線を潜り
風の動きが視認できるほどに汚れた空気に紛れ
ユレンティアと共にイリナが倉庫まで連れてきた人数は五人
全員が十も迎えていない子供ばかり
頭に布を被り鼻や口を覆って咳によって生じる音を押し殺し
静かにしておくように、というイリナの指示に従っているが
不安そうな気配は漂っていた
シュウたちと合流したユレンティアは一息つくと
頭を覆っていた布を取り去って簡単に身繕いしつつ倉庫内を見渡す
「さっきの爆発で街中の人が何事かと外に出てるわ
お蔭で難なくここまで来れたけれど……おじ様は?」
「襲撃作戦に参加してくるってさ」
「はァあ!?」
「でも、襲撃が始まったらすぐ戻ってくるって言ってたぜ
倉庫前にコンテナみたいなものが来たら全員そこに入って
息を潜めて待機しておけとか言ってた」
「コンテナ『みたいなもの』?……意味が分からないわ
というかシュウ、リッペはどうしたの?
なんだか物凄く落ち込んでるみたいだけど」
ユレンティアが訝し気に目を向けた先には
アッシュが持っていた黒いバックパックを両腕に抱え
体を丸めて木箱の上に座り
誰の目から見ても不貞腐れているリペインの姿がある
その光景を横目にシュウは視線を泳がせた
「あー、うん…色々あってさ、暫くそっとしといてやってくれ
あ、言い忘れる所だった
コンテナの中では全員布で頭と顔を覆っておくようにとも言われた」
「顔を隠す理由は分かるけど
脱出を手引きしてくれる本人が現場から離れるなんて……
やっぱり不安だわ、本当に大丈夫なのかしら」
腕を組み、顎に指を当て眉を顰めるユレンティアの
アッシュを不審がる言葉を待ってましたと言わんばかりに
それまでずっと伏せていた目を開いた老人が起き上がり、声を上げる
「あの男を信用してはならん
魔王に加担し、聖者様を陥れようと画策する大悪党だからな」
「目ェ覚めたのか、無事で良かったよじーちゃん」
「おう、心配かけたの」
「一応もらっといた回復薬使う必要なくなったなぁ
後でにーちゃんに返しとかねーと」
「脱出後で必要になるかも知れん、もらえるモンはもらっとけ」
「えー?でも、じーちゃんが目ェ覚まさなかったらって名目で渡されたし」
「いーからもっとけ!
お前は知らんじゃろーが、そりゃーハイランクポーション言うて
それ一本あれば人一人の命を救えるほど貴重なモンじゃ
帝国でも皇族しか使えないような代物じゃぞ」
「にーちゃんは、そんなにスゲーもんを
じーちゃんに二本も使ったの?余計に返さなきゃじゃん」
「あの悪党にそこまで義理立て
してやる必要は無いとゆーとるんじゃ!」
「じーちゃんこそ、なんで恩を仇で返すみたいな事言えるんだよ
助けてもらった礼だってまだ言ってねーのに」
「あんなヤツ相手に恩なんざ感じる必要はないわい!
大体、ヤツは薬の対価として情報を要求してきたのを
お前も見とったじゃろーが!」
「まともに答えずに襲い掛かってたじゃん」
「聖者様を害そうと罰当たりな事を画策しとったからじゃ
あんな輩に聖者様に関わる情報なんぞ渡して堪るかいっ」
「それだってじーちゃんの思い込みじゃん……」
「ヤツの経歴を知っとるが故の判断じゃ!
なんの根拠も無しに人様を悪党呼ばわりなんぞするか!」
頑なにアッシュを悪者扱いする老人の発言にユレンティアはため息を吐く
冒険者に対する帝国の扱いは厳しい
保証も安全もない世界を見てきた子供たちにとって
老人の言うアッシュの過去とやらはさほど重要なものではなかった
「ギルドのお爺様
私たちだって彼の事を全面的に信用しているわけではありません
ですが私たちが実際に経験した事はとても重要な判断材料なんです
私たちは危ない所をおじ様に助けられた、そして
彼の都合の『ついで』で、隣国まで相乗りさせてもらえる事になった
それは私たちにとって利になる事なんです
この地獄から生きて出られるなら
相手がどんな人物であろうと利用させてもらおうと思っています」
「考えが甘い!ヤツは大人しく利用されるだけの人物ではない!
ヤツに付いて行けばここ以上の地獄に連れていかれるに決まっとる!
ひとつの国を悪魔に売り渡すような極悪非道な男じゃぞ!」
「国を、売り渡した なんて…見ても……ない くせに
よく、そこまで…知らない人 を こき下ろせる、もの……だよね」
「リペイン、貴様
さっきはよくもワシを殺そうとしたものじゃなぁ
そこまで恩知らずで最低なガキだとは思っとらんかったわ」
「恩知らずが、恩知らずを
語る権利は……ない よ」
「お爺様は私たちが彼に付いて行くことに反対しているけれど……
だったら、お爺様は私たちをここから出す事が出来るというの?
この地獄から、救い出すことができるの?
……これまでと同じように、できないでしょう?
どうせここでじわじわ殺されていく私たちを見守る事しかできないのなら
せめて黙って見送るぐらいの分別は付けてほしいわ
私たちは、私たち自身の行動の責任を理解しているもの」
「ユレンティア」
少女の言葉に苦し気に押し黙った老人を見て
戒めを含めて名を呼ぶシュウに少女は自身が言い過ぎた事を悟り
気まずげに視線を泳がせる
その様子を見届けたシュウは悲しそうに眉を顰めた
「……確かに…さ、ユレンティアの言う通り
じーちゃんはみんなに何度も失望とか、絶望とか味わわせたかもしんねーよ
だってじーちゃんはギルドの支部長だったしさ……けどさぁ
俺だって、じーちゃんがいっぱい悩んで苦しんで
俺たちの為に沢山もがいてくれたのを知ってるんだ、傍で見てんだよ!
だから……あんまり責めないでくれよ」
「それは解ってるの、分かってるけど……でも……」
「沢山、亡くなっているのは……事実だから
みんなが苦しんで、悲しんでいるのも事実だから
一番可哀想なのは死んでしまった人たちだから」
ユレンティアが歯切れ悪く口を噤み、言葉の続きを理解していたイリナが繋げる
二人は最初の脱出時に一度、家族や子供たちとの別れを決意していた
苦難の道のりを想定して、誰一人大切な人を連れ出せず、諦め
信頼できる仲間と共にドゥベル地区からの脱出を図っていた
ユレンティアの家族は
国の外へ出てドゥベル地区の現状を訴え
助けを呼んでくると言った彼女の決意を受け入れ
一生分の想いを込めて抱きしめ、送り出した経緯がある
だからこそ今回降って湧いたようなアッシュの誘いで
家族全員が脱出できるかもしれないと思い
ここに居る誰よりも大きな期待を寄せているのだ
そしてイリナは
この中で一番多く、身近な人々の死を見送っている立場にあった
孤児院を経営していた父が死に、母が息絶え
弟を見送り、まだ赤子であった妹を炉に入れた
周りの子供たちもどんどん死んでいく中でイリナはユレンティアに泣いて縋り
「もう耐えられない」と訴えたのは記憶に新しい
シュウたちが脱出する事を心に決めた切っ掛けでもあった
かく言うシュウも老人に対し、一度は今生の別れを告げていた
怪我と病気で死の床に居た老人は精一杯の笑顔でシュウを送り出した
まさか、それから一時間も経たない内に戻ってきて
回復薬と中和剤を口に突っ込まれ
劇的な回復を遂げるなどとは思いもしなかったが。
それぞれが気まずいプロセスを経て、大切な人を伴いここに居る
「言い過ぎました、ごめんなさいお爺様」
「……」
「じーちゃん」
「わかっとるわ
ワシの方こそすまんかったな、ティアちゃんよ……
しかし、やはりワシはあの男にお前たちを託すことはできん」
「もーじーちゃん、頭かてーよ~」
「奴は山ほど悪い事をしてきた人間なんじゃ
良い人そうに見えても、例え改心したと言うても
人間の根っこは変わらんモンじゃ、じゃから……」
「お爺様……」
やはり分かってはもらえないのかと落胆するユレンティアに
老人は悲しそうにしながらも笑みを浮かべた
「十分に、十~分過ぎるほどに、気を付けて行ってきなさい
ここに残るワシらの事は無理に助けようとしてはならん
自由になれたのなら、そこで幸せに暮らすんじゃ……いいな?」
ユレンティアとイリナは老人の言葉に涙ぐみ、静かに頷いた
後ろで見ていた二人の家族と連れの子供たちも
それぞれがお互いを抱きしめ合い
残してきた者たちを想って泣き出しそうになっている
そこでシュウが怪訝な表情を浮かべた
「何言ってんだよ、じーちゃんも連れてくぞ?」
「バカを言うんじゃねーわ
ワシは行かんぞ」
「えーっ!?なんで!」
「なんでもクソもあるか!
ワシにはギルド長としての責任があるんじゃ
最期までここに残ると決めとるんじゃい!」
「ここに連行された時に支部長の地位剥奪されただろ?!
なのに責任って、何の責任だよ?!」
「ええいやかましい!
いいかシュウ!男ってのはな!
一度背負ったら絶対に下ろせんモンがあるんじゃ!」
その後、シュウやユレンティアたちがいくら説得しても
老人は頑として首を縦には振らず
しかし負けじと皆が老人への説得を続けた
長引く説得の状況に興味をなくしたユレンティアの妹が
手をつないだ兄と共に外の様子を見に行きすぐさま戻ってきて
「お姉さま
倉庫の前に大きな荷車みたいなのが置いてあったよ」
と、声をかけたのは
最初の爆発音が辺り一帯に轟いてから半刻も経たない頃であった
時は少々遡り
ドゥベル地区の一角で襲撃開始の爆発音が響く一時間前――……
シュウたちのいる倉庫を離れたアッシュは
ハルバードの言っていた襲撃前の集合場所へと赴いていた
「あんたがハルさんの言ってた助っ人か
頼りにしてるぜ」
黒尽くめの完全武装な、いかにも怪しい姿で現れたアッシュに
「話しは聞いている」と前置きしたうえで声をかけてきた見知らぬ男は筋骨隆々な見た目をしており、いくらか武装もしていた事から
すぐに帝国のギルド関係者だと気付いた
その男と簡単な挨拶を終え、さりげなく集団全体が見渡せる壁際に移動すると
冷たいコンクリートの壁に背を預け、両腕を組んだ
今回の襲撃に参加する者は既に集まっているらしく
各々が襲撃時刻を待つばかりの状態
数は二十、その殆どが大小様々な武具を所持しており
気後れや不安など微塵も感じさせない雰囲気を醸し出している
目深に被ったフードの奥から襲撃者全員の様子をつぶさに確認し
挙動不審な者がいないか視線を巡らせていると
数名がアッシュの目に留まった
「……」
アッシュの行動を監視するような目を向ける者もいるが
それ以上に気になったのは、そんな者たちの後ろに隠れて
ヒソヒソと話す数名の集団
見覚えのある彼らは、馬車で強盗を働こうとした二人組と
アッシュの泊まる宿に押し入っていた者たちだ
うち一人が周りの目を盗むようなタイミングで手の中から何かを空へと放つ
何かしらの使役動物だろう、連中が連中なので今すぐにでも
石つぶてを当てて叩き落してやりたかったが
襲撃部隊に参加している事を踏まえて、この場は何もせずに見送る事にした
アッシュがわざわざ監視塔襲撃の場に赴いたのは、スラムで幅を利かせているであろうハルバード一派への牽制と情報収集の為だ
皇族ビヨルタの軍部視察も気になったので
そちらの動向も探るべく小竜に別行動させようとしたが
小竜を通して状況を把握していたクラウスとルルムスに激しく反対され
別行動は断念せざるを得なかった
小竜は襟の裏側、アッシュの首元に巻き付きじっと息を潜めている
それまで背中に背負っていたバックパックはリペインに預けた
荷物、とはいっても重要なものは身に着けているボディバックの中にあるので
預けたバックパックに入っているのは庶民服や消耗品が殆どだ
それでも警戒対象でもあったリペインを荷物番に選んだのは
あの子供が真実警戒すべき対象であるなら確実にアッシュの荷物になにか仕掛けてくるであろうと踏んでの事で
つまり、態と隙を見せて様子を窺っている段階だった
余り子供を勘繰りたくもないので
(杞憂であるに越したことはないんだが)
さて、どうなることやら……と、倉庫に置いてきた連中の事を考えながら周囲の話し声に耳を澄ませていると
最初に声をかけてきた筋骨隆々な男が再度歩み寄ってきた
「あんた、凄い装備だな
ハルさんが外から来た冒険者だと言ってたが、本当なのか?」
「ああ、そっちはなんで今回の襲撃に参加してるんだ」
「全員同じ目的で集まっている
あの壁の向こうに連れていかれた家族や恋人を助け出す為だ」
「助け出した後はスラムの連中が匿ってくれると聞いたが
信用できるのか」
「ハルさんが全て手配してくれてるから問題ない
逃げ切りさえすれば、あとはスラム街で潜伏する手筈になってる」
「俺の知ってる冒険者連中はスラムの奴らを敵視しているぞ
逃げ出すにしてもあんな奴らの手を借りるぐらいなら
死んだ方がマシだ、と豪語してたな
それと……壁の外にいる連中に
ヘタに騒がれる方が迷惑だ、とも話してたっけなぁ?」
周囲もアッシュと同じく他者の話に耳を澄ませていたのだろう
瞬間場が静まり返り、こちらを睨み付ける視線の数が増えた
明確な敵意を感じたアッシュはぞわりと肌を粟立たせる
二十人の中にスラム出身の者が多く含まれているのは間違いない
男は困った表情を見せるとポリポリと頬を搔く
「スラム街の連中を差別してる冒険者が一定数いるのは本当だ
だが、今はそんな事を言っている場合じゃないのも事実なんだよ
今この瞬間にも死んでいく仲間たちが向こう側にいる
時は一刻を争うんだ」
「ここへ来るまでに興味深い噂を聞いた
ドゥベル地区から脱走したギルド関係者を捕らえると
莫大な褒賞がもらえるってな」
「ああ、胸糞悪い話だがそれも事実だ
だからこそ俺たちであの壁の向こうにいる奴らを
一人でも多く助け出さないといけない」
「スラムの連中が褒賞目当てで
あえて脱走、」
「おい!ソイツ怪しいぞ!!」
脱走するように誘導してる可能性もあるんじゃないのか?
と、続けようとしたアッシュの言葉は突然の怒声にかき消される
周囲も聞き耳を立てている男との会話に、それまで黙ってこちらの様子を窺っていた例の犯罪者連中の内の一人が唐突に話に割って入った
しかし、直ぐに他の者たちから「静かにしろ」という声を潜めた注意が入る
声を張り上げた男は慌てて自分の口を塞ぎ
近くにいた仲間に後頭部を叩かれていた……そのやりとりで完全に思い出した
声を張り上げた男は、深夜にも関わらず宿の屋上に続く扉を轟音と共に蹴破り
仲間からどつかれまくっていた大間抜け野郎だ
(あー、こりゃあ俺を悪者にして装備を巻き上げる流れだな)
先ほど襲撃参加者全員を観察した際
アッシュを羨ましそうに見ていた視線も複数感じられた
外套の僅かな隙間から見えただけで
物の価値を知らない年若いシュウでも見惚れるほどの高級装備だ
冒険者でなくとも価値を知る者や金目の物に目敏い連中は直ぐに気付く
連中の狙いを瞬時に察したアッシュは
「臨戦態勢に入るぞ」という意味を込めて襟越しに小竜を撫でつけ
壁から背を離すと外套の下で暗器を構える
「おやおやぁ?そこに居るのは
俺が乗った辻馬車を襲撃して強盗しようとした二人組と
俺が泊まってた宿に押し入ってきた強盗のご一行じゃあないか
なんで社会からつまはじきにされた犯罪者が
真っ当に働く冒険者と一緒に、ここに居るんだ?」
「なんだと?」
犯罪集団の一人が一歩足を踏み出すが
間に割って入った筋肉男が仲裁を始める
「待て、コイツは外国の人間だ
こっちの事情に疎いのは当然だろう
襲撃目前で仲間内でのもめ事はご免だ、今は堪えろ」
「こいつらと組み続ける気か?
帝国の冒険者は誠実な者が多いと聞いたが
犯罪者と手を組むまでに堕ちたのか」
「あんたもコイツらを煽るのは止めてくれ
確かに彼等にも後ろ暗い所はあるが、そうせざるを得ない事情があるんだ」
「犯罪者を庇うテメェは冒険者か?
ライセンスは」
「ああ、これだ」
ギルドタグを下げたチェーンを引っ張り
首元から引き出した男に呆れてため息を吐く
(これから襲撃するってのに
ご丁寧に身分証を持って行くヤツがあるかよ)
連中の一部は誰一人として顔を隠していない
武装している者は「冒険者です」と見た目だけで自己紹介しており
逆にスラム街出身であろう非冒険者連中は
最低でも口元を覆ったりして隠密性を高めている
「テメェらにその格好で襲撃するよう指示したのはハルバードか」
「格好?あ、いや……直接言われたわけじゃないが
武装していくなら慣れた格好の方が
最大限力を発揮できるだろうって、ハルさんが」
「そんな格好じゃあ『自分、冒険者です』って
自己紹介してまわるようなモンだろ
しかも後生大事にタグまで引っ提げやがって
軍の連中に顔覚えられたら終いだろうが
スラム連中を見てみろ、なけなしの布使ってでも最低限顔を隠してるだろ
闇に紛れやすいコートも抱えてる……お前らに不審がられないようここではあえて着てないように見えるのは俺の気のせいか?
冒険者のお前らとはえらい違いだと思わないか」
「えっ……あ…」
改めて周囲を見回した冒険者の格好をした者たちと
そんな彼らの反応に険しい表情で黙り込むスラム連中
「実はな
ついさっき帝国のギルド支部長に会ってきたんだが……
支部長はかなり厳格な性格で犯罪者に対しては相当厳しいようだな?
スラム連中の中にも、前科を理由に仕事を斡旋してもらえず
少なからず支部長を憎んでる奴もいそうだよなァ」
「ソイツの言ってる事はウソだ!会ってくるなんかできるはずがねぇ!
あのクソジジイはとっくの昔に壁の向こう側に連れてかれてんだからな!
毒ガスでくたばっ ぶべ!!」
また大間抜け野郎が叫び
近くにいた奴にアッパーを食らって強制的に黙らされている
「てめーはもう喋んな!」と小声で叱られているのを見て呆れかえった
(はいダウト)
間抜け野郎の言葉に、冒険者たちも警戒態勢に入り
犯罪者集団に厳しい目を向け始める
「毒ガスってなんだよ?聞いてねェぞ」
「クソジジイって言ったわね?あなた、支部長を恨んでいるの?」
「お前らが武具も貧相な理由は知ってるけどよ
襲撃するにしても装備が貧弱すぎるよな?」
「あんた、妙にそこのおにーさんに噛みついてるね
さっきも強盗とか言ってたけど、マジでそのおにーさん襲ったワケ?」
ここで全員の立ち位置がハッキリと冒険者組とスラム組に分かれた
ハルバードの人徳がギルド支部長に遠く及ばなかった事の証明であろう
こんな事なら老人を連れてくればよかった、と後悔したが
老いたとはいえ元Sランク……『最上級冒険者』が相手では
己の力量で無理強いなど不可能だなと思い直した
「エルザ、ヘルメス、索敵周囲警戒」
「「応」」
筋肉男の号令で、おそらく元からパーティを組んでいるだろう男女二人が
素早く臨戦態勢に入り周囲を警戒し始める
他の冒険者たちもスラム連中の口車に乗せられて
罠に嵌められたと判断したらしく、スラム連中に対して武器を構えた
そこまで来て、とうとう犯罪者集団は開き直り
残念だと言わんばかりに肩を竦めたり
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ始める
「ったくよー……もーいーよなぁ?
ここまで知られちゃ隠す意味ねーだろ
軍の奴ら呼んでもいーんじゃねーのぉ?」
「全部テメーの所為だけどな
ハルバードさん、完璧主義だから今回の事は相当怒るぜ?」
「げっ!サイアクじゃねーかよ!まっいーかぁ!
普段からオレらをバカにしてやがるコイツらハメてやれて気分いーし!」
「冒険者のみなさーん!
あんたらはこれから軍に引き渡されまーっす!
大人しく捕まって、おれたちにいっぱい貢いでねぇ~!」
(自供、ご苦労さん)
彼等のお陰で冒険者側の結束が固くなった
ちょっと揺さぶられただけで自分からハメた事を暴露していくスラムの連中
アッシュは己の言い分でもスラム側が言い逃れできる方法を山ほど思いついていたが、元々学のない彼らにはやはり
不測の事態に対応するだけの能力は無かったようだ
してやったりと騒ぐ彼等の影でまたもや使役動物が空へ放たれるが
警戒態勢に入った上でそれを見逃す冒険者ではない
こちら側に立った冒険者の一人が目にも留まらぬ速さで弓を構え
空を飛んで行こうとするソレを素早く射貫き
同じく弓を持っていた者たちが次々と建物に向かって矢を放った
四階から身を乗り出してこちらを見下ろしていたスラム住民の一人が
見事に頭を射貫かれ落下し、地面に叩きつけられる
アッシュは反射的に顔を逸らした
ぐちゃ、と傍で潰れる音がしても気にもしない冒険者たち
そろりと視線を戻しかけてやはり見るのを止めたアッシュは
他の冒険者やスラム連中の動向に目を向ける
(……)
人を殺す事に躊躇が無いのは王国でも帝国でも同じであるらしい
幸いにも手練れが揃っていたらしく、アッシュの周りに立つ者たちからは
先ほどまでは全く感じなかった、百戦錬磨の猛者のような気配が漂っている
どうやらスラム連中は身の程知らずにも
冒険者の中でも名うての人物をまとめて罠に嵌めようとしていたようだ
大捕物をするにしても力量は推し量ってもらいたいものだと呆れながら
リーダー格と見定めた男へ声をかけた
「これで襲撃はおじゃんだな
ここから逃げて潜伏するのは相当困難だと思うが
大丈夫なのか?」
「ここら一帯はハルバードの支配下にある
伝令は阻止したが、すぐにヤツにここでの状況が伝わるだろう
どうせ軍に追われるなら、せめてコイツらを始末してから突入する」
「監視塔の襲撃は中止しないのか」
「もう時間がない
今日にでも助け出さないと、おじいが死んじまう」
「おじい?」
「あたしらのまとめ役だよ
あんたさっきおじいに会ったって言ってたけど
もしそれがホントなら聞きたい事があるんだ
先にコイツら片付けるからちょっと待ってな
……エルビン、まだなの?」
「お待たせぇ、行ってええよ」
身の丈ほどの杖を地に突き立てたエルビンという男の合図で
冒険者の殆どがスラム連中に向かって駆け出した
場に残ったのは後方支援が得意な者たちだ
範囲大きめの防音結界を張った男は既に息を乱しており
結界の持続に不安を感じたが
冒険者連中はアッシュが予想した通り実力者揃いであったらしく
瞬く間にその場にいたスラム連中を地に沈め、獲物に付いた血を払っていた
命を奪う刃には一切の躊躇がない
(えっ、何も殺さなくても)
内心で戸惑ったアッシュだったが
内輪揉めを引き起こした張本人である為それを口に出せる雰囲気ではない
広範囲の防音結界が消える中
「犯罪者どもが」と吐き捨てて死体に唾を吐く奴まで居る
もし彼らの態度が支部長でもある老人の影響であったらと思うと
複雑な心境に駆られた
(なんでこの世界の冒険者って平気で人を殺すんだよ)
もうやだこの世界の価値観嫌い、とひっそり嘆く
アッシュに狼藉を働いた連中は皆血の海に沈んでいた
広がる血溜りを避ける様に跳ねて歩み寄ってきた数名の冒険者が
ありがとう、と礼を述べる
「あんたが教えてくんなきゃ
このままいいように動かされて軍に取り押さえられるところだった」
手短に言われた直後から全員がその場から離れる為に移動を開始する
何を言うでも、示し合わせたわけでもなく行われる統率の取れた行動に
アッシュは感心のため息を零した
「腰を据えて話をしたい所だがここが敵地だと判明したワケだしな
悠長に立ち話をしてる場合じゃない
奴らが陽動爆破を行う予定だったが、今となってはその計画すらも怪しい
襲撃場所に軍が網を張ってる可能性を考えて四番塔の襲撃を中止
三番に陽動をかけて四番の監視が逸れた所で
見つからないよう壁内へ侵入に切り替える
その後の予定も変更して集合場所は三十一区画の焼却炉だ」
流石は手練れ揃いの冒険者
速やかに移動しながら始まった作戦会議は飛び入り参加のアッシュから見てもベテランらしく、プロならではの格好良いやり取りだ
「陽動は、誰がする?」
女性が神妙な面持ちで誰に聞くでも無く尋ねる
この状況下で陽動役となると高確率で死亡ないしは捕縛される事になる
冒険者たちがスラム連中が持ちかけた救出作戦に乗ったのは
彼等が率先して囮役を引き受けたからだった
なんの見返りもなく、ただギルド関係者の為に命を賭ける彼らに
冒険者たちは心動かされたのだ
しかし、軍と癒着していたとなれば話は180度変わってしまう
「俺がかって出たい所だが」
アッシュは仲間割れを引き起こした責任を感じていた為
控えめに挙手して立候補してみた
小竜が傍にいる自分ならば陽動役になっても十分に逃げ切れる
と、判断して言葉を続ける
「スラム連中の裏切りがあったばかりだ
外国の者となれば信用すらないだろう
だが潜入する人数を減らす訳にも行かねェだろうし
一人、信用できる奴を俺の監視に付けてくれて構わねェぞ」
その言葉に全員が驚いた表情でアッシュを見る
リーダー格の男が呆れたような眼差しを向けた
「信用がないなんて、この期に及んで何言ってんだ」
「そーよ
あたしたちの窮地を救ってくれた同業者を信用しない訳ないじゃない
陽動役はあたしがやるわ
あんたたちの中では一番生還率が高いだろうから」
「言うねぇイザベラ
奥さんがそう言うんじゃ旦那の俺も黙ってらんねぇわ
リーダー、許可してくれるか?」
「馬鹿野郎
新婚のお前らをみすみす死なせるわけがねぇだろうが!
俺が行く、俺なら一人でも陽動はこなせるからな
後はお前らに託す」
「それは流石に賛成できないって」
「な~に格好つけてんだ、リーダー」
何やら感動的な別れのやりとりが始まりそうな気配に
先のお約束展開を悟ったアッシュは早々に話の腰をへし折った
安定の塩対応である。
「盛り上がってるとこ悪いが
俺ならこの中の誰よりも陽動をこなせるし、傷ひとつなく生還する事も可能だ
足手まといにならない素早い奴を一人付けてくれればいい
これは決定事項だ、分かったらさっさとテメェらの方で監視役を選べ
俺を全面的に信用するってんならそれでも構わねェ
殆どの兵士がこっちに来るようにデカい爆発を何度か起こしてやるから
軍の奴らが動いて手薄になった所でこっそり侵入するといい
ただし、今日中に出て行くのは確実に捕縛されるから止めておけ
四番監視塔に近い軍部の方で皇族の夜間視察が行われる
今夜は山ほどの軍を短時間で投入できる環境が整ってるって事だ
皇族の体面を保つためにも早急に鎮圧に掛かる筈だ
戦力は惜しまないだろう
侵入後は軍の動きが落ち着くまで潜伏しておいた方が良い
拠点はなるべく高い場所を確保しておけ
地表に近づくほど空気が悪くなって健康に異常を来たす
支部長の爺さんはピンピンしてるから安否については心配しなくていい
他に質問はあるか?」
「「「……」」」
アッシュによる余りにもな発言の数々に
十数名の冒険者全員が沈黙を返した