1<ドラゴンの大きな口を目の前にして思い出した
俺は、田崎 実
専門まで出たのに折角見つけた就職先ではうまくいかず
一年ともたずフリーターになった
大して自慢できることのない、どこにでもありがちな人生を歩み
四十を手前に不摂生が祟り、ひっそりとこの世を去った
本当に平凡以下で話しのネタにさえ困る男の一生
思い出してもなんの得にもならないそんな『前世』を、俺は
なんの得にもならないタイミングで思い出した
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
息がし辛い、苦しい、体中が痛い
なんで、なんでよりにもよってこんなタイミングなんだ
こんな…… こんな、
「グォォオオオオオオ!!!!」
巨大なドラゴンが咆哮かましてる姿を視界一杯に収めてる状況で!!
倒れた拍子に頭を強く打ったのだろう、後頭部が物凄く痛い
抉られた装備が肌に食い込んでいる、全身の痛みで起き上がる事が出来ない
パーティを組んでいた他の冒険者は無事だろうか、周囲の状況すら確認できない
ああ、なんて事だ……俺の前世は異世界のつまらない男だったのか
ドラゴンの咆哮で鼓膜が破れそうだ、吐き気も酷い
現状をとりまく全てが俺を追い詰めにかかっている、辛い
死にかけてるのに余計に死にたくなるような気持ちにさえなっている
頭を打つ前はあんなにも「死んでたまるか」と叫んでいたのに……
いや、もう死んだ方が世のため人の為なんじゃないの?俺。
痛みの所為で表情は歪んでいるけど、前世を思い出す前までの
往生際の悪い気持ちはさっぱりと消えて無くなっていた
俺が俺の前世を思い出した時、今の俺の生い立ちも理解してしまったからだ
つまらない一生を終えた田崎実が嫌悪を隠しきれないほどに
愚かで、無様で、最低なクソ男……つまり
今ドラゴンを目の前に死にかけている俺、元 『 田崎実 』 こと
『 アシュラン 』 の事だ
なに?このアシュランとかいうクソ野郎
男の風上にも置けないほどのドクソ野郎なんですけど
年齢も救いようがない事に俺が死んだ時と同じ、四十手前のいい年した大人
にも関わらずこのアシュラン、生まれた時から勝ち組確定なほど
イイトコの出だったのに散々やらかして親に勘当され
冒険者に身をやつしてるけど大体が口八丁で稼ぎの良いパーティに寄生
恵まれた出生だった所為で計算も読み書きもできるもんだから
それができない仲間ばかり選んで稼ぎをチョロまかす
立場の弱い女性には平気で暴言吐くし当たり前みたいに暴力まで振るっている
強い奴には取り入って弱い奴には徹底的にマウントを取る真正のクズだ
……まぁ、それが前世を思い出した今の俺の事なんだが。
ドラゴンが大口を開けて、仰向けに倒れて動かない俺に覆い被さってくる
迫る死を目前にそれまで必死に握りしめていた剣を手放した
刀身が折れていたソレは軽い音を立てて地面に転がる
毎日たくさんの人にご迷惑をおかけして
意地汚く生にしがみつき続けたドクズ男の末路としては
ドラゴンに食われるとかむしろ華々しい最期っぽくて不相応極まりない待遇だ
こんな男、最底辺の魔物に躓いて転んで頭打って
地味に死ぬとかの方が相応しいに決まってる
もっと惨めで無残でもいい
けど、我が儘は言ってられない
この害悪男が死ぬならどんな形であれ早い方がいい
四十年近くも生きててごめんなさい、死に際の際での改心ですが
関係各所に謝罪して回る事が出来ずそれだけが心残りです
こちらの世界のお父さんお母さん、不出来な息子で本当に申し訳ない
弟よ、愚兄が散々迷惑かけてすまなかった
折角良い家柄に生まれることが出来たのに
恵まれたアドバンテージを自らふいにするなんて
アシュランめ、勿体ない事をしてくれた
もし生まれた時から前世を思い出せていたなら俺は
きっと、もっと良い人生を歩めるよう努力していただろう
なのに思い出したタイミングが死んだ時と同じ四十手前で
しかも散々悪事を働いた後、からのドラゴン丸呑み
もうどうにでもしてほしい
咆哮と唾液を全身に浴びながら静かに目を閉じる……が、
数十秒待っても、予想した最期は訪れなかった
「……?」
ゆっくりと目を開けると、直前にあったはずのでかい口と大きな牙はなく
代わりに見えたのは上体を起こしたらしく遠くに見えるドラゴンの顎の下だった
暫しの間巨大なドラゴンを真下から見上げる状況が続き
どうした事かと目を丸くしつつも身じろぎせずにいると
ドラゴンはやがて、背に生えた両翼を広げ物凄い風を起こして羽ばたく
舞い上がった土埃が目に入って痛い
風が落ち着いておそるおそる目を見開くと
ドラゴンが居た筈の見上げた先には青空だけが広がっていた
「助……かった、」
……のか?俺は。
知らず詰めていた息が吐き出される
死んでも良い、と凪いだ気持ちではあったが
途端に震え出した体はやはり緊張しっぱなしだったらしい
九死に一生を得た気分だった
呆然としたまま天気のいい空を眺め
視界を通り過ぎる雲をいくつか見送りやっと気持ちが落ち着いて来た
痛みに構えながら少しずつ身を起こし、改めて周囲の状況を確認する
「すごい、な」
俺の周りの景色は惨憺たるものだった
踏み倒され、焼け焦げ、所々溶けた木々
ドラゴンの気まぐれで助かったとはいえ、よく生き残れたものだ
静寂に包まれた森は生き物の気配ひとつ感じられない
巨大なドラゴンが暴れたのだから当然と言えば当然の状況
ここに来るまで一緒だったパーティを組んだ連中の姿はない
それも当然の事だった
前世を取り戻した直後は記憶の混乱もあって彼らの身を案じはしたが
よくよく思い出して空虚な心持ちでため息を吐く
俺は、彼らにハメられてここに…… 『 竜の巣 』 に取り残されたのだ
因果応報
散々悪事を働いてきた俺に誰かを恨む権利はない
俺は、アシュランは各方面から恨まれ憎まれている
今回は運悪く生き残ってしまったが
前世の記憶が混ざり合った今の俺からすれば
「いっそ殺してくれ」と懇願するレベルでアシュランの今後の人生に
巻き込まれざるを得ない現状に嘆いていた
だって、生き残ったってことはだよ?
アシュランの悪行に全く関係ない俺がアシュランになった所為で
これまでのアシュランの尻拭いをしなきゃならなくなったって事なんだぞ?
町に戻れたとしても俺の生存を喜ぶどころか盛大に舌打ちされるであろう事が
想像しなくても分かりきってるほど町の人から嫌われてるんだぞ?
神殿に治療を依頼した所で相場の三倍……いや、
五倍は吹っ掛けられることが目に見えるほど人々から忌み嫌われてるんだぞ?
……本当に、全く以て因果応報だ
哀しいかな……否、幸いと言うべきなのかもしれない
今の俺の意識は断然 田崎 実の方が強い
むしろこの肉体の持ち主であるアシュランが過去の人みたいな扱いになってる
都合よくアシュランが死んだことにしてしまいたい
自分とアシュランを一緒にしたくない
そうして己が身の悪行から逃げ出したいぐらいには良心の呵責に苛まれている
だがやはり哀しいかな、数えきれない悪行の数々について
しっかりとした当事者意識を持っている、俺自身が俺の責任だと自覚している
謝らなきゃ、償わなきゃと思っている反面
俺じゃない、なんで俺がという気持ちも拭えてはいないが……
結論、心が二つに裂けそうなくらいとっっっっても辛い
「……ハァ~~~~」
でかいため息だって吐きたくなるものだ
しかし、このままいつまでも竜の巣で苦悩しているワケにはいかない
町に戻って神殿で治療してもらわなければ今度こそ本当に死んでしまう
血を流しすぎた所為かフラつくがなんとか立ち上がれる
どこかの骨が折れてるんじゃないかと思えるほど胸の痛みが酷い
喉がザラつくが、更なる痛みが怖くて小さな咳のひとつもできない
いくらか慎重に歩みを進め、被害を免れた木に片手を突き
体が倒れぬよう支えてから背後を振り返る
(……ほんと、なんで助かったんだか)
竜の巣にあった卵は持って帰れる数以外は
同行した他の連中の手によって全て割られていた
割られた中に居た竜の幼体も切り刻まれ惨たらしい事になっている
子を殺されたにも関わらず、親であるドラゴンは
止めを刺す直前で俺への興味を失ったようだった
俺が同じ立場だったら仇を見逃したりはしない、世の親だってきっとそうだ
なのに俺は助かった……本当に、本当に悪運だけは強いらしい
今回請け負っていた仕事は密猟
アシュランみたいなクズ男が生計を立てるのに真っ当な仕事などしてるワケがなく
これまでやってきたことは何もかもべったりと犯罪に染まっていた
やっていない事といえば……人殺しぐらいか?殺してないよな?
自身の悪行をできる限り思い出すが人を殺したという記憶は見つからなかった
でも、暴行した所為で時間が経った後に死んだ人はいるんじゃないかな
アシュラン、剣の腕もそこそこ立つから相当暴力働いてたみたいだし。
裏社会との繋がりも濃い、今の俺にとって顔を合わせたくない連中が山といる
果たして穏便に足を洗う事ができるかどうか……
「やだよ……無理だよ……」
絶対穏便になんて無理、真っ当に生きようとした所で
これまで繋がってた黒い連中に散々妨害されまくるのは分かりきってる
いっそこのまま別の国に亡命したい
これまでのアシュランの所業全部を放り出して無かった事にして
新しい自分として遠い国で人生をやり直したい……しかし
『それ』だけはどうしてもできない
「このクズ野郎……マジでとんでもない事してくれやがって……」
自分で自分に悪態を吐く
亡命できない理由、それは厄介な枷が俺の行動を極端に制限しているからだ
抉られた防具の隙間から見え隠れしている肌に刻まれた
刺青のような模様 『 制約紋 』
家を勘当された時に刻まれたそれは、俺が活動拠点としているこの領地から
決して出ることができない制約がかけられている
そう、国ではなく領地だ
活動範囲がとてつもなく狭い、すれ違う連中みな顔見知りのようなモンだ
このクソ野郎を弁護するわけではないが
勘当されたアシュランが村八分に遭い
止むを得ず悪事に身を落とすのはある意味で必然と言えた
酷いもんだ
イイトコの坊ちゃんが横暴に振舞い悪評が領民に広がる
勘当された所で広まっていた悪評から既に周囲の目は厳しい
にも関わらず言動を改めなかったアシュランは更に周りから顰蹙を買い
そこから更に負のスパイラル
目も当てられないほど見事な転落人生を歩んでいる
悲しいかな現在進行形だ
転落してる先が見えず
「まだ落ちる気か!?」と両肩を揺さぶれるものなら揺さぶってやりたい
いい加減身の振り方を改めないと殺されるぞ俺!
今回を含めて片手じゃ足りないほど殺されかかってるけどな!
今更改心した所でもう手遅れなんじゃないの?!
色々と葛藤しまくっているが、とりあえずは町を目指して歩き出した
腰に身に付けたバッグから回復薬と中和剤を取り出し少しずつ口にする
森の中を、町に向かってゆっくりと進み続けているが正直町に降りたくない
俺がしぶとく生きてるってバレたら
遭遇した人によっては追い打ちかけられるだろうし
神殿で治療受けても「コイツ死ねば良かったのに」っていう眼差しを向けられる
優しさなど欠片もないだろう事が分かって
想像上での事なのにもう辛い
アシュランの自業自得で田崎実の所為ではないのに
「なんで俺がこんな目に」って 実 の俺が嘆き続けてるの辛い
ほんとになんてタイミングで前世思い出してんだよ俺の馬鹿、ばか馬鹿バカ。
ここで、ほんの少しでもアシュランの意地汚く図太い精神が自己主張していたなら
怒り心頭で「俺を陥れた奴絶対殺す!!」とか喚き散らして即行神殿で治療受けて
パーティを組んだ連中を半殺しに行くんだろうけどさ……
そんな吹っ切れた気持ちに全くなれないのもまた辛い
いっそアシュランの性根のままだったら心を痛めずに済んだであろうに
なんで気持ちのベースが実になってるんだろう
今の俺にはアシュランみたいに報復するなんて思い切った行動は取れない
誰かを傷つけるなんて以ての外だ
これまで散々人を殴りつけてきた手を見つめているとそこに
一滴、二滴と雫が落ち始める
「うっ……」
頬を伝う涙がどういった意味を持つのか自分でも分からない
前世を思い出した自分が可哀想で泣いているのか
これまでの酷い行いを悔いて泣いているのか
傷つけてしまった人々への申し訳なさから泣いているのか
分からないのに……暫くの間それを止めることが出来なかった
でも、どんな理由があろうとこれだけはハッキリしている
これは、”愚か者が流す涙”だという事。