6.助けてフタバえもん
夢花火の社内にて、俺は会議室の床に正座していた。
見上げればむすっとした表情を浮かべる二葉さん。怒った顔も可愛いが、そんなことを臆面もなく言えて違和感がないのはアシ〇カヒコくらいのものだろう。そなたは美しい。
「あの、ほんと、すみません。別に悪気があったわけじゃないんです。ちょっと勘違いしていたというか、いや勘違いしていること自体には途中で気づいたんですけど、もう引き返せなかったというか……。最終的には前後不覚に陥ってその時の記憶もないくらいで」
何故俺はこんな風に平謝りしているのか。決まっている。昨日のデビュー配信でやらかして呼び出しを受けたからだ。
弁明の通り配信の最後の方は記憶がないので後でアーカイブで見返したのだが、自分の最寄り駅の名前をもろに出しながら「〇〇駅で僕と握手!」と言っていた。何を言っているか分からないと思うが、俺にもわからない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気分だ。
ありがたいものであんな配信にも高評価をつけてくれている人が30人もいた。ただ、その一方で低評価の数は今朝の時点で1000を超えていた。コメントによるとゆめパズルに現存している動画の中でもっとも低評価が多いらしい。新人の偉業とも言われている。えへへ、照れちゃうな。え、褒めてないぞって? うん、まぁ、間違いないね。現実逃避くらいはさせてくれ。
「謝るくらいしかできないんですけど、でも、その……クビだけは勘弁してもらえませんか?」
許しの言葉を懇願する。
俺が美少女だったらこの構図、上目遣いになっていい感じなのだろうな。
しかし、現実は非情。アラサーのおっさんが必死の形相で頭を下げているだけである。二葉さんの若々しい外見も相まって、人目のつく場所なら通報されてもおかしくはない。
俺のVtuber人生もたった一日で終了か、と思われたその時、二葉さんは「はぁ」と大きくため息をついた。
「やらかしたのはたしかですが……クビにしたりするわけないでしょう」
「え、本当ですか!?」
「はい、反省しているみたいですしね。もうあんなことしちゃダメですよ?」
そうして全く痛みを感じないような優しいデコピンが俺のおでこに飛んできた。
ふわわわぁ!
なに、今の?
女の子の指先はマシュマロで出来てるの?
幸せが頭から体全体に駆け巡ってくよう……。
「いい加減に床に正座なんてやめてください」と言われたので、俺は椅子に座ることにした。土下座も辞さない覚悟であったが、二葉さんはやはり天使。俺のちっぽけなプライドさえも尊重してくれるんだなぁ。
「でも、本当に次からは気を付けてくださいね」
「はい、二葉さんにも迷惑かけてしまって申し訳ないです」
「全くですよ。……仕事中にどうしてもと気になってちょっと見てみたら、貯金残高発表までのカウントダウンをしていた時の私の気持ちが分かりますか。肝が冷えましたよ」
「ははは。二葉さんのおかげで致命傷は避けれました」
きっと睨まれて、俺は閉口した。
「それはともかくとして、初配信はどうでしたか?」
「初配信の感想ですか。そうですね。短い時間ではありましたし、なにもより緊張で胃が痛くなる思いもしましたが……」
「はい」
「でもそれ以上に楽しかった、ように思います」
そう、まともに喋れていた時間を思い返すと、俺は配信を楽しめていた。
放送開始前や放送開始直後は大勢の前で話すことに抵抗があったが、いざ話し出して大勢の人たちがそのことに対してコメントをしてくれると、世界に認められているような、なんとも言えないような気分になった。
デビュー時点で人が集まっているというのはゆめパズルの先輩Vtuberが築いてくれた基盤があるからと言うのは間違いないので、そこには本当に感謝しかない。
最終的には泥を塗ってしまった形になったのは否めないところであるが、それでもその感謝の気持ちと共に、ゆめパズルの一員として邁進していきたいという気持ちが湧いたのは確かだ。
そのせいか配信前までは無理無理カタツムリと思っていた登録者100万人という目標も公言してしまった。なんだか少しコメントが盛り上がっていたのは分不相応な夢だと笑われたせいなのだろうか。ちょっと恥ずかしいけれど、まぁ言うだけならタダだしな。なんならその程度で恥だと言っていたら、その後の配信内容のことはどう説明するんだ、という話なわけで。
「楽しめていたなら良かったです。私もよどみなく喋れていたことに正直驚いてしまいました」
「なんていうかこう、撮影でもなく会話でもないので、つらつらと独り言を喋っているだけという感覚がありまして……そうなるとあまり普段と変わらないな、と」
「本条さんには独り言の才能があったんですね」
「その言い方は手放しで喜べないものがありますが……まぁそうですね。そうなのかもしれません」
学生時代から苦労していた独り言を言ってしまう癖がこんな形で役に立つなんて、人生とは分からないものだ。
「コメントを見ていても、最初の自己紹介パートまでは好評だったように見えます。今後もあの調子でいきましょう」
「はい」
「しつこいようですが、後半のような奇行は今後しないように。いいですね?」
「俺も別にやりたくてやったわけじゃないんですけども」
「い・い・で・す・ね?」
「あ、ごめんなさい。分かりました」
圧を感じた。もしもその掟を破ればブチ殺し確定なのかもしれない。
改めて変なことは行わないように肝に銘じておこう。目指すは落ち着いた雰囲気のある大人のVtuberだ。ヒキニートの悪魔が目指せる領域なのかは知らないけども。
「さて、お話はもう1点あります」
一転して二葉さんは言う。
「なんでしょうか?」
「今後の配信の展望についてお聞かせ頂こうかと」
「ああ、なるほど」
デビューという特別な配信は済ませた。
となれば次からは通常配信となるわけだ。
うーん、通常配信かぁ。
「……実際どんな配信するのがいいんですかね?」
漠然とゲームなどをしているイメージはあるのだが、詳しいところまでは分からないので聞いてみる。
それくらい自分で調べろという話かもしれないが、二葉さんは嫌な顔一つせず答えてくれるから頼っちゃうんだよなぁ。
「ソロの配信としてポピュラーなのは雑談、ゲーム、歌、お絵かき配信などでしょうか。一口にゲームと言っても視聴者参加型の対戦企画や、オンラインゲームで別のVtuberと同じサーバーを利用して、プチコラボ配信をするという形式もありますが……まぁ最初の内は気にしなくても良いでしょう」
「ほうほう」
「本条さんは歌や絵を主体とした配信の予定はないんでしたよね?」
「そうですね。今のところは」
歌なんて学生時代に音楽の授業で歌った程度しか経験がない。絵は……子供の頃に「漫画家になりたい!」なんて言って自由帳にひたすら絵を描いていた時期があるので、ある程度は描くことは出来るが、それにしたって人前で堂々とお見せできるようなレベルではない。「今のところは」と付け足しているが、恐らく未来永劫無いんじゃないだろうか。
「であれば雑談かゲーム配信になりますね。雑談は……もしもする場合は、デッキをしっかりと組んでからにしてください。デッキ切れを起こしてとち狂ったことをされては困りますので」
「それはもう重々承知してます」
トークのネタが尽きることをデッキ切れと言うのか。面白いように言うもんだなぁ。
「となると、やっぱりゲーム配信が初心者にはお勧めという感じでしょうか」
「そう、ですね。ゲームの進行はそれ自体が話のネタにもなりますので、やりやすいと言えばそうでしょう」
「それなら――」
「ただし、それで面白い配信ができるかと言われるとそれはまた別です。例えば『敵を倒しました』だとか『アイテムを拾いました』なんて事実を羅列するだけなんて、それはもはやゲーム実況ではなくシステムボイスです。あくまでゲームに関連しつつ面白いトークをする必要があるんです。そこだけは念頭に入れておいてもらえると」
そう言われると、人にゲームをしている姿を見せて楽しんでもらうなんて言うのは、相当にハードルの高いことのように思える。
あ、でも岬ちゃんは俺のゲームしている姿を見るのが好きとか言ってたな、ちょっと前まではよく俺の部屋に入り浸っていたし。
ただ、あの子はあの子で結構な変わり者だからなぁ。RPGをプレイしている時に料理で体力を回復するという、今となってはよく見かけるようなシステムがあったんだが、それを実行する度に「なんでカレーを食べたらケガが治るの?」とか言いながら一人でケタケタ笑っていた。確かに現実じゃあり得ないんだけども。そこはお約束というか、ファンタジー成分というか、ねぇ。
「……まぁシステムボイスのような実況に全く需要がないかと言われるとそうでもないんですよね。実際にその手の実況で人気が出ている方もいますし、トークをし過ぎてゲームの邪魔だと言われる場合もありますし。本当に配信稼業というのはセオリー通りにはいかないです。そこが面白いところでもあるんですが」
目を離していると、二葉さんはぶつぶつとそんなことを言っていた。
ちょくちょく思っていたけれど、この人はVtuber業界に対して「仕事だから」だけでは片付けられない情熱があるような気がする。
そんな俺の生暖かい目線に気付いたのか、二葉さんは「こほん」と咳を一つ置く。可愛い。
「なんにせよ、第二回目の配信がゲーム実況というのは良い選択かと思います。今後も継続してやっていけますしね」
「はい、そうさせてもらうおうかなと」
「であれば、こちらをご覧頂けますでしょうか」
二葉さんは手元にあったノートPCの画面をこちらに向けた。
なんか沢山文字が並んでるな。目が悪いわけじゃないんだけど、少し距離があるから……いやほんと、まだ俺は裸眼で大丈夫、なはず。そう思いたい。よく目を凝らせば見えるはずだ……。
目を細めてる俺に気付いたのか、二葉さんが言う。
「すみません、見え辛かったですね。えーっと……あ、じゃあちょっとこっちの方まで来てもらってもいいですか?」
言われるがままに、俺は二葉さんの元に向かう。
「どうぞ」といった感じで二葉さんが横にずれたので、ノートPCの前に二人並ぶような感じになったのだが、その結果、凄く距離が近い。良い匂いがふんわりと香る。これ鼻息が荒くなった時点でセクハラになるやつやんけ。心臓バクバクになりながらも、平然を装ってノートPCの画面を覗き込む、そこには見覚えのある文字列がいくつも並べられている、
「これは、ゲームのタイトル……ですかね?」
「はい、現在配信許可が取れているゲームと、もともと配信の許可が下りているゲームのリストになります」
そう言えばコンプライアンスのテストでもゲームの配信許可に関する問題があったな。適切な対処方法を選べという選択肢の中に「配信許可が取れていないゲームでもバレなければ大丈夫なので、深夜にこっそりと配信を行い、アーカイブを消した」というのがあって、テスト中にも関わらず少し笑ってしまった覚えがある。
「もしもここのリストに載っているゲーム以外をやる場合は先んじで相談するようにしてもらえますでしょうか。私たちの方で配信許可の確認や、場合によっては開発元との契約を行う必要がありますので」
「至れり尽くせりですね」
「それが仕事ですので」
きっぱりと言い切るその姿は非常に頼もしい。
うちのマネージャーが優しくて可愛くて仕事もできる天使な件について、っていうタイトルでアニメ化お願いします。
さてさて、肝心のゲーム選びの方はどうしたものか。
「二葉さんの方でなにかオススメはありますか?」
「オススメですか? そうですね。最近だと……バトルロワイヤルゲームが流行りではあります」
「あー、もしかしてFall animalsとかですか?」
「はい、ご存じでしたか」
バトルロイヤルゲームとは多人数のプレイヤーが最後の1人にまで戦いを続けるといった形式のゲームだ。諸説あるようだが、同名タイトルの映画からそういった名前が付けられたらしい。
中でもFall animalsという動物たちが空中に設置されたアトラクションを落ちないように進んでいくというゲームは、今最も流行っているバトルロイヤルゲームになるだろう。そこかしこで話題になってるのを見かけるが、Vtuber界隈でも流行っていたんだなぁ。
「ただこの手のゲームは上手さかリアクションの良さを求められる傾向にありますが、その辺りはどうでしょうか?」
「うーん、あまり自分にゲームセンスを感じた瞬間はないですねぇ。ホラーゲームなんかをやっていても悲鳴を上げるほど驚くということもないですし」
「そうなると難しいかもしれませんね……。とはいえ、なにより自分自身がゲームを楽しんでいなければ、視聴者も楽しんでくれないと思いますので、あまり配信の向き不向きで考える必要もないかもしれませんが」
それは一理あるかもしれない。嫌々やっている雰囲気を感じ取ったらその時点でブラウザバックされてしまうだろう。そういう意味で言えば、自分が一番やりたいゲームを選ぶのが一番なのかもしれないな。
「やりたいゲーム、やりたいゲーム……」
マウスを借りて、リストを読み進める。
こうして配信が許可されているゲームの一覧を眺めていると、やはり目立っているのはアクション性が重視されているゲームだ。特にオンライン対戦がある場合は、むしろ配信やプレイ動画のSNS上への投稿が推奨されている場合すらある。まぁ「自分もやってみたい」と思わせることはそれ即ち、購買意欲の促進につながるわけだしな。
一方でストーリー重視のゲームは配信許可が取れないことが多いらしい。当然と言えば当然だ。最大の長所がその配信を見た時点で奪われているようなもんだしな。関係ないけど、ツブヤイターで「これから名探偵〇ナンの映画を見に行く。楽しみー!」ってツブヤキすると即座に「犯人は○○」と返信が来るらしい。鬼畜の所業かな?
「おっ」
そうしてリストを眺めていると一つのタイトルが目に留まった。
「なにかいいゲームが見つかりましたか?」
「パケモンって配信しても良いんですね」
「ああ、はい。一応許可が取れていますね」
パケモン。パケットモンスター。
その名の通り、小包のなかに入るサイズのモンスターと仲良くなったり、パケモン同士を競わせたりするゲームだ。
全世界で長期にわたって人気のあるゲームであり、俺自身、今年発売したシリーズ最新作までやり続けている。
「これって1作目もやってみて大丈夫なんですか?」
「1作目ですか? ええと……ああ、はい。大丈夫みたいですね」
「ならそれをやってみようかなぁ」
「シリーズ1作目をですか? 一応、最新作も許可が取れているみたいですが」
「ああ、シリーズ1作目って20時間くらいでクリアまでいけるんですよね。誰でも知っているので思い出話なんてしながら落ち着いてプレイ出来そうですし。配信慣れの意味も込めて、1週間くらいかけてゆっくりやってみようかなと」
「なるほど。そういう意図があるのでしたら、こちらとしても構いません。配信の環境はもう整っているんですよね?」
「はい、デビュー日までに色々整えておきました」
めっちゃくちゃ苦労したけどね!
ゲーム配信の環境設定ってなんであんなにややこしいいんだろう……もっとなんかこう、ゲームとケーブルを繋いで4秒で即配信! みたいな感じだと思っていた。俺の要領が悪いだけなのかもしれないけど、一時はDBS――ライブ配信ツールの設定画面が夢に出てきたくらいだ。
「では次回の放送の内容も固まりましたし、今日はこれくらいでお開きにしましょうか。楽しい配信、期待していますね」
「はい!」
スタートこそ躓いてしまったものの、俺のVtuberとしての人生はまだまだ始まったばかり。ここからいくらでも挽回できるだろう。二葉さんにもえらく迷惑をかけてしまった。もう今日のように会社に呼び出しを受けてお説教はうけないようにしなくては。
ビルを出ると、そんな俺の新しい門出を祝うような晴天が広がっていた。幸先が良いとはこのことだ。ようし、早速今日からのゲーム配信、頑張るぞ!