5.とある箱推しリスナーの解読不能
「じゃあまたねー! おつざくろー!」
豊穣ざくろの配信が終わった。
新人っぽく振舞っていたが、「配信慣れしているな」と感じる場面が節々であった。転生者ではないだろうか。なんにせよ、まぁ悪くはなかったな。
「ただ、今のところは三期生に比べるとパンチが弱いかな」
俺はそう独り言ちる。
豊穣スイカに豊穣ざくろ、と続けて四期生のデビュー放送を見てきたが、現時点で特筆すべき点は見つかっていない。
とはいえ、今日はまだデビュー放送でしかないというのも事実だ。二回目以降の配信で突如才能を開花するVtuberなんていうのは珍しくない。
それに、豊穣スイカと豊穣ざくろは姉妹設定。事務所の方針としても二人の組み合わせを推してくるだろうし、ざくろのほうはそれを意識したような発言が多かったように思う。そこでどれだけ『てぇてぇ』を見せられるかが、この二人の本当の意味でのデビューになるのではないだろうか。
「それにしても、もう四期生か」
株式会社夢花火がゆめパズルというグループ名のVtuberグループを発足したのはもう一年も前になる。
目的もなくMetubeをだらだらと眺めている最中に一期生がデビューする瞬間に立ち会い、今ではゆめパズル全体を応援――いわゆる『箱推し』をするようになっていた。
「ここまで色々あったなぁ」
今では「安心と信頼の一期生」と呼ばれるようになった一期生。爆発力に欠けるのは否めないところであるが、マイナスな面を一切見せず、ただ見ていて幸せになるような心地よさだけを提供してくれる安定感があった。
多くの企業がVtuber事業に参入し、埋もれてしまうVtuberグループも多い中、ゆめパズルが一挙に底辺を抜け出したのはやはり一期生の実力の賜物だろう。俺自身も一期生への思い入れが一番大きい。順調に行けていれば今頃、中堅のVtuberグループにまで達することができていたかもしれない。そう、順調に行けていれば、だ。
「はぁー」
当時のことを思いだすだけで、ため息が零れてしまう。
一期生がデビューしてから四ヵ月後にデビューすることになった二期生……そう、『不遇の二期生』のせいだ。
Vtuberグループとして下の上から中の下といったところのゆめパズルを知っている人はそう多くはいないだろう。しかし、当時の事件のことを話せば、「ああ、あの時の」とにやけた顔を浮かべる人はいるんじゃないだろうか。
当時はそれほどに話題になった。
Vtuber界隈だけではなく、某大型匿名掲示板――つまり7chのまとめサイトはこぞって取り上げて油を注いだ。
一期生が作り上げたクリーンなイメージは消え去り、ゆめパズル全体に不穏な雰囲気が広がった。このままVtuber戦国時代の波に飲まれ、ゆめパズルなんていうVtuberグループはネットの海に沈んでしまうのではないかと不安になったほどだ。
「ただ、まぁ」
それからさらに四か月後、三期生がデビューした。ゆめパズルの陰りを吹き飛ばしたのは他でもない、この三期生だ。『黄金の三期生』とファンたちの間で崇められるのも納得というもの。
圧倒的な個性と、転生者としての過去すら利用する豪胆さ。
一期生に欠けていた爆発力というものをこの三期生が引っ提げてきた。
三期生のおかげでゆめパズル全体の登録者数が伸び、一期生の中にはとうとう登録者数10万人突破という偉業を成し遂げるものまで出てきた。
もうゆめパズルに二期生がやらかした時のような悲壮感はない。これから更に盛り上がっていき、いつかは大手事務所と肩を並べる日が来るのではないか、と期待に胸も膨らむ新進気鋭の事務所だ。
そして、それからまたさらに四ヵ月が経ち、一期生のデビュー一周年記念配信の余韻も冷めやらぬ今日、四期生のデビュー配信が実施されている。
オーディション内容を発表した時は、男一人に女二人という二期生と同じ構成に、ゆめパズルファンたちはちょっとざわついたが、少なくとも今のところは問題なさそうだ。二期生の時はそもそものキャラクター設定自体にかなり問題があったというのもあるし。
「最後の一人は……ヒキー・ニッターか」
改めてキャラクター設定を見る。魔界の悪魔。元ヒキニート。親の大悪魔に勘当させられ、しょうがなく人間界で働くこととなり、Vtuberをするようになったらしい。
どこからどう見てもネタキャラだ。7chのMetube版にあるゆめパズル総合スレッドでは初配信前から「見た目が気持ち悪い」や「キャラ設定自体が滑ってる」などと暴言を吐かれている始末である。まぁたしかに俺もそう思う。今どきニートネタで笑いを取ろうだなんて、感性が十年は古い。
「こいつだけ情報が少ないんだよなぁ……」
豊穣スイカと豊穣ざくろは放送前にツブヤイターを更新してくれていたため、どんなキャラクターなのかが放送前にある程度分かったのだが、ヒキー・ニッターのツブヤイターはデビュー配信の告知しか行っていない。
ニート設定を踏まえた上でのロールプレイという可能性もあるが、たぶんそうではないのだろう。ツブヤイターのトップに表示されている空欄のプロフィールが、逆にヒキー・ニッターの人間性というか悪魔性を主張しているような気がした。
「お、そろそろ始まるか……」
放送開始までのカウントダウンがそろそろ0になる。正直、男でしかもネタ枠のVtuberにはあまり期待してないのだが、新人がデビューするこの瞬間はいつもドキドキしてしまう。
そして22時ぴったりになったその時。
そいつは画面上に現れた。
「あ、あ、ああー……」
隈の目立つ目元。その目を隠すくらいの伸びた白い前髪。病的なまでに白く細い体躯。
元ヒキニートの悪魔ヒキー・ニッターが右に左に揺れながら言葉を発する。
「え、ええー、皆さん聞こえておりますでしょうか。聞こえて……いるみたいですね。良かったです」
声は、悪くないなと思った。
イケボとまではいかないが、落ち着いていて聞き取りやすい。元気いっぱいなキャラの方が手っ取り早く人気は出やすいとも言われるが、まぁそこら辺は好き好きでもあるか。
「俺の名前はヒキー・ニッターと言います。今日からゆめパズル四期生のVtuberとして活動させて頂きます。以後宜しくお願いします」
その言葉に対して『よろしくー』というコメントが一気に押し寄せる。ヒキー・ニッターは「ありがとうございます。よろしくお願いします」と何度も繰り返す。初々しいものだな。
「えー、今回は俺のようなもののためにこんなに大勢の人たちに集まっていただき……大勢の……って1000人!? 1000人も見てるのこの配信!?」
『驚き過ぎで草』というコメントが流れる。実際、豊穣スイカと豊穣ざくろの配信では3000人くらいの人たちが見ていたから少ないくらいである。にしても新人の放送を見るのは箱推しを自負している者の義務みたいなものであるが、俺以外にも結構いるもんだな。
「失礼しました。いえ、1000人というのはすごい数字ですよ。例えば学校の生徒数は平均して400人くらいと言われていますからね。俺の通っていた学校もそれくらいでした。その2.5倍ですよ。2.5倍。……え? 悪魔も学校に通うのかって? えー……そうですね、通ってました。当然じゃないですか。ケルベロス中の切れたナイフと言えば有名でしたよ。今ではすっかり錆付いてしまったものですが」
かなり怪しいところだったが、ロールプレイ意識はあるらしい。
ちなみにロールプレイとはどれだけキャラクタ―になり切るかのことを言う。ヒキー・ニッターで言えばどれだけ悪魔になりきるかということだ。
こう言うと身も蓋もないのだが、Vtuberの中身がただの人間なんてことはみんな分かっている。
それでも尚、演者が一つのキャラクターを演じきろうとしてくれるというのなら、俺たち観客は喜んで騙されようとするだろう。なにかを楽しむというのはそういうことだ。楽しませようとする演者と楽しもうとする観客。その二つが揃ってようやく一つの娯楽が生まれる。最初から楽しもうとする気持ちが無い者の前では、どれだけおどけてみせても無駄だろう。
まぁ、Vtuberにはキャラ崩壊を楽しむという一面もあるから、キャラ設定遵守が全てではないのだがな。うっかり漏れた素の姿を楽しむのもまた乙というわけだ。一粒で二度おいしい。これだからVtuberはやめられない。
それからはしばらく自己紹介タイムが続いた。
キャラクター設定をなぞりながら自分の好きなものや嫌いなものを語るという、新人Vtuberがよくやるやつだ。豊穣スイカや豊穣ざくろもやっていたしな。ちなみにヒキー・ニッターが世界で一番好きなものは妹らしい。明らかに他のものについて話している時よりも熱量がすごくて結構な人たちがドン引きしていた。俺も引いた。
ただ、今後の目標について語る時に「夢は登録者100万人を突破して四天王の牙城を崩すことです」と言った時は、ちょっと胸が熱くなるものがあったな。
本人は「いや、言い始めたのはマネージャーさんですけどね」と言い訳していたようだが、今このVtuber業界で本気で四天王と並び、追い越そうとしているやつはそうそういないだろう。
それがたとえ新人の夢物語だったとしても、ゆめパズル所属のVtuberの口からその言葉が出たという事実が、初期からこの箱を推している人間として、嬉しく思えてしまったのだ。
そうして、俺が「まぁ当分の間は応援してやってもいいかな」と思っていたその時、事件は起きた。
きっかけは一つのハイパーチャットだった。
【初配信おめでとうございます。尊敬しているVtuberさんは誰ですか?】
それはなんの変哲もない質問だった。
初配信であれば必ず来るような質問だ。Vtuberの視聴者はVtuber同士の関係性を重視する。Vtuber同士が仲良くしている姿から芽生える幸せな気持ちが『エモい』であったり『てぇてぇ』だったりするわけだ。
だから、尊敬しているVtuberとはつまり今後ヒキー・ニッターが『てぇてぇ』を生み出すために必要な情報となる。俺自身も「誰なんだろうな」と耳を澄ませてしまう。
しかし、
「ハイパーチャットありがとうございます。えー、尊敬しているVtuberさんですか……。実はですね、俺はまだVtuberの配信をあまり見たことがないんですよね。だから尊敬もなにも、知らないというのが答えになってしまうというか。これも本当は言うな、と釘を刺されていたんですが……ハイパーチャットに答えるのは絶対ですし、困りましたね」
ヒキー・ニッターはそう答えた。
俺も含めたここにいる視聴者は全員「Vtuberのことが好き」という前提条件を共有していることだろう。それは配信する側の立場であるヒキー・ニッターも同じだと思っていた。「Vtuberになる人は当然Vtuberが好き」だという考えだ。それを否定されたことにVtuberファンとして悲しい気持ちになる。
だが、それ以上に気になるのは「言うな、と釘を刺されていた」という言葉だ。つまり運営に余計な発言はしては駄目だと注意されていたということだろう。その上で「ハイパーチャットに答えるのは絶対」という信条の下、その言いつけを破って正直に答えてしまったらしい。
そもそもハイパーチャットに答えるのは絶対なんていうルールはないのだが……もしかしてこいつ、何か勘違いしていないか?
俺の心配をよそに、再びハイパーチャットが流れた。
【住所教えてください】
悪意しか感じないような質問である。
……いや、流石に『まさか正直に答えるはずはないだろう』という冗談のようなものか。ヒキー・ニッターも軽く受け流してくれるだろう。
「あ、またハイパーチャットありがとうございます。住所ですか。東〇都の○○区です。同居人もいるのでそれ以上は秘密にさせてください。ハイパーチャットなのに、すみません」
駄目だった。
流石に番地まで答えるような真似はしなかったが、住所を公開した上でなぜか謝る始末である。
そしてもっと悪いのはヒキー・ニッターがハイパーチャットについてなにか勘違いしているということが確定してしまったいうことだ。これに一部の視聴者の悪戯心に火が付いた。
【同居人って誰ですか】
【スイカちゃんとざくろちゃんに直接会いましたか? どんな顔してましたか?】
【貯金残高を教えてください】
【今日の夜のおかずを教えてくれ頼む】
【ちくわ大明神】
【本名はなんですか】
【身長と体重とスリーサイズはよ】
【今さっき変なの通らなかったか】
【バカモン、それがル〇ンだ】
一部変なのもいるが、ハイパーチャットはここぞとばかりにやりたい放題である。
ヒキー・ニッターはその内のいくつかに赤裸々に答えていた。妹と二人暮らしの29歳。友達は0人。彼女いない歴も当然、イコールで年齢。IT系の企業に勤めていたが耐えきれずに退職し、ニートとして一年過ごした後にこうしてVtuberになったらしい。
中の人が実際に元ニートであるなら、元ニートのロールプレイは演じなくても出来るし得だな、とは思わないでもないが、それにしたってこれ以上は今後の活動にも悪影響が出るだろう。
止まらないハイパーチャット返答という名の個人情報流出を眺めていると、PCの向こう側でバイブ音が鳴った。「すみません、電話が」とヒキー・ニッターは言う。こういう不測の事態には音声をミュートにして対応するのが配信者としての常識であるが、まだそんなものは身についていないようだった。
「もしもし。はい、今配信中です。はい、はい……え? 今すぐにですか? えーっと、でもまだ30分以上残って……あ、はい。すみません。分かりました。今すぐ止めます」
恐らく机にスマホを置いたであろう音がして、次いで「戻りました」という声がする。その声は先程とまでと比べていくらか覇気がないように聞こえた。
「あのー、大変申し訳ないんですけど、今日の配信はここまでということで。……あ、いや、怒られたかそういうわけじゃ……えー、まぁ、はい。おつあくまー」
とってつけたような悪魔要素を最後に軽快なBGMが流れ始め、「チャンネル登録よろしくお願いします」の文字が表示された。どうやら本当に配信が終了してしまったようだ。
終了したというか、運営に強制終了させられたというか。あるいは逃げたとでも言うべきか。
配信が終わった後、アーカイブに残されたコメントを見ると、中々にカオスな状態だった。
『運営GJ』
『↑運営の教育不足のせいでもあるのでは?』
『初配信を24分で終わらせた男』
『二期生の悪夢の再来』
『まともに頑張ってた同期の二人に謝れ』
『初回からこんなんだと今後が不安』
『頭よわよわ悪魔。プライバシーすかすか』
散々な言われようである。実際それだけ言われてもしょうがない内容だとは思うので、すでに三桁を超えている低評価に俺も賛同してその数を一つ増やしておいた。
この放送はなんだったのか。そして、いったいヒキー・ニッターとはなんなのか。
答えは分からないが、もしも一つだけ言えることがあるとするならば、あの男はきっとバカだということだけだった。