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4.赤ちゃんの歩み

「好きな食べ物はー、んっとー、スイカかなぁー。え? それってスイカちゃんのことって? 違いますよー! もう、リスナーさんったら、そういうこと言っちゃダメなんですからねー?」


 画面の中では同期となる豊穣ざくろちゃんが視聴者のコメントを拾いながら楽し気にトークを繰り広げていた。

 俺はそれを見ている。見ているのだが、はっきり言って、全く頭に内容が入って来ない。


 現時刻は21時30分。ざくろちゃんの放送が始まってから30分が経過している。それはつまり、デビューリレーの俺の出番が今から30分後に迫っているということだ。22時から俺の初配信が始まる。その前に気持ちを落ち着かせたり、自分の配信の参考にするために同期の放送を見ていたわけなのだが。


「ぐうぅ……おえっ、ふぅー、ふぅー」

 

 俺は緊張で吐き気を催していた。

 ざくろちゃんの放送はもう「可愛い声の女の子が喋ってるなー」くらいにしか脳は受け入れてくれない。

 こんな状態で参考になんて出来るものか。俺はざくろちゃんの配信画面を閉じて横になる。


「はぁー、もう逃げ出したい」


 でも逃げる訳にはいかない。

 せっかくここにいたるまで頑張ってきたのだから、今更逃げてどうするんだという話だ。

 つい先日も二葉さんにあんなに応援してもらったじゃないか。


「二葉さん……」


 そう呟いて俺はスマホを取り出し、RINEのアプリを立ち上げる。

 『お友達』に登録されているのはたった二人。妹の岬ちゃんとマネージャーの二葉さんだけ。

 

 でも、この二人さえいれば俺は生きていける。この二人の名前が俺のRINEの中にいるというだけで、生きるために必要な勇気がぐんぐん沸いてくる。

 目を瞑って思い出す。昨日(さくじつ)の通話のことを。



 昨夜、俺はカメラに自分の顔を向けて、表情をあれこれ動かしていた。

 しかし、PCのディスプレイに映し出されているのは俺の顔ではない。ヒキー・ニッターの顔である。


「こ、こうか?」


 俺が口角を上げて笑うと、ヒキー・ニッターも笑う。

 俺がちょっと頭を傾けると、ヒキー・ニッターの頭も傾く。


 これはゆめパズルがVtuber向けに推奨しているツールとなる『FaceTracer』というソフトによるものだ。

 端的に言えば俺がカメラに向けて表情を変えると、コンピューターグラフィックスの俺――つまりヒキー・ニッターというアバターも連動して表情が変わるというもの。出来ることと言えば表情を変えたり、多少上半身を右に左に動かせる程度のものなのだが、これが中々に面白い。


 俺が悲しい表情を浮かべると、ヒキー・ニッターも眉尻を下げる。

 俺が目と口を全開まで開けると、ヒキー・ニッターもこれでもかというくらいに目と口を広げる、


「くっくっくっ……アホ面を晒してるなぁ。ヒキー・ニッターよ。悪魔がそんな情けない姿を晒してていいのか、ええ?」


 どちらかというと夜におっさんが一人で変顔晒してるほうがよっぽど情けないと心のどこかで分かっているのだが、そんなことは気にしてはいけない。

 今の俺は本条一仁ではなく魔界の悪魔なのだ。高校生の妹に美味しいご飯を作ってもらえたからお腹いっぱいでご機嫌な29歳のおっさんなんてものはこの場に存在しない。いいね?


「それにしても、もう明日かぁ」


 この二週間は機材の準備やコンプライアンスの勉強などで慌ただしく、あっという間に過ぎ去ってしまった。

 ニートしていた頃も、うだうだとゲームやネットサーフィンしていたら「え、もうこんな時間!?」なんていうのがしょっちゅうだったが、充実した日々のもとで過ぎ去る時間というのはその比ではなかった。

 

 やっぱ一日が24時間というのは短すぎるな。日に30時間の鍛錬という矛盾を解決するには一日の時間を延ばすしかないですよね。そこら辺どうでしょうか、神様。


 アホなことを考えつつ変顔して遊んでいると、突如としてスマホが机の上でバイブの音を響かせたものだから、俺は「ひええ」と短く悲鳴を上げてしまった。

 何故こんなに俺が驚いたのかというと、俺のスマホは本来この時間に鳴るはずがないからだ。

 

 俺の連絡先を知っているのは岬ちゃんしかいないし、なにか用があるのならば直接俺の部屋に来るはずだろう。だから、俺のスマホが鳴るはずはない。QED。


「……あ」


 そうして思い出す。そういえば岬ちゃん以外にも俺の連作先を知っている人が増えたのだった。

 スマホの画面を見ると、やはりというか二葉さんからの着信だった。

 どうやらRINEで通話をかけてきたようだ。


「って、通話!?」


 ええ、直接話さなイカんのか? それはイカんでしょ!

 脳内をイカに侵略されてしまいパニくるが、いつまでも待たせるわけにはいかない。震える手を押さえつけるようにして、俺は通話に出た。


「も、もしもひ」

 

 はい、初手甘噛み安定。これには相手の攻撃力もたまらずダウン。俺のHPは羞恥心を刺激されたことによって1になる。代償がでか過ぎるぞ、このデバフ技。


「もしもし。二葉です。すみません、こんな夜に。今お時間大丈夫ですか?」


「は、はい、大丈夫です。……あの、また俺なんかやっちゃいましたか?」


 なんかどっかで聞いたようなセリフになったな、という考えが脳裏を掠めたが、気にせず進める。


「えっ?」


「いえ、直接電話なんてよっぽどのことかと思ったんで……お説教ですよね?」


「ち、違いますよ! 私はただ、とうとう明日がデビュー日になるので、なにか困っていることなどないかと思っただけで」


 電話の向こうで慌てふためく二葉さんが目に浮かぶ。

 心配して電話をかけてくれたということらしい。なんていい人なんだろうか。

 天使を見たことはあるだろうか。俺はある。今、会話してる。


「わざわざありがとうございます。実はもう不安でいっぱいでして……」


「そうですよね。しかも本条さんは配信自体が初めてですし、致し方ないことかと」


「今は一応、FaceTracerでアバターの顔の表現の練習をしてました。意外と難しいですね」


「最初はみんなそう言うらしいですが、すぐ慣れますよ。あ、でもパラメータは多少大げさにしちゃってもいいかもしれませんね。時折変な顔しちゃうくらいの方が配信映えすると思います。アイドル路線ならずっと奇麗な顔してたほうが良いので別ですが」


「なるほどー」


 パラメータとはどれくらい俺とアバターをどれだけ連動させるかの詳細設定だ。俺が口を開いたとき、デフォルトの設定では同じくらいアバターも口を開くが、極端な設定をすればその動作だけでアバターの口が限界まで開くようにもできる。

 表情に乏しいような人間だったとしても、設定を駆使すれば表情豊かなVtuberになれるというわけだ。うーん、素晴らしきかな現代技術。


「デッキはもう決まりましたか?」


「デッキ?」


「あ……トークテーマのことですね。この界隈ではあらかじめ用意したトークテーマのことをデッキと言うんですよ」


「へぇ。ならショットガンシャッフルは禁物ですね」


「はい?」


「あ、なんでもないです」


 通じなかった。

 アラサーの男の子はデッキと聞くと遊〇王が思い浮かぶように躾けられてるからしょうがないんです。悪いのは俺じゃない、世界だ。

 にしてもトークテーマ――デッキかぁ。


「一応考えているのは、先日教えてもらったように設定を基にした自己紹介ですけど……正直、それ以外は何を話そうかさっぱりで……」


「自己紹介を徹底的に膨らますというのでも問題ないと思いますよ。好きなものや嫌いなものについてひたすら語るとかですね、それで面白い配信ができるのかは腕の見せ所ですが」


「ふむふむ」


「あとは今後やりたいことや夢や目標について語るのなんかもよく見ますね。初回からエピソードトークや歌、作りこんだネタを披露するようなタイプのVtuberもいますが……」


「……すみません、今の俺にそんな余裕は」


「ですよね。初回放送は大事ではありますが、無理をしてもこの先続きませんし、そこは今後の課題ということで」


「はい。……ちなみに、その初回からネタを仕込んでくるようなVtuberって、転生者ですか?」


「そうですね。中には違う人もいるかと思いますが、大抵はそうじゃないかと。……でも、転生者なんて言葉知ってたんですね」


「ついこの間、風の噂で」


 転生者とはVtuberになる前から配信や動画を行っていたような人のことを言う。経験がある分、完全な新人よりはスタートダッシュを決めやすく、その後の活動でも転生前に得た技術が助けになってくれるらしい。

 デメリットとしては過去に何か問題を起こしていた場合、Vtuberとしての活動にも影響が出てくることだ。「バレないようにすればいいのでは?」という考えは甘いらしく、今のネット社会では過去の悪事はあっという間に暴かれるとか。


 そうそう、何故俺が転生者という言葉を知っていたかというと、夢花火にコンプライアンスのテストを受けに行った際、休憩室で社員の人たちがそんな会話をしていたからだ。

 転生という言葉に反応して「な〇う小説の話してるのかなぁ。仲間にいれて欲しいなぁ。チラッチラッ」と盗み聞きしていたわけではない。たまたま聞こえてきただけだ。たまたま。


「あとツブヤイターの方で先んじて質問募集しておくという手もありますよ」


「あー、そういうことも出来るんですね」


 ツブヤイターは日本でもっとも有名なSNSだ。300文字程度の文章を投稿することをツブヤキと言い、そのツブヤキを共有したり、返信したりして、ネット上で交流を行う。

 ただ交流するだけではなく、動画投稿や配信開始のお知らせなどをツブヤキすることで宣伝や告知にも使えるため、Vtuberには必須ともいえるSNSだろう。


 俺も一応ヒキー・ニッターとしてのアカウントを持っている。今後使うことになるから、と会社が用意してくれたのだ、

 まぁ、まだ明日のデビュー配信の告知をしたくらいで一回もツブヤキしてないけどね。一回初めての挨拶とか今の不安とかを諸々まとめて投稿しようとしたら1万文字を超えてしまい投稿できず、もういっそのこと初配信の時に直接口で全部言うほうが良いか、と断念したのだ。


「配信に関して、一点注意事項がありまして」

 

 ふと思い出したように二葉さんが言う。


「なんでしょうか」


「ハイパーチャットが来た場合、お礼は必ず言うようにしてください」


「ハイパーチャット、ですか?」


「はい、投げ銭と言えば伝わりますでしょうか?」


「ああ、分かります」


 大道芸人がチップを貰うように、配信で視聴者から直接お金を貰うことは投げ銭と言われる。Metubeではハイパーチャットという呼称が付いているようだ。


「Metubeでお金を稼ぐ手段は動画や配信アーカイブに設定する広告、チャンネル内でのプレミアムメンバーという月額性の有料会員制度、ハイパーチャットの3点がありますが、前者の二つはある程度の活動実績が無ければ設定することができず、コミュニティ設立当初から活用できるのはハイパーチャットのみとなっています」


「そういえば契約書にもありましたね。ハイパーチャットに関する記述。確か取り分がどうとかという話だったような」


「そうですね。ハイパーチャットはMetubeや決済方法などに手数料がかかり、そこから夢花火と個々人のVtuberで分配する形になります。詳細は契約書をもう一度ご覧いただければ」


 トップVtuverの周年記念などの特別な放送ともなると、一回の放送で一千万を超える大金が飛びかうとか。ただし、実際にVtuber自身に届く金額は半分にも満たないらしい。大金であるのには変わりないだろうが、世界はそんなに優しいもんじゃないな。


「で、ハイパーチャットにはお礼を言えばいいんですね?」


「はい、そうしてもらえると」


 改めて訊き返すと、電話越しに返答が届く。


「最大手ともなると全てにお礼を言っていては本来の配信の時間が削られてしまうので、簡略化することもありますが、ゆめパズルではまだそんなに多くのハイパーチャットを頂くということは無いと思いますので、一つ一つにお礼を言う形が良いかと」


「分かりました」


「ハイパーチャットは金額が大きいとコメント付きで送ることが可能となります。金額が大きくなれば大きいほど長文でのコメントが可能に、という感じですね。ですので、そう言ったコメントは読み上げてあげることが返礼になりますので、心がけるようにお願いします」

 

「分かりました。でも、大金を頂いても返せるものがコメント読み上げだけっていうのは、なんだか申し訳ない感じがしますね」


「……そこは需要と供給ということで。その分以後の配信を楽しんでもらえるように頑張りましょう」


 言い辛そうにそう答える二葉さん。軽率に触れてはいけない領域だったのかもしれない。

 

 なんにせよ、俺なんかの初配信に投げ銭をしてくれるようなもの好きはそうそういないだろう。それでも、もしもくれる人がいるというなら、最大級の感謝を示さねばなるまい。ハイパーチャットのコメントは必ず読み上げる。これはしっかり念頭に置いておこう。


「ありがとうございました。二葉さん。おかげで色々と方針が定まった気がします」


「お役に立てたなら何よりです。私は仕事があるので、明日の配信をライブでは見れないと思いますが、アーカイブで確認させて頂きます」


「はい! ……あれ、俺の配信時間って22時からですよね。そんな時間にまだ仕事が?」


 なんとなしにそう尋ねると、幾ばくかの沈黙が流れ、


「……明日の配信、頑張ってくださいね」


 そう言い残されて通話が切れた。

 これでも昔はそこそこ働いていた。修羅場もいくつか抜けてきた。そういうものにだけ働く勘がある、その勘が言っている。二葉さんはそこで死ぬ。


「二葉さん……」


 俺はスマホを机に置き、虚空に向かって合掌した。屍は拾います。これは俺からあなたに捧げる鎮魂歌(レクイエム)です。

 社畜戦士に向かって俺ができることは祈ることだけ。せめて終電までには帰れるように願うばかりである。

 


 

 そして今、俺はこうしてデビューの時を迎えようとしている。

 昨日もらったアドバイスを参考にしてデッキを組み立て、発声練習やラジオ体操を行い、おまけに小便も神様へのお祈りも済ませてきた。部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする心の準備はOKというやつだ。


「そろそろか……」


 俺の配信開始まであと10分。

 ブラウザを立ち上げると、最後に開いていたページが自動的に復元される。もうじき終わってしまう配信に悲しそうな表情を浮かべたざくろちゃんがそこにいた。


「あれ、もうこんな時間かー。全然物足りないなー。皆もそうかもしれないけど、この後22時からは私の同期のヒキー・ニッター君の放送だから、そっちを見てあげてね。ちなみにヒキー君は悪魔なんだって。こわーい!」


 ちょっとふざけた感じでざくろちゃんが言う。

 俺の名前を出してくれて嬉しい。なにより可愛いね、推せる。

 でも、なんかざくろちゃんのこのモデル、ヒキー・ニッターのものよりも出来が良くないか。まぁ俺だって同じ立場なら変な悪魔よりも可愛い女の子の方が作るやる気も出るけどさ。ちょっと夢花火の皆さん、悪魔差別は良くないですよ。


「ま、いっか」


 彼女は彼女。

 俺は俺である。

 

 ふと気づけばさっきまでは全然脳に情報が届かない状態だったというのに、モデルの出来にまで目が及ぶようになっていた。

 これも二葉さんが今もこの大都会のどこかで汗水垂らして働いていることを思い出したからだ。自分よりも苦しんでいる人がいる――じゃなくて、自分と同じように頑張っている人がいるのだから、俺も頑張らなければ。


 ざくろちゃんの配信を閉じて、俺の配信画面を開く。

 22時開始と表示されているそのページでは「初めまして、魔界の悪魔のヒキー・ニッターです」という簡素な配信タイトルがつけられていた。

 サムネイルも含めてあまり面白みがないなぁ、と思わないでもないが、それも含めて俺らしいのかもしれない。地道にして着実な一歩を、ここから始めよう。イチから、いいえゼロから!





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