1.とある闇恋勢の狂々愛歌
『俺くん、チャンネル登録者数77777人突破おめでとう!』
というタイトルで配信を始めたVtuberの名はヒキー・ニッター。
隈の目立つ目元、そんな目を覆うくらいに長く白い前髪。病的なほどに細長い体躯。この一見すれば不気味としか思えないような悪魔のことを、私は日ごろから応援しており、その配信を見ることを楽しみに生きていた。
そんな彼の今日の配信は凸待ち配信。凸とは電話で突撃するといった意味合いがあって――まぁつまり、誰か別の配信者が通話をかけてくるのを待つという配信だ。
……そのはずだったのだが。
「今日は来てくたさってどうもありがとうございます。お名前を伺ってもいいですか?」
「……」
「もしもし?」
「……あ、77777人突破おめでとうございます。ヒキー・ニッターさん。そして、どうも使い魔の皆さん、こんあくま。ゆめパズル四期生のヒキー・ニッターです」
「おお、ありがとうございます。というわけで視聴者の皆さん、ヒキー・ニッターさんが来てくださりました。奇しくも俺と同じ名前とはこれは運命的――」
「今日はお祝いのメッセージの代わりに歌を用意して来ました」
「あ、ちょっと勝手に話を進めないで」
「大地参拝」
「話聞いてます?」
合唱曲でお馴染みの例の曲をアカペラで歌い出すヒキー・ニッターを、慌てて止めようとするも無視されるヒキー・ニッター。
お前はなにを言ってるんだと思われているのかもしれないが、それはこっちのセリフだ。私だってこの配信の意味が理解できない。だって、凸待ち配信が始まったと思ったら、この悪魔は自分の録音と会話し始めたのだ。混乱しているのは私だけではない。コメント欄も同様だ。
『俺たちは何を見させられているんだ』
『凸待ち楽しみだったのに』
『助けてくれ』
『くるしい』
『何気にこいつが歌うの初めてじゃねぇか』
『大発見なんだが、ミュートにするとこの地獄から解放されるぞ』
そんな風に好き放題言われているが、その一方でこの配信には高評価がつけられていく。視聴者はツンデレということだろうか。まぁ、低評価も比例して増えていっているので、単純に賛否両論の状態になっているという線も捨てがたい。
そして、1人目の凸者が退場し、2人目の凸者のヒーコ・ニッターちゃんが「はわわぁ。お誕生日おめでとうございましゅー♡」と言って、コメント欄が『おろろろろろ』というリアルな嘔吐の音で覆いつくされる。配信に異変が起きたのはそんな時だった。
「では、折角なので今はいているパンツの色を教えて――あ、ちょっと待ってください。連絡が……って、え? うお、マジかこれ」
「ふええ、そんなこと聞くんですかぁ!? うわーん、ヒキーさんのえっちぃ♡」
「あ、ヒーコちゃんはちょっと黙っててください」
録音が「それどころじゃないんで」と止められる。
いったい何があったのだろうか、と耳を澄ませていると、ノイズのような音が走った後に、録音でもヒキー・ニッターのものでもない音声が流れた。
「……あんた何やってんの?」
その訝しげな声に悪魔が答える。
「凸待ち配信です」
「待ってないじゃない」
「どうせ誰も来ないのなら凸などいらぬの精神です」
「は?」
「なんでもないです。すみません」
威圧され謝罪するヒキー・ニッター。これだけでも二人の上下関係を垣間見ることが出来る。そして、このチャンネルの登録者であれば、おそらくほぼ十割に近い人間が、この女性の正体を看破していた。
「では折角なので自己紹介をお願いできますか?」
「そうね」
「こほん」と一つ咳を置いて、
「どうも皆さん、こんざくろ。ゆめパズル四期生の豊穣ざくろよ。今日もこうして配信してあげるから、ありがたく思いなさい」
画面に立ち絵が表示されると共に、ヒキー・ニッターの同期にして、フルーツの妖精の豊穣ざくろがそう言い放った。
ちょっと前までは可愛らしくてほんわかとしたキャラだったのだが、『ざくろ様ぁあああああああああ』というコメントが流れていることから分かる通り、今の彼女は女王様的なポジションに収まっていた。そこに至る経緯については長くなるので省略するが、私もあの一件でこのゆめパズルという箱を知ったくらいなので、恐らく彼女は自身のチャンネルの登録者数以上に知名度が高い存在なのだろう。登場しただけで場がざわつくのも必然だ。
「まさかざくろ様が来てくれるとは思いませんでした」
「私だって別に来るつもりなかったけど……この惨状見たら思わず通話かけてたわよ」
「惨状?」
「コメント欄の阿鼻叫喚見てなかったの?」
「見てましたけど、『ああ今日もみんな楽しんでくれてるなー』って思ってました」
「頭湧いてるの?」
「そこまで言います?」
「そりゃそうよ。だって……そうね、例えるなら、ジャイ〇ンリサイタルって感じだったわよ」
「それは……なるほど。すみません、完全に俺が悪かったみたいです」
視聴者にも「すみませんでした」と頭を下げるヒキーニッター。『よく言ってくださいました』、『このチャンネルを抜けてざくろ様のチャンネルに入ります』と歓喜するコメント欄。この二人の視聴者は兼任している人も多いので、配信のノリも自ずと熟知しているのだろう。
「77777人突破記念なんて言ってるけど、もうすぐ8万人行きそうじゃない」
「そうですね。おかげ様で」
「ついこの間5万人突破で大騒ぎしてたのに、最近の環境の変化は怖いくらいよね」
「まったくです。ざくろ様なんて、もうすぐ10万人でしょう?」
「そうね。……あの一件で引退まで覚悟したけど、諦めずにやってきて良かったわ」
「雨降って地固まるというやつですね」
「あんたの方は常に雨ごいしてて地面が乾く暇もないって感じだけどね」
「そんなことは……あるかもしれませんが」
例の一件の後もヒキー・ニッターは話題に事欠かなかった。つい先日も「配信中に18禁の広告が表示されてBANされかける」という事件を引き起こしており、そのアーカイブは非公開になっている。ちなみに該当箇所にモザイク処理がかけられた切り抜き動画は結構な再生数を稼ぎだしていた。
ともあれ、そうして互いの活動を振り返りつつ、今後の展望について語る同期二人を見て、コメント欄にはなんだかほっこりとした空気が流れていた。普段は女王様と犬のような関係性であるのに、時にはこうして対等な仲間としての姿を見せてくれるのが、一部のマニアにはたまらないらしい。きっと、この一連の流れも切り抜かれて、豊穣姉妹の絡みとはまた違ったタイプの「てぇてぇ」として嗜まれるのだろう。
だから、私は。
私は――。
「うわぁあああああああああああああああああああああ!!」
私は絶叫しつつクッションをベッドに叩きつける。それだけでは体の奥底から湧き上がる衝動が治まらず、シーツをミノムシのように巻き付けたまま、ゴロゴロと右に左に転がった。勢いあまってベッドから落ちた。
「ほぉじょお……ざくろぉ……!!」
むくりと起き上がり、憎き敵の名を呼ぶ。
地獄の鬼すら震え上がるような低い声音だ。そこらの公園で披露すれば子供が大泣きするに違いない。
私はヒキー・ニッターというVtuberを心の底から愛していた。それはこの部屋中に置かれた手作りグッズを見れば分かってもらえるだろう。ポスターやぬいぐるみに始まり、アラーム代わりにボイスが再生される目覚まし時計や、等身大サイズの抱き枕。私の人生の中心には彼がいるといっても過言ではない。いや、実際そうなのだ。今の私は彼のためだけに生きている。結婚したい。ツブヤイターのメッセージでは味気ないだろうと、週に一回は直筆の手紙を送り続けているのだが、ちゃんと彼のもとに届いているのだろうか。また一度も返事が届いていないので、すごく不安だ。
そんな私にとって、今日は神回になるはずだった。凸待ちと聞いたときは「ほかのやつの声を聞かなければならないのか……」とげんなりしたものだが、いざ始まって見ると、ヒキー・ニッターと録音のヒキー・ニッターが会話するというネタ回であった。最初は混乱したものの、よくよく考えてみれば、それはヒキー・ニッターを二倍楽しめるということである。あまりの幸福に耳が妊娠した。令和の聖母マリアとは私のことである。
今日は良い日になるはずだった。
そのはずなのに……。
画面の中では今も同期の二人が楽し気にトークを繰り広げている。認めたくないがこの二人の組み合わせはそこそこに人気があるので、視聴者の反応も上々だ。録音と会話を繰り広げていた時とは打って変わって、『草』は生い茂っているし、『切り抜き勢みってるー?^^』という煽りも飛び出すくらいの絶好調っぷり。
「コーン」と呼ばれる男との絡みを許さない処女厨はどこに行った。お前らの大好きなざくろが男と絡んでいるぞ。許せない、と叩け。叩いてくれ。こんな幸せそうな空間を私に見せつけないでくれ……。しかし、願っても一角獣は現れなかった。こんな時に限って神話上の生き物ばりの希少性を見せつけている。
目頭が熱くなって来たのを感じつつも配信を見ていると、豊穣ざくろが言う。
「そろそろ私もお邪魔しようかしら」
「えっ、もう行っちゃうんですか?」
「元々通りすがりにちょっと声かけただけだし、ていうか20分も話したんだから十分でしょう」
「あれ、もうそんなに話してましたか」
「そうよ。続きはヒーコちゃんとでも話してなさい」
ヒキー・ニッターが「そうしますかねぇ」と頷くと、コメント欄は『この後にまたあれに戻るとか、高低差で頭おかしなるで』とげんなりしていた。
しかし、豊穣ざくろは「それじゃ」と言ってから「あ」と思い出したようにして、また配信に戻ってくる。
「あんた、『あれ』のこと告知した?」
「あれ?」
「この前、マネージャーから言われたやつ」
「あぁー、あれですか。え、あれってもう言っても良いんですか?」
「ついさっき、ゆめパズルの公式ツブヤイターで情報出てたから、言ってもいいみたいよ」
「そうなんですか。教えてくださってありがとうございます」
「ん、どういたしまして」
「じゃ、おつざくろー」と言い残して今度こそ豊穣ざくろは去っていた。
それを名残惜しそうにしてから、
「……パンツの色、聞いた方が良かったんですかね?」
と、ヒキー・ニッターは呟いた。何故かは知らないがVtuberの凸待ちではパンツの色を聞くことが定番になっている。しかし、それは女性が女性に対して質問するから許されているという文化だ。事実、コメント欄では『それはガチセクハラだからやめろ』だとか、『お前が言ったらマジでクビになるぞ』と必死でその暴走を止めようとする声が流れている。自分で自分の録音にセクハラするのとは訳が違うのだ。
そんなコメントの流れを知ってか知らずか、「さて」と仕切り直す悪魔。
「先ほどざくろ様が言ってた通り、ゆめパズル公式ツブヤイターでもう情報が出ているそうなので、知ってる人は知ってるみたいですが……この度、ゆめパズル五期生のオーディションが開催されることになりました」
私はヒキー・ニッターを愛しているが、ゆめパズルには興味が無かったので、それについては初耳だった。しかし、本当に驚いたのはここからである。
「お、コメントでもその話題が出てますね……。そうなんですよ。今回のオーディションはなんと『公開オーディション』になるそうです。その応援大使として俺たち四期生は任命されました。詳細については公式ツブヤイターのお知らせご確認頂けますでしょうか」
公開オーディションという単語にコメント欄はざわついているようだった。この形式のオーディションは別のVtuber事務所でも実施されたことがあるのだが、その際はバーチャルの肉体に宿す『魂』を募集するという体でオーディションが行われ、ふるいにかけられた魂はネットの海の藻屑と化したため、「バーチャル蟲毒」という名で恐れられたものであったからだ。
今回ゆめパズルではどのような公開オーディションを実施するのか、今の私はまだ知らないが、なんにせよ、話題性と引き換えに、夢花火はなんらかの犠牲を強いられるような気がした。
――ただ、である。
「これはチャンスだ……!」
私にとってこれはヒキー・ニッターにお近づきになる絶好の機会だった。五期生になれば必然的にヒキー・ニッターの傍までいける。中の人と直接会うことが出来る。きっと、後輩として可愛がってもらえるだろうし、もしかしたら職場の仲間としてだけではなく、それ以上の関係になることだって――
「ふひ、ふひひひひひひ!」
妄想が止まらない。それに、これはきっとただの妄想では終わらない。
私はVtuberのオーディションを受けたことがないが、愛ければ必ず合格できるという自信があった。ましてや公開オーディションなんてものであれば、はっきり言って『ヌルゲー』だ。この世界において、私とこの手のオーディションを争って勝てる人間なんて存在しない。だって、私は私だから。勝敗は私が参加を宣言した時点で決まっているようなものなのだ。
「待っててくださいね。ひきぃにったぁさまぁ……♡」
愛しの彼の配信を眺めつつ、私は応募フォームを開く。いくつもの入力欄が目に飛び込んできたが、私にはそれが婚姻届けにしか見えなかった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
スクロール回数とか視線の移動距離が多くなるのが嫌だったので台詞と台詞の間の改行はしない形をとってたんですが、Extra書いてる時に「本編も改行入れた方が見やすいかもなー」と思ったので、今回から試験的に改行を入れてます。違和感なければ今後もこの形をとりますので、ご理解のほどよろしくお願いします。




