23.俺の財宝か? 欲しがってもくれてやらねぇ。
エレベーターから降りて夢花火のオフィスのあるフロアへ踏み出すと、ホールにいた男性と目が合う。柔和な雰囲気のあるその人は、眼鏡をかけ直してから「おや」と目を見開いた。
「これはこれはヒキー・ニッターさん。お勤めご苦労様です」
「……その言い方は勘弁してくれませんか?」
「すみません」と言いつつも笑顔を見せる彼の名は四十万巧。ゆめパズル二期生の白羽すばるの中の人だった。
「そうか。もうあれから一か月が経つんですね」
「はい。早いもので」
『あれ』とはつまり、俺がざくろちゃんとのやりとりを無許可で配信した件のことだ。そして何故「一か月」という期間が強調されていたり、「お勤めご苦労様」なんて言葉を持ち出されているのかというと、あの件で俺は一か月の間、他のVtuberとのコラボをしないように会社から言い渡されていて、そのことを四十万さんは知っていたからだ。
いや、もっと言えば本当はコラボ予定があったのに、俺のせいで白紙になったという経緯があったせいな訳で……改めてそのことを思い出した俺は、即座に頭を下げる。
「この度は四十万さんにも多大な迷惑をおかけしまして、本当に申し訳ございません」
「ああ、いやいや、僕は全然気にしてません。むしろ、この程度の処罰で済んで本当によかったですよ。……正直、ようやく出来た同性の後輩がもう卒業することになるのか―って、ちょっと切ない気持ちになってましたし」
俺もこの処遇には正直驚いていた。だってそもそも俺はコラボ配信なんて四十万さんと数回やった程度だったわけで、それを一か月禁止するだけで済むというのは、処罰の内容としてはあまりにも軽い。そして、その程度で済んだ理由はまだ明確にはなっていないが……きっとそこには俺の優秀なマネージャーの存在が絡んでいるのだろう。
上層部に謝りにいった際、俺が独断で行った例の配信はいつの間にか「ざくろちゃんを辞めさせないように二葉さんと一緒に決めた苦肉の策」という扱いになっていた。当然俺は否定しようとしたのだが、二葉さん自身に「今さら話の一部に嘘があるだなんて言ったら、心証が悪くなるのでやめてください」と止められてしまった。だから、結果的には運営側にも問題があるということになり、俺個人への処罰が軽くなったのかもしれない。
やっぱり二葉さんは最高だ。足を向けては寝られない。なので住所を教えてください。ついでに毎日「ありがとう」という言葉をしたためた手紙をポストに投函します。それこそが最大限の感謝の気持ちを表す新時代のお百度参りになるでしょう……。念のために言っておくが、これをやったらストーカーとして警察に突き出される羽目になるので、良い子は真似しないように。
「今日は前々から告知してたいた例の配信というわけですね?」
四十万さんの質問に、俺は胸を弾ませて「はい!」と答えた。
「もうデビューから四か月も経ってしまいましたが、ようやくですよ」
「いやぁめでたい! ……まぁそれだけ時間がかかったのは僕ら二期生のせいというのが多少含まれているので、気軽におめでとうとは言い辛いところではあるんですが」
「い、いいですよ、普通に祝ってください」
なんにせよ、だ。
「四期生コラボ配信……とうとう実現できる日が来たんですよねぇ」
噛みしめるようにして俺は言う。
そう、今日の19時からは俺とざくろちゃんとスイカちゃんの三人による、ゆめパズル四期生コラボ配信が実施予定となっているのだった。
不遇の二期生の影響、ざくろちゃんの炎上、俺のやらかし……色々あったせいで実現までこんなに時間がかかってしまったが、とうとう俺たち四期生全員が揃って視聴者の前に出られる時がやってきたのだ。こんなに喜ばしいことは無いだろう。
「僕もその配信、家から見させてもらいますよ」
「ありがとうございます。精一杯頑張ります」
「でも、オフコラボかぁ。実は僕はまだオフコラボはしたことないんですよね」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。外部とやるならやっぱりオンになりますし、ゆめパズルの誰かとやるにしても、『推しに近づくな』って視聴者が荒れそうですしね……ほら、僕って極悪人なんで」
苦笑いするしかない。相変わらず息をするように自虐が飛び出す人だ。
ちなみにオフコラボとは実際に現実世界で顔を合わせた状態で配信をすることを指す。今回俺たち四期生は夢花火の配信専用部屋を借りて配信することになっているので、こっちに該当するわけだ。逆にオンコラボはボイスチャットツールを用いながらオンライン上で通話しながら配信することを指す。今までの俺と四十万さんのコラボ配信はオンコラボというわけだな。
このオンとオフの概念、Vtuberはバーチャルの住人で中の人なんていないという概念が壊れている気がするのだが、恐らく俺なんかが口を挟んではいけない領域なのだろう。全身黒ずくめでサングラスをかけた男たちが「ピカッ」と光る謎の機械で記憶を消去してくるまである。
そんなことを考えていると、四十万さんが「あっ」となにかを思いついたように手を叩く。
「折角なんて今回白紙になったコラボの件、オフコラボにしてみませんか?」
「あー、なるほど。そういうのもありかも知れませんね」
「でしょう?」
「でも、元々は特に肩肘張らずにゲームでもやるつもりだった訳ですが、そこら辺はどうしましょう?」
「企画については僕に任せてください。オフコラボ用のやつ、考えてきますんで」
「えっ、そんな、悪いですよ」
「いいんです、いいんです。これでも僕は先輩なんでね。泥船……じゃなくて大船に乗ったつもりでいてください」
一番言い間違えてはいけないやつを間違えた気がするのだが、そこは笑って流すことにした。
俺たち四期生が入社してから4か月と少し。それまで4か月周期で新人を追加してきたゆめパズルであったが、五期生の募集までにはこれまでよりも若干多く間を置いている。しかし、近々募集を始めるかもしれないという噂が社内には流れ始めていた。もしも本当に五期生の募集が始まり、それを勝ち抜いた後輩が目の前に現れた時、俺は、この頼もしくも親しみやすい先輩のように振舞うことが出来るのだろうか、と不安と期待が入り混じったような気持ちが胸に沸いた。
都内某所の焼肉店、店内にはすでに肉を焼くにおいが充満していて、その場にいるだけで空腹が刺激される。俺の目の前にはテーブル越しにざくろちゃんとスイカちゃん――会社に全く関係のないこの場では、鹿島さんと桑島さんと呼ぶべきか――が並んで座っていた。俺たちはそれぞれが自分の分のグラスを手に持つ。
「えっと、誰が乾杯の挨拶する?」
「誰でもいいわよ。だから本条、あんたがしなさい」
「ええ……こういうのあまり得意ではないんですが」
「あ!?」
魔王の眼光に俺は「ひ、ひぃ」と小さく悲鳴を上げる。
誰でもいいと言ったはずなのに、嫌がる人にやらせるそのスタイル……ふっ、嫌いじゃないぜ。
「では」と咳を一つ置いて、
「えー、ただいまご指名頂きました本条一仁と申します。僭越ながら乾杯の音頭をとらせて頂きます。今回は楽しみでもあり、不安でもあった四期生コラボが無事成功したことを祝して会が開かれたわけではございますが――」
「――長い! つまんない! 乾杯!!」
「かんぱーい♡」と二人だけでグラスを鳴らす鹿島さんと桑島さん。
……こうなることは知っていた。だから別に悲しくはない。おや、今日のメロンソーダはちょっとしょっぱいんだな。ソルト風味なんて初めて飲んだぞ。これはこれで美味しいね。
そんな俺の姿を見て、鹿島さんは言う。
「あんた、本当にお酒飲まないのね。まったく飲めないの?」
「飲めないわけではないですが、俺にとってお酒とは会社の飲み会に現れる試練とも言うべき存在です。飲まなくて済むのなら、飲まないという選択肢を取ります」
「……結局、どういうこと?」
「飲めないわけではないのですが、苦手なので飲みません」
「なら最初からそう言いなさいよ」とジト目を向けられる。
でも、いいんだ。仕事の付き合いの会食なのにお酒を飲まなくて済むだなんて、こんなに嬉しいことは無い。ビバVtuber生活。Vtuberになってから一番得したことというアンケートがあったら、真っ先に書くレベル。
そうこうしていると、先程注文していたお肉が届けられた。カルビにロースに牛タンにとなんでもござれ。机いっぱいに並べられていくお肉に一番興奮しているのは桑島さんだった。
「ね、ね、もう焼いて良い? 焼いて良い?」
「いいわよ。でもちゃんと野菜も食べるのよ。バランスよくね」
「分かってるよー。サンチュ好きだから、野菜もいっぱい食べるよ!」
「なら良し。私が焼いてあげるわね」
鹿島さんがトングで肉を鉄板の上に並べ始める。煙を立てつつ豪快な音を立てるその光景に桑島さんが「わぁー!」と嬉しそうな声を上げた。あまりに微笑ましくも可愛らしいリアクションだったので、俺もそれを真似して「わぁー!」と両手を頬に当てつつ言ってみる。鹿島さんの口が「……すぞ」と動いたような気がした。今のは俺が悪かったかもしれない。
「Vtuberの打ち上げは焼肉と相場が決まっていると聞いたときは意味が分からなかったんですが……実際、来てみるとテンション上がりますね」
「でしょう? 先人の教えには従うものよ」
多くのVtuberは打ち上げで焼肉を選ぶらしいが、その理由は解明されてないらしい。そして、その謎を解き明かした者は富・名声・力。この世のすべてを手にし、焼肉王と呼ばれることになるのだという。ふふふ、そうだ。よく分かったな。俺は今めっちゃ適当に話をでっちあげているぞ。……あっ、いたっ。ごめんなさっ、石は投げないで!
「はい、どーぞ」と言いながら焼き上がったお肉を桑島さんの小皿に乗せていく鹿島さん。恐る恐る俺も自分の小皿を中央に寄せてみると、案外素知らぬ顔で同じようにお肉を乗せてくれた。チャレンジしてみるものだな。
「おいしー♡」
落ちそうなほっぺを抑えつつ桑島さんは言う。うむ、たしかに美味い。あのざくろ様が焼いてくれた肉だと思うと更に美味い。さぁ、余のためにそのままひたすらに働くがよいぞ。なぁんてことを言ったら俺の顔面が鉄板で焼かれるだけなので、胸中にとどめておくんだな、これが。
「実はマネージャー……二葉も来たらどう? って誘ったのよね」
「え、そうなんですか?」
鹿島さんはこくりと頷く。
「でも、誘ってくれるのは嬉しいけど、まだ仕事があるからって断られちゃった」
「あー」
社畜の波動を感じる。多分そのうち背中に「天」の文字が刻まれて、一瞬で残業を滅ぼす技が使用できるようになるのだろう。
「二葉さんには俺もずっとお世話になりっぱなしなので、なにかお礼が出来たらいいなとは思うんですけどね」
何の気なしにそう言ったのだが、鹿島さんからの反応がない。どうしたものかと視線をお肉から離して見上げると、なんだか不思議なものを見るような目を浮かべていた。
「なんですか?」
「いや……あんたって二葉のことを二葉って呼んでるわよね。理由はたぶん、私も知ってるやつのせいだと思うけど」
「ああ、はい。本人の希望で」
苗字であまり呼ばれたくないというのを発端として、まぁ……色々あってそうなっている。
「言われればそうするの?」
「そういう訳でもないですけど」
「違うんだ」
「……そういう訳でもあるかもしれないですけど」
「どっちよ」と鼻で笑う鹿島さん。
激流に身を任せ同化するのが本条神拳の極意なのだ。「NOと言えないだけでは?」とかいう指摘は俺の経絡秘孔を突いて「あべし」となるのでやめてくれ。
トングを自在に操りお肉を焼いたり小皿に取り分けたりしながら、鹿島さんは言う。
「そういえば、私ってあんたに名前教えてないわよね」
「そうでしたっけ」
「そうよ。教えたくないから教えなかったもの。知らないはずよ」
「なるほど……?」
教えたくなかったっていうのは、それはつまり「あんたなんかに教える名前はない」ってことなのだろうか。俺は「悪党に名乗る名前などない」と言われて瞬殺されるような小悪党ってことなのだろう。切ないわね。
言葉を失っている俺に気付いたのか、鹿島さんは「あっ」とほんの少しだけ焦りを見せて、
「別にアンタが嫌だから教えなかったとか、そういうわけじゃないわよ。二葉と同じ理由」
「同じ、ですか?」
「私の名前……笑理っていうのよね。鹿島笑理。よく笑う子になってほしいっていうので付けられたらしいんだけど……私はそういう感じじゃないし、それにちょっと字面が可愛すぎるから、名前負けしてるって思われるのも嫌だなって」
「笑うに理系の理でえみり」と漢字も併せて教えてくれる。俺はそんなに自分の名前に対して深く考えたことは無いのだが、皆色々と事情を抱えているものなのだな。
「鹿島さんにお似合いの良い名前だと思いますが」
「そう? お世辞でも嬉しいわ」
そう事もなげに言ってから、俺と視線を重なり合わせて、
「鹿島さんって言い方、他人行儀だと思ってたのよね。良い機会だから、私のことも名前で呼びなさいよ」
と鹿島さんは言ってのける。
俺が思わず「え」と漏らすと、「ん?」と首を傾げた。
「名前で、ですか? それは、うーん……」
「なに? 良い名前なんでしょ? 言われればそうするんでしょ? だったらいいじゃない」
「いやまぁそれはそうなんですけど」
「二葉は良くて私は駄目なんだ?」
「……そういうことでもないんですけど」
「あーあ、そっか。そういうこと。本条にとっては同期との絆よりも、マネージャーとの絆の方が大事だって、そういうことなんだ。悲しいな、せっかく四期生コラボもして、これから仲良くやって行こうって思ってたのに、いきなり足並み乱されちゃった」
ええ……どうしちゃったのこの人。急に怖い人から面倒くさい人になっちゃったんだけど。
わざとらしく悲しんだ振りをする鹿島さんは、それでもなお肉を焼き続ける。気付けば俺の取り皿にはこんもりと焼き上がった肉が乗せらていた。「これはお肉のチョモランマやー!」ってやかましいわ。
とはいえ、きっとこのまま黙ったままでいても許してはくれないのだろう。俺は意を決し、いつもより重みを感じる口を開いた。
「俺にとっては同期との絆も、マネージャーとの絆も、どっちも同じくらいに大切なものです。だから、勘弁してくれませんか……笑里さん」
冷や汗をかきながらもなんとか言い切った俺を見て満足したのか、
「――ん、許す」
と笑里さんは満面の笑みで言った。その表情は名前の通りに笑顔の似合う、素敵な女性のものだった。
打ち上げの方がさっきまでのコラボ配信よりも疲労しているのは気のせいじゃないんだろうなーと思いつつ、チョモランマを切り崩そうとしていると、視線の端に妙な動きをしている物体がちらりと映った。妙な物体という良い方は失礼か。桑島さんが「はわわ。はわわ」と言いながらソファの上でゴムまりのように弾んでいた。その顔は真っ赤になっている。いったい何事か。
「穂乃花、あんたどうしたの?」
「だ、だだだだ、だって、笑里ちゃんが名前で。名前さんが本条ちゃんを笑里で!?」
「落ち着いて。ほら、一回お水飲んで、ね?」
笑里さんがその手に持ったコップを近づけると、桑島さんはこくこくと喉を鳴らしながら水を飲んでいく。やがてその全てを飲み干すと「ん、ぷはっ」と言って口からコップが離れた。その際に1滴の雫が唇から垂れていって、それがなんだか――なんだろう。あたしまだアラサーだからわかんなーい。マ〇メロ苺食べたーい。
「落ち着いた?」
「おちつ……いてないよ! 笑里ちゃん、急にすごいことしないでよ!」
「すごいことって?」
「え、だって……男の人に名前で呼ばせるなんて、そんなの、そんなのぉー」
もじもじと身をよじらせる桑島さん。
俺こと29歳男子のマ〇メロにはその気持ちがよく分かる。俺も一緒にくねくねしちゃおうかしら。
しかし、笑里さんは急に俺に向き直る。
「本条、穂乃花のことも名前で呼んであげなさい」
「えっ」
「笑里ちゃん!? だ、駄目だよ、そんなの!!」
「なんで駄目なのよ。同期としての仲を深めるだけ。それ以上の意味なんてないわ。穂乃花だって私のことを笑里って呼んでるでしょ。同じことよ」
「で、でもぉー……」
「それとも、むっつりな穂乃花ちゃんは別のことでも考えているの?」
「む!? む、むっつりなんかじゃないもん!」
「嘘よ! こんな体しておいて、そんなわけないでしょ!!」
「か、体は関係ないって――あ、ちょっ、だめ……ダメぇええええええ!!」
押し倒される直前、救いを求めるような目を桑島さんは俺に向けていたが、俺にはどうすることもできない。だって、仲良くする女の子の間に挟まることは重罪なんだ。それは地球が教えてくれている。そんなことをしてしまえば、地上最強の生物にボコボコにされてしまうんだ。
極上のてぇてぇを調味料に、俺は肉を食う。色々問題はあったが、最終的にはこうして全員が笑っていられるハッピーエンドを迎えられたのだから、それ以上を望むのは野暮というものだろう。もしも今この瞬間、一抹の不安があるとするならば、公序良俗に反しているとして店員が俺たちを叱りに来るということなのだが、まぁそれはそれ。美味い肉と最高の仲間。それさえあれば万事オッケーなのである。




