22.とある妖精の過去未来
小学生の頃、私のクラスの中心にはいつもその子がいた。
皆の憧れとでも言うべきだろうか。例えばその子がランドセルにアクセサリーを付けていたらランドセルにはアクセサリーを付けるのが常識のようになったし、その子とお揃いのものを使いたいって子ばかりだったから、授業中にふと横を見ると、女子の手には一様に水色のシャープペンシルが握られていた。当時の私の世界はそういう世界だった。
ある日、その子がさくらんぼの髪飾りを付けてきた。周りの女の子たちは口々に「かわいい!」とか「似合ってる!」と言う。なんとなしにその光景を眺めていると、中心にいたその子と目があった。そして、「鹿島ちゃんはどう思う?」って訊いてくる。だから、私は正直に答えた。
「全然似合ってないし、可愛くないと思う」
だって、本当に、これっぽっちも似合ってなかった。
そもそも小学生高学年にもなって、あんな幼稚園児が付けるようなデザインの髪飾りを付ける意味が分からない。ただでさえその子は大人っぽい顔立ちをしていたから、すごくミスマッチであるように見えた。別の髪飾りを付けた方がよっぽど可愛くなれる。なんだったらシンプルなヘアピンだけにするくらいの方が、素材の味も生きてくるというものだ。
他の子たちだって本音ではそう思っていたはずなのに、私の一言で教室内の空気は凍った。親の仇のような目つきでその子が私を睨む。しばらく膠着状態が続いたが、休み時間の終了を知らせるチャイムが鳴ったことで、ここぞとばかりに周りの子が散り散りになった。私とその子の視線のぶつかり合いもそれで解除された。元々うまく馴染んていたとは言えない方だったけど、恐らくこの一件を皮切りに、私は以後卒業するまで学校で存在しないものとして扱われた。
大人になった今なら「空気を読まなかった私が悪い」と断言できるのだが、当時の私は「なんで正直でいる私の方が損をするのか」と憤慨していた。仲間外れにされても平気だったのは、周りの人間の方がおかしいと、本気でそう考えていたからだ。そんなはねっかえりだったからこそ、不登校などにもならずに済んだとも言えるが……タイムマシンがあれば「もう少しくらい上手く立ち回れ」と小学生の私にお説教をしてやりたい。
ともあれ、そういった経験があったせいか、私は極力自分というものを出さないことに決めた。ただ、本当に長い付き合いになりそうな場合は、あらかじめ本性をさらけ出しておくことにしている。後になって素が出てしまった時に「最初は良い人だと思ってたのに、実はそういう人だったんだね」と見限られるのが何より怖いからだ。それならば最初から嫌われていた方が楽だし、私の精神上の予防線にもなる。嫌われて当然なのだから、嫌われてもなんとも思わないぞ、と自分自身に言い聞かせられる。
私は自分があまり好きではない。
なんでこんな自分に生まれてきてしまったんだろう、と時折考えたりもする。
空気を読むっていう、他の人たちは当たり前のように出来ていることを、私だけはものすごく努力しないと出来ない。あるいは他の皆も表に出さないだけで苦労しながらやっているのかもしれないけど、だとすれば、誰でもいいから私はそのコツを伝授してもらいたい。どうしたら普通でいられるのか。どうすれば普通だと認めてもらえるのか。世界の異物でしかないこの私を、皆の輪の中に溶け込める術を、どうか。
「そろそろ時間ね……」
時計を確認すると、配信開始の時刻がもう数十分後に迫っていた。
本格的に炎上をしてからは配信をしていない状態だったので、視聴者の前に直接姿を現すのは数週間振りとなる。そのせいかどうやら注目度は高いらしく、私の普段の配信は数百人程度の同時接続数だというのに、待機所にはすでに数千人の人が待ち構えていた。こんな状況ではこれっぽっちも嬉しくはないが。
今日の配信の内容について、会社からは特に何の指定もない。ただ自分の思いを正直に語ってくれ、と言われている。
ここまで炎上したのにそれでいいのかとも思ったが、それはどうやらマネージャーの働きがあってのことなのらしい。私の意志に委ねるように上に働きかけてくれたようだ。前に本条が彼女のことを「出来る人」と称していたが、それは嘘偽りない真実だった。その働きを無駄にしないためにも、私は今回の件についてしっかりと思いの丈を視聴者に伝えなければならない。
しかし。
「……何を話せばいいんだろ」
肝心のそれが分からない。
だって、私自身が今どうしたいのか、気持ちの整理がついていないのだ。
先日の本条による無許可配信のせいかおかげか、世間の私を叩く声は明らかに減っていた。とにかく人を陥れたいという人はヒキー・ニッターを糾弾する方に移ったということもあり、元々本題となっていた私のツブヤイターの一件は擁護の声と批判の声が五分五分にまで来ている。つまり、「上に行くなら他のVtuberを蹴落とすくらいの覚悟が必要になってくるのだから、あれくらいは良いだろう」という声と、「どんな理由があったとしても、過去の発言だったとしても、客や同業者を貶すようなことを企業Vtuberが言ってはならない」という意見のぶつかり合いだ。
ただ、それに加えて、豊穣ざくろというキャラクターと、私という中の人のキャラクターがあまりにも乖離していることがあの配信で暴露されてしまったので、そこが新たな炎上案件となっているという節もある。
結局のところ、今日私が話す内容によっては、また炎上が悪化する可能性は十二分に孕んでいる状態なのだった。上手く立ち回ることが出来れば炎上が鎮火する可能性があるのも確かだが……やっぱり私は自分がどうしたいのか分からない。本条が言った通り、楽しんで配信が出来るならそれに越したことは無いのだが、そんなのは何度考えても甘い幻想だと思ってしまう。私が楽しむということは、私が自分の本性をさらけ出すということであり、それはつまり――嫌われ者の私を表に出すということなのだ。そんな恐ろしいことをする勇気が、私にはない。
「きらめきちゃん、私はどうすればいい?」
壁に掛けてある「天道きらめき」のポスターに向かって私は言う。
私は彼女の隣に立ちたい。そして、同時に、私は彼女のようになりたい。
誰よりも可愛くて、皆に愛されていて、見る人に希望を与えてくれるようなVtuber。そんな風に私もなりたかった。人間の私は嫌われ者だけど、Vtuberというペルソナを被れば、もしかしたらそうなれるかもしれない、と分不相応な夢を見た。
きらめきちゃんは何も言わない。何も言ってくれない。それはそうだ、だってそこにあるのは天道きらめきではなく、ただの壁紙でしかないのだから。私の問題は私が解決するしかない。
――でも、それでも、いつものように、少しだけでいいから、私に勇気を分けてね。
私はツインテールを結ぶ。きらめきちゃんとお揃いの髪型。最初は少し悪目立ちしそうだな、なんて思ったけど、今となってはこれこそが私の勝負服なのだと胸を張って言える。冷えきっていた手が温かみを取り戻していく気がする。
「きらめきパワーで、えいえいおー」
最後にきらめきちゃんのお決まりの挨拶を口にして、私はパソコンの前へと向かった。
配信が始まると、即座にとてつもない速度でコメントが流れた。同時接続者数は1万人を超えている。ゆめパズルの先輩方の視聴者は勿論、普段はVtuberの配信を見ていないような人も、興味本位で見に来ているのだろう。こんな環境で配信を行ったことがないせいか、まだ一言も発していないのに体が強張る。
とはいえ、いつまでも黙っていてもしょうがない。意を決して私は口を開く。
「こんばんは。豊穣ざくろです。皆さん、お久しぶりです」
震える声で短く挨拶を済ませると、たったそれだけの言葉にも関わらず、コメント欄は激流のような速度を見せた。その内のいくつかをどうにか拾う。
『久しぶり!』
『待ってたよー』
『この前のヒキー・ニッターの時と喋り方が全然違うね』
『アンチのコメントに負けないで』
『とりあえず謝れ』
全体を見れば応援をしてくれるコメントの方が多いが、ちらほらと批判めいたコメントが書き込まれているようであった。私の配信というホームグラウンドであることを考慮すれば、やはり世論は五分五分といったところなのだろう。きっと7chだとかではまた別で実況が行われており、そっちでは逆の比率で書き込みが行われているに違いない。
「この度は皆さんに多大なご迷惑、ご心配をおかけしてしまい大変申し訳ございません。過去に企業Vtuberとしてあるまじき発言があったのは事実です。以後はこのような不用意な発言や書き込みが無いように、細心の注意を払って活動いたします」
ツブヤイターの件について謝罪するということは「中の人」の存在を認めるということになるので、本来ならばやってはいけないことだろう、しかし、私はここについてはしっかりと謝罪しなければならないと考えていたので、そう口にした。案の定、『前世のカミングアウトしていいのかよ』という指摘が来る。ただ、不適切な発言があったことは認めるが、それがツブヤイターであることは明言しないというのが、私にできる最大限の譲歩だったので、それに対して直接返答をすることはしなかった。
そうして、謝罪の内容について吟味がなされる中、『以後も活動するってことは、引退は無しってことで良いんだよね?』というコメントが流れた。私はそれを読んで息をのむ。正直なところ、定型文的な謝罪の言葉だったので、その中に引退の有無を表すような意味合いが入っていることが想定外だったのだ。
「引退については……すみません、正直まだ迷っています」
『え?』という反応がいくつか返ってくる。
「ここにいる方はこの前のヒキー・ニッターさんの配信を見たという方もほとんどだと思いますけど、それはつまり、私という人が本当はどういう人だかを皆が知ってしまったということです。その上で、まだこの私……豊穣ざくろを応援できますか?」
嫌われ者の私。口が悪く傲慢で、思ったことをすぐ口に出してしまうような私。
それが豊穣ざくろの正体だと知って、その上で皆はまだ私のことを応援してくれるのか。
その疑問の答えに、私はあまり自信がなかった。
見ると、『どんなざくろちゃんでも応援する』や『案外すぐ慣れるかも』というコメントが流れている。でもどこか上辺だけのものに感じてしまい、私はそれを信じることが出来ない。きっと、自分を信じられていないから他人を信じることも出来ないのだろう。そうした流れの中で『結局引退するの? しないの?』という質問が――もしくは曖昧にぼかし続ける私に嫌気を刺したような催促が来る。
「……引退は、正直したくないです。やっと夢見てたVtuberになれて、きっとこれが私の人生で最後のチャンスだって思うから」
でもそんなのは私の一方的な願いでしかなく。
「私のような人間が一緒にいることで、他のゆめパズルの方々に迷惑をかけてしまうかもしれません。いえ、すでに迷惑をかけています。たとえばヒキー・ニッターさんは滅茶苦茶なことをしたように思ってる人もいますが、あれも結局私のことを想ってやってくれたことですから」
私に向けられていた悪意の半分を肩代わりしてくれている。本条がやったのはそういうことだ。
「それに……今まで好きでいてくれた人が私の本性を知ったことで嫌いになってしまうかもしれません。嫌いになられるのも怖いですが、それ以上に、今まで私を応援してくれた人に『応援していた時間は無駄だった』と、楽しんでいた時間まで意味のないものだったと思わせてしまうことが申し訳ないんです」
だから、私は。
「だから、だから、私は――引退したくないけれど、引退しなくてはならないのではないかって……そう、思っています」
色んな人に引退するかしないかを訊かれて、私は決定的な返答を避けてきたが、つまりはそういうことだ。私はこれからも皆と一緒にいたいけど、私のような人間はいなくなったほうがいい。自分自身でも分からなかった本心は、そんな情けなくてみっともないものだった。だからこそ、無意識のうちに答えを導かないようにセーブしていたのかもしれない。
『辞めないで』
『引退したくないならしなくていいじゃん』
『今もこれからもずっと好き』
胸を温かくしてくれるようなコメントだ。こういった言葉を信じられればどれだけ楽になれることだろう。
しかし、どうしても卑屈な私が邪魔をする。こんな調子のいいこと言っていたって、その次の瞬間には批判の言葉を飛ばすんだろう、と身構えてしまう。だって、私は今回の炎上でそれを学んだのだ。私のことを応援してくれていた人が、そのアカウントのままで『幻滅した』と、『もっと苦しめ』と書き込んでいる姿を見て、ネットの世界はそんなものだということを思い知らされていたのだ。
――でも、それでも。
信じたい。信じさせて欲しい。
私が私のままでいて良いと言って欲しい。
そして、それが嘘ではなく本心だと証明して。
どうすればそんなことが出来るのかは分からない。
自分でもバカなことを言っていると分かっている、
それでも望まずにはいられない。
助けて、と心の底から声がする。
だから、どうか神様。
……いや、もうそれが誰であっても構わない。
私のことを救ってみせて。
たとえそれが、人ならざる者であったとしても――
そうして滲んだ視界の中で無数のコメントが流れていくのをただ見送るしか出来ず、私が何も言えないままでいると、一つの赤い帯が表示された。それはつまり1万円以上のハイパーチャットだ。こんな時だというのに、いやこんな時だからこそ、「まずい。収益設定を剥がし忘れた」という焦りの気持ちが生じた。こういった内容の配信で収益設定をすると「謝罪配信で金を稼ぐとか、本当に謝る気持ちがあるのか」という叱責を受ける可能性があるからだ。だから、本来は読み上げなければならない高額ハイパーチャットに対して、私はスルーするかどうするか決めあぐねていたのだが。
「――は?」
その内容に、その発言者に、私の口からは思わずそんな言葉が漏れ出していた。
【癖になってしまったので、また罵ってください。ざくろ様~】
ヒキー・ニッターだ。
ヒキー・ニッターが見るからに馬鹿らしいリクエストをしてきている。
このハイパーチャットにはコメント欄の人たちも怒り心頭の様子だった。
『あ?』
『空気嫁』
『gmカスボケ悪魔』
『ふざけていい時とそうじゃない時の判別くらいつけろ』
『56すぞ』
『絶対お前の配信荒らしてやる』
さっきまでのしんみりとした雰囲気が嘘のように殺伐とするコメント欄。私の配信なのに、コメントの対象はヒキー・ニッター一色である。私も自分自身のことを空気が読めない人間だと自覚しているが、流石にこの男よりかは随分とマシ――
と、そこまで考えて、「いや」と思い直す。
果たしてこの発言は空気を読まない発言だったのだろうか。
違う、そうではない。あの男はどちらかというと空気を読むタイプだ。
空気を読んだ上で……その空気を破壊しようとしてくるような奴だ。
そう前提を変えた上で改めて私は改めてヒキー・ニッターからのハイパーチャットを読み返す。「癖になってしまったので、また罵ってください。ざくろ様~」という短い一文。一見すれば「お金を上げるから罵ってください」というドMの変態からのセクハラじみたメッセージ。
だがしかし、この発言の本当の意味とは、つまり。
「――あはっ! あははははははは!」
私は腹を抱えて笑ってしまう。やつの言いたいことが分かった。分かってしまった。それが愉快で、嬉しくて、笑うのが止められない。ぽたぽたとこぼれ落ちた液体が机の上にまだら模様を作る。目元をぬぐってから配信画面を確認すると、『ざくろちゃんがおかしくなってしまった』というコメントが流れていた。
たしかに私はおかしくなってしまったのかもしれない。こんなやつのこんな言葉をこんなに喜ぶ人間なんて、恐らく世界中探しても私一人だけだろう。でも、それは仕方のないことだ。だってそれは私だけに充てた私のためのメッセージ。つまり、優しく可愛らしいざくろちゃんではない。人を容赦なく罵るような私――『ざくろ様』でいてくれ、とあの男は言ったのだ。
きっとただ優しい言葉をかけられただけでは私は納得しなかっだろうけど、空気を……私の心の壁を壊して、その上で投げかけられた言葉が、私の胸の奥にクリーンヒットしてしまった。バカっぽくて、意味が伝わり辛くて、だからこそ、その言葉を信じられると思ってしまったのだ。
今こうして正解を見せつけられたことで分かった。私が子供の頃にしなければしなかったことは、空気を読んで『似合う』と言うことでもなく、空気を読まずに『似合わない』と言うことでも無かった。相手の意思を尊重した上で「この髪飾りも似合うと思う」と言ってプレゼントすることだった。それであれば、だれを傷つけることもなく、私は自分自身の意思を曲げずに済んだ。空気を読むのではなく、空気を壊せばよかったのだ。
「みんな、今まで豊穣ざくろを――『ざくろちゃん』を応援してくれてありがとう」
私は言う。そして、さらけ出す。
自分の気持ちを。本当の自分を。
「きっと、ざくろちゃんだったから私のことを好きでいてくれた人もたくさんいると思う。そんな人たちにとって、私の選択はもしかしたら『裏切り』になってしまうかもしれない。失望してしまう人もいるかもしれない」
だけど。
「もう一度、もう一度だけ、再出発することを許して。今度はもっとありのままの私で……本当は口も悪くて、我がままで、意地っ張りな私なんだけど――そんな『ざくろ様』として、これから活動させて欲しいの」
私のそんなリスタート宣言にコメント欄は賛否両論な状態になっている。下手をすれば批判めいたコメントの方が多いかもしれない。そんな中で、一つのハイパーチャットが表示された。それは、私の大好きな同期の妖精からのメッセージ。
【これからもずっと一緒に】
この先私が歩む道はきっと茨の道だ。たくさんの苦難が待ち構えているだろうし、こんな道を選ばなければ良かった、と後悔する日が来るかもしれない。
でも、今だけはその道が光り輝いて見えた。だって、私の隣には二人も仲間がいる。変人の悪魔と、可愛らしい妖精の妹。私が私のままでいることを許してくれるこの二人がいれば、私はもう迷わずに前へ進んでいけるのだと思うから。




