21.いともたやすく行われるえげつない配信
休憩室で繰り広げられるどったんばったん大騒ぎ。その音の主は一組の男女――まぁつまり俺とざくろちゃんだ。
「待ちなさい!」
「ま、待ちません!」
中央に置かれているテーブルの周りで追いかけっこをする俺たち。気分は海辺で水をかけあいながら「それー!」、「やったなー?」と戯れるカップル……などという生易しいものではない。捕まった瞬間に死が確定するという、まさにデスゲーム。ざくろちゃんの頭の上に角が生えて見えるのは、錯覚や幻覚の類ではない。
やがてスタミナも切れてしまい、ぜいぜいと喘ぎながらテーブルにもたれかかることしか出来なくなったのだが、背後から死神の鎌が振り下ろされることは無かった。振り向くと、ざくろちゃんもまた、汗を額に浮かべつつ脇腹に手を当て立ち尽くしていた。
そして、苦しそうに途切れ途切れになりながらも言う。
「はぁっ……ほんと、バッカじゃないの!? こんな、ことして……あんた、どうなるか分かってんの?」
「こんなこと」とは言うまでもなく、今なお絶賛配信中のことを指しているのだろう。配信のコメントを確認する余裕はないが、どんな惨状になっているのか想像するだけでも恐ろしい。もちろん全て承知でやってはいるのだけれども。
「そう、ですね……良くて謹慎。悪ければクビってところですかね」
「な、なによ、分かってるじゃない」
「だったら」とざくろちゃんは続けようとしたが、それに被せるようにして俺は口にする。
「でも、俺はやるしかないと思いました」
「どうして?」
「ざくろちゃんを辞めさせるわけにはいかなかったからです」
ざくろちゃんの眉間に皺が寄る。
「意味が分からないんだけど」
「意味ですか。それはあなたが俺の同期だからです」
「はぁ? またそれ? 同期だからって、ただそれだけで――」
「――それだけじゃ、駄目ですか?」
少し語気を強めて言葉を遮ると、彼女は驚いた表情を浮かべた。そのまま距離を縮める。気付けば息は整っていた。
「当時夢花火に入社したばかりの俺は、Vtuber業界について右も左も分からないような状態でした。そんな中で助けになってくれたのは、マネージャーさんや同期であるざくろちゃんやスイカちゃんの存在でした。だから、俺にとってはあなたは恩人とも呼べる存在であり、決して失いたくない仲間なんです」
「……私はあんたに何かをした覚えはないわ」
「同期が頑張っているというだけで、心の支えになっていたんですよ」
一番初めに出会った時、ざくろちゃんの発した「配信を見ている」という一言が俺にとってどんなに嬉しいものだったのか。ざくろちゃん自身には知る由もないのだろう。それはおそらく何の気のなしに発した一言だったから。
しかし、俺の中では今もその言葉が、先行きの見えない道を照らし出してくれている。何故ならそれは、同期のVtuberというものが、同僚というたった二文字の言葉では無いと思い知った瞬間だったのだ。
ざくろちゃんはらしくもなく視線の置き場に困っている様子だっので、俺は「ざくろちゃん」とその名前を呼んだ。一度びくりと肩を震わせた後、しばらくさまよった彼女の視線が、俺のそれとぶつかった。
「俺はこれからもあなたと一緒にVtuberとしての活動を続けたいです。それはスイカちゃんも同じ気持ちのはずです。だから、引退という選択肢は無いものとしてもらえませんでしょうか」
「そんなこと言われても……そうよ、だったら、どうしてこんなことしたの? こんなことされたら、もう無理よ」
「なにが無理なんですか?」
「だって、私……私の本当の、ざくろじゃない、私が……」
肘を抱えて身を縮めるざくろちゃんは、小さく、消え入るような声で言う。
俺がやったこの配信で自分の本当の姿を晒してしまったため、もう『豊穣ざくろ』というキャラクターが死んでしまったと考えているのかもしれない。
だが、俺はそれこそが重要であると考えていた。
「ざくろちゃんが配信で一番に心がけていることはなんですか?」
そう俺が訊くと、唐突だったこともあり、ざくろちゃんは「え?」と面食らったようにしたが、ややあってから「……視聴者が楽しいと思うような配信をすること?」と答えてくれた。
「そうですね。やはり俺たちは配信者……それも企業Vtuberなので、視聴者を楽しませるという意識は一番に必要なものだと思います。それについては俺も同意します」
しかし。
「ざくろちゃんは視聴者を楽しませることに固執するあまり、自分が蔑ろになっているような気がします。豊穣ざくろというキャラクターが息苦しく感じられるとも言っていましたが、それはつまりそういうことなのではないでしょうか。もっと本当の自分をさらけ出して、自分が楽しめるような配信にした方がいいのではないでしょうか」
「自分が楽しめる……?」
一度俺の言葉を繰り返した後、ざくろちゃんは頭を振る。
「自分も楽しむだなんて、そんなのは配信者側のエゴよ。『配信者が楽しんでいる姿を見せるのが視聴者も一番嬉しい』だなんてよく言われるけど、そんなのはただ楽をしたいから、それっぽい言葉で取り繕っているだけ。ましてや私たちは配信を仕事にしているのだし、そんな甘い幻想に縋ってはいけないわ」
「いえ、それは果たしてそれは本当に幻想でしょうか。配信が一つの楽しみを共有するための空間なのだとしたら、その場の中心とも呼べる配信者が楽しんでいないというのは、明らかなノイズになるのではないでしょうか。配信者を含めた全員が楽しむということが『完成された配信』になるのではないでしょうか」
俺たちは互いの意見をぶつけ合う。きっと、俺たち二人の言っていることはどちらも間違っていない。それは現実と理想を重視した意見の食い違いでもあるし、あるいは単純に個々人のスタイルの違いでもある。いつだったかに二葉さんがぽつりと漏らしていた通り、配信に答えなんてものは無いのだから、「ああしたほうが良い」とか「こうしたほうが良い」は全て無駄な言葉のぶつけ合いになってしまうかもしれない。しかし、時にはその中の些細な言葉が配信を大きく盛り上げる助言になったりもする。だから、俺たちは語り合うのを止めはしない。いつまでも正解を求めてもがき続けるのだ。
「でも……でも! 私、私は――」
ざくろちゃんは言葉に詰まり、荒い呼吸で次の言葉を模索している。
しかし、俺からも彼女の思想を変えられるような言葉は沸いてこない。そもそもざくろちゃんは俺よりもずっと配信のことを考えている配信者だ。そんな人を言い負かそうなど、おこがましいにも程がある。
ただ、一つだけ。
もしも俺が言えることがあるとするならば。
「少なくとも俺が視聴者でいるとき――ざくろちゃんには笑顔でいて欲しいと思います」
俺から言えるのはそれだけだった。「配信者が楽しんでいる姿を見せるのが視聴者が一番嬉しい」なんていうのは、ついさっき甘い幻想だと即座に切り捨てられたばかりの意見であったが、それでも俺はどうせ見るのならば彼女が笑っている姿が良いと思った。論理性の欠片もない、豊穣ざくろの一視聴者としての感想だった。
そんな俺の言葉が届いたのかそうではないのかは分からないが、ざくろちゃんは開きかけた口を閉じ、俯いた。先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返る室内。
やがて、もう一度、面を上げた彼女が言う。
「……あんたの言いたいことは分かったわ。ここに呼び出された意味も分かった。了解も取らずにとんでもないことしてくれたって気持ちはあるけど……それが私のためだってことも分かった」
「ありがとうございます。そして、申し訳ございません」
「謝っても謝りきれませんが」と言うと、存外にざくろちゃんは「ほんとよ」と笑って言った。
「でも、正直言ってまだ頭が混乱してるし、色々考えたいこともあるから……答えはまた今度にさせて」
「はい、その時をお待ちしております」
最後にそれだけ言い残すと、何事もなかったかのようにして、あっさりとざくろちゃんは去っていった。
全てをやり遂げたような感覚になったが「ああ、忘れていた」と机の上に置かれていたスマホを手に取る。配信画面を開くとものすごい勢いでコメントが流れているのがちらりと目に入ったが、なんとなく、出来るだけそれを読まないようにして俺は言う。
「では使い魔の皆さん。今日も配信を見てくださってありがとうございました。ではでは、おつあくまー」
手短に終わりの挨拶を済ませ、配信を終了する。
近くにあった椅子に腰かけて「ふぅ」と息をつくも、心を休める暇もなく、今度はポケットに入れていた俺個人のスマホが震えた。見れば、二葉さんのからの着信である。このタイミングで電話がかかってくるということは、今の配信を見ていたということだろう。
「はい、本条です」
通話を開始して、そう告げると、二葉さんは「見てましたよ、今の配信」と言った。まぁ、やっぱりそうだよな。
「その落ち着き方は、本条さんも全て承知の上で今回の配信を行ったということで宜しいでしょうか?」
「はい、その通りです」
「そうですか……では、また後日、会社の方に来て頂けますか? 今回は私だけではなく、上層部の人も含めてミーティングすることとなり、処罰に関してはそこでの質疑応答も踏まえて決定することになるかと思います」
「分かりました」
事務的な内容に俺はどこかほっとしていた。今この場で厳しく罵られる可能性もあるかと考えていたからだ。覚悟していたとはいえ、二葉さんにそうされるのも、そうさせてしまうこと自体も辛い。
最小限のやり取りで済ませるならこれだけで良かったはずなのだが、「では」と通話が切られそうになった時、俺は咄嗟に「あっ」と声を上げてしまった。スマホ越しに「……なんでしょうか?」という返事が届く。今どんな表情を浮かべているのか、電話ではそれが分からないのが少しばかり恐ろしい。
「いえ、あの、すみません。二葉さんにはご迷惑をおかけしまして」
「……そうですね。せめて一言くらいは相談があっても良かったのではないかと思います。まぁその場合は確実に止めていたでしょうし、本条さんもそれが分かっていたから、無断で強行したのでしょうけども」
「はい……」
「今回の件は恐らく私も監督不行き届きということで一緒に処罰を受けることになるでしょう。本条さんが勝手にやったことであるのにも関わらず……です。それだけの問題を起こしたということを、今から十二分に反省してもらえますでしょうか」
「はい、重ね重ね申し訳ございません」
そうか、マネージャーである二葉さんには、そういった形でも迷惑をかけることになるのか。自分の想像力の無さにはほとほと呆れてしまうばかりだ。
きりきりと胃が痛みだし、その辺りをさすりつつ押し黙るしかない状態になっていたが、「……とまぁ、ここまでがヒキー・ニッターのマネージャーとしての言葉になります」と若干調子の違う声がした。
「えっと……すみません、どういうことですか?」
「その、実はですね。私は鹿島さん――豊穣ざくろのマネージャーも務めているというのは本条さんもご存じのことと思いますが」
「それは、もちろん」
「今回の炎上の件についても当然、マネージャーとして何度も話し合いを行っていたんです。その中で、鹿島さんの気持ちはどちらかというと引退の方向に傾いているように私は感じていました」
二葉さんは必死になって何度も何度も今後の活動を続けるように説得を試みたのだが、芳しい成果は得られなかったのだという。
「この炎上というアウェイのフィールドがある限り、鹿島さんが冷静に今後の活動について再考することは出来ないのだろう、と半ば諦めかけていましたが……今回の本条さんの配信によって、はっきり言ってフィールドはめちゃくちゃです」
「め、めちゃくちゃですか?」
「はい、もうめっ……ちゃくちゃです」と単語の途中に溜めを入れて繰り返す二葉さん。
「本条さんはまだ配信の反応をご覧になっていないのかもしれませんが、配信のコメント欄などはすごい有様ですよ。今まではこの件に関して、ざくろちゃんを非難する声一色でしたが、それを擁護する声、そんなのはどうでもいいとばかりに盗聴じみたことをしたヒキー・ニッターを糾弾する声、あるいは自爆覚悟で同期を助けようとしたであろうその配信魂を英雄視する声――色んな派閥が入り混じって、もう視聴者の総意なんていうものは分からない状態になってしまいました」
やや興奮したような物言いに、俺は「そうですか」と応えるくらいしか出来なかった。いまいちそれが良い状態なのか悪い状態なのか判別がつかなかったからだ。ただ、それまでのざくろちゃんを非難する声しかなかった状態が改善されたというのなら、恐らくは喜んで良いのだろう。
「だから」と二葉さんは続け、
「炎上という事態に何もすることが出来なかった無能な豊穣ざくろのマネージャーとして、私は本条さんにお礼を言わなければなりません。何も出来ないままでいれば、鹿島さんはこのまま夢花火を退社していたかもしれませんので」
「い、いえ! そんな、むしろ二葉さんには迷惑をかけるばかりで」
「いいんですよ。何度も言っていますが、迷惑なんていくらでもかけてください。それをなんとかするのが私の仕事です。今回の件も、私も一緒に頭を下げに行きます。いつかに言った二人三脚とは……つまり、そういうことです」
その慈愛に満ち溢れた言葉に、俺は脳が溶けていくのを感じた。気を抜けば涙腺からはとめどなく塩水があふれ出てくるのだろう。
こんな人が俺のマネージャーでいてくれるだなんて、そんな幸福があっていいのだろうか。俺の人生に幸福ポイントが振り分けられているとして、その半分はこの人との出会いに振り分けられているという可能性が高い。もう半分は岬ちゃんという妹がいること。ならば、俺がここで口にすべきことは一つ。
「二葉さん」
「はい?」
「結婚を前提に俺のママになってくれませんか?」
「けっこ!?」という謎の言葉が発せられたかと思うと、それに続いて耳をつんざくような音がスマホから響いた。「爆撃かあるいは怪獣の襲来か」と窓の外を咄嗟に眺めるも、大都会東京は今日も平和そのものである。
間もなくして、「失礼しました。スマホを落としてしまいました」という声が届く。
「大丈夫ですか?」
「はい、問題ありません。しかし、本条さん。先ほどの発言はセクハラにあたります。これは別件で上層部に告発させて頂きます」
「どぅ、どぅええ!? あああああ、あの、すみません! 出来心というか、冗談半分というか……あのですね、実は照れ隠しという意味合いもあったりして――」
慌てふためきながら必死に謝罪の言葉をまくしたてていると、くすくすという笑い声がして「冗談です」と二葉さんは言った。「でも、私以外にはこういうこと言っちゃ駄目ですよ」とも言う。その冗談によって俺の寿命が恐らく1年は縮んだのだが、100対0で俺が悪いのは明らかなので、何も言うまい。
そして、一時は今回の配信で俺の配信人生は終わりを迎えるのだろうと覚悟していたのだが……この誰よりも心強く、それでいてお茶目なところもあるマネージャーがいれば、何度転んでもまた立ち上がることが出来るような、そんな気がした。




