2.颯爽登場! 丸金二葉!(前編)
都内某所の雑居ビルの8Fに『夢花火』のオフィスはあった。
午前10時に来るように言われていたため、通勤ラッシュとまではいかないまでも、込み入った電車というものに久々に乗る羽目になった。
おかげで既にHPは0に近い。今日は「ここまで来れて偉いね♡」ってことで帰っちゃダメかな。ダメなんだろうなぁ。
「えーっと、受付に電話すればいいんだよな」
エレベーターを降りた先にはガラスの扉があり、その先には来訪者用と思われる電話がぽつんと置かれていた。右手にはカードキーかなにかでの解錠が必要な扉がある。そこから先が社内スペースになっているということだろう。
電話って緊張するから嫌なんだよなぁ。働いてた時も電話がかかってきた時は下の人間がすぐに電話をとるように言われてたんだけど、「俺以外の誰かとってくれー!」って願いながらギリギリまで粘ってたわ。
「……よし」
覚悟を決めて電話をとり、耳に押し当てる。
呼び出し音が数回も鳴らないうちに誰かが受話器を取った音がした。
「はい、受付です」
「あ、あの10時に来るように言われていた本条というものですが」
「ああ、今そちらに行きますので少々お待ちください」
間もなくして電話の右手にあった扉が開かれて、一人の女性が現れた。
しかし、
「お待ちしており……」
と言いかけてその女性は固まってしまった。
訳も分からないまま見つめあう俺たち。
とはいえ、目と目が遭ったその瞬間に好きだと気付いたとか、そういう訳ではなさそうだ。
「あの、どうかされましたか?」
「あ、いや、失礼しました。どうぞこちらへ」
そう言って扉の中へと促される。
言われるがままに進むと、一人一人に割り振られているであろう机と、その上に置かれた書類やパソコン。もはや懐かしさすら覚える「あ、職場だなー」というスペースが広がっていた。
俺が元々働いていた会社と概ね変わらない雰囲気ではあったが、唯一決定的に違うのはそこかしこにアニメキャラクターのフィギュアやポスターなどのグッズが飾られていることだ。たぶん、俺が知らないだけで、それらはアニメキャラクターではなくここに所属しているVtuberに関連したものだったりするんだろうな。
いつかはここにヒキー・ニッターのグッズが飾られる日が来るのだろうか。……うーん、こんなこと言っちゃいけないんだろうけど、ちょっと見たくないな。想像するだけでもこそばゆい。
女性は時折すれ違う人と挨拶を交わしながらぐんぐんと進んでいく。俺もそれに倣ってぺこぺこと頭を下げるくらいはしながら後ろを付いていく。
どことなく見世物にされているような気になってしまうのは自意識過剰というものだろうか。いや、やっぱり視線が集まっているような気もするな。目の前を歩く女性が小柄で、俺が無駄に身長が高いせいというのもあるかもしれない。なんだかこう、酷くアンバランスな主従関係のように見えている可能性がある。痩せこけた大型犬を引き連れた少女というか、イメージ的にはそんな感じ。
「どうぞ」
そんな被虐的な妄想に浸っていると、いつの間にかに女性は一つの扉を開き、その中へと入るように俺に促していた。
「失礼します」と一声かけて中へ入ると、長机が向かい合う形で二つと、キャスター付きの椅子がいくつか。どうやら小規模な会議室のようだ。
「では、お座りください」
言われた通り椅子に座る。
今日は諸々の説明を受ける予定になっていたので、これから係の人が来て説明してくれるのだろう。そう考えていると、ここまで案内してくれた女性が机をはさんだ目の前に座った。
「……あれ?」と頭上にたくさんのクエスチョンマークを浮かべた俺に気付いたのか、女性が口を開く。
「どうかされましたか」
「あ、いえ、その……係の人は?」
「係の人、というのは」
「なんていうか、こう……俺に色々説明をしてくれる人というか」
「面談であれば私が担当者になりますが」
「えっ」
思わず驚愕の声を上げてしまった。
それを見てか、女性の眉間に皺が寄る。
しまった。
「す、すみません。想像以上にですね、そのー……」
「私が若いからでしょうか?」
「……はい。申し訳ございません」
俺は勝手に年配のお偉い人たち三人くらいに取り囲まれるような空間を想定していたので、面食らってしまったのだ。そのせいで物凄く失礼な振る舞いになってしまった。これには平謝りするばかりである。
しかし、女性は気にした様子もなく「構いません」と言う。
「私がまだまだ若輩者であるのは事実です。本条さんが不安になるのも致し方ないことかと」
「い、いえ、そんな」
「しかし、一度担当となったからには完璧なサポートをするよう心がけますので、ご安心ください」
「それはどうも、ありがとうございます……ん、担当? ですか?」
「はい、私が本条さん……というよりかはヒキー・ニッターのマネージャーを担当します」
マネージャー?
マネージャーって言うのはやっぱり、あれだよな。
「あのう、それって、スケジュールを管理したりする、あのマネージャーですか?」
「そうですね。仕事周りの管理や雑事は私に申し付けください」
「……なんか芸能人みたいですね」
「似たようなものですよ。芸能事務所が芸能人というタレントをサポートするのが仕事ならば、Vtuberというタレントの活動をサポートするのが私たちの仕事です」
そういうものなのか、と俺は一人納得する。
にしてもこんな若いお嬢さんが俺のマネージャーというのはいけない気分になるというか、それすらも通り越して申し訳ない気分になるな。
Vtuberっていったらやっぱり若い女の子たちが主流だろうし、そういった人たちと仕事をすると思っていたらヒキニートのおっさんと仕事することになりました、みたいな詐欺まがいの仕打ちを受けている可能性も否めない。
でもそれなら悪いのは俺じゃなくて会社だから恨まないでね! ほんと!
罪悪感に苛まれていると、女性はごそごそと鞄から何かを取り出している最中だった。
そして、両手で一枚の紙を差し出してくる。どうやら名刺のようだ。
「自己紹介もしないまま失礼しました。私は丸金二葉と言います。以後宜しくお願い致します」
「これはどうもご丁寧に。ご存じとは思いますが、俺は本条一仁と言います。……あの、すみません、俺はまだ名刺を持っていないんですが」
「名刺、ですか?」
丸金さんは「……おそらく、この先も支給されることはないと思いますが」とちょっと困ったような顔をした。
「え、ないんですか!?」
「そう、ですね……中の人は、その、世間的にはいないという建前と言いますか」
「中の人」
言われてみればミ〇キーの中の人が「あ、どうも普段はミ〇キーの着ぐるみの中に入ってますー」なんて言いながら名刺交換している姿は思い浮かばないし、そんなことはしてはならないだろうと感覚で理解できる。それと同じようなものなのだろう。
「分かりました。でもそうなると、社内では自分はどういう扱いになるのでしょうか」
「社内ではヒキー・ニッターそのものとして扱われますね」
「そのもの、というと?」
「例えばこの後社内立ち入り用のカードキーと社員証が渡されますが、そこにはヒキー・ニッターと記されていますし、社内の人間も本条さんのことをヒキー・ニッターさんと呼びます」
「ええ……」
そこまで来ると俺がヒキー・ニッターなのか、ヒキー・ニッターが俺なのか、よく分からなくなりそうだな。本当にあった〇い話で一本作れそうなネタだ。
ん、でも待てよ。
「丸金さんは俺のことを本条さんと呼ぶんですね」
「ああ、はい。私は立場上、社外でも関わることが多いかと思われますので、その際に誤ってVtuber名で呼ばないように、という社内での習わしですね」
「なるほど」
「それでですね。これは私的な話で申し訳ないんですが」
「はい?」
「私のことは『二葉』と名前で呼んで欲しいんです」
丸金さんはぐぐっと机から乗り出してそう訴えてくる。
距離が縮まったことでその大きな瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「あの、一応理由をお聞きしても?」
そう訊くと、「あ、そうですね……」と小さな声で応え、椅子に掛け直す。
「実は私、自分の名字があまり好きではなくて」
「丸金という名字がということですか?」
「はい。……いえ別に、丸金という名字だけなら大して気にならないんですが、名前との組み合わせが、と言いますか」
「組み合わせ、ですか」
「……あの、丸い金が……二つ、ですね、その」
「あ、分かりました。それ以上はもう結構です」
なるほど、丸い金が二つという小学生男子が好みそうな文字列になってしまったわけだ。あるいはその想像通り、クラスメイトの男子にそんな風にからかわれた過去があるのかもしれない。
二葉さんはほんのりと顔を桜色に染め上げて、「すみません」と頭を下げた。
「おそらく今後長い付き合いになりそうなので、そうであるなら先にお願いしておこうと思いまして」
「分かりました。以後よろしくお願いします。二葉さん」
「はい、よろしくお願いします!」
ここに来てようやく初めて俺は二葉さんの笑顔を見た。
岬ちゃんという世界一可愛い女の子を見慣れていなければ、恐らく一発で心を持っていかれたであろう破壊力だった。なんならすでにその岬ちゃんガードも突破して好きになりかけている。
だってしょうがないでしょ。
人生でこんなに奇麗な女性と二人きりで会話したことはないんだもの。しかも名前で呼べだなんて言われたら、特別視してしまうに決まっている。
しかし、俺は知っている。俺みたいな男が奇麗な女性とどうこうなるなどというのは不可能だということを。
勝手に好きになった挙句、街でその女性が他の男と歩いているのを見かけて、「あ、そりゃ彼氏くらいいるよね……」と振られたというのもおこがましいくらいに何も出来ないまま桜散る未来が訪れるということを。
こういう時にしなくならなくてはならないことは一つ。
パッシブスキルである岬ちゃんガードを超えた必殺技。
スーパー岬ちゃんガードだ!
「岬ちゃん、岬ちゃん、岬ちゃん……」
説明しよう、スーパー岬ちゃんガードとは、世界一可愛い妹である岬ちゃんで脳の隅から隅までを満たし、他の女性にうっかり惚れそうになったピンチから逃れることができる、最強の必殺技なのだ。
「あ、あのー、本条さん?」
「――はっ! あ、はい、なんでしょうか」
怪訝そうな表情を浮かべる二葉さん。
スーパー岬ちゃんガードは最強の必殺技であるが、致命的な弱点が一つ。
こうしていきなり現実から離れて女の子の名前を呟き続ける壊れた玩具のようになるので、周りの人からしたらただの痛々しい人にしか見えないのだ。
「いや、すみません、急に岬ちゃんで頭がいっぱいになりまして」
「は、はぁ……あの、岬ちゃんというのは?」
「世界一可愛い女の子の名前です」
「世界一可愛い……えーっと、彼女さんとかでしょうか」
「彼女ではないですが、いつか結婚出来ればな、と考えています」
「な、なるほど? ……なんにせよ、そういったお相手がいるということですね。安心しました」
途中までは訳が分からないといった様子であったが、一転して二葉さんは心底ほっとしたようにそう言う。
「安心、というのは?」
「それはですね……ああでも、本条さんはまだVtuber業界にはあまり詳しくないんでしたっけ」
「そうですね。お恥ずかしながら」
「であれば、この話はまた今度にした方が良いでしょう。今日はもっと基本的な部分のお話にした方が良いかと」
腑に落ちない点はあるが、少なくとも俺よりもずっとこの業界に詳しい二葉さんがそういうのあれば、従った方が賢明だろう。
俺は気にせず次の話に進むことにした。
「改めまして、今回はVtuberオーディション合格おめでとうございます」
「ありがとうございます!」
そう、今更の話になってしまうのだが、俺はVtuberオーディションに合格していた。
あの日、あの時、ヒキー・ニッターの魂募集に勢いそのままに応募し、今こうして中の人になることが認められて、この場所に立っている。
ただ、応募の際の問題は山積みだった。
一年間の空白のある職歴。
動画作成や配信は未経験。
やっとの思いで作成したヒキー・ニッターとしての自己紹介動画は自分で聞き返しても見悶えてしまうくらいの低クオリティ。
奇跡的に第一審査を通過した後に実施された通話面談では、緊張のあまり、まともに喋れたところの方が少ないのではないか、というくらいに噛みに噛み倒した。
自分でもどうして合格できたのか、全く理解できないくらいだ。
いやー、ほんとに。
だって、ねぇ。
うん……。
「あの、二葉さん」
「はい」
「俺、どうして受かったんですかね?」
書類や動画審査、面談のどれをとっても100人いたら99人が「いや、こいつはないだろw」と単芝生やして煽ってくるのも当然という出来栄えだった。残りの1人は「草」と一言だけ残して去っていくタイプの煽りだろう。
正直なところ、合格の連絡が来たときは目を疑った。別の人間あてのメールが届いてしまったのではないかと何度も文面を確認し、俺と全く同姓同名の男が同じタイミングでオーディションに応募したせいで取り違えられているんじゃないか、と毎日眠れない日々を過ごした。
なんなら今でも疑っている。突如としてこの会議室の扉が開いて「ドッキリ大成功ー!」というプラカードを掲げながら乱入してくるのでは、と。……そこまで来たらこんな俺相手にどんだけ大掛かりなドッキリしかけてるんだよ、と逆に突っ込まないといけなくもなるけど。
だから、俺は二葉さんに尋ねた。
こんな俺がこの場所にたどり着いてしまった理由を。
二葉さんもそんな俺の胸中を察してか、真剣な表情を浮かべる。
「本条さんが今回のオーディションに合格した理由、ですか」
「は、はい」
「それはですね……」
「それは?」
ごくり。
「実は、私も知らないんです」
ずこー!
テテテ テッテケテッテ テッテケテッテ テッテケテー!
脳内でド〇フのオチで流れるBGMが流れた。
「二葉さんも知らないんですか」
「はい、でも一つだけ言えることはありまして」
「なんでしょうか」
「私も本条さんが作成された動画や通話面接の録画は拝見させて頂いたんですが、はっきり言って、私だったら間違いなく不合格にしています」
「……あ、そうですか」
自分ではわかっていたけど、他人に改めて言われるときついな。
自虐って大抵の場合は相手に言われる前に先に自分を傷つけておいて痛みに慣れておく保険だからね。ダメージは減るけど結局また傷つくことには変わりないよね。
「夢花火でのVtuberオーディションの選考は上層部の数名で行われているので、私のような末端の人間にはどういった基準で合否が決められているのかわからないんです」
「なるほど」
「だから何かが間違ってその中にいる誰かにはまったのであれば、本条さんがごり押しされたという可能性は考えられますが……上の人間にもセンスの悪いやつがいるんだな、っていう噂が近頃私のいる部内では広まっていますね
「なぁるほどぉ」
なんとか絞り出した相槌は震えていた。
センスの悪い誰かにごり押しされた結果なのか、俺がここにいる理由は。
なによりもヒキー・ニッターよ。お前の中身がこんなやつで、本当にすまん。
悲しみがこぼれないように上を向いていると、 二葉さんが慌てて口を開く。
「す、すみません! でも、そんなのはオーディション段階での言わば前評判ですから! 重要なのはデビューしてからの活動です! デビュー時には陽の目を浴びなくても、しばらくしてから大人気になったVtuberはたくさんいます! 本条さんもこれからですよ、これから!」
未来の俺に全てを託さないで、今の俺をフォローしてほしかったけどなぁ。
いやしかし、今の俺がどうしようもないダメダメ人間であるのは事実なのだ。
たとえほんの少しも褒めるところがないようなこの俺でも、配信を重ねていくにつれて成長する可能性はあるだろう。泣いている暇なんかない。
偉い人は言いました。安〇先生バスケがしたいです。間違えた。諦めたらそこで試合終了ですよ。
「失礼しました。そうですね、逆に考えれば今の俺には伸びしろしかないということですもんね」
「はい、大丈夫ですよ。多分、おそらく、きっと……」
後半で不安のジェットストリームアタックをしかけてくるのやめてもらえませんかね?
まぁいいか、二葉さんがそんな情けない俺でも全力でサポートしようとしてくれているのはここまでのやり取りで明らかだ。俺にはこの人しかいない。信じてついていくことにしよう。