19.滅びのバーストストリーミング
夢花火の休憩室で俺はスマホを弄っていた。この場所は相も変わらず人気はない。まぁ、だからこそ話し合いの場に相応しいと選んだのだけれどな。他の誰かがいたら、全て台無しになってしまう可能性がある。
ディスプレイに映し出された現在時刻が16時ぴったりになった時、入り口のドアが開いた。そして入室してきた鹿島さん――いや、社内では豊穣ざくろと呼ばれているその女性は、今日もばっちり決めた黒髪のツインテールを揺らしながら、俺の方へとつかつかと歩を進めた。いつだったかと立場が逆だなぁ、とどうでもいいようなことがふと頭に過ぎった。
「話ってなによ」
目の前に仁王立ちしながらざくろちゃんが言う。凄まじいプレッシャーだ。世間話など必要とせず、はなから本題に入ろうとするその様は覇者の風格すら感じる。覚悟を決めてなかったら俺も泡をふきながら倒れてたかもしれない。
「ええ、まぁ色々と……とりあえず立ちっぱなしもなんですから、どうぞ」
椅子を引いて促すと、渋々といった様子で席についてくれた。ざくろちゃんだけ立ったままだと、見下されてるような感じがしてしまうしな。脳内ツッコミ上手の本条さんが「実際見下されてるだろ」と手厳しい言葉を浴びせてきたが、聞いてないふりをする。
「で、なによ?」
「あー、まぁそう焦らず。ココアでもどうですか。今買ったばかりなので温かいですよ」
手渡そうとするも即座に「いらない」と断られてしまう。
「……ココア、お好きじゃなかったですか?」
「好きだけど、なんか裏がありそうな感じがする」
いやまぁたしかに、たぶん怒らせることになるだろうから「話に入る前まではリラックスしてもらおう」という魂胆はあったけど、ここまで警戒されていると流石の俺でもちょっと悲しくなる。そんなに言うなら毒味の代わりに一口飲んでみせようか。あ、でも間接キスになっちゃいますねフヒヒ! ……なーんてこと考えるから信用してもらえないのだ、俺は。
しょうがないので差し出した手を引っ込め、自分の分のココアを一口飲む。甘くほろ苦い風味が口いっぱいに広がった。おいしい。
「……そういえば、スイカちゃんにもココア奢ろうとしたら断られたんですよね」
「スイカちゃんに?」
「はい。奢られるのは嫌だって言ってましたね」
「あの子、あれで結構しっかりしてるもの。ご飯食べた時とかも割り勘にしようとすると、『私の方がいっぱい食べたから多く払う!』って言って聞かないの」
マジックテープの財布を「任せろー!」とべりべりと音を立てながら開くスイカちゃんの姿が目に浮かぶようだ。
しかし、ざくろちゃんは悪戯っぽく口角を吊り上げる。
「だから、あの子がお手洗いに行ってる間に会計を済ましておくの。そうすると『なんでぇ!?』って涙ぐみながらポカポカ叩いてくるのよ。……ふふふ、その姿が見られるならお昼代くらい安いものだわ」
……うーむ、やはりざくろちゃんはサディズムに満ち溢れておる。
と、素人なら思うのかもしれないが、結果的には昼食を奢ったというエピソードなのだ。ほんのささいなてぇてぇの波動も見逃さないのがてぇてぇ協会会員としての責務だ。だろう、この世界に数多いる兄弟たちよ。
「やっぱり仲いいんですね、スイカちゃんと」
改まって俺が言うと、ざくろちゃんは「……まぁね」と逸らした視線の先に言葉を落とした。
「いい子なのよ、あの子。私みたいなのとでも仲良くしてくれるくらいだし」
「そうですね。……でも、『私みたいなの』っていうのは?」
ざくろちゃんは一瞬だけ鋭い目線をこちらに向けたが、それは俺が「まずいこと聞いちゃったかな?」と不安になる隙もないくらい一瞬のことで、すぐに思い直したようにして小さくため息をついた。
「……一応私だって自分がきつい性格してるっていう自覚くらいはあるわよ。だから放送上では『豊穣ざくろ』っていうキャラクターでやってるわけだし。でも、あの子は――」
「あの子は」ともう一度繰り返し、
「私がそのままの姿でいても嫌そうにしたりとか、怯えたりだとか、そういう気配は一切見せないの。私のことを好いてくれてるんだろうなって、疑ったりせずにそう思える。だから、私も……そうね、好きなのよ。スイカちゃんのこと」
ふて腐れたような物言いであったが、若干赤く染まった耳がそれが照れ隠しであることを示していた。
そうか、やはりこの二人は本当に仲が良かったのだな。示し合わせたわけでもなく、お互いがお互いのことを想っていて、その気持ちを俺に教えてくれた。炎上の件で噂されているようなビジネスだけの付き合いではなかったのだ。
そう安堵した気持ちが表情に出てしまったのか、「なににやけてるのよ」と指摘されてしまう。
「いえ、あの、仲が良さそうで嬉しいなと」
「なんであんたが嬉しいのよ」
「えーっと……て、てぇてぇなぁ……って?」
「は? なにそれキモ」
あ、キモいって言ったな! それだけは言っちゃいけないんだぞ! でも個人的に一番言われたら死にたくなりそうなワードは「臭い」です。なんかその場にいること自体が罪になりそうな感じが恐ろしいのよね。なので人一倍清潔には気を遣っております。洗濯は岬ちゃんに任せてるけどね。……うう、本当にいつもありがとう、ディアマイシスター。
俺の苦し紛れの言い訳を痛烈に批判した後、ざくろちゃんは「ふっ」と鼻で笑う。
「好きな子と仲良くしてるだけで勝手に喜んでくれるんだから、オタクってちょろいわよね」
「ええ……それは言い過ぎでは」
「事実でしょ。それに私はスイカちゃんと仲良くできて嬉しい。視聴者はそれを見て嬉しい。Win-Winってやつよ」
「うぐぅ」と押し黙るしかない俺。あからさまに馬鹿にされても否定できないのがオタクの悲しいところよな。くやしい、でも感じちゃう。びくんびくん、
ざくろちゃんは「あーあ、視聴者が全員あんたみたいにちょろいやつらだったら良かったのになー」と手を上に伸びをしていた。途中までははすごく良い流れだっただけに、ここまで好き放題言われてしまうと俺も困ってしまう。なので、次の話題に移ることにした。
「ざくろちゃん、ちょっと訊いてもいいですか?」
「なに」
「天道きらめきさんのことなんですけど」
現役No.1のVtuberである天道きらめきの名前を出すと、ざくろちゃんは「きらめきちゃん?」と首を傾げた。
「ええ、この前好きだと言ってたじゃないですか。この業界を目指すきっかけになったとも」
「言ったわね」
「でも、手の届く存在ではない……だから、例のツブヤイターにあった過激なツブヤキは、自分自身に言い聞かせて無理やり鼓舞するためのものとも聞きましたが?」
「まぁ、そうね」
「ああ、はい、ありがとうございます。……それだけ聞ければ十分というか」
「はぁ!?」
もろもろぼかしながら喋っていると、威圧されてしまった。スタンでしばらく動けなくなるやつだな。怒り状態に移行されてはたまらないので、慌てて言葉を紡ぐことにした。
「どうして天道きらめきさんのことがそんなに好きなんですか?」
「どうしてって、それは『なぜ海は青いのか?』って訊いているようなものよ」
「……つまり?」
「天道きらめきを見たら誰でも天道きらめきを好きになる。それは世の理よ。一目で見て分かるものを説明する必要はないでしょ、そういうこと」
うん、なるほど!
……となるわけもなく、俺は「これ面白いよ」と言われて見せられたMetubeの動画が全然面白くなかった時のような複雑な表情を浮かべるしかなかった。好きの領域を超えて妄信の域に入ってませんかねぇ。
ちなみに海が青い理由は太陽の光が七色で構成されていて、その内の青色だけが水に吸収されにくいからという明確な理由があるらしいのだが……なぜ海が青いのかと訊かれた時、できる男はこう返す。
『辛いときは海に向かって叫ぶだろ。そうやってみんなの悲しみを背負ってくれたからさ』
はい、格好いい。百点満点。スペースコ〇ラ。ヒキー・ニッター先生のおかげで彼女が出来ました。異世界転生出来なかったけどハーレムチートでモテ過ぎたせいで世界中の女の子が日本に押し寄せてきて沈没の危機なんだが?
それはともかく「日本語でおk」と返すと、また「はぁ!?」と脅されてしまったので、「もう少し具体的に教えてもらえませんか」と尋ね直す俺。日本語を喋ってなかったのは俺の方というわけだ。リアルでネット用語を使う危険性、分かって貰えたかな。
「そうね。まぁまずはやっぱり見た目よね。もはや劇場版のアニメかってくらいに自然でヌルヌルの動きをした3Dモデル。これがほぼ全ての配信で表示されているんだから、正直弱小事務所では天地がひっくり返っても適わないでしょうね。だって、あれを作るには相当なお金がかかってるはずだもの」
ふむふむ。
「そして、歌ね。総再生数1億を超えているVtuberの動画はきらめきちゃんの歌ってみたの動画しか無いわけだけど、それは『きらめきちゃんが歌っているから』という理由だけじゃない。ただ単純にミュージックビデオとしての質が高いから。何も知らない人が見ても聞き惚れてしまうくらいの歌唱力があったからこそ、それだけの再生数を得ることが出来たんだと思うわ」
ほぉほぉ。
「ゲーム実況についても欠かせないわね。傍から見ても多忙な日々を過ごしているのがよく分かるのに、そんな中でもあの有名FPSゲームで最高ランク帯を維持するだけの腕前を持っている。いったいいつ練習しているのかしら。なにより一瞬もゲーム画面から目を離せないような展開の中、それでもコメントを拾うという配信者としての技術……『ゲーム実況者』としての才覚がずば抜けているわ」
なるほど。
「それに私がなにより好きなのはファンサービス旺盛なこと。きらめきちゃんが1回ツブヤイターを更新したら何百っていう返信が飛んでくるわけだけど、未だにそのうちのいくつかには返事をくれるの。私も何回かもらったことあるのよ。その返答はスクショして印刷して部屋に飾ってあるわ。私にもうちょっと技術があれば合成音声でその会話を再現するんだけど……こんなにも音声MAD師に憧れたことは無いわね」
…………。
「あとは――」
「あ、すみません。もうそれくらいで結構です」
ほったらかしたらこのまま夜が更けるまで語り続けそうなので、俺はその語りを遮ることにした。最後まで聞いていればもしかしたら「ありゃちっとしゃべりすぎたわい!」と自転車のひきかえけんを貰えた可能性もあるが、今はそんな余裕はない。
「それぐらい大好きな天道きらめきさんの背中を追いかけて、ざくろちゃんはVtuberになったんですよね」
「そうね。まぁその結果は……ってのは前も話した通りだけど」
「いえ――ああ、そうですね。今日は丁度その話をしたかったんです」
「え?」
「辞めないでください。このまま一緒に続けましょう。Vtuberとしての活動」
俺のそんな唐突な宣言に、ざくろちゃんは目を丸くしていたようだった。
それはそうだろう、それは前回の俺がどうしても口にすることが出来なかった『責任』が生じる言葉だからだ。人生の岐路に立っている人物に「こっちの道が良いよ」と伝えることは、その人の人生を変える可能性がある。
でも、今度こそ俺はきっぱりと自分の気持ちを伝えた。スイカちゃんや視聴者がくれた勇気を手にしたことで、ようやく口に出すことが出来た。
「急に、なによ」
「まぁ元々それが言いたくて来てもらったわけですしね」
「ふぅん? でも、私そもそも辞めるとは言ってなかったわよね?」
そう、ざくろちゃんは「そんな道もある」と言っただけだ。
しかし、そんな言葉遊びを認めるわけにはいかない。
「はい、だからはっきり言ってください。辞める可能性なんて少しもない。迷ったりはしない。今後もVtuberとしての活動を続けて、いつか天道きらめきさんの隣に立てるような人物になると」
「……なんであんたにそんなこと言わなきゃいけないの?」
「俺が同期だから、では駄目でしょうか?」
「そうね。理由としては弱いわね」
その発言に俺はなにか挑発されているようなものを感じた。
そして――どうせ言うのならここで言うしかないと思った。
俺が今日持ってきたデッキの中の最強にして最悪のカード。俺のVtuber人生すら破壊しかねない大博打。ヒキー・ニッターという配信者としての生き様を。
「ざくろちゃん、これ分かりますか?」
そう言って俺が掲げたのは一台の真っ白なスマホだった。
また話が飛んだことを少しだけ疑問に思っている様子だったが、ざくろちゃんは淡々と答える。
「夢花火から支給されたスマホでしょ?」
「そうです。手軽に配信が出来るように、と会社から支給されたスマホです」
俺は普段は自分のパソコンから配信をしているので、使う機会がなかったのだが、そういったものを会社から受け取っていた。多少機能が制限されるが、これ1台で手軽にVtuberとして配信することが出来る。最新機種だっために当時は太っ腹な会社だと感嘆したものだ。
ざくろちゃんは「それがなに?」と訊いてくる。
「いやぁ、すごい時代だと思いませんか。こんな小さい機械で世界中の人と繋がることが出来るんですよ」
「まぁ、それはそうだけど……だから、なんなのよ」
「はい。つまり、こうやってVtuberとして活動することが出来て、嬉しいなという話です」
そんな要領を得ない語り口に訝しそうな目つきを浮かべていたざくろちゃんであったが、ややあってからその目が大きく見開かれた。どうやら理解したようだ。俺の言葉の本当の意味を。
「あんた、まさか――」
若干震えたその声に、俺ははっきりと答えた。
「そうです。ざくろちゃんがこの場に来てからの会話は、今もずっと――すべて配信中です」




