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10.とあるニートの配信泥沼

 昼食もとり終えて、さて午後はなにをしようかと考えていると、パスコンのスピーカーから「ぴこん」という音が鳴り、同時にディプレイの右下にポップアップが表示される。

 「ああ、例のやつか」と少し胸を弾ませながらクリックすると、予想通りヒキー・ニッターのツブヤイターの更新通知であった。


「今日の18時からゲーム配信ね、了解」


 この不健康そうな悪魔と出会ったのはもう1か月近くも前のことになるか。

 深夜にラジオ代わりにでもしようと生配信を探している時に見つけたのがこいつの生配信だった。

 あの時はまだ知らなかったのだが、たまたま見ていたその生配信は、ヒキー・ニッターの第二回目の放送にして、初めてのゲーム配信だったらしい。そんなしょっぱなから30時間を超える配信をやるとは中々イカれたやつだという感想を抱いたものだ。おまけに寝落ちもするし。


「にしても今日はいい天気だな……」


 窓際に立ち、太陽を浴びながら伸びをする。

 今は10月の頭。多少肌寒く感じる日も増えてきたが、晴れた日の日中は過ごしやすく、吹き込んできた快い風がカーテンを揺らした。


 そういえばヒキー・ニッターと出会った当時はまだ夜型生活をしていたな、と思い返す。

 なぜ今こうして朝寝て夜起きる生活に戻っているかというと、それもまたヒキ・-ニッターの存在が起因していた。


 最初こそ超長時間配信を行ったこの悪魔も、どうやら運営の方から注意を受けたらしく、「今後は昼から夜にかけて3時間程度を目安に配信します」と宣言した。

 そして、その言葉通り、大体15時~24時のいずれかの時間帯で、数時間程度の配信をするスタイルになっていた。


 当初はまだ「見られるときに見られればいいや」というスタンスで配信を追っていた。お気に入り登録しているとはいえ、全ての配信を見る必要はない。気が向いたときにだけ見るのがMetubeの最大の長所だろうという考えである。

 しかし、いつしか見逃した配信をアーカイブで見るようになり、ツブヤイターで配信告知を確認するようになり、全ての配信を生で見ることに固執するようになっていた。悔しいが、気付いた時には沼にどっぷり浸かっていたというやつだ。人生で初めてはまった配信者がよりにもよってこんな妙ちくりんな悪魔か、とは思わないでもないが、今更どうしようもない。

 「今まで熱心に見てこなかっただけで俺にはVtuberにはまる素質があったのかもしれない」と思って他のVtuberも見て見たが、琴線に触れるものはなかった。ヒキー・ニッターとは感性があっていたのだろう。本当に、全くと言っていいほど、喜ばしくないが。

 

 そうして全ての配信を見るようになった訳だが、そこで障害となったのは俺の生活リズムだ。 

 朝に寝て、夕方に起きる。こうなると、日中に配信が行われた場合、俺は睡眠中であるために見ることができない。

 多少思い悩んだ末、俺は生活リズムを直すことにした。何故思い悩んだかというと、やはり「ヒキー・ニッターの配信を見るためだけに生活リズムを変える」ということが、ものすごく恥ずかしいことのように思えたからだ。


 これがまだ「見た目の可愛らしい女の子のため」とかであれば、まぁ気持ちが悪いことに変わりはないが理解は得られるだろう。

 だが、俺の目的はヒキー・ニッターだ。見た目も……なんなら中身も気持ちの悪いヒキニートの悪魔だ。それのためだけに、なぜ俺は一体。

 

 そんな葛藤をしつつも、結局俺は生活リズムを直すこととなった。

 生活リズムを変えたばかりの頃は、窓から差し込む太陽だとか、学校に向かう子供たちの声だとか、そういったものに怯えながら過ごしていたが、今となってはそういったものを感じられるのがむしろ嬉しい。あの時の俺は何故あんなにも陽の光だとかを恐れていたのだろう。夜に慣れすぎて心が闇に染まってしまったのかもしれない。……人によっては格好をつけたと思われそうな表現になってしまったので言い換えると、不健康な生活で心が薄汚れていたのかもしれない。


「こればっかりは本当にヒキー・ニッターに感謝だな……」


 呟きを窓の外に向かって投げ捨てる。18時の放送開始まではネットサーフィンでもして時間をつぶすか、とゲーミングチェアに座り直した。



 その日は「ぎょるいの海」というシリーズ最新作が出たばかりで今大人気のスローライフゲームをやるというので楽しみにしていたのだが、蓋を開けてみれば配信画面に映し出されたのはまさかのヨンロク版。シリーズの第1作目となる、いわゆる「ぎょるいの海無印」であった。

 悪魔は「もう20年前のゲームなんですよねー」なんて呑気に言っているが、コメント欄は『ふざけんな』だとか『タイトル詐欺』だとか非難囂々である。いや、まぁ、擁護するとすれば、ぎょるいの海をプレイするのはたしかだし、嘘はついていないだろう。


 と言っても、実際こんな風にコメント欄が荒れるのはこいつの放送では日常茶飯事だった。一種のプロレスのようなものだ。心の底から本気で怒っているような奴はいない。

 その証拠に、放送開始から数十分も過ぎた頃にはコメント欄では『はい、神ゲー』だとか『っぱ無印よ』だとか調子のいいことを言っている。こういったコメントとの遊びも生配信のいいところだと俺は思う。


 しかし、「今日も良い配信になりそうだな」と俺が考え始めたその時、事件は起きた。

 突如としてスピーカーから「バン!」という大きな音が鳴り、同時に「お兄ちゃん!」という声が響いたのだ。

 どう考えてもゲームの音声ではない。何事か、と耳を澄ませる。


「お兄ちゃん! くろいやつ! 黑くて早いあれが出た!」


「み、みさっ!? ちょっと、ドアに『入っちゃダメ』って札かけておいたよね!?」


「そんなことより黒いのが!」


「そんなことって……いや、お兄ちゃん、配信中だからぁ!」


「配信!? 配信ってなに!? 訳わかんないこと言わないで!」


 突如として現れた謎の存在――というか妹にコメント欄は『妹乱入キター!』とか『妹ちゃんの声でかすぎて草』とか『妹ちゃんの声きゃわわ』などと大盛り上がりである。一方でヒキー・ニッターは大慌てである。


「配信っていうのは……その、Metubeで生放送したりする、あれだよ」


「Metubeで……? え、お兄ちゃんMetuberになってたの!?」


「……まぁ、うん、一応」


「うそ、いつから!? ……でも、そっか。だから最近コソコソしてたんだ。急に部屋に勝手に入らないでとか言いだしたのもそのせい?」


「うん……」


「言ってよ! 引きこもりレベル上がっちゃったのかと思って心配だったんだから! あ、もしかしてMetuberってことはヒ〇キンとか、は〇めしゃちょーとコラボしたりするの? 私、サイン欲しいなぁ」


「そこら辺とは規模も次元も違うかな……」


 「次元って何?」という妹ちゃんの質問に、ヒキー・ニッターは「あー」とか「うー」とか唸っている。

 流石のマイペース悪魔もこれにはたじたじといったところか。

 

 やがて「黒いやつ、いいの?」という問いに、妹ちゃんが「あっ、そうだよ早く来て!」と応じて、走り去っていくような音がした。

 そして「ちょっとミュートにします」と言い残し、ヒキー・ニッター自身もその場を後にした。

 

 後には過去最高の加速を見せるコメント欄と、釣竿を持ってたそがれるゲーム内の主人公と、笑いをこらえる俺。

 これだから生配信は止められないのである。




 十数分も過ぎた頃、「あ、あ」という声が流れた。

 マイクチェックの音だろう。ヒキー・ニッターが戻ってきたようだ。


「失礼しました。戻りました。妹に事情を説明したりしてたら遅くなりました。えー、『黒いやつ倒したのか』って? 残念ながらここで騒いでいる間にどっか行っちゃったみたいですね。妹には退治するまで一緒にいてと言われたんですが、獅子は我が子を千尋の谷に落とすとも言いますし、ここは永遠に一緒にいたい気持ちをぐっとこらえて――」


 言いかけたところで「お兄ちゃん!」と派手に扉が開く音がした。

 第2ラウンド開始のようだ。


「……もー、どうしたの? また出たの?」


「出た! けど、倒した!」


「あ、そうなんだ……。えっ、じゃあなに?」


「倒したけど、ティッシュで拾って捨てるの出来ないから、それだけやって」


「えー、だからお兄ちゃん配信中だって」


「いいじゃん、それくらい。みんなも良いよねー?」

 

 妹ちゃんの声が大きくなった。どうやらマイクに近づいてきたらしい。

 コメント欄は当然のように大喜びだ。『いいよー』というコメントで溢れかえっている。オタクは妹に弱いという特攻属性が付いているので、しょうがない。


「ほら、良いって」


「ええ……皆さん私の配信楽しんでくれてたんじゃないんですか」


「あっ、『妹ちゃん可愛い』だって。ありがとー!」


「いや、みさ――……妹ちゃんは確かに世界一可愛いですけど、それとこれとは話が違って」


「『名前』? 名前は……み、みみみ、ミサッキーだよ!」


「みさっ!? ……ミサッキーちゃん? それはちょっと流石にマズいんじゃ?」


「なにが? 私はミサッキーだよ? えーっと、ニキー・ヒッターだっけ? の妹の悪魔だよ。ねぇ、お兄ちゃん?」


「俺の名前も微妙に違うし……まぁもうミサッキーちゃんがいいならそれでいいですけど」


 妹ちゃんの名前が判明し、貢物とばかりにハイパーチャットが飛び交う。兄一人の時には見られない光景だ。ヒキー・ニッターの「えー、はい、ハイパーチャットありがとうございます」という声もどこか複雑そうな響きをしている。


「でも、本当によかった」


「なにが?」


「ちょっと前までは鬱陶しいくらいに絡んで来てたのに、最近はあんまりだったから、なんでなんだろうなーって思ってたの」


「……もしかして、寂しがらせちゃってた?」


「ん、ちょっとだけだよ? ほんのちょっとだけ、とうとうお兄ちゃんも妹離れかって――」


「離れない、離れないよ! お兄ちゃんは一生ミサッキーちゃんと一緒だよ!!」


「やっ! ちょっ、くっつかないで!!」


 妹ちゃんの悲鳴とどたばたしている音だけが聞こえてくる。

 コメント欄は大荒れだ。曰く、『俺の妹に手を出すな』。お前らの妹ではないはずなんだがな。

 しばらくそうした阿鼻叫喚が続いた後、「パチン」と小気味よい音が鳴った。ビンタでも食らったのだろう。それからヒキー・ニッターが言う。


「すみません。まだ始まったばかりなんですが、ちょっと今日は妹を愛でたい気持ちが湧いてしまったので、配信を終わらせてもらおうかと」


「愛でるとかいらないんだけど」


「……と言われてますが、まぁこれも愛情の裏返しってやつでね。やんなっちゃいますね」


「頭バグってますよこの人。低評価押しといてください」


「ちょっ、いくらミサッキーちゃんでもそれを言うのは流石に許せないよ!」


「配信見てくれてありがとうございました! よければ低評価、コミュニティの登録解除お願いします! 低評価、コミュニティの登録解除、お願いしま――」


 言葉の最中で配信は終了した。

 「よし任せろ」と言わんばかりにその数を増していく低評価。

 こいつら瞬く間に妹信者になりやがったな。まぁでも俺も低評価押しておこう。放送の流れに乗るのは大事だ。


「ふぅ」


 一呼吸おいて、背もたれに体重を預ける。

 今日の配信は全体で見れば一時間にも満たないくらいの短い枠であったが、内容は濃密だった。いわゆる当たり回というやつだろう。

 何事もない時のおだやかな放送も好きだが、こういった放送があるからヒキー・ニッターの放送は生で見たいと思う。

 なにかをやってくれそうな――いや、なにかをやらかしてくれそうな雰囲気が常に漂っているとでも言うのだろうか。事実、今日のような出来事が稀に起きる。その瞬間を生で見られた時の幸福感はアーカイブで見た時とは比べ物にならない。


 一つ、物足りなさを感じてしまう要素があるとするならば。


「どこだっけっかな……」


 机の引き出しを開き、チラシやら郵便物の束の中を探る。たしかコンビニに行ったときに何となく持ち帰ったものがあったはずだ。それがたしかここに……ああ、あった。

 多少くたびれてしまった黄色の表紙のそれは、無料で配布されている求人情報誌だった。中をぱらぱらとめくってみる。時給千円程度のアルバイトの情報がいくつも並んでいた。


 一つ俺が物足りないと感じてしまうのは、ハイパーチャットだ。今日の配信でもあったハイパーチャットを送る流れに、俺は参加できない。何故なら、金が無いから。ニートだから。働いていないから。気軽に人にチップを送る余裕がないから。

 配信を盛り上げる一端を担ってみたいのに、俺はハイパーチャットを送ることができない。

 

 それに、そういった流れに参加したいというだけではない。

 無料で楽しませてくれている相手に対して、感謝の気持ちを表現してみたい。

 別にそうして送ったコメントを読んでもらわなくたっていい。それは自己満足だ。俺は本当に心の底から感謝しているんだ、と自分自身に言い聞かせたい。そうすることで俺は今よりももっと配信を楽しむことができる気がする。配信と一つになれる気がする。


「……なんてな」


 求人情報誌を閉じる。机の上に置いたままなのも邪魔なので、丸めてごみ箱に捨てた。

 配信を見るために生活リズムを変えて、ハイパーチャットを送るために働き始めて。そこまでいったら……もう俺はやつを人生の師とでも呼ばなくてはならない。

 俺はヒキー・ニッターに感謝もしてるし、まぁ嫌いじゃないとは思ってるが、かと言ってそこまで好きかと言われると、疑問は残る。なにより自分自身がそんな自分であると信じたくない。


 ニートはニートらしく、という訳でもないが、ゲームを立ち上げる。

 ヒキー・ニッターの配信が早めに終わったので、今日は寝るまでにまだまだ時間がある。積みゲーもそこそこにあるのでさっさと消化したいところだ。

 ゴミ箱の中の求人情報誌がやけに強い存在感を放っているような気がしたが、その気配から逃げるように、コントローラーのスタートボタンを押した。

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