1.俺が、俺たちがVtuberだ!
「ドアを開けてって言ってるでしょ!」
「い、いやだぁ!」
今にも蹴破られんとするばかりにドアがどんどんと叩かれている。
我が城に攻め込もうとする侵略者の名前は本条岬。実の妹だ。
世界一可愛いと思って可愛がってきたが、今となってはこの有様。
可愛さ余って憎さ百倍とはこのことだ。
いや、ごめん、嘘。
今でも世界で一番愛してる! あ・い・し・て・る!
「気持ち悪いこと言ってないで早くドア開けて!」
「……あ、やべ、また口に出てた」
昔っから思っていることが口に出てしまう性質だった。それも別に嘘がつけないとかそういう類ではなく、独り言が止まらないとか、そういうタイプ。
学生時代も教室の隅っこで本を読みながらぶつぶつ独り言を言っていたから、それはもう気持ち悪がられていた。
まぁ社会人になってからもだけど。
なんど「黙って仕事も出来ねぇのか!」と怒鳴られたことか。
でも今は一日中自室に引きこもっていられるから独り言も言い放題!
ニート最高! ニート万歳! いつかはつかめ! ニートの一番星!
「いい加減に、しろって、言ってるでしょ!!」
「あっ」
何かが砕けたような音がして、鍵をかけていたはずのドアが開かれた。
うそでしょ、ぶっ壊れたの? ていうか壊せるものなの? 恐ろしすぎる……。
「布団干すだけって言ってるでしょ! なんで部屋に閉じこもるの!?」
「だ、だって、布団干すだけなんて嘘なんだろ?」
「はぁ?」
「ネットで見たんだ。引きこもり強制収容施設があるって。ドアを開けた瞬間に施設の人たちが俺を連れ出すんだ。そして、明るい太陽の下で快い空気を吸わせて、『ああ外の世界はなんてすばらしいんだろう』って感激するように仕向けてくるんだ……」
「……それはむしろ感謝すべきじゃ?」
たしかにお日様の下は気持ちいいよ?
でも苔むした岩陰で生きるのもまた格別なのだ。ダンゴムシにはダンゴムシの生き方があるし、ペンギンは空を飛べないんだよなぁ。
「とにかく俺は外には一歩も出ないからな!」
「別に外に出ろなんて言ってないし、いつも言ってるでしょ。お兄ちゃんが気のすむまで休んでて良いって」
岬ちゃんは「なんど言えばいいの?」と言葉を紡いで、じとっとした目を向けてくる。
「で、でも、お兄ちゃんがヒキニートってやっぱり嫌でしょ?」
「そりゃあ良いとは言わないけど……お父さんとお母さんが死んじゃってから、必死に働いてこの家を守ってくれたのはお兄ちゃんでしょ。今はちょっと働き過ぎて心が疲れちゃったんだと思うから、元気になるまで休みなよ。幸い、お兄ちゃんが働いていた時のお給料とか遺産とかで貯金はまだまだあるし」
加えて「なんだったら私もバイトとかして家にお金入れようか?」と首を傾げて訊いてくる。
うう……我が妹ながらなんてええ子なんや。
世界妹選手権があればぶっちぎりでNO.1をかっさらってくるに違いない。でもそんなのに参加したら世界中の男たちが岬ちゃんという至高の存在に気付いてしまう。そうなればかぐや姫ばりの求婚ラッシュが始まってしまうだろう。たとえ相手が誰であっても岬ちゃんは俺が守護らねばならぬ。アイドルもプロ野球選手も、否、アラブの石油王であっても。
「だからいつか俺と結婚しようね?」
「なにが『だから』なのか全く意味が分からないんだけど……」
「岬ちゃんも俺と結婚してくれるって言ってたじゃない」
「言ってないけど」
「言ってたよ! あれはたしか……岬ちゃんが5歳の頃だったと思う」
「そんなちっちゃい頃の話忘れてよ……私もう高校2年生なんだけど」
「え、いつの間に!?」
「毎日顔合わせてるのになんでそんな反応できるの? ていうか、毎年誕生日一緒に祝ってるでしょ」
ついこの間までハイハイしながら俺の後を追いかけて来ていたような気がするが、月日が経つのは早いものだなぁ。
言われてみれば岬ちゃんの見かけはもう子供のそれではなく、美少女のそれだ。なんなら大人の女性へとなりかけているようにも見える。両親譲りのすらっとした体形はファッション誌でモデルをしているといっても『ああ、道理で』と相手を納得させられるだけのものはあるだろう。
うーん、うちの妹はやっぱり世界で一番かわいい!
いや、もう世界を超えて宇宙と戦う日が来たのかもしれないな。
「なんでもいいから早くお布団」
「あ、はい」
心底面倒くさそうな声音だったので、俺は先ほどまで自分がくるまっていた布団を預けることにした。
「あ、手伝います」
「なんで敬語? いいよ別に、これくらい」
小さく掛け声を入れて、岬ちゃんは敷布団と掛布団をまとめて持ち上げる。
それから部屋を出て行こうとして、「あ」と思い出したように振り返り、両手いっぱいに布団を抱えた状態で「今日何か食べたいものある?」と訊いてきた。
「えっと、じゃあハンバーグ……」
「またハンバーグ!? 好きだねー、お兄ちゃんも」
「岬ちゃんの作るハンバーグは世界一美味しい!」
「はいはい、じゃあ今日の晩御飯はハンバーグだからね。お菓子食べ過ぎたりしないでね」
母性溢れる優しい声でそう告げて、愛すべき妹は俺の部屋から出て行った。
「ばぶー……」
いけない、岬ちゃんのバブみが強すぎて赤ちゃんになってしまった。
自分の顔を両手で叩いて気を引き締める。おれはしょうきにもどった。
「……いや、正気にはなってないか」
一回りも歳が離れた妹に布団を干してもらい、一回りも歳が離れた妹に飯を作ってもらっている。三十近い男がこうしている姿が正気と認められるなら、恐らく世界はとうに滅びていることだろう。
「俺はなんて情けない男なんだ」
がっくりと項垂れる。布団を岬ちゃんに渡したとき、唐突に自分がどうしようもない男であると実感してしまった。
今でこそ俺が働いていた時の貯金で暮らしているが、今後死ぬまでずっとそうしていられるはずもない。岬ちゃんだって、いつまでも俺と一緒にいてくれるわけではないのだ。……いてくれないのかぁ。なによりそれが寂しいなぁ。
「じゃなくて」
もしも岬ちゃんが留学したいだとか、医学の道に進みたいと思った時に、お金がないから難しい……なんてことになるのだけは避けなければならない。
今ある貯金だけでも大丈夫だとは思うが、石橋どころかレインボーブリッジを叩いて渡るくらいの心持ちでいなければ。
「働く、かぁ」
前職の最終出勤日から約一年といったところか。
今でもあの辛く苦しい日々を夢にみるが、岬ちゃんのためにまた頑張ろうと思えるくらいには精神も回復した気がする。
とはいえ、またあの時のようにサビ残が当たり前で、いつでも上司の怒声が飛び交う「閻魔様のお家かな?」というようなアットホームな職場は勘弁してもらいたい。イエス労働基準法。ノーモアブラック企業。
「なんかネットにいい仕事転がってないかな……」
というわけで、俺は遮光カーテンが光を遮る薄暗い部屋の中、 ディスプレイのバックライトに照らされながら、ネットに転がっている求人募集を眺めていた。
ハローワークにもいかず、リクルートサイトにも登録していないので、本当にやる気はあるのか、と疑われてもしょうがないのだが、これはいわば助走なので許してほしい。いきなりハローワークというジャンプをするわけにいかない。
だってやっぱり怖いし。今の状態で「一年間なにしてたの?」と訊かれたらその時点でショック死するかもしれない。伊達に1年ヒキニートはしてねぇぜ。
「やっぱそうそう良さそうなのはないか」
しかし、しばらく眺めても良さそうな求人は無かった。なので休憩がてらにネットニュースのサイトへアクセスする。
懐かし漫画の再アニメ化だとか、新発売のゲーム機の情報なんかに並んで、気になる一文があった。
「ゆめパズル、新人Vtuber募集……?」
最近ちょくちょく話題になる『Vtuber』という単語に惹かれクリックしてみる。
どうやら『夢花火』という企業が『ゆめパズル』というグループ名の下、新しくVtuberを募集するため、オーディションを開催するという話らしい。
「一次面接は書類と……動画? ああ、立ち絵と設定が最初に用意されているから、それに合わせてそれっぽい自己紹介動画みたいなの作れって感じか。第二面接はWEB面接……で終了なのか。すごいな、直接会社の人と会うのは合格してからってことになるのか」
面接のやり方も近未来的になったものだなぁ、と思わず驚嘆する。それに俺は就活の時の面接がなにより嫌いだったから、ちょっとだけ羨ましくもなる。
怖かったなぁ、あの自分が品定めされる感覚。最終的にはどれだけ上手く嘘をついて自分を売り込み、企業側のつく甘い嘘を見抜くか、という就活人狼が始まっていた。結局騙されてブラック企業に入社することになったわけだけどね。しかも、就活人狼が恐ろしいのは朝が来ないと気付くまでにラグがあるんだよなぁ。俺が気づいたのは入社してから1か月後でした。
「にしてもVtuberねぇ」
VtuberとはバーチャルMetuberの略称だ。
コンピューターグラフィックスの外見をWEBカメラや赤外線センサーと連動して動かし、生きた二次元キャラクターになり切り、動画共有およびライブストリーミングサイトであるMetubeで、動画投稿や配信を行うというものだったと思う。
少し前までは普通のMetuberと同様に動画を作って投稿する形が主流だったようだが、今は配信――つまり、テレビでいうところの生放送みたいなもので、視聴者とリアルタイムに触れ合いながら雑談やゲーム実況、歌配信などを行ったりするとか。
「まぁ、俺には無理だな」
実のところVtuberの動画や配信を見たことがないので詳しくは知らないのだが、結局のところ人気商売であるのだけは確かだ。
彼女どころか友達もいない。人間性皆無の俺に大多数の人間を集めて楽しませることなんてことが出来るわけがない。
こういうのは特別な人間にしか出来ない。
俺みたいな凡人には縁のない話だ。
そう思ってページを閉じようとした。
「……ん」
そこで一つの絵が目に入った。
今回新規で募集されるVtuberのキャラクターデザイン画像だ。
「名前は……『ヒキー・ニッター』? ヒキニートのもじりか。ネタキャラなんだろうなぁ」
魔界の悪魔ことヒキー・ニッター。
長らく魔界で自堕落な生活を送っていたが、親の大悪魔に勘当され、しょうがなく人間界で働くこととなり、Vtuberをするようになったという設定らしい。
あまりに突っ込見どころが多すぎるため、深夜に泥酔しながら考えたのではないかと疑いたくもなるが、この際設定はどうだっていい。
問題は、だ。
「なんかこの絵……」
髪色こそ白いため、黒髪の俺とは全く違う。
しかし、隈の目立つ目元だとか、その目を隠すのではないかと言うくらいに伸びた前髪だとか、病的なまでに白く細長い手足だとか。
その風貌は、どことなく俺に似ているように思えた。
「……ヒキー・ニッター」
俺たちはディスプレイ越しに見つめあう。
もちろん相手はただの絵なのでそこに感情があるはずもない。
虹彩の配色として金色が設定されているだけに過ぎない。
だが、そうだ。
感情はなくて当然だ。
こいつは今、魂のない抜け殻のような状態なのだから。
では、その魂はどこにあるのか。
決まっている。
ここにいる、この俺だ。
俺が、こいつの魂になるのだ。
「……どうせやることもないしな」
駄目で元々だ。
男は度胸なんていう昔ながらの言葉もある。
意を決して俺は応募フォームのページを開いた。