31:受け継がれた場所
(エル視点)
なぜ、私たちがこんなにも早く、玉座の間にやってくることができたのか。
それは少し前に遡る──
まだ崩れたところの多い、春の大地。
私とフェンリルは、異常がないか、空気の変化を感じながら散策していた。
足に風をまとわせながら、獣の直感に従って歩けば、このくらいの自然はなんてことない。
大精霊は北の大地ではなくても、するすると歩むことができた。
むしろこのあたりの動物は私たちを警戒して、むやみに攻撃してくることはなかったし。(北の動物の方が、フェンリルと捕食バトルしていたから好戦的だったかもね!)
春の魔力が濁っているところがあれば、冷風で霧散させてあげて。
まるで夏のように暑くなってしまったところがあれば、ひんやりと冷やした。
「私たちはこの見回りに時間がかかりそうだね。でも目の前の仕事をしっかりとやっていこう」
「エルらしいな。よくできているよ」
「ンフフ。……」
「でも、見送った者たちが心配でもあるようだ」
「……うん……」
フェンリルがふと、私の肩を抱いた。
そっとした力で、ふんわりと休ませるように。
仕事場を見逃さないようにと張り詰めていた神経が、ふっと和らぐ。まばたきが少なくなっていた目がとろんとしてきて、ああ、疲れ過ぎるところだったって分かった。
フェンリルと同じように仕事をしなきゃって、思ってしまっていたようです。
キャリア的に、まだまだ敵うはずもないのに。
私がそばに行って調べようとしていた場所にも、フェンリルは指先一つで冷風を送り、完璧にちょうどよく調整をしていた。
羨ましいなあ。
かっこいい!
「かっこいい!」
「それは良かった」
「もっとやって!」
「頼ってもらえるのは嬉しいんだよ」
「そうだったよね。すっごいかっこいい! あっ、ちょっと寒いです」
「おや、嬉しくなりすぎた」
「そんな感情豊かなところも好きだァァ……」
「ありがとう」
フェンリルがくすくすと笑った。
そして、ピュイっと口笛を吹く。
軽快というよりは、どこか、オオカミの遠吠えのような喉から空気が出ていくような響きだ。
ピク! と私の獣耳も上を向いた。
同じように、惹かれたのか、緑の妖精たちが集まってくる。
さすがのカリスマでみんなの心を掴んだらしいフェンリルが、緑の妖精たちに問いかけた。
「状況はいいか?」
<ハイ。ハイ……!>
「そうか。お前たちからみて問題なければ、よかった」
<ヨカッタ!>
くいくい、と緑の妖精が私の服の裾を引っ張っていた。
フェンリルの側からはちょっと距離を置いている。
魔法を使ったばかりのフェンリルは大精霊の威厳がすごいから、ちょっと怖がってしまうみたいだね。
フェンリルは穏やかな顔で、私たちを眺めていた。
あなたが待っていること、わかるよ。
私と、緑の妖精どちらもの、成長を望んでくれているんだ。
この緑の妖精はちょっと大きい。
他の小さな妖精を束ねる、ベテランのように見える。きりっとした顔つきで、話し始めた。
<妖精女王様のところに行って差し上げてください。どうか>
「あの子なら大丈夫だと思うけど……」
タウリィア姫たちが、成長する機会を奪ってしまわないだろうか。
<いいえ、大丈夫だとご本人が思っていらしても、大丈夫ではないのです。できるからと初めてのことに挑むなんて、どんな方であっても、大丈夫なんてこと、ないはずなんです。それは大変なことです>
後ろの方にいた、小さな緑の妖精が、コクっと大きく頷こうとして、ぐるるんと一回転して地面に転がった。……なるほど説得力。先輩が助けてあげている。
ああ、あたたかい言葉だなあ。
ふと、会社員時代のことを思い出す。
冬の時のように、そのことで悩んだりはもうしないけれど、あのとき傷ついていたことは覚えている。
大丈夫、と繰り返していたっけ……。
その時、誰かに手を差し伸べてもらえたらどれだけ嬉しかっただろう。
それがなくても大丈夫かもしれないけれど、きっとすごく嬉しいし心強いはずなんだ。
私は、ラオメイのみなさんに、せっかくだから喜んでほしいって思ってる。
「行っちゃおう。フェンリルも、いいかな?」
「そうしよう。ここは緑の妖精に任せてもよいだろう。よく慣れた雪妖精も、これくらいの現場は整えてみせたから。では、オマエたちにまかせていいね?」
<<光栄です>>
シャラシャラ、シャラシャラ、と妖精の翅が鳴る。
雪妖精とはまた違うきれいな響きだ。
大きな木の葉がそよいだ時のとっておきの音だけを、集めたような翅の音だった。
思わず心も涼やかになる。
ぺこり、と緑の妖精がお辞儀をした。
そして、何かを呼ぶような仕草。
<せっかくなので乗って行ってくださいませ>
「っぎゃーーーー!?」
でかい虫!! 蝶々のお顔、どん、はビビるって!
まるでカイコのような姿の虫に乗って──これは北国のユニコーンなど、幻想的な生き物に当たるのかもしれないな。(一緒にするなってグレアは怒りそうだけど)
空気が綺麗になったから、お礼に乗せてくれたようだ。
いざ宮殿へ──
「わりと飛行が荒い!!」
………………という感じでした。
ああ、思い出したら足がガクブルしてきてしまった。
その虫たちには宮殿の外で待っていてもらっている。
今頃、ハオラウさんのところで休憩しているはずだ。
清らかな空気を好むからね。突然、たくさんの巨大蝶々に囲まれた彼は怖がっているかもしれないけれど……。頑張れっ。
国王様の歩行を手伝いつつ、ゆっくりと向かったのは、廊下のつきあたり。
なんと、隠し扉があった!
その先の狭い廊下をゆくと、一気に視界が開ける。
崖だ。
崖っぷちだ。
ヒュオオオオオ……と、谷底から風が吹いてくるのが恐ろしいんですが。
足がすくみそうだよ!
地面は、平らにならされていた。
切り立った崖でゴツゴツとした岩肌が見えている中、真っ平らになっているところが一部屋分くらい。どうしてこうなったのか? こんなところ、安心して工事もできるはずがない。
国王様が、中央に歩んでいく。
かすれる声で、私たちに説明しようとする。
「ここは、普段は、国王が鍛錬場として使っております」
「こんなところで鍛錬を……!?」
「それが伝統ですから」
とほうもない、歴史を守ろうとする強い意志があるんだ。
圧倒される……。
感想にしたら陳腐になってしまうくらい。
国王様の岩のように固そうな背中は、揺らがないものを語っていた。
人が到達しうる精神の極致のように感じられた。
私は前ばかり唖然と見ていたけれど、フェンリルは周りを見渡していた。
私たちが入ってきた木組みの入り口から、弧を描いて半円状に、壁があった。
「壁に文字が書かれているな。ラオメイ語のようだ。エルは読めるか?」
「うん。異世界人がこの世界にやってくるときの補正のようなものがあるから……」
それはラオメイの記録だった。体術。緑魔法。春龍様に仕えるものとしての心得。
けして消えることのないようにか、すでにある文字の上に全く同じように書きなぞられている。
後で聞いたことだけれど、緑の魔力を持ったペンで書き足すんだって。これは王族の女人が行う。一番新しいインクがついているものは、亡き王妃様が記していたのだという。
これを毎日、毎日、毎日、眺めて修行して──今の国王様があるんだね……。
”どれほど鍛えたら。
どれほど想えば、春龍様に近づけるのだろう。
常にその疑問を忘れるな。”
と、精神論が書かれているところもある。
国王様は呼吸を整えている。
ここに入ってきてから、ずっと。
上を向いて、空の向こうに春龍様を探すようにしながら、体を伸ばしている。
ここから下を向いたらさ、民家が見えるんじゃないかな。
国民の質素すぎて貧しい暮らしぶりに、気づけていたかもしれない。
けれど王様は気にかけられなかったんだよね……。
「──……──……──……」
空を。
今は光が差し込む青空を、仰ぐ。
国王様はほんのわずかな鋭い呼吸に乗せて「省みることができなかった」と呟いていた。自分の修行に夢中になりすぎていたと思ったからなのかな。今こそ、国家に生きている人のことを思って。
おそらく反省のためのとても短いラオメイ語だったんだろう。
私の耳には、翻訳されて聞こえただけ。
ラオメイの歴代王族の方々も、同じような反省をしたのかもしれない。
だから、そんな言葉が生まれたのかもしれないね。
これからは改善されるといいですね──。
国王様の腕に、タウリィア姫がそっと腕を絡める。
懐いているみたいだ。
親子みたい。
”上手く生きる術を学べなかったのであろう、国家の犠牲者。おかわいそうな姫君。”
ミシェーラ・レア・シエルフォンは、かつてそう言った事がある。
タウ姫から、大臣から、国民から、そして自分の体を持って、現状を知った国王様はきっと変わってくれるはずだと思うんだ。
「──呼吸が整いました。彼女に共に唱えていただきましょう」
「タウ? タウのことね? よろしいわぁ。そんなふうに誘うのだもの、やんわりと微笑んでいらっしゃるのだもの。楽しいことなのでしょうから、やるわぁ!」
ころころと風に乗る軽快な笑い声が、春にふさわしく──。
国王様と、タウリィア姫が、手を取り合って声を合わせる。
「【刹那明明】」
それはまるで、フェンリル族が冬を呼ぶ魔法を教えるための儀式に似ていた。
けれど、人のために。人が使える魔法を、ラオメイらしく、王族の間で伝えているんだね。
……。
…………。
「魔法が発動しない……?」
その時、タウリィア姫が振り向いて、まっすぐに聞いてくる。
「ねえ、どうしてなのか教えてくださる?」
「それでは教えよう」
当然のように言って、フェンリルはぱちんとウインクした。
そうだよね。こんな時のために私たちがいるんだから!




