30:次世代想像
(国王視点)
とんでもないものを見てしまった気分だ……。
妖精女王が、飛び蹴りを放った。
大臣の結界は割れてしまい、ふっとばされた。
壁に激突した大臣は、動かなくなった。体から緑の魔力が抜けている。みるみる筋肉がしぼんでいって、その筋肉を失った表面の皮膚が、だるんとゆるみ、しおしおとした小男になってしまった。
…………。
…………。
これまでであれば見限っていただろう、と己を振り返る。
みっともないと感想を抱いて、終わりだっただろう。
あの決闘でさえも、今後の己の糧にするだけで。
しかし、血を吐くようだった大臣の主張をぶつけられた今となっては、そのような呑気な感想を抱けるはずもなく、ただただこの結末が無念であった。
我も、奴も、これまでのままではいられまい。
間違っていたのだ。
これまでの生き方の様々なところが──。
どうしようもなく──。
「げほっ……ふう……」
「きゃーーやったわーー! かっこいいでしょうー!」
飛び跳ねている妖精女王を、かすむ目でみる。
華やかなあの着物が揺れるさまは、このおぼろげな視界でも視認がしやすかった。
”エンターテイメントにせよ、とのご発令”……。
彼女はそう言った。
それを言った人は誰だろうか。
頭に浮かんできたもっとも可能性が高い人物は、はるばる森林地帯まで行ってくれた、冬フェンリル様と冬姫エル様。
けれど、と首をひねる。
あの、まじめで几帳面そうな二人と、エンターテイメント発言がなんだか合わないような……?
気絶していた大臣が、目を覚ました。
そして己の姿に気づいて、絶叫する。
「なぜだ。なぜだ、なぜだ、なぜこんなことにぃぃぃ……!? 素晴らしい筋肉はどこへ行ったんだ!? さっき妙なことをされた……体の中から緑の魔力が無くなっていくような感覚だァ……あいつが、あいつが力を奪ったんだ。奪った! やっとの思いで手に入れた力を! やっとムキムキになれたというのにィ! 奪いやがって、ぐぐ、うぐぐぐぐ……!」
大臣がひょろひょろと立ち、その手から、棒状に練り上げた緑の魔力を発射する。
投擲術か!
他国の武術であったはずだ。
そのようなものまで習得していたとは。
「きゃあっ」
「させません」
攻撃を弾いたのは、平民だった。
「へへへ、平民に負けた……ああもう……。国王を討てず、王族娘を討てず、平民にすら阻まれる……。……力比べをしようにも、この、この細い腕ではもう……ッ!」
それでも最後の気力を振り絞って、大臣は向かっていく。
痛ましそうな顔をした平民に、手加減をされた上で、倒される。
王族が地に伏せて、大臣が権力を枯れさせて、平民があの長階段の上にまで登ってくる。
歴史が変わる音がたしかに聞こえた──。
春龍様の咆哮は、歴史の変わり目に訪れるのだという。ラオメイの古い昔話だ。
天上では春雷の轟きと、春龍様の、歌っているかのような咆哮が響いていた。
首元に手刀を落とされて、大臣がついに動かなくなる。
意識のない彼は、大柱のふもとに寝かされて、上着をかけられた。
きっと目覚めたらまたその細くなった体に絶望するのだろうから、それは優しい選択だった。
上着を脱いで上体半裸となった平民男は、なかなか立派な体躯をしているが、肌の色がところどころ紫のまだらになっていた。ああそうか、クアンシー・ハーフがいると聞いている。
なんと多様なものが、この玉座の間にいるのだろう。
王族しか入ることができない、という伝統など、消えてなくなった。
これまで気を張っていたが、諦めたことで、結界が消えた感覚がある。
止まりそうだった我の心臓には、結界を保っていた分の魔力が流れ込み、かろうじて再稼動を始めた。
もうしばしだけ、見ていたいと願ったのだ。
この玉座の間に美しい娘が舞う光景を。
ラオメイの再生を。
「ところでお元気?」
我に声をかけながら、彼女はキョトンとしている。
「さっき、魔力が流れ込んでいくのが見えたのよぅ。だからねぇ。お元気なのかしらって!」
ころころと笑うと、この玉座の間にまたたくまに緑が広がり、花が咲く。
神経をゆったりとさせてくれるようなかぐわしい甘い香りだ。
この空間において最も強者である、彼女。
この空間において最も尊敬を集めている、彼女。
この空間において最も緑の魔力を有している、彼女。
さきほどから見続けてきた、今の彼女であれば──国王がで代々受け継いできた場所に入れていいのかもしれない、と。
ああ、決めることができた。
「これ、を……」
手から指輪を抜いて、投げると、彼女の足元に向かってころげていく。
ホッとして、もうとうとう、心臓が止まるだろうと思った──。
………………。
………………。
──受け取ってくれないようだな。
「まあ、鞠けりね!? ようし!」
「「ちがう!」」
我と平民の声が、かぶった。
ぎょっと見開いた目を見合わせることが人生のうちにあろうとは。
「じゃあ、持って返してあげるわね。はあーい」
手の中にまた、指輪が握らされてしまう。
どうしたら伝わるのだろうか。
ぐぅ、と喉が鈍く鳴る。
「うふふ。さあ顔を上げて。あなたが国王なのでしょう?」
しゃがみこんで覗き込む姿。
その言葉はまっすぐな響きであって、なんの噓偽りもなく。
人間の国王が、引き続きこれを託されてもよいというのだろうか……。
迷っている間に、彼女はまるで蝶のように自由に遠ざかっていく。
入り口の方に誰かの気配を感じたようだ。
そして「きゃあ」と嬉しげな声を上げている。
「待ってたの」と着物の裾をまた弾ませた。
「ほーら。国王様ぁ〜! せっかくだから、紹介して差し上げるわぁ。ほら! タウのお友達なのよぅ。エルっていうの」
美しい乙女が二人並んでいる。
その言葉の通り、仲睦まじい友達のように。
それは自然に微笑んでいて。
ああ、──と深いため息が口から漏れた。
よかったな。
よくないことが多い人生だっただろうが、よかったなあ、メイシャオ・リー──。
我も一瞬、気絶していたらしい。
緊張の糸が切れたようだ。
涼しげな風が入ってくる。
「ラオメイの国王よ。手を貸して欲しいと願ってみるか?」
地に伏せたまままだ動けない自分の前に、氷色のブーツが現れた。
冬の大精霊・フェンリルその人だ。
こんなに荒れた床であっても靴先に汚れひとつない。この世界の理のはるか上にいる存在なのだからな……と、考えてから、ふと思考の先を変えさせられる。
よくよく見れば、足の下には氷が張っているではないか。そうやって魔力を使いながら辿り着いたから、靴先に汚れがなかっただけで、己の力を使いながらこの世界を駆け回って、ちっぽけな人間に意思を尋ねてくれている。
それは非常に距離が近いのではないだろうか。
自分たちが幻想を抱いて、遠ざけていただけではないか。
また、春龍様に行ったような、一方的な敬いを押し付けるところだった。
この歳にもなって、自らの未熟のなんと多いことだ……。
「手を……」
「ああ」
呟けば、フェンリル様はその手を差し出してくださった。
大人の男子の、しかし繊細な作りの、透き通るような白い手だ。
「よ、よろしいのですか……?」
「私がしようと思って手を出しているのだから、よいだろう。なぜ確認をするのだろうか。エル、今の彼の言動とは?」
「えーと、それはね、フェンリル。人は、やっていいよって言われても不安になっちゃうことがあるの。その言動の裏の気持ちを考えちゃったり、心配をするの。とくにフェンリルは違う文化圏から来たから風習が違う可能性があるわけだし……」
違う文化圏というか、人間と大精霊の違いの方であるが……。
「ラオメイの方々は、察することによってコミュニケーションを取る文化みたいだから。今、フェンリルから直接言われた言葉には確認が伴っていたんだよ」
ラオメイをこんなにもよく観察されていたことに、驚く。
やはり、とても真面目だ。
信用に値する。
実に分かりやすく説明をしてくれた冬姫様を、フェンリル様が片手で撫でながら、反対の手で、こちらの身を起こしてくれた。
細身の体躯に見えていたが、なんというたくましき力!この力の要因はなんだ!?研究をしたくなる衝動を抑え込みながら、礼を告げた。
「ありがとうございます」
普段ならば、最敬礼一つで表すところだ。
しかしこの疲労した体でそれをしたら、すぐに膝をつくであろうことはわかっていた。
腹に力の入っていない情けない声であったが、冬フェンリル様方は聞き届けてくれた。
「きゃあ」屋根板のかけらが落ちてきて、妖精女王タウ様が声を上げている。
「ふうっ」と気合いを入れて自らの体に力を込めると、彼女を助けた。
その後に、より大きめのかけらが落ちてきた。アレが着物に降りかかれば破れていただろうから、救えてよかった。
隣で同じように動こうとしていたであろう平民が、ぽかんとしている。
「すげえ筋肉」とこちらの破けた着物の下を凝視していた。そうであろう。鍛えているからな。
「んもう。ボロボロねえ。でもタウはあなたに再生って使えないの。癒すのは大精霊冬フェンリルの魔法らしいけれど、今は春だから全力を出せないものねぇ。どうしてあげたらいいかしらぁ」
「……ラオメイの奥地に、”土地の生命呪文”を唱える場所がございます。ともに来ていただけましたら、助けになります」
「そうなの? 行くわあ〜」
るんるん、などと鼻歌を歌いながら、彼女は私の手を引いた。
幼い頃の手しか知らなかった。
大きくなったな……。
「ちょちょ、ちょっと。国王様、動いても大丈夫ですか!? まだお身体がつらいでしょうに」
「止めてやるな、エル。命を削ってでもやりたいことがあるようだ。聞いてあげた方が彼も報われるだろう」
フェンリル様のまなざしからは、哀情を感じられる。
この我の命がもう長くないことを、察しておられるのだ。
「ご配慮、ありがたく……。では、向かいましょう」




