22:春龍というひと
春龍とは──春をつかさどる尊い大聖霊。
緑濃く霧深い峡谷をすみかとしていて、緑を凝縮したような黒髪の姫君がその役割を代々受け継いでいる。
四季獣のなかでも最も寿命が長く、桃を食べて命を繋ぐ体からはつねにかぐわしい香りがするという。
ラオメイに訪れる春風は、この世で最もやわらかな祝福を受けている。
寿命が長いため、春龍はゆったりと永い時を楽しむような性格をしていると推測されていた。
きちんと会えた者はもうこの世にいないため、稀に霧の間から垣間見えるその姿を想像しては、様々な芸術品が作られている。
神秘の乙女。
──春龍様はこのように伝えられていた。
実際その通りの印象を受けていた。
たおやかな淑女のような小柄な龍。
(うわーお……)
けれど想像以上の包容力でタウ姫の抱擁を受け止めている。
というか龍の尾をくるりと巻き付けひしっとすりついてイチャイチャしている。あからさまにイチャイチャしている!
『側においで、妾の可愛い子。好きよ♡』
「タウもよぅ〜」
『タウ?』
「そのような命名をもらったの。愛でてちょうだいな」
……チラ、と横を見た。
ハオラウ王子は顔から血の気が引いてわなわなと震えていて、赤くなったり白くなったり青くなったり……これはもう緑の魔力制御もできておりませんね。ここが毒の空気じゃなくてよかったね?
手を伸ばしそうになったり、グッと堪えたりと、ひいぃ噛み締めた唇から血が滲んでいるし。
ご乱心ここに極まれり。
「……影響されすぎではございませんか!?」
言った。
言いよった。
たいした胆力ぅ。
さらに、ハオラウ王子は一度も目を合わせてもらっていない。人選によって区別されていると、これまた精神にきてしまうんだよね。
「失礼ながらそちらのタウ姫の影響があまりにも……!」
うん、完全に二人の世界になってたね。
正直訪ねてきた冬の大精霊ほったらかしにされると思ってはいなかったよ。
『…………』
春龍様は扇のような尾で、お顔を隠してしまわれた。
ハオラウ王子のことだけはまっすぐに見られないみたい。どうしてかな。空気的に、嫌っているわけじゃあなさそうなんだけど。
『……その……』
「……」
『……いざ……』
「……」
『前にすると、こうも、恥ずかしいものなの?』
恥じらい屋さんですね!!
しかし長らく引きこもっていたのだから対面会話に慣れてないのも当然かぁ。あっ、咳き込みが体調不良じゃなくて「ゲフンゲフン」みたいになってるわ。これは会話慣れしていないゆえの喉の調子の悪さだわ。
さっき、濃い魔力を貰ってくれたから。
それで回復してくれているんだといいなあ。
ハオラウ王子の全開の「ぽかん顔」出ちゃいました。
どんまい。
「! そういえば春龍様のお言葉、翻訳がなくても私たちに分かりますね……」
『波長はきちんと合っていたのね? よかったわ。緑の魔力は生命に染み込む力──こうして考えを伝えることもできる。ひ、久しぶりだけれど』
春龍様はやんわりとした淡緑のオーラを纏っていた。
なあるほど。
植物や人体を活性化させたり、土地の芽吹きを調整したり、緑の魔力って便利だねぇ。
『タウ……タウかあ……可愛らしいねぇ』
大変お気に召したようだ。
言葉を伝えるだけでなく思考もダダ漏れのような。危ういんだけれど、春龍様のお心がまるで夢見る少女みたいに素直だから聞いてて爽やかなのがすごい。
あ、ハオラウ王子がやっと再起動した。
王家と春龍様がおだやかに和解できそうだから、私たち、待ってたんですよ。
「こちらのタウ姫には随分と馴染んでいらっしゃるようですが……?」
『ええ。名捧げをされて少し混ざったから』
あーー、名前の捧げあいってそういうところあるよね。
フェンリルが意気揚々と私と手を繋いだ。ちょ、ここで仲良くしているの申し訳なくなっちゃうな。
……。……。けれど嬉しいから繋ぎ返しちゃおうか〜。ほらフェンリル族も魔力の安定大事だからね。
影さんそんなに凝視しないで、いたたまれなくなっちゃう。
実の妹と混ざったと聞いて気絶していないだけ、ハオラウ王子はえらいと思う。
「経験があるから言うのだが」
「教えて下さいお願いしますフェンリル様」
おお、懇願スレスレじゃん……。
「名前をもらったら相手の過去を垣間見るんだ。だから特別な親しみが生まれる」
「フェンリル様たちがそうってことは……まさかタウ姫と春龍様が愛を育んでいるということですか!?」
「極端」
速攻でつっこんじゃったよ。
「連携が取れるなら良いことだと思うが?」
「影さん。あのねハオラウ王子が心配してるのは夫婦的なものだと思うの」
「良いのでは?」
「屍妖精的にはアリなんですねえ」
「しかし国家としましては、……………………くっ」
そういうわけじゃなさそうだからフェンリルたちに続きを聞かせてもらおうよ。ねえ。落ち着いて。
「私はエルに名前をもらって、影響も色々受けたけれど、冬を呼ぶことに支障はなかったよ。世界に四季を呼べるのであれば、個人の性格はそこまで重視することではないと感じている」
「…………未熟で恥ずかしい限りです…………」
「そうそう。数百年生きている私たちと比べたら、お前たちはずっと未熟なんだ。だから何度でも誤るものだと知っているし、そう気づいた時に改めてくれるならいいんだよ」
懐の深いこと。数百年を世界のために生きるという経験が、こうもすごい人柄を作るんだろう。
私もいずれそうなれるのか想像もつかないな〜。できるだけ良い人生の先輩になっていきたいから、冬姫業をがんばろう。
「私たちが今気にかけるのは、回復を受け入れてくださるのかってことじゃないかな」
ハッとした顔をしたハオラウ王子。
本当に余裕なかったんだね。ほら呼吸整えるといいよ。ひっひっふー。
『妾はそのつもりで冬の大聖霊に声をかけたので』
彼女の性質は変わっていない。
ハオラウ王子はホッとしたようだ。
「我々にできることがあればお申し付けください」
『……そうね』
ハオラウ王子が前のめりになった。
「回復するときには女子だけにしてほしいの」
そして締め出された。
*
ようやく春龍様は扇の尾を退けられた。
近くで眺めると、エメラルドのような鱗はひび割れが目立ち、所々がカビのまだら模様になっていて衰えが現れている。
人型になると、変化はよくわかった。
上品な老婆の姿。けれど肌にさまざまな傷やしみがあり、これがとくに恥ずかしかったようだ。はるか昔に失くした人間としての感性が、メイシャオ・リーの名前をもらうことで思い出されていた。
悪いことだけじゃない。
だって人にとても興味があるようだから。一生懸命におしゃべりして、今の人々のことを知ろうとしてくれている。
……どこをどれだけ話すかは、迷うけどね。
『あっ』
久しぶりに人型をとった春龍様は、疲労のせいで崩れ落ちた。
タウ姫がしゃがみこんで抱きかかえている。
「ねえ、人型じゃなきゃだめ?」
「龍鱗に覆われていたらどれくらいの冷気で冷やせばいいのか加減が難しい。けれど人肌なら、大体の勝手がわかるからなんだ」
「むう。あのねぇ春龍様、タウの体はひんやりとしているから寄りかかってちょうだいな」
……弱っている時にこんなふうに接してくれるなら、タウ姫に特別な好意を抱くのも、分かるなあ。
私たちは近くに寄って、手のひらをかざす。春の涼やかな冷風をイメージして。
私がおでこ、フェンリルが背中を冷やしていく。
冬の女王ということで、フェンリルのことは女性と思っているみたい。
おそらく視力もあまり良くない。私を眺めている目の焦点がうつろだから。
『きれいな白い肌ね』
ほうっと目元を和らげている。
『妾は、今となってはこんな姿だから……』
春龍様は恥じらうように手を顔に沿わせて、おそらく代替わりの時に着ていたのであろう薄桃色の少女着物の袖で、自らの皮膚のシミや髪を隠した。
艶のない白髪。
黒髪を尊ぶ価値観の国に生まれた彼女にとっては恥ずかしいのかもしれない。
フェンリルが彼女の髪を一度撫でる。
凍るようで、そのあとそっと溶けて少しだけツヤが戻る。くりかえしている。
これはまた……おそろしいほどの精密技術だ。
「綺麗な春にして差し上げよう」
『……楽しみ』
控えめにはしゃいだ声。ご高齢の見た目であっても、桃の花のように可憐だなあ。
このようなやりとりもなかったのかもしれない。長らくひとりきりだった春龍様。
これまで見返りはなくとも、春に己を捧げていらした方。
報われてほしいよね。
たくさん気持ちを込めて、魔法を使った。
元気になってくださいますように。
読んでくださってありがとうございました!
12/25は冬フェンリルコミカライズはおやすみです。
来年1/25をどうかお楽しみにです〜!
メリークリスマス₍˄·͈༝·͈˄₎◞ ̑̑




