16:五つ目の大輪の花
大輪の花が咲いたのは五つ目だ。
これほどのものが平民街に眠っているのを把握していなかったのか……、とハオラウが顔を歪ませる。
過去に資料があったか? 図書部屋にあったものを思い返してみるが記憶にない。
ということはおそらく、平民街に当たり前にあるものなど王族は気にかけておらず、また平民もこの花が咲かなくなっていることなど報告もしないくらいに上を信用していなかったのだろう。
影は?
そもそもほとんど姿を現さなかったのだ。
春龍を回復する可能性があると呼びかけて、やっとこのたび耳を傾けてくれた。
(王族はみな、ひとりきりで孤立しているな)
宮殿の最上階で修行をこなしていた、孤高の父を想った。
もう夜も明け始めたころだ。
薄もやの中で、冬姫エルが五体の緑妖精と戯れている──。
生まれたばかりの緑妖精は好奇心旺盛で、しかしあれやこれやと尋ねるには言葉が拙いので、エルの操る冷風にふわふわ浮かんでは薄桃色の翅をそよがせて踊っているように生きていた。
銀の鱗粉が周りにはねるたびにキラキラして、それは冬のパウダースノゥみたいだねとエルが笑う。
ポーー、と見惚れていた。
氷魔法を使ったあとなので銀色だった髪が、徐々に薄桃色を帯びてくる。同色の獣耳と尻尾がふんわりさらりとはずんで、軽やかな足取りはスカートの裾を遊ばせた。薄もやがかかっている中で、冷風を使っているエルの周りだけがうそのようにスッキリと際立っている。
「お姉ちゃんが春姫様ならいいのに」
心臓をつかれたような一言だった。
ハオラウがバッと横を見ると、頬を膨らませた平民の娘がぷいと横を向いたところだった。
瞬時に反対側を向くとは、なんとも勘がいい。
平民たちも修行をしているのだ。
大臣などよりもよほど動きがいいものもいる。
…………はー、とハオラウは小さく息を吐くにとどめた。
「ねえ、ねえ、お姉ちゃんが春姫様ならいいのにっ」
エルの服には幼子が必死にへばりついている。
エルであれば拒絶はされないし、また立ち場が強いのでハオラウに邪魔されることもないだろうと考えたようだ。
さすがに強く突き放すことはできなくて、エルの獣耳は自然にふにゃりと伏せた。
「フェンリル〜〜〜」
(助けを求めるとは。こういうのが心底苦手らしいな。ふむ)
大精霊の代替わりを務める姫君とは、気高くあれというのがラオメイのしつけだ。それにしたってメイシャオはワガママになってしまったが。
ではどうすればよかったのか?
(お手並み拝見といこうか)
「あの青年に相応の力を見せてもらえばいいのでは?」
フェンリルはハオラウに話を振った。
「は!?」
めったに動揺を顔に出さないハオラウがあからさまに慌てる。
足並みが乱れて、靴の下の砂利が音を立てたくらいだ。
「フェンリル様。あの、つまりは冬姫様の真似事をして見せよということですか? まさか!」
「ようは緑の妖精とあのように戯れているのが、いいなあという感想につながったのだから。それを王族がこなせるならばわりと解決するだろう?」
(だろう、ではない)
「エルをあげるわけにはいかないし。私の愛子だからね」
フェンリルが小首を傾げてみせるしぐさはたおやかで極上に美しいが、言葉の圧がすごい。絶対に譲らないと訴えてくる。
もしもやってみてできなかったら、王族はこれだから、と言われるに決まっているのに!
ハオラウは逃げ道を探す。
「さあ教えよう。こうしてごらん」
逃げ道は塞がれた。
フェンリルのことを恨めしく思いながらも、ハオラウも同じしぐさをするしかない。
指先に魔力を集中させて、魔法陣を描いていく。
円の大きさは盆くらい、多少ゆがんでいても問題はなく一定の魔力を空気中に滞在させることがコツのようだ。
緑の目を細めてその魔力を見、ハオラウは完璧に真似をした。
このようなことは父を見て慣れていた。
「!」
魔法陣が緑色に光って、先ほどまでエルと話していた緑妖精が円をつきぬけてくる。
ギュン!
おでこに激突した。
「〜〜っ!」
正直声が漏れそうなくらい痛かった。
全く何をしているんだ! と緑の妖精を叱りたくなったがとどめて、そしてあちらからは文句をたらふくくらった。
ハオラウが半眼でげんなりするのも無理はない。
「約束ができたようだよ」
「約束……ですか?」
「緑の魔力をいただいた対価として、ささやかな願いを聞きましょうとね」
「!?」
何を願おうか、と一瞬頭が真っ白になった。
「では、さっき冬姫様の手元で行なっていた妖精の舞いを……」
「「なあんだ。律儀な方ですね!」」
(やかましいわ)
ジェニ・メロの双子が茶化して、ハオラウは少々ムッとする。
もともと決めていたことしかできない頭でっかち、なんて言われたような気分だった。
唇がわずかに尖る。
指先を上に向けると、そこから緑の魔力がゆらゆらと立ちのぼる。
周りを緑の妖精がふわりふわりとささやかに舞う。頼りないようだった動きがまたたくまに整っていった。
ほう? と瞬きをしてハウラオは観察する。
「もともと緑の妖精は技術習得力が高いんだ。たくさん生まれてたくさん死ぬ、たまに屍妖精になる。春が来るたびに緑は巡る」
影がやけに抑揚をつけた声で話した。
この光景を眺めて、おそらく興奮しているのだろう。瞳孔が開いている。
しばらくして緑の色が空気に溶けてしまったら、踊りは止まった。
「すごい……見せてくれて、ええと、ええとね」
「頑張れ」
「「怖くないよ?」」
子供たちがこしょこしょと小声で話している。
「ありがとう王族様……」
ささやかな小さい声だった。
けれどハウラオの耳には極めて印象的に響いた。
別のことを願わずに舞いを見せてよかった、と感じた。自分の選択にこうもすっきりと納得できたのは、生まれてから初めてのことだった。
「フェンリル様。魔法陣による緑妖精との連絡など、代替わりの姫君にしか無理だと思っておりましたが……」
「私もそう思っていた頃があった"らしい"よ。数百年前、人間の王子だった頃にね。けれどその時に代替わりの姫君がおらず、やってみようと王子が挑んだらなんとフェンリルに成れてしまったんだ。この世には、やってみればできることがきっととても多いと知った」
フェンリルの笑みは四季のことわりのように、人に信じ込ませる力がある。
(ああ、人たらしだな。大精霊様とはこうなのか……)
ハオラウの胸が熱くなる。
「ぎゃん! フェンリルのその表情良すぎでは? 良すぎだなー。すごい綺麗、うわ鼻血でた……」
(冬・姫・様)
ハオラウは激しく思考をかき乱された。
美しさ・鼻血・綺麗さ・鼻血・ためになる話・鼻血……
平常心のためにとりあえず雑念を考え尽くしてキリをつけることにした。
(こ、この人代替わりの姫君みたいなものなんだよな?
はたしてフェンリル様のような落ち着きを身につけることができるのか?
というよりもお二人が夫婦でハネムーンということは交わりの末に子ができる?大精霊の真の愛子?は?
うわ鼻血が移った。最悪。
平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心……………
ふう。修行をしていてよかったな)
「お姉ちゃん大丈夫……? はい桃の葉……」
「あ、ありがと。えーと鼻血拭けばいいのかな……」
冬姫が春姫になるのは、ありえない。そうハオラウは結論づけた。先ほどとは言わないがかなりすっきりと納得している。
平民に心配されるようなその気質、ラオメイとは徹底的に合わないだろう。
むしろ厳しいフェルスノゥ王国と合ったのが驚きなくらいだ。
たおやかなフェンリル、穏やかな冬姫、二人がちょうどフェルスノゥ王国の足りないところをそうっと埋めて「冬」として調和しているのだろうか。
だいたい落ち着いた。
「「何か失礼なことを考えられている感じがします?」」
「脛をつねるな」
ハオラウがしっしっと双子の可愛らしい攻撃を払う。
その手に、緑の妖精がまとわりついてきた。
さきほどの緑の魔力が美味しかったからのようだ。
「血筋、ずるい……」
エルに新しい桃の葉を渡していた女の子が、じとっとした声でぼやく。
「いや、きっと信仰心ゆえだろう。緑の王族たちが春龍を大事にしてきたから緑の妖精が安心している。同じものを感じるからあの緑の魔力は受け入れたんだよ」
フェンリルが助け舟を出した。
ハオラウは複雑な心境で、緑の妖精を眺めていた。
はー、とため息。
「つまりは同種喰いなのだな」
「影殿、それはたとえ思っても言うな」
「フェンリルいいこと言ったねえ」
「冬姫様、僭越ながら桃の葉では拭いきれていないのでハンカチをどうぞ」
「「おにーちゃーん」」
「用がないときは呼ばなくていいです」
こんなに喋ったのはいつぶりだろうか。
ハオラウがささやかに苦笑したとき、朝日が眩しく差し込んできて、夜が明けた。
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