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偶像複合体  作者: 恵梨奈孝彦
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テープのゆくえ

『偶像複合体』


登場人物

久藤美樹   芸名「miki」。女子高生。18歳。アイドルとしてデビューしている。

小山内かのん 女子高生。mikiのおっかけ。16歳。

大石ゆめな  女子高生。かのんの友人。16歳。 

笹原久美子  タレント。mikiの事務所の先輩。22歳。

久遠遼一   mikiの兄。警察官。交番勤務。巡査部長。23歳。

石田 謙   mikiのマネージャー。25歳。

谷中(やなか) 茂美  おか持ち。19歳。更正した元不良少女。


開幕


一場  テレビ局の楽屋

    遼一が上手側、石田が下手側に立っている。遼一がラフなスタイルなのに対して石田は紺のスーツ。遼一はデパートの紙袋を提げている。

石田  「あんたもわからない人だな。ダメだったらダメだ!」

遼一  「お願いしますよ…。このまま帰ったら怒られるんです」

石田  「あのな、mikiはタレントなんだよ。そうホイホイだれにでも会わせられるわけないじゃないか!」

遼一  「だけど、これをすぐ本人に渡さなきゃならないんです」

石田  「だから、おれが預かるって言ってるだろう!」

遼一  「美樹に直接渡さなきゃならないんです」

石田  「mikiからそんな話は聞いてない! そうか。わかったぞ、おまえいいトシしてプレゼントを渡したいだけだな。それでちょっとでもタレントと話したいとか思ってるだけだろう。いま大変なことが起きてるんだ。おまえなんかに構ってられるか!」

遼一  「なにかあったんですか?」

石田  「…なんで部外者のオマエに言わなきゃならない」

遼一  「そりゃあそうですよねえ」

石田  「その袋の中身はなんだ」

遼一  「知りません」

石田  「そんな怪しいモノをmikiに渡せるか! 帰れ!」

    石田、遼一の後ろ襟をつまんで、文字通り上手の舞台外につまみだす。石田、舞台にもどると、後ろから遼一がついてくる。

遼一  「ねえ、お願いしますよ」

石田  「しつこいな、おまえ」

    石田、遼一に相撲のように組むと、腹で寄り切る。そのまま上手の舞台の外に出す。石田が舞台にもどると、後ろから遼一がついてくる。

遼一  「お願いします。渡したらすぐに帰りますから」

石田、振り向くと何も言わずに相撲の突っ張りで遼一を上手の舞台の外に出す。

石田が舞台に戻ると、遼一が石田に背負われている。

石田  「やっと帰ったのか? しかし重いな」

    石田、遼一を背負ったまま舞台の上をウロチョロする。いきなり気が付く。遼一を振り落す。

石田  「てめえ、なにやってるんだ! だいたいどうやってテレビ局の建物に入ってきた!」

遼一  「守衛さんが知り合いだったので」

石田  「いい加減だな。あとで文句を言ってやる。なにか身分を証明するものを見せろ」

遼一  「参ったな…。免許証は車の中に置いてきたし」

石田  「身分が証明できないんだったら警察に突きだしてやる」

遼一  「それは勘弁してほしいですね…」

石田  「なんか後ろ暗いところでもあるのか?」

遼一  「めんどくさいだけです」

石田  「スネに傷のある奴はみんなそう言うんだ」

    遼一、紙切れを取り出す。

遼一  「クリーニングの引換券じゃだめですか?」

石田  「ダメだ!」

    遼一、カードを取り出す。

遼一  「歯医者の診察券では…」

石田  「ナメてんのか、てめえ!」

遼一、別のカードを取り出す。

石田  「ポン太カードもダメだ! おまえ、学生なのか? だったら学生証かなんかあるだろう!」

遼一  「いえ、一応勤めてます」

石田  「だったら、社員証を出せ!」

遼一  「社員証は…、ないんですけど」

石田  「フン、警察に突きだしてやる!」

遼一  「カイシャの証明だったら…、(注…警察官はなぜか、警察署のことをカイシャと呼ぶ)これはあまり出したくないんだけどな」

石田  「さっさと出せ!」

    遼一、警察手帳を出す。石田、硬直する。

石田  「警察手帳…」

遼一  「はい」

石田  「まさか、今日の事件についてだれかが通報したのか?」

遼一  「自分は何も知りません」

石田  「(虚勢をはりながら)捜査令状は?」

遼一  「捜査に来たんじゃありません。荷物を届けに来ただけです」

石田  「(虚勢)おまえ、そいつを見せれば何でもできると思ってるのか?」

遼一  「いいえ、あなたが出せと言うから出しただけです」

石田  「理屈を言うんじゃない! ただの公務員のくせに、ちっとばかしの権力をカサにきるんじゃねえ!」

    下手側から美樹登場。上手に歩いてくる。遼一、それに気づく。

遼一  「すいませーん。そちらのお嬢さん、久藤美樹にとりついでもらえませんか? どうしても渡したいものが…」

    美樹、何も言わずに下手側まで来ると、石田を押しのけて遼一に対峙する。

遼一  「すいません、きれいなお嬢さん。タレントさんですか? 久藤美樹に…」

美樹  「ていっ!」

    美樹、遼一の額にチョップを放つ。

遼一  「何を…」

    美樹、遼一の肩をがっしりつかんで顔を近づける。

遼一  「近いですよ!」

美樹  「あんた、あたしの顔を忘れたの!」

遼一  「…美樹じゃないか、見違えたぞ」

美樹  「フン(照れたように顔をそむける)」

遼一  「女はバケるって本当だな。プロのメイクってたいしたもんだ」

美樹  「うぬっ!」

    美樹、遼一に頭突きをかます。遼一、ふらつく。

遼一  「おまえ、どこから入ってきたんだ!」

美樹  「(ふらついている遼一にかまわず)この楽屋はね、向こう側にも入り口があるんだよ!…紹介するよ。あたしのマネージャーをやってくれている石田謙さん。こっちはあたしの兄貴で久藤遼一」

    石田、呆然としている。遼一、美樹に紙袋を渡す。

遼一  「確かに渡したぞ。じゃあな」

    遼一、上手に歩いていく。

美樹  「待ちなさいよ、いまお茶を淹れるから」

遼一  「いいよ、なんか疲れたし。じゃあ家でな。親父とお袋が待ってるぞ」

    遼一、退場しようとする。

石田  「(遼一に)待って下さい!」

遼一  「お騒がせしました」

    石田、遼一の上手側に立ちふさがる。

石田  「座ってください」

遼一  「帰りますから」

石田  「座ってください!」

遼一  「用はすんだし…」

石田  「座れ!」

遼一  「(ちょっとヒく)は?」

石田  「はっ…!(深々と頭を下げる)座ってください!」

遼一  「はあ…」

    遼一、テーブルについて座る。この間、美樹はポットときゅうすの辺りをうろちょろしている。茶筒を一度開けてすぐに閉めたりしている。石田も座る。

石田  「すみません…、帰れと言ったり帰るなと言ったり…」

遼一  「いえ、もとはと言えば…。(美樹に)美樹! おまえが話を通しておけば良かったじゃないか!」

美樹  「(ソファーの上のバックの中を探りながら)ごめーん。忘れてた」

遼一  「まったく…」

美樹  「石田さんに、あたしの兄だって言わなかったの?」

遼一  「それってなんかズルいだろう」

美樹  「すぐに信用されたとは思わないけど」

石田  「さきほどの無礼をお許しください…」

遼一  「いいんですよ。あなたのお仕事でしょう」

石田  「…わたしだけではないんですが、芸能関係者は警察官を嫌います」

遼一  「善良な市民で、警官を嫌う人はたくさんいますよ」

石田  「そんなに単純なことじゃありません」

    美樹、バックからペットボトルのお茶を出して遼一の前に置く。

遼一  「…おまえ、お茶を淹れてくれるって言ったよな」

美樹  「だから、お茶じゃないの」

遼一  「これはお茶を淹れたんじゃなくてお茶を出したんだよな」

美樹  「淹れるも出すも同じでしょ」

遼一  「入れると出すじゃ反対だろ!」

美樹  「男のくせに細かいねえ。ちょっとシュークリーム持ってくるよ。ファンの子から差し入れもらったんだ」

遼一  「おまえがもらったんだから自分でくえ」

美樹  「タレントのウェートコントロールをなめないでね」

    美樹、下手に退場する。

石田  「芸能人っていうのは、多かれ少なかれ、堅気の人たちへの骨がらみのコンプレックスがあります」

遼一  「……は? ああ、さっきの話の続きですか」

石田  「あなた方のお母さんは、mikiさんがタレントをすることをどう思っていますか?」

遼一  「え? 母親は…」

石田  「聞いています。『女の子が脚を出して踊るなんてみっともない』という考えですね」

遼一  「お袋も考えが古くて…。親父はそうでもないんですが」

石田  「古い新しいじゃありません。全ての世代の女性が、もっとも嫌うゴシップってなんだと思いますか?」

遼一  「は?」

石田  「不倫です。主婦層はもちろん、女子高生さえ嫌います。では、アイドルタレントがいちばん大事にするのはなんだと思いますか」

遼一  「よく、ファンだっていいますよね」

石田  「では、ファンとは何でしょうか。不特定多数の異性です。つまりタレント活動とは、不特定多数との疑似恋愛なのです。不倫を嫌う女性というのは、男も女も特定の相手のみを大事にするべきだと考えます。彼女らがタレントを嫌うのは、考えが古いからじゃありません」

遼一  「なんか、飛躍してるような気がしますが」

石田  「タレントというのは、自分たちがそういう目で見られていることを敏感に察知します」

遼一  「人にもよるんじゃないですか」

石田  「少なくともわたしが知っている人たちはみんなそうです。実はわたしもデビューしたことがあります。全く芽が出ませんでしたが、高校を卒業どころか入学もしていないため今さらほかに就職もできず、今は付き人みたいなことをしています」

遼一  「立派な仕事です」

石田  「さらにタレントたちは、自分たちが提供しているのはしょせん娯楽でしかないことを知っています。だから、公務員、特に警官のような社会に絶対に必要な人たちに嫉妬している。むろん劣等感ばかりじゃありません。自分たちの方が稼いでいる。自分たちは有名で特別だ。そういう優越感と、劣等感がないまぜになっている。だからこのあと、あなたに対して不愉快なことを言う者がいても、許してあげてほしいのです」

遼一  「いいですよ。もうこういうところに来ることもないでしょうし」

石田  「いえ、じつは、警察官であるあなたにお願いがあるのです」

遼一  「…犯罪がらみですか?」

石田  「もちろん」

遼一  「ぼくは交番勤務なんですが…」

石田  「それでも普通の人よりは、犯罪にくわしいでしょう?」

遼一  「そりゃまあ…」

石田  「それにあなたは、mikiさんの兄上だ。警官としてより、身内として信用できる。これは被害届を出せるような件ではないんです!」

遼一  「…できることをやるのはかまいませんが」

石田  「ありがとうございます!」

    久美子、下手から登場。ずかずかと中央に入ってくる。石田、慌てて立つ。

石田  「笹原さん、おはようございます!」

久美子 「mikiちゃんは?」

石田  「すみません! すぐに挨拶に行かせます!」

久美子 「挨拶なんかどうでもいいわ! マスターテープは見つかったの!」

石田  「それが…」

久美子 「なんで事務所に保管しないで、こんなテレビ局の楽屋なんかに置いてたの!」

石田  「それは…、ちょうど一昨日からここがmikiさんの楽屋だったので…」

久美子 「言い訳はいいから、すぐに見つけなさい!」

石田  「はいっ!」

    美樹、シュークリームの箱を持って下手から登場。久美子の姿を見つける。遼一にシュークリームの箱を渡す。

美樹  「あんた、これ食べてて」

遼一  「ああ。ありがとう」

    美樹、久美子のそばにかけよる。

美樹  「久美子さん、おはようございます。すみません挨拶が遅れて。ちょっとごたごたが…」

久美子 「だから挨拶なんかどうでもいいの! あんたが自分の楽屋になんか置いておくからこんなことになったんじゃないの! 今日中にマスターテープが見つからなかったら、わたしは何をしだすかわからないからね!」

美樹  「はいっ! 今日中になんとかします!」

久美子 「ふん。断言したわね」

美樹  「はいっ!」

久美子 「じゃあ、期待して待っててあげる。『やっばり見つかりませんでした』じゃすまないからね!」

    久美子、下手に退場。これまでの間、遼一はペットボトルのお茶を飲みながらシュークリームをむしゃむしゃ食べている。

    久美子が出ていったあと、美樹と石田も座る。

遼一  「つまり、そのマスターテープを見つけてほしいってことですか?」

石田  「その通りです」

遼一  「どういった価値があるものなんです?」

石田  「笹原さんとmikiさんの初めてのデュェットをレコーディングしたものなんです。地味だけど実力ナンバーワンの笹原さんと、今や人気絶頂のmikiさんのカップリングですから大ヒット間違いなしです」

遼一  「いや、金銭に換えられるものなんですか?」

石田  「いえ、買い手のつくようなものじゃありません。ここの機械にかけてCDにして販売しないかぎり、一円にもなりませんね」

遼一  「マスターテープがなくなって喜びそうな人はいますか」

石田  「CDの発売を阻止するには有効でしょう」

遼一  「もう一回レコーディングをすればいい」

石田  「レコーディングには相当な金がかかっています。もう一回やっても発売が遅れます。すでに相当な宣伝が行われているし、発売が遅れれば金銭面だけでなく、イメージ的にも大打撃です」

美樹  「だいいち、久美子さんがもう一回なんてやってくれるワケがないよ」

石田  「プライドが高いですし」

美樹  「久美子さん、あのレコーディングの時が最高だったって言ってたもん」

石田  「さっきの笹原さんのセリフはプラフでも何でもありません。両親ともに芸能人で、この世界に大きな影響力を持っています。今日中にマスターテープが見つからなければ、mikiさんを無理矢理引退させるかもしれません」

    美樹、遼一が持ってきた紙袋を手にしてにこにこ笑い始める。

遼一  「マスターテープそのものはどんな形をしてるんですか?」

石田  「『テープ』という名前はついていますが、外見は普通のCDです」

美樹  「これだよ」

    美樹、袋の中からCDケースを取り出す。

石田  「…なぜこれがここに」

美樹  「これはマスターテープの原盤じゃないんだよ。一昨日実家に帰ったときに、記念のために家のパソコンでコピーしたんだ」

遼一  「けっこう、めんどくさかったろ」

美樹  「まあね。だけどこれで解決でしょ」

遼一  「あの女の人が来たとき、なんですぐに言わなかったんだ」

美樹  「久美子さん、ものすごい剣幕だったから言いそびれちゃった。…石田さん、どうしたの?」

石田  「それは役に立たないと思います」

美樹  「えっ…」

石田  「マスターテープの作成っていうのはとてもデリケートなものだそうです。CDにしても、モノは100均で売っているのと同じですが、あらかじめそのために調整したものを使います。…それは原盤の代わりにはならないでしょう」

    石田、美樹が持っていたCDケースを手に取る。

石田  「無駄になると思いますが、一応解析してもらいましょう」

    石田、下手に退場。美樹、呆然と座っている。

遼一  「…美樹、言いにくいことなんだがちょっと聞け」

美樹  「…さっき石田さんからいろいろ聞かされたみたいだけど、あの人の芸能センスは古いから鵜呑みにしない方がいいよ」

    上手がわの幕内から声がする。

かのん 「mikiさーん!」


二場

    美樹、上手に歩いていく。かのんとゆめなを連れて舞台中央まで歩いてくる。かのん、テーブルの上のシュークリームの箱に気がつく。

かのん 「mikiさん、かのんが持ってきたシュークリーム食べてくれたんですか?」

美樹  「えーと…」

    かのん、遼一に気がつく。

かのん 「(遼一に)もしかして、あなたが食べちゃったんですか?」

遼一  「はい。こいつが太るとか言って…」

美樹  「はあ?」

遼一  「なんでもありません…」

かのん 「ひどい! かのんがmikiさんのために持ってきたのに! mikiさんはかのんの嫁なのに!」

遼一  「(美樹を見て)嫁…」

美樹  「やめて! そっちの人じゃないからそんな目で見るのはやめて!」

かのん 「(美樹に)ひどいですぅ。かのんはこれほどmikiさんを愛しているのに…」

美樹  「あんたの愛は重いのよ…」

かのん 「それよりあなた、男の人なのになんでmikiさんの楽屋にいるんですか! まさか美樹さんの彼氏…。そんなことない。美樹さんがこんなに趣味が悪いわけない!」

ゆめな 「…失礼だよ」

美樹  「こいつはあたしの兄貴だよ。それで警察か…」

かのん 「(遼一をじろじろ見て)全然似てませんね」

遼一  「よく言われますよ」

かのん 「こんな可愛い妹がいて、肩身が狭くありませんか」

ゆめな 「かのん!」

遼一  「それもよく言われます。この前美樹が寮から帰省したとき、親父なんか『美樹がこれ以上売れたら、世間から比較されて遼一がかわいそうだ』とか言うくらいで…」

かのん 「へええ。お父様からも『mikiさんが売れたら、おまえはかわいそうだ』とか言われてるんだ…」

遼一  「はい」

かのん 「お父さんからも『mikiさんが売れれば立場がない』とか言われているかわいそうな人なんだ…」

遼一  「そうですよ」

かのん 「お父さんからも…」

美樹  「(キレる)いい加減にしなさい!」

    かのん、自分の暴言に気づく。

かのん 「(美樹に頭を下げる)ごめんなさいっ!」

ゆめな 「なんでそっちに謝るんだろう…」

    ちょっと気まずい沈黙。

美樹  「(遼一に)紹介するよ。小山内かのんちゃんと、大石ゆめなちゃん」

かのん 「かのんが親衛隊長で、ゆめなが副隊長だよ!」

ゆめな 「二人しか隊員はいないけどね…。二人でアンハッピーセットって呼ばれてるし」

美樹  「それで、こいつはあたしの兄貴で警察官の…」

ゆめな 「あの…、もしかしたら久藤遼一巡査部長ですか?」

遼一  「えっ?」

ゆめな 「ああ、やっぱり久遠さんだ。あのときは助けていただいて本当にありがとうございました」

    そう良いながらもゆめなは、遼一と距離を詰めようとはしない。

遼一  「いやいや、元気そうでなにより」

美樹  「…知り合いなの?」

ゆめな 「はい。お兄さんには…」

美樹  「お兄さんってなれなれしいでしょ! こいつの妹は、この世であたしだけだ!」

遼一  「そういう意味じゃないだろ…」

   石田、上手から登場。美樹を下手に呼んで言う。

石田  「ちょっとmikiさん、困りますよ。一般の人を楽屋に入れたりしたら…」

美樹  「いいじゃないの。今日はわたしの特別な日なんだし」

石田  「特別だからです! マスターテープがなくなったなんてことが外に漏れたりしたら…」

美樹  「(明らかに機嫌が悪くなる)この二人は信用できるよ!」

    美樹、かれんたちの方に歩いて行き、どうでもいいことを話し始める(アドリブ)。遼一が石田のそばまで歩いて行く。

遼一  「すみません。妹が迷惑をかけまして…」

石田  「いえ、仕事ですから」

遼一  「いつもあんな感じなんですか?」

石田  「いいえ。あの二人を楽屋に入れるのは珍しいことじゃないんですが、社外秘にかかわる時は遠慮させています。今日は様子がおかしいですね…」

    下手から久美子登場。

久美子 「あんたたち! マスターテープが行方不明になってるのに何を遊んでるの!」

かのん 「えっ、そうなんですか?」

    久美子、石田、「まずい…」という沈黙。

かのん 「で、マスターテープって何?」

ゆめな 「CDの原盤だよ。それがないとCDをつくれないんだ」

かのん 「大変じゃないですか!」

久美子 「大変だわよ! だから遊んでるなって言ってるの!」

石田  「遊んでいたわけじゃありません。(遼一を見て)こちらの方に協力してもらえるように頼みました」

久美子 「(遼一を見て)…だれ?」

美樹  「わたしの兄です。警察官をしています」

久美子 「さっきここでシュークリームを食べていた人だよね。刑事さんなの?」

遼一  「いえ、交番勤務です」

久美子 「はあ? 道を教えたり、落としものの管理をしたりしてるだけだよね」

遼一  「それだけじゃないですけどね。だいたいそんなことをしています」

久美子、笑い出す。

久美子 「バカバカしい! そんなのが何の役に立つの! あんた、警官だからっていい気になってるんじゃないの? これはね、何億っていうお金がからんだビジネスに直接関わっている話なんだよ。交番のお巡りさんなんかが出る幕じゃないんだ。さっさと帰ってちょうだい。わたしを22歳の女の子だと思ってナメるな!」

遼一  「女の…」

遼一・美樹・かのん・ゆめな「子?」

    遼一は食い入るように久美子の顔を見ている。他の3人は腕組みをしたり、頭を抱えたり、肩をすくめたりしながら同時に言い、からかうような雰囲気を感じさせる。

遼一  「シンクロした!」

かのん 「シンクロ率400パーセントだ!」

久美子 「ケンカ売ってんの、あんたたち!」

遼一  「いえ。純粋に疑問に思っただけです。いくつから大人の女として扱うべきか? いくつまで『女の子』と呼んで許されるのか? うちの親父なんて40を過ぎた女性を『会社の女の子』と呼んでいますが、かえって失礼なんじゃ…」

久美子 「カタギの人間は、テレビ出てる女には何を言ってもいいと思ってるみたいだけど、わたしはあんたたちのオモチャになる気はないわ!」

美樹  「刑事といえばカツ丼ですね」

遼一  「いきなり意味不明なことを言い出したよ、この人!」

美樹  「久美子さんは、あんたが交番のお巡りさんで、刑事さんじゃないのが不満なんだよ。だから、カツ丼なんだ!」

遼一  「安直…、っていうよりやっぱ意味不明だなあ」

美樹  「石田さん、うな(まさ)に電話して! お代は事務所につけといてね」

石田  「それはいいですけど…」

美樹  「(かれんとゆめなにお品書きを見せながら)あんたたちもなんか取る? カツ丼は重いよねえ」

かれん 「じゃあ、ヘルシーベジタブル弁当を…」

ゆめな 「わたしは別に…」

かれん 「かれんと同じものをもう一つ」

美樹  「あたしはうな重の特上!」

石田  「そんなものを食べたらふと…」

美樹  「(石田をにらむ)はああっ?」

石田  「いえ、何でもありません」

    石田、ソファーに座って電話をかけはじめる。

石田  「うな正さんですか? いつもの楽屋にカツ丼一つに、ヘルシーベジタブル弁当を二つ、それにうな重の特上を…」

久美子 「あんたたち、何してるの? お昼なんかよりマスターテープを!」

遼一  「いくらなんでも特上は高いんじゃないのか? ただでさえうなぎが高いのに…」

美樹  「あたしはそれくらいは稼いでるのよ。あんたがもし警察をクビになったらあたしが食べさせてあげるね」

遼一  「(屈託なく笑う)ははは、そいつはいいや」

ゆめな 「mikiさん。社会人の、大人の男の人にそれは失礼なんじゃないですか?」

美樹  「はあ? たった一回こいつに助けてもらったくらいで威張るんじゃないよ。あたしが何回こいつに助けられたと思ってるの!」

ゆめな 「だったら余計そういうこと言っちゃだめじゃないですか」

かれん 「(ゆめなに)あんた何をmikiさんに説教してるの! mikiさんの嫁はかれんなんだからね!」

ゆめな 「さっきと反対だ…。あんたまさか、mikiさんを引退させて、自分の嫁にしようとマスターテープを…」

かれん 「かれんがmikiさんに迷惑かけるようなマネをするわけないでしょ!」

ゆめな 「あんた、たしか夕べの九時ごろに、mikiさんを訪ねてこの楽屋に来たっていってたよね…」

かれん 「だれもいないし、鍵もかかってたからそのまま帰ったけど…」

    久美子、ホワイトボードに「21:00 小山内」と書き込む。

かれん 「何を書いてるんですか! かれんは容疑者ですか!」

久美子 「だれもマスターテープの行方を捜そうとしないからよ」

かれん 「あなたは夕べここに来なかったんですか?」

久美子 「七時ごろにきて、鍵を開けて入ったわ。そのときはCDケースは、そのままこのテーブルに置いてあったわよ」

    かれん、「21:00 小山内」の上に「19:00 笹原」と書き込む。

久美子 「何書いてるの!」

かれん 「さっきから聞いていると、久美子さんがmikiさんを好いていないように感じられます。デュエットCDを出すのがいやになって、お蔵入りにさせようとマスターテープを…」

久美子 「冗談じゃない! わたしがどんなに今度の仕事を大事にしているか!」

かれん 「部外者のかのんたちにはわかりません!」

久美子 「わたしはあんたたちみたいな、甘ったれた学生とは違うのよ。あたしとmikiちゃんの事務所の社長はカタブツで有名なのよ!、窃盗犯を事務所に置いといたりしないわ! クビよ、クビ! それにうちの社長がクビにしたタレントを雇う勇気のある事務所なんかどこにもないわよ!」

    久美子、ホワイトボードに「タレントは窃盗をしたらクビ」と大きく書く。

かれん 「わかりもしないくせに『甘ったれた学生』って決めつけないでください! わたしたちだって窃盗をしたら退学になります!」

ゆめな 「これについてはこの子と同意見です」

美樹  「あたしも学生なのでそう思います」

久美子 「ああ。mikiちゃんはちゃんと働いているから『甘ったれている』とか思ってないわよ。だけどこの素人二人は…」

ゆめな 「だからそれが決めつけなんですよ!」

    女たち、四つ巴の言い争い(アドリブ)を始める。いっせいに大声でしゃべっているので、誰が何を言っているのかわからない状態になる。

あまりのうるささに遼一と石田、ソファーに座りながら崩れるように倒れる。石田は受話器を握ったまま。

男たちが倒れたのを見て、女たち、いっせいに口を閉じる。

ゆめな 「(遠慮がちに遼一の肩にふれる)あの…、大丈夫ですか?」

    美樹、ゆめなを突き飛ばして遼一の体をしっかりと支える。

美樹  「ちょっと兄貴! だいじょうぶ?」

    遼一、目をさます。石田のそばにはだれも駆け寄らない。石田が握った受話器から声がする。

電話(うな正)「だれか倒れたんですか? もしもし、もしもーし!」

    久美子、倒れている石田から受話器を奪う。

久美子 「ヘルシーベジタブル弁当をもう一つ追加。急いでね!」

    久美子、電話を切ってテーブルに置く。

美樹  「ここで話すのはわたしたち以外が危険です。外に出ましょう」

久美子 「のぞむところよ」

    美樹、久美子、かのん、ゆめな、下手に退場。石田が目を覚ます。

石田  「はっ…。mikiさんたちは!」

遼一  「なんでも外でケンカするとか言って、出て行きましたよ」

石田  「うわあ…。待ってください。mikiさあん…」

    石田、走って下手に退場。


三場

    遼一、舞台に取り残される。

遼一  「まいったな…。どうしたもんかな、これ」

    上手から谷中登場。

谷中  「ちわーっ、うな正でーすっ!」

遼一  「うわあ、本当に早いな」

谷中  「いつもお客さんに『遅い』って怒鳴られるから、今日は特に急いで持ってきました!」

遼一  「ご苦労様です…」

    谷中、どんぶりと弁当箱三つと重箱をテーブルに並べる。

谷中  「カツ丼が2260円、ヘルシーベジタブル弁当が一つ3540円で三つ、うな重が7480円で、合計20360円になります」

遼一  「たか…。あいつふだんどんなもん食ってるんだ。しかもあいつのうな重がとびぬけて高い!」

谷中  「お勘定をお願いします」

遼一  「なんでも美樹が、事務所につけてくれって」

谷中  「…mikiさんは?」

遼一  「ケンカしに行きました」

谷中  「…いつごろもどりますか?」

遼一  「ケンカが終わったら帰ってくるでしょう」

谷中  「ケンカの相手は?」

遼一  「ええと? 笹原久美子さんと…」

谷中  「いい加減にしろ! mikiさんは久美子さんをとても尊敬してるんだ! ケンカなんかするわけがない!」

遼一  「ウソは言ってませんよ」

    谷中、遼一の胸ぐらをつかむ。遼一、両手を上げる。谷中下手側、遼一上手側。

遼一  「さっきもこんなことがあったなあ」

谷中  「そんな話が信じられるか! 現金で払え!」

遼一  「いま、持ち合わせがなくて…。カードじゃだめ…ですよね」

谷中  「ふざけるな! こっちはさっさと次の配達に行かなきゃならないんだ! さてはおまえ、こっちが急いでるのにつけこんで、無銭飲食をするつもりだな! mikiさんの名前を出せばわたしが帰ると思ってるんだろう、そうはいくか!」

   美樹、下手から登場。

美樹  「(谷中の背中に向かって)そいつ柔道三段だよ」

谷中  「(ふり返らずに)はあ…? そんなものがケンカに通用するか!」

美樹  「それで警察官だよ…」

谷中  「警官だったら無銭飲食してもいいのか!」

   谷中、遼一をにらんでいたが、急に表情が変わる。

美樹  「それでもってあたしのアニ…」

谷中  「あの…、久藤巡査部長ですか?」

遼一  「おや、変わっていたので気が付きませんでした。谷中茂美さんじゃないですか」

   谷中、床に這いつくばる。

谷中  「お許しくだされぇぇぇぇっ!」

遼一  「(早口)口調が変になってますよ!」

美樹  「そいつはあたしの…」

遼一  「とりあえず手を上げてください」

谷中  「とりあえず手を下げてください!」

美樹  「(キレる)そいつはあたしの兄貴なの!」

谷中  「(中腰でふり返って…)ああ、mikiさん…」

美樹  「そいつはあたしの兄貴」

矢口  「そうだったんですか…」

美樹  「今日のお代はぜんぶ、あたしの名前で事務所につけといてね」

谷中  「はい…」

美樹  「それから…」

    美樹、つかつかと舞台中央まで歩いていき、「うな正」のお品書きを取って谷中につきつける。

美樹  「もう、あんたのところから注文することはないから持って帰ってちょうだい」

谷中  「ええっ!」

美樹  「自分の家族の襟をつかんでどなるような店から、ものを買う気はないわ!」

遼一  「見てたんなら止めろよ…」

谷中  「(泣きそう)そんなことになったら、店長にあわせる顔が…」

遼一  「(美樹に)おまえがこの店を使わなくても、だれか使う人がいるだろ。だいいち、おまえがいきなりいなくなったからじゃないか」

    美樹、鼻をならしてお品書きをテーブルに置く。

谷中  「(美樹に)ありがとうございます!」

    上手から、かのんとゆめな登場。ゆめな、谷中に気づく。

ゆめな 「あっ、この人…」

谷中  「あっ…。あのときは本当にすみませんでした…」

ゆめな 「まじめに働いてるみたいだね」

谷中  「はい。おかげさまで…」

ゆめな 「だけど絶対に忘れないでね。自分が人間のクズだっていうことを」

    全員凍り付く。

ゆめな 「あんたはね、ひとが嫌な気持ちになれば楽しいんだよ。ひとを困らせる力があるのが気持ちいいんだ。そういう人間なんだよ。生まれつきそういう人間なんだよ。死ぬまでそういう人間なんだよ!」

かのん 「ゆめな!」

ゆめな 「これくらいにしておきましょう」

谷中  「ありがとうございます…」

ゆめな 「いくら頼んだって、目の前で死んでくれるわけじゃないだろうし」

谷中  「はい…」

    谷中、下手に去ろうとする。遼一、谷中の背中に声をかける。

遼一  「あなたは出世したな」

谷中  「(背中を向けたまま)…からかっているんですか? 元非行少女で、いつまでたっても厨房に入れず、配達ばかりやらされて…」

遼一  「料理は、作ってあるだけじゃ食べられない。だれかが運んでくれるから食べられるんだ。あなたはよく『遅い』と怒られると言った。みんなあなたに、少しでも早く来てほしいんだ」

    遼一、にっこりと笑う。

遼一  「おれも、あなたのようになりたい!」

谷中  「あとで器をとりに来ます…」

    谷中、逃げるように下手に退場。久美子と石田、上手から登場。

久美子 「(怒りを抑えながら)それで、マスターテープは?」

ゆめな 「ここに出入りしている谷中茂美が持ち出したに違いありません」

石田  「初めて聞く名前ですけど」

ゆめな 「うな正のおかもちですよ」

久美子 「その人、昨日ここに来たの?」

石田  「午後八時半ごろ、器にを取りにきたはずです」

    ゆめな、ホワイトボードに「20:30 石田」と書く。

久美子 「だけど、なんのために?」

ゆめな 「そういう人間だからです」

遼一  「大石さん、何の根拠もなしに決めつけるのは…」

ゆめな 「(遼一に)あなたと一緒に食事をしたくありません」

遼一  「(残念そうでもなく)そいつは残念だ」

ゆめな 「あんな奴みたいになろうという人とごはんを食べるなんて、とんでもないです!」

    ゆめな、ヘルシーベジタブル弁当の箱を二つ抱えると、かのんの手を引く。

かのん 「ちょっと待ってよ…」

    ゆめな、かのんの手を引いてドスドス歩きながら上手に退場。

美樹  「(上手に)待ちなさい! あんたこいつに助けてもらったんじゃ!」

遼一  「だからいい態度を取ろうとしていた。だけどもともと、おれが嫌いだ」

美樹  「なんでっ!」

遼一  「いちばんいやな思い出に関わってるからだよ」

美樹  「だからって!」

遼一  「それほどつらい目にあったってことだ」

美樹  「……何があったの?」

遼一  「言うわけないだろ」

美樹  「公務員の『守秘義務』ってやつ?」

遼一  「そうだ」

美樹  「あたしは家族なんだから特別に教えてくれてもいいでしょ!」

遼一  「おれは家族だから知ってるぞ。おまえは48時間以上秘密を守れないんだ」

久美子 「そんなことはどうでもいいの! ちょっとおまわりさん! いやおまわりサマ! (ホワイトボードをさす)これだけ材料がそろったのよ! マスターテープはどこにあるの!」

遼一  「(座ったままホワイトボードを見て)わかりません」

久美子 「(わざとらしく大きなためいき)はああああああっ! ほんっとうになんの役にも立たないわね! あんた、そのカツ丼食べたらさっさと帰りなさい!」

    久美子、下手に退場。

石田  「(だれにともなく)そろそろCDの解析が終わったころです…」

久美子のあとを追うように下手に退場。



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