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星読師ハシリウス

星読師ハシリウス[王都編]5 天の恵みをつかみ取れ

作者: シベリウスP

起章 ハシリウスへの告知


「お~い、ハシリウス~。朝ですよ~」

「ぐー」

ここは、白魔術師の国であるヘルヴェティア王国の首都・シュビーツにある、王立ギムナジウムの学生寮。その一室で、さわやかな朝寝を堪能する生徒を、同室の生徒が起こそうと努力していた。

「おい、ハシリウス。やっぱり今日も俺が起こさないといけないのかい?」

「ぐーすかぴ」

ハシリウスと呼ばれた生徒は、栗色の髪をぼさぼさにしたまま、枕を抱いてぐっすりと眠っている。

「仕方ないなあ。ハシリウス、あの痛~い魔法を使っちまうぞ?」

「ぐ~、あと3時間」

起こそうとしている生徒は、時計の時刻を確認して、肩をすくめた。

「やれやれ、結局君は、こうしないと起きないんだね――風の精霊エアよ、今朝もよろしく頼んます♪ フライ!」

同室の生徒――アマデウス・シューバートがそう言うと、ハシリウスの身体がふわりと浮きあがり、ベッドの外に出た。そして、

ドッシ――――――――――――――ン!!!

素晴らしい地響きを立てて、ハシリウスの身体はお尻から床にたたきつけられる。

「今日も萌えっ!」

ハシリウスは、わけのわからない叫び声をあげる。

「やあ、目は覚めたかい?」

ハシリウスの目の前に、そう言って手を振るアマデウスの顔が見える。

「パッチリと」

ハシリウスが言うと、アマデウスはにかっと笑って、

「じゃ、俺は先に行くから、授業に遅れないようにしろよ」

アマデウスは、そういうと風のように部屋から出て行った。

「やれやれ、じゃあ僕も着替えでもしようかな。よいしょっと」

ハシリウスは、着替えをしようとして立ち上がった。しかし、

「あれっ?」

突然、とてつもない虚脱感に襲われて、ハシリウスはそのままベッドに座り込む。立ち上がって、ベッドまで数歩歩く…ただそれだけのことで、ハシリウスはすでに肩で息をするほど疲れてしまっていた。

「おかしいな? こんなに疲れるって……今までになかったことだぞ?」

言っているそばから、ハシリウスは目の前が暗くなるほどの虚脱感に襲われ、

「ぐっ! ぐあっ!」

ハシリウスは突然襲ってきた胸の痛みで、そのままベッドから転げ落ち、気を失ってしまった。


カランカラン…カランカラン…

始業のベルが鳴った。もうすぐ担任のアクア教諭が入ってきて、ホームルームが始まる。

「ネボスケ大魔神は、とうとう遅刻かい? アマデウス、キミはハシリウスを起こしてやんなかったのかい? 友達甲斐のねー男だなあ!」

アマデウスのところに、赤毛をショートカットにして、ブルネットの瞳をしている女生徒が来て言う。

彼女の名は、ジョゼフィン・シャイン。ハシリウスの幼なじみである。しかし、ただの幼なじみではない。彼女は6歳の時、モンスターに両親を殺され、家族ぐるみの付き合いがあったハシリウスの両親に引き取られた。それから10年以上もハシリウスと一つ屋根の下で暮らしてきた、ハシリウスにとってはまるで姉のような存在の少女である。

「いや、ちゃんと今朝も“フライ”で起こしたぞ。ハシリウスもちゃんと目が覚めてたから、普通ならとっくに教室に入って来ててもいいころだ」

アマデウスはそう、不思議そうに言う。

「では、ハシリウスは二度寝でもしているのでしょうか?」

ジョゼと一緒にアマデウスのところに来た、金髪のロングヘアで銀色の瞳を持つ美少女がそう言う。

彼女の名は、ソフィア・ヘルヴェティカ。このヘルヴェティア王国の王女で、王位継承権第1位の“未来の女王様”だ。彼女も、6歳の時、乳母の都合で生まれ故郷である『花の谷』からハシリウスたちの故郷である『ウーリの谷』のイブデリ村に引っ越してきた。誰もが彼女に遠慮して、なかなか友だちができなかったのだが、ハシリウスが生涯最初の『友だち』になったこともあり、それ以来、ジョゼやハシリウスと共に“幼なじみトリオ”として過ごしてきている。

「いや、あれで二度寝ができるようだったら、ハシリウスのケツ…失礼、お尻もひどく頑丈になったものだよ。俺だったらヒリヒリして2時間目くらいまで椅子には座れないな」

アマデウスがそう言っているところに、アクア教諭がひどく慌てた様子で教室に入って来た。

「きりーつ!」

ジョゼとソフィアがそそくさと自分の席に着くと、アマデウスが号令をかけた。クラス全員が立ち上がる。しかし、アクア教諭は、

「みんな、座っていいです。緊急ですが、1時限目は自習にします」

そう言うと、生徒たちが騒ぎ出す前に続けて言った。

「実は、今朝、ハシリウス・ペンドラゴン君が、救急ホーキで王立病院に搬送されました。寮の自室で倒れていたのを、寮監が見つけて通報したものです。容体など詳しいことはまだ分かりませんが、私は校長先生と共に病院に行ってみますので、皆さんはちゃんと自習をしておいてください。クラス委員長、頼みましたよ」

ざわざわざわ…生徒たちがびっくりして騒ぐのを、クラス委員長のアンナ・ソールズベリーが立ち上がって押さえる。

「みんな、静かにしてください! 先生、ハシリウスくんのお見舞いに、代表者を連れて行っていただきたいのですが…」

アンナの言葉に、アクア教諭は微笑んで言う。

「友だち想いでいいことですけど、まずは状況が分からないと、みんなで押しかけても病院側が迷惑しないとも限りません。状況が分かったら知らせますので、皆さん、心配でしょうが待っていてください。よろしいですか? ジョゼフィンさんとソフィア姫」

アクア教諭は、特に心配そうな顔をしていたのだろう、ジョゼとソフィアにそう言うと、教室から出て行った。

「アマデウスくん、あなたはハシリウスくんと同室だったわよね? 今朝、ハシリウスくんに変わったところはなかった?」

アンナが、アマデウスのところに来て言う。いつもの冷たい声が少し震えているのは、アンナもすごく動揺していることを示していた。ジョゼやソフィアもそこに来ている。アマデウスはふるふると顔を振った。

「いや、別に変ったところなんて気が付かなかったなあ。いつもどおり起こそうとしたら、寝ぼけて幸せそうに『あと3時間』とか言うもんだから、“フライ”で起こしてやっただけだ。お尻から落としたから、頭は打っていないと思うぞ」

「毎朝、そんなふうにして起こしているのですか?」

アンナがその長い黒髪を傾げながら訊く。

「あ、ああ。アイツなかなか起きないから、毎朝そうして起こしていたんだ」

「確かに、ハシリウスってネボスケだからねえ…ボクも起こしたことあるけど、耳元で怒鳴ろうが何しようが、絶対アイツは起きないね」

ジョゼも言う。

「とにかく、先生の知らせを待ちましょう。私たちが今、どんなに心配しても一緒ですから」

ソフィアがそう言うと、ジョゼもアンナもアマデウスもうなずいて自分の席に戻った。


王立病院は、お城の西にあり、ギムナジウムからはホーキで10分程度のところである。ヘルヴェティア王国は白魔術師の国であり、病気やけがはほとんどが“ヒール”系の魔法で治ってしまうため、一般に言うところの『医師』という職業は存在しない。しかし、“ヒール”系の魔法を専門に研究し、みんなの役に立つ治療魔法を開発したり、魔法では完治しないような病気について専門の治療技術を教授したりするところとして王立病院は存在し、そこでの『医師』とは、『医療魔術師』の略称として使われている。

今回も、ハシリウスが倒れているのを発見した寮監は、まずギムナジウムの校医であるジェンナー・テイク医師に連絡した。ジェンナーは、もともとハシリウスの体調や健康状態を気にしていただけに、今回のことにもすぐに対応した。それが、結果的にはハシリウスの命を救ったと言える。

また、ジェンナーは、特に難易度の高い“光魔法”系の治療魔法を使える腕を持っていたことも幸いした。ジェンナーは応急処置をした後、自らハシリウスを王立病院に送り届け、病院のスタッフと共に一緒に治療に当たっていた。院長である賢者ソロンが、ジェンナーの医療魔術師としての師匠だったことも幸いしていた。何から何までハシリウスは恵まれていたと言える。

ジェンナーは、とりあえず処置して眠っているハシリウスを見つめ、賢者ソロンと話をした。

「今回は、お手柄だったぞ、ジェンナー。『大君主』にもしものことがあったら、わが国は大きな危機に立ち至ってしまうところだった」

賢者ソロンは、優しい目をしてこの愛弟子をほめる。ジェンナーは少し白いものが混じった髪をかき上げて、畏れる色もなく言う。

「先生、私はハシリウスがこのような事態に陥るだろうことを予期し、王宮にもアカデミーにも、そしてギムナジウムにも意見書を出していました。彼は明らかに自分のキャパを超える魔法を使った場合に起こる『急性魔法伝導過負荷心筋症』です。それも、慢性化しつつあります。このままでは心不全を起こし、遠からず『大君主』の葬送と言った事態を迎えないとも限りません」

「ふむ……」

賢者ソロンは、ハシリウスの心臓、肺、肝臓などの主要臓器の検査結果や、魔法透視写真を見ながら、ジェンナーの意見を注意深く聞いている。

「そうならないためには、ハシリウスに特別訓練を課して、身体能力を高めつつ、徐々に魔法のキャパを大きくしていく方法が最も現実的です。その前に、ハシリウスに休暇を取らせ、心身ともに疲れを癒してから、ハシリウスをアカデミーで引き取っていただければいいと思います」

ジェンナーの意見に、賢者ソロンはうなずいた。ハシリウスをアカデミーで勉強させることは、賢者仲間であり、王立アカデミーの学長でもある賢者セネカも望んでいたことだからである。

「確かに、私もそう思うよ、ジェンナー君。幸い火の月ももう終盤、今月の29日から土の月7日までは連休に入る。ギムナジウムの校長と相談し、適当な処理をしてもらえば、長期の休養は可能であろう」

「では、さっそく校長宛の診断書を書きましょう」

ジェンナーがそう言ってソロンのもとから辞そうとするのを、ソロンは引きとどめた。

「あ、待ちたまえ、ジェンナー君」

「何でしょうか?」

「ハシリウスくんには、どのように告知するかね?」

「そうですね……彼の祖父であるセントリウス猊下や、お父上であるエンドリウス魔術師長のこともあります。私は今後起こりうることも含めて、現状を包まず告知したいと思いますが?」

ジェンナーが言うのに、賢者ソロンは目を閉じてしばらく考えていたが、やがてうなずいて言う。

「そうだな、ジェンナー君、そなたが言う通りがよいだろう」


「そ、そんな……」

ソロン院長から、ハシリウスの状況を聞いたポッター校長とアクア教諭は絶句した。自校の校医であるジェンナー医師から『ハシリウスの身体は限界にきている』という報告は受けていたが、

「今回は、ジェンナー君が応急処置をしてくれたから助かったようなものです。とにかく彼がハシリウス卿のもとに駆け付けた時は、ハシリウス卿の心臓は止まっていたらしいですからね。ポッター校長先生、そういうことですから、ハシリウス卿には通常の生徒より少し長めの休みが必要かと思いますし、今後のハシリウス卿のカリキュラムについても、ギムナジウムでは対応できないと思われますので、アカデミーに任せたらいかがでしょうか?」

ソロン院長がそう言うのに、ポッター校長は難しい顔をして言う。

「そうですね。ハシリウスくんの休みについては、ギムナジウムとしても提出される診断書を十分に参考として考慮させていただきます。ハシリウスくんのカリキュラムについては、とりあえず王立アカデミーのセネカ学長とも話をいたしましょう」

ソロン院長は、ポッター校長にたたみかけるように言う。

「ハシリウス卿は、この国にとって大事な方です。彼の健康は、何物にも代えがたいものです。どうか、ポッター校長先生の大局的な判断を望みます」

ポッター校長とアクア教諭は、ハシリウスがまだ目覚めていないため、面会ができずにギムナジウムへと戻った。アクア教諭にはそのまま授業を継続してもらい、自分は午後にでもポピンズ副校長か教務主任を連れてまた病院を訪れるつもりであった。

「ポッター校長先生、生徒たちにはどのように伝えればよいでしょうか?」

アクア教諭が訊くのに、ポッター校長は、

「ハシリウスくんの容体については、検査の結果が出てから伝えることにしましょう。そのほかのことについては、何も言わなくてもいいでしょう」

そうアクア教諭に言った。


カランカラン…カランカラン…午前の授業が終わった。アクア教諭が出ていくと、さっそくジョゼとソフィアが連れ立って食堂に行こうとした時である。

「ジョゼフィン・シャインさんはいますか?」

そう言いながら、ポッター校長が教室に入ってきた。

「は、はい! 何でしょうか、校長先生?」

ジョゼがそう言って、校長のところへ駆け寄る。

「おお、君がジョゼフィンさんかい? 君にお客様だ。さ、奥様、どうぞこちらへ……」

ポッター校長が笑顔でそう言うと、一人の婦人がジョゼのそばに進み出てきた。

「ジョゼ、しばらくね」

「お、お母さま! どうしてここに?」

やって来たのはハシリウスの母・エカテリーナだった。少し青い顔色をしているが、ジョゼを見てほっとしたように話し出す。

「ジョゼ、ハシリウスが倒れたことは聞きました。先ほど、王立病院から連絡があり、ハシリウスの意識が戻ったことと、ハシリウスの病気について話があるとのことです。エンドリウスはあの通り仕事が忙しいので、説明を伺いに行けそうにありません。私一人では不安なので、ジョゼ、あなたにも来てもらおうと思って……お願いできないかしら?」

「えっ? で、でも、ボクは……」

びっくりしてそう言うジョゼに、エカテリーナは手を取って頼む。

「ジョゼ、あなたは私の娘同然です。他ならぬハシリウスのこと、あなたにもぜひ、聞いていてほしいのです」

「で、でも……」

ジョゼは、教室の入口で立ってこちらを見ているソフィアを見る。ソフィアはニコリとうなずき、ジョゼの近くに寄ってきた。

「こんにちは。お久しぶりです、ハシリウスのお母さま。今回はご心配でしょう?」

「あら、王女様、お久しぶりです。ハシリウスが目覚めたということでジョゼと一緒に先生の説明を聞きに行こうかと思いまして、寄らせていただきました」

エカテリーナが言うと、ソフィアは微笑んでいう。

「そうですか! ハシリウスが気が付いたのですね。それはよかったです。私たちも心配していましたから。お母さま、ハシリウスによろしくお伝えください」

「校長先生、ジョゼについて来てほしいのです。授業を抜け出させることにはなりますが、ハシリウスとこの子はずっと一緒に育って、姉弟も同然ですから、何とかご配慮いただけないでしょうか?」

エカテリーナが言うと、ポッター校長は少し考えていたが、やがてにっこり微笑んでいう。

「分かりました。そう言うことでしたら、特別に認めましょう。担任のアクア教諭には私から話をしておきます。ジョゼフィンさん、ハシリウスくんによろしく。良ければ後でハシリウスくんの状態を知らせてもらえればありがたいです」


――暗い……。ここはどこだ?

ハシリウスは、暗闇の中、そうつぶやいた。暗いだけではない、ふわふわとして頼りなく、何も聞こえない世界である。

――この世界は、そう、クリムゾン様から“闇の沈黙”をかけられたときに似ている。

ハシリウスがそう思った時、暗闇の中から声がした。

――ハシリウス様、あなたはまだこちらに来るべきお方ではありせん。

――誰だい? 何か、懐かしい声だけれど……。

ハシリウスが言うと、女の子の声は優しく、困ったように言う。

――ハシリウス=アウグストゥス・ペンドラゴン様。私が愛した『大君主』様。あなたにはまだ、やるべきことがあるはずです。あなたは女神アンナ・プルナ様からの負託に応えなければならないお方です。

――その声は、フローラ。フローラ、会いたかった! どうして顔を見せてくれないんだ?

ハシリウスが叫ぶと、フローラは答える。

――あなたは、まだこちらの世界に来るべきお方ではありません。私もあなたと会いたいですが、それはまだ先の楽しみにとっておきます。早くお帰りください! あなたのこと、『太陽の乙女』や『月の乙女』が待っています。

そう、フローラが言うと、ソフィアやジョゼの声が聞こえてきた。

――ハシリウス、まだ目が覚めないのですか? ふふ、お寝坊さんですね……。

ソフィアの声が聞こえる。

――ソフィア?

――ハシリウス、あんまりネボスケ大魔神だと、ボクたち待っていられなくなるよ。

ジョゼの、はじけるような笑顔が見える。

――ジョゼ?

ハシリウスの声に、優しそうな眼をしたジョゼが、頬を染めて語りかける。

――ハシリウス、ボクの純潔がほしければ、いつでもあげるよ?

――ジョゼ……。

――ハシリウス、ボク、キミのこと……

ジョゼの声が途切れる。でも、幻の中のジョゼは、まだ唇を動かしていた。

ハシリウスはゆっくりと目を開けた。高い天井が見える。ゆっくりと顔を動かすと、カーテンが見えて、右腕には点滴がつながれていた。

身体がとてもだるくて、動かせそうにない。顔を動かすだけでも億劫だったが、それでもハシリウスは心の中で思った。

――どうやら、僕は死にかけていたらしい……フローラ、君が助けてくれたのか……。

そこに、ジェンナー医師が顔を出す。

「ハシリウスくん、気が付いたか?」

「あ、ジェンナー先生……僕は?」

「君は、朝、自室で倒れていたんだ。寮監が見つけて、私に知らせてくれた。寮監の発見があと15分遅れていたら、君の命は保証できなかったな」

ジェンナーはあながち冗談ではなさそうな口調で言う。

「もう少し眠るといい。午前中はポッター校長とアクア先生が来られたが、君がまだ目覚めていなかったために帰ってもらった。君のご両親に連絡を取っておくよ。君自身にも、しっかり考えてほしいこともあるしね。時間が来たら起こすから、まだ寝てていい」

ジェンナーはそう言うと、カーテンを閉めて部屋から出て行った。ハシリウスは小さいため息とともにまた深い眠りについた。


「ハシリウスくん、ハシリウスくん」

どのくらい寝ていただろう、ハシリウスはジェンナーの声で目覚めた。さっきと比べれば、かなり身体のだるさは少なくなっている。それでも、起き上がるには一苦労であった。

「さすが、若いだけあって回復が早いな。しかし、あまり無理はしないことだ」

「先生、僕はどれくらいしたら学校に行っていいですか?」

ハシリウスが訊くのに、ジェンナーは薄く笑って言う。

「学校? とんでもない。君はしばらく静養が必要だ。詳しくは、これから君も交えて君の保護者にも話をすることにしている。お母さんがお見えだ」

ハシリウスは、看護師に車椅子で面談室まで運んでもらった。そこには、心配そうなエカテリーナと、

「ジョゼ? 何でジョゼまでここに?」

ハシリウスは、心配そうに自分を見ているジョゼにそう言う。

「ハシリウス、私が一緒について来てもらいました。だって、ジョゼはあなたの姉も同然でしょう?それに、あなたのことをとても心配していましたから。ねえ、ジョゼ?」

エカテリーナからそう言われたジョゼは、少し頬を染めて言う。

「そ、そりゃあ、いつも時間ギリギリには教室に来るキミが、今日こそ遅刻しちゃったかと心配したよ。救急ホーキで搬送されるなんて、いったいどんなヘマをしたのさ?」

「急に力が抜けて、すごく胸が苦しくなった。そのまま気を失ったみたいだ」

ハシリウスが言うと、ジョゼがすごく心配そうな顔をした。ハシリウスは、ジョゼのそんな顔を見たことがなかったので、とても新鮮に感じた。

「やあ、お待たせしました」

そう言いつつ、ソロン院長とジェンナー医師が部屋に入ってくる。三人はとたんに黙り込んだ。

「こんにちは、私が院長のソロン・ザールです。ハシリウス卿の病状の説明は、当医院の所属ではありませんが、私の弟子であり、ギムナジウム校医でもあるこのジェンナー・テイク医師にしてもらいましょう。もともと彼は、この病院でも医局長が務まるくらいの逸材ですが、ギムナジウムに引き抜かれましてね。ですから、彼の診立ては信用できます。質問は、説明がすべて終わってからということでいいですね?」

三人がうなずく。ソロン院長はにこやかだった顔を急に引き締めて、

「では、ジェンナー君、お願いする」

と言った。ジェンナーはソロンに軽く会釈をして言う。

「ハシリウスくんは、今朝8時5分頃、自分の部屋で倒れているところを寮監に発見されました。私が寮監から通報を受けてハシリウスくんのところに駆け付けた時刻が8時8分でした」

そこでジェンナーは一息おいて、

「私がハシリウスくんのところに来た時、ハシリウスくんはすでに心臓と呼吸が停止していました。ただし、体温はまだ高く、私が胸部圧迫と“リヒト・ヒール”によって心臓マッサージをしたところ、すぐに心拍は回復し、呼吸も回復しました。おそらく、心停止から発見までの時間が短かったために、この程度で済んだと思われます」

ジョゼとエカテリーナは、言葉もなく聞いている。特にジョゼは、隣に座るハシリウスの手をぎゅっと握りしめるほど動揺していた。

「ハシリウスくんの病名は『急性魔法伝導過負荷心筋症』です。自分のキャパシティをはるかに超える魔法を使い続けることは、心臓に大きな負担を与えます。ハシリウスくんは昨年の火土の月から半年余りで、賢者級でも使いこなしきれないほどの魔法を使ってきました。その無理が祟ったのだろうと思われます」

ジェンナーの説明を聞いている間にも、ジョゼはハシリウスの手を自分の手で包むようにして撫で回している。その掌がじっとりと汗ばんでいるのは、不安や心配のせいであろう。

「先生、ハシリウスは治りますか?」

ジョゼが心配そうに訊く。ジョゼらしくもなく、その声が震えていた。

ジェンナーは優しい目でジョゼを見つめたが、首を振って言う。

「私は、ハシリウスくんにはゆっくりと静養することを勧めたい。できれば休学でもして、1年間、少なくとも半年はゆっくりすべきだ。ハシリウスくんの心筋症は、半分慢性化してきている。このまま無理をすれば、ハシリウスくん、君の寿命はあと2年から3年ってところだ」

ハシリウスは唇をきゅっと結んだ。あと2年から3年……“大いなる災い”に間に合わない。

エカテリーナが言う。

「それは、ハシリウスのことを考えたら、ギムナジウムの1年や2年は休学させてもかまいませんが……」

「でも、それじゃ、根本的な解決にはならないよ!」

ジョゼが目を潤ませて言う。その手はハシリウスの手をしっかりと握っている。

「ジョゼ」

ハシリウスが言うのに、ジョゼは強くかぶりを振って、

「だって、『闇の使徒』たちは待ってくれないもん! ハシリウスのことだから、休んでいろって言われても、きっと戦いに出ちゃうもん! なんでハシリウスが『大君主』なのさ! ハシリウスの命はハシリウスのもので、誰のものでもないのに、何でハシリウスだけが命を削って『闇の使徒』たちと戦わなきゃいけないのさ!」

ジョゼは、今までためていた思いをそう吐きだした。ハシリウスは何も言わなかった。ハシリウス自身も、そう思うことがあったからだ。でも、ジョゼやソフィアが『日月の乙女たち』として一緒に戦ってきてくれたから、その気持ちが形になることはなかった。今回、ジョゼがそう言葉にしたことで、ハシリウス自身ももやもやしていたものが形になった。

「ジョゼ、あなたがそれほどまでハシリウスのことを心配してくれるのはうれしく思います。でも、女神アンナ・プルナ様がハシリウスをご所望であれば、それにたて突くことはできません」

エカテリーナが言うが、ジョゼは大粒の涙をぽろぽろ流して、

「だって、今までだってハシリウス、とってもキツイ目や辛い目にあっているのに。ボクだってハシリウスと平穏に暮らしたいって思うのに。うっ、うわぁ~ん」

そう、肩を震わせて泣くのであった。

「ジョゼ」

ハシリウスは優しくジョゼの背中を撫でながら、ジェンナー医師に訊く。

「ジェンナー先生、僕の心臓、このままで行けば2・3年しか持たないって言われましたね?」

ジェンナーは厳かにうなずいて言う。

「正確に言うと、これ以上強力な魔法を使うのであれば、その魔力は君自身の命を削るだろう。今日のように突然心臓が止まって、それっきりっていうことも、十分にあり得る」

「僕の心臓を守るような魔法やアイテムはありませんか?」

ハシリウスが訊くのに、ジェンナーは首を振る。

「あるのかもしれないが、少なくとも現在の魔法医学では、君の病気は不治の病だ。自己の魔力のキャパを広げつつ、使う魔力を上手にコントロールしていくしか手はない。とりあえず、弱り切った君の心臓と身体をいたわり、安静にすることだ。そこから始めるしかない」

「分かりました。とにかく、先生の仰る通り、静養します。ギムナジウム休学の件は、もう少し考えさせてください」

★ ★ ★ ★ ★

王都シュビーツの北に、いつも蒼い水を満々とたたえた湖がある。“蒼の湖”と呼ばれる湖のほとりに、一軒の丸木小屋が建っていた。

そこには、ヘルヴェティア王国随一の魔術師であり、希代の星読師と呼ばれるセントリウス・ペンドラゴンが隠棲していた。

セントリウス・ペンドラゴンは、ハシリウスの祖父であり、ペンドラゴン家の始祖である大賢人ヴィクトリウス卿の直系の子孫でもあった。彼は、星々の意思を読み、星々を束ねる28神人と交感し、星の力をまとった戦神・12星将を自在に操ることができた。

その彼のところに中年の男が訪ねてきていた。男の名はエンドリウス・ペンドラゴン。ハシリウスの父であり、現在、王宮魔術師長を務めている。彼は、星将を使うことはできなかったが、さすがセントリウスの息子だけあって魔力はとてつもなく強かった。エンドリウスは、困ったように父セントリウスに訴えている。

「ハシリウスは、私たちのかわいい息子です。いかに魔力が優れていようと、『大君主』となる運命であろうと、そのことによって死なせるわけにはいきません。父上、ハシリウスの病気を治す方法はないのでしょうか?」

セントリウスは、その黒い瞳を息子にあてて言う。

「ハシリウスが『大君主』たるべきことは、すでに女神アンナ・プルナ様が決められたことじゃ。我々の手でそれを変えることはできぬ。ハシリウス自身も、その運命に従おうとしている。エンドリウス、そなたも王宮魔術師長であれば、このヘルヴェティア王国の未来に対して責任を持つ身じゃ。もっと大局から判断せねばならんぞ」

セントリウスにそう言われて、エンドリウスは少し頬を赤らめたが、

「そ、それはもちろんです。しかし、ハシリウスが元気でいないと、今後のことにも差支えます。父上、そもそも、『闇の使徒』とはどのような者どもでしょうか?」

そう訊く。エンドリウスは、まだ『闇の使徒』たちとは正面切って対峙していない。セントリウスは目を閉じていたが、

「『闇の使徒』たちは、この世の中核は闇であるとし、闇の精霊を中心とした世界観を持つ者たちのことじゃ。じゃから、人間は誰でも『闇の使徒』になれるし、たとえ闇魔法が得意な者でも闇と光の性格を理解する者は、『闇の使徒』とは言えぬ。ハシリウスのようにな」

「それは分かります。光と闇を対立軸に置いてしまえば善悪の説明は簡単ですが、光と闇は相互に依存している、というより、闇の世界があるから光がある。そう言うことでしょう」

「その通りじゃ。さて、今から800年ほど前、このヘルヴェティア王国ができたころは、魔術師はまだ今のように白魔術師と黒魔術師とに分かれてはいなかった。と言っても、『白』だの『黒』だのはイメージ的なものであって、あまり意味はない。むしろ、闇を基調とする世界観を持つ魔術師と、そうでない魔術師が対立したと言った方が真実に近い」

セントリウスは、そこでパイプを吹かす。薄いタバコの紫煙がさして広くない小部屋にたゆたう。エンドリウスは、その煙の行方を見つめていたが、セントリウスの視線に気づき、先を促した。

「それで? どうなったのでしょうか」

「うむ、今から650年ほど前の話と言うが、『闇の力』の真実をつかんだ魔術師がいた。有名なクロイツェン・ゾロヴェスターじゃ。彼はもともとヘルヴェティア王国の王族の支流だったらしいが、かなり魔法に通暁し、『闇の精霊』シュバルツたちの秘密を握ったらしい」

「『闇の秘密』とは何でしょうか?」

エンドリウスが言うのに、セントリウスも首を振る。

「分からぬ。それが分かれば『光の秘密』も手に入るのかもしれぬが。とにかく、“闇の沈黙”を創り上げたのはクロイツェンじゃから、“闇の沈黙”から生還したハシリウスならば、『闇の秘密』は解けるかもしれぬ。魔法とは、秘密を体系化したものに過ぎんからのう」

「ハシリウスは、すでにギムナジウムの一生徒ではなくなってしまっていますね。不憫な奴だ」

エンドリウスが言うのに、セントリウスは難しい顔をして言う。

「ジョゼ嬢ちゃんも、ソフィア姫も同じじゃよ。新しい時代は、若い世代の力を必要として、ハシリウスたちを選んだのかもしれぬ。さて、クロイツェンたちじゃが、彼らはわがご先祖様である星読師カレイジウス・ファン・ペンドラゴンをはじめとする王宮魔術師たちによって、北辺に追いやられた。その消息をたどることは、さしものカレイジウス様でも困難じゃったようで、彼らはそこで、今の世で言う『黒魔術師の国』を建て、ヘルヴェティア王国とは一線を画していた。ヘルヴェティア王国側も、彼らの居場所が分からなかったことと、彼らが別にこの世界の秩序を乱すような振る舞いをしなかったこともあり、打ち捨てていたような状態であった」

セントリウスは、パイプから吸殻を抜き出し、新しい葉を詰める。シュボッと音を立てて、マッチがはじけるようにして火を熾した。それでパイプに火をつけて、うまそうに煙を吐く。

「父上、タバコは控えめにされた方が…」

「何を言うか。酒とタバコを適度にたしなまねば、人生の苦楽は分かるまい。何事も、体験してのみ分かることもあるもんじゃ。さて、ゾロヴェスター王国じゃが、一度、彼らの王国はわが先祖であるグローリウス・ファン・ペンドラゴンによって制圧されたことがある。知ってのとおり、グローリウス猊下は我がペンドラゴン家中興の祖で、王族しかいただけない公爵位を初めていただいた方じゃ。大賢人と大元帥を兼ね、ヴィクトリウス猊下の再来として国民的英雄であった。その方が、ゾロヴェスターを征伐し、その首級を女神アンナ・プルナ様にお捧げした。首級に残る魔力は、女神アンナ・プルナ様が封印し、それは今も『女神の山』に封印されたままじゃ」

「では、今のクロイツェンは?」

エンドリウスが聞くのに、セントリウスは厳しい顔をした。その目は遠くを見つめている。

「今から30年以上も前、わしは時のアナスタシア女王様の命で、『闇の使徒』たちを封じる任務をいただいた。その時、クロイツェンは『黒魔導士』たちを集め、ヘルヴェティア王国への攻勢を準備しているとの噂があったからじゃ」

エンドリウスは息をのんで聞く。彼自身、父セントリウスの『黒魔導士』との戦いについては世間の噂程度の知識しかなかったのである。セントリウスは自分の体験を自慢する男ではなかった。

「それで、どうされましたか?」

「うむ、クロイツェンと対峙し、きゃつを“日月の輪廻”で封印した。しかし、わしの“日月の輪廻”も、未完成のものだったので、完全にきゃつを封じたわけではなかった。ハシリウスならば、体調さえ戻れば、完全な“日月の輪廻”を創り上げることじゃろう」

エンドリウスは、複雑な表情をする。確かに、幼い時期よりセントリウスから様々なことを学び、星読師として覚醒したハシリウスならば、それも可能であろう。しかし、心臓に大きな負担を抱えている今は、使う魔力が大きければ大きいほど、それこそ等比級数的に生命を削ることになるであろう。

「父上、エカテリーナから聞きましたが、現在のハシリウスの状況では、寿命はあと2・3年しか持たないとの宣告だったようです」

エンドリウスは、思い切ってセントリウスにそう言った。セントリウスは眉をひそめた。

「ハシリウスの体調は、そんなに悪いのか。まだ身体が完全に出来上がっていないし、魔力も安定していないからのう……」

セントリウスはそうひとりごちて、しばらく何かを考えていたが、やがてエンドリウスに言った。

「エンドリウスよ、ハシリウスを『オップヴァルデン』の『女神の山』の麓にある温泉に静養に出すがよい。『日月の乙女たち』とともにな」

★ ★ ★ ★ ★

火の月の26日、ハシリウスは『オップヴァルデン』の避暑地である『女神の清水』と呼ばれる温泉地に来ていた。ここには、塩梅よく王家の別荘である“オーベルシャンツェ”がある。セントリウスの希望で、特別にエスメラルダが使用を許可したものであった。

「ハシリウス、ここはヘルヴェティカ家の持ち物だから、自分の家だと思ってのんびりして」

ソフィアがそう言う。しかし、ハシリウスはあまりの豪華さに声も出ない。

「こんなところを使わせてもらえるなんて、ソフィアさまさまだな」

ハシリウスがやっとそれだけを言うと、隣で目を丸くしていたジョゼも言う。

「ホント。ギムナジウムの学生寮より敷地は広いかもしれないね」

オーベルシャンツェは、南向きの入口から入るとすぐに大広間となり、その奥に食堂がある。食堂に向かって右隣に厨房と食糧庫が並んでおり、食堂の左隣はシェフやウエイターたちの控室となっている。大広間から左右に2階に上る階段があり、大広間は吹き抜け、食堂の2階はサロンであった。

食堂から右側に、廊下とトイレなどが並んでおり、廊下は南側へと折れ曲がる。

そして、1階はすべて温泉施設となっていて、2階はトイレ付の寝室が10も並んでいた。各部屋の寝室からは、東側に雄大な『女神の山』が臨め、避暑地としてはこれ以上ないほどのところである。

なお、大広間から左隣には、同じように2階建ての棟が南に延びており、ここはすべて使用人たちの宿泊施設として使われていた。

ハシリウスの“静養”に同行したのは、ジョゼ、ソフィア、そしてソフィアの護衛としてクリムゾン・グローリィ、クリムゾンの推挙でシェフ見習として派遣されたアンジェラ・ソールズベリーとその妹アンナ、そしてハシリウスが万一、温泉(男湯)で倒れたりした時の用心にアマデウス・シューバート……以上7人であった。

「一応、部屋割りはこうしています」

クリムゾンが決めた部屋割りは、次のとおりだった。

まず、食堂に最も近い部屋がアンジェラ、その隣がアンナ、そしてアマデウス、ハシリウス、ジョゼ、ソフィア、クリムゾンである。

しかし、ハシリウスの希望で、次の通りに入れ替えられた。

食堂に最も近いところから、アンジェラ、アンナ、クリムゾン、ソフィア、ジョゼ、ハシリウス、アマデウス――である。

「なんで俺が一番端っこだよ!」

アマデウスが不服そうに言う。ジョゼは、じとーっとした目でアマデウスを見つめて、冷た~く言う。

「キミは、痴漢の常習者だからね。ハシリウスにちゃんと見張っててもらわないと、ボクたちの着替えを覗かれたりしたらたまんないよ!」

「ち、痴漢~!? 痴漢ってあんまりだろ~!」

「でも、確かにアマデウスくんは、よく私たちの着替えを覗いて、アクア先生から立たされていますものね?」

ソフィアが言うのに、アマデウスは、

「そ、ソフィア姫~」

と泣きつく。そこにアンナがとどめを刺す。

「ま、日ごろの行いと、その暑苦しい顔のせいね」


「ふう、いいお湯だった」

ハシリウスは、久しぶりにゆったりとお風呂につかって、のびのびとさわやかな気分になっていた。

「まったくだ、これで混浴だったら言うことなかったな」

アマデウスもそう言ってニコニコしている。

「お前さあ~、そう言うことばっか言っているから、ジョゼやアンナたちからいろいろ言われるんじゃないか?」

ハシリウスが呆れてそう言うが、アマデウスはちっとも堪えていない。

「ちっちっちっ、ハシリウス、男はロマンを追い求める生き物なのさ。お前だって女の子の裸には興味があるだろう?」

「そ、そりゃあ、興味がないって言ったら嘘になるけど…」

「そうか、お前はジョゼフィンちゃんのハダカを見慣れているか」

アマデウスがそう言うと、ジョゼが怒った声で言う。

「ちょっと、アマデウス! 人聞きの悪いこと言わないでよ! ボクだってハダカを見せていい相手とそうでない相手といるんだから!」

「おわっと! ジョゼフィンちゃん、そんなとこにいたの?…ということは、ジョゼフィンちゃんはハシリウスにはハダカを見せたくないということですかな?」

アマデウスが言うのに、ジョゼは少し赤くなりながらも言う。

「あのね~、乙女の口から『ボクのハダカ見せます』とか言えないでしょ? そんな風になるのは、ちゃんと告って、お付き合いを始めてからの話だよ」

「そりゃそうだな。でも、それじゃジョゼは一生誰にもハダカを見せられないかもな?」

ハシリウスが言うと、ジョゼは少し頬を膨らませて、

「あのね、ハシリウス。キミは気付いていないかもしれないけど、ボクは相当モテるよ」

そう言う。ハシリウスは

「ほほう、面白い冗談だねえ、ジョゼ君。なあ、アマデウス?」

そう言ってアマデウスを見るが、アマデウスはハシリウスを勝ち誇ったように眺めて言う。

「ハシリウス、悪いが、それはジョゼフィンちゃんの言うとおりだ。ジョゼフィンちゃんとお付き合いしたいって言う男子は、結構いるぞ。両手の指じゃ足りないくらいはいる。だから、ジョゼフィンちゃんとソフィア姫、両方と仲がいいお前は、男子生徒みんなの羨望の的だったんだ。お前を闇討ちしようっていうヤツもいたが、お前が『大君主』だってことで、みんな実力行使は諦めたんだ」

「えっ、マジかよ!」

ハシリウスはびっくりしてジョゼを見る。ジョゼはあからさまにドヤ顔してハシリウスを見ている。

「そんなにモテるんだったら、どうしてお前、彼氏つくらないんだ?」

ハシリウスが言うと、ジョゼはムスッとして、

「ハシリウスの鈍感。ボクのことはどーでもいいでしょ?」

そう言って、ジョゼは大広間に入っていく。そして、ジョゼは広間の隅に立てかけられているギターを手に取ると、椅子に座ってゆっくり弾き始めた。

「結構上手いな」

ハシリウスが言うと、アマデウスもうなずいて言う。

「結構どころじゃないな。では、俺も少し参加させてもらうか」

そう言うと、アマデウスは大広間のピアノを優雅に弾き始めた。これも上手い。まあ、アマデウスの場合は、実家が音楽一家で、アマデウス自身もピアノやバイオリンを幼いころから弾いているから不思議はない。

「ジョゼ、お前、いつの間にギターなんて弾けるようになったんだ? しかも上手いじゃないか」

一曲終わったところで、ハシリウスが手を叩きながらジョゼをほめる。いや、いつの間にかアンナやソフィアもやってきて、二人の演奏を聞いていたらしい。

「ほんと、王宮の楽師にも引けを取らないと思うわ」

「人は意外な才能を持っているものね」

ソフィアとアンナも言う。

「えへへ、ハシリウスが弾いているのを聴いて、ボクもやってみたいなあって思ったんだ。まだまだだけど、ボク、これで身を立てられればなあって思ってる」

ジョゼが言うと、ソフィアはニコリとして、

「素敵なことです。ジョゼならきっと素敵なミンネジンガーになれると思います」

そう言う。

「なあ、みんな何かしら楽器できるんだろ? だったら、みんなで演奏しないか?」

アマデウスが言う。ハシリウスもうなずいた。

「じゃ、僕もギターで行ってみよう。ジョゼ、よろしくな」

「う、うん。ハシリウスが主旋律でいいよ?」

ジョゼが顔を赤くして言うと、ハシリウスは片目をつぶって言う。

「まだジョゼには負けないよ。ジョゼこそ主旋律を弾いてくれよ。僕は合わせる」

「私はピアノくらいしか弾けないわ。へたくそだけどいいかしら?」

アンナが言うのに、アマデウスは笑って言う。

「もちろんさ! こんなのはみんなでやるのに意味があるんだ。じゃ、俺はバイオリンな」

ということで、ソフィアがフルート、アマデウスがバイオリン、アンナがピアノ、そしてハシリウスとジョゼがギターを抱え、即興の楽団が演奏を始めた。

「ほう、なかなかみんな上手いじゃないか」

皆から見えないように隠形している星将――星の力をまとった戦神――シリウスがつぶやくと、

「そうだね。あのお姫様はともかく、『太陽の乙女』に音楽のセンスがあるとは思わなかった」

これも隠形しているが、星将デネブが言う。

「ま、お姫様のおかげで、大君主も骨休めができるってもんだ」

星将ベテルギウスがつぶやくと、

「それもつかの間のようでっせ」

今回ハシリウスについてきた星将たちの中で、最も年若の星将トゥバンが言う。

「どういうことだ?」

星将シリウスが鋭い黒い目をトゥバンに当てる。星将トゥバンは笑って玄関先を指差した。


その時、オーベルシャンツェの玄関先には、数十人の人々が集まっていた。ほとんどが老人と女性である。女性の中には、乳呑児を抱えている者もいて、全員が疲れ切った表情をしていた。

その人々は、異口同音に、オーベルシャンツェの閉じられた門の外から、口々に叫んでいた。

「王女様、お話があります!」

「大君主様がここにおられるとお聞きしました!」

「私たちの願いをお聞き届けください! 大君主様!」

門の外の騒ぎを聞きつけ、オーベルシャンツェの管理人たちが門へと走ってきた。

「これこれ、お前たちは何者だ? なぜこんなところで騒いでいる?」

すると、群衆の中から一人の品のいい老人が出てきて言う。

「私たちは、『女神の清水』の町の者です。ここに大君主様と王女様が来ていらっしゃるとお聞きしまして、私たちの願いをお聞きいただきたいと参上しました」

「何故、王女様がいらっしゃると思うのだ?」

管理人たちが訊くと、老人はニコリとして、

「先ほど、王女様専用の馬車がこのお屋敷に入るのを、町の者がお見かけしたのです。そして、どうも王女様とともに、今、この国を救うと言われている『大君主』様が乗っていらっしゃったようだとの噂もお聞きしました」

そう言う。管理人は、王女付きの侍従から、王女の所在は秘密にしてあるということと、『大君主』についてもここにいることに関して秘密厳守とのお達しを受けていたため、老人に険しい顔で次のように言った。

「ばか者、学業に励んでいらっしゃる王女様が、今この屋敷におられるはずがなかろう! それに『大君主』などとたわけたことを言うでない! 本日はお付きの方々が来年の使用に備えて本屋敷を検分においでているだけだ。さっ、町に戻りなさい」

すると、群衆の中から若い声で、

「嘘をつけ! 王女様や大君主ハシリウス卿が馬車に乗っていらっしゃるところを、俺たちはちゃんと見たんだ! この町では、大君主様のお力をぜひお借りしたい問題が起こっているんだ! さっさと取り次げ、木端役人!」

そう言った怒号が聞こえた。老人は、みんなを振り向いて、

「まあまあ、王女様や大君主様の居所は秘密で、なかなか私たちには話してもらえないんじゃよ。この方もそれが仕事じゃからな……」

そう言うと、また管理人に言う。

「あなたから伝えていただけないのであれば、ここの責任者か、お付きの方々とお話しさせていただけないものでしょうか?」

管理人は、この老人の丁寧さと、群衆のあまりの真剣さに、

「分かった。ちょっと待っておれ」

そう言うと、玄関の方に歩き出した。ちょうどその時、玄関からクリムゾン・グローリィが出てきた。クリムゾンは、管理人に声をかける。

「管理人、門の外が騒がしいようだが? あの者たちは何だ?」

管理人はほっとしたように言う。

「は、はい。何でも王女様や大君主様にお話ししたいことがあるそうで、どういたしましょうか?」

「ふむ、分かった。とにかく私がまず話を聞いてみよう」

クリムゾンはそう言うと、ゆっくりと門へと歩き始めた。群衆は、威風堂々たるクリムゾンが近づいてくるのを見て、押し黙ってしまう。

「諸君、管理人から聞いたところ、諸君は王女様や大君主ハシリウス卿に話があるということだが、どういうことかな?」

クリムゾンが優しく聞くと、代表の老人が言う。

「は、はい。大君主様直々にお話を聞いていただけるとは幸いです」

「待て、私は護衛士のクリムゾンという者だ。とりあえず私が話を聞き、話の内容によっては大君主ハシリウス卿に取り次いでもよい。どんな事件が起こったのだ?」

クリムゾンがそう言うと、老人は目をむいた。クリムゾン・グローリィの名は、“辺境の勇者”として国中に鳴り響いている。特に、モンスターやミュータントたちは、彼のそのいでたちから、彼を“ローテン・トイフェル”――緋色の悪魔――と呼んで恐れていることは、今や誰も知らぬものとてない。

「おお、あなた様が高名な“緋色の悪魔”クリムゾン様でしたか。実は、この町にいま、大きな苦難が襲ってきているのです」

「大きな苦難とは?」

クリムゾンの問いに、老人は声を潜めて言う。

「化け物が出るんです」

「化け物?」

「はい、私たちの町は、ご存じのとおり『女神の山』の麓に位置します。冬こそ雪に閉ざされてしまいますが、夏は過ごしやすい町ですし、気温の低さから独自の野菜なども栽培できますので、決して貧しいところではありませんでした」

老人はそう言って、昔を懐かしむ目をした。

「しかし、ここ数年の異常気象で、野菜の方はさっぱりになりました。また、雨も降りませんので、作物の栽培はほぼあきらめざるを得ないような状況です。それに加えて、今年になってから化け物が出だしたため、この町の住民は怯えきっています」

「その化け物とは、どういったものだ? 姿を見たか?」

クリムゾンが言うのに、老人は慌てて首を振る。

「い、いえ、誰も姿を見たことはありません。しかし、今年になってすでに10人ほどがその化け物から命を奪われています」

「なにっ! そのことは軍団には伝えたか?」

クリムゾンが言う。わずか4か月で10人もの犠牲者が出ているとなれば、捨ててはおけない。

「はい。しかし、軍団が出動すると、その化け物はぴたりと出なくなってしまいます。ですから、私たちも困っているのです」

クリムゾンは腕を組んで考えていたが、やがて優しい声で老人に言った。

「捨ててはおけまい。老人よ、そなたたちの願い、ハシリウス卿に伝えてみるか? 代表者だけ屋敷に入ってもらおう。後の諸君は、すまないが庭で待っていてくれないか?」


承の章 前哨戦


黒魔術師の国であるゾロヴェスター王国は、ヘルヴェティア王国からはるか北に位置している。この国は、夏は太陽が沈まず、冬は太陽が顔を見せない。

そのゾロヴェスター王国の首都・ヴォルフスシャンツェでは、闇の帝王・クロイツェンが珍しくも上機嫌であった。

「わが首級のありかが分かった。これで首級を取り戻せば、わが力は倍増する」

クロイツェンは、そう言って左右の重臣たるバルバロッサとメドゥーサを眺める。メドゥーサが不思議そうに訊く。

「わが君、わが君のお頭はそこにございますが?」

それを聞くと、クロイツェンはにやりと笑って言う。

「わが頭はわが頭であるが、グローリウスに持って行かれた首級もまた、わが首級だ。これはわしの命の秘密であり、“闇の精霊”の真実でもある。たとえそなたらでも、秘密にしておかねばならない」

そして、

「今回は、わしが直々に出馬する」

そう宣言する。バルバロッサとメドゥーサは畏まった。バルバロッサが訊く。

「わが君おん自ら出馬されるのは結構ですが、誰を一緒に連れて行かれるおつもりでしょうか?」

「ふむ」

クロイツェンはその赤い目で臣下たちをゆっくりと眺めていたが、やがて言った。

「南の天王シュール、そなたを一緒に連れて行くこととする。先に『女神の山』に行って、今年の最初から探索に当たっていた夜叉大将オルグと合流し、わしの到着を待て」

「ありがたき幸せ」

四天王のうち南を司るシュールがそう言って笑う。シュールは“火焔魔法”のエキスパートであり、かつ、槍を扱わせては四天王随一だ。

「首尾よくわが首級を手に入れたら、すぐにヘルヴェティア王国の周囲の国を制圧する。夜叉大将ヤヌスル、マルスル、イーク、リングに出撃させよう。そう伝えておけ」

★ ★ ★ ★ ★

「ふ~ん、その化け物は、『女神の山』の登山口によく現れるというんですね?」

ハシリウスは、町の長老たちの話を注意深く聞いた後、そう言った。

「はい、しかもそいつは、町の水源である『女神の泉』にも手をかけようとしています。あの泉は、王国でも最も良質の水がわく泉ですから、先の筆頭賢者であるセントリウス猊下が特別な結界を張ってくださいました。もし、その結界が破られでもしたら大変です」

長老たちは、最初ハシリウスと会った時、そのあまりの若さにびっくりした。しかし、ハシリウス・ペンドラゴンが王立ギムナジウムの生徒であったことを思い出したことと、ハシリウスの真摯な態度と優しさがあふれている目に感動して、長老たちの言葉も丁寧になっていた。

一方、ソフィアとジョゼは渋い顔だった。本来、ハシリウスはここに静養に来ているのだ。それなのに、またぞろ『闇の使徒』が絡んでいるかもしれない事件に首を突っ込むのは、ハシリウスの健康状態を考えれば得策ではない。特にジョゼは、こんな話を聞き入れて長老たちをここに案内してきたクリムゾンに対して、一言文句を言いたそうにしていた。

「さて、どうしたものかな。クリムゾン様はいかが思われますか?」

ハシリウスは、目をつぶって話を聞いていたクリムゾンに訊く。クリムゾンはゆっくりと目を開けて言う。

「確か、『女神の泉』には、泉の守り人がいたはずです。その名をリゲルと言います。その者から話を聞いてきましょう。ハシリウス殿はここで待っていてください」

「僕も行きましょうか?」

ハシリウスが言うのに、クリムゾンは首を振って言う。

「大丈夫です。今回は私も瀬踏みとして行ってきます。私一人で手に余る場合は、決して無茶はしませんから、ハシリウス殿はもう少しここで待っていていただけませんか?」

ハシリウスは、クリムゾンの優しげな眼を見つめていたが、やがて言った。

「分かりました。そのリゲルという泉の守り人に会ってみたい気もしますが、相手がモンスターであればクリムゾン様の方が経験が多いですしね。気を付けて行ってきてください」

「承知しました。では、長老、ひとまず私が様子を見てみよう。『女神の泉』は守り抜かねばならないし、その化け物も退治せねばならない。そなたたちはできるだけ町から出ないようにしていてほしい。それと、急いで軍団に、町とこのオーベルシャンツェを守ってもらえるように伝えてほしい」

クリムゾンがそう言うと、長老たちは喜んでオーベルシャンツェを出て行った。

「クリムゾン様、ご無事で」

着物の下からチェインメイルを着こみ、長剣を佩いて部屋から出てきたクリムゾンに、アンジェラが心配そうに言う。クリムゾンは笑って答えた。

「大丈夫だ。ハシリウス卿に無理はさせられぬ。そんなことをしたら、ソフィア姫やジョゼフィン嬢から恨まれよう。今回は私も無理はしない。泉の守り人・リゲルに会ってくるだけだ」

「分かりました。でも、私は心配です」

頬を染めて言うアンジェラを愛しそうな目で見つめていたクリムゾンは、

「今回の任務が終わったら、君と話をしたいことがある」

そう言う。アンジェラがはっとした顔でクリムゾンを見つめると、クリムゾンはゆっくりとうなずいて言った。

「行ってくる」


クリムゾンがオーベルシャンツェの門を出て、しばらく行くと、

「クリムゾン様、やっぱり、僕もついていきますよ」

と、ハシリウスが木立の陰から現れた。ハシリウスは青いマントに、母からもらったジョゼとおそろいの服を着込んで、神剣『ガイアス』を佩いている。鎧はつけていない。

「ハシリウス卿、いけません! あなたはここに静養に来られたんですよ? それに、鎧もつけずに来られるとは」

「そう言われても、あんな話を聞いたら、放っておかれなくてね。それに、『女神の泉』を守っているリゲル殿とやらにも会いたくてさ」

ハシリウスはニコニコと笑って言う。クリムゾンはため息をつき、

「分かりました。では、今日はリゲルを訪ねるだけにしておきましょう。あなたに何かあったら、私が王女様やご学友から怒られてしまいますから」

「そう願いたいものだね」

木立の陰から、ジョゼが現れてそう言った。ハシリウスはびっくりして言う。

「じ、ジョゼ! ダメじゃないか、こんなところについてきたら!」

ジョゼは、ハシリウスの言葉を一切無視して、ハシリウスをにらみながら、

「だいたい、ハシリウスはここに静養に来たんだよ? どうせキミのことだから、あんな話を聞いて人任せにはできないだろうって思って、キミのこと見張ってて正解だったよ。今回は、ボクもついていくよ。ソフィアには話をしている。ボクたちが日暮れまでに戻らない場合は、軍団に出動命令を出してもらうことにしているんだ」

そう言うと、ハシリウスの腕につかまって、うれしそうに笑った。

「さっ、『女神の泉』までデートしましょ❤ 大君主様❤」

「こっ、こらっ、お前はゾンネだな」

ハシリウスが慌てて言うのに、ジョゼのゾンネはきょとんとした表情で言う。

「えっ、何かお呼びですか? 大君主様」

「もういい。どっちがどっちだか、僕にも分んなくなった」

ハシリウスは小さな声でそう言うと、クリムゾンに向かって笑った。

「参りましょうか、クリムゾン様」

クリムゾンは苦笑していた。


『女神の泉』は、オーベルシャンツェから東に30分ばかり歩いたところにあった。ここからさらに30分ほど東に歩くと、『女神の山』への登山口となる。

『女神の泉』は、底まで透き通って見えるくらい澄んだ水を満々とたたえていた。その近くに、一軒の小屋が建っている。どうやら、その小屋がリゲルという泉の守り人の住まいらしい。

クリムゾンは、ゆっくりと小屋に近づくと、ドアをノックしながら中に声をかけた。

「リゲル、俺だ、クリムゾンだ。ちょっと聞きたいことがあってここまで来た」

すると、小屋の中から声がして、一人の女がドアを開けて現れた。年のころは22・3歳くらいであろうか。その女は、背が高く、漆黒の髪を肩までで散切りにしており、同じく漆黒のローブ風の上着を無造作にまとっていた。切れ長の青い目と引き締まった唇は、何も化粧をしていないのにもかかわらず、抜けるほど白い肌と相まって、彼女の魅力を際立たせていた。

「何だ、珍しい、クリムゾンか。こんなところにいるなんて一体どうしたのだ? 辺境に魔物がいなくなったわけではあるまい?」

リゲルは、その容貌には似つかわしくない低い声で訊く。声だけ聴いていると、中性的で、男か女かは分からない。

「今、俺は王宮に仕えている。今日は、『女神の清水』の町に出没する魔物について、そなたの話を聞きに来た」

クリムゾンがそう言うと、リゲルはじろりとハシリウスたちを見て訊く。

「クリムゾン、あの者たちは誰だ? 少女の方も只者ではないが、少年の方は星将を連れているではないか?」

クリムゾンはにやりとして言う。

「さすがだな、リゲル。あちらは『大君主』ハシリウス卿と『太陽の乙女』ゾンネ殿だ」

すると、リゲルはびっくりした顔をして、ハシリウスたちの方に近寄ると、ハシリウスの前でひざを折って恭しく挨拶をした。

「これは知らぬこととはいえ、失礼いたしました。私はリゲル・ファン・ロイテルと言い、女神アンナ・プルナ様のお導きにより、この泉を守っている者です。『大君主』ハシリウス卿、以後、お見知りおきを。『太陽の乙女』ゾンネ嬢、よくおいでくださいました」

深々とお辞儀をするリゲルの胸元がちらりとのぞいたため、ハシリウスはどぎまぎして言う。

「こ、こちらこそ。僕はハシリウス・ペンドラゴンです。こちらは『太陽の乙女』であり、僕の幼なじみでもあるジョゼフィン・シャイン。ところでリゲル殿、姓がロイテルということは、『花の谷』の妖精王・バウムフィーゲル様と何か御関係があられるのか?」

するとリゲルは驚いたようにハシリウスを見つめて言う。

「はい、私の母はバウムフィーゲルの娘。私は人間になった妖精と、人間の男との間に生まれたミュータントです。わが祖父であるバウムフィーゲルをご存知ですか?」

「ええ、この間、『花の谷』の制圧を狙っていた『闇の使徒』たちを、バウムフィーゲル様とともに撃退してきました。そうですか、ではあなたはフローラの姪ということになるのですね?」

ハシリウスが言うと、リゲルも懐かしそうに訊く。

「はい、フローラは確かに年下の叔母です。フローラは元気でしたか?」

「フローラ王女は亡くなりました。『闇の使徒』に斬られました」

ハシリウスが悲しそうに言うと、リゲルはびっくりして、

「な、なんですって!? フローラが? ハシリウス卿、その『闇の使徒』というのは何者ですか?」

そう訊く。それにクリムゾンが答える。

「リゲル、ここ数年の天候不順が“大いなる災い”の前触れであることは知っているな?」

「はい」

「『闇の使徒』とは、“大いなる災い”を待ち望んでいる者たちで、クロイツェン・ゾロヴェスターという黒魔導士の首領が統括している。私もたまたま辺境でゾロヴェスター王国の話を聞き、『闇の使徒』の何人かと手合せしたことがあるが、なかなかに強い。そいつらが、このヘルヴェティア王国の転覆を狙っているのだ。世界を闇の力で覆うために」

「それで、ハシリウス卿とあなたが。分かりました。私もそのような奴らが現れた時は、やっつけてやります」

リゲルが決意の眉を寄せてそう言う。それにクリムゾンが訊く。

「ところでリゲル、『女神の清水』の町に出てくる化け物の話だ」

「あ、ああ、そうでしたね。こんなところで立ち話も何ですから、私の小屋においでください。狭いですが、お茶くらいはお出しします」


リゲルの小屋は、女性の一人住まいにしては殺風景すぎるほど、何もない小屋であった。ハシリウスたちは樫のテーブルに座り、気を利かせたジョゼが入れたお茶を飲みながら話をしている。

「確かに化け物が現れたのは今年になってからですね。化け物にやられた町の人々を何度も麓まで運びました。みな、一様に心臓をつかみだされていました。私自身も、この泉を狙ってきたその化け物とは手合せしたこともあります」

こともなげに言うリゲルに、クリムゾンは、

「どんな奴だ?」

と短く聞く。しかし、リゲルは顔を横に振った。

「分かりません。というのは、そいつの動きが素早すぎて、目にも止まらないほどだったのです。私がもしミュータントでなかったら、私も今ここにはいなかったでしょう。攻撃をあきらめて、防御に徹していましたから、何とかあの攻撃を跳ね飛ばしきれたのだと思います」

「お前をしてそれほどまで言わしめるのであれば、気を引き締めてかからねば、不覚をとるな」

クリムゾンがつぶやく。

「そう言えば、その化け物は、『首がなんとか』って言ってました」

思い出したように、リゲルがつぶやく。

「首? 首がどうしたんだ?」

クリムゾンがそう言ってリゲルを見ると、リゲルも首を振って言う。

「さあ、戦いながらに聞いたものですから、とぎれとぎれで。なんか『首級』がどうとか、『封印』がどうとか言っていました」

「ふむ。それが『闇の使徒』であれば、何かを探していることになるのだろうな」

その時、星将シリウスが顕現する。

「ハシリウス、今の話を聞いていて思い出したことがある」

「何だい? 星将シリウス」

ハシリウスがそう言うと、リゲルが目を丸くしてつぶやく。

「せ、星将シリウス…闘将筆頭で最も気難しい星将のはずなのに、なぜこんな少年に?」

「ハシリウス卿は、セントリウス猊下の孫だ」

クリムゾンが目を細めて言う。リゲルは納得した。

「この『女神の山』には、“クロイツェンの首級”を星読師グローリウスが封印している。たぶん、その化け物は『闇の使徒』で、“クロイツェンの首級”を探しているに違いない」

星将シリウスが言うと、ハシリウスは、

「えっ? じゃあ、今のクロイツェンは何者だ?」

そう言う。星将シリウスは低く笑って言う。

「ハシリウスよ、セントリウスが言っていたではないか。闇こそこの世の基本だと。それから行くと、今のクロイツェンは闇の力の具現化したものなのではないか? 首級と言い、肉体と言い、それは大宇宙の意識の憑代に過ぎん。しかし、首級にまだ魔力が残っているのであれば、その魔力はクロイツェンを肥大化させうる」

「では、『闇の使徒』よりも先にその首級を見つけて、封印されている魔力を無効にしなければならない……ということだね?」

ハシリウスが言うと、星将シリウスはその鋭い目に光を宿して言う。

「その通りだ」

その時、星将デネブが顕現して、みんなに急を告げた。

「シリウス、『闇の使徒』が来たよっ!」

「光の精霊リヒトよ、その神々しき光をもちて、女神アンナ・プルナの愛し子たるわれらを、禍々しき者どもの槍衾から守りたまえ! “リヒト・ケッセル”!」

ズドド――――――ン!!!

ハシリウスが“光の防御魔法”で、小屋の中にいる全員を防御した瞬間、リゲルの小屋が何者かの強いパワーをまともに受けて吹っ飛んだ。それは本当に間一髪であった。

「ほほう、さすがに『大君主』と言われるだけあるな。楽しみ甲斐があるってものだ」

小屋が崩れ落ち、煙と巻き上がったほこりが収まると、ハシリウスたちの目の前には大きな鎌を持ち、全身を黒いマントで覆った男が立っていた。フード越しに、その男の目は赤く怪しく輝いている。

「わが名は夜叉大将オルグ。貴様のせいで非命に倒れた仲間たちの仇を討たしてもらうぞ、大君主ハシリウス」

夜叉大将オルグは、にやりと笑って鎌を振り上げると、いきなりハシリウスのところへ跳躍して鎌を振り下ろした。しかし、その鎌はハシリウスの頭に届かなかった。

「!」

「大君主よ、早く『女神の山』に急げ!」

星将ベテルギウスが顕現し、その長大な剣でオルグの鎌を受け止めていた。

「き、貴様は星将ベテルギウス!」

オルグが叫ぶのに、別の方角から、

「夜叉大将オルグよ、大君主の身近にいるのはシリウスはんだけとは限らへんで! 行けっ“煉獄の猛火”!」

そう言う声ともに、ビューンと音を立てて矢が飛んでくる。オルグは辛うじてその矢をかわし、間髪をいれずに繰り出してくる星将ベテルギウスの突きを鎌で受け止めた。

「大君主はん、ここはわてらに任せて、早う行きや!」

星将トゥバンはそう言いながら、自分の背よりも長い弓で、夜叉大将オルグに斬りかかる。彼の弓はただの弓ではなく、物を断つことも可能なミスリル銀でできている。

「行くぞ、ハシリウス!」

星将シリウスがそう言うと、ハシリウスもうなずき、

「頼んだぞ、星将ベテルギウス、星将トゥバン」

そう言って、『女神の山』へと駆け出した。

★ ★ ★ ★ ★

「むっ!?」

『蒼の湖』のほとりに建つ小屋の中で、日課の観想をしていたセントリウスがそう言って目を開けた。その顔色がいつになく青いことに気が付いた星将ポラリスが、心配して顕現する。

「どうしましたか? セントリウス様」

星将ポラリスは女将ではあるが、12星将を束ねる主将である。白の衣に金色のベルトを締め、長い金髪を優雅に束ね、そして金の宝冠を戴いている。彼女は、心配そうに首を傾げ、セントリウスにもう一度問いかけた。

「どうしましたか? 星読師セントリウス様」

セントリウスは、その銀の髪をかきあげ、白いひげをしごきながらつぶやく。

「…クロイツェンよ、汝は動けるまでに復活していたか…」

そして、星将ポラリスに目を向けて言う。

「ポラリスよ、クロイツェン自身が『女神の山』に向かっている。今のハシリウスではまだ敵わんだろう。シリウスたちがいるとしても、夜叉大将を何人か連れてきていたら、大君主の周囲は無防備になる。すぐに星将アルタイルとアンタレスに命じて、ハシリウスを助け出すのじゃ。まだハシリウスを殺してしまうわけにはいかん!」

星将ポラリスは顔をひきつらせた。“闇の帝王・クロイツェン”――その名はポラリスにとっても恐るべきものであった。ポラリスは少し震える声で言う。

「分かりました。なお、セントリウス、あなた自身の警護も必要です。ですから、レグルスとベガを呼び戻し、私とスピカ、アークトゥルス、プロキオンで『星楯陣』を組みます。ハシリウスもそうですが、あなたも失うわけにはまいりませんから」


一方、ハシリウスたちは『女神の山』の登山口に差しかかっていた。これから先は、女神アンナ・プルナの結界になる。ハシリウスは神剣『ガイアス』を抜き、女神に入山の許しを請おうとしたその時である。

『よく来た。大君主よ』

そう言う声とともに、ハシリウスたちを圧倒的な闇の力が包み込んだ。

「ぐっ! こ、これは」

その力によって地面に崩れ落ちたハシリウスだが、神剣『ガイアス』を支えにして立ち上がる。

「ジョゼ! クリムゾン様! リゲル殿!」

ハシリウスは、そう叫んでジョゼのゾンネとクリムゾンとリゲルの姿を探した。

「くそっ、何も見えない…闇の精霊シュバルツよ、女神アンナ・プルナの名においてハシリウスが命じる。闇を見通す力をわれに与えよ! “シュバルツ・ウーフー”!」

漆黒の闇の中、呪文とともにハシリウスの碧の目が漆黒に変わり、クリムゾンとリゲルの姿をとらえた。二人はすでに闇の力に押さえつけられて、気を失ってしまっていた。

「は、ハシリウス…どこにいるの…大丈夫?」

ジョゼはすでに『太陽の乙女』ゾンネとシンクロし、赤い衣に金のチェインメイルを着て、金のヘルメットをかぶった姿となっている。そのゾンネが、ハシリウスの声を聞いて近づいてきた。ハシリウスは手を伸ばして、ゾンネの手をつかむ。

「ああ、ハシリウス…ここにいたんだね…よかった」

『太陽の乙女』ゾンネは、ジョゼの声でそう言うとほっと溜息をついた。ハシリウスは微笑んでゾンネを抱きしめる。

「ハシリウス…」

「こうしていれば、怖くないだろ?」

ハシリウスが言うのに、ジョゼは頬を染めてつぶやいた。

「うん、アリガト」

「すごい力だ。こんな力、今まで感じたことがない」

ハシリウスがそうつぶやくと、闇の中から声がした。その声はまるでブリザードのように冷たく、そして抗いがたい力を感じさせるものだった。

『大君主よ、我はクロイツェン・ゾロヴェスター。この山には、私の力が眠っている。私の首級を返してもらいに来た。汝は関係ない、帰ってもらおう』

「だまれ! この世を闇の力で制しようとする貴様のたくらみを見過ごすわけにはいかない! 光の精霊リヒトよ! 悪しき神々の禍事を阻止し、その悪しき野望を破砕するため、女神アンナ・プルナの名において、ハシリウスが命じる。闇の力を使いて、この世を光で満たせ。“光の剣”ウント、シャイン・アーク!」

ハシリウスが呪文を唱えると、その身体が金色の光を発しだした。その光は周囲の闇を飲み込みつつ大きくなっていく。そして、ハシリウスは呪文詠唱が終わると同時に、神剣『ガイアス』をクロイツェンの声がする方へと振り下ろした。

ビシュンッ!

神剣『ガイアス』から出た光の波動は、闇をつんざいて確かにクロイツェンに命中したはずだった。しかし、まとわりつく“闇の力”の一端を切り裂いただけで、クロイツェンは闇の向こうでかすり傷ひとつ受けずに笑っていた。

『大君主よ、まだそなたの力では私を倒せない。私との手合せが早すぎたようだな。ここで死んでもらおう、“闇の沈黙”イム・ルフト!』

クロイツェンはそう叫ぶと、ハシリウスに向けて闇の力を解放した。

「ハシリウス!」「いかん、よけろ!」

やっと二人の姿が見えるようになった星将デネブと星将シリウスが叫ぶ。

「ボクがハシリウスを守る! “ゾンネンブルーメ”!」

「ジョゼ、どけっ!」

ハシリウスの前に躍り出たゾンネは、ゾンネンブルーメでハシリウスを守ろうとしたが、クロイツェンの力は物凄く、“闇の沈黙”は、ゾンネンブルーメもろともハシリウスとゾンネを飲み込んでしまった。

「ぐおおおお!」「きゃああ!」

“闇の沈黙”は二人を見事にとらえ、二人は闇の力の中で脱出しようともがいていた。このままでは、二人とも魔力を使い果たして闇に飲み込まれてしまう!

「ハシリウス!」

星将シリウスが二人のもとに駆け付けてきたが、そのシリウスにクロイツェンが話しかけた。

『久しぶりだな、凶将シリウスよ』

「クロイツェン! 貴様、まだ性懲りもなくこのような真似を」

星将シリウスの黒い目が、怒りのために青い光を放ち始める。

『何を言うか。この世の源はすべて闇だ。わが闇がなければ、そなたら星将たちも輝きを失くすぞ。星将シリウスよ、悪いことは言わぬ。12星将挙げてわが闇の帝国の復活に力を貸せ』

「断る。俺はハシリウスとともに、いつか貴様の首を挙げてやる」

星将シリウスの言葉に、クロイツェンは皮肉そうな声で高笑いし、シリウスに言う。

『はっはっはっ、セントリウスを守れず、今またハシリウスも見殺しにし、そして『女神の泉』もわが呪いに落とすような凶将・シリウスよ、汝はその名のとおり“天狼”だ。人間に災いをなす“天狼”だ。いつか汝は我が膝元にひれ伏すであろう。その時を待っているぞ』

「ほざいたな! 許せん!」

星将シリウスは、あまりの怒りに体中から透き通るくらいの白い光を放ち、蛇矛を水車のように回してクロイツェンに討ちかかった。しかし、クロイツェンはそれを難なくかわすと、

『星将シリウスよ、今頃は貴様の仲間であるベテルギウスとトゥバンの墓が、『女神の泉』の畔に建っているころだ。『女神の泉』も我がものとなっているだろう。南の天王・シュールの手によってな』

そう笑うと、虚空に消えて行った。

「南の天王シュール。しまったっ! ベテルギウスたちが危ない!」

星将シリウスがそう叫んだ時、星将デネブが慌ててシリウスのもとにやって来た。

「シリウス、このままじゃハシリウスたちが死んじまう。どうしたんだい? シリウス」

デネブは、沈痛な面持ちでいるシリウスに気づいて、そう訊く。嫌な予感がした。


こちらは、『女神の泉』に残って夜叉大将オルグと戦っている星将ベテルギウスと星将トゥバンである。さすがにトゥバンもベテルギウスも、四闘将に次ぐ猛将であり、夜叉大将オルグはだんだんと追い詰められつつあった。

「くそっ! 負けるものかっ! うりゃああああ!」

夜叉大将オルグは、掛け声とともに星将ベテルギウスに大鎌を振り下ろしたが、

キィィン

鋭い響きとともに、オルグの大鎌はベテルギウスの剣によって断ち切られてしまった。

「くそっ!」

オルグは辺りを見回した。星将ベテルギウスはその“氷の剣”を構え、最後のとどめを繰り出そうとしている。少し離れて星将トゥバンが自分をその弓矢で狙っている。万事休すか、夜叉大将オルグは、そう思って観念しかけた。

「夜叉大将オルグよ、貴様はここで終わりだ。覚悟してもらおう」

星将ベテルギウスがそう言って“氷の剣”を水平にし、最後の技を繰り出そうとしたその時、

「わっ! あかんっ!」

突然、星将トゥバンの胸元から槍の穂先が飛び出した。その穂先はトゥバンを田楽刺しにしたまま上へと振り上げられる。

「うわあああ! ベテルギウスはん、新手の敵や! 気ぃつけや!」

星将トゥバンは空中に放り投げられながら、ベテルギウスにそう叫んだ。

「トゥバン!」

思わずそう叫んだベテルギウスに、新手の何者かは、とてつもなく素早い槍を繰り出す。

「くっ!」

ベテルギウスは何とかその穂先をよけたが、形勢逆転と見た夜叉大将オルグが突き出した剣が、星将ベテルギウスの脇腹に深々と突き刺さった。

「ぐおっ!」

痛手に吼えるベテルギウスの真正面から、新手の敵の槍が繰り出され、ベテルギウスの胸板を突き通した。

「ぐふっ!」

新手の敵は、完全に動きが止まってしまった星将ベテルギウスを冷たく澄んだ目で眺めながら言う。

「この程度で星将とは笑わせる。腹ごなしにもならない」

そう言うと、一気に槍を抜き取る。ベテルギウスの胸からは、血が滝のように噴き出した。

「ぐおっ…き、貴様…」

星将ベテルギウスは、痛手に耐えかねて“氷の剣”を地面に落とし、膝をついた。その間にも鎧や衣服を、赤いものが染めていく。

「ふふ、苦しいか? 大君主に倒されたわが同胞も、同じような苦しみの中で息絶えて行ったのだ。かくいう私は、南の天王・シュール。遠からず星将全員を冥途に送ってやるが、まず、星将ベテルギウスよ、お前から死んでもらおう」

南天王シュールが勝ち誇ったように言って槍を繰り出そうとした時、

「むっ!」

シュールは、自分を狙って飛来した矢を辛うじてよけた。そこに二の矢、三の矢と次々と矢が襲ってくる。

「ベテルギウスはん! しっかりしいや!」

星将トゥバンは、胸元から血を吹き出しつつも、その長弓で次々と矢を繰り出す。

「くっ! 弓の星将め、まだ生きていたか!」

シュールは、星将トゥバンの矢を、槍を回して叩き落とす。しかし、トゥバンも次々と矢を放ち、シュールに攻撃の間を与えない。

シュールがベテルギウスにとどめを刺せないと見るや、夜叉大将オルグが剣を取り直して、

「星将ベテルギウス、覚悟!」

と、崩れるように座り込んでいる星将ベテルギウスの首を刎ねようとした。

「ぐわっ!」

しかし、断末魔の叫びをあげ、首と胴が別々になったのはオルグの方だった。

「むっ!? オルグよ!」

シュールは、矢の雨を防ぐのに精いっぱいで、新たに顕現した星将が、血まみれのベテルギウスの傷に“女神の秘薬”をふりかけるのを見ているしかなかった。

「トゥバン、もういい。お前も手傷を負っているのだろう。ベテルギウスとともに天界に帰れ。ここは私が引き受ける」

新たな星将は、見上げるようにたくましい身体を赤い衣で覆い、赤いチェインメイルに赤い手甲と脛当てをつけ、そして一抱えもある青竜偃月刀を持っていた。短く刈り込まれた亜麻色の髪と、鋭い光をたたえた石色の目が、その星将の威厳を増している。

「おおきに、わてももう限界だったんや」

星将トゥバンは、苦しげな息をしながら、星将ベテルギウスのもとまでやって来た。

「これを使え。“女神の秘薬”だ」

「おおきに、アンタレスはん。さ、ベテルギウスはん、傷は浅いで、帰りまひょ」

トゥバンは、やっと気が付いたベテルギウスに肩を貸して立たせると、一緒に天界へと消えて行った。

トゥバンたちを見送るアンタレスに、南天王シュールは頬をゆがめて言う。

「貴様が4闘将の一人、星将アンタレスか。相手にとって不足はない。行くぞ!」

そう言うと、火を噴くように槍を繰り出す。しかし、星将アンタレスは涼しい顔で、偃月刀を巧みに使ってすべての攻撃を防いで見せた。

「アンタレス、そいつは俺にくれ」

シュールの後ろに顕現したもう一人の星将は、青い衣に青い胸当てをつけ、銀のベルトを締め、青い手甲と脛当てをつけていた。長い髪に切れ長の青い目が見え隠れしている。そして、剣のように長大な穂先を持つ槍を持っていた。

「おう、アルタイルか。好きにしろ」

アンタレスがそう言って偃月刀を引く。シュールは前後に敵を受けて、その槍を斜に構えた。

「二人まとめてかかってこい!」

シュールが言うのに、アンタレスは哄笑して言う。

「自惚れるな。そなた程度で四天王とは笑わせる。俺とアルタイル、二人がかりで戦うには、貴様程度では勿体ない」

「まったくだ。よかったな、シュールとやら、相手がシリウスでなくて。では、行くぞっ!」

アルタイルはにやりと笑ってシュールに槍を繰り出した。

「うおっ!」

シュールは、アルタイルの槍の速さに瞠目した。穂先が見えない。穂先どころか、槍の柄そのものも速すぎて見えない。シュールは防戦一方で、いつの間にか『女神の泉』の結界まで押し詰められていた。女神アンナ・プルナの結界に触れたら、たとえ四天王でもただでは済まない。

「く、くそっ、さすが4闘将たち。後日再戦っ!」

シュールは、アルタイルの強さに辟易したのか、いきなり横っ飛びをして槍を外すと、虚空に消えて行った。

「くそっ、逃がしたか」

そう言って歯噛みするアルタイルの肩に手を置いて、アンタレスが言う。

「次に会う時に、トゥバンとベテルギウスの痛みを思い知らせてやればいい。とにかく『女神の山』に急ごう。なんだか悪い予感がする」


そのころ、星将シリウスたちは“闇の沈黙”の中に捕らえられたハシリウスとゾンネを助け出そうと焦っていた。

「はああっ! “風の刃”!」

星将デネブが、ハシリウスたちを包み込んだ闇の力に向かって必殺技を見舞うが、闇の力はデネブの力を難なく飲み込み、一層その深さを増して行った。

「くそっ! 何て力だい!」

星将デネブが忌々しそうに言う。

「ハシリウス! お前は一度、“闇の沈黙”から生還した男だ。頑張れ、この程度で負けるんじゃない!」

星将シリウスは、そう言いながら蛇矛を振り回して、ハシリウスたちを包み込んだ闇のシールドを叩きつけるが、これも弾き返されるばかりである。

「さすがに闇の帝王と自称するだけはある。私でも敵わないだろうが、やってみよう」

クリムゾンはそう言うと、呪文を唱え始めた。

「闇の精霊シュバルツよ、その深遠なる瞳で大君主を哀れみ、危機から救い給わんことを、女神アンナ・プルナの名において、クリムゾンが命じる。“闇の沈黙”イム・ルフト!」

クリムゾンは、闇の力を結集させた長剣で、闇のシールドを突き刺したが、

バア――――――――――ン!

「うっ!」

クリムゾンは跳ね飛ばされて、地面に強かに叩きつけられる。

「くそっ、やはり魔力の格が違いすぎる」

そこに、星将アンタレスと星将アルタイルが駆けつけてきた。

「おお、シリウス、デネブ、無事だったか?」

 アンタレスが言うのに、シリウスはぷいと横を向く。代わりにデネブが答えた。

「ああ、何とかね。ただ…」

そう言うと、ハシリウスたちがつかまっている“闇のシールド”を見つめる。

「“闇のシールド”か…」

星将アンタレスがうめくと、星将アルタイルが皮肉をまじえて言う。

「『大君主』ともあろうものが、これくらいのシールドから逃げられなくてどうする」

それを聞いて、星将シリウスが冷ややかにアルタイルを挑発する。

「ならばアルタイル、貴様がこのシールドを破って見せてみろ」

アルタイルは、むっとした表情でシリウスに突っかかる。

「何だと!? 貴様が『大君主』ハシリウスのお守り役だろう? 貴様がやったらどうだ」

「できないというのか?」

「バカにするな! この程度のシールドくらい」

星将アルタイルはそう言うと、シールドに正対する。そして、すうっと目を細め、自身が使う“青い風”の精霊たちに呼びかけ始めた。

「風の精霊の中でも最も猛々しき青き風の精霊ブラウエアよ、わが“風の槍”を憑代としてその力を解放し、ここにとらわれし大君主の戒めを解き放たせたまえ。開け!“風の通い路”!」

アルタイルの呪文の途中から、彼の持つ“風の槍”の長大な穂先が輝き始めた。そして、まるで穂先が台風の目であるかのように、周囲の空気を引き付けて行く。その風圧が最高潮に達した瞬間、アルタイルは目にも止まらぬ速さで“風の槍”をシールドに突き刺した。

ズドド――――――ン!!

「うわっ!」「おおっ!」

そこにいた全員が、思わず吹き飛ばされそうになるほどの衝撃と風が吹き荒れる。しかし、その衝撃波が収まってみると、依然として傷一つつかずに“闇のシールド”はそこにあった。

「ふん、貴様の“風の通い路”も効かぬところを見ると、やはりクロイツェンの魔力は俺たち以上ってことか」

星将シリウスが言うのに、アルタイルは、

「せいぜい笑うがいいさ」

そう答えるのが精いっぱいだった。アルタイルにしても、これほどの魔力と対峙したことがなかったからである。

「笑いはしないさ。俺の“煉獄の業火”も効かなかったくらいだからな」

「何だと? それじゃ大君主はヤバいんじゃないか?」

「全員でやるってのはどうだ?」

じっと“闇のシールド”を見つめていた星将アンタレスが言う。

「全員で?」

星将デネブが訊く。アンタレスはクリムゾンやリゲルたちを見回し、言う。

「そうだ。私の“紅焔偃月”、シリウスの“煉獄の業火”、アルタイルの“風の通い路”、デネブの“風の刃”、そしてその人間たちの技を一時に、一か所に集中してみればどうかな?」

「やってみます」

リゲルがふらふらとしながらも立ち上がり、その剣のような槍を構える。

「ふん、やってみて損はないだろう」

星将シリウスも、蛇矛を肩に担いだまま言う。アルタイルとデネブも、クリムゾンもうなずいた。

「では、私の合図とともに、中心に向かってそれぞれの技を発動してほしい。いくぞ?」

全員がうなずく。それを見て、星将アンタレスは偃月刀を大上段に振りかぶった。そして目を閉じる。それを見て、全員が目を閉じて、精神を集中させる。

――間合いが極まった。

「それっ! “紅焔偃月”!」「“煉獄の業火”!」「“風の通い路”!」「“風の刃”!」「“闇の沈黙”!」「“木霊の鉾”!」

六人の力が一点に集中し、周りの森の木々が吹き倒されるくらいの爆風が辺りを包んだ。


――ハシリウス、ボクたち、このままここから出られないのかな。

ジョゼのゾンネは、だんだんと遠のいていく意識の中、そう思った。ハシリウスはまだ自分をしっかり抱いていてくれているようだ。まったくの暗黒の世界で、音すらしないから、自分がいま目を開けているのか閉じているのか、起きているのか寝ているのかすらはっきりとはしなくなっている。

「ハ、シリ、ウス……」

『太陽の乙女』ゾンネは、自分が憑代としているジョゼの意識が薄れていくのを感じていた。このままでは自分はこの身体の中にはいられなくなってしまう。自分が離れてしまったら、ジョゼは無防備になり、あっという間に魔力をすべて失って死んでしまうだろう。

――シンクロではだめだ。私とジョゼが一体にならなければ。でも……

ゾンネは焦った。しかし、自分がジョゼになり、ジョゼが自分になるには……

――女神アンナ・プルナ様の祝福が必要になる。今からでは間に合わない……

「ハ、シ、リ、ウ、ス……」

ジョゼがゆっくりとつぶやいている。無意識のうちに、ジョゼの腕がハシリウスに伸びる。

「ジョゼ?」

ハシリウスは、何も見えない中、ジョゼの腕の動きを感じていた。どうやら、ジョゼは意識を失いかけているらしい。ジョゼが意識を失えば、『太陽の乙女』とのシンクロが切れ、そのあとに死が来ることも、ハシリウスには分かっていた。

「ジョゼ、聞こえているか? ジョゼ!」

ハシリウスはジョゼの耳元で叫ぶ。しかし、ジョゼは依然として目を閉じて、ぼんやりと意識が漂っているようだ。

ハシリウスは決心した。後で殴られるのも覚悟のうえだ。でも、ジョゼをこんなところで失うわけにはいかない。

ハシリウスは神剣『ガイアス』を鞘に戻すと、ジョゼを両腕で抱きしめた。もちろん、お互いの顔すらまったく見えない真の闇の中である。しかし、闇の精霊シュバルツの力を宿したハシリウスの漆黒の目には、ぼんやりとジョゼの顔が見えていた。ジョゼはうつらうつらしている。もう少しでジョゼは夢の世界へと旅立ち、そしてそのまま戻ってこなくなる。くそっ、そんなことさせてたまるか!

見えないし、聞こえない――そんな世界で、ジョゼに自分がついていることを認識させるためには、ジョゼが気付いてくれるくらい、自分の気持ちを伝えるには……

――ジョゼ、ゴメン。でも、方法はこれしかないんだ。

ハシリウスは、ジョゼをきつく抱きしめると、その唇にキスをした。

「!」

ジョゼは、自分が急に力強く抱きしめられ、そして自分の唇に熱い唇がふれているのを感じた。急に意識が戻ってくる。自分にキスしているのがハシリウスだと気付き、ジョゼはハシリウスから離れようともがく。しかし、ハシリウスが自分を離しそうにないと思った時、ハシリウスの“本気”に気づいたジョゼはもがくのをやめた。そのままハシリウスにすべてをゆだねる気になった。

――ハシリウス…ボク、もう死んでもいいや…

ジョゼはそう思い、ゆっくりと自分の腕をハシリウスの背中に回す。大きい…いつの間にか、ハシリウスってボクより背が高くなって、たくましくなって…。

ジョゼがそう思った途端、ハシリウスの声が頭の中に響いた。

『ジョゼ、気をしっかり持て!』

ジョゼはキスされたままうなずく。ハシリウスはジョゼから唇を離し、耳元で言った。

「ジョゼ、必ずこの闇から抜け出して見せる。僕を信じてくれ」

「分かったよハシリウス。ボク、いつだってキミのことを信じているよ」

「ありがとうジョゼ。『太陽の乙女』ゾンネ! ゾンネはいるかい?」

ハシリウスが言うと、ゾンネがジョゼの意識をしっかりとつかまえる。

「はい、大君主様」

ゾンネが答えると、ハシリウスは、

「頼みがある。僕が合図したら、“太陽のバリスタ”を放ってほしい」

「どちらに向かって放てばよいのですか?」

「方向は僕が指し示す。いいかい?」

「あの、大君主様。真っ暗闇で何も見えませんが?」

困ったように言うゾンネに、ハシリウスは自信ありげに答えた。

「大丈夫だ。僕が指し示す方向に、光がある」

そう言うと、ハシリウスは神剣『ガイアス』を抜き放ち、右手で顔の前にまっすぐ立てた。

「キリキチャ、ロキニ、ヒリギャシラ、アンダラ、ブノウバソ、ビジャヤ、アシャレイシャ、マギャ、ホラハ・ハラグ、ウッタラ・ハラログ、カシュタ、シッタラ、ソバテイ、ソシャキャ、アドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナ、ダニシュタ、シャタビシャ、ホラバ・バツダラヤチ、ウタノウ・バッダラバ、リハチ、アシンビ、バラニ――」

ハシリウスは、28神人の呪文を唱える。ハシリウスの身体が、金色に光りだし、それが虚空と連動して、鼓動を響かせる。その鼓動は、だんだんと強く響き、その響きとともに、ゾンネは失われた魔力が戻ってくるような充足感を感じ始めた。

「28神人よ、大宇宙の意識を総括する28神人よ、女神アンナ・プルナと正義神ヴィダールの名において、ハシリウスが謹んで奏す。その力をハシリウスに貸し、悪しき、禍々しきこの『闇の牢獄』を破砕させしめ給え」

“闇のシールド”の中であるにもかかわらず、ハシリウスが構える神剣『ガイアス』には星々の光が集結しているのだろう。金色に、そして銀色にと、剣が輝く。

「ノウキシャタラ・ニリソダニエイ、キリキチャ神は南へ動きたまえ!」

ハシリウスが神剣『ガイアス』を南に振る。それに伴い、虚空に星々が現れ、その配列が変わり始めた。宇宙が、神剣『ガイアス』の鼓動と同じ波動で輝きだす。

「イム・シュルツ、イム・ヘルツ、イム・コスモス・ウント・ガイア」

神剣『ガイアス』に28神人が座す星々からの光が集まり始めた。その光の中、ハシリウスは“闇のシールド”の弱点を見つけた。闇の中に、光が見える。はるか先に見えるが、すぐ近くかもしれない。

「ゾンネ、あの光に向けて矢を放て!」

ハシリウスが言うと、『太陽のバリスタ』を手に待機していたゾンネがうなずき、矢を放った。バシュッという音とともに、金の軌跡を曳いて矢が飛んでいく。ハシリウスはその矢を追いかけるように、神剣『ガイアス』にこもった星々の力を解放した。

「星々の加護は、我にあり! ノウキシャタラ・ニリソダニエイ“星々の剣、大地の刃”!」

ハシリウスは、星々の力がこもった神剣『ガイアス』を、思い切り振り下ろした。


爆風が収まると、星将シリウスが真っ先に顔を上げた。

「くそっ! これだけしてもダメか!」

星将シリウスが悔しそうにつぶやく。しかし、じっと“闇のシールド”を見つめていた星将アンタレスは、ある一点を指差して言う。

「大丈夫だ。シリウスよ、見ろ。少しではあるがこのシールドに風穴を開けた」

「なにっ! 本当か?」

アンタレスの言葉に、全員が喜びの声を上げてシールドを見つめる。確かに、“闇のシールド”の一点に本当にわずかだが亀裂が走り、外の光が流れ込んでいる。

「アンタレス! このシールドは生きているよ! ごらん、亀裂が修復していく!」

突然、星将デネブがそう言って指差す。その指が指し示す亀裂は、ゆっくりと修復を始めていた。

『星将たちよ、ご苦労。残念だが私の“闇の沈黙”は、闇の精霊王シュバルツシルドの力を利用しているのだよ』

笑い声が響くと、一度この場から姿を消していた闇の帝王・クロイツェンが姿を現した。

「クロイツェン! 貴様、逃げたのではなかったのか」

星将シリウスが蛇矛を構えて吼える。クロイツェンは動揺する星将たちをぐるりと見回して、

「ほほう、シリウス、デネブ、アンタレス、アルタイル。4闘将のそろい踏みか。一番話が分かりそうなのはアルタイルだな」

そう言うと、アルタイルに向かって言う。

「アルタイルよ、お前たちの『大君主』もあと少しで闇に呑まれる。『太陽の乙女』と一緒にな。もはやヘルヴェティア王国は終わりだ。わが闇の帝国の世界制覇に力を貸さんか? お前たちほどの手練れだ、四天王と同格での扱いをしてやるぞ」

すると、星将アルタイルは鼻で笑って答えた。

「ふん、笑わせるな。光が光であるように、闇は闇の分際を守ってもらおう。我らは光の12星将だ。我らが闇に味方したら、闇の12夜叉大将は失業するぞ?」

「すでにスナーク、ナイトメア、オルトス、ルモール、そしてオルグと5人は退職しているようだがな」

巨大な偃月刀を抱えて、星将アンタレスが皮肉っぽい口調で言う。

「死亡退職でね」

星将デネブは、両刀を抜き放っていう。

「4闘将よ、貴様らが束になってかかってきても、私は倒せんぞ? ここでその屍を晒すか?」

クロイツェンは目を細めてにやりと笑った。

「それはこちらのセリフだ。ハシリウスが戻ってきたら、俺とハシリウスで貴様を倒す」

星将シリウスが蛇矛をゆっくりと持ち直しながら言う。

「笑わせるな! 大君主はその“闇のシールド”の中で今頃は干からびているころだ。シリウス、無礼な口をきいた貴様から、まず始末してやろう」

クロイツェンはそう吼える。しかし、星将シリウスは蛇矛をぴたりと青眼に構えて言う。

「闇の王でも、星の位置は見えぬか。見よ、クロイツェン、ハシリウスの復活を!」

「おおっ!」

星将シリウスは、言葉とともに“闇のシールド”を蛇矛で突き刺す。その蛇矛は、今度は見事にシールドを割った。シールドの割れ目から、まばゆいばかりの光があふれだし、そして光の中から飛来した矢が、クロイツェンの右目につき立った。『太陽のバリスタ』の矢である。

「行け、ハシリウス!」

星将シリウスは、割れ目から飛び下がりながら言う。

「ノウキシャタラ・ニリソダニエイ“星々の剣・大地の刃”!」

ハシリウスの声とともに“闇のシールド”をぶち割って飛び出してきた神剣『ガイアス』の切っ先が、クロイツェンを頭から真っ二つにした。

「ぐっ!」

闇の帝王・クロイツェンは、頭から唐竹割にされながらも、自らの手で斬り口を押えつつ、

「ゆ、油断した…まさか私の“闇の沈黙”を破るとは…」

そううめきつつ、虚空へと消えて行った。

“闇のシールド”が消えた後には、ハシリウスが右手で神剣『ガイアス』を振り下ろし、左腕で『太陽の乙女』ゾンネを抱きしめたまま立っていた。

「おお、ハシリウス! 大丈夫だったか?」

星将シリウスがハシリウスに呼びかけると、ハシリウスはニコリと笑って言う。

「なんとか…」

そして、そのまま崩れ落ちる。

「ハシリウス!」

『太陽の乙女』ゾンネが慌ててハシリウスの首に手を当てる。心臓が止まっていた。ゾンネの目が見る見るうちにうるんでくる。

「ハシリウス! しっかりして! 死んじゃいやだ! ハシリウス!」

ジョゼは取り乱してしまい、ゾンネとのシンクロが切れる。その腕はハシリウスを抱きしめたままだ。

「ハシリウス!」「おい、大君主!」

星将デネブとアルタイルが慌てて駆け寄ってくる。

しかし、ジョゼは星将たちやクリムゾンたちすらも眼中になかった。ハシリウス、“闇のシールド”の中でも優しくて、頼もしかったハシリウス。まだ言えないけど、ボクはキミのことが好きなんだ。しっかりして!

「ハシリウス、ハシリウス! ボクがお礼を言う前に死んじゃだめだよ! しっかりして!」

ジョゼは、動かなくなったハシリウスの唇に、自分の唇を重ねる。

――ハシリウス、ボクの気持ちを分かってよ! ボク、キミがいないと、生きていても仕方ないんだ。ボクの命でいいなら、キミにあげるから、ハシリウス、目を開けて!

そんな二人の様子を見た星将デネブが、星将シリウスやアンタレス、アルタイルに言う。

「幼なじみさんの気持ち、きっとハシリウスに伝わるよ。じろじろ見るんじゃないよ!」

それを聞いたクリムゾンとリゲルは、特にリゲルは顔を真っ赤にしながらも、深くうなずいて言う。

「そのようですね」

リゲルがそう言った瞬間だった。女神アンナ・プルナが現れたのは。

――太陽の乙女よ、大君主を連れてわが神殿に来なさい。星将シリウス、ゾンネに手を貸しておあげなさい。

「承知しました。女神さま」

星将シリウスは畏まり、ゾンネに向かって声をかける。

「『太陽の乙女』よ、私がハシリウスを抱えて行く。女神のもとへ急ごう」

ジョゼは涙でぬれた目を星将シリウスに向けて、それでも微笑んでうなずいた。



転の章 アンナ・プルナの神殿で


「では、ハシリウスとジョゼは、女神アンナ・プルナ様の神殿に行っていると言われるのですね?」

「そうです。ハシリウス卿は、クロイツェンに深手を与えられましたが、ご自身も重態ですので。女神アンナ・プルナ様が、『太陽の乙女』殿の祈りを聞き届けられました」

オーベルシャンツェに戻ったクリムゾンは、リゲルと共にソフィア王女に目通りし、今までの激闘の様を報告して言った。

「そうですか。ジョゼはまたハシリウスのために力を尽くしたのですね」

「王女様」

寂しそうに言うソフィアに、リゲルは思わずそうつぶやいた。そうなのか、王女様も、あのハシリウスと言う少年のことが好きなのか。

「王女様、あまり気落ちなさいますな。ハシリウス卿はきっと元気で戻って参られます」

クリムゾンが言うのに、ソフィアははっと気づいたように微笑みを浮かべて、

「ご苦労様でした、クリムゾン卿。それからリゲル殿もありがとうございました。二人とも、もう下がってかまいませんよ」

そうねぎらいの言葉とともに言う。

「はい、失礼します。行こう、リゲル」

クリムゾンは一礼すると、同じく一礼したリゲルを連れて、ソフィアの部屋から退出した。

二人が出て行った後、ソフィアは窓の外を見つめながらつぶやいた。

「ハシリウス、私はあなたのことが好きです。たとえジョゼでも渡したくはありません。でも、あなたとジョゼは、見えないけれど強い糸で結ばれているのでしょうね」

そこに、ドアをノックする音がした。

「どなたですか?」

ソフィアが言うと、

「アンナです。ソフィア姫、夕食の支度ができましたよ」

そう、アンナの声がした。ソフィアはちらりと鏡を見て、自分の表情が曇っていないかを確認した後、

「そうですか。では、一緒に行きましょう」

そう言って部屋を後にした。


星将たちがいる天界の空は紫だが、ここ、女神アンナ・プルナの神殿がある天界は、星将たちのそれとまた違っているらしく、突き抜けるくらいの群青色である。そして、澄み切った空気を運ぶ清浄な風が吹きわたり、そこにいるだけで身体中の元気がわき出てきそうな気がする。

闇の帝王・クロイツェンとの戦いで魔力を消耗し、心肺機能が停止してしまったハシリウスは星将シリウスに運ばれて、この神殿で女神アンナ・プルナや『日月の乙女たち』の手厚い看護を受けていた。

「ねえ、星将シリウス」

神殿の入口で、膝を抱えて座っているジョゼが、シリウスに話しかけた。天界では、星将の姿は『太陽の乙女』ゾンネとシンクロしていなくても見ることができる。

「何だ、『太陽の乙女』よ」

星将シリウスは、回廊の柱に背を持たせかけている。

「ボクって、ハシリウスにとってお荷物なのかなあ?」

「なぜ、そんなことを訊く?」

ジョゼは、抱えた膝に顔をつけて言う。

「だって、ボク、『太陽の乙女』って言っても、今までハシリウスを助けたことなんてない。むしろ、ハシリウスを刺したり、危険にさらしたり、足を引っ張ることしかしていない気がするんだ。おかしいね、ボク、ハシリウスの力になりたいのに…」

「お前は十分、ハシリウスの力になっていると思うが?」

星将シリウスは、シリウスらしくない優しい声で言う。しかし、ジョゼは首を振って、

「慰めはよしてよ。今回だって、ボクがしゃしゃり出なければ、ハシリウスは“闇の沈黙”を受けなくてもよかったんだ。シリウスだって、そう思うでしょ?」

そう言う。星将シリウスは目を閉じて笑った。

「さあな、戦いは水物だ。あの時『太陽の乙女』が避けていたら、ハシリウスはクロイツェンの別の攻撃で致命傷を受けていたこともあり得る。『太陽の乙女』よ、戦いは結果がすべてだ。だから、今までお前は結構ハシリウスの力になっていると言える。少なくとも、俺はそう思っている」

「あたしもそう思うよ、幼なじみさん」

そこに、星将デネブも顕現して言う。

「お姫様にも言ったが、あんたたちがいるから、ハシリウスはあれだけ頑張っていられるんだ。それは確かなことさ。去年の年末に、『ウーリの谷』に行った時のこと、覚えているかい? 幼なじみさん、あんたがいなければ、ハシリウスはあの時死んでいるよ」

ハシリウスとジョゼは、故郷である『ウーリの谷』が闇の軍団に狙われた時、その谷の領主であるベレロフォン卿の軍とともに戦い、闇の軍団を退けたことがある。その戦いののち、ハシリウスが夜叉大将スナークに狙われたのを、ゾンネとなったジョゼが救ったことを言っているのである。

「ソフィアかあ。ソフィアは『花の谷』の戦いのときも、結構ハシリウスを助けたんだろうね? でも、実生活でもソフィアの方がしっかりさんだし、可愛いし、何でもできるし。ボクはやっぱりソフィアには敵わないや。ボク、ハシリウスを諦めようかなあ…」

泣き言をいうジョゼに、デネブは笑って言う。

「何を泣き言言っているんだい? あんたらしくないよ。ハシリウスからキスだってしてもらったじゃないか。ここだけの話、お姫様はまだしてもらっていないからね。あんたが一歩リードしているんだよ、幼なじみさん」

デネブの言葉に、ジョゼはびっくりして顔を上げ、頬を染めて言う。

「えっ? で、でも、ハシリウスは優しいから、ソフィアが同じ目にあっていたら、ソフィアにもキスするんじゃないかな?」

「いいや、それは違うな。ハシリウスはそんな男じゃない。今回はお前だったから、ああいう助け方をしたのだと思うぞ」

星将シリウスの言葉に、星将デネブもうなずく。

「『太陽の乙女』、あんたはやっぱりハシリウスにとって特別なのさ。だから、自分らしくハシリウスのそばにいてやればいいんじゃないのかい? ヘンに力を入れないでさ」

「……」

デネブの言葉をかみしめているジョゼを、『太陽の乙女』が呼んだ。

「ジョゼフィン・シャインさん、女神様がお話をしたいことがあられるそうです。中にお進みください」


ジョゼは、恐る恐る女神の神殿へと入った。さすがにキョロキョロと辺りを見回すようなはしたないことはしないが、それでも神殿の中の空気は外の空気以上に清浄で、心が洗われるような感じがした。

長い回廊を過ぎると、やがて、女神が座している神殿の中央へとたどり着く。そこは、天窓から光が差し込み、これ以上ないほど神々しい雰囲気を醸し出していた。

女神アンナ・プルナは、その玉座にゆったりと腰かけ、目を閉じて降り注いでくる光を浴びていた。その姿は、たとえようもなく美しく、高貴さに満ちている。その雰囲気が、ジョゼをその場に立ち止まらせた。

「あの、女神さま…」

しばらくして、ジョゼがそう、女神アンナ・プルナに話しかける。女神はゆっくりと目を開けて、ジョゼをこの上なく優しい目で見つめて微笑んだ。

「おお、ジョゼフィン=オリュンピア・シャイン、よく来てくれました」

「はい、女神さま、たびたびハシリウスを救っていただき、感謝します」

ジョゼは女神アンナ・プルナにお礼を言う。女神はくすりと笑って言う。

「そんなところに立っていないで、もっと近くにお寄りなさい。さ、そこにお座りなさい」

女神アンナ・プルナは、玉座の前にしつらえられた椅子を指差して言う。

「はい」

ジョゼはゆっくりと歩を進めて、椅子に座った。

「さて、ジョゼフィン=オリュンピア・シャイン。私が貴女をここに呼んだ理由は、大君主ハシリウスの身体のことについて、あなたに相談があったからです」

女神がそう言うと、ジョゼはうつむき加減だった顔を上げて、まっすぐ女神の目を見つめた。ハシリウスの身体を治してくれるのだろうか? しかし、私が呼ばれたわけは、何なんだろう?

「私は、今回の“大いなる災い”は、『闇の使徒』たちの跳梁により、ここ数百年の中で最も厳しい試練がヘルヴェティア王国を襲うと思っています。いいえ、正直に言えば、今回の“大いなる災い”は、私すら経験がないほど恐るべきものではないかと危惧しています」

幾分沈んだ表情で言う女神アンナ・プルナを見つめて、ジョゼは息をのんだ。女神様すら、そのように仰るのだ。これからの戦いの日々は、ハシリウスにとって辛く、厳しいものになることが簡単に予想できた。でも、それならハシリウスの心臓がもたないかもしれない。

そんなジョゼの心配を見透かしたかのように、女神アンナ・プルナは一つ小さくうなずいて続ける。

「ハシリウスは、とても疲れてしまっています。無理もありません。私がハシリウスの目覚めを焦ってしまったからです」

そう言った女神の目がかすかにうるんでいることを知り、ジョゼはびっくりしてしまった。見てはいけないものを見てしまったかのように、思わずジョゼは顔を伏せる。

「本当は、あと2年はあるはずでした。しかし、『闇の使徒』たちの活動が思ったより早く始まってしまったのです。何度か『闇の使徒』たちと戦っている貴女ならば分かるでしょうが、あの者たちは普通の人間では太刀打ちできません。わが友たる星読師の血を受け継いで、しかも先天的に強い星の力を受けている者でなければ、神剣『ガイアス』を使いこなせないのです。しかし、ハシリウスは、私の期待を裏切らず、まだ17歳ですが着実に『大君主』へと近づいて来てくれています」

女神は、優しげな声で言う。ジョゼは、女神様はまるでハシリウスの母のようだと思ってしまった。

「しかし、ハシリウスはまだ成人していません。そのために魔力も安定せず、不必要に身体に負担をかけてしまうのです。このままでは、ハシリウスは『大君主』として“大いなる災い”に立ち向かう前に、死んでしまうでしょう」

女神アンナ・プルナがそう言うと、ジョゼははっと顔を上げて訊いた。

「め、女神様、ハシリウスの命はあと2・3年って言われているのです。何とかハシリウスの身体を守護する方法はないのでしょうか?」

心配そうに、必死で言うジョゼを、女神アンナ・プルナは温かい目で見つめて訊く。

「そのために、貴女を呼んだのです。ジョゼフィン=オリュンピア・シャイン、ハシリウスのために、貴女にしてほしいことがあるのです。貴女はハシリウスのことを愛していますか?」

ジョゼは、顔を真っ赤にしてうつむいた。女神は重ねて訊く。

「ジョゼフィン=オリュンピア・シャイン、貴女がハシリウスを愛しているとして、ハシリウスとの未来を取りますか? それともハシリウスとの現在を取りますか?」

ジョゼは、女神が訊いた不思議な問いの意味を考えた。ハシリウスとの未来、ハシリウスとの現在……その意味はつかめなかったが、ジョゼは心に浮かんだ答えを、顔を上げ、女神の目を強く見つめながら答えた。

「ボクは、ハシリウスとの未来を取ります。女神様」

女神アンナ・プルナは、優しい目をしてジョゼを見つめていたが、ふっと息を吐いて言う。

「選ばせるのはソフィア=オクタヴィア・ヘルヴェティカにすべきかとも考えました。しかし、私から見て、貴女の方がハシリウスのことを深く愛していると思ったので、貴女に選んでもらいました。では、ソフィア=オクタヴィア・ヘルヴェティカには、ハシリウスとの現在の運命が与えられることになります」

そう言うと、女神は奥に向かって呼びかける。

「ゾンネ、『太陽の乙女』。それから『月の乙女』ルナも、こちらにおいでなさい」

女神から呼ばれて、ゾンネとルナが大広間に入ってきた。

「お呼びでしょうか? 女神様」

ゾンネがそう言う。女神アンナ・プルナは優しい顔でジョゼを見つめながら言った。

「ジョゼフィン=オリュンピア・シャインは、ハシリウスとの未来を選びました。ゾンネ、私はあなたとジョゼフィン嬢を祝福いたします」

それを聞いて、『太陽の乙女』ゾンネは口に両手をあてて、びっくりした表情をした。

「ジョゼさん、本当にいいのですか?」

ゾンネがそう訊くが、ジョゼには何が何やら分からない。ただ、自分としては心の命ずるままに選択したので、それに悔いはなかった。一つうなずくと、ジョゼはゾンネに訊く。

「どういうこと?」

ゾンネはちらりと女神を見て、笑顔でジョゼに言った。

「私が貴女になり、貴女が私になるということなのよ。私は貴女によって人間として生きつつ、貴女は私によって神として生きていくことになるの」

「つまり…どういうこと?」

まだよく分からないでいるジョゼに、女神アンナ・プルナが優しい声で言う。

「ジョゼフィン嬢、貴女はゾンネと同化することによって、ハシリウスに“暁の鎧”を渡せるようになります。この鎧は、『大君主の鎧』と言われ、『日月の乙女』から愛された大君主が手にすることができます。ハシリウスにはこの鎧が必要でしょう」

「そうですか。その鎧があれば、ハシリウスの命は削られなくて済むのですね! ありがとうございます、女神様」

ジョゼはぱっと顔を輝かせていう。これでハシリウスが助かる。

「しかし、ジョゼフィン嬢、その代わりに貴女は、人間としての存在ではなくなります。つまり、半神となるのです。それは『太陽の乙女』も同じですが」

「え?」

ジョゼは思わず女神とゾンネを見比べた。ゾンネは少し寂しそうな顔をしていたが、それでもどことなく幸せそうな色が、その顔色に現れていた。

「人間じゃ、なくなるのですか?」

ジョゼが訊くと、女神アンナ・プルナは重々しくうなずく。そのうなずきの意味を、ゾンネが微笑んで説明する。

「消えてしまうってことじゃありませんよ。今までどおり、貴女はギムナジウムの学生として暮らしていくことはできます。ハシリウスの側にいることもできます。ただ、半神であるがゆえに、大君主の“時の黙契”の対象にはなれませんし、仮に人間の男性と契ったとしても、子どもが産まれにくくなります」

ジョゼは、それを聞いて思った。ハシリウスと今までどおり暮らせて、ハシリウスを助けることができるのであれば、ボクは自分が人間だろうが半神だろうが、それは関係ない――と。

「分かりました。ボク、ゾンネになります」

すると、女神アンナ・プルナは、呪文を唱えるとともにその両手を広げた。女神の身体からまばゆい光があふれ出て、ジョゼとゾンネを包んだ。そして、その光が消えた時、ジョゼのゾンネは、緋色の衣に金色のチェインメイルを着て、金色の手甲と金色の脛当てをつけ、金の兜をかぶった『太陽の乙女』の姿になっていた。今までと違うのは、ゾンネが発現したときの髪が金髪だったのに対して、今は顔も髪の毛もジョゼのままというところだった。

ジョゼは――いや、ジョゼはゾンネでもあるのだから、二人は、と言った方が正しいかもしれない――不思議と寂しさを感じなかった。それは、自分の心の中に、ゾンネとしての思い出や思考が溶け合っていたからであろう。ジョゼが今まで経験したことがないものもあり、それはゾンネとしての思考の中でジョゼの意識に自然に流れ込んできたものであるらしかった。実は、ゾンネも自分の意識の中で、同じようにジョゼの今までの経験が流れ込んでいて、それを自分のこととして受け止めているらしかった。二人は、一つの身体の中で、一つの意識として存在することになったのである。

「ボク、これでハシリウスを助けることができるんですね」

喜んでいうジョゼに、女神は、はなむけの言葉をかけた。

「『太陽の乙女』よ、しばらくの間、私のもとから離れますが、大君主に対して誠実であってください。ジョゼフィン嬢、貴女に名前を授けます。これからは、真実の名を『ジョゼフィン-ゾンネ=オリュンピア・シャイン・ファン・ハウプトリヒト』と名乗りなさい」

「はい、ありがとうございます」

そう言ったジョゼが、いつの間にか手につかんでいたバンダナのようなものに気づく。金色の布のようだが、手触りは布ではない。女神アンナ・プルナは、にっこりとほほ笑んで言った。

「ジョゼフィン-ゾンネ、それはミスリル銀を細い繊維として造られた『大君主の鎧』です。必ず貴女の手で、ハシリウスの額に巻いてあげなさい」

「はい、分かりました。ありがとうございます、女神様」

そう言って、大広間から出ようとするジョゼに、さらに女神は言った。

「ジョゼフィン-ゾンネ、貴女とハシリウスとの間に産まれる子どもには、『サジタリウス』と名付けなさい。宇宙の中心に向かう名前です。貴女とハシリウスとの子どもであれば、ハシリウスやヴィクトリウスをはるかに超える星読師となるでしょう。その子は、いずれヘルヴェティア王国の柱石となることでしょう。ただし、サジタリウスは貴女とハシリウスのもとでは成長しません。それは覚えていてください」

ジョゼは幸せそうにうなずくと、まだ意識が戻らないハシリウスのもとへと急いだ。


「う、う~ん……」

ハシリウスは、ゆっくりとため息をつくと、目を開けた。最初は、自分がどこにいるのか分からなかった。“闇の沈黙”の中にいたからであろう、時間の観念もなくなっている。また、一つは天界には時間という観念がないことも一因かもしれない。

ハシリウスは、ゆっくりと辺りを見回した。寝かされているベッドは非常に柔らかくて温かく、それだけでもここが普通の病院とは違った所であることは分かった。しかし、ハシリウスの目に特徴的な柱の形や、その材質であるミスリル銀の輝きが映った時、ここが天界であることを悟った。

――どうやら僕は、死んでしまったのかもしれない。ここが、話に聞くワルハラか?

ハシリウスはそう思って、身体を起こそうとした。しかし、とてつもなく疲れがたまっていて、腕どころか指一本動かすことができなかった。

――ここがワルハラだとしたら、僕はクロイツェンに敗れたのか? ジョゼはどうしたろう?

ハシリウスは、自分のことよりジョゼのことが気になった。『太陽の乙女』が発現していたから、ジョゼはひょっとしたら助かったかもしれないというかすかな望みを抱いた。

ハシリウスが、そう思い込んで暗い気持ちでいたところに、星将シリウスが顔を見せた。

「ああ、ハシリウス。やっと目覚めたな」

ハシリウスは、星将シリウスの顔を見たことで、少し安心した。どうやら僕は、助かったらしい。

「クロイツェンは?」

やっとのことでハシリウスが訊くのに、星将シリウスが顔を皮肉そうにゆがめて言う。

「残念だが、逃げた。しかし、お前の神剣『ガイアス』でドタマをぶち割られているから、すぐには動くことはできまい。何にしても、お前が助かってよかった」

星将シリウスの言葉で、ハシリウスは少し不安になった。あの時のパーティーで、誰かが助からなかったのだろうか? ハシリウスは最も気になっている人物の安否を問いかける。

「あのさ、シリウス。ジョゼは助かった?」

すると、シリウスは笑って言う。

「もちろんだ。お前が倒れた後、女神に助けを一所懸命祈ったのは、あの娘だよ。あの娘と私で、お前を女神アンナ・プルナのもとに連れてきたんだ」

「そうか、よかった。僕はまたジョゼに助けられた。ジョゼはどこにいるんだい?」

ハシリウスが訊くのに、星将シリウスはイタズラっぽい目をして言う。

「恋人の無事な顔を確認したいのだろうが、あいにく今、女神から呼ばれて話をしている最中だ。あの娘もずっとお前のことを心配していたから、終わったら何をおいてもお前のところに飛んで帰ってくるさ。心配するな」

星将シリウスの言葉に、ハシリウスは少し顔を赤くして、それでも微笑んでいう。

「シリウス、そんなにからかわないでくれよ。僕たちはそんな関係じゃないんだから」

「そう思っているのは、お前だけかもしれないな」

「え?」

星将シリウスのつぶやきに、思わず聞き返したハシリウスだった。星将シリウスはニヤリと笑うと、ハシリウスの頭をなでながら言う。

「ま、自分で考えることだな。それも『大君主』としての訓練さ」

ハシリウスはむっとして言う。

「お、おいシリウス! 子ども扱いしないでくれよ! ジョゼが何だって?」

「何を言うか? われら星将から見れば、お前はまだまだお子様さ。それに、ジョゼフィン嬢だけではないぞ。あのお姫様にしてもな……ハシリウス、お前が気付いてあげないといけないことが、まだまだたくさんあるんだよ」

星将シリウスはそう言うと、含み笑いを残して神殿の外に出て行った。

「なんなんだよ、もお……」

ハシリウスはそう言うと、頬を膨らませて天井を見上げた。

★ ★ ★ ★ ★

ジョゼは、ハシリウスが寝ている神殿へと急いでいた。早くハシリウスが目を覚まさないかな。目を覚ましたら、まずハシリウスに“暁の鎧”を着てもらうんだ。そしたら、そしたら、ハシリウスの心臓にも負担がかからなくなって、ハシリウス、長生きできる。

そう思って急ぐジョゼに、星将デネブが声をかけた。

「『太陽の乙女』、ちょっといいかい?」

ジョゼは、デネブの顔をちらっと見て、すまなさそうに言う。

「ごめん、星将デネブ。ボク、急いでいるんだけど」

デネブは、そんな答えを予測していたように、笑って言う。

「そんなに時間を取らせやしないよ。あんたにとって大切な話なんだ。ぜひ、あんたに知っていてほしいことだからね」

デネブの真剣なまなざしに、ジョゼはそれ以上抗う気持ちを失くした。ゆっくりとジョゼはデネブのもとに歩み寄る。

「ここに座りなよ。天界の風は気持ちいいだろ? この空気のおかげでハシリウスの治りも早いと思うよ」

デネブは、神殿の階段に腰かけて、これも隣に腰かけたジョゼに向かって、ニコリと笑いかける。ジョゼは、その笑顔にドキリとした。女将なのに星将の4闘将の一人として数えられ、シリウスとも甲乙つけがたい猛将として敵からも恐れられているデネブだが、笑うとすごく可愛く見えたのだ。

「女神様は、あんたに、何をお話しになられたのか、だいたい想像がつく。そして、あんたのそのいでたちを見れば、あんたがどんな運命を選んだのかも、だいたい察しが付くよ」

デネブは、優しい声でそう言った。ジョゼはきょとんとしている。だったら、わざわざボクを呼び止める必要なんてないじゃないか?

「ふふ……そんな顔をしないでおくれよ。別にあんたに何かを訊こうと思ったんじゃないんだ。ただ、あんたが『太陽の乙女』と同体になった――半神になったと分かったから、幼なじみさんに一言、教えておいてあげようと思ったんだよ」

「え、えーと、ボクがゾンネと一緒になったってこと、デネブから見ても分かるの?」

ジョゼはやっとのことで訊く。デネブは軽くうなずいて言う。

「あんたの魔力の輝きが違っている。あんたの身体の周りには、神である『太陽の乙女』の魔力の輝きが加わっている。あんた自身、今まで火焔魔法が得意だったはずだけれど、それに光の魔法が加わったことで、あんたは名実ともに『太陽の乙女』となった」

「……」

「今や、あんたは、近距離から遠距離まで、光と焔の魔法に裏付けられた攻撃・防御の魔法を、自在に扱える力を手に入れている。ただ、その代償を支払うことになるよ?……大君主と同じだけれど、神の魔法を使うことは、人間としての寿命を削ることになる、それは知っているかい?」

デネブが言うと、ジョゼは微笑んで答えた。

「はい、ゾンネがボクになった時、そのことを教えてくれました。でも、ボクは後悔していません。ハシリウスの力になれるのなら、ボクはこの命すらいらないんです」

デネブは痛ましそうな顔をして言う。

「あのね、幼なじみさん? あんたはそう言うけれどね、ハシリウスはどう思うだろうか? ハシリウスは、あんたのことが好きじゃないのかな? あたしは、今までのあんたたちの仲を見てきて、どちらも不器用だと思ったよ。お似合いの二人なのにね……」

「言わないでください。ボクだって、こんな時代に――“大いなる災い”の時代に生まれ合わせなければ、ハシリウスと一緒に幸せな家庭をつくることが夢だったんです。でも、ハシリウスを見ていて、彼は、こんな時代だからこそ生まれてきたんだろうって思うようになりました。時代が彼を必要としていたんです。だから、ボクもそんな彼を好きになったんでしょう」

ジョゼは、吹っ切れた笑顔でデネブに笑いかけ、続きを話す。

「ハシリウスが『大君主』として、この国を、そして平和に暮らそうとしているみんなを守るのであれば、ボクは、そんな彼のすべてを、この命を懸けて守りたい。それくらいのことしか、ボクにはできないから」

ジョゼはそう言うと、ゆっくりと立ち上がり、頬を染めてささやくような声で言った。

「でも、女神様、ボクとハシリウスの間に子どもが産まれるかもしれないって、言ってくださったんです。うれしいな、ボクとハシリウスとの子どもなんて……。ボクはゾンネと同体になることで、ハシリウスとの結婚を諦めたつもりだったけれど、そんなオンナノコらしい夢を見てもいいんだってことですよね?」

「そうかい、女神様が……よかったね、『太陽の乙女』。いや、幼なじみさん。ところで、ハシリウスのところに行くんだったら、そのいでたちは解いて行ったがいい。ハシリウスはさっき、気が付いたみたいだよ」

デネブが言うと、ジョゼは目を閉じて何かをつぶやく。『太陽の乙女』の衣装は、天界の風の中に溶けるように消えて行き、ハシリウスとおそろいの服を着たジョゼの姿が現れる。ジョゼは、はにかんだようにデネブを見つめると、ニコリと笑ってハシリウスのもとへと歩きだした。

「幼なじみさんは、自ら苛烈な運命を選んだようだな」

隠形していた星将シリウスが顕現して言う。しかし、デネブは首を振って言った。

「いいや、あの娘は、とても幸せそうだった。ハシリウスとの未来を選んだんだろう。あたしたちも、ゾンネのことを応援しなければならないね」

星将シリウスもうなずいて言う。

「ゾンネも、『大君主』に対して、好意を持っていたらしいからな」

「大君主のことが好きなゾンネと、ハシリウスのことが好きなあの娘が一緒になったんだ。どちらも幸せだろうよ。結ばれる運命であるとしたらね……」

そう言うデネブの頬が少し桜色に染まっている。デネブはちらりとシリウスを見たが、シリウスは立ち去っていくジョゼの後姿を厳しい目で見つめていた。まるで、ジョゼのこれからの運命を見通そうとでもいうように。その真剣な黒い目を見て、デネブは何か心が温かくなるものを感じた。

「結ばれる運命……か……」

星将シリウスがつぶやく。そんなシリウスに、立ち上がったデネブは寄り添うようにして言う。

「そうだね……あたしたちが見守ってやらなきゃね?」

★ ★ ★ ★ ★

『蒼の湖』のほとりにある小屋の中で、セントリウスは日課の観想を行っていた。観想することによって、彼はこの世の出来事を知ることができるのであり、星々の運行を、――たとえ夜ではなくても――感じることができるのである。

その彼の観想は、『月の乙女』の出現で遮られた。

「セントリウス様、女神アンナ・プルナ様からのご伝言です」

セントリウスはゆっくりと目を開けて言う。

「おお、『月の乙女』ルナ殿ですな? 女神様からどのようなお託けでしょう?」

『月の乙女』は、セントリウスにその涼しい目を向けて言う。

「女神様のお言葉は、『ハシリウスに対して、“暁の鎧”を授けることにした』というものです」

そう聞いて、セントリウスは少し難しい顔をした。

セントリウスは、その表情のまま、『月の乙女』に訊く。

「『太陽の乙女』は、ジョゼフィン嬢と同体となったのですな?」

『月の乙女』ルナは、少し寂しそうに笑ってうなずいた。

「では、ジョゼ嬢ちゃんは、ハシリウスとの未来を選んだということか……」

セントリウスはひとり呟いて、それからルナを見つめて優しい声で言う。

「あなたの憑代たるソフィア姫には、ハシリウスとの現在が運命として与えられているものと思いますが、いかがですか?」

「はい。王女様は大君主と『現在』を共有するお方になったとお聞きしています」

すると、セントリウスはじっと虚空をにらむ。その黒い目は、星々の運行を見つめ、その中から遠い未来に対する28神人の言葉を聞こうとしているもののようであった。

「キリキチャ、ロキニ、ヒリギャシラ、アンダラ、ブノウバソ、ビジャヤ、アシャレイシャ、マギャ、ホラハ・ハラグ、ウッタラ・ハラログ、カシュタ、シッタラ、ソバテイ、ソシャキャ、アドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナ、ダニシュタ、シャタビシャ、ホラバ・バツダラヤチ、ウタノウ・バッダラバ、リハチ、アシンビ、バラニ――28神人よ、大君主と、日月の乙女たちに擬せられし乙女たちの未来を明るいものとしていただけるように、汝らの僕たる星読師セントリウス・ペンドラゴンが畏みて祈願す……ノウキシャタラ・ニリソダニエイ」

「セントリウス様……」

『月の乙女』ルナは、呪文を唱えながらセントリウスが涙を流すのを見た。セントリウスは女神アンナ・プルナのお気に入りで希代の星読師である。その彼の目に、ハシリウスとジョゼとソフィア、三人の運命はどう映ったのか、それはセントリウスしか知りようがないものであった。


「ハシリウス❤」

ジョゼは、ベッドに横たわり、じっと天井を見つめているハシリウスにそう呼びかけた。ハシリウスははっとした表情でジョゼを見る。そして、ほっと溜息をついて言う。

「ジョゼ……無事だったか」

「えへっ、そんな顔するなんて、ハシリウスったら、この可愛いボクのことをそんなにも心配してくれてたんだあ~♪」

ジョゼはそう明るく言って、ハシリウスのベッドに腰掛ける。ハシリウスは少し頬を染めて、慌てて言う。

「そ、そりゃあ心配するさ! これが相手が下着泥棒とかだったら、お前のことだからボコボコにするんだろうけど、なんたって“闇の帝王”だったからな……」

「でも、ハシリウス、カッコよかったよ。ボク、ハシリウスのこと少~し見直した。だから、ボクにキスしたことは許してあげよう」

ジョゼがそう言うと、ハシリウスは急に頬を真っ赤に染めて言う。

「そ、それはありがとう……。でも、ああするしかお前を助ける手段を思いつかなかったんだ」

ジョゼは、珍しくも首筋まで真っ赤にしているハシリウスが可愛くて、ついイジメてしまう。

「どうかなあ~? ホントはキミって、このボクの麗しいくちびるがほしかっただけじゃないのかなあ~?」

「そ、そんなこと……そんな、いや、その……」

ハシリウスはへどもどしている。そんなハシリウスを見ていると、ジョゼはとても心が明るくなってくる。ハシリウスとのいつもの会話――他愛もなくて、不毛で、でもなんか心が温まる――ジョゼはこんな会話が好きだった。

ハシリウスは苦しまぎれに反撃に出る。

「で、でも、いつかジョゼは、お前の純潔がほしいならいつでもくれるって言ったじゃんか?」

「う……」

今度はジョゼが赤くなる番であった。ハシリウスは続けて言う。

「僕が可愛いジョゼの純潔が今すぐほしいって言ったら、ここでしてくれるのかい?」

「う……うう……」

ジョゼはうつむいて真っ赤になっている。ハシリウスは、ちらりとジョゼのフォイエルを警戒したが、今日はいつもと違ってジョゼは攻撃魔法を使おうとしない。耳まで真っ赤にして、ただうつむいているだけだ。

「ジョゼ……? ジョゼ……具合でも悪いのか?」

心配になったハシリウスが優しく訊く。ジョゼはふるふると首を振って、ゆっくりとハシリウスに顔を向けた。それと同時に、ジョゼはひたむきな目でハシリウスを見つめる。

「ジョゼ……どうしたんだい? 僕が悪乗りしすぎたから、怒っているのかい?」

「いいよ……」

「え?」

ハシリウスは、ジョゼの声が聞こえなかったので、もう一度訊いた。ジョゼは一つ深呼吸して、さっきより少し大きい声で言う。

「いいよ、ハシリウス……キミがほしいなら……」

そう言うと、ジョゼはベッドから立ち上がって、ゆっくりと服のボタンを外しはじめる。

「わっ! ジョゼ、何する? ご、ゴメンって! お、お前らしくないぞ!」

ハシリウスはびっくりして叫ぶ。どうしたんだ、ジョゼ?

ジョゼはにっこりと笑って、ハシリウスを困ったように見つめながら言う。

「キミがほしいって言ったんだよ? 男のくせに、ボクにここまでさせて、恥ずかしいからって逃げるの?」

ハシリウスは布団を頭からかぶって、ジョゼに言う。

「そう言うわけじゃないけど、でも、お前は結婚するまで純潔でいたいって言っていたじゃないか? それは叶えてあげたいんだ。ジョゼ、僕が悪かった! お前の心をもてあそぶようなことを言ってすみませんでした!」

しかし、ジョゼは服を脱ぎ捨てたようだ。服が床に滑り落ちるふわりとした軽い音がして、ハシリウスの布団が強い力で引っぺがされた。

「!」

ハシリウスは思わず目を開けてジョゼを見る。そこには……もう一枚下から服を着ていたのか、ちゃんと服を着たジョゼがイタズラっぽく笑っていた。

「へへ~♪ びっくりした?」

ハシリウスはあんぐりと口を開けていたが、やがて、がっくりと肩を落として言う。

「びっくりした……きわどい冗談はやめてくれよ」

「でも、言いだしっぺはキミだよ? ボクだってとても恥ずかしかったんだから、これくらいの仕返しは許してほしいなあ」

「ごめん……こういうことは、冗談で言うべきことじゃなかったね……反省したよ」

ジョゼは、素直に謝るハシリウスがとても愛しく思えた。だから、再びベッドに座りなおして、ハシリウスの目をじっと見つめて言った。

「いいよ、許してあげる」

そして、おもむろに『暁の鎧』を取り出して、

「ハシリウス、これ、女神さまからの預かりもの……。『大君主の鎧』だって」

そう言う。ハシリウスは目を丸くして言う。

「鎧……? そのバンダナが?」

「うん、確かに『鎧』って仰った。ボクが巻いてあげるよ」

「い、いいよ……そのくらい自分でできるって」

顔を近づけてきたジョゼに、赤くなりながらハシリウスが言う。しかし、ジョゼは首を振って言った。

「だめだよ! ちゃんとボクが巻いておあげなさいって、女神様から言われているんだから……」

そう言うと、ジョゼはハシリウスの頭を抱えるようにして『暁の鎧』をハシリウスの額に巻いた。ハシリウスは、目の前にジョゼの胸があるので、これ以上ないくらいドキドキしてしまっていた。

「はい、終わったよ」

ジョゼが言うが、ハシリウスは顔を真っ赤にして固まっている。

「お~い、ハシリウス~?」

ジョゼがハシリウスの顔の前で手を振って、やっとハシリウスは正気に戻った。

「あ、ああ……」

「どうしたのさ?」

ジョゼが不思議そうに訊くのに、ハシリウスは口ごもって答える。

「だって……お前の胸、すごく成長してたんだもん……」

「あ~っ! ハシリウスったら、そんなことばっか考えていたんだね!? このスケベ!」

ジョゼは赤くなって、ハシリウスを枕で叩く。そこに、星将シリウスが顕現して言った。

「俺はお邪魔虫だったか?」

「い、いや、シリウス。どうしたんだい?」

ハシリウスは顔を赤くして訊く。ジョゼも、ハシリウスからさっと目をそらして、ベッドから立ち上がった。

「女神からのご依頼だ。南天王シュールが『女神の山』の結界に入り込んだらしい。奴を倒すことと、封印してある『クロイツェンの首』の魔力を消去すること、この2点が、女神のご所望だ」

星将シリウスが言うのに、ハシリウスはニヤリと笑って立ち上がった。まだ少しふらつくが、そんなものはこの天界の風に吹かれていれば、じきに体力も戻ってくるだろう。女神様のご所望とあれば、やってのけなければならない。ハシリウスは星将シリウスに笑って言った。

「行こう。『クロイツェンの首』は、『闇の使徒』には渡せない。それに、『女神の清水』の町の人々にも約束した。平和な暮らしを取り戻すとね」

「ハシリウス、大丈夫なの? まだ体力は回復していないんじゃないの?」

心配して訊くジョゼに、ハシリウスは片目をつぶって笑って言った。

「大丈夫だ。『闇の使徒』は一人だが、僕は一人じゃない。僕にはジョゼ、お前やシリウスがついていてくれている」

★ ★ ★ ★ ★

さて、こちらは『オーベルシャンツェ』である。クリムゾンたちが『女神の泉』から戻ってきて2日、火の月の28日を迎えていた。残されたソフィアやアマデウス、アンナ、アンジェラたちにとっては、心配でたまらない2日だった。

「やっぱり、軍団に助けを求めたほうがいいって! だって、クリムゾンさんの話では、『闇の使徒』だけでなくて『闇の帝王』まで現れたって言うじゃないか! 俺たちでハシリウスやジョゼフィンちゃんを探すのは無理だから、軍団にお願いした方がいいよ」

アマデウスが言うと、アンナやアンジェラもうなずく。

「そうよ、ソフィア姫。早く軍団で『女神の山』をくまなく捜索して、化け物退治をするとともに、ハシリウスくんたちを見つけなきゃ。それができるのは、あなただけよ、ソフィア姫」

「王女様、私はハシリウスくんについては、あまり心配していません。彼は私の妹を救ってくれましたから。やはり彼は『大君主』と呼ばれるだけのことはある方です。でも、町の方々は違います。彼らは誰かが守ってやらねばならないのです。そして、それができるのは、今のところ軍団だけですし、その軍団に出動命令を下せるのは、王女様しかいません」

そんな意見を聞きながら、ソフィアは目をつぶって考えていた。なぜ、ハシリウスは戻ってこないのだろう? そんなに身体の調子が悪いのだろうか? それならジョゼまで帰ってこないのはどういうわけだろう? とにかく、ハシリウスの動向が分からないまま、軍団を『闇の使徒』に向けるのは考え物である。『闇の使徒』は一級の戦士ですら子ども扱いにするだけの魔力と技量を持っている。とりあえず、『女神の泉』に向かったクリムゾンやリゲルの報告を聞いてから決断しても遅くない。

「アマデウスくん、あなたも、最初の『闇の使徒』が現れた時のことを覚えていると思います」

ソフィアは目を開けると、アマデウスにそう言った。アマデウスは無言でうなずく。

最初の『闇の使徒』トドメスは、2日前にハシリウスたちが戦った四天王や夜叉大将といったクラスではなく、その下の36部衆ですらなかった。いわばペーペーである。そのトドメスに対しても、人間である自分たちは手も足も出なかった……。

「今度は、それよりももっともっと強いモンスターが現れています。やはりハシリウスでないと対応できないでしょう。軍団は勇士の集まりといえど、結局は人間です。いかに理由があることとはいえ、私は軍団をむざむざ化け物の生贄にはしたくありませんし、できません。ハシリウスたちの動向が分かるまで待ちましょう」

そこに、『月の乙女』が現れた。

「ソフィア様……」

「あ……ルナ様……」

ソフィアは、びっくりしたように言う。そのほかの者たちは、声こそ聞こえるが、ルナの姿は見えないので、きょとんとしていた。構わずソフィアはルナに訊く。

「ルナ様がここに来られたということは、ハシリウスのことで何か連絡があるのでしょうか? それとも女神さまからのお託けでもあるのでしょうか?」

『月の乙女』は、にこりとして言う。

「両方です。『闇の使徒』たる南天王シュールが『女神の山』の結界を破りました。『クロイツェンの首』を探しています。先ほど、大君主様たちが『女神の山』に向かわれました。ですから、『女神の泉』の水を、大君主様のもとに届けてほしいのです」

「分かりました。女神様の思し召しのままに……」

ソフィアはそう言って笑うと、『月の乙女』に手を差し出した。

「『月の乙女』よ、大君主の王道を守護するため、わが敬愛する女神アンナ・プルナの名において、ソフィアが奏します。わが身にその力を貸し、共にここにあらんことを!」

ソフィアがそう呪文を唱えると、『月の乙女』はニコリとしてソフィアに発現した。ソフィアは、白い衣に白銀のチェインメイルを着込み、白銀の手甲と脛当てをつけ、白銀の宝冠をかぶった姿――『月の乙女』ルナ――に変貌していた。

ソフィアのルナは、その銀色の瞳で、驚いている三人を見ると、アマデウスに笑って言う。

「アマデウスくん、お聞きのとおりです。『女神の泉』の水を運ぶのを手伝っていただけませんか?」

アマデウスはやっと気を取り直して、

「あ、ああ……しかしびっくりしたな。姫様が『月の乙女』だったなんて……」

そう言うと、そそくさと水を汲む容器を取りに、厨房へと駆けて行った。

「私たちも、何かお手伝いしたいけど……?」

アンナが言うと、ソフィアのルナは困ったように考え込んでいたが、

「分かりました。ありがとうございます。それではお二人の魔力でアマデウスくんを助けてあげてください」

そう言うと、アンナとアンジェラはニコリと笑った。

全員の役割が決まったところで、厨房から銅鍋を持ってきたアマデウスが威勢よく言う。

「よし! じゃあ、『女神の泉』とやらに行って、ハシリウスを助けようぜ!」



決の章 天の恵みをつかみ取れ


南の天王シュールは、『女神の山』の結界の中で懸命に『クロイツェンの首』を探していた。これさえあれば、自分たちの主君であるクロイツェン・ゾロヴェスター様の魔力が完全に復活し、あの小憎らしい『大君主』、ハシリウスとかいう小僧を倒して、世界に君臨されるのだ!

「さすれば、私もよき地位を手に入れ、望みはかない放題だ」

シュールは、『黒き知恵の賢者』バルバロッサや『黒き力の賢者』メドゥーサを凌ぐ地位に登った自分を想像して、思わずにやりとしてしまう。

「しかし、身体中から力が抜けてしまいそうだ……さすがに女神アンナ・プルナ、すごい結界の力だな……」

シュールは、少し苦しげに息をはずませながら、そうひとりごとを言う。だが、もうすぐだ。もうすぐ、目的のものは手に入る。

「ふふふ……この気配……。クロイツェン様の気配と同じだ……近いぞ」

シュールは、険しくそそり立つ山肌を、しがみつくように登っていく。そして、山頂に続く尾根へとたどり着いた。ここから『女神の山』の山頂までは、尾根伝いに4キロほど歩けばよい。標高差はもう500メートルほどもない。

「くふふ……あの山頂の塚に、クロイツェン様の力が眠っているのか……」

シュールがそう言って一息ついた時だった。

「『闇の使徒』よ、ここは女神の結界だ。せっかく登って来たのにご苦労だが、ここから先は行き止まりだ」

そう言う声とともに、長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿……星将シリウスの姿が目の前に現れた。

「げっ! 闘将筆頭シリウス……」

突然のシリウスの顕現に、肝をつぶしたシュールは、だらしなく逃げようと踵を返した。しかし、

「すまないね、こちらもたった今、行き止まりになっちまったんだよ」

そう言って、紫紺のチャイナ風の洋服に銀のベルトを締め、両肩に刀をぶっ違いに背負ったうら若き美女……星将デネブが現れる。

「くっ……」

南の天王シュールは、もはや逃れられぬと観念したのか、虚空から槍を取り出して構える。しかし、女神アンナ・プルナの結界を破った後でもあり、女神の結界内で長時間登山してきたことでもあり、その構えは乱れていた。

星将シリウスは、黒い瞳に鋭い光を宿しながら、ゆっくりと虚空から蛇矛を取り出すと、青眼に構える。星将デネブも、その動きに合わせて背中の両刀を抜き放った。

「でやあああ!」

シュールが先に動いた。シュールは、星将シリウスにかかると見せて、さっと身を翻して渾身の突きをデネブに放つ。しかし、デネブはその動きを読んでいた。チイインという甲高い音とともに、デネブの左手の刃がシュールの槍の穂先を撃ち、シュールの槍は空を切った。

「はっ!」

間、髪をいれず、デネブは右手の刃を叩きつけるようにシュールの胴へと放つ。しかし、シュールもさるもの、跳ね上げられた自身の槍が一回転するのを使って、デネブの必殺の横殴りを払った。

「くっ!」

シュールはそのまま槍を一回転させ、デネブの脇腹を狙う。デネブは跳び下がってシュールの槍の穂先を避けた。

「もらった!」

デネブを攻撃したシュールに、一瞬のすきを見つけ、星将シリウスは稲妻のような突きを繰り出す。自慢の蛇矛が白い軌跡を曳いて流れる。

「甘いっ!」

シュールは後ろにとんぼ返りをうつと、デネブとすれ違い、そのまま脱兎のように駆け出す。そして尾根の張り出しから麓へと身を投げ出しながら叫んだ。

「星将たちよ、後日再戦!」

シュールの姿は、そのままはるか下の森の中へと消えて行った。

「しまった! 逃がした!」

星将シリウスが歯噛みして言うと、デネブは慌てて、

「シリウス、この下は『女神の泉』だ。泉が危ない! すぐ行くよ」

そう言うと、両刀を背の鞘に戻して、山道を駆け下りはじめた。

「おう!」

星将シリウスも、蛇矛を持ったままそれに続いた。


一方、ハシリウスとジョゼは、『女神の山』の山頂にいた。

「ハシリウス……首級の在り処は分かりそう?」

ジョゼのゾンネが訊くのに、ハシリウスは、目を閉じて神剣『ガイアス』を顔の前に立てて精神を集中している。

「それらしい波動は感じる……でも、ここじゃない」

やがて眼を開けたハシリウスは、山頂につくられた塚を見つめて言う。

「でも、星将シリウスたちは、ここに『クロイツェンの首』があるって言ってなかったっけ?」

ジョゼは、女神アンナ・プルナの神殿から、この『女神の山』に降り立つときに、星将シリウスが話していた言葉を思い出しながら言う。

『ハシリウス、『クロイツェンの首』は、『女神の山』に封印されている……俺たちは、首を狙っているシュールを見つけ出して片付ける。ハシリウスは『太陽の乙女』とともに、『クロイツェンの首』を始末してくれ』

星将シリウスとデネブはそう言うと、二人を山頂に残して尾根伝いに下って行ってしまったのだ。

「……いや、シリウスは『女神の山に封印されている』とは言ったが、『山頂の塚に』なんて一言も言っていない……とすると……」

考え込んだハシリウスだが、その感覚の隅に、何かチカッとささくれ立ったものが引っ掛かった。

「どりゃあ!」「ふんっ!」

突然、何者かがハシリウスの胸元めがけて鋭い突きを放ってきたが、ハシリウスはそれを神剣『ガイアス』で受け流す。ジャリンという鋭い金属音が、山頂いっぱいに響き渡った。

「くそっ! シリウスとデネブがいなくなったと思ったら、真打は貴様というわけか、『大君主』ハシリウス!」

そこには、槍を構えた南の天王・シュールが忌々しげに顔をゆがめていた。星将シリウスとデネブに挟み撃ちにされた時、シュールは『女神の泉』へと飛び降りたように見せかけてシリウスたちを巻き、ここに一散に駆けてきたのだ。

「一度目は外されたが、二度外すことはできぬぞ……覚悟しろ!」

シュールはそう鋭い目でハシリウスをにらみつけると、一度けん制するようにジョゼのゾンネを一瞥し、その瞬間、目にも止まらぬ突きをハシリウスに放った。

「でいっ!」

「うわっ!」

ハシリウスは、何か鋭くて、熱い痛みが胸を走ったのを感じた。そのまま後ろへと跳ね飛ばされる。

「ハシリウス!」

ジョゼは、ハシリウスの胸元にシュールの槍の穂先が吸い込まれるように消えて行き、そして、ハシリウスの身体が、反動を受けて後ろへとふっ飛ばされる場面を見て、思わず叫んだ。しまった、ハシリウスがやられちゃった!

「ハシリウス、逃げてっ! 出でよゾンネンツヴァイヘンダー!」

ジョゼのゾンネは、虚空から野太刀のように長く、二人がかりでも振り回せそうにない長大な剣を取り出すと、そのままシュールへと斬りかかる。ハシリウスののどにとどめの一突きを入れようとしていたシュールは、慌てて刃風からよける。

「小娘っ! 下がれ」

シュールは、ジョゼのゾンネに、火を噴くような鋭い連続技を繰り出すが、ジョゼのゾンネは佩いていた『コロナ・ソード』を引き抜くと、これも闇の四天王を相手に一歩も引かず、激烈な戦いへと突入して行った。

一方、跳ね飛ばされてしまったハシリウスは、

『しまった! これで最後か!』

胸の熱さと痛みにそう観念した。しかし、

「あ、あれ……?」

ハシリウスは、強かに地面にたたきつけられて、息が詰まった。しかし、ゆっくりと左手で胸をさわってみたが、血のり一つついてこない。目を開けて見てみたが、服の胸には風穴どころか虫食い穴ひとつない。

ハシリウスは、頭を振りつつ、ゆっくりと立ち上がった。そしてはっと気が付く。これが、『暁の鎧』の威力なのだ! そう気づくとハシリウスは神剣『ガイアス』を握りなおし、ジョゼとシュールが激烈な一騎打ちを演じているところに近づいて行った。

「ハシリウスの仇だ! これでもか! これでもか! 死ねっ! これでもかっ!」

ジョゼのゾンネは、金色のチェインメイルや兜をきらめかせながら、次々と鋭い斬撃を放っている。さしもの四天王・シュールも、

「く、くそっ! 小娘、貴様、人間ではないな!」

そう言いながら、何とかジョゼのゾンネの攻撃を支えている。

「うるさいっ! ボクは、『太陽の乙女』だっ!」

ジョゼはそう叫ぶと、渾身の突きを放った。

「おうっ!」

シュールは辛くもそれを避けつつ、ジョゼの体勢の崩れを見逃さなかった。

「死ねっ! 『太陽の乙女』っ!」

「わあ~っ!」

シュールの穂先は、見事にジョゼの胸元に突き刺さった。ジョゼのゾンネは、『コロナ・ソード』を持ったまま、血しぶきを上げて吹っ飛ばされ、地面へと叩きつけられる。

「ジョゼ!」

ハシリウスは思わずそう叫んで、地面に転がったまま動かないジョゼに駆け寄った。ジョゼは仰向けになって、目をつぶっている。その胸が苦しげに上下するたびに、どくどくと血があふれだす。

「ジョゼ、傷は浅いぞ、しっかりしろ! 光の精霊リヒトよ、大君主の守り人たる『太陽の乙女』を哀れみ、その傷を癒し給え! “リヒト・ヒール”!」

ハシリウスは、“光の癒し魔法”を使った。血は止まったが、早くジョゼを安全な場所に運ばなければ……。ハシリウスがそう思った時、ジョゼがぱちりと目を開けて、ゆっくりと立ち上がる。いつものブルネットのその目が、今は金色に輝いている。

「大君主様、ボクのことは心配されなくても結構です。それより、『暁の鎧』と神剣『ガイアス』が共振しています……聞こえませんか?」

ゾンネは、そう言って笑う。ハシリウスはびっくりしたが、ふと、自分が持っている『ガイアス』が細かく震えているのに気が付いた。

「こ、これは……?」

思わずハシリウスが言うのに、ゾンネは、

「『暁の鎧』……『大君主の鎧』の発現です」

そう言うと、ハシリウスの頭をその胸にかき抱いて、ハシリウスの耳元でつぶやいた。

「あなたは、ボクの『大君主』様です。ハシリウス様」

そして、ゾンネが光り輝き始め、やがてその光は二人を包んでしまう。その光の中、ゾンネの声が響いた。

「よき人々よ、讃えよ!『大君主』の発現を! 悪しき者どもよ、恐れ畏め!『大君主』の雷を! 今、女神アンナ・プルナ様の命を受け、謹んで『太陽の乙女』から『大君主』様に『暁の鎧』を呈上す!」

「ぐおおお……まぶしい……」

シュールは、あまりのまぶしさに目がくらんで、ハシリウスにもジョゼにも攻撃ができなかった。

やがて、光が鎮まると、そこには『コロナ・ソード』と『ゾンネンシールド』を構えた『太陽の乙女』を従え、神剣『ガイアス』を持ち、黄金の額当てに黄金のチェインメイル、白銀の手甲と脛当て、そして白銀のマントを翻したハシリウスが立っていた。その瞳は碧に輝き、そして、今までの少し子ども子どもした雰囲気は微塵も感じさせない――まさに『大君主』であった。

「星々の意思を受け、我、此処に在り……貴様が『闇の使徒』か?……」

ハシリウスは、その深い碧の瞳を鋭く輝かせ、神剣『ガイアス』を肩に担ぎながら、

「……そうだとしたら、闇の世界にお引き取り願おう」

そう、シュールに向かって言い放った。

「くっ、『大君主』、覚悟しろ!」

ハシリウスは、そう叫んで槍を繰り出してくるシュールを、澄んだ碧の目で見つめていた。そして、まるでシュールの穂先を読み切っているように、少し身体を斜に構えて簡単にかわす。

そしてハシリウスは、薄く笑ってゾンネに言った。

「ゾンネ、そこで待っていろ。コイツとちょっと遊んでやる」

「はい、大君主様」

ゾンネが答えると、ハシリウスはゆっくりと歩き始めた。

「く、くそっ! くそっ! くそっ!」

まったく動じもせずに槍をかわすハシリウスに、シュールは逆上してめちゃくちゃに槍を繰り出す。しかし、ハシリウスはそんな攻撃すらかわしながら、一歩一歩歩を進めて、シュールを追い詰めていく。その足取りは乱れもせず、止まりもしない。速くもならず、遅くもならない。ハシリウスはただ淡々と槍をよけ、そしてシュールを追い詰めていく。シュールは、そんなハシリウスに恐怖すら覚えつつ、逆に一歩一歩退いていく。

「くわ――――――――――――――――っ!!」

足元からさくさくと上ってくる恐怖に耐えかねたか、ついにシュールはそう叫んで、槍を上段に構えて捨て身の攻撃に出た。

ハシリウスはそれを待っていた。すっと目を細めると、薄く笑い、

「星々の加護は……」

そうつぶやきつつ身を沈め、

「我にあり!」

ハシリウスがそう叫んだと同時に、神剣『ガイアス』が白銀の光を曳いた。

「ぐふっ……こ、これが……『大君主』……の……」

ハシリウスが神剣『ガイアス』を鞘に戻したとき、シュールはそうつぶやき、地響きを立てて倒れた。その肩から脇腹へ、ざっくりと大きな傷が口を開けている。

ハシリウスは、澄んだ瞳で倒れたシュールを一瞥すると、顔の前で右手の人差し指と中指を立て、

「ノウキシャタラ・ニリソダニエイ……闇の命は、闇に帰れ。“メビウスとクライン”イム・ルフト!」

そう叫び、その右手で虚空に斬りつけた。すると、

「うおおっ!」

まるでブリザードのような声が響き渡り、虚空から『闇の帝王』クロイツェンが現れた。その右目は『太陽のバリスタ』で潰されていたが、今またハシリウスの“メビウスとクライン”を受け、新たな傷に血潮をしたたらせていた。

「くっ……大君主よ、久しぶりだな……」

クロイツェンは、唇をゆがめて言う。ハシリウスはその碧の瞳で恐れる色もなくクロイツェンを見つめて、薄く笑って言う。

「闇の王よ、この世は闇と光でできている。闇が根本であるように、光もまた生きとし生けるものがいる限り必要なものだ……。光と闇、お互いに分を守りつつ共存はできないか?」

「ふん、大君主よ、貴様の言うとおりこの世は闇が根本なのだ。であれば、わが『闇の帝国』がこの世の根本でなければなるまい……。違うか?」

クロイツェンが言うと、ハシリウスは首を横に振った。

「よいか、闇の王よ。闇が根本であったのは、この世に命がない時だ。命なければ、闇も光も関係あるまい。しかし、我々は生きている。生きているからには、光も必要なのだ。私は光がすべてとは言わぬ。しかし、闇がすべてとも思わぬ」

「大君主よ、我に“闇の秘密”ある限り、この世を闇で覆って見せる。そなたもそのうちに屍を晒し、ヘルヴェティア王国も崩壊する。みていよ、“大いなる災い”の時を!」

クロイツェンがそう吼えると、ハシリウスは目を細めて、冷ややかに、しかし、強い声で答えた。

「闇の王よ、“闇の秘密”は“光の秘密”でもある。我も、ヘルヴェティア王国も、そしてそなたも、みんな限りある命だ。すべては流れて変わり、変わっては消え、消えては生まれくる……。しかし、変わらないものがある。それが『光と闇』だ。我は星々の意思を受け、“光の秘密”をわが胸に携えて今、此処に在り。クロイツェンよ、“大いなる災い”は、このハシリウスが必ず食い止めてみせる」

「そうはさせん! わが頭を返してもらおう! “闇の沈黙”イム・ルフト!」

「やっ!」

クロイツェンは、ハシリウスに闇の攻撃魔法を使った。しかし、ハシリウスは神剣『ガイアス』でそれを抜き打ちにし、破砕してしまった。クロイツェンは忌々しげにハシリウスをにらみつけていたが、

「クロイツェンよ、先の勝負の決着をつけよう! そこで待ってろ!」

という星将シリウスの言葉を聞くと、一つ舌打ちして

「大君主よ、私は諦めぬ。いつか貴様と星将どもの首を、わが城の廊下に剥製として飾ってくれるわ!首を洗って待っておれ!」

そう言うと、虚空に消えて行った。

「くそっ、またしても逃がしたか!」

星将シリウスは、やっとハシリウスのところにたどり着いて言う。やや遅れて星将デネブが到着する。

「シリウスよ、今はまだクロイツェンとの決着の時ではない。星がまだその時を指していない……」

ハシリウスが静かにそう言う。星将シリウスは、そんなハシリウスを不思議そうに眺めていたが、その額を飾る黄金の額当てと、ハシリウスのいでたちに今さらのように気づいた。

「は、ハシリウス……お前……」

「大君主様だよっ! 何て口を利いているんだい!」

星将デネブが星将シリウスの頭をどついて言う。ハシリウスは笑って、ゾンネを差し招いて言う。

「呼び方なんて、私は今までのとおりで一向に構わない。それよりデネブ、ゾンネは少し疲れている。“女神の秘薬”を持っていたら、分けてあげてほしい」

「かしこまりました、大君主様」

星将デネブは、膝をついて畏まり、ハシリウスの命令を受けて言う。

「さて、星将シリウス」

ハシリウスがシリウスを振り返って言うとシリウスはニヤリとして答える。

「何なりと、大君主よ」

「もうすぐ、ルナたちがここに『女神の泉』の水を持ってくる。私がそれで『クロイツェンの首』を始末するので、私の合図があり次第、神剣『ガイアス』に向けて“煉獄の業火”を放ってほしい」

「!? どういうことだ? ハシリウス!」

びっくりしたシリウスが訊くが、ハシリウスはニコニコとしてただ一言答えた。

「天の恵みを受け取るのだ。そなたが最も適任だ」

「ボクは何をすればよいでしょうか?」

ゾンネがハシリウスに訊くのに、ハシリウスは笑って答えた。

「デネブとともに先に『オーベルシャンツェ』に戻り、夕食の支度をしてもらっててくれ」


「うわあ~、やっと着いたあ~」

ハシリウスたちが待っていると、30分ほどでルナに先導されたアマデウスたちが到着した。

「やっと着いたな、ルナよ」

ハシリウスは碧の瞳を優しげに細めて、『月の乙女』ルナに言う。ソフィアのルナは、思わず頬を染めて言う。

「はい、お待たせしました。大君主様」

「アマデウス、悪いが、その水をこの場にゆっくりとこぼしてくれないか?」

「え? せっかく持ってきたのに……。頂上の塚に『クロイツェンの首』ってやつがあるんじゃないのか?」

アマデウスが言うと、ハシリウスは透き通った笑いを浮かべて言う。

「この山そのものさ」

「え?」

アマデウスやアンナがきょとんとして訊き返す。ハシリウスはルナやゾンネを見てうなずくと、

「この山そのものが『クロイツェンの首』だ。女神様は、クロイツェンの首に残っていた魔力を、この山そのものに封印したのさ。そもそも何百年も前の首が原形をとどめているはずがない」

そう言って、アマデウスを見て続ける。

「だから、ここで『女神の泉』の水を使うのさ。アマデウス、頼む」

「よく分からんが、分かった。お前の言う通りにするさ、ハシリウス」

アマデウスは、銅鍋いっぱいに入った『女神の泉』の水を、ゆっくりと地面にこぼす。ハシリウスは神剣『ガイアス』を抜き、28神人の呪文を唱える。

「キリキチャ、ロキニ、ヒリギャシラ、アンダラ、ブノウバソ、ビジャヤ、アシャレイシャ、マギャ、ホラハ・ハラグ、ウッタラ・ハラログ、カシュタ、シッタラ、ソバテイ、ソシャキャ、アドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナ、ダニシュタ、シャタビシャ、ホラバ・バツダラヤチ、ウタノウ・バッダラバ、リハチ、アシンビ、バラニ――」

唱えているハシリウスの身体が、金色に光りだし、それが虚空と連動して、鼓動を響かせる。ハシリウスの鼓動は、だんだんと強く響き、その鼓動は『女神の山』の波動と共鳴して、心地よい響きを奏で始めた。

「……28神人よ、大宇宙の意識を総括する28神人よ、女神アンナ・プルナと正義神ヴィダールの名において、ハシリウスが謹んで奏す。その力をハシリウスに貸し、悪しき、禍々しきこの『クロイツェンの首』の魔力を破砕させしめて、天の恵みをここ、オップヴァルデンに下らせ給え……」

ハシリウスが構える神剣『ガイアス』には、昼間ではあるが星々の光が集結しているのだろう、金色に、そして銀色にと、剣が輝く。

やがてハシリウスは澄んだ声で叫んだ。

「……ノウキシャタラ・ニリソダニエイ、キリキチャ神は南東へ、ホラハ・ハラグ神は北東へ、ウッタラアシヤダ神は北へ動きたまえ!」

ハシリウスが神剣『ガイアス』を南東に、北東に、そして北にと振る。それに伴い、虚空に星々が現れ、その配列が変わり始めた。宇宙が、神剣『ガイアス』の鼓動と同じ波動で輝きだす。

「……イム・シュルツ、イム・ヘルツ、イム・コスモス・ウント・ガイア……」

神剣『ガイアス』に28神人が座す星々からの光が集まり始めた。ハシリウスは、十分に星の力が集まったとみるや、澄み切った声で叫ぶ。

「星々の加護は、我にあり! ノウキシャタラ・ニリソダニエイ“星々の剣、大地の刃”!」

そう叫ぶと同時に、ハシリウスは神剣『ガイアス』を逆手に持ち替え、ドスンと地面につきたてた。

「シリウス!」

星将シリウスは、ハシリウスの合図と同時に、

「煉獄の業火!」

と、ハシリウスに向けて青白い炎の矛を放った。ハシリウスはその焔を受け止めると、

「火の精霊フェンよ、水の精霊アクアスよ、風の精霊エアよ、土の精霊マナよ、木の精霊バウムよ、そして光の精霊リヒトと闇の精霊シュバルツよ、各々の力を持ちて、この地の実りと祝福を取り戻させたまえ! “リヒト・ヒーリング”ウント“ラント・ポテンシャル”!」

そう叫んで、ためにためた魔力を解放した。すると、ハシリウスの身体から円形に光が広がるとともに、神剣『ガイアス』から空に向かって一筋の光が閃いた。

★ ★ ★ ★ ★

「ハシリウス、起きろ。ハシリウス」

火の月29日の朝、『オーベルシャンツェ』では、アマデウスがハシリウスを起こそうと努力していた。

「う~ん……むにゃむにゃ……あと3時間……」

ハシリウスは枕を抱きながら、そう寝ぼけている。

「ハシリウス、お前にお礼を言いたいって、『女神の清水』の町の人たちが大勢来てんだよ。早く起きんか!」

アマデウスが呆れてそう叫んだ時、ソフィアの声がした。

「アマデウスくん、もういいですよ。お礼は私とクリムゾン卿でお聞きしましたから……。ハシリウスもずいぶん疲れているのですよ。今朝はあの早起きのジョゼすら、まだ寝ているくらいですから。ゆっくり寝かせてあげましょう」

「そうかい? そうだな……ハシリウス、良かったな。今日はフライを使わなくてもいいようだぜ」

アマデウスはそう言うと、ニコリと笑ってハシリウスの部屋から出てドアを閉めた。

昨日、ハシリウスがすべての精霊たちへ祈ると、『オップヴァルデン』全域に雨が降り始めた。こんなにまとまった、しかも優しい雨は実に1年以上降っていなかったうえ、今朝、町の人々が確認したところ、作物たちの状態も農地の状態も、回復の兆しを見せ始めていたのである。

ソフィアは、ハシリウスにお礼を言いたいと詰めかけた町の人々からその話を聞き、前日にハシリウスがつぶやいた言葉を思い出していた。

『闇の力は、根源的なものだ。だから、その魔力をすべてのエレメントに割り振って、この地域の気の流れを回復させようと思った』

降り出した雨の中で、ハシリウスはルナにそう笑って言った。ソフィアは、ハシリウスの力に驚愕するとともに、その『大君主』としての目覚めに寂しいものを覚えた――ハシリウスも、ジョゼも、とうとう私なんかじゃ手の届かないところに行ってしまったなあ……そう思ったのである。

「昨日のハシリウス、とても素敵でした。あれが『大君主』の『時の祈り』というものなのですね」

ソフィアは、サロンに行くと、本棚から『ヘルヴェティア王国全史』を取り出して、大君主について書いてある部分を読みながらつぶやいた。

――闇の帝王が現れ、ハシリウスも大君主として完全に覚醒してしまった……これからこの国はどうなるのだろう? ううん、ハシリウスは、どうなってしまうんだろう?

物思いにふけるソフィアに、

「ソフィア姫、お勉強もいいけど、今日は楽しいことができる日じゃないの?」

1階から上がってきたアンナが、近くのソファに腰かけながら言う。ソフィアは少し考える目つきをしていたが、アンナが言ったことの意味に気づき、笑って答えた。

「そうですね。では、料理長に特別なものを準備するように言っておきましょう」


「う、う~ん……」

ジョゼは、ぱちりと目覚めると、ベッドの中で一つ背伸びをした。体のあちこちが痛い。激しい戦いだったから、打撲の跡や傷痕が痛むのである。もちろん、半神であるジョゼは、ケガをしてもすぐに治ってしまう。以前、『闇の使徒』ルモールから刺されたお腹の傷も、すっかり良くなって、どこに傷があるか目を凝らしてみても気づかないほどになってしまっている。

――昨日のハシリウス、カッコよかったなあ……。

ジョゼは、昨日一日を振り返って、赤面してしまう。昨日は何度ハシリウスとキスをし、ハシリウスを抱きしめたりしたんだろう? 以前なら、『ゾンネがしたことさっ!』で自分の気持ちをごまかすこともできたが、昨日は違う。

それに、ゾンネが教えてくれたことが、もう一つジョゼにショックを与えていた。それは、

『私たちはもう半神なんだから、ハシリウスに抱かれたとしても、魔力がなくなったりしないわよ❤』

ということだった。

――いやいや、ボクはハシリウスのお嫁さんになるまでは、純潔でいたいんだ。

ジョゼは強くそう思っている。それは嘘ではない。しかし、純潔でなくてもハシリウスの側でハシリウスを守ってあげられる……ということを知らされてしまったからには、なんか、ハシリウスが――特に大君主が完全に覚醒した後のハシリウスは――すっかり男性に見えてしまって仕方がないジョゼである。

――ちぇっ、ゾンネったら、大君主ミーハーなんだから……ボクの気持ちも知らないで……。

ジョゼがそう考えた時、ジョゼの意識の中でゾンネが分離して訊く。

――何か言いましたか? ジョゼさん?

――あ、ゾンネ。ボクはね、ハシリウスを混乱させたくないんだ。だから、結婚するまで、その、純潔でいたいんだ。

――え~!? でも、私は早く大君主様のものになりたいんですが……。

――あの、それはね、いろいろあって、ちょっと待っててほしいんだ。

――いろいろって、お姫様のことでしょうか?

――う、うん。それに、ボクは一応、ギムナジウムの生徒なんだ。学校って、そんなところに厳しいんだ。だからさ、ちょっと待っててよ。何年もは待たせないからさ?

――大君主様が待てと仰るなら、何年でも待ちます。

「よし、ハシリウスに待ってもらおう」

思わず独り言を言うジョゼだった。

「僕に何を待ってもらうって?」

と、ハシリウスがドアの前に立って、呆れた顔でジョゼを眺めていた。ジョゼは思わず布団にくるまって、赤くなりながら叫ぶ。

「は、ハシリウス! 乙女の部屋にノックもしないで入るなんて、シツレイな奴だなっ!」

ハシリウスは、頭をかきながら弁解する。

「ノックはしたさ。でもなんかジョゼがぶつぶつ言ってる声が聞こえたんで、お前まで妄想が大暴走しちまったかと思って、心配になったんだ」

「ま、まさか! ソフィアじゃあるまいし……とにかく出てってよ、着替えられないじゃない」

布団から顔だけ出して言うジョゼに、ハシリウスは笑って答えた。

「今さら恥ずかしがることなんてないだろ? 小っちゃい時から姉弟みたいにして育ったんだから。それに、隠すほどのものなんて持ってないだろ?」

ぶつっ……ハシリウスの言葉の後半で、ジョゼの堪忍袋の緒が切れた。

「バカぁ! ボクだってボクだって……フォイエル!」

「ぐっはあっ!」

ジョゼの火焔魔法攻撃を受けて叫ぶハシリウスの声を聞きながら、2階のサロンでは昼食の準備をしていたアマデウスやアンナが呆れていた。

「あちゃ~! ハシリウスのヤツってば、ほんとに何やってんだか?」

「彼にはデリカシーがないのよね」

そう言う二人にソフィアがほほ笑んで言う。

「でも、そこがハシリウスの魅力の一つでもあるんじゃないかしら? どう、アンナ?」

急に振られたアンナは、頬を少し染めて言う。

「否定はしないわ」

そこに、ジョゼがハシリウスの耳を引っ張りながら現れた。

「あひぃ~! ジョゼ、耳を離せ! ちぎれる!」

「ほら、みんな待ってるんだから、きりきり歩くの!」

そして、ジョゼはサロンの入口で立ち止まる。

「すごい! 今日は何のパーティー!?」

そう言ったジョゼの瞳は、ごちそうを見てキラキラ輝いている。ジョゼはソフィアを振り返って訊く。

「ねぇ、ソフィア。今日は何の日? 昼間っからこんなご馳走が出るなんて!?」

「分からないかしら?」

珍しくソフィアがイジワルそうな顔をして首を傾げてみせる。ジョゼは少し考えて、

「ハシリウスが大君主になったお祝い?」

と訊く。ハシリウスは吹き出してしまった。

「何だよ、ハシリウス。キミってばシツレイな奴だな。キミなら今日が何の日か分かるっての?」

頬を膨らませるジョゼに、ハシリウスは笑って言おうとした。しかし、ソフィアやアンナが目で何かを訴えているのが見えたので、ハシリウスもイジワルく言う。

「ヒント! このパーティーは、お前に最も関係が深いんだけどな~」

「へ? ボクに?」

「そう、ジョゼが最も関連があるよ。カレンダー見てみろよ」

ハシリウスがそう言うので、ジョゼはカレンダーを見た。

「今日は火の月の29日……!」

ジョゼは何事かに気づき、みんなの顔を見回す。ハシリウス、ソフィア、アンナ、アマデウス……みんながジョゼを見てニコニコとして笑っている。ジョゼは急に心が熱くなってきた。

「今日、ボクの誕生日」

そうつぶやくジョゼに、ハシリウスとソフィアが笑って言う。

「ジョゼ、18歳の誕生日、おめでとう」

そして、ハシリウスが、全員分のプレゼントをジョゼに手渡した。

「あ、ありがとう」

「買い物は、ソフィアとアンナにお願いしたんだ」

ハシリウスが言うと、

「そうそう。ジョゼフィンちゃんの好みが分からないからね。パンツなんか贈っても困るだけだろうしと思って、アンナに選定を任せました~」

アマデウスもおどけて言う。

「おかげでいい迷惑だったわ。でも、さすがハシリウスくんね。ハシリウスくんはいいものを選んでいたわよ」

アンナが言うと、ジョゼはハシリウスに訊く。

「ハシリウス……その……ここで開けちゃっていいかな?」

「もちろんさ。気に入らなければ教えてくれ」

ハシリウスがうなずいたので、ジョゼはハシリウスのプレゼントを開けて見る。

「うわあ……」

ハシリウスのプレゼントは、アメジストのペンダントだった。それも、台座は銀で、特別に注文して作らせたものらしく、精巧で手が込んだものだった。

「こんないいもの……受け取れないよ」

ジョゼは、ソフィアに気兼ねしてそう言うが、ソフィアは笑って言う。

「変な気兼ねをせずに、受け取っておあげなさいよ。でないと、私がプレゼントいただくとき、受け取れなくなっちゃうから……」

「うん、そうだね♪ ありがとう、ハシリウス」

「どういたしまして」

「じゃ、そろそろパーティーを始めましょうか?」

アンナがそう言うと、アマデウスが大きな声で賛成する。

「いいね~!」

★ ★ ★ ★ ★

「ハシリウスが、完全に目覚めたらしいな」

ここは、王都シュビーツの北にある『蒼の湖』の畔。そこに建つ一軒の小屋で、ヘルヴェティア王国筆頭賢者であるセントリウスがつぶやいた。

「はい。その戦いぶり、その魔力、まことに『大君主』としてふさわしいものだったと思います」

セントリウスと話をしているのは、星の力をまとった12星将の筆頭で、主将でもある星将ポラリスだった。彼女は女将であるが、その白い衣と金のベルト、緩く止めた長い金髪を飾る金の宝冠が、彼女を星将の王者にふさわしいものにしている。

「クロイツェンの首を使って、『オップヴァルデン』の天候や気象を調整するなどという技は、王宮の魔導士たちでもできない芸当です。また、クロイツェンを手玉に取ったその態度といい、私は彼が大君主であることに関して、もはや何の不満もありません」

青い鎧に身を固め、亜麻色の長い髪にブルネットの切れ長の瞳が見え隠れする星将――アルタイルも言う。

「ほほう……アルタイルもついに、ハシリウスを認めたか。良いことじゃ……」

セントリウスはそう言って笑う。そんなセントリウスに、シリウスが訊いた。

「セントリウス」

「何じゃ? シリウス」

「以前お前は、ハシリウスはもっと冷たくならねばならぬと言ったが、ハシリウスは冷たいか?」

セントリウスは、パイプに手を伸ばしてお気に入りのタバコの葉を詰めるとマッチを擦った。

シュッという音とともに、小さな火が熾る。セントリウスはそれでパイプに火をつけ、ゆっくりと一服すると答えた。

「いや、ハシリウスは自らの意思で王道を行く大君主じゃ、おそらく心の中は正義への気持ちが猛っているに違いない。ましてや、ジョゼ嬢ちゃんが自分のために半神になったということを知ればな。シリウス、わしは、心が冷たくないと大君主としてふさわしくないと言ったつもりはない。心は熱くあるべきだ。しかし、頭は冷たくしておかぬと、いちかばちかの賭けもできず、賭けても負けるだけじゃ……ハシリウスが自身でそのような戦いぶりを覚えて行かねばなるまい」

「しかし、クロイツェンがこのまま黙って引き下がるとは思えませんな」

赤い甲冑に身を包み、形のいい人差し指で美しい金髪をいじりながら、星将アークトゥルスが言う。

ベテルギウス、アンタレス、アルタイル、デネブ、トゥバン、ポラリス、そしてシリウスもうなずく。

星将たちのうなずきを見て、セントリウスは窓から遠くヘルヴェティカ城を見つめながらつぶやいた。

「確かに、『闇の使徒』はすでに5人の夜叉大将と1人の四天王を失った。四天王を失ったことは、クロイツェンにとっても打撃じゃろうし、何よりクロイツェン自身が手傷を負い、自身の首級を取り戻すことに失敗している。このことは、今、クロイツェンの旗下にある国々にも独立のチャンスを与えるものじゃ。クロイツェンはその傷がいえ次第、ハシリウスを亡き者にしようとさらに激しい攻撃を加えてくるじゃろう……。ポラリス、クロイツェンの王国の位置は、まだわからぬか?」

「はい……。レグルスがベガ、プロキオンとともに鋭意捜索していますが……」

「そうか……ならばまだしばらくは受け身の戦いが続くということじゃな。我らもなかなか気が抜けないのう」

セントリウスは、そう言って笑った。しかし、その黒い目は、ちっとも笑っていなかった。

――ハシリウスとジョゼ嬢ちゃんとソフィア殿下……か……。それぞれの運命は、すでに廻り始めた。あとは、星々のご加護を祈るのみじゃ。そして、最後の瞬間まで、それぞれの努力を惜しまぬことじゃな。

セントリウスはそう考えながら、いつまでもパイプを吹かしていた。

【第5巻・終了】

長い作品でしたが、最後までお読み頂き、ありがとうございました。

このシリーズもちょっとずつ進んでいます。次回もお楽しみに。

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