89話 人間界に戻る方法は一つある
実際問題どうしよう。膨大な熱量の炎が広大な空を染めている中、地上に残された私がするべきなのは何か。瞬間移動の術式が止まったのはシルヴァ公爵の仕業だが停止から再び稼働する術式までは分からない。試しにベルベットに訊いてみようと振り返るといなかった。あれ?と思ったら、こっちだよと声を掛けられた前を向いた。
「ふーん……」
ベルベットはアイリーン達の側にいた。
「瞬間移動の術式を展開したのと同時に王子様の治癒をしていたみたいだね」
「ユーリの?」
致命傷は負わせていないと言っていたけど治癒もさり気無くしてくれていたんだウアリウスは。
「ユーリは助かるの?」
「ああ。助かるよ。派手に怪我はしているが死ぬようなものじゃない」
「良かった……っ」
涙目になりながら、助かると知ったアイリーンの表情は安堵に染まる。側にいるナーディアも容態を聞いて安心している。
「父上が使った妨害の術式はおれじゃ解除は無理だね」
「ベルベットでも?」
「現代語の中に所々古代語で変換している箇所がある。本だったら誤字確定な滅茶苦茶な方法だが、魔術式でやられると古代語を習得していないとどうにも出来ない」
「古代語か……魔術の特訓とかするついでに教わったよ」
「フィーの保護者は生きる化石みたいな魔族だもんね」
化石……始祖の魔王は転生を繰り返す。今の肉体で三千年は生きていると言っていたから、強ち間違いじゃない。小さなアイリーンの声が私を呼んで視線をやると「あの男性は誰なのですか」と問われた。確かベルベットが始祖の魔王について教わる時アイリーンやユーリ、ハイネが便乗したと聞いたけれど見目までは教わらなかったか。って当たり前か。
「ウアリウスは私が魔界を出る時協力してくれた魔族だよ。シルヴァ公爵やイグナイト公爵がよく知ってるから、魔界に戻ったら聞いてみて」
とてもじゃないけど父様に聞いてって言えない……。
「ウアリウス……知らない名前……父様に聞きます。父様も知っていると思うから」
さっきシルヴァ公爵がウアリウス様と言っていた時もアイリーンに変化はなかった。名前も教わってないと見た。チラリとナーディアを見ても同じ。始祖の魔王については知っていても名前や容姿までは教わらないってことなのかな。
「……姉様、どうしても魔界には戻ってくれないのですか」
「戻らないよ。アイリーン、ユーリやナーディアと一緒に戻りなさい。帰ったら父様や母様には、アフィーリアは二度と魔界に帰らないと言っていたって伝えて。連れ戻そうとしたって絶対戻らない」
「……」
アイリーンの為、ユーリの為に。……違うか、結局私の為だ。何時かリリスの種が芽吹いて私がコーデリア様になってアイリーンやユーリを傷付けて大好きだった人達に嫌われたくないだけ。嫌われて最後どうせ殺されるなら、遠い場所に行って違う場所で暮らしたい。
俯き、何も言わなくなったアイリーンを見てもう何も言わないだろうと微かに息を吐いた。私の事を諦めてくれたらいいけど……。
未だ上空では激しい空中戦が続いている。紫電の竜と氷結の女神が己の牙と槍でぶつかった瞬間の周囲の揺れと衝撃といったらない。派手な魔術を使っているけど一つ疑問があった。これだけの魔術戦が繰り広げられている割に天使も王国騎士団も来ない。天使は兎も角、王国騎士団が来ないのはおかしい。
「王国騎士団がそろそろ来てもおかしくないのに何でだろう……」
「おかしくはないのだよ、アフィーリア嬢」
ものすごく聞き覚えのなる特徴的な口調と声で魔界から新しい人が来たと知る。誰、なんて訊ねなくても解る程の人が。
淡い光が出現した瞬間、予想通りの人——レオンハルト団長が現れた。シルヴァ公爵もだけど十三年経っても全然変わってない。長寿で肉体の変化がない魔族なのだから当然なんだけどね。
「大きくなったな、アフィーリア嬢。最後に会ったのは十三年前だから当然か」
「あはは……お久しぶりです……。レオンハルト団長まで来たってことはまさか……」
頬に嫌な汗が流れた。考えるだけでこの場から一刻も早く逃げたくなった。私の考えを読んでか違うと首を振られた。
「ロゼは来ない。というか、暫く動けなくしてきた」
「動けなくした?」
「ああ。アフィーリア嬢の事を思い出したんだ。それに加えて、君を忘れていたのもいなくなったのも始祖のじじいのせいだと知れば、あのじじいが大嫌いなロゼが冷静でいられる筈がない。人間界の空が荒れていただろう?」
「あ、ああ、はい」
「魔界はそれ以上だ。魔界のあちこちに雷が落ちるわ、嵐が起きるわで大騒動真っただ中なのだよ」
「……」
予想以上というか、最早想像を絶する状況に冷や汗が止まらない。私を思い出し、且つ、原因が始祖の魔王たるウアリウスが絡んでいると知った瞬間の父様の姿は絶対に見たくない。レオンハルト団長の言う動けなくしたと言うのは、ネフィの夢魔の力を使ったと話された。実力行使では父様の方が力が上。但し、夢の世界なら夢魔が主導権を握れる。レオンハルト団長が手伝いながらネフィが父様を暫く夢の世界から戻れなくしたのだ。
「アフィーリア嬢。十三年前、あのじじいが言っていた話は事実なんだろう?」
「はい……」
「正直言うと我輩とシャルル殿だけは、君の事を覚えていたんだ」
「……へ?」
覚えてた……?魔界全土を対象にした代償誓約魔術を使ったのに?若干頭が混乱しているとレオンハルト団長は説明を始めた。
「始祖のじじい相手に準備万端なんて言葉は存在しない。どれだけ準備をしたところで出来るのは足止めくらいなもの。ただ、じじいが時間停止の魔術を使うのは分かっていたから『浄化結晶』を持っていたんだ」
「『浄化結晶』?」
「大天使以上の天使を殺して作る聖なる力の結晶だよ。天使相手だとただの結晶だが、魔族相手になると魔力量に応じてあらゆる力を封じる。じじい相手だったから、熾天使で作った『浄化結晶』を二人で持っていたんだ」
天界最高位の天使から作った『浄化結晶』は代償誓約魔術の対象からレオンハルト団長とシルヴァ公爵を守り、二人だけ魔界にいるのに私を覚えていた。レオンハルト団長の言う熾天使とは多分、昔母様を攫った熾天使。因みに熾天使は『浄化結晶』が完成すると死んだと聞かされ、ちょっと複雑になるも母様を攫った熾天使に同情は不要だと切り捨てた。
「伯父上や父上はフィーを覚えていたの?」
「そうだよ、ベルベット坊や。魔王城にあったアフィーリア嬢の部屋は空っぽ、アフィーリア嬢のいた痕跡は綺麗さっぱり消えた上、ロゼに存在を仄めかしても覚えている傾向はなかったからずっと黙っていたんだ」
「で?伯父上と父上なら、覚えているだけじゃ無かったんじゃないの?」
「アフィーリア嬢から聞いたのか?」
「話してくれる範囲では。けど半信半疑でもあるかな。今のフィーを見ていても、とても王子様を誘惑して王女様を虐めるような真似をするとは思えない」
「残念だが事実だ」
そう……本気で残念な事実。
十三年間、こっそりと私の中にあるリリスの種を取り除く方法を探っていた二人はドラメール家の者が残した手記や記録、大昔の魔界の記録を読んで一つ分かった点があると聞かされる。代々、ドラメール家に生まれた女性で特に魔力が高い女性は成長していくと性格が変わっていったと。
誰に対しても優しかった令嬢は、ある日突然傲慢で冷酷な女に変わり、魔力の高い男にだけ言い寄り、悪女と呼ばれるようになっていった。
「これについてドラメール家は先祖返りだと見做されていた。ドラメール家の始祖リリスが始祖のじじいに執着していたように、ドラメール家に生まれる一部の娘達も同じように強い魔力を持つ男に執着するのではとな」
「コーデリア様が父様に執着していたのもリリスのせい?」
「かもしれないな。コーデリアに関しては、会った時からあんな感じだったから正直なところは分からんが……」
もしも、と考える。もしもコーデリア様の父様への執着がリリスのせいで本来のコーデリア様は全く別の人だったら?って。アフィーリアと同じで精神を乗っ取られていただけなら、……同情を持ってしまう。
「伯父上、フィーが絶対にリリスにならない方法ってあったの?」
「そう思って調べてはいたが……」
言葉を切り、肩を竦めたのを見ると結果はお察しというところ。ウアリウスでさえ、完全に種を除去するのは無理だとお手上げなのだ、レオンハルト団長やシルヴァ公爵が見つけられなくても仕方がない。
妙な沈黙が流れてしまったので空気を変えたくなり、そういえばレオンハルト団長が来た理由を訊いてないと思い出し訊ねたら上を指された。
「人間界と魔界を繋ぐ扉を施錠されれば、困るのはシャルル殿だからな。始祖のじじいの相手をシャルル殿がしている間、我輩がじじいの術を解除しつつアイリーン嬢とユーリを回収する役になったのだよ」
事情を知っているレオンハルト団長とシルヴァ公爵は私を魔界に連れ戻す気はないらしく、私自身に魔界へ戻る気はないのは重々承知していた。
取り敢えず、レオンハルト団長達は私にとっては敵じゃないと知り安心したのも束の間、震える小さな声が待ったを掛けた。
アイリーンの声だ。
「待って……っ、さっきから姉様やレオンハルト様の話を聞いてましたが……姉様がコーデリア様になってしまうというのは?レオンハルト様は姉様を連れ戻してくれないのですか?」
混乱しているのが目に見えて分かる。黙って聞いていたナーディアも理解するのに時間を有している状態。説明を求めるサファイアブルーの瞳に見つめられ、言いたくなってしまいそうになるが堪えた。アイリーンやユーリには聞かせられない。
緩く首を振って再度アイリーンに告げた。
「詳しい事が知りたいならレオンハルト団長に聞いて。私からは何も言うことはない」
「姉様っ」
「レオンハルト団長、アイリーン達だけでも先に魔界へ戻してください」
「嫌だ!私は姉様と魔界に帰りたいんです!レオンハルト様が無理なら、父様にお願いしたらきっと何とかしてくれますから、だから姉様……!」
「アイリーン、無理だよ。父様以上の力を持つ始祖の魔王でさえお手上げなんだから」
「姉様と一緒にいた方が始祖の魔王だという証拠はあるのですか。姉様を騙している可能性だって」
ウアリウスが偽物じゃないのは私以上にレオンハルト団長が知っている。非常に嫌そうな顔をしながら、残念ながら本物の始祖の魔王だと教えられてもアイリーンは引き下がらない。寧ろ、始祖の魔王は私達の祖父なのだから尚の事私を助ける方法を探すべきだと訴えた。
人生をループしては殺されて来た私を見て、前回助けられる余地があったから助けられたのだ。ウアリウスにはかなり感謝してる。人格が女子高生の私なのはあれだけど。
「後十分。早くお子様達を連れて魔界へ戻りなさい」
上空でシルヴァ公爵と空中戦を繰り広げていたウアリウスが戻った。顔にも服にも、何処にも怪我はなく汚れすらない。対して、同じく戻ったシルヴァ公爵の顔や服に怪我も汚れもない。派手な魔術戦だったのに全て避けるか、結界で防いだからだと話されて目が遠くなった。十三年間、戦いの手解きを習っても大魔族と戦ってまともに戦えるのさえ不明だ。
「僕やシャルルが派手に暴れても王国騎士団や天使が気付かないのはレオンハルトの仕業か」
「他人に来られても面倒なだけだろう。広範囲に渡って結界を貼った。まだ暫くもつぞ」
「お気遣いありがとう。だが、そろそろ人間界と魔界を繋ぐ扉の施錠は完了する。シャルルの相手をしながら、掛けた妨害式は全て外させてもらったよ」
鋭く舌打ちをしたレオンハルト団長が上を見て再度舌打ちを零す。戦いながら術式を外すと言う人外並の業を披露したのに疲れは見せず、綺麗な微笑を浮かべるウアリウスの裾を掴んだ。きょとんと見てくる銀瞳を見上げた。
「レオンハルト団長とシルヴァ公爵は私を覚えてたって」
「シャルルに言われた。僕も吃驚。時にアフィーリア、君の妹は執拗に君を魔界へ戻したいみたいだけど?」
「何度言われたって私は魔界に帰らない。帰るのはアイリーンとユーリの方。十三年間、魔界の姫は一人でも問題はなかった。これからも一人でいたらいい」
心残りである父様や母様が気にならない訳じゃない。そうだとしても私が二人に会う資格はない。
何も言わなくなったアイリーンを見たら俯き、顔を両手で覆って泣いていた。結局私はアイリーンを泣かせてばかりいる。慰めるナーディアからの責める視線に苦笑し、瞬間移動の停止を解除させて三人はこの場から魔界へ転送された。
残ったのは私とウアリウスとベルベット、レオンハルト団長とシルヴァ公爵のみ。
ホッと息を吐いた私の頭にウアリウスが手を置いて労わるように撫でる。制限時間内にアイリーン達を魔界へ返せて良かった。アイリーンやユーリまで魔界に戻れなくなったら父様も母様も悲しんでしまう。二人を悲しませる親不孝な子供は私一人で十分だ。
「ほら、シャルルとレオンハルトも帰りなさい。でないと帰れなくなるよ」
「実を言いますとなウアリウス様。派手な魔術を使って派手に暴れていたユーリ様の魔力を感知した時から、一つ決めている事がありました」
「ああ、やっぱり王子の魔力を辿ったんだ」
「ええ。アフィーリア様の存在も感知して、側には貴方がいるとも想像はついていました。アフィーリア様の為に人間界と魔界の繋がりを絶つだろうと予想も」
「で?」
「私としては確かにかなりの痛手だ。二つの世界を行き来出来なくなるのは」
言葉を挟まず、シルヴァ公爵が何を言いたいのか見極めようと集中して話を聞くが意図が見えない。チラリとベルベットを見ても同じのようで首を振られる。「レオンハルト殿」と視線はウアリウスに向けたままシルヴァ公爵に後を頼まれたレオンハルト団長は肩を竦め、一瞬で姿を消した。
「シャルル。お前は何がしたいのかな?」と微かな苛立ちの籠ったウアリウスに問われたシルヴァ公爵は静かな口調で応えた。
「扉が閉ざされようと魔界へ戻る手段はあるのですよ。貴方だってご存知でしょう。天界から魔界へ行けると」
「え!?」
驚いた声を出したのは私。
咄嗟にウアリウスを見上げるとかなり嫌そうな顔で「ああ、最悪、天界の事忘れてた」と頭を抱えだした。天界も魔界と同じで人間界へ続く扉があり、天使達はそこを通ってやって来る。高位魔族になると扉の場所が分かるのだとか。
「魔界に帰りたくなったら、保有している天使を使って天界への扉を開けさせ、天界から魔界へ戻りますよ。通常のルートより面倒ですがね」
「お前の考え自体が面倒くさい。最悪だ。タイムリミットだ」
終わりの言葉を聞いた直後、ガチャっという大きな音が響いた。
今この時を以て人間界と魔界を繋ぐ扉は完全に閉ざされた。
「アフィーリア。暫く、僕と君はぐうたらな生活が送れなくなるよ」
「あまりぐうたらして……はいるのかな」
「週に二、三回昼直前まで寝ていればぐうたらしてるよ」
「あ、あー……反論の言葉が出ない……」
「最悪だ、最悪だよ。姑みたいなガルディオスじゃないだけマシかもしれないけど」
読んでいただきありがとうございます。
次回は魔界側の話になります。




