65話 やってやる
「《穿て》」
フィロメーノが紡いだたった一言の呪文によって、地下は一瞬にして劫火の海に呑み込まれた。転がっていた人達は痛みも恐怖も感じる事もなく、自分が死んだと理解する前に炭が残らない程焼き尽くされた。フィロメーノが抱き上げているのと彼が張っている結界のお陰で無事な私は、母様が熾天使から救出しようと使った魔術よりも、アンデルの村でベルベットが『エデンの森』の主を倒した魔術よりも強力な炎の魔術に目が釘付けだった。
魔界でも最高峰に分類されるだろう圧倒的な力。それをたった一言の呪文で発動させたフィロメーノは尋常じゃない。
魔族の容姿は魔力容量によって変わる。美しければ美しい程、魔族が強い証となる。
フィロメーノが皆の時間を停止していても、これだけの強力な魔術を使えば部屋が耐えられない。
私の考えを読んだフィロメーノが「大丈夫だよ」と微笑んだ。
「『アスラの波紋』を使う前に、室内全体に強固な結界を張った。部屋が崩壊する心配はない」
「そっか……」
私はホッと息を吐いた。
コーデリア様(仮)がいた場所を見た。炎に包まれた世界では、私達以外の人は誰もいない。
「倒した……の?」
「いや。生きてるよ」
目を閉じたと思いきや、力強く開眼した。銀色の瞳に刻まれた魔術式。瞳に透視を付加した際に現れるやつだ。周囲を見渡すと「ちっ」と舌打ちした。もしかしてと聞いてみると――コーデリア様(仮)は逃げ出していた。炎を消したフィロメーノは瞬間移動で地下から城内に戻った。
世界の時間が止まったように誰も動かない。私とフィロメーノだけが、取り残されてしまった錯覚に陥る。
「隠密の魔術を使ってるね。気配を辿る術がないな」
「ね、ねえ、あの人はコーデリア様じゃないの?」
「肉体はコーデリアの物さ。ただ、アフィーリアも見ただろう? 光の球がコーデリアの中に入ったのを」
「うん」
「あれはリリス。ドラメール公爵家の始祖で、何千年にも渡って美しい容姿をした子孫の肉体を乗り換えて生きている魔族だよ」
何時かフィロメーノが言っていた、コーデリア様よりも更に強烈な性格で見た目も髪の長さしか変わらないと言っていた女性。始祖の魔王の腹心『五大公爵家』の始祖が今も生きているなんて……。他の四人はずっと昔に眠ったとフィロメーノは言う。
ん?
「フィロメーノは大昔の事にも詳しいんだね」
「まあね。それより、リリスを探さないと」
「そうだね」
だが、探そうにも隠密の魔術を使用されていると探す術がない。気配も魔力も消すから。リリスが行きそうな場所に心当たりを訊ねたら、思案顔をしたフィロメーノが謁見の間に行こうと歩き出した。謁見の間には、父様達がいる。高位魔族の異性を特に好むリリスがフィロメーノに対抗しようと魔力を搾取する可能性があると。
時間停止を解除と思考が過ぎるも、今解除すれば城内はパニックが発生して、下手をしたらリリスの魔力搾取の餌にされると反対された。魔力を搾取するって淫魔みたいだ。
「リリスに流れる血は純粋な魔族の血だ。まあ、淫魔より男の精を啜るのが好きだから間違ってはないけど」
「魔力を奪う為に?」
「そうだよ。彼女は魔界で最も傲慢で強欲で自分の美貌に絶対の自信があった。性格の悪さも一級だった」
私の急ぐ心とは裏腹にフィロメーノの足取りはゆっくりだ。急かしても額に落ち着きなさいとキスをされた。急いては事を損じる。魔力感知に敏感なリリスを探そうと魔術を使ったら更に逃げられると、フィロメーノは危惧していた。フィロメーノは隠密の魔術を応用した結界を貼りながら謁見の間の前まで来た。
扉は開かれていた。
「っ――!」
私の全身に嫌悪が駆け巡った。最奥に鎮座する玉座に座る父様の膝上に乗って、時間停止によって動かない父様に……
「んん……、ちゅう……んう……、はあ……」
リリスは一心不乱に口付けていた。
動けない、視認もしないのを良いことに……!
急激に頭に血が上った。フィロメーノの腕から逃れようとするも重力操作で全身を重くされて動けなくなった。フィロメーノ、と怒鳴りたくても声は出ず。だが、肌に冷気が触れた事で一気に冷静になっていった。周囲が薄い氷に覆われていく。全身から感じる恐ろしい魔力の冷気に自身の意思では動けない体も震えを起こしていた。
「……あらあ、早いわねえ、ウアリウス様」
「……よくもまあ、恥もなく男の身体に跨がって魔力を奪える」
吐き捨てる様に紡がれた言葉もまた、周囲を覆う冷気と同じ温度を持っていた。私は顔を動かせないから、今フィロメーノがどんな顔をしてリリスと話しているか見られない。
声色だけでフィロメーノが静かに、けれど濃厚な殺気を纏って怒っているのは感じられる。
「だあって、ウアリウス様からその子を奪うとなると並大抵の魔術では敵わないわ。なら、今魔界でウアリウス様以外に膨大な魔力を持つ魔族の魔力を奪うしか、わたくしがウアリウス様に敵う術はないもの」
「君が僕に?寝言も寝て言いなさい。そうだ、そんなに僕が好きなら、僕の手で君を眠らせてあげよう。……二度と目覚めない、死の眠りを」
魔族の死には二つある。
命を落とすものと永遠の眠りに就くもの。
強い力を持つ高位魔族程、死ぬ確率は減っていく。永遠とも言える魔族が終わるには、ただ一つ。
永遠の眠りに就くことだけ。
フィロメーノの言う永遠の眠りに、穏やかな死は含まれていない。纏う殺気が全てを物語っている。
「そんな事を言って良いの?わたくしは貴方の秘密を握っているのに」
「秘密?」
そう、と笑ったリリス。
パチン、と指が鳴った。――刹那、謁見の間が深緑色の光に包まれた。フィロメーノの私を抱く腕に力が入った。何が起きるのかとしがみつくと「……何処でそれを」と呆然と漏れた声が頭上から降った。
光が消えるとリリスは高笑いした。
「あ、ははははははっ!!初めて見たわ、ウアリウス様のそんな顔。わたくしがこれを持っている事が予想外だったようね」
「無理ないわ」と未だ笑いの尾が引いているのか、リリスの声は震えている。一体何が現れたというのか。重力操作で動きを固定されているせいで見れない。見たい、どうにか重力操作を解かないと。セリカに教わっておけば良かったと内心叫ぶと、唐突に脳裏にある方法が浮かんだ。
相手に重力を与える際、相手の身体に重力に変換した自分の魔力を注げば良い。解除するなら、注がれた相手の魔力を自分の魔力で相殺したら良い――と。何故か浮かんだそれに素直に従うと私の身体は自由になった。
軽々とフィロメーノの腕から逃れた私は、リリスが召喚したであろうそれを見て戦慄した。
アフィーリア!と叫んだフィロメーノの声が遠く聞こえた。
「な……何よ、それ……」
二メートルもある巨大な体を持つ植物。胴体は大きく膨れ上がって破裂寸前の風船の様。そこから延びる無数の蔦。蔦から生成された深緑色の葉。
何より不気味なのは、胴体がもぞもぞと動き続けている事。
そして――中から届く、悲鳴交じりな喘ぎ声に覚えがあった。
知ってる。
私はこの声を知っている。
喫驚して動けない私を、ユーリと同じとは思えない欲望で爛れた淡い紫水晶が嘲笑う。
「どうしたの?知っているでしょう?これが何か」
「……」
何も言えない。何を言ったらいいのか。
反応出来ない私をつまらなさそうに一瞥したリリスが、謎の植物へ手を翳した。淡い光を放つ。魔力だ。
魔力を注がれた植物は更に動きを激しくさせ、同時に――中の声は最早悲鳴ではなく、絶叫と表現するのに近くなった。
耳を塞ぎたくなる声。なのに、手は動かない。重力操作は解いたのに、別の何かを掛けられた訳でもないのに。私の身体は言う事を聞いてくれない。
「アフィーリア」
「!」
私の視界を遮る様にフィロメーノが前に回り込み、目線が合う様にしゃがんだ。
「気を確り持ちなさい。君とあれは関係ない」
「……本当に?私……あれ……知ってる気が、するの」
「いいや。君には関係のない物さ。アフィーリア」
「あ……」
知っている筈だ。記憶の中になくても、あの植物に対する恐怖が身体にあった。否定する私の額にフィロメーノがまたキスをした。じわりと注がれた魔力が温かくて、優しくて、不安定だった心を一定に戻してくれた。
「落ち着きなさい。君は誇り高い魔王の娘であり、魔界の第一王女だ。これくらいの事で動転してどうする。何より、君は魔界を出るのだろう?これじゃあ、冷静に魔界を出る事も出来なくなってしまうよ?」
「魔界を……出る……」
そうだ。
私は魔界を出るんだ。
乙女ゲームの、コーデリア様の亡霊と囁かされ、たった一人しかいない妹を大好きなユーリを奪った嫉妬から虐めて、父である魔王だけではなく魔界中の人から嫌われ、最後には残酷な末路しかない悪役アフィーリアの様にならない為に。大事な妹であるアイリーンの幸せの為に、私は魔界を出なきゃいけない。
その為に沢山の行動を起こした。……どれも父様によって阻止されましたが。
フィロメーノの言った通り、こんな所で冷静さを失って足止めを食らう訳にはいかない。
自分を奮い立たせるべく両頬を強目に叩いてフィロメーノを真っ直ぐに見つめた。
「そう……その眼だよ、君はそれでいい」
フィロメーノは左手の人差し指を私の額に当てた。じわじわとまた魔力が注がれる。
「君に魔術を掛けてあげた。精神強化の魔術だ」
「どんな魔術なの?」
「何が起きても動じない、強気でいられる魔術だよ」
うん。言われてみると、あの植物に対する恐怖がなくなっている。
「アフィーリア」と真剣な声色で呼ばれた。
「リリスの相手は僕がする。君は――あの植物を倒しなさい。自分が覚えている、強力な炎の魔術で」
「うん!」
やってやる。
フィロメーノが立ち上がり視界が広がった。
困惑としているリリスが口を開く前に――
「行きなさい」
フィロメーノの合図で、私は植物へ【カサルティリオ・フィアンマ】を放った。
――その時フィロメーノが歪に口端を吊り上げ、嗤っているとも知らず……。
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