49話 止まらない涙の原因
魔王の姉娘は傲慢で我儘な子、妹娘は大人しい子。
城に務める使用人か、何処かの貴族か。誰かが言う悪意をアイリーンの耳は拾う。大好きな姉を卑下する言葉に心を痛める。一つ歳上のアフィーリアは我儘だと思う。魔界で最も高貴な血を引き、魔王譲りの強大な魔力をその身に宿すものの、性格は何というか我儘だ。小さな子供らしい、と言えばらしいのかもしれない。でも、異母弟のユーリに常に引っ付いて相手の都合を考えず自分を優先させ、気に入らない侍女を止めさせ妹の侍女にと回し、最近では城を抜け出そうとする始末。幾ら魔力が強大でもちゃんとした制御方法を知らない上に、使用出来る魔術も殺傷能力はほぼない。魔王であるロゼが人を傷付ける魔術を教えるのを禁じているからだ。
二週間前、突然姿を消したアフィーリアに城の者達は恐怖した。アフィーリアが脱走を図ろうとするだけで機嫌を悪くするロゼの怒りが城内を、魔界を支配した。妻のシェリーでさえ抑えきれない怒りが城内を漂い、耐性の弱い悪魔は体調を崩してロゼの機嫌が――アフィーリアが――戻るまでは療養となり、深刻的な人手不足となった。宰相の手配で公爵家から伯爵家までの貴族の家から有能な使用人を一時的に城勤めにさせているものの、それも長く保たない。
妹のアイリーンはアフィーリアがいなくなった日からずっと泣いている。
ユーリのトラウマを抉る言葉を発したアフィーリアに思う所はあるものの、理由があってあんな事を言ったのだと信じて夕食の席で姉を待つ。……だが、何時まで待ってもアフィーリアは来なかった。それ処か、城内が慌ただしい。アイリーンの専属侍女を務めるナーディアが外に出て確認をしに行き、驚きの情報を持って戻った。
『アイリーン様大変です!アフィーリア様が姿を消されました!』
『え……』
一瞬、何を言われたか理解が追い付かなかった。
――姉さまが消えた?
ずっと外に行きたがっていたのは誰もが知っている。だから、常にロゼが自分の傍に置き、一緒にいられない時はアフィーリアの専属侍女セリカが監視をしていた。セリカは?と訊ねると、アフィーリアが姿を消す少し前に傍を離れてしまったらしい。その為、今執務室に呼ばれているのだとか。
『アイリーン様!?』
アイリーンは席を立ち、無我夢中に駆け出した。向かう先はロゼのいる執務室。礼儀を守る余裕もなく勢い良く扉を開けた先にいたのは、顔を真っ青に染めロゼの前で跪くセリカと冷徹な魔王の瞳で見下ろすロゼ、そして宰相を務めるアリスとロゼの双子の弟リエル。乱入したアイリーンに珍しいとリエルが目を丸くする。
『おや?アイリーンちゃん。お行儀が悪いよ』
『ね、姉さまが、いなくなったって聞いて……』
『……あらあら、もうアイリーンちゃんの耳に入っちゃったみたいだよ』
アイリーンの行動を咎めるも、乱入した意図を聞くと手遅れだったとばかりに苦笑した。リエルの言い方に疑いは確信へと変わった。
『姉さまは……姉さまは何処へ行ってしまわれたのですかっ』
フラフラとした足取りで室内を進むアイリーンをリエルとアリスが表情を歪めた。
『……誰にも解らないのです。そもそも、アフィーリア様がいなくなったのが誘拐なのか、自分の力なのかさえ不明なのです』
『フィーちゃんが外に出たがっていたのは皆知ってるからね。外へ出る行動を見たら止める筈なんだけど……いないって事は、どっちかだね』
リエルとアリスの会話はまだ続くがアイリーンの耳には届いていない。視界の隅に映るセリカの体がビクッと跳ねたが、アイリーンに気にする余裕は皆無。
アフィーリアがいなくなった。
アフィーリアがいなくなった……
『……さま……っ……、……ね……さま……っ』
堰が切れたように大粒の涙を流し、大きな声で泣き出したアイリーンを抱き上げたのは――静かに、強烈な怒りを抱えているロゼだった。
『とう、さまあああぁ……姉さま、姉さまはどこでずかああああぁ!!』
一つ歳上の姉の存在はアイリーンにとって大きな存在だった。何をするにしても、常に姉の後ろを付いて回り、時に姉の無茶苦茶な行動に驚いたり怒ったり泣いたりしているが、大好きな事実には変わりなかった。
半年前、木登りを教えてあげると城の庭にある大きな木に登った挙げ句足を滑らせ、頭を強打して暫く寝込んでから――アフィーリアは執拗に外へ出たがった。城にいたくないとばかりに外を渇望するアフィーリアにずっと不安を抱いていた。
城の外は危ないと常に教わっているアイリーンにしたら、外を出ようとして毎回失敗しても懲りないアフィーリアが不思議でならなかった。
ロゼの首に腕を回し、泣き続けるアイリーンにロゼがどんな指示を出しているか等聞こえていない。頭に手を置かれて漸く顔を上げた。涙で濡れた頬にキスをされた。
『泣くな。アフィは直ぐに見つける』
『っ……あ……うあ……と……さまっ』
そう言われても涙が止まってくれない。泣き止もうとしても流れる涙をロゼの指先が拭う。アイリーンを抱え直すとアリスへと振り向いた。
『アイリーンをシェリーへ預けて来る。その間にティフォーネを使って、魔界全土へ使い魔を飛ばす様命じろ』
『分かりました』
『セリカ』
『は、はいっ』
『今回の件、お前に全ての非があるとは思ってはいないが……アフィーリアの執着を甘く見たな』
『も、申し訳ありません……』
『お前もティフォーネと連携を取って行動しろ』
『承知致しました』
必要な指示だけを授け、後の細かい仕事は全てリエルに押し付け、泣き続けるアイリーンを抱えロゼはシェリーのいる部屋へ向かった。
既にシェリーの耳にも、アフィーリアの事は入っていた。部屋に入るなり、血相を変えてロゼに駆け寄った。
『ロゼっ!アフィーリアがいなくなったって本当なの?』
『本当だ。シェリー、暫くアイリーンと一緒にいてやってくれないか?アフィがいなくなって、すっかりと泣き止まなくなった』
『かあ……さま……』
『アイリーン……!可哀想に。大丈夫よ。アフィーリアは直ぐに見つかるから、泣かないで』
ロゼからアイリーンを受け取ったシェリーは、泣いてばかりのアイリーンを抱き締めた。そう言うしか、アイリーンを慰める言葉がないから。泣き続けるアイリーンを抱き締めながら、部屋を出ようとするロゼを呼び止めた。
『ロゼっ』
『大丈夫だ。アフィは直ぐに見つける。アイリーンを頼んだ』
『え、ええ』
心配をさせまいと焦りを見せなかったロゼ。内心は酷く焦り、怒っている。泣き声が大きくなったアイリーンの髪を撫で、ベッドに腰掛けた。
『泣かないでアイリーン。ロゼが見つけてくれるから』
『ね、さまっ。姉さま、どこですかあああぁ……っ!!』
シェリーが何を言ってもアイリーンの耳には届かず、ずっと泣き続ける。アフィーリアが見つかるまで泣き止む事はない。アイリーンが泣き止むまでシェリーは小さな背中を擦り続けた。
――それから数時間後。泣き疲れて眠ってしまったアイリーンは夢を見ていた。
目の前には、血を流して倒れている誰かと、誰かに縋りつき泣き叫んでいる……自分だった。記憶にない夢。なのに、既視感を覚えるのはどうして。大きな自分の側まで行って声を掛けたい。どうして泣いているの、倒れている人は誰、と。アイリーンの体は地面に縫い付けられた人形の如く動かない。
『……さ……ま……、姉……さま……!!』
『何故ですっ、何故私を置いて行くのです、いつもいつも、姉さまは私を置いて……行ってばかりで……っ』
『おね……がいですっ、目を、目を開けて下さい……!……わた、しの、姉さまのままで死ねて、って、どういうことですかあぁ……!!』
姉さま、姉さま、と倒れている誰か――否、腹部に氷の刃を自らの腕で突き立て死んでいるアフィーリアに泣き叫んでいる。一際大きな声で泣き叫ぶ大きくなったアイリーンを小さなアイリーンはただ呆然と見つめていた。
(これは……何?どうして姉さまは死んでいるの?「私」は何をしていたの?)
姉さまとしか言わなくなった自分に掛ける言葉も見つからない。出そうとしても、声が出ない。じっと、そこにいる事しか出来ない。
そこへ――――扉が壊された。扉を乱暴に蹴破って室内へ飛び込んだのは、目の前の自分と同じく大きくなったユーリだった。大人になったら、父であるロゼよりも綺麗になると自信満々に断言していたアフィーリアの言う通り、青みがかった銀髪も淡い紫水晶の瞳も彼の美貌を引き立たせる装飾品と等しかった。美貌の異母兄弟が死んでいるアフィーリアに縋りつき、泣き続けているアイリーンをアフィーリアから引き離そうとするも頑なに離れようとしない。
『アイリーンっ!』
『姉さま、姉さま、姉さまあぁ……!!お願いですっ、目を、目を開けてくださいぃ……!姉さまが、姉さまが可笑しくなってしまったのは何故ですか、どうして……どうして、誰にも……私にも……父さまにも……、っ……うぅ……』
可笑しくなった?
アイリーンは目の前の自分が言った台詞に妙な違和感を感じた。
(姉さまが可笑しくなった?それは、父様が禁じてもしつこく外に出ようとした事?)
だが、それだけで自害してしまうだろうか。
アイリーンは考える。けれど、視界が霞む。
(ダメ……!)
消えないで――!
そう願っても、目の前の光景は溶けて消えていく……。
――次に見た光景は、満月の光が照らされた薄暗い室内。見慣れた部屋の内装や家具から、此処がアフィーリアの部屋だと判断する。アフィーリアがいるかもしれないと周囲を探すと――いた。
ベッドに腰掛け、窓越しから夜空を見上げる姿はアイリーンのよく知っているアフィーリアの姿だった。さっきと同じく、大きくなっていても。生きているアフィーリアにホッとするのも束の間、目の前のアフィーリアが声を発した。
『駄目だなあ……上手く出来ない』
『何で……アイリーンは私の言う事を……聞いてくれないんだろう……』
『“今”の私は、アイリーンを見るだけで嫉妬と憎悪に染まって何をするか分からないのに……。だから、近付くなって言ってるのに……何で……来ちゃうかな』
部屋には誰もいない。アフィーリア以外。誰にも向けられていない、独り言を紡ぐアフィーリアの姿は弱く、酷く不安定だった。
『私だって、アイリーンを傷付けたくない。……でも、“呪い”を受けたせいで私は“――――――”と同じになってしまった』
『“――――――”と同じになった私を、皆が……見捨てるのも仕方ないよね……。押さえ付けようとしても、私の中の“呪い”が強くて制御出来ない。さすが、元公爵令嬢だけの事あるわ。……それに、父様の、魔王の婚約者だったのも頷ける』
たった一つだけ、言葉が途切れる部分はあるものの、アフィーリアが誰を指しているのかは理解出来た。そして、どういう事なのだろうかとアイリーンは思考する。
アフィーリアは“呪い”と言い、そのせいで自分を傷付けていると言う。また、傷付けたくなくても自分がアフィーリアの側へ行くせいで叶わないとも。
動いてと願っても体は、声を出してと願っても口は、言う事を聞いてくれない。
そして、また目の前の光景が溶けていく。駄目と否定しても止まらない。すると、頭に全く知らない誰かの声が響いた。
「君は思い出しちゃいけない。君はどんな時でも守られ、愛されるお姫様でいなくちゃいけない。……時にアフィーリアの代わりとして愛される事となっても、君は愛され、憎まれるお姫様でないと」
クスクスと笑う優しげでありながら、温かみのない声色が恐ろしく、美しい。
○●○●○●
「っ――!?」
ガバリ、と起き上がったアイリーンは薄暗い室内を視界にはっきりと収め、無意識に零れる涙で頬を濡らした。夢を見ていた筈が夢の内容を一切覚えていない。悲しい夢、だったのは流れる涙が証拠。ベッドの近くの床には、寝袋を使って寝ているハイネがいて。そう、二週間経ってもアフィーリアは見つからず、今日だけはロゼもシェリーもどうしてもアイリーンの側にいられない為にハイネが一緒にいる事となった。ユーリはアフィーリアがいなくなってからずっと部屋に籠りっぱなしで、だがアフィーリアを求めて泣くアイリーンにユーリを気にする余裕はなく。ハイネが世話を任された。泣き疲れて眠ってしまったアイリーンと、子供とは言え同じベッドで眠れないハイネは寝袋を持って来たのだろう。
「ね……え……さま……」
ポツリと零れ落ちた声は暗闇に吸収され、消える。控え目なノックがした次に扉がそっと開かれた。
「母……さま……?」
顔を覗かせたのは母シェリー。寝ていると思ったアイリーンが起きていてシェリーは床で寝ているハイネを起こさない様静かに入室した。ベッドに座るとアイリーンの頬を撫でた。濡れている頬に、また泣いていたのだと悟る。眉を八の字に変え、でも、平常に戻す。
「アイリーン。アフィーリアが戻って来たわ」
「……!!」
シェリーから告げられたアフィーリア帰還の知らせ。声が出そうになったのを咄嗟に閉じた。寝ているハイネを起こしてしまいそうだった。
「今、謁見の間でロゼ達といるわ。ロゼのお説教が終わったら、会いに行きましょう」
読んでいただきありがとうございます!




