94話 魔王の座
うーん、と腕を伸ばし、眩しい陽光を浴びる私の後ろ。ベッドの上で片膝を立てて書類に目を通すウアリウスに何を読んでいるのと聞いてみた。ほんの数分前に起床した私とウアリウスの行動は、起きた瞬間から違っていた。
ベッドに戻り、ウアリウスの隣に座ると「ほら」と書類を見せられる。
「アフィーリア宛の釣書」
「要らないよ」
「知ってる。アフィーリアに会う気がないならお断りだと、僕も言っているのだけどね」
「あれ?これって」
一枚に目がいった私はウアリウスから書類を受け取り、書面に目を通す。釣書に書かれている人の名前がシエロ様なのは何故?正式にヴィオラ王女とは婚約解消となったのだから、これを機にエインジェル公爵を自分で説得してシエナ様を妻として迎えたらいいのに。
「それ以前に、まだシエロ様は諦めていなかったの?」
三日前、聖堂でお茶に誘われた際きっちりと告げたのに……。……後からベルベットに会ってキスをされている場面を見られ、ウアリウスが面倒だからとシエロ様の記憶を弄ってくれた。一応、ベルベットについての記憶は消えたから良いとしても、ついでに私への関心も消してくれたら良かったのにと口を尖らせる。
「仕方ないじゃないか。あの時は、末っ子がアフィーリアに接触してくれたお陰で早急に対処しないといけなくなったんだから」
「う、うん」
「ふあ……はあ。さて、そろそろちゃんと起きようか」
「うん」
頭を一撫でされ、ベッドから降りた私は自分の部屋に戻り、朝の準備を始めた。今日はどの服を着ようか選んでいる間に侍女がやって来た。服選びは一旦置いて朝一番大事な洗顔とスキンケアを終わらせた。女子高生だった時は、休日とかよくサボってたな……どうせ家に出ないからしなくて良いだろうって。アフィーリアになってからは割と真面目にしている。
次は鏡台の前に座って髪を梳かれる。
「お嬢様、本日は如何なさいますか?」
「どうしよう……ウアリウスに頼んで魔術の特訓に付き合ってもらうのもいいけど、違う事をしてみたい気もする」
髪を梳かれながらふと抱く。今はシルヴァ公爵とベルベットが滞在していて二人はどうしているかと訊ねたら既に起床済みで何なら朝食を摂っている最中だと聞かされた。朝はだらしなさが目立つ私やウアリウスと違って意外とシャキッとしてるよね……。
髪の手入れも終わり、寝間着から袖やスカート部分の裾が黒のレースがある青のドレスに着替え朝食を摂る為に食堂へ足を運んだ。室内にはシルヴァ公爵とベルベット、ちょっと前に別れたウアリウスもいて。
「おいでアフィーリア」と自分の横を示したウアリウスの言葉通りに座ると向かいはベルベットになった。
「おはよう、フィー」
「おはよう、ベルベット。シルヴァ公爵も」
「おはようアフィーリア様。ウアリウス様、もっと朝は早く起きるべきですぞ」
「うるさいなあ」
朝からお小言を貰い、スライスされカリカリに焼かれたバケットにソースを塗っていたウアリウスは嫌そうな顔をシルヴァ公爵にやる。バケットの上にベーコンと野菜を載せて半分食べ、咀嚼して飲み込むと面倒くさそうに言い放った。
「シャルル。無理して此処にいなくていいんだよ。お前の為に鍵を開けてやってもいい」
「いえいえ、私如きに動いて頂くなど滅相もありません。久しぶりに貴方とこうして同じ空間にいられるのですから、暫くはこの場に留まらせてもらいますよ」
「無理はいけない。君は一つの場に留まるのは苦手なんだから、ストレスを溜めるのは体に悪い」
「心配は無用です。アフィーリア様や貴方を見ている方が今はまだ退屈ではありませんので」
……口調は穏やかで声も優しいのに、二人揃って相手を見る目にとんでもない威圧を込めているせいで地味に空気が重い。壁に控える使用人達の顔色が悪くなっているから止めて……!ってか、いくら私達の会話を気にしないよう魔術を掛けているからって雰囲気を重くしないで!
「ねえ、フィー」
不意にベルベットに話し掛けられ、二人から意識を逸らすのに丁度良いとすぐに向いた。
「どうしたの」
「ネフィから魔界の現状を聞いてる?」
「聞いてるよ」
三日前記憶が戻ってから毎夜ネフィが夢魔の力を使って私に夢の世界で接触をしていた。再会初日は身動きを取れなくされた挙句のキスだったけど、今は夢で会った時と別れる時にされる。……拒んだ方が良いのか、駄目なのか自分でもよく分からない。
……ベルベットにしてもそう。一応、周りの目を気にしてはくれているようで誰もいない時にキスをされてついでとばかりに魔力を奪われる。淫魔の性質上仕方ないといえ、アシェリーよりも淫魔の血が薄いのに毎回人の魔力を奪うのは解せない。
「王子様達は王女様を傷付けてばかりの君に毎日怒ってばかりだって」
「知ってる」
会うと必ず話される。
「はは!頼りない王子様だね」と会話に入ったのはウアリウス。シルヴァ公爵との睨み合いを終わらせてくれたみたいだ。
「苛立っているのさ。アフィーリアに対しても、アイリーンに対しても」
「アイリーンに?」
「アイリーンを泣き止ませられるのがアフィーリアだけという事実とアフィーリアは戻らないと言っても現実を見ようとしないアイリーンにね」
「……」
再会し、無理矢理魔界に戻らせてからアイリーンはずっと部屋に籠り泣いているとネフィにも聞かされていた。母様が慰めても駄目で他の誰かが慰めても駄目。私が魔界に戻らない限りアイリーンは泣き止まない。
誰も傷付けない為の忘却だった……それが消えてしまった今、混乱は簡単には消えてくれない。
父様にしても、夢の世界でネフィが主導権を握っている限り父様の目は覚まさない。父様の代わりをリエル叔父様が熟している。
「リエル叔父様にも申し訳ない事したなあ……」
「リエルがロゼの尻拭いをするのは慣れているから心配しなくていい」
「前から思ってたけど……ウアリウスが父様とリエル叔父様と暮らしていたのは、二人が何歳くらいの時まで?」
「いいや?全然一緒に暮らしていないよ」
嘘、と私が驚くと「ホントだよ」と酸味の効いたドレッシングをサラダに掛けるウアリウスの言葉を結局ドレッシング無しでサラダを食べているシルヴァ公爵が事実だと発した。
「赤ん坊の陛下とリエル様をガルディオス殿に託した後、次に姿を見せたのがお二人が六歳くらいの時でしたかな。自分の子だと言っただけで二人を託されたガルディオス殿は、奥方と揃ってとてもてんやわんやとされていましたよ」
「ははは」
「全く……」
笑い事ではないのにウアリウスにとったらそうなる。呆れるシルヴァ公爵の深緑の瞳がベルベットに向けられた。
「陛下が眠ってしまっている今、魔王候補の選出が急務となっている」
「まさか、おれを魔王候補に入れたとか言わないよね?」
「最初はユーリ様、ハイネ様、ネフィ君、アシェリー君、ソラ君の五人だけだったが……」
それぞれ実家を継ぐ必要のあるネフィとアシェリーは断固拒否。ソラは吸血鬼一族が力を得るのを快く思わない派閥からの嫌味が煩わし過ぎて二人以上に拒否。それと母ティファリナ様の反対もある。一時期、魔族と並んで強大な権力を持っていた吸血鬼一族。古い吸血鬼達は魔王の座に就いてほしいそうだがティファリナ様が反対。理由について訊ねるとシルヴァ公爵が答えた。
「ふむ。リエル様を父に持つソラ君も強い魔力を持つ。ただ、この五人の中で圧倒的に強い魔力を持つと言えばユーリ様となる。ティファリナ様が反対するのは、強い魔力を持つ者こそが魔王になるという考えあっての事。ソラ君よりもユーリ様が強いのなら、ユーリ様が魔王になるべきだと」
「それはそうかも」
……あれ?でも……。
「ユーリの魔力は、大半を父様が封印してるって聞いたけど……父様が眠っているなら……」
もしも、父様の目を覚まさせないままユーリが魔王になってしまっても本来の魔力を封印されている状態だと、逆に魔王としては不適合なのでは?と考えてしまった。
「そんな心配をするならフィー、魔界に戻らなきゃね」
「うぐっ」
痛いところを突かれた……!
「ウアリウス様、どうです、もう一度魔王になってみる気はありませんか」
「ある訳ないだろう」
即一蹴したウアリウス。ウアリウスが始祖の魔王として君臨していたのは、前世女子高生だった私の感覚からすると有り得ないくらい前の話。今の肉体で三千年生きている程だもん……シルヴァ公爵も二千年生きてるもんね……。
「ハイネからしても魔王になるのはユーリだって思ってるからね……」
「何だったらアフィーリア。君が魔王になる?」
「へ」
いきなりすごい言葉を掛けられて間抜けな声が出た。思わずウアリウスを呆然としたまま見ていると綺麗な微笑が私に向いた。
「ロゼ譲りの強い魔力を持っているし、僕が教えた強力な魔術も使える。半分天界の姫の血を引いていると言えど、アイリーンと違ってアフィーリアは魔族の血が勝っている。恐らく、今のアフィーリアの魔力はユーリ以上。封印されている魔力を加味してもユーリより上だ。どうしてだか分かるよね?」
「う、うん」
人間界に来てから私がウアリウスに教わったのは魔術だけじゃない。母様の特別な能力である『感応増幅能力』の扱い方も教えられた。父様はこの力で元から強い魔力を更に強くさせた。なら、私にも可能だとウアリウスから叩き込まれた。
お陰で子供の頃より明らかに私の魔力は強大となった。後は、扱い方をきちんと会得すれば完璧だ。
「で、どうする?」
「ならない!だって、結局魔界に戻らないといけなくなる」
「だってさ、シャルル」
「分かってて聞くのですから貴方は……」
実際問題、誰が魔王になるかは重要だ。
「ベティは魔王になりたいか?」
「全く」
「言うと思った……」
「王子様を魔王にしたらいいじゃないか。誰も文句は言わないだろうし」
「ユーリ様で私も問題はないと思っている。周りもな。恐らく、ユーリ様本人も」
ユーリが魔王になるのがゲームでは王道ルートで、純愛・愛憎どちらのルートでも魔王になるのもユーリだけだった。
スライスされたカリカリのバケットの上に何を載せようと考えていると――ふと、何故か、急に思い出した事があった。
私の向かいに座るベルベット。ベルベットも実は攻略対象者だったのを。しかも、五人を全ルート攻略した後で選択肢が現れる隠しキャラ。分からないまま女子高生としての自分は終わったかと思っていたが、よくよく考えたら友人にネタバレされていたのを忘れていた。
――ベルベットのルートに純愛ってなかったな……
しかもハッピーエンドもない。ベルベットだけ愛憎のみでバッドエンドが三種類。プレイヤーによってはハッピーエンドだったり、メリバと思う人はいたけれど私としてはどれもバッドエンドだったな。何でベルベットを隠しキャラにしたのと公式に突っ込みを入れたくなったのも一緒に思い出した。
アシェリーとネフィが愛憎ルートのみアフィーリアを好きだったように、ベルベットもアフィーリアが好きだった。二人との違いは決してアイリーンを愛する事は無かった点。いや、二人に関しても心の底からアイリーンを愛していたかと聞かれると微妙。
結局、真にアイリーンが愛されるのはユーリの場合は両ルート、他は純愛だけ。
「……なんだかな」
「どうしたの」
心の声にしていた筈なのに、うっかりと口に出してしまっていたらしく、不思議そうに見て来るベルベットに何でもないと首を振って何も載せなかったバケットを食べた。
「決めた」
「何を?」とウアリウス。
「朝食が終わったら魔界に戻るから、一時的に鍵を開けてほしいの」
私の発言に三人の表情が固まった。
一切、魔界に帰る気のなかった私のこの発言だ。無理もない。
「どうしたの?急に」
「このまま、アイリーンに泣かれ続けたらユーリやハイネ、母様だって気が休まらない。なら、一度私が魔界に戻って改めて今後一切魔界に戻らないってアイリーンに話す」
「納得するかな?」
「……しないと思う。それでも、アイリーンに話すよ」
「折角、決意したところ悪いけれど魔界には帰せないよ」
「なんで?」
シルヴァ公爵に対しては扉の鍵を開けるとか言っていたくにせ?私となると駄目なのはどうしてと訊ねたら……。
「魔界で千年に一度の『虚』がもう間もなく訪れる」
「なんと……もうその時期でしたか……」
『虚』?初めて聞いた言葉に私やベルベットが興味を示すとウアリウスは「簡単に言うとね、魔界に住む悪魔達の力が極端に弱くなる期間を言うんだ」と話された。
魔力では私が勝っても、純粋な腕力では到底敵わない。魔界に戻っている間に『虚』の期間に入ってしまうと捕らえられてしまい、最悪魔界からの脱走を阻止するべく魔力封じを施される可能性があるとウアリウスに言われ、想像したせいで身震いが起きた。
「わ、分かった。魔界に戻るのは無し」
「うん。良い子だね」




