93話 悪魔とは我儘な生き物
むすっとした表情とジト眼でアシェリーに見られながら、父アリスから渡された貴族名簿を眺めるネフィはかれこれ二十分は同じ状態を保つ彼に溜め息を吐いた。
「アシェリー」
「……」
「会いたいなら、お前も手を考えろよ」
「他にないから八つ当たりしてるんだよ」
人間界と魔界を繋ぐ扉を施錠されてしまった今、人間界にいるアフィーリアに直接接触する手段がない。唯一、夢の世界に干渉する力を持つネフィだけが現実ではなくても接触可能。成長しても中身は一切変わっていなかったと聞かされた直後からアシェリーは拗ね、ネフィの横でマカロンを食べているソラは話に入らない。
「ソラだって会いたいでしょう」
「どっちでも」
アシェリーに問われたソラはマカロンを食べ、新しいマカロンを取った。言葉通りどちらでも良さげな態度だ。
「案外、始祖のじいさん自身が鍵を開錠するんじゃないか」
「どうして分かるの」
「始祖のじいさんにとったら、シルヴァ公爵は口うるさい相手なんだとよ。のんびり暮らしたいじいさんからしたら、口うるさい相手には早く帰ってほしいだろうって父さんが」
ソラの父は魔王の弟であり、始祖の魔王の転生者を父に持つリエル。側近のガルディオスと現在眠らされているロゼを除くと一番詳しい人となるからソラは気になって訊ねていた。(一応)自分の祖父がどんな人なのかを。
我儘で暴虐で残酷で飛び切り気紛れな魔界の王。それが始祖の魔王である。
反抗的じゃないアフィーリアなら大事にしている筈だと父リエルから聞かされ、取り敢えずは心配しなくても良いと判断した。
「紅茶味か」と自分が食べたマカロンの味に驚きつつ、間に挟まれているクリームも甘さが控え目でお気に入りに追加する。次は何味を取ろうかと大皿に載ったマカロンを吟味するソラに、貴族名簿から目を離したネフィがマカロンを一つ頼むとピンク色を渡した。
「ベリー系か」
「ラズベリーだな」
「頂くわ」
パクリと半分程食べ、咀嚼しながらまだ睨んでくるアシェリーへ呆れた眼をやった。
「どうせ、一番気に入らないのはベティが側にいる事だろう」
「……そうだよ」
抑々、記憶が戻った原因がベルベットがアフィーリアに接触したせい。後姿がアイリーンに似ているから気になっていた、というのは魔界に帰還したレオンハルトからの言葉。ベルベットではなくても、気にはした。
淫魔の特性から二人の大のお気に入りがアフィーリアなせいで側にいられるベルベットに嫉妬している。夢の世界で会えるネフィもその点については若干苛立つが仕方ないこととして諦めている。
「始祖のじいさんが扉を開錠するのを待っとけよ」
「本当に開けるのかな」
疑いを滲ませた紫水晶の瞳を向けられたソラは「さあな」と肩を竦めて、この話題を強制的に終わらせた。
アフィーリアの他に問題は起きている。魔界に戻ってから翌日になってもアイリーンは部屋で泣き続けていた。母シェリーが慰めてもアイリーンの瞳から流れる涙は止まらない。次にユーリとハイネ。記憶を取り戻したアイリーンを泣かせ、更に魔界へ戻る気が一切ないアフィーリアへ凄まじい怒りを見せていた。特にハイネの場合はユーリを傷付けられた件についても怒りを募らせた。
だが、ユーリの大怪我は始祖の魔王がしたのであってアフィーリアは関係ない。
……とレオンハルトが言い聞かせても駄目であった。
三人が現在いるのは魔王城にあるサロンの一室。三人がよく利用している部屋の扉が乱暴に開かれた。誰だと三人の目が扉に向くと入って来たのはハイネ。
大股で三人が寛ぐソファーに近付くと顔を顰めた。
「三人とも。こんな所でのんびりしているなら、アイリーンを慰めようと思わない?」
母親が慰めて駄目なものを幼馴染が慰めても無意味。恐らく、一番側にいてほしいアフィーリアではない限りアイリーンは泣き止まない。心のどこかでハイネも分かっている筈であるが認めたくないのだろう。小さく溜め息を吐いたアシェリーは大皿からチョコレート味のマカロンを手に取り、指で挟んだそれを見つめながら口にした。
「アイリーンが気になるなら、ハイネが行けばいいだろう」
「僕は何度も行ったよ。ユーリだって。でも……アイリーンはずっと姉様、姉様って泣いて僕達の声に耳を傾けてくれない」
「時間の問題だよ」
「随分冷たくなったね、アイリーンに。アフィーリアがいなくなってから特に」
鋭い棘の含んだ言葉でも三人には大して効果はない。はあ、とどうでも良さげに息を吐いたソラは気だるげにハイネを見上げる。
「退屈になったからな、アフィーリアがいなくなって」
「……なにそれ」
「一人抜きん出て面白いのがいなくなった反動。大体、アフィーリアが魔界に戻らない理由をハイネは聞いてないのかよ」
「……聞いたよ。でも、僕は信じないよ」
「何を」
「アフィーリアがユーリに執着していたのは事実じゃないか。それをドラメール公爵家の始祖がアフィーリアの体を乗っ取るせいだって言うのはおかしい」
「おかしくないだろう。アフィーリアはユーリに執着なんて全くしてないっつうの」
「嘘だね。ユーリが嫌がろうが僕が苦言を呈そうがアフィーリアはユーリの側から離れなかったじゃないか」
「あのな、ハイネ。お前が言っているのはおにばばが死ぬ前の話だろう。死んだ後、あいつがユーリの側に拘った時が一度でもあったか?」
「……」
木に登って足を滑らせて頭を打った以降、執拗に人間界へ行きたいと主張するようになったアフィーリアの行動は変わった。ソラの言うようにコーデリアが処刑されてからユーリの側に引っ付く姿をハイネも見ていない。どちらかと言うと引き籠りにさせていた。
「第一」とネフィが貴族名簿に目を通しながら言う。
「アフィーリアがユーリに引っ付いていた理由をお前は知らないのか?」
「ユーリが好きな以外ある?」
「はあ……」
知らないか、と呟き貴族名簿を閉じたネフィはコーデリアから守る為だったと話した。自分が側にいればコーデリアはユーリに暴力を振るわないと知ったアフィーリアは、嫌がられようが文句を言われようが側に居続けた。「思い出してみろ」と更に続ける。
「お前やアイリーンが来たら、アフィーリアはユーリの側から離れていただろう」
「それは……」
覚えがあり、口籠ったハイネへネフィの言葉は続く。
「本当にユーリが好きだったなら、お前やアイリーンが来ても居続ける。いなくなるって事は、ユーリの安全を確保したのを見届けたからいなくなるんだ。少なくともユーリ自身は気付いている筈だ。アフィーリアが側にいた理由をな」
最もコーデリアの暴力を受けて来たのがユーリ。ハイネ自身、思うところはあるのかこれ以上の言葉は出さなかった。
一寸の間、沈黙が降りるも破ったのはやはりハイネ。
「アイリーンを泣かせた件はどう説明するのさ」
「アイリーンに関しては、あいつも予想はしてただろうぜ」とソラ。
「言い方があるにしても、何を言ったところでアフィーリアが魔界に戻る気がない以上、アイリーンが泣くのは防げなかっただろうぜ。元々アイリーンは泣き虫なんだ、アフィーリアだって泣かれる覚悟くらいあっただろうよ」
「……だとしても、アフィーリアがアイリーンやユーリを傷付けた事実は変わらない。僕が許せないのはそこだよ」
自分の意思だけを重きに置いて他人を顧みない様は、ユーリとハイネの母コーデリアと同じ。気付かない間に精神を乗っ取られているんだとハイネが嗤うとテーブルに貴族名簿が叩き付けられた。大きな音を発生させたネフィはいい加減にしろと立ち上がってハイネの前に立った。
「ユーリやアイリーンが大事なのは解るがいい加減にしろ。自分勝手の何が悪い。俺達は悪魔、それも魔族の血が流れる生粋の悪魔なんだ。甘ったるい関係が好きならアフィーリアの件にお前は一切関わるな」
「なっ」
「俺はアフィーリアの味方をする。何時体を乗っ取られて自我を消えるのを怯えて魔界で暮らすより、可能性が低くなる人間界で暮らす方が余程安全だからな」
「アフィーリアに会いたくて泣いてるアイリーンやアフィーリアを心配しているシェリー様や他の人達の気持ちは無視するの?」
「その為の記憶の忘却だったんだ。ベティが接触して無駄に終わったけど」
「記憶が戻る可能性を考慮しなかったアフィーリアのミスだ」
「あるかもな」
「やるなら、徹底的にやれば良かったんだ。アフィーリアはやっぱり自分勝手過ぎる」
「それが魔族だ。何が悪いか俺にはさっぱり分かんねえよ」
平行線が続く言い合いから先に離脱したのはネフィ。貴族名簿を浮かせ、手元に納めるとハイネの隣を過ぎてサロンを出て行った。立ち尽くすハイネを視界から外し、大皿に載った最後のマカロンを手に取ったソラも立ち上がった。
「俺もネフィに同感」
「ソラっ」
「お前やアイリーン、ユーリは大事にされ過ぎたんだ。それが悪いか良いかどうかは俺には判断つかねえけど」
子供の頃から社交界に出されず、魔王城の中で大切に育てられたが故の甘さと無知さが成人を迎えて目立ち始めた。魔王城に通わなくなっても社交界には出ていた三人は自分達と周りの違いをよく知っていた。
知っていたからこそ、ずっとあのまま微温湯に浸っていたらハイネ達三人と同じ感覚を持ってしまっていた。
最後のマカロンを食べながらソラもサロンを出て行き、最後に残ったアシェリーも釣られて立ち上がった。縋るように見つめてくるエメラルドグリーンの瞳に微かな苛立ちを含んだ紫水晶の瞳をぶつけて。
「アシェリーはアフィーリアを気に入っていただろう?」
「だから何?僕もネフィに同感なんだけど。悪魔が身勝手で我儘なのは当たり前の話。気にするハイネが変だよ」
「……」
「僕が苛立っているのは、アフィーリアの側にベルベットがいるから。……先に気に入ったのは僕なのに」
ベルベットに出発前一緒に人間界へ行かないかと誘われていたものの、興味がなく気分も向かなかった為同行しなかった。今は一緒に行けば良かったととても後悔しており、人間界へ行く方法が封じられてしまったせいで苛立ちばかり増す。アシェリーもサロンを去ってしまい、一人残されたハイネは悔し気に唇を噛み締めた。
「家族を心配して何がいけないんだ……っ」
ユーリもアイリーンもハイネにとって大事な家族であり、二人を傷付けたアフィーリア許せないのは当然の気持ちなのに、あの三人は解ってくれない。
悔しさと言い様のない寂しさを感じるハイネであった。
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