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電子レンジで温めた冷凍食品のたこ焼きを、箸で口の中に運ぶ。
普通に食べるには温め過ぎたかと思う程に熱々で、噛むと口の中をトロみのある生地が熱と共に蹂躙して行くが、そこに冷えた缶チューハイを流し込む。
口腔内の粘膜にとってはまるで虐めの様な行為だろうが、これが心地良くて旨い。
「カーッ、美味いな。安物をガッと行くのは、高いもんをチマチマやるのとは、また違った満足感、美味さがあるよな」
一気に飲み干して空になったアルミ缶をクシャリと握り潰し、次の缶チューハイに手を伸ばすゴリラ、もとい熊にも似た巨漢の男は、私の友人の一人である陸路・五郎。
年齢は三十二歳で私より四つ上の、国家公務員試験一種に合格した、所謂キャリア組と呼ばれるエリートだ。
たこ焼きを一気に三つも口に放り込むゴリラではあるけれど。
まあ五郎は、見た目以上に優れた知能と、見た目通りの戦闘力を併せ持つ、文武両道の超人だった。
生まれて来る時代が違えば、多分歴史に名を残す武将か何かになれたんじゃないだろうかと、私は常々思ってる。
ただその場合は、私と彼が友人になれる様な出会いをしたかどうかはわからないので、この時代に生まれてくれて良かったとも思う。
さて二十八歳無職で暇な私と違い、何かと忙しい筈の五郎が何故我が家で安酒を飲んでいるのかと言えば、彼が以前に私が巻き込まれた事件の話を聞きたがったからだ。
私の中ではすでに終わった話だけれど、偽警察官の件で助けを求められた五郎からすれば、詳細を知らぬままに終わらせる訳にも行かないのだろう。
尤も彼は別段頭の固い人物ではないので、融通も利かせてくれるし、それが終わった話である事も承知の上だった。
でなければ酒を飲みながらの話になんてなろう筈がない。
流石に拉致された下りを説明する時は少し五郎の目が険しくなったが、それでも彼は話に口を挟まなかった。
私も彼もそれなりに良い歳をした男であるので、覚悟と勝算を持って望んだ行動に対し、互いに後から口出しする様な真似はしない。
何せ他人の為に無茶をする頻度に関して言えば、私よりも五郎の方が圧倒的に多いだろう。
勿論職業柄もあるだろうけれど、何より五郎の性分がそうさせる。
それに関して私は、心配はすれど決して止めないし、寧ろ応援する立場を取る事が殆どだった。
だから今回の件にも五郎からの口出しはないのが、私と彼のお互い様なのだ。
「しかし巳善の奴は相変わらずか」
そう呟いて、五郎はガサリと纏めてたこ焼きを浚い、えらく豪快に口に運ぶ。
五十個入りの冷凍たこ焼きだったのだが、彼の食欲を相手するには荷が重すぎたらしい。
実に燃費の悪いゴリラである。
別段私は腹が空いてると言う訳でも無し、たこ焼きは五郎一人で平らげてくれても良いのだが、自己主張の強いアテがあったから缶チューハイを飲んでいただけなので、無くなるなら別の酒を取って来なければならないだろう。
私は缶の中身を飲み干し、席を立つ。
冷蔵庫には漬物が、備蓄の菓子類の中には少し良いチョコレートがあった筈。
ならまぁ、偶にはウィスキーでも飲もうか。
チョコレートはタテリが遊びに来た時にでも開ける心算だったが、彼女の好みはどちらかと言えば和菓子だ。
また別の何かを仕入れよう。
さて私が時折巻き込まれる騒動を通じて五郎は巳善を知っているが、二人の相性は決して良いとは言えない物である。
五郎は善性で、尚且つそれなりに融通も利くタイプだが、それでも秩序の維持が人の為になると考え、警察組織に身を置く人間だった。
決して悪性の人間ではなく、多くの人の手助けにもなってる巳善だが、法を気にも留めずに好き勝手に動く奴の事を、五郎が良く思えないのは仕方がない話だろう。
私は巳善と五郎の丁度間に立つ様な人間だが、別に橋渡しをする気は持っちゃいない。
奴も彼も貴重な友人である事に変わりはなく、私はそれで充分に満足なのだ。
グラス一つを持って床下収納に降りた私は、目当てのウィスキーを見付ける。
封を開けたウィスキーをグラスに注ぎ、それを床に置いて私は上に戻った。
氷もなしのストレートだが、多分問題はないだろう。
何だかお供え物をしてる気分だけれども。
それから大分と飲み、お互いに顔が赤らんで来た頃、不意に五郎の表情が真剣な物となった。
どうやら漸く用件を話す気になったらしい。
「仁木、頼みがある」
本人も、あまり気乗りしない頼みなのだろう。
その心算で訪れた癖に、迷いに迷った挙句に酒が回り切らなければ話せないのだから、五郎は見た目とは裏腹に繊細な人間だ。
五郎の頼みならば、それが何であれ私が断る事は多分ない。
でもそれは五郎が自分の口で私に頼んだらの話である。
私が勝手に察して動く事はないし、話を促したりもしないのだ。
彼が迷い、考え、その末にそれでも私に頼むと言うならば、断らないと言うだけの話。
黙って頷き、彼の言葉の続きを待つ。
「ここへ行ってお前の目で見て、不審な事があれば教えてくれ」
そう言って差し出されたのは、どこぞの芸術家の個展、展覧会のチケットだった。
あぁ、成る程。
そりゃあさぞかし言い出し難かっただろう。
芸術とは、人の想念が形を成した物だ。
人の想いはどんな物であってもやがて薄れて霧散する。
愛でも怒りでも憎しみでも、その時抱いた想念は、永遠の物では決してない。
失恋の痛みを、愛する人の離別を、激しい恨み辛みを、時がやがて癒す様に、想念とは薄れ行く物だった。
怒りであっても哀しみであっても愛情であっても、抱き続けるにはエネルギーが必要だ。
それ等を持続させるには、燃やし続ける為の燃料を注がなければならないだろう。
本当に虚無な人間は、何の想念も抱かない。
けれども何事にも例外はある。
食したカレーは消え去るが、服に付いたカレーの染みが健気に何時までも残る様に、本来なら薄れ行く想念もまた、消えずに残り続ける事があった。
例えば周囲にも影響を与える、濃過ぎる想念を抱く者。
私はそれを怪物と呼ぶが、彼等の抱く想念は底なし沼の如く、深く重く澱んで頑なだ。
次に死した者が残した想念も、散らずに残って風化を待つ。
そして芸術家には、時折そんな怪物が出現し、己の想念を作品に塗りこめる事で風化させずに残す場合があった。
また作品自体が、それを見た者の発する想念を取り込んで成長する事すらある。
だから私は、基本的には芸術の類は大嫌いだ。
仮にこの話を頼んで来たのが巳善だったなら、私は即座に断っていただろう。
奴の場合は断った所で何だかんだと引き受けさせられる事も多いが、それ程に気乗りのしない頼みである。
だがそれを頼んで来たのが五郎であるなら、話は全く別だった。
別に巳善と五郎を比べてどちらが上とか言う話ではなく、五郎の頼みは私に断られればそれ解決する術がない場合が殆どだから。
故に五郎がわざわざ頼んで来ると言う事は、その個展にはほぼ間違いなく何かがあるのだろう。
先入観を持たれたくないのか、それを五郎は話さないが、確信はしてる筈。
動くのも面倒臭いし、嫌な物を見る事にはなるのだろうけれど、私は差し出されたチケットを受け取り、一つ頷く。