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「随分と、お時間が掛からレた様でスが、どうさレました?」
門の横の勝手口を空けた私に、探る様に男の片割れが問う。
勿論タテリを隠していたから遅くなったのだが、素直に言おう筈がない。
故に私は、我が家には地元の警察はアポイントメントを取ってから訪れるので、おかしいと思って連絡を取った。
もう直ぐ顔見知りの警官達が確認に来るので、それまで少し一緒に待ってて欲しいと丁寧に説明をする。
当たり前だが、これは脅しだ。
相手の正体は察しが付いているのだから、警察に来られては困るだろう事位はわかってる。
もっとも別に嘘は吐いてない。
アポイントメントを取ってから来るのは本当だし、連絡したのも事実だ。
顔見知りの警察官も、まあ本当にそのうち来るだろう。
ただ私は、これを聞いた相手の反応を確認したかったのだ。
相手がどこまで確信を持って我が家へやって来たのかを推察する為に。
可能性を持って探りを入れに来たのか、或いは確信を持って探しに来たのか、その程度で相手の反応は変わるだろう。
私が警察と繋がりがある事に、厄介な相手だと考えて一時的であれ引いてくれるようならば対応は楽だ。
先程連絡した警察の友人にインターフォンの映像記録を提出し、偽物の警察官がやって来た事を理由にして、本物の警察官に暫く巡回して貰う。
そうやって相手が手を出し難い状況を作ってから、早急に巳善を呼び出して、タテリを別の安全な場所に移して貰うのがベターである。
だが相手の反応は、私が思う以上にずっと性急で雑な物だった。
「動くナ。オイ、連レて行くゾ」
私に向けられたのは、黒く光る筒状の射撃武器。
そう、拳銃だ。
思わず硬直した私を、もう一人の男が捕まえる。
彼等は理解の出来ぬ言葉、長沙語か上海語か広東語かは知らないが、恐らく中国の言葉で何やら話し合いをした後、私を近くに停めてあった車に引き摺って行く。
多分だが、『おい、家の中を調べるんじゃないのか?』『馬鹿、警察が来るって言ってただろう』『じゃあ取り敢えずコイツのガラを抑えて退くか』みたいな会話をしたんだろう。
まぁ家に踏み込まれた所でタテリが見付かる可能性は極々低いが、我が家を荒らされるのは気分が悪いので、彼等の判断は割と有り難い。
車に押し込まれ、目隠しと猿轡を噛まされて、そこで車が動き出す。
私にはマフィアをやってる様な連中を素手で制圧する実力はないので、拘束されようがされまいが大して変わらないのだが、これも様式美と言う奴だろうか。
さてこの先どうなるかは未だわからないが、でもそれでも恐らく何とかなる筈だ。
私は大した人間ではないが、それでも恵まれた人間だった。
ご先祖様が残してくれた資産のみならず、数は少ないが友人にも恵まれているし、荒芽の爺様や麻紀を始めとした支えてくれる人にも恵まれている。
そしてその他にも、勘と運にも恵まれているのだ。
その勘が今の状況は確かに危機ではあるが、何とかならない程ではないと教えてくれる。
だから私は、無駄に体力を消耗しない為にも、抵抗はせずにじっと動かずその時を待つ。
やがて車が動きを止め、私は二人掛かりで抱えられて車外へと運び出さて行く。
鼻腔に香る潮の匂い。
車で運ばれていた時間、一時間四十分程から移動距離を推察すれば、何となくだが今居る場所が掴めた。
恐らくは県内の、海沿いにある倉庫街。
背を柱に押し付けて縛り付けられてから、目隠しと猿轡が取り外される。
あぁ、実に、実にそれらしい場所だった。
中華マフィアの連中が使用してる倉庫の一つであろうこの場所には、苦痛と恐怖に染まった負色の想念、邪気がそこら中に漂っている。
以前にも述べた通り、生きた人間の発する邪気は長持ちせず、この様に場に残らずに比較的早くに発散するから、つまりこれ等は死した人間の物なのだ。
もっと簡単に具体的に言えば、中華マフィアの連中に始末された者達の遺した邪気だろう。
「オイ、童は、座敷童はどこに居ル」
そしてそんな禍々しい場所で、彼等の発した言葉は、実に間の抜けた物だった。
……は?
思わずぽかんとしてしまう。
座敷童? 遠野物語の?
何を言って居るのだろうか。
確かに我が家にはややこしい言い伝えのある祠があるが、アレが祀るのは座敷童なんて可愛らしい代物じゃない。
「恍けるナ! 私ノ卜占で、御前の家ニ座敷童が逃げ込ンだのは知っていル!」
私の呆けた表情が気に食わなかったのか、目の前の男はガツっと私の顔を殴り付けた。
うぅむ、いやいや、痛い。
殴られるのとか、随分とまぁ久しぶりだ。
でも単なる痛みではそう簡単に死にはしない事は、荒芽の爺様に樹家の跡取りならば武芸も必要とか言われて扱かれた時に知っている。
尤もやる気のない私にはその必要な武芸とやらは身に付かなかったが、痛みは痛いだけで怖い訳じゃないと頭が理解出来る程度には扱かれた。
しかしそれにしても、座敷童の次は卜占か。
いよいよオカルト染みて来た。
逃げ込んだと言う対象は、私に心当たりは一つしかない。
巳善の奴が持ち込んだ案件なのだから、そう言う事もあるだろう。
否、でも、床下収納を閉める時の、涙を浮かべたタテリの顔を思い出す。
ああ、うん、知らないな。
私は座敷童なんて知らない。
あの子は、タテリは、私の家にやって来た単なる子供だった。
座敷童なんて良くわからない存在じゃなく、大人の私が守ってやるべき子供なのだ。
ふっ、と鼻で笑ってやれば、激高した男は二発、三発と私を殴る。
やはり痛い。
そろそろやり返しても正当防衛だと言い張れる位には、私はダメージを受けたと思う。
だから私は、それを見た。
じぃっと、じぃっと、それを見た。
この倉庫内に居るのは、私を連れて来た二人の偽警察官と、私の卜占とか言ってた、占い師?が一人。
でも私が見詰めたのは彼等じゃなくて、そこ等に漂う邪気である。
さて、聞いた事はないだろうか?
これまたオカルトな話になって申し訳ないが、幽霊は見てしまったら付いて来るなんて言葉を。
負色の想念、邪気はそこ等を漂うだけで人の精神に悪い影響を与えるが、見てしまい、認識してしまった者には近づき、より強い影響を与えようとする性質があった。
私の様に見えたとしても、視線を逸らし、意識を逸らせば近付いて来る事はないけれど、逆に今の様に思い切り凝視してやれば意図的に引き寄せる事も可能なのだ。
そして今の私は、倉庫内にある全ての邪気を同時に認識し、私の元へと引き寄せている。
集まった邪気同士も惹かれ合い、くっつき、より大きく、より濃い邪気へと成長して行く。
するとどうなるかと言えば、
「ぁん?」
私を更に殴り付けようとしていた男が、多分占い師だけあって勘が鋭いのだろうが、何かを感じた様に私の視線の先を追う。
あぁ、そうそう、どうなるのかと言えば、私の様に元から見える者でなくとも、それが見える様になってしまうのだ。
「はっ、ひっ!? ぎゃああああああああっ!!!!???」
そのタイミングで私が目を閉じ、意識の外に邪気の存在を追い出せば、邪気はあっと言う間に私から占い師へと引き寄せられて、彼を中へと取り込む。
「――――」
他の二人の男、偽警察官が突如叫び出した占い師に驚いて何事かと声を掛け、注視してしまったが為にやはりそれを見たのだろう。
言葉が理解出来ぬ故、何を言ってるのかはわからなかったが、その直後に叫び声を上げたのは確かに聞こえた。
六根清浄、六根清浄、聞こえない聞こえない。
寿限無寿限無、五劫の擦り切れ、あぁ、関係ないけどキンピラ牛蒡が食べたい。
海砂利水魚の、アサリの味噌汁に魚の煮付けも悪くない。
パンパンと銃声らしきものが聞こえた気がした。
……いやええと、続きは何だったかな、取り敢えず、見えない聞こえない言わない。
うっきー。