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私がタテリを預かってから一ヶ月と少しが経ち、引き篭もり生活はあまり変化なく続いているが、彼女自身には多少の変化があった。
先ず最も大きな変化は外見の変化だろう。
真っ白だったタテリの髪が、ある日を境に根元から少しずつ黒くなって行ったのだ。
勿論染めた訳ではない。
黒と白の境目がはっきりとわかる状態は、外を出歩けばさぞや奇異に映って目立つだろうが、私もタテリも立派な引き篭もりなので特に問題は起きなかった。
つい先日、漸く毛先近くまで黒に染まったので、残った白い毛先を切って揃えてやった所である。
タテリは黒になった自分の髪を見、とても嬉しそうに笑みを湛えていたので、恐らく元々は黒髪だったのだろう。
人は何らかの理由、強いショックや激しい衰弱等で髪の色が抜ける事があるらしい。
それが戻って来たのなら、今の環境は彼女にとってベストではなくても、決して悪い物ではないようだ。
後は追手さえ何とかなれば、麻紀にタテリを外に連れ出して貰っても、然程悪目立ちはしない筈である。
他にも変化は多少あり、まぁ些細な話だが、タテリが私との生活に大分馴染んだ事もその一つだった。
例えばだが、食事の用意は概ね私、時折麻紀がしてくれるが、お茶はタテリが入れてくれる様になったのだ。
私もタテリも、特に口数が多い方ではないが、特に何も言わずとも、欲しいなと思った瞬間には自然にお茶を出してくれる。
勿論その生活に馴染んだのはこちらも同様で、私は彼女の食の好みを理解した。
出された物は文句も言わずに食べるタテリだが、けれども和食、特に椎茸の煮物を口にする時は目の輝きが若干違う。
椎茸なんぞ嫌う子供の方が多かろうに、実に渋めの好みだが、好物を把握しておく事は共同生活を円満に送る上で割と役立つ。
別に顔色を伺う訳ではないが、ホラーゲームに手を出して怯えてしまったタテリの気を紛らわせる手段は、私には好物を食わせてやる位しか思いつかない。
けれども、そう、馴染み、慣れた時にこそ、穏やかなそれを壊す者はやって来る。
ある日、私の家の中にプルルルルと電子音、門に備え付けたインターフォンを誰かが鳴らす音が響いた。
麻紀や荒芽の爺様以外、余り訪ねて来る者の居ない家に、一体誰がやって来たのか。
受話器に手を伸ばした瞬間、僅かに嫌な予感を感じ取ったが、だが出ない方がより事態が深刻になるとも同時に感じ取ったので、私は受話器を耳に当ててどこの誰かを窺う。
「警察の方の者でスが、少しお話を伺エませンか」
インターフォンのカメラに向かい、黒い手帳の様な物をチラと見せる二人組の男。
あぁ、完全にアウトだ。
地元の警察は、基本的にアポイントメントを取ってからでなければこの樹の家を訪ねては来ない。
そしてそれは、大体の場合は荒芽の爺様を通して行われる。
だから彼等は決して警察ではありえなかった。
それに何より、その男の声を聞いた途端に、私は隠し切れない悪意を感じて、チリチリと首筋のひりつきを覚えたから。
この男達はタテリを追って来た連中で間違いないだろう。
随分と流暢ではあったが、ほんの僅かにイントネーションが可笑しかった辺りから考えて、中華マフィアの方だろうか。
私は二人組に直ぐに出ると伝え、受話器を置く。
さて、ここからは時間との勝負だ。
不安げにこちらを見詰めるタテリに対し、私は膝を曲げて視線を合わせると、彼女を抱き上げる。
勿論抱きかかえたまま逃げる訳じゃない。
ましてや追手に彼女を差し出そう筈がない。
私がタテリを隠すのは、あると知らねばそう簡単には見付けられぬ、我が家自慢の無駄に凝った広い床下収納。
意図を察したのか、タテリは心配げに私の服の袖を掴む。
しかし私は面倒くさがりで、尚且つ今は時間もないので、彼女の心境を慮る余裕はなかった。
私はタテリを床下に下ろすと、滅多に使わぬスマートフォンを手に取って、大急ぎで二人の人物にメッセージを打つ。
一人は麻紀で、『タテリ、床下収納。爺様連れて迎えに来て欲しい』と送る。
荒芽の者達は、我が家の床下収納を知っているから、きっとタテリを出してくれるだろう。
そして爺様なら、ヤクザやマフィアの五人や十人は殴り倒せる筈だから、私が不在の間もタテリを守ってくれる筈。
もう一人は巳善とも、もう一人の士業を営む友人とも違う、私の数少ない友人の最後の一人。
警察をやっている友人宛だった。
興味はないから詳しい役職は知らないが、それなりに出世もしてるらしいその友人に『偽物警察官二名、家に来た。助け求む』と送っておく。
まあこちらは保険の様な物だが、念の為だ。
あまり大事にはしたくないが、どうしようもなくなった場合、彼の力が必要だろう。
不要なら不要で、謝罪と酒の一本も贈れば、彼は笑いながら許してくれる。
メッセージを送り終えた私はスマートフォンを床下のタテリに渡す。
私が持っていれば、奪われて麻紀へのメッセージを見られ、タテリの居所が知られてしまう。
家の中に置いておいても、踏み込まれたなら同様だ。
故にスマートフォンはタテリと一緒に隠さざるを得ない。
ともあれすべての準備は整っ……、否、後一つ残っていた。
収納を閉じようと蓋に手を掛ければ、目の合った、スマートフォンを握り締めたタテリの瞳には、大粒の涙が浮かんでる。
私は、少し困ってしまう。
こういう時に何と言えば良いのかを、自他ともに認めるだろう社会不適合者の私には、全く相応も付かないから。
でも一つだけ、伝えておきたいと思う事はあった。
「タテリ、大丈夫だよ。私は大人だからね」
そう、私は大人なのだ。
気力の足りない、面倒臭がりな、無職の引き篭もり気質……、どころかここ最近は立派に家から一歩も出ない本当の引き篭もりだったが、それでも子供を守ろうと思う程度には大人なのだ。
だから大丈夫。
大人が、彼女の様な子供を追いかけ回すクズばかりだと、怖い存在ばかりだと思って欲しくはなかった。
笑みを浮かべてそれだけを伝えると、私はタテリの居る、床下収納の蓋を閉じる。