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「ん」
以前にも読んだ本の、五周目に突入した私の袖がクイクイと引かれ、差し出されたのは据え置き型家庭用ゲーム機のコントローラー。
どうやらタテリには、本を読む私の姿がつまらなそうに見えたらしい。
まあ確かに、既に五周目ともなればもう既にこの本の文章は私自身の中にあり、それを思い起こさせる為に読んでいる様な物である。
既知の文であるが故、驚きもなく淡々と読み進める姿は、子供から見ればつまらなそうに見えたのだろう。
でも実際には、歩み慣れた道の散歩が詰まらない物ではない様に、既知の文を読むのもそれはそれで良い物なのだ。
しかしそれを子供に理解しろ等と言う心算は、私には毛頭ない。
いずれにせよ、長時間は兎も角、少しの間ならゲームで遊ぶのも悪くはないだろう。
一人でアクションゲームをプレイするのは気力が必要だが、誰かに乞われて遊ぶのなら、それはそれですんなりと遊べて悪くない物である。
タテリが我が家にやって来てから、二週間と少しが経過した。
彼女が私に懐いたかどうかは、外から客観的に見れない私には少し難しいが、時折こうして遊びに誘いに来る程度には、距離は縮まった様にも思う。
私はタテリを預かってからの二週間、一歩も家の敷地から外には出ていない。
勿論タテリも同様だった。
決して狭い家ではないのだが、一つ所に閉じこもったままなのは、小さな子供にはそれなりに辛いだろう。
だがそうせざるを得ない理由があり、だからこそ巳善は彼女を保護する場所としてこの家を選んだのだ。
今現在、この日本には、タテリを追う組織が二つある。
一つは暴力団、つまりはヤクザで、もう一つは中華系の、所謂エイリアンマフィアと言う奴らしい。
この二つの組織に血眼になって探されている為、安易に外を出歩けないのが今の彼女の現状だそうだ。
勿論二つの大きな組織が一つの物を求めている為、両者は大いに揉めていると言う話だった。
こんな子供を追いかけ回す組織なんて、潰し合って早々に消えてくれれば良いのにと、私は思う。
ともあれ、私とタテリの生活は思った以上に上手く行っている。
そしてその最も大きな要因は、タテリの性格だった。
彼女はそう、割と無口なので、共に生活していても煩わしさをあまり感じないのだ。
更に先程の様なゲームに付き合えとの要求もそうだが、丁度私が何らかの作業に飽き始めた時に行われるので、邪魔に感じる事が一切ない。
寧ろ良い気分転換にすらなっていた。
十かそこらの少女がそんな処世術を身に付けているなんて、当人の素質は勿論あるだろうが、一体これまでどんな生活を送っていたのだろうか。
流石に察しが悪いと言われる私でも、少し心配になってしまう。
でも仮にそれを正すとしても、きっとそれは別の誰かの役目である。
今の環境で、無理に矯正する事じゃ無い。
恐らく今、私が無理にもっと子供らしくして良いだの何だの言った所で、単にタテリを不安にさせるだけだ。
もっと彼女が、彼女に愛情を持って正しく見守ってくれる大人に囲まれから、ゆっくりと子供らしさを取り戻せば良いだろう。
そんな相手が見つかるまでは、ここを宿に使えば良い。
他にも一切外に出ずとも生活が上手く行く理由としては、食料やタテリの衣類等を買いに出てくれる外部協力者の存在が大きかった。
巳善から話を聞いた自治会長、荒芽の爺様が、孫の麻紀に私達への協力を頼んでくれたのだ。
荒芽・麻紀、二十四歳。
都会の大学を卒業後、こちらに戻って家業の商売を手伝っている、まあ才媛って言葉がぴったりと来る眼鏡の似合う綺麗な女性である。
彼女が買い物の類を一手に引き受けてくれているから、私とタテリは何の憂いもなくこの家で籠城、或いは陰伏をしていられた。
全く何時もの事ではあるけれど、荒芽の家の人々には頭が上がらない。
麻紀はタテリを一目見た時から気に入り、町を連れ歩きたいと思ってるらしいが、それは巳善が状況を変えるまではお預けだ。
「ヨシキ、下手くそ」
協力プレイ用に二分割されていた画面が、私のキャラクターがリタイヤした事によって、一人プレイ時と同じ全画面に切り替わる。
随分と久しぶりにプレイしたアクションゲームは、思った以上に難しかった。
いやまぁ、元々購入してからこのゲームを遊んだ記憶はそんなにないが。
けれども下手くそと私に文句を言いながらも、タテリの唇は僅かに綻んでいて、彼女が楽しんでいる事が良くわかる。
このゲームは片方がリタイヤしても、もう一人が現在のステージをクリアしさえすれば、次からはまた二人でプレイする事が出来るのだ。
故に私はタテリに、復帰出来るかどうかはタテリ次第だと伝えると、
「ん!」
彼女は目を輝かせて頷き、コントローラーを握る手に力を込めた。
……まぁ私のリタイアは割と最悪なタイミングだったので、多分あそこからの立て直しは無理だろうが、張り切るタテリは年相応っぽく見えて可愛らしいと思う。
さて彼女がゲームに心惹かれて居る間に、私は新聞を広げて目を通す。
例えタテリが次のステージに辿り着けたとしても、私の出番は未だ少し先だ。
情報を得る手段には事欠かない現代社会だが、新聞と言うのはそれなりに有効な情報収集の手段の一つだろう。
決して全てを正直に語る訳ではないし、それが恣意的であるかどうかは別にして、時には嘘だって混じる。
しかしそれはテレビであろうがインターネットであろうが、はたまた別の手段、情報屋を雇おうが同じなので、結局は自分が情報を取捨選択して真実を見極める、或いは真実だと思う内容を信じる事が大切だ。
そして今、私が新聞記事の中で注目したのは、隣の県で起きた暴力団員の殺害事件。
そう、タテリを追う組織の片割れである強戸組のメンバーで、恐らくは殺した側もタテリの行方を追う中華マフィアだ。
隣の県。
それを近いと感じるか遠いと感じるかは、実に微妙な所である。
現場へは車を使っても二時間以上かかる場所だから、タテリの足跡が特定されたと考えるにはまだ早かった。
そもそも自治会長である荒芽の爺様が箝口令を敷けば、外に情報を漏らす人間はこの周囲には住んでいない。
何と言うか、この周囲はそう言う場所なのだ。
けれど全く見当違いの場所を探してると言う訳でもなさそうである。
勿論日本全国で二つの組織はタテリを追っているのだろうが、その中で殺人事件が起きたのは隣の県。
どうにも引っ掛かりを覚える近さであった。
だが表の目を隠し切れない死者が出た以上、警察だって動くだろう。
実は私は警察にも友人が居るが、彼に協力を求めた方が良いのかと少し悩む。
果たして今の状況は、巳善の想定通りに進んでいるのだろうか?
警察が動き出せば、ヤクザも中華マフィアもやり難くはなるだろうから、素人である私には状況は良くなった風に思える。
でも何故か、そう、全く根拠はないのだけれど、何故か嫌な予感がするのだ。
「あっ」
けれどもその時、小さな悲鳴と共に、悔しさを煽るBGMが流れて、私は思考を中断させられた。
どうやら私の予想通り、崩れた状況の立て直しは難しかったらしい。
こちらを振り返ったタテリは私の様子をジッと見てから、おずおずと上目遣いで、再びコントローラーを差し出す。
勿論私は頷いて、差し出されたそれを受け取った。
私はやる気には程遠い人間だが、それでも子供の些細な頼みを無下にするなんて真似は出来やしない。
そうして再び始まる協力プレイに、先程感じた予感の事は、すっかりと忘れてしまっていた。