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それから私がしたのは二つ。
一つはそれが解決するまでの間、楽斗を家に泊めてやる事。
もう一つは、それでも仕事に行かなきゃいけないアイツが、仕事から戻ってきてから、例の配信を一緒に視聴する事だった。
それだけでいいのかと思われるかもしれないが、それだけで十分で、また私にはそれくらいしかできない。
巳善が言うところの怪異、私が負色の想念だと認識するそれを、インターネットの奥から引っ張り出す方法は、単純にそれを見る事なのだ。
オカルトな話になってしまうけれど、幽霊を見てしまうと憑いて来るなんて言葉を聞いた事はないだろうか?
負色の想念、より強い言い方をするなら邪気は、そこらを漂うだけでも人に悪影響を及ぼすが、見て、認識してしまった者には近付いて、より強い影響を与えようとする性質がある。
今回の配信にへばり付いている負色の想念は、小牧恵里香が名乗っていた、或いは演じていたマネキ・ネコという存在になり切る事で、視聴者に半ば認識されているという状態にあった。
多くの方向に引っ張られている為、逆にそこに留まっているという、妙なバランスが保たれているんだけれども、けれども彼らが認識するのは、やはりあくまでもマネキ・ネコであって、負色の想念そのものじゃない。
もしも何かの拍子に共感性が高まって、負色の想念を見てしまう者が出れば、その時は保たれていたバランスが崩れ、そう、犠牲者が出る事になるだろう。
あぁ、話が少しそれたが、私には、共感性がなくとも、負色の想念そのものが見える。
楽斗や他の視聴者にとっては確かな現実であるマネキ・ネコも、私にとっては単なる虚構で、そこに描かれた絵に過ぎない。
故に私は、配信という形に共感せず、惑わされず、ただ負色の想念だけを見て、それをこちら側に引っ張り出す事ができた。
マネキ・ネコの配信は、何時も夜の九時から十一時までの二時間。
私は、時折同意を求めて来る楽斗に相槌を打ちながら、流れてくる声を聴き流し、画面をじっと見つめる。
なんというか、絵付きのラジオのようなものだなぁとも思う。
害がなければ、放っておいてもよかったのだが、……残念ながらそうもいかない。
画面にへばり付いた負色の想念は、……確かに飢えのような色を纏ってて、それに影響を受けたのか、楽斗も何だか見てると腹が減るなんて風に言い出す。
一日目は、それでも何事もなく配信は終わった。
けれども二日目は、もう明らかに、負色の想念はこちらの視線に反応していて、私はちょっとうんざりとする。
いや、引っ張り出すのが目的だから、それはそれでいいんだろうけれど、普段は見ないように避けてるものを直視して、自分の側に引き寄せるって行為は、思いのほか、私の心を削るのだろう。
もしも一人だったら、とてもじゃないがやってられはしなかった。
二日目の配信が終わる頃には、楽斗もそれに気付いたようで、すっかり口を開かなくなって、緊張の面持ちで、私と同じく画面を見つめてる。
もしかするともう、ここで私が目を閉じても、楽斗の視線だけで釣りあげられるんじゃないかってくらいに。
『あー、もうこんな時間だね。今日はここまでにしよっか。また明日もこの時間に、皆を待ってるよ。それじゃあ、おやすみなさい』
それでも、配信が終わる瞬間まで、引っ張り切れずにそこに留まったのは、配信を行う者の意地、本能のようなものがあったのかもしれない。
……負色の想念にそんなものがあるのかは謎なんだけれど、核になっているのが小牧恵里香の心残りなら、やり遂げたいって思いは、やっぱりあったと思いたかった。
あぁ、もう、私も楽斗に変な影響を受け始めてしまってる。
まぁ、いいか。
マネキ・ネコはまた明日といったけれど、もう二度と、その配信が行われる事はない。
巳善は三日と掛からないと言ったが、本当に二日目で引っ張れた。
カタ……、とテーブルに置いていた楽斗のスマートフォンが揺れる。
カタカタと、その揺れが大きくなって、どろりと画面から、負色の想念が溢れ出す。
けれどもその溢れ出した負色の想念は私に襲い掛かってくる前に、ぴたりとその動きを止めた。
何故なら、楽斗のスマートフォンを囲むように、四つの器が置かれているから。
いや、実際にはあの器は、私の家にあった適当な代物だから、器が重要なんじゃなくて、負色の想念の動きを止めたのは、その中身である。
あの器の中に入っているのは、幾らかの米。
ただ普通の米って訳じゃなくて、楽斗が巳善に渡された、施餓鬼米と呼ばれる物だった。
……私もあまり詳しい訳じゃないんだけれど、施餓鬼米とは、欲深かったり吝嗇な人間が死後に生まれ変わる餓鬼、その飢えや乾きといった苦しみを和らげる為に施される食べ物を言うらしい。
それが一体、負色の想念にどういった影響を齎すのかは、私には本当にさっぱりなんだけれど、動きを止めたって事は、本当に意味があったのだろう。
難しい理屈を考えないなら、飢えの色を纏ったあの想念に、施餓鬼米というのは確かにいい組み合わせのように、思える。
「ネコちゃん、俺、カイだよ。わかる?」
楽斗が動きを止めた負色の想念に話しかけてた。
それが意味を持つ事は、恐らくないだろう。
けれども、楽斗の好きに、気の済むようにすればいい。
私の役割はアレを引っ張り出す事までで、それはもう終わったのだ。
後は、巳善からあれこれと渡されていた楽斗が、思うように決着をつけるだろう。
そしてその決着が、馬鹿なものにならないって事は、私も巳善もわかってる。
この友人がどういった人間で、どういった選択をするかなんて、知っているし、信頼してた。
今回、私達がこの負色の想念に関わったのは、楽斗がそうしたがってたから。
これ以外にも、この世界はどこにでも負色の想念は存在して、人に害を及ぼしている。
私はそのほぼ全てに無視を決め込んでるし、巳善はそれが飯のタネだ。
配信を行っていた負色の想念が、誰かに害を齎す可能性は高かったけれど、私達にとってそれは今更の話でしかなかった。
人間を最も多く殺す生き物は、蚊だという。
私も目の前に蚊が出れば殺虫剤を撒くけれど、だからって人に害を齎す蚊の全てを駆除してやるなんて、熱意は欠片も持っていない。
負色の想念もそれと同じだ。
害がある事はわかってる。
だからってそこら中に存在するそれをどうこうしようなんて、頭の片隅にも思わない。
今回、私が関わったのは、友人である楽斗がそう願ったから。
故に全ての決着を付けるのは、楽斗の役割で、権利で義務だった。
「いきなりじゃなくて、お別れを納得できる時間をくれてありがとう。皆にも、それを共有したいけれど、俺にはその方法がないんだ」
手に札を、負色の想念を消せる道具を握って、楽斗は言葉を紡ぐ。
当然、負色の想念は何も答えない。
もし仮に何かを答えたならば、それは楽斗の発した念に、望まれた通りの反応をしただけだろう。
でも、楽斗はそれでも嬉し気だった。
あれは、人が故人を悼んで墓に手を合わすのと、似たようなものだ。
ならば聞き耳を立てるのも、あまり趣味がよろしくない。
私は目を閉じ、耳を塞ぎ、気配を小さくして、その場から存在をなるべく消し去る。
だからどれくらいの間、楽斗がそれに語り掛けていたのかは、わからないけれど。
やがて体が揺すられて、私が目を開いたら、赤く腫れぼったい目をした楽斗が、
「終わったよ。ありがとう」
と、そう言った。
そうか、終わったか。
じゃあ今日も、何か酒を飲むとしよう。
まぁ今回は途中には色々とあったけれども、友人にお気に入りの配信を教えられ、その配信がもう二度とされないって事で、その友人が泣いてしまった。
私はそれを横で酒を片手に見ていただけの、そう、それだけの話である。




