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私に見えるものは、負色の想念。
人の発する、あまりよろしくない感情等を、私の瞳は見る事ができる。
……いや、できたと言うと、まるで私がそれを見たがってるようだから訂正するが、視界に入ると不本意ながら見えてしまった。
負色の想念、邪気だと私が思っているものが実際になんなのか。
それは別にどうでもいい。
もうずっと、私の瞳はそれを映し続けてきて、私はなるべくそれを見ないよう、関わらないように生きてきて、これまで無事に過ごせてきたから。
今更それとの付き合いを変えるつもりは私にはないのだ。
ただ、私の目は、そうした何やらと好き好んで関わる連中と比べても、感度が高くてよく見える代物だという。
例えば、友人の一人である巳善は、退魔師だったり悪魔召喚師だったり、或いは妖怪交渉人だったりという、如何にも怪しげな肩書を名乗るその筋の専門家だが、私の目は特別なのだと時折だが口にしている。
実際のところ、私には他の人の目がこの世界をどう捉えているのか、それを確認する術はないので、自分がどう特別なのかはわからないけれど、奴がそう言うなら、確かに特別ではあるのだろうとその程度に認識している。
さて、そんな私の目で見る限り、先程見せられたスマートフォンの画面、配信の様子というやつは、それはとても異常だった。
表示された可愛らしい絵には、べったりと負色の想念が張り付いて、私の目には直視に堪えない状態である。
それでも私が画面を見れたのは、その負色の想念のある場所が、目の前のそこじゃなくて、スマートフォンを介した別のどこか知らぬ場所だったから。
例えばとても狂暴で危険な猛獣も、目の前にいるのではなくてテレビに映っているだけならば、顔を顰めつつも見る事くらいはできると言えば、私がどんな気持ちでスマートフォンの画面を見ていたか、少しは伝わるだろうか?
だがそんな異常な画面を見せられても、私にはそれが、配信として異常なのかどうかは、わからない。
何故ならこれまでに他の配信の様子を見た事がないので、比較のしようがなかったからだ。
絵に張り付いた負色の想念は、一人の人間が発するものとは思えない程に量が多く、濃く、複雑な色をしていた。
それ故に私は、その想念は配信を行う声の主、少女だけではなく、それを見ている人間のものが、多くそこに集まっているんじゃないだろうかと、そんな風に推測してる。
だとすれば、私にとってはその配信というもの自体が、全て異常なものであって、今回見せられたそれだけが、特別に異常だという訳じゃない。
もちろん、それは他の配信を見れば答えがわかる事だけれども、これを見ろと言ってきた楽斗を相手に、他の配信を見せろと言わないだけの分別は、流石の私にもあったから。
別に大して興味がある訳でもないからと、そのまま目を逸らそうとしていたのだ。
家を出た時、どこかで負色の想念を見かけた時と、同じように。
けれども、私は溜息を吐く。
普段ならば目を逸らす代物だけれど、楽斗が私に何かを見つけて欲しいと思ってるなら、……まぁ、仕方ないか。
「もう一度見せてくれ」
そう言って私は、楽斗にスマートフォンを寄越せと手を伸ばす。
まだ声の流れ出ていたそれを、楽斗は私の手の上にのせて、……そしてそれを覗き込んだ私は、やっぱり眉根を顰めてしまった。
ちらと見せられるくらいなら表情には出さずに済んだけれども、じっくりと直視するならそうもいかない。
「おい、まさか嫌なものが見えるのか? すまん、そういうつもりじゃなかったんだ。無理するな」
私の顔を見て慌ててスマートフォンを取り返そうとする楽斗の手を、私はスマートフォンを持たないもう片方の手で掴み、首を横に振る。
そう言われても、私はもう、これを直視すると決めたのだ。
これが巳善だったなら、私はなんだかんだと言い訳をしながら、見るのを最後まで渋っただろう。
何故ならアレは、私の物の見え方に関して、よく理解をしてるから。
巳善が私に話を持ってくる時は、常に巻き込むつもりで満々だ。
けれども楽斗はそうじゃない。
此奴も私が普通とは違うものが見えると知っているが、それが何なのかをちゃんと理解してる訳じゃなかった。
寧ろ楽斗は、警官として色々なものを実際に見ている五郎よりもずっと、この手の事に関しては疎いのだ。
私のものの見え方も、不思議なものが見えて、人よりも勘が鋭い程度に考えている。
時々嫌なものが見える事も知っているから、今のように心配もするが、どこかで私の目を羨ましがってる節もあった。
多く酒が入った時、私や巳善、それから五郎に比べても、自分は平凡だなんて風に、稀に零すのだ。
社会的に、一般的に、客観的に見るならば、私達の中で最も立派に成功しているのは、楽斗だろうに。
あぁ、警察組織に身を置く五郎も、なかなか立派な身分を持ってるから、その辺りは甲乙付け難いか。
いずれにしても、無職で家でゴロゴロしている私とは、比べ物にならないくらいに立派な人間だ。
情に厚く人に対して親身になるから、必要以上に頼られて仕事に忙殺されている。
そんな友人の楽斗を、……私はまぁ、尊敬していた。
わざわざそれを口に出して言いはしないが。
故に、此奴が今のお気に入りを見せるついでに、少しばかり気になっていた事を確かめたかったくらいの気持ちだったとしても、私はそれに応えてやりたくなってしまったから。
じっくりとまじまじと、スマートフォンに穴が開く程に、私はそれを凝視して、そして一つ、結論付ける。
「やっぱりこれは、人間じゃないな」
……と
いや、ちょっとこれは言い方が悪かったか。
どうやら私の意図が伝わらなかったらしく、楽斗が少し呆れた顔をしてる。
「そりゃあそうだよ。ヨシキの言う通り、立ち絵は、そりゃあ絵なんだけどさぁ……」
困ったように、言葉を選びながらそう言う楽斗に、私は首を横に振る。
違うのだ。
これを私が虚構に感じて、しかし楽斗のように配信を楽しむ者にとっては現実であるとか、そういう話を繰り返したい訳じゃない。
「違う。そういう意味じゃなくて、この配信とやらを行ってるのが、私の目に映る限り、人間じゃないと、そう言ってるんだよ」
そう、私がじっくりと、目を逸らさずに観察してわかったのは、この声を発しているのは、スマートフォンの向こうに存在している筈の誰かじゃなくて、この絵、立ち絵とやらに張り付いた、負色の想念だという事だった。
楽斗は、俄かには信じがたいといった感じの、唖然とした表情をしているけれど、私は冗談や噓を口にするも面倒臭がる正確なのは、此奴もよく知っているから。
残念ながらそれは、私の目が曇っていなければとの条件は付くけれど、紛れもない事実である。
巳善なら、怪異だの妖怪だの霊だの悪魔だの、何やらそれらしい言葉で説明するのかもしれないが、私はそうしたあれこれは胡散臭いと思ってしまうので、負色の想念だとしか言えない。
ここまで見れば明白だが、楽斗が見せた配信とやらは、明らかに異常な代物だった。
けれども、私にわかるのはここまでだ。
故に楽斗は決めなきゃならない。
此奴の好きな配信とやらには何やら大きな異変が起きてる。
「その上で御前は、一体これをどうしたいんだ?」
異常があるかどうかが気になっていただけで、その異常があるとわかって満足して終わりなら、私はそれでも構わない。
ただ楽斗の性格上、それで終わりにはしないだろうとの確信があった。
此奴は、まぁ、何というか、情に厚くてお節介でいい奴だから、そうだと知ってしまった以上は、もう一歩足を踏み込むのだろう。
好奇心じゃなくて、自分にできる事がないかとの、優しくも押しつけがましい善意で。
実に難儀な性格だと思うけれども、私は楽斗のそんなところを気に入っている。
「何が起きてるのか、知りたい。そしてもし、この子が困ってるなら、どうにか助けてやりたい。……ほんとさ、仕事が忙しくてしんどい時にさ、俺はこの声に助けられたんだよ」
決意してそう言う楽斗に、私も頷く。
なら、好きにすればいいと思う。
楽斗が手伝って欲しい事があれば、私も幾らかは力を貸そう。
尤もここからは、
「けれどもさ、これって間違いなく、ミヨシの案件だよな? あぁ、アイツに借りを作るのかぁ……」
そう、私じゃなくて、巳善が得意とする分野だ。
残念ながら私にできるのは見る事だけで、問題を解決する能力はこれっぽっちも備わっちゃいない。
だが巳善は、この手の問題を生業としてる人間であう。
事情を話せばすぐにでも、解決策を提示してくれるだろう。
まぁ、問題があるとすれば、巳善に借りを作ると支払いはとても高くなるって事だった。
別に金を請求される訳じゃないけれど、楽斗の場合は法律が絡むややこしい仕事を押し付けられるのは目に見えている。
ただでさえ忙しい楽斗が、それによって一体どれくらいの間、眠る事すらままならなくなるのか、それは、……私の知った事ではない。
結局のところ、今回の問題において私は協力者、或いは傍観者に過ぎず、巳善に助けを求めるか、それとも見なかったふりをして全てに目を瞑るかを選ぶのは、楽斗の役割なのだから。
私は氷が溶けた焼酎に口を付けながら、楽斗の葛藤を見守る。
最終的に此奴が出す結論はわかっているから、それが出てくるまでは、薄まった焼酎でも楽しんでいよう。
特徴的な香りも同じく薄れてしまったが、これはこれでさらりと飲めて、中々に悪くない。