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『皆さんこんばんは、マネキネコです。私の声が聞こえますか?』
スマートフォンから聞こえてくるその声。
それはインターネットの海に無数に立つ小さな波の一つ。
明るく可愛い少女の声だが、……私には、何故かそれがとても虚ろな音のように聞こえた。
『おっけーです。それじゃあ今日も少しだけ、私の話に付き合ってください』
始まったのは、とても他愛のない話。
日常の体験談を、自分の身元がばれないように色々と伏せながらではあるけれど語り、時折何かの言葉を読み上げては、それに対して自分で返事をしている。
横で聞いているだけの私にはさっぱりだが、どうやらこの声を聴いている者がコメントという形で反応し、それを拾い上げて返事を返しているらしい。
最近はこの配信というのが流行りなんだとか。
私からすると、わざわざ見知らぬ人と、それもインターネットを介して話すだなんて、何とも面倒な事をしているなぁと思うけれども、今の若者にはそれが面白いのだろう。
「んで、どう思う?」
私の前でスマートフォンをポチポチと、……恐らくその配信に対してコメントをしていたのであろう友人、二西・楽斗が問うてくる。
しかし私は、その曖昧な質問には首を傾げざる得ない。
此奴は、私に一体どんな感想を言わせたいのだろう?
「特に、喋ってるなぁとしか思わないが……?」
だが考えてもわからなかったので、私は正直に首を横に振って、テーブルの上に置いた焼酎をグラスに注いで口に運ぶ。
晩飯時に訪ねてきて、見せたいものがあると言ってきた楽斗だったが、……もしかして今のこれが私に見せたいものだったんだろうか?
或いは、それを見ている自分の姿を、私に見せたかったのだろうか?
だとすると、いよいよ此奴の仕事疲れも深刻なんだなぁと、些か哀れになってくる。
楽斗は、私の数少ない友人の一人で、士業の一つ、弁護士を生業としてる人間だ。
年の頃は私よりも二つ上の三十歳だが、彼の業界ではまだ若手の部類になるらしい。
弁護士という職業は、暇な人間と忙しい人間の差が極端だと耳にした事はあるけれど、たまに楽斗から聞かされる話によると、彼は忙しい部類の弁護士だった。
まぁ、その忙しさに拍車をかけるのが、私と彼の共通の友人である、武井・巳善の奴なんだけれど。
「ヨシキ……、もっと色々とあるだろう? ほら、可愛いとか、可愛いとか、可愛いとかさ」
そう言ってスマートフォンの画面を見せてくる楽斗だが……、うぅん、と私は首をひねってしまう。
スマートフォンに表示された絵は、確かに可愛いものだ。
聞こえてきた声も、若者らしく可愛らしかった。
けれども、だからといって見も知らぬ相手、それも正体の知れぬ何かを可愛いと思える感性は、私にはない。
「幾ら絵と音声が可愛らしくても、それは虚構で作り物の存在だろう?」
これを言うべきかは少し迷ったが、巳善と五郎、それから目の前の楽斗、私の数少ない友人達には、私は必要以上に言葉を選ぶ必要はないと思ってる。
それをする必要がないから、面倒臭がりの私でも、彼らとはまともに付き合いができるのだから。
もし仮に、これを持ってきたのがタテリだったら、何も言わずに頷いて相槌を打つくらいは、流石の私もしていただろう。
「違うぞ。ヨシキ、それは違うぞ」
すると楽斗は私の手からグラスを奪い、グイと中身を一気に飲み干す。
いや、こら、御前、それは味と香りが面白い焼酎なんだが……。
全く、なんて飲み方してくれやがるんだ。
「いいか。こうして酒を飲んだ時に感じるような熱が、この子の配信には込められてるんだ。これが現実でなくてなんだってんだよ。……なんだこれ、口に広がる匂いが物凄いな。すまん、ちゃんと味わいたいからもう一杯くれ」
言いたい事だけ言って酒気を帯びた息を吐き、悪びれもせずにグラスを差し出してくる楽斗。
もちろん一緒に飲む為に用意した物だから注いではやるけれど、此奴の悪びれなさには何だか妙に笑えてしまう。
アイスペールから取った氷をグラスに入れて、そこにうっすらと濁った焼酎をとくとくと注ぐ。
瓶の蓋を開けただけでぷんっと麦の香りが漂うのだから、口に含んだ際に広がるそれは物凄い。
こうした面白い酒は、一人で飲むよりも誰かと飲んで、その面白さを共有したかった。
……もしかして、楽斗もそうやって何かを共有しようと、さっきの配信を見せて来たんだろうか?
だとしたら、少しばかり申し訳ない事をしたかもしれない。
「なぁ、ヨシキ、灰皿貸してくれないか?」
ぐびりとグラスの酒を飲んでから、楽斗がそう言ってくるので、私は頷き立ち上がる。
私には必要のない物だが、此奴が来た時の為に蓋付きの陶器の灰皿が、家には幾つか置いてあった。
楽斗は香りや癖の強い酒を、タバコの煙を肴に飲むのが好みだ。
つまりタバコを吸いたがるという事は、今の酒が彼の好みに合ったのだろう。
酒が入ると立ち上がるのも少し億劫になるが、酒以外にも、何か口に入る固形物、つまりアテが欲しかったので丁度いい。
確かスルメがあったから、あれをコンロで少し焙るか。
灰皿と焙ったスルメ、それから切ったたくあんを持って戻ってくると、ヨシキはちびちびと酒を飲みながらも、再びスマートフォンを覗き込んでた。
そこから流れてくる声は、先程と同じ少女のもの。
随分と入れ込んでるんだなぁと、何だか感心してしまう。
「ほら、灰皿だ。ところで、楽斗よ。それはそんなに面白い物なのか?」
もしも楽斗がわざわざそれを見せに来たのなら、少しくらいは話を聞いてみるのも悪くはない。
恐らく私の趣味には合わないだろうが、こうして飲む間、雑談のネタくらいにはなるだろうから。
尤も別に、何の要件もなく、ただ酒を飲みに来ただけだったとしても、私は別に構わないが。
「あぁ、……いや、うーん。最近は、そうでもないな。……この子、前は色々と話題も豊富で面白かったんだが、最近はどうも様子が変わったんだよ」
だが軽く頭を下げて灰皿を受け取ったヨシキは、タバコを咥え、カチッとライターで火を灯してから、大きくそれを吸って煙を吐き、そして首を横に振る。
話の風向きが変わった事に、私は納得して頷いた。
なるほど、そういう事か。
巳善と五郎、それから楽斗の三人の友人は、私が少々特殊な物を見てしまう体質だと、知っている。
いや、巳善はそれ以上に、私よりも私の事情に関して詳しそうだが、今はさておく。
「話す内容も以前のものを何度も使いまわしてる感じで、いや、もちろんそれが悪いって訳じゃないんだが、……少し気になってな。でもヨシキが聞いて何とも思わないなら、俺の思い過ごしだな」
故に稀にだが……、巳善以外は稀にだが、こうして何かを確かめる時に、悪い言い方をするなら私の体質を利用しようとする事があった。
まぁ、良い言い方をすれば、私の力を借りようとするって言い方になるのだが、今回の楽斗は事情を後出しにしたので、利用って言い方をしておこう。
別に怒ってる訳じゃない。
先入観なくものを見るには、事情を知らない方が良い事もある。
今の話を聞いてから見ていたら、私もそういうものとして配信から流れる声を聴こうとしてしまっていただろう。
だから楽斗の行動にも、ちゃんと一理くらいはあるのだ。
ただ、今回の場合は、この配信というものが私にとっては未知の代物である事が問題である。
そうした事情で楽斗が私に見せたのだと知らないままなら、そういうものだと思って流してしまっているとこだった。




