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樹・仁木、二十八歳。
性別は男性。
私を一言で表現するなら、恐らく無気力な人間と言う奴になるのだろう。
かと言って、別に息もするのも面倒だとか、動く位ならば飢えて死ぬって程に気合の入った物臭でもない。
実に中途半端な無気力だが、そもそも気合の入った無気力とは一体何だろうか?
私は空腹になれば食事をとるし、作るのが面倒ならば出前を取るし、出前の為に電話して会話する方が面倒だと思う時はやっぱり諦めて自分で作る。
そんなポリシーのない、フワッとした無気力人間だった。
因みに外食はあまり好きではない。
職には付いていないし、働く必要も特になかった。
死んだ父母、祖父母、御先祖様の遺してくれた資産があるので、食うには困っていないのだ。
実に恵まれた立場だとの自覚はあるので、遺産を残してくれたご先祖様への感謝と供養、それから家の敷地内にある祠、ややこしい言い伝えのある、樹家が守らねばならないとされるソレの掃除は忘れないようにしている。
しかし生活費や税金で少しずつ減る資産額を見ると心が不安になるので、一部を運用して浮いた分でそれ等を賄っているから、これが仕事と言えば仕事になるのだろうか?
まぁそれでも、世間的に言えば立派な無職である。
とは言え、家の外に全く出ない訳ではない。
雨が降ったら当然でないが、良く晴れた日ならば買い物に出る位の事はするのだ。
良く行く場所としては、書店、スーパー、コンビニエンスストア等が多いだろうか。
面倒臭がりであっても退屈はするので、手軽に出来るゲームだとか、本位は読む。
尤も最近のゲームはやり込み要素とかで、意外と気力を要求される物も多いのだけれども。
さて散歩気分で駅まで歩き、三駅程を電車に乗れば、この辺りでは最も栄えた町に出る。
別にこの町のスーパーが、私の地元に比べて品揃えが素晴らしく、そして安いなんて事は全くない。
多少の違いはあれど、どちらもそれなりに普通のスーパーだった。
では何故わざわざ三駅も電車に揺られ、この町へとやって来たのか。
まず理由の一つは、この町には大きな本屋がある事だ。
最近は電子書籍や、通販での取り寄せをする人が増えたらしく、小さな本屋は駆逐され、体力のある大きな書店のみが生き残っている、……様な気がする。
まぁ実際にどうなのかは知らない。
別にそれを悪いと言う心算もないのだ。
もしかすれば電子書籍や通販のせいじゃなく、単に本を読む人が減っただけかも知れないし、本は意外と重いし場所を取るから、読む人が減ったとしても仕方ないとも思う。
でも私は一冊の本を何度も読み返すので、本は本屋でじっくりと探すのが好きである。
ジャンルは特にこだわりはない。
ハードカバーや文庫の小説も読むし、最近特に増えた健康について書かれた実用書やビジネス本、はては気が向けば絵本だって買う。
私の様な怠惰な無職が、健康やビジネスの本を買ってどうするのかと思われるかも知れないが、勿論単に読むだけだ。
文章を読んで知識を入れたいだけで、それを活かそうとは毛の先程にも思わない。
一度腰痛体操の本を読んで実践してみた事はあるけれど、特に何も変わった気はしなかったのですぐに飽きた。
何せ私は、今の所別に腰痛を患ってる訳ではない。
しかし恐らく、世間一般の他の人々も、多かれ少なかれそんな感じではないだろうか。
例えば歴史好きの全員が、史跡巡りが何より好きだったり、或いは過去にタイムスリップして歴史知識を活かして大活躍したいと願ってる訳じゃないだろう。
さて理由の一つは本屋だとして、もう一つの理由はスーパーで出会う人々にある。
確かに荷物になるから、地元のスーパーで買った方が楽ではあろう。
けれども家の近くのスーパーと言うのは、厄介な事に近所の住人も買い物に来るのだ。
そう、私は正直な所、近所での評判が良好とは決して言えない。
無職と言うだけでも外聞はかなり悪いだろうが、更に私は自治会の活動等にも不参加を決め込んでいる。
だって近所付き合いなんて、面倒臭さの極みである。
ワンルームのマンションにでも住めば、そう言った煩わしさも少しは薄くなるのだろうが、私が住むのは丘の上を占拠した大きな平屋建ての一軒家だ。
祖父母からも両親からも、多分きっとご先祖様からも、樹家の跡取りは決してこの土地を離れるべからずの遺言がある為に住んでいるが、正直一人暮らしに向いた場所では決してない。
家の手入れ等は、昔から樹家と付き合いのある人々が定期的にやってくれるので私の手が煩わされる事は少ないが、そうでもなければとても住んでは居られなかっただろう。
何でも樹家は昔、地侍とか名主とか土豪とか、そんな類の家だったらしく、その頃から仕えてくれていた人の家が、この辺りには多く残っているのだそうだ。
まあだから当然、自治会への参加は定期的に催促が来る。
以前ある程度は地域貢献すべきかと考え、一度アルバイトを雇って送り込んだ事があるが、自治会長の爺様が大層怒って怒鳴り込んで来た。
自治会長の爺様は樹家に仕えてくれていた人々の纏め役に当たる人物であり、生まれた時から知られている為、私もあまり頭が上がらない。
故にそれからは催促にも小言にも耳を塞ぎ、食材の買い込みも別の町のスーパーを使って、近所の人とは成るべく顔を合わさない様に済ませているのだ。
帰り道、電車に乗れば丁度席が空いていたので、有り難く座らせて貰う。
何せ荷物が少し重い。
今日買ったのは、日本に伝わる言い伝え『夜中に爪を切るな』や『夜中に口笛を吹くと蛇が来る』等の謂われを解説した本と、歴史小説、漫画の単行本の合計三冊と、スーパーで買った食材だ。
本命は言い伝えの解説本である。
パラパラと読んでみたが、礼服の色が昔と今で変わった理由等、実に面白い。
歴史小説はシリーズ物の五冊目で、正直に言えば惰性での購入だった。
一巻、二巻は面白かったが、三巻辺りから勢いが落ちて来て、四巻はあまり読み返そうと思わない内容になってしまっていた。
五巻も似た様な感じなら、もしかすると六巻は買わないかも知れない。
漫画は表紙に惹かれての購入だ。
目つきの鋭い主人公が刀を構える様に、妙に心を惹かれる物がある。
そう言えば、今日購入した本は和風の物ばかりであった。
特に意識した訳じゃないが、もしかしたらそう言う気分だったのだろうか?
夕食はがっつりとステーキを焼く心算で一枚肉を購入したのだが、魚の造りをアテに日本酒を飲みながら、歴史小説を読むのも良かったかも知れない。
気分が変われば、本の読み味もきっと変わるだろうから。
そんな風に考えていた時、駅は未だ先にも拘わらず、不意に電車が減速する。
あぁ、このパターンはあれだろうか。
車内放送が入り、それに耳を傾けるも、やはり想像通りに、どこぞの駅で人身事故が起きたらしい。
事故とは言っても線路の上を走る電車が、自動車の様な運転ミスによる接触事故等は中々起こさないので、もっとわかり易く言えば飛び込み自殺だろう。
その車内放送が流れた途端に電車内にチラホラと、苛立ちや嘲り、その他もろもろの負色の想念、まあ邪気とでも呼ぶべき類の物が見えた。
大多数の者は人身事故が起きようが無関心だろうが、足止めを喰らう事への苛立ちや、人生から脱落した者に対する嘲りを、どうしても感じてしまう者も居る。
そして私には、そう言った暗い負色の想念が、時折視覚として見えてしまう。
別に見えた所でその想念を祓える訳でもなければ、見ていて楽しい物でもないので、私はただ目を逸らす。
こんな物が見えてしまうから、私は人が大勢いる場所があまり好きではない。
尤も私を詐欺に引っ掻けようとする者や、悪意を持って近付いて来る者も、視覚で判別出来るので、時々は役にも立つのだけれども。
ただ負色の想念、まぁ手っ取り早く邪気と呼ぶが、生きてる人間の発するそれは、多くの場合は然程に害のある物でもない。
実際、生きてる人間が邪気を発し続けると言うのは、意外と難しい事なのだ。
例えば、大体の人間は物凄く怒った所で、一晩寝れば多少は怒りも冷えるだろう。
もし仮に、三日間ずぅっと休む事なく怒り続けられる人間が居るとすれば、余程に強い意思の持ちである。
勿論一度冷えた怒りも、原因に近づいたり、怒った経緯を思い返せば再燃もしようが、そうでなければ維持し続ける事は難しい。
非常に強いエネルギーを必要とするのだ。
例外は捻じ曲がった恋心や強い恨み、そして絶望の類だが、これを抱え続ける人間は邪気の問題がどうとかでなく、普通に危険だ。
私はこれ等を抱え続けて手放さない人間を、心の中で怪物と呼んで近付かない様に心掛けてる。
しかし生きてる人間が発する邪気はそれ程の物ではないとして、ならば死んだ人間はどうだろうか?
勝手な想像になるが先程、恐らく走る電車に飛び込んだその人は、負色の想念、邪気を心に抱いたまま死んだのだろう。
すると肉体は電車の質量で粉々に砕け散っても、発した想念は他の感情に上書きされずにその場に残るのだ。
一応断って置くが、私は魂だのなんだのと、宗教的な話をしている訳じゃない。
伸びた爪を切れば、掃除をしない限り切った爪が残るのと同じく、もう上書きされない邪気の塊が、雨風に晒されて風化するまで残るってだけの話。
残った邪気に意思なんてない。
ただ、そう、残った邪気に意思なんてなくても、生きてる人間はその影響を受けてしまう。
狭いバスの中で誰かが吐瀉すれば、思わず自分も気持ち悪くなるなんて事がある風に、見えぬ邪気に気持ち悪さを感じたり、体調を崩したり、或いは心が弱っていれば引っ張られたり。
故にそういった邪気祓いを生業としてる者もいる。
私の数少ない友人の一人も、そんな邪気の掃除を仕事としていて、時折、本当に些細な内容だが、私に手伝いを頼んで来る事があった。
実に迷惑な話であるが、奴は上手く私の言い訳を封じ、友情を盾に、或いは以前の些細な借りを持ち出して、私を面倒事に巻き込むのだ。
何でも奴曰く、私は無気力な人間ではなく、無気力を気取った受け身体質の人間らしい。
まあどうでも良い話なのだが。
確かに迷惑だとか、面倒臭いとは思いながらも、私は奴を友人だと認識してるので、結局はそう言う事なのだろう。
物思いに耽っていると、漸く、電車は動き出す。
どうやら私の住む町までは、何とか運んでくれるらしい。
私は溜息を一つ吐いてから、目を閉じて電車の揺れに身を委ねた。