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落研の補欠

作者: 井ノ上和希

 高校生になって1か月。学校までの少し遠い道のりにも慣れて、授業も始まったこの頃、僕たちは部活勧誘という荒波に呑まれていた。

「うちの野球部は強いよ! 地方大会に入賞したことあるからね!」

「バスケ部においでよ! 皆明るくて楽しいよ!」

「演劇に興味ない? 非日常に浸れるよ!」

「時代はやっぱり軽音でしょ! 皆初心者だったから安心して!」

どこかの部活に入らなければならない。そんな気持ちはあったのだが、ぱっと思いつく部活動も、惹かれる部活動もなく、このまま流そうかと考えていた時だった。

「あれ、優斗?」

そんな声が聞こえた気がしてそちらを振り返ると、幼馴染の長浜敦がこちらに手を振っていた。

「やっぱり優斗か! お前もこの学校に入ったんだな」

「まぁ、普通に大学に行ければ僕自身どこでもよかったし」

実際、僕の進路は惰性に勝られ、適当な所を選んだだけになっていた。この、私立祐善高等学校は偏差値もそこそこで、大学進学も問題なく行えそうだったから選んだに過ぎない。まさか、一年上の敦が同じ高校に入っていたとは思いもよらなかったが。

「それで、部活、どこに入るか決めたのか?」

「全くだ。どこかに入らなきゃいけないのは分かってるんだけどさぁ」

「だったら、うちに入らないか?」

敦が親指で教室を指さしながら言う。そちらを見ると、数人の生徒が既に中にいた。おそらく歴代の部員なのだろう。

「うち、落研なんだけどさ」

「落研?」

落研……落語研究会。存在はうっすらと知っていたが、本当に存在するものかと驚いた。お喋りが好きな敦にはぴったりだ。

「ほかに入る所ないんだろ? だったら来いよ」

「でも、僕、落語の事なんて全く知らないぞ」

「皆最初はそうだったんだよ。ほら、入った入った」

こうして、僕は流されるがままに落研の部室へと入っていった。


 落研の部室には三人の部員がいた。

「部活、どこにするか迷ってたみたいだから連れてきた」

敦が僕の背を叩きながら言った。すぐに二人の部員がこちらに近づく。

「やったじゃない、敦! これで今年も廃部は免れそうね!」

「ようこそ、落語研究会へ! 君の体験入部を歓迎するよ!」

「あ、いや、ただ呼ばれてここに来ただけなので……」

すぐに入ると思われてはならない。そう思って慌てて手を振る。なおも詰め寄る部員たちに疲弊しそうになったとき。

「ちょっと待って」

そんな声が部員の後ろから聞こえた。

そちらの方を向くと、一人の女生徒が立っていた。身長は僕より低い。色素の髪にはゆるくウェーブがかかっており、たれ目の穏やかな美人だった。

「君、何て名前?」

「き、木下優斗です」

僕が名乗ると、彼女はニコニコと笑いながらこちらに近づいてきた。

「私、春日原秋子。ここの部長兼補欠。よろしくね」

部長なのはわかった。しかし、「補欠」の意味を捉えあぐねて僕は首をかしげる。そこに取り巻きの部員が迫ってきた。

「春日原部長はうちで一番の噺家なの!」

「だけど、自分は寄席にも大会にも出ないで「補欠」を名乗ってるんだ」

一番の噺家なのに補欠。ますます訳が分からなくなっていた。

「でも、部長。折角部員を獲得するチャンスなのに、このままだとやばくないですか?」

敦が僕をちらちらと見ながら言う。確かに興味すらなかったが故にピンときていない。このまま入らずに帰っても多分後悔しない。春日原さんはうーんと唸り、やがてぽんと手を打った。

「だったら、実際に落語を聞いてもらおうかしら。誰か、腕に自信がある子、いるかしら?」

「えっ、だったら部長が噺してくださいよ」

「そうですよ。うちで一番上手いの、部長なんですから」

「ええ、私? 困ったなぁ……」

春日原さんは少し赤くなりながら、教壇に敷いてあった座布団に座った。

「じゃあ、一つだけ話すから、付き合ってくれるとうれしいな」

照れたように春日原さんは言う。

「つまらないようなら出ていってくれてかまわないよ。私はその辺、妥協したくないから」

そういう春日原さんは笑顔を崩していなかったが、その言葉に真剣みを感じ、僕は思わず頷いた。

「コホン。えー、知ったかぶりというものは大変愚かであるとは承知の上ですが……」

『てんしき』という名目の落語であることは、後に教えてもらってわかった。知ったかぶりをする和尚や町の人に振り回されながら、「てんしき」の正体に迫る坊主の話である。

「医者様に「てんしき」はあるかと聞かれた。ないと困るので「てんしき」を借りて来いと和尚は言うわけでございます」

小学生だった春日原さんが初めて触れた落語らしい。内容そのものは分かりやすく、子供ウケするのも納得だった。

 ただ、それよりも僕が見入ったのは。

「「てんしき」とは、「気」を「(まろ)」め「失」うと書く」

語る春日原さんが、あまりにも楽しそうなのだ。終始笑顔で、僕に訴えかけてくる。

「ええ、屁でもございません」

いつの間にか噺は終わっていたが、僕はそこから動けなくなっていた。

「……すごい」

ようやく吐き出した言葉はため息交じりで。それでも敦が後ろから背中を突き飛ばした。

「な、すごいだろ!」

「僕も、話せるだろうか。こんなにもうまく」

 かくして僕の落語研究会入りが決定した。


 さて

 落語研究会……、落研に入ってからどんなことが待っているのかと構えていたが、部活らしい部活は行っておらず、僕は困惑している。

 具体的にはといえば、部室で話をして、たまに発声練習を行う程度だ。あの素晴らしい落語を披露してくれた部長は、部室の隅で僕たちを見ながら読書にいそしんでいた。

「おい、敦」

部活動に入って三か月。しびれを切らした僕は敦を呼び出した。

「何だよ、そんなに焦った顔しなくてもいいだろう?」

「納得できない。あんなの部活じゃないだろう。もっと、こう、落研らしいことしろよ。噺の練習とかさ」

「うちは弱小だから、練習しても無駄なんだよ」

敦のその言葉に僕はかたまる。

「無駄だって、お前!」

「年に一度の地方大会に出て、落選して、うちの一年は終わるんだ。毎年そうだった。俺も最初は納得できなかったけど、ああ、ここは弱いんだって腹決めたら、どうでもよくなった」

「……」

「これでいいだろ。夢見てないでいつもの部室に戻ろうぜ」

敦はそっけなく言って踵を返した。

 はたり

 顔に熱を持っていかれ、気が付いたら涙を流していた。なんだよ、それ。俺の求めていた部活動って、こんなもんだったのか?

「畜生」

乱暴に涙をぬぐい、部室に行こうと廊下に出た時。

「わっ!」

出会い頭にぶつかりそうになって、僕はようやっと前を見た。

「びっくりした……。あれ、優斗君?」

春日原部長が、そこにいた。


 休憩室の椅子に座っていた僕の手に、カフェオレが渡された。

「ごめんね、うちの部員、不真面目で」

春日原さんは申し訳なさそうに頭を下げる。いいんです、と僕は首を振ってカフェオレの缶を開けた。

「昔は皆真面目だったんだよ。でも、年を追うごとにあきらめムードになってきたって、卒業した先輩からは聞いているの」

「そういう部長だって」

僕が言おうとすると、春日原さんは僕の口に指を立てた。言葉を抑えられ困惑する僕に、春日原さんはさっと一冊の本を差し出した。カバーがかけられた大きめの、いつも春日原さんが読んでいた本である。僕はそれを受け取ってカバーを外してみた。『初心者のための落語のすすめ』。本には、そう書いてあった。

「あんまり大っぴらに言いたくないから、こんなことしかできなくてね」

春日原さんは髪をいじりながらそう言った。

「部長は、真面目に落研に通ってたんですね」

「……うん」

その言葉を聞いてほっとした。

「僕、部活動って青春時代にしかできないから、一生懸命取り組もうって決めてたんですよ。なのに、周りの先輩たちが不真面目な態度で、怒ってたんです」

「よかった。一人でもそうやって真面目に落研に来てくれる子がいるってわかって」

春日原さんはにっこり笑い、自分の分で買ってきていたジュースに口を付けた。

「私ね、君みたいに元部長の落語を聞いて、この落研に入ったの」

僕はえっと声を上げて春日原さんの方を向く。彼女は微笑みを崩さなかったが、目が赤かった。

「部長みたいな噺家になるんだって決めて落研に入ったのに、周りはサボってばっかりで正直、裏切られた気分だった。でも、それでも部長のもとに通い詰めて、自分が部長になった。でもね、私、心配だったんだ。あの人みたいな部長になれるだろうか、落研を存続させられるだろうかって」

春日原さんはそう言って乱暴に目をぬぐった。泣いていたのだ。春日原さんは、自分たちの知らないところで泣いていたのだ。

「……今度の大会で私は引退なんだけど、未来が見たかった。後輩が話す姿が見たかった。だから私は補欠になった。私が出なければ。存続させるのは後輩の手にかかるから」

春日原さんはそう言って無理矢理笑って見せた。

「でも、余計な心配だったよね。ごめんね」

僕は春日原さんの手を取って言った。

「落語、教えてください。そのために、大会に出てください。僕、部長の噺が大好きなんです!」

「……ありがとう」

春日原さんは、今度は純粋に笑ってくれた。


 それから僕は春日原さんのもとに通い詰め、落語を教えてもらった。歴史のある世界だ、覚えることは数多かったが、ノートをとって抑えていく。

「木下君は一年だから今年は見学だけど、雰囲気だけでも感じ取ってほしいな」

春日原さんはそう笑ってくれた。

 部員の皆は最初こそ気にしていなかったが、徐々にこちらに興味を示しだしていた。

 しかし、大会まで時間はなかった。春日原さんは、これが最後だと心の内で決め、大会に出ることを約束してくれた。

「落研の補欠が、出場ねぇ」

敦は間延びした声で言う。

「部長だっていろいろ考えてくれたんだぞ」

「無理だって。いくら部長でも大会に出たところで恥をさらすだけだ」

それに僕はカチンと来た。敦の襟首をつかんで引き寄せた。

「部長だって必死なんだよ! 人の努力を笑うんじゃねぇ! 僕だって、部長がいなきゃ怠惰に過ごしてたかもしれない。それでも目を覚まさせようと、部長は決断したんだ!」

乱暴に襟首を離し、僕はまっすぐ敦を見た。

「部長にとっての最後の「噺」、しっかり見ておけ」

「本人でもないのにえらい自信だな」

分かっていた、そんなことは。でも、それでも春日原さんを信じていたかった。

「僕は、部長を信じてるからな」


 舞台袖で春日原さんは僕の制服の裾を握っていた。

「うう、やっぱり檀上は緊張するよ、木下君……」

「部長なら大丈夫ですから! 自信持ってください!」

春日原さんは桃色の和服姿で、正直見ていて惚れ惚れする。色素の薄いウェーブがかった髪も短く切りそろえ、いつもより快活に見えた。

「あっ、終わった。次だ」

「部長、ここから応援してますから!」

僕が声をかけると、部長は裾から手を離し、にっこりと笑って返してくれた。

「ありがとう、木下君。客席で見てる他の部員たちにも、いいところ見せてくるね」

背筋は伸び、震えは止まり、しっかりとした足取りで春日原さんは壇上に登った。


 毎度、馬鹿馬鹿しい話を一つ。

 皆様、学生時代はいかがお過ごしでございましょうか。授業、文化祭、体育祭などイベントは数あれど、生活の大半と言っても過言ではないのは部活動でございます。既にお立会いのお客様は落語研究会、もしくは演劇部、はたまた文学部もいらっしゃるかもしれません。

 さて、とある学校には弱小の落語研究会がございました。いやはや弱小というのはもはや烙印の様にくすぶっており、部員たちは皆諦めていたのでございます。そこにドアを叩く音。

「おい、こんなところに何の用だ」

ドアを開けますと一人の生徒がおりまして。

「いや、失礼。落語研究会はこちらで間違いございませんでしょうか」

「間違ってはいないが、何の用だ」

「入部を希望しております優斗と申します。私、噺すことに興味がございまして、いや、是非とも私に落語の如何を教えていただけないでしょうか」

 そう言って入ってきましたこの優斗と名乗る男。常に部室をちょろちょろと回っておりましては、部員にしつこいほど質問を浴びせるのでございます。だらけたいだけの部員にはたまったものではございません。数日もしないうちに優斗を外に放り出してしまったのでございます。

 さてそれから数か月後。部活動には大会がつきものでございます。私がかようにして噺しているのも大会の一端なわけでございますが、かの学校の部員も嫌々大会に参加したのでございます。ところが、あれ、おかしい。登録人数が一人多い。顧問に訊いても役員に訊いても間違っていないという。どういうことだと首をかしげておりますと、開幕一発目、見たことのある男が壇上に座っているではありませんか。部員一同はあっけにとられて彼、優斗を眺めておりました。

 公演が終わると部員たちは優斗のところに直行し話を聞きます。彼は笑いながらこう言ったのです。

「噺家が噺せないのでは話になりませんな」

 お後がよろしいようで。


 壇上を降りた春日原さんは笑顔で汗をぬぐっていた。

「春日原さん。その」

「大丈夫」

春日原さんは僕を見た。

「今はこれだけしかできなかったけど、私、部長として落語をきちんと残して、次につなげたいの」

そう言って、春日原さんは僕の手をとった。

「協力してくれるかな、木下君」

「……はい!」

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