角
ふと見上げた空は白んでいた。
「――明るくなってきたな」
深夜から朝方まで、ずっと妖魔を狩っていた。
捕食できたのは、最初の四体を含めて十五体ほど。
探せば意外と見つかるもので、十分な妖力を補充できた。
「喰えた妖力は三日分くらいか」
一時間ごとに減る妖力を計算してみると、ざっとそのくらいだ。
妖狐が持っていた妖力を合わせれば一週間は持つだろう。
そして、そこに更に上乗せができる。
「……人間の血って、随分と効率がいいんだな」
人間の血。
変換すれば莫大な妖力を生産することが出来るとわかった。
小型の妖魔十五体分を、人一人分の血液のみで賄える。
肉や臓器を含めれば、もっと多くの妖気が得られるだろう。
「まぁ、もう血を喰う機会なんてないだろうけど」
これらのことは、すべて自分でたしかめたことだ。
自分の血を、自分で喰った。
妖狐との融合時に漏れ出た血液の海。
それを錬金術で固め、捕食器官で妖力に変換した。
それがちょうど三日分の妖力になった。
「道理で妖魔が人間を襲うわけだ」
同族で食い合うより安全で効率がいいとなれば、そちらを狙うのは必然だ。
理に適っている。
こう考えてみると、よく今まで遭遇しなかったものだと思う。
「その辺のこと、どうなってるんだろうな」
街中を歩き回って、これだけの妖魔が見つかっている。
なら、この人生の中で一度や二度くらい、遭遇していなければ逆に不自然だ。
だが、実際にその不自然が起こっている。
人間には妖魔を認識できないのか?
俺の身に起こったことは特別で、いま俺が妖魔を見つけられるのは融合したから?
でも、それだと妖魔が一方的に人間を攻撃できることになってしまう。
それならば妖魔の存在が周知されていなければ道理に合わない。
つまり、何者かが意図的に妖魔の存在を隠しているということ。
隠して、人を守っている。
犯罪に対する警察組織のような、抑止力のような何かが存在している?
「……まぁ、考えてもしようがないか」
明確な答えが用意されている訳でもない。
いまは自分に出来ることをしよう。
そうやって一度、思考をリセットしたところ。
視界の端に新たな妖魔の姿をみた。
「あれを仕留めて、終わりにしよう」
区切りをつけるため、アスファルトの道路を蹴る。
同時に、夜のうちに練習を重ねていたことを実行に移す。
「まだ……ちょっと慣れないな」
それは人間の姿から、妖魔化するというもの。
俺の身体に生えた獣耳と狐尾。
それらは自身の意思で消すことができる。
これを人間化といい、逆を妖魔化というらしい。
あの神様は錬金術の知識と言っていたけれど。
この知識のどこに錬金術の要素があるのかはわからない。
けれど、きっとなにか関係があるのだろう。
いかんせん、与えられた知識が膨大すぎる。
脳内で検索するにも、時を要するのが現状だ。
「完了……っと、こっちか」
妖魔化が完了して一瞬、妖魔を見失う。
けれど、すぐに仄暗い陸橋の下に入っていくのが見えた。
両の獣耳と二本の狐尾、二つの捕食器官を携えて。
それを追いかけていく。
「捕まえた」
狐尾を用いて、小型の妖魔を貫く。
短い断末魔の叫びを上げて、妖魔は息絶えた。
ぴくりとも動かなくなったそれを、捕食器官で丸呑みにする。
すぐに妖力に変換され、身体を巡る一部となった。
「よし。これで――」
終わりだと、そう言おうとして、その言葉は遮られた。
「おい、ここで何してやがる」
背後から響いた他者の声に、驚かされたからだ。
「……」
まずい。
人に見られた。
この姿を見られてしまった。
どうする? 顔までは見られていない。
このまま逃げられるか?
「答えないってことは、そういうことでいいんだな?」
彼の声音に怒気と苛立ちが混ざる。
「まったく、切りがねーな。狩り場荒しって奴はよ」
「狩り場?」
口をついて、疑問がこぼれる。
「あぁ、そうだ。ここは俺の狩り場だ。お前、ここで妖魔を狩って喰ったよな? あ?」
妖魔の存在を知っている。
俺のこの姿に驚いた様子もない。
ここが狩り場なのだとすれば、彼もまた妖魔を喰うもの。
妖魔に類するもの、ということ。
人語を解し、意思疎通ができる妖魔。
そんな奴もいるのか。
「……悪かったよ。知らなかったんだ」
意思疎通ができるなら、対話の余地があるか?
「悪かった? おいおい。お前、俺にあの台詞を言わせるつもりか? じゃあ、しようがねぇ。リクエストにお応えして言ってやるよ」
彼は、強く地面を蹴る。
対話の余地など、ありはしなかった。
「ごめんで済んだら警察はいらねーんだよ!」
その脚力は、人間のそれをはるかに凌駕する。
瞬く間に距離は縮み、彼の拳が突き出された。
そうされては、俺も悠長なことは言っていられない。
即座に反転して彼と向かい合い、その拳を狐尾の二本で受け止めた。
「――ぐっ」
なんて重い一撃。
自動車を正面から受け止めたような衝撃が狐尾を走る。
受け止められたから良いようなものの。
まともに喰らっていたら肉体の一部が吹き飛んでいた。
「ほー、やるじゃねぇか」
「そりゃ……どうも」
初めてまともに見た彼の容姿は、人間とさほど変わらない。
衣服も、雰囲気も、人相も、とても妖魔とは思えない。
だが、それでもこの繰り出された一撃だけは人知を越えている。
見た目こそ人間だが、彼は立派な妖魔だ。
今一度、それを認識させられた。
「だが、俺のが強い!」
彼の殴打を受け止めたかと思うと、次の瞬間には狐尾を掴まれる。
「まず――」
身体が浮かび上がり、勢いのまま上空へと投げ飛ばされた。
天に向かって遡り、待ち受けるのは陸橋の天井。
叩き付けられては堪らない。
なんとか空中で体勢を立て直し、天井に張りつくようにして衝撃を殺す。
無事に着地ができたことに、だが安堵している暇はない。
俺の後を追うように、彼も跳躍していたからだ。
「くそっ」
追撃がくるまえに、天井を蹴って地面へと向かう。
その直後、落下の最中に俺はみた。
跳躍した彼の蹴りが、陸橋の天井を打ち砕くのを。
「マジかよッ!」
微細な瓦礫を振らせながら、彼の足が引き抜かれる。
それを見て、次にくる攻撃にたやすく予想がついた。
今度は天井を足場に跳躍して蹴りを放ってくる。
それが自分に当たらないように、急いで対策を取る。
間近となった地面に向かい、狐尾の一本を突き立てた。
「これでっ」
突き立てた狐尾を軸に回転を掛け、自身を振り回すように投げ飛ばす。
地面と平行に飛んで、彼の攻撃範囲から緊急離脱する。
これで蹴りには当たらない。
そう確信を抱きつつ、両足と片手で地面を削りながら勢いを殺した。
ぴたりと、身体が止まる。
それと時を同じくして、かるく揺れるような衝撃が地面を伝う。
恐る恐る、視線を正面にやる。
そこには標的を失った蹴りが地面を穿ち、浅いクレーターを形成しているのが見えた。
「うまく避けたな」
そう言った彼の額には、二本の角が生えていた。
角と妖魔。
連想するのは、鬼。
なるほど、鬼ならあの馬鹿力も納得がいく。
これは本腰をいれて抵抗しなくちゃいけないみたいだ。
あの脚力を相手にして、逃げ切れる自身はない。
やっぱり戦って、勝たないといけないみたいだ。
「こいつは……邪魔だな」
二つの捕食器官を、錬金術で狐尾に戻す。
捕食器官は攻撃には向くが、防御には適さない。
戦うのなら、狐尾のほうが優れている。
「――じゃあ、こういうのはどうだ?」
そう言った彼は自身の左腕を変貌させる。
人のそれだったものが、赤黒い無骨な鬼の手となった。
五指には鋭利な爪が生え、人であった時よりも肥大化している。
彼はその鋭爪を束ねて振るう。
それははじめ、虚空を貫こうとしているように見えた。
だが、それは違っていた。
「――っ」
腕が伸びる。
鬼化した腕は人間の常識など簡単に覆してみせた。
鋭爪は鉄砲玉のごとく飛来し、一直線にこの身へと迫る。
それを目にし、けれどすぐに俺は妖狐の本能に従った。
この状況下、人間の判断より獣の直感に従ったほうがいい。
「これならっ」
右足を軸に回転し、四本の狐尾に遠心力を乗せる。
狐尾もよく伸び、よくしなる。
妖力を流し込めば硬化し、そこに勢いが加われば。
狐尾は鋭利な刃と化す。
「――よし」
四本の刃は弧を描き、飛来する鋭爪を打ち払う。
刃に弾かれた鬼の腕は、激しく損傷して鮮血を散らしている。
いま、彼は片腕が使い物になっていない。
攻めるなら、今をおいて他にないだろう。
そう決断し、即座に足を動かして肉薄を試みる。
「させるかよ」
肉薄する俺に向けて、今度は右腕が伸ばされる。
束ねられた鋭爪は、一本の槍となって突き放たれた。
だが、その手はすでに攻略済みだ。
再び、右足を軸に回転し、狐尾の刃で打ち払う。
これで両腕を封じた。
あとは、四本の狐尾で彼を貫くだけ。
「――」
間合いに踏み入り、狐尾を四方向から向かわせる。
両腕を損傷した今、彼にこの攻撃を防ぐ手立てはない。
そのはずだった。
「残念だったな」
「――ガァっ!?」
腹部に激痛が走る。
なにが起こったのか、すぐにはわからなかった。
混乱する頭で指令を出し、視線を腹部へと向かわせる。
そうしてこの目に映ったのは、封じたはずの鬼の左腕だった。
鬼の腕が、俺を貫いている。
「さい……せい……」
「その通り。鬼の再生能力を甘く見たのが運の尽きだ」
そうか。
再生能力。
鬼には、それがあったのか。
知識を持っていても、それを引き出せなければ意味がない。
彼の正体を知った時に、脳内で検索をかけておくべきだった。
反省、しないと。
「よう。どんな気分だ? これから死ぬってのは」
その問いは、数時間ほどまえにも聞いたものだ。
あの時は答えられなかったけれど、いまなら答えられる。
「意外と……悪くないもんだぜ」
「あ?」
自らを貫く鬼の左腕へと手を伸ばす。
がっしりと掴み、捕らえる。
「お前の……左腕を、もらうっ!」
そして、錬金術を発動した。