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錬金術


 ディスプレイの明かりをまぶしく思いながら、携帯電話を耳に寄せた。


「――もしもし?」

「よう、創也そうや。いまどこにいる?」


 電話越しに、育人いくとの声が響く。

 なにやら騒がしい雑音と一緒だった。


「どこって、えーっと」


 周囲を見渡してみる。

 薄暗い夜道に、点々と配置された古びた街灯。

 ありふれた風景を前に、現在地を正しく言い表す言葉が浮かばなかった。


「あー……家の近くだよ」

「近く? 外ってことか。じゃあ、今から駅までこれるか?」

「今から? なんで?」


 もう深夜近くだぞ。


「いまちょっと男が足りねーんだわ」

「そんなことだと思った」


 この手の誘いは、最近よくあることだった。


「頼むよー、友達のよしみでさ」

「んー……じゃあ、行けたら行く」

「それ来ない奴じゃん!」


 大正解。

 行くつもりなんて最初からなかった。


「まったく、付き合い悪いぜ」

「そういうのは、そういうのが好きな連中とやってろよ。俺は、勘弁」


 それにこの時間帯だ。

 明日、碌なことにならないのは目に見えている。

 露出した地雷を踏みに行くようなものだ。


「まぁ、そういうことならしかたねーか」

「あぁ。じゃあ、もう切るから」


 通話を終わらせようと、携帯電話を耳から離す。


「あっと、ちょっと待った」


 けれど、またすぐに寄せることになった。


「なんだよ? まだなにかあるのか?」

「いや、大したことじゃないんだけどよ」

「んん?」


 なんだか、声のトーンが低くなったような。


「いま家の近くって言ったろ? その辺って妙な噂が流れてんだよ」

「噂? どんな?」

「夜になると化け狐が出るって噂」


 化け狐。

 妖怪ってところか。


「育人。お前、その歳になって……」

「違ーよ、別に怖がってる訳じゃない。ただ、噂にしては見た奴が多すぎるんだよ」


 見た奴?


「周りに狐を見た奴がいるのか?」

「あぁ、知り合いだけで八人くらいいる。実際に追いかけられたとか、噛まれたって奴もいた」

「……そいつらがグルになって育人を騙してるって線は?」

「ない、と思う。そいつらに直接的な繋がりはないし」


 友達の友達、みたいなものか。

 だとしたら、口裏を合わせている可能性は低いな。

 合わせるような理由もないことだし。


「ま、犬かなにかと間違えたんだろ。ほら、似てるし」


 夜は視界が悪いし、遠目で見たら犬でも狐に見えるかも。

 きっとそうに違いない。


「だと良いけど。……ないとは思うけど、創也も気をつけとけ」

「わかった。夢に出てこないように祈ってる。じゃあな」

「あぁ」


 今度こそ通話を切り、携帯電話を仕舞い込む。


「化け狐、ね。ハッ、馬鹿馬鹿しい」


 この時代に妖怪だって?

 人が狐に化かされていたのは、もう随分と昔の話だ。

 今じゃ動物園にでも行かない限り、滅多にお目にかかれない。

 そんな狐の、それも妖怪が、この近くにいる?

 どう考えたってあり得ない。


「……さっさと帰るか」


 べつに臆したとか、噂を信じた訳じゃない。

 だが、それらしいことを聞かされると、何でもない暗闇が不気味に映ることくらいある。

 それがなんとなく嫌だから。

 そんな理由で、俺は歩幅を大きくして歩いた。

 けれど、ものの十歩も歩かないうちに、この足は地面に縫い付けられる。


「――」


 息を呑む。

 自分の目を疑う。

 視界の中央に、それはいた。

 小麦色の毛並みを纏う、大きな狐。

 赤い瞳に、鋭い牙。

 その尾は、四つあった。


「ま……ずい」


 街灯に照らされた化け狐は、じっとこちらを見ている。

 身体がうまく動かない。鉛のように重い。

 まるで押さえつけられているみたいだ。

 それでもなんとか足を動かし、片足を後ろへと向かわせる。

 足の爪先がアスファルトにつき、ゆっくりと踵を下ろす。

 その直後。

 化け狐は天を仰ぐ。

 そして、身の毛もよだつような雄叫びが木霊した。


「――ッ」


 瞬間、身体は正常に駆動しはじめる。

 先ほどまでの重さが嘘だったように、即座に地面を蹴った。

 駆ける。駆ける。駆ける。

 遠くに見える街灯を目指して、夜道を走り抜けた。

 しかし。


「――がっ……あ……」


 背中に衝撃が走った。

 最初に認識できたのは、それだけだった。


「なん……だよ、これ」


 次ぎに自分の胸から、赤い何かが生えていることに気がつく。

 ぬらりとした尖ったなにか。

 それが尻尾だと言うことに気がつくのに、さほども掛からなかった。

 胸から尻尾が生えている。

 いや、違う。そうじゃない。

 背中から突き抜けたんだ。

 心臓を、貫いて。


「はっ……はっ……」


 息が、止まる。

 背筋が、寒い。

 胸が、熱い。

 身体に、力が入らない。

 ずるりと、尻尾は抜ける。

 すでに足に力は入らず、支えを失った身体は崩れ落ちた。

 アスファルトの固い感触が背中を覆う。

 視界いっぱいに広がった夜空には、月だけが俺を見下ろしていた。


「俺……死ぬのか」


 血で満たされていく。

 服も、靴も、髪も、赤く濡れていく。

 ついには、視界に化け狐が映った。

 鋭い牙を見せ、大口を開き、近づいてくる。

 喰われる。

 まるで他人事のように考えながら、それを眺めていた。

 もう指一本動かせない。

 そんな気力はもう残っていない。

 受け入れがたい現実に、抗うことすらできないまま。

 俺は、生を諦めた。


「――おやおや。こんなところで死にかけの人間と出くわすとはね」


 止まる。

 不可解な声とともに、すべてが止まる。

 化け狐も、俺自身も、時が止まったように静止した。

 動いているのは、俺という意識だけかのように思われた。

 けれど、もう一人いた。

 静止した世界で、自由に動き回る一人の少女が視界に映る。


「やあ、少年。妖狐に喰われる寸前だね。気分はどうだい? ん?」


 いたずらな笑みを浮かべ、少女は問う。

 それに答えようにも、身体は動かず声も出ない。

 自分なりに努力はすれど、それが実ることもない。


「そうか、そうか。なるほどね。死ぬ寸前の人間の思考は、いつみても飽きないねぇ」


 どこか楽しそうにしながら、少女は俺の周りをゆっくりと歩く。


「あぁ、そうだ。自己紹介がまだだったね。私は君たちが言うところの神様さ。八百万の神の一柱。一神教とは真逆の類いの存在だよ。聞いてないって? まぁ、そう言わずに」


 俺はなにも言っていない。

 というか、言えない。

 口も、喉も、肺も、動かない。


「ここであったのも多少の縁だ。縁は大事にしないとね。という訳で、いま死にかけている君に、私から一つ贈り物を授けて上げよう。気に入ってくれるかな?」


 少女は俺の額に人差し指を当てる。


「人、魂、物質、万物を変成させる錬金術の知識だ。うまく使えば、死なずに済むかも知れない。まぁ、それでも絶望的な状況に代わりはないが。心臓が貫かれて、潰れているからね」


 そう告げて、少女は俺から離れる。


「万が一、ということもある。死なずに済むこともあるだろう。もし生きていたら、また会おう少年。じゃ、頑張りたまえ」


 少女は消える。掻き消える。

 それと同時に、脳内に知識が押し寄せた。

 錬金術。

 その根幹、その深淵、その真理が、怒濤の如く雪崩込んだ。

 わかる。わかる。

 なにをどうすれば、錬金術を使えるのか。

 この状況から起死回生の一手を打てるのか。

 俺にはすべて理解できていた。


「――錬金術は、無から有を造れない」


 時は動き出し、この手は伸びる。

 獲物を仕留め、油断しきった化け狐の喉元へ。

 掴み、握りしめ、指を食い込ませる。


「俺だけじゃ、心臓は造れない。だから」


 錬金術を発動し、化け狐を崩壊させる。


「お前が、材料だ」


 同時に、俺自身をも崩壊させた。

 錬金術の神髄は、崩壊と再構築にある。

 俺と化け狐。

 その両方を同時に崩壊させ、一つとして再構築する。

 致命傷を受けて失った心臓を造るには、こうする他にない。

 助かるには、こうする他にない。


「――がっ、アアアァァァァァァァァアァアアアァァァアアアッ!」


 混ざり合う。融合する。混淆する。

 二つが一つとなり、完全に同化した。。

 それは人間という存在ではなくなるということ。

 錬金術は、正しく俺の意思通りに作動した。

 この場には、もう化け狐はいない。

 人間もいない。


「――生き、てる」


 ただそこには、半人半妖の化け物だけがいた。

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