岩井クンとおばあちゃんのホワイトデー
二十個か──。
バレンタインデーでもらったチョコの個数である。
とおりすがりに「あ、岩井クンにもあげるよ~」とカバンの中へ放り込まれたチョコがほとんどであっても返さねば。
とはいえ義理チョコに無駄金を使いたくはない。
岩井クンは台所の戸棚を開ける。
「お。ホットケーキミックスみっけ。ココアパウダーとチョコも」
玉子使っていい―? と居間でテレビを見ているおばあちゃんへ声をかけた。
「あとバター。そうか。ケースもいるのか」
「なにを作るん?」
「カップケーキ。バタークリームで飾りをつけようかと思って」
「ほだらコレ使いん」
おばあちゃんはカゴを見せる。中にはラッピンググッズが詰まっていた。カップケーキのケースもある。
「さすが駄菓子兼文具卸の事務だねー。使っちゃっていいの?」
「使わんかったら捨てるだけだがん」
助かる、と岩井クンはおばあちゃんに両手を合わせる。
岩井クンはおばあちゃんと二人暮らしである。
両親は岩井クンが幼稚園のときに事故死した。おじいちゃんは岩井クンが生まれる前に病死した。おばあちゃんは女手ひとつで仕事をかけもちして岩井クンを育ててくれた。
おかげで病気ひとつすることなく、いまや高校二年であった。
「ほうか、明日はホワイトデーか」
「おばあちゃんの分も作るから」
いらんわ、と笑っておばあちゃんは居間へと戻る。
できあがったカップケーキ──。
ココア味のカップケーキに堅めに仕上げたバタークリームをしぼり出し、それに雪の結晶のカタチのチョコをトッピングだ。もちろん湯せんしたチョコをしぼり出して作った岩井クンの手作りである。
くずれないようひとつずつ透明な袋でラッピングをして茶色のリボンで口を閉じた。
我ながらもらったどのチョコよりもうまそうである。
なにしろ岩井クンは岩井家の家事担当。「バレンタインだからチョコ作ろ」とふわふわ思った女子とはキャリアが違う。
さっそく登校途中ですれ違った女子に「ハッピーホワイトデー。はい、お返し」と配っていく。どの女子も「岩井クン、ありがとって、すごっ」と声をうらがえしている。
それを見たほかの女子が「あたし来年岩井クンにチョコあげよっ」とあからさまなお返し目的発言をする。かくして毎年もらう義理チョコが増えていくのだが、まあしかたがない。
中には続けてなにかをいいたげな女子もいたけれど、岩井クンは気づかないフリをして教室へ入る。
「モテる男はつらいねぇ」
友人が参考書片手に岩井クンの隣へ座った。
「お前もいる? 余分に作ったんだ」
「いる──ってすげっ。なんなの、お前のこのテク。パティシエにでもなるのか?」
「パティシエかー。それもいいけど営業職のが月給よさそうだし」
まあな、と友人は雪の結晶のチョコを口へ入れ、「うまっ」と声をあげる。
「……お前、本当に就職すんの? 進学しないで?」
「お前が勧めたんだろ?」
「アレは言葉のアヤで」
「意地張ってるわけじゃない。そのとおりだなって自分でも思った」
でも、と続ける友人に岩井クンは、あ、と声を出す。
「あと先輩に渡さないとだけど。来てるかな」
「卒業式すんでんじゃん。進路報告があるなら来てるかもだけど」
「だよなー。自宅へ持っていくほどでもなー。どうすっかなー」
「本命チョコかもじゃん。自宅いけよ」
「お前なにいってんの? まあ、あとでダメもとで部室いってみる」
岩井クンは友人へ皮肉な笑みを浮かべる。
放課後、岩井クンは物理室へ向かった。
ずっと蓄電池という乾電池の親戚みたいなヤツが好きで岩井クンは一年生から物理部に所属していた。チョコをくれたのはその女子部長であった。
ドア越しに中をのぞく。西日のさした教室に人影があった。
うん、いると思った。
岩井クンはドアを開く。元部長がふり返る。卒業したというのに律儀に制服姿である。肩までの真っ直ぐな髪がふわりと揺れる。
「先輩、聞きました。名大合格おめでとうございます。あ、これホワイトデーのケーキで」
「岩井、進学しないんだって?」
……やっぱりそれか。
「国際物理オリンピックと国際数学オリンピックで銀メダルとる人間が進学しないってどういうことよ」
「家庭の事情ってヤツですよ」
「岩井ならどんな奨学金だってもらえるじゃん。東大や京大なんかじゃない。国費留学の審査だってクリアできるのに?」
岩井クンは静かにカップケーキを先輩へ差し出す。つかのま先輩の眼差しがやわらぐ。けれどそれもすぐに消えた。
「アイツにいわれたからでしょ。……あたし、聞いていたの。『実用化まで何十年かかるかわからない研究がお前のばあちゃんを助ける? ふざけんなよ。家族を本気で助けたいなら働けよ』ってヤツ」
岩井クンは首に手を当てる。
「アレを本気にとったの? ただポスター賞を受賞した岩井へのあてつけじゃん」
「正論でしたし」
岩井っ、と先輩が両手で岩井クンの学生服を引っ張った。
「──もったいないよ。それに、それにっ」
先輩の整った顔がくしゃりとゆがむ。
「あたし……岩井のことが」
やんわりと岩井クンは先輩の手をはらう。そしてその手にカップケーキをおく。
「先輩には本当にお世話になりました。大学、がんばってください」
笑顔を作り、そのまま岩井クンは物理室を出る。
廊下に友人がいた。壁にもたれて天井を見ている。
「……いいのかよ。つうか、おれ、すんげえ悪者じゃん」
「あとはお前にまかせるよ」
「はあ? なにいって」
「先輩のトコにいけっつってんだよ」
「いけるわけねえだろ」
「たとえ玉砕しても、いま告白しないとお前ずっと後悔するぞ?」
岩井、と友人は声をつまらせる。
先輩のコト、キライじゃない。
でもどれくらい好きかといえばわからない。
少なくとも彼女のために死ねるかと問われたら、ムリだ。
父は──と岩井クンは思う。
母をかばって母ごと事故死した。
その話を聞くたびに「その人のために死ねるかどうか」がいつしか岩井クンの恋人条件となっていた。
いつだったか、さっきの友人にそれを伝えたことがある。
「お前は武士か」
友人は笑った。
ああそうだな。笑いたければ笑えばいいさ。けれど譲れないラインは誰にでもある。
そして──そんな相手に岩井クンが出会うのは七年後。
もちろん岩井クンはまだそれを知らない。
「ただいまー」
「はやかったね。ケーキ渡せたかん?」
おばあちゃんが台所から顔を出す。ああ、ぼくがやるよ、と岩井クンは慌てて手を洗う。
「ハイ、これおばあちゃんの分」
「いらんていっただらあー」
「まあまあ、そういわず」
おばあちゃんのケーキには雪のチョコではなくハート型のチョコだ。
──その人のために死ねるかどうか。
いまの岩井クンにはそれは、おばあちゃんだった。
「おばあちゃん」
「なんだん」
「──長生きしてね」
ずっと──ずっと、そばにいてね。
そんなコト、ムリなのに。わかっているのに。言葉にせずにいられない。
口元に米粒が当たった。
菜めしおにぎりだった。
「お腹すいとるんだぁ。疲れただらぁ。食べりん」
うん──、と岩井クンはおにぎりをほおばる。
口いっぱいに塩漬け菜っ葉のしょっぱさと炊き立てごはんの香りが広がる。幸せな味。おばあちゃんの味。
「竜輝」
「ん?」
「ありがとうね」
おばあちゃんはハートのチョコを手でつまむ。
見たこともないほど嬉しそうな笑顔だった。
こっちこそ、と岩井クンは胸でかえす。
ありがとう。
(了)
デジタル連作短編ミステリー『岩井クンの祥子センセ事件簿・いるかネットブックス』番外編。
岩井クンが高校生だったころの物語です。おばあちゃんもまだ……。
本編もご覧いただけたら、胸アツ10倍!
(「なろう」用に改行多めにしてあります)
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