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クラムレウンの異形大全  作者: 曲線定規
2/2

オトキガエル 一

「いやはや昨日は大変じゃったな~」


午前の授業が終わるなり後ろで寺墨が異様なまでに豪華な弁当を広げながら言った。


「昨日に限らず今日も大変だったんだぞ。左目、ラロ、それに悪夢と朝からテンションが下がる出来事ばっかりだ」


僕はそう言って家から持ってきた手鏡で自分の左目を映した。


「ふむ、しかし今日は朝からずっと普通の見た目じゃな。蛇は寝ておるのかえ?」


「今は寝てるみたいだけど今朝はそういうわけでもなかったよ、今は左目だけカラコン入れてる。あ、そういえば最近のカラコンって凄いな、目を大きく見せたり三白眼にしたりってもう何でもありだ。おかげで簡単に誤魔化せるから助かるけどさ」


僕はそう言いながら鞄からコンタクトの箱を出して机に置いた。

寺墨はパッケージ裏に書いてある説明書きをしげしげと眺めた。


「ほお、度入りもあるのか。中々面白そうじゃな」


興味深そうに寺墨は呟いた。


「あれ?寺墨って眼鏡かけてないよな。もしかしてコンタクト入れてた?」


寺墨と知り合って一年も経ってはいないが眼鏡をかけていたところなど僕は一度も見たことがなかった、と言ってもヒトグミに喰われて無くなったという可能性も実のところ否定できなかったりするが。

寺墨はフフンと嬉しそうに鼻を鳴らして


「何を隠そう儂はれっきとしたコンタクト愛好家ぞい。幼いころから暗い蔵の中で本を読み漁った経験で今はすっかり目が悪くなっておる」


と言った。

別に自慢げに話すことではないのだが寺墨は一人ご満悦の表情を浮かべて飯を頬張るのだった。


「あ、そう」


別に風呂敷を広げる話題でもないと思い僕は相槌を適当に返した。

すっかり飯に夢中になっている寺墨を見て僕は自分もお腹を減らしていたことを思い出した。

僕は席を立つと寺墨に


「ちょっとご飯買ってくる」


と言い残して教室を出ようとした。

その時、僕は教室のドアの裏にいた何かにぶつかった。


「うげ」


僕は反射的に小さく呻いた。

歩いていた為それほどスピードが出ていなかったことが幸いしたのか僕の方に特段痛みは無かったのだが相手の方はお腹を押さえて蹲るほどだったらしい。


「超いってえ・・・」


ハスキーな声。

よく見るとぶつかった相手は女の子だった。


「ごめんなさい、見えてなかったのでつい・・・」


ひとまず謝ると女の子は顔を上げて僕をキッと睨んだ。

突然ぶつかられ蹲る程の強烈な痛みを感じた上に相手は無傷となるとカッとなるのも当然かもしれない。

女の子はゆっくりと立ち上がった。


「いや、ぶつかったのはアタシも悪かったよ。ところでよ、見えないってのはどういう意味?」


女の子は、僕の背丈を遥かに上回る身長だった。

僕の身長は大体165cm前後なのだが,目の前の女の子はどう見ても僕より2,30cmは高い。

びっくりして何も言えない僕に彼女は小さく溜め息を吐いた。


「なあ、アタシが見えなかったってどういう事なの?」


「考え事をしてたから見えてなかったんだ、本当にごめん」


再度頭を下げて謝罪をした。

彼女は何も言わなかった。

どのくらい時間がたったのか分からない程の時間の末、不意に後ろから寺墨が話しかけてきた。


「何をしておるんじゃ、もう昼が終わるぞい」


顔を上げて教室の時計を見ると僕が席を立ってから既に十五分ほど経っていた。

僕は妙に早い時間の経過に少し困惑しながらも寺墨に話した。


「女の子にぶつかっちゃってさ」


そして女の子の大雑把な特徴を言うと寺墨はすぐに廊下に出てキョロキョロと見回した。

そして眉を潜めながら


「そんなでかい女どこにもおらんぞい。というかここは三階じゃぞ?上の学年の者はわざわざここに来るとは思えんのじゃが・・・」


「いや、目の前にいるこの人だって」


僕は小さく寺墨に言った、今の行動はいくらなんでも笑えない冗談だ。

寺墨は僕の言葉を聞いて一瞬固まってから


「誰もおらん」


と言った。

そして今更僕も気づいた。

さっきまで目の前にいたあの大きな女の子がどこにも居なかったからだ。

目の前の廊下は横道に当たるまでかなりの距離があり、それを足音も無しに急に姿を消すのは不可解なことだ。


「一体何が起きたんだ?まさか怪異じゃなかろうな・・・」


僕が小さく呟くと寺墨がくるっと首を回した。

地獄耳だ。


「学校の住みつく怪異か。儂は聞いたことは無い、が存外いるかもしれんな」


「なんでまた俺だけ見えるんだ」


僕がそう聞くと寺墨はふむと言いながら顎に手を当てて考え始めた。

その時、廊下の向こうからセンセイがチャイムとともに現れた。


「授業始めるぞ~、さっさと教室に入れ~。そこの、二人も廊下で喋ってないで教室に戻れ」


「げ、昼めし食い損ねた。仕方ない、とりあえず戻るか」


僕は考え事を続ける寺墨を引きずって教室に入った。

結局その日の授業が終わるまで寺墨は考え事を続けていた。

放課後になって僕は寺墨に


「今日は二夜の見舞いに行くんだよな?」


と言った。

相変わらず僕には無数の怪異が憑いているようだけど危険な怪異であるヒトグミを祓ったので病院に行くくらいなら構わないだろう。

すると寺墨は徐に僕の目を見た。


「どした?」


寺墨は僕にこう言った。


「お主、今朝から妙なものを見なかったか?」


突然の質問。

昨日も似たようなことを言っていたことを僕はふと思い出した。


「妙なものって?」


「首輪の無い犬」


間髪入れずに寺墨は答えた。

僕は首を振った。


「いいや、見てないよ」


「では近づいても微動だにせぬ鴉は見たか?」


僕は答えに詰まった。


「わかんないよ、チラッと見て動かない鳥なんていっぱいいるし」


寺墨はなるほどと納得したのちにこう聞いてきた。


「自分の姿が見えるか聞いてくる人間はどうじゃ?」


「見えるか、じゃなくて見えなかったかを聞いてくる人はいたよ」


なるほど、と再度寺墨は呟いた。

気になって一体どういうことなのか聞いてみたが寺墨はむにゃむにゃとはぐらかした。


「とりあえず二日続けて行けないというのは失礼じゃし病院に行くぞい」


「え、俺行けるの?大丈夫かな?」


寺墨の妙な質問のせいで僕は少し怖くなっていた。

解決したとはいえあのままヒトグミを放置していたら僕は間違いなく死んでいた、それがどれだけの事か今ようやく実感できた気がした。


「大丈夫と断言は出来んな、恐らくお主は今怪異に憑かれやすい体質になっておる。しかし日常的に存在している影響力の弱い怪異には憑かれている様子が無い、となると思っているより危険な状況では無いかもしれん」


「つまり?」


「何とも言えぬ」


僕はがっくりとした。

僕としては命に関わる危険は出来るだけ避けたいからだ。

オカルトに興味は持ったが命をかけるほどではない、そういう状況なのだ。

寺墨はあっけらかんとした表情でこう言った。


「まあまて、そもそも怪異というのは必ずしも危険なものばかりではないのだぞ」


「どういうことなの?」


「そもそも怪異の発端というのが実にくだらない。人に最初に発見された怪異を知っているか?ユゴメという名の怪異なんじゃが、これが実にくだらない。人に取り憑くと毎晩夢の中で未来の出来事を教えそれを人に広めさせるんじゃと」


「普通に凄くない?」


「いいや、何しろ夢で教えるから依り代になった人間によっては肝心の予言を忘れるなんてこともあるらしいぞい。更に言えばその的中率は50%に満たぬという話じゃ。その上夢を見ない日があったり的中しなかったりするとユゴメはその依り代から離れてしまう。まあそれでも運のよい人間はズバリズバリと予言を的中させるから見ようによっては凄い怪異じゃがな」


当たるか外れるかの二択で当たり続ける人間の方が凄いのではないだろうか、と思いつつ僕は少し気になったことがあった。


「そんなあやふやな怪異、どうして見つけられたんだ?」


存在すら曖昧なのにどうやって見つけられたのか、僕はそれが分からなかった。

寺墨はうむ、と頷いてからこう答えた。


「見える者がいたんじゃ」


「見える?」


そうじゃ、と肯定してから寺墨は僕の顔を見て続けた。


「怪異が見える者がおる」


怪異が見える?ヒトグミにのような危険な怪異にしても言われるまで分からなかったのにそんな事がありえるのだろうか。

寺墨は疑いの目を向ける僕に対して一冊の本を写真を見せた。

実に古そうな本で、全く装飾が成されていない。

本というよりはノートのようなそんな印象を受けた。


「この本が現存している中で最も古い怪異を記した本じゃ。この本の作者は自分は怪異が見えるという前置きをした上で他の怪異を語っておるのだぞい」


「どのくらい昔の本なんだ?」


「あー・・・・これはな、大体千年前だった筈じゃ」


何故か答えに詰まる寺墨。

それに気づいたのか寺墨は慌てて弁明を始めた。


「なにしろこれはこの国の本では無くてな、しかも作者が己の名前以外何も記しておらんのだ。その上内容も全てが造語且つ暗号で専門家にも完全に内容を理解することは出来ておらん」


「ええ、じゃあなんでその本に怪異について書かれてることが分かったんだ?というか専門家って誰なんだ?」


「儂にこの本を渡してくれた者がおってな、その者がある程度の読み方を教えてくれたのだ。とはいえ彼奴は今海外におるから連絡を取ることは出来んぞい。いや、スマヌ説明不足過ぎたな、しかし今はこう説明するほか無いんじゃ」


どう聞いても不確かで信用ならない情報だ、これを納得しろという方が難しいとすら僕には思えた。

しかし


「ハッキリ言って納得は出来ないけどさ、ヒトグミの時も俺はそれを実際に体験するまでは俄かには信じられなかったけど確かに存在してたもんな」


それでも全く信用ならないというには遅すぎるくらい僕は怪異を体験し過ぎた。

実際に見るまでは納得は出来ないだろう、しかし聞き流すことも僕には出来ないのだ。


「もうすぐ長期休暇、恐らくそのくらいの時期に彼奴もこっちに来る筈じゃ。その時に必ずお主に会わせるからそれまで待ってくれんか?」


「良いよ、っていうかそろそろ病院に行かないとまずくないか?」


僕は徐にそう言うと寺墨は壁に掛けられた時計を見て青ざめた。


「急げ!ちゃちゃっと行けばまだ大丈夫じゃ」


寺墨はそう言って学校を出た。

僕もそれに付いていった。

多少の心配はしていたが、それでもきっと僕は大丈夫だと思ったからだ。



15分ほど走った僕らは、すぐに病室まで通してもらえた。

というより妙に病院全体が落ち着きが無く一々相手をしている暇がないというような印象を感じた。

廊下を歩いていると不意に頭の中で声が聞こえた。


(なんだか妙ですわね)


いつから目を覚ましていたのかラロが僕に話しかけてきたのだった。

ラロは僕が考えていることに気づいたのか得意げに


(つい先ほど、ですわ)


と言った。

隠し事が上手いやつだ、と僕は思った。


(それよりもこの病院?という施設、何だか変な気配がしません?)


「変な気配?」


僕は声に出してそう聞いた。

僕の知る限りでこの病院からは慌ただしいということ以外の印象は見受けられなかった。

するとラロは僕の考えに同意したうえでこう言った。


(さっきから色々見ていますが使われている病室は少なく思えますし、急ぎの病人がいる様子もありませんの)


「それは、つまり慌ただしさの原因が分からない?」


(そういうことになりますわね)


「何を一人でブツブツ呟いておるのじゃ?」


僕は慌てて寺墨に事情を説明をした。

すると寺墨は急に立ち止まった。


「確かに変に忙しそうな者が多い・・・というか明らかにおかしいのう。職員が忙しく走り回るのは分からんでもないがそこら中で患者が歩き回っておる上、満室のはずの部屋が空っぽのまま開け放されておるぞ」


周りを見ると確かに医者も患者も関係なくバタバタと走り回っている人が多く、僕等には一瞥もくれない。

しかも、よく見ると走り回っているのはどれも老人や年配の人ばかりで反対に子供やある程度若い人は病室で寝ているようだった。


「とりあえず二夜の病室に行ってみよう」


僕がそう言うと寺墨もそれに同意してくれた。

僕らは少し不気味な病院に違和感を覚えつつ廊下の突き当りの二夜が居るという病室に入った。


「む・・・寺墨、一か・・・」


二夜は小さな体をベットに寝かせながら僕らを歓迎した。

足にギプスをしているが眠そうなこと以外、本人は至って健康そうだ。


「久方ぶりじゃな、二夜」


「元気そうで安心したよ」


「ああ・・・骨折は大したことない・・・ただ・・・」


二夜は足を指さして言った。


「もう治っている筈なんだが・・・外してもらえない・・・」


「どういうことなんじゃ?」


寺墨がそう聞くと


「それはだな・・・恐らくこの病院に起きている異変が関係しているんだ」


突然隣の空きベットから男が這い出してきて言葉を継いだ。


「うわっ、誰だあんた」


僕が思わず叫ぶと男はすまんと言いながら胸ポケットから眼鏡を出して掛けた。

よく見ると男は白衣を着て首には関係者証をかけていた、どうやら病院の関係者だったらしい。

男は僕の視線に気づいたのかカードを持ち上げて


「ああ、自己紹介が遅れたね。僕は蔵峰蓮斗(くらみねれんと)、こう見えて実は雑誌の取材で来たカメラマンなんだ」


そう言うと蔵峰さんは名刺を懐から取り出して僕と寺墨に渡してきた。


「サザメリという雑誌の特集で先週から二夜くんのところに取材に来ていたんだ。君たちは・・・二夜くんの友人の一くんと寺墨くんだね?」


僕等を手で指し示しながら蔵峰さんは聞いてきた。


「そうじゃが・・・よく一目で分かったのう」


寺墨がそう言うと蔵峰さんは一瞬ピタリと止まった。

そして一気に破顔してこう言った。


「あはは、鋭いね」


何だか急に胡散臭いような感じが漂ってきたように思えた。


(何を考えているかは分かりませんがこの方、どうやら普通の人間ですわね)


そうなの?と相変わらず疑いの念を拭いきれない僕にラロはこう付け足した。


(ええ、少なくともこの病院にいる人たちから感じる妙な気配がありませんの)


病院で起きている異変を知りながらその影響を受けていない人間ということは、寺墨と同じく怪異を知っている人間の可能性があるだろう。

僕が考え込んでいると蔵峰さんは僕の方を見てこう言った。


「ふーむ、どうやら僕と同じく君たちも何か隠しごとがありそうだね」


蔵峰さんは僕に向かってにっこりと微笑んで見せた。

寺墨はふむ、と顎に手を当てて暫し考え事をした後にこう言った。


「とりあえず、儂らが知りたいのは二夜が何故退院できぬのかという話なんじゃが・・・ここで一体何が起きたんじゃ?」


「ああ、それについては僕が簡単に要点をまとめて話すよ」


蔵峰さんはそう言って懐から6枚の写真を取り出して見せた。

同じ風景の写真を一週間前と現在の二枚ずつ撮っているようだ。

蔵峰さんはその中から二枚の写真を指さした。


「まずはこれ、受付周辺の風景なんだけど、今と一週間前で何が違う?」


ハッキリ言って何が違うのか僕には分からなかった。

診察待ちの人、歩き回っている人、受付の人、同じ時間を示した時計、カレンダー、飾ってある蛙の絵。

強いて言えば受付に居る人が違うくらいだけどそれは大した問題では無いだろう。

暫く悩んでいると徐に寺墨が一言、蔵峰さんに言った。


「先ほど、何が違うかと聞いていたがそれは言葉通りの意味として解釈してよいのか?」


蔵峰さんはにっこりと笑ってこう答えた。


「そうだね~、じゃあ言い方を変えてあげよう。この二つの写真、何がおかしい?」


ますます混乱しかける僕の頭の中でラロが大きな声で叫んだ。


(この写真、受付の人以外全員全く同じ場所に座っていますわ!)


僕はその言葉を聞いてようやく気付いた。


「!!、そうか、この二つの写真・・・間違え探しのような感覚で見ていたけどよく考えたら共通する部分が多すぎるんだ」


僕の答えに蔵峰さんは大きく頷いて見せた。


「その通り、君たちは今日初めて来たから気付かなかったかもしれないけどね。彼らはここ一週間近く同じことをしているんだ」


「じゃが、普通に会話は出来たぞ。この病室までの案内をしてくれた者はいつもと違う動きをしているのではないか?」


その通り、と蔵峰さんは言った。

そして受付の写真を隅に置き、今度は廊下の写真を二枚と小型の音声レコーダーを取り出してきた。


「これはある検証のデータだ。彼らいつも同じ行動をしているんだけど、深夜に近づくにつれて段々と動きが変わっていくんだ」


「何故じゃ?」


寺墨が疑問の表情を浮かべながら聞いた。


「ああ、その答えがおそらくこれだ」


蔵峰さんは写真を指さした。


「突き当たりにエレベーターがあるだろ?僕はこのエレベーターの中に一度カメラを置いてみたんだ」


「それ、本当に許可されたの?」


取材とはいえそんな事をしていいとは僕には思えなかった。

すると案の定蔵峰さんは


「許可は取ってないんだ」


とアッサリ白状した。

寺墨は大きく溜め息を吐きながら


「お主、傍若無人じゃな」


と呆れ口調で言った。


「まあまあ、とりあえず聞きなって。友達を無事に退院させたいだろ?」


蔵峰さんは笑顔で言った。

僕は蔵峰さんの状況や言動にそぐわぬ笑みに少し恐怖感のようなものを覚えた。


「で、だ。このエレベーター、中にカメラを入れて外から観察してみたんだけどね。エレベーターの中と外に表示されてる階の表示が全く合ってないんだ」


寺墨は眉をひそめた。


「特におかしいと思ったのは・・・ここ五階だろ?外の表示で五階って出てるのにエレベーターは八階に居たんだ。それでもしかしてって思ってカメラを置いたら案の定さ」


僕はゴクリと生唾を飲み込んだ。

蔵峰さんはボソッと小さくこう言った。


「エレベーターに乗った人は必ず八階に行ってるんだ」


「?、つまり八階に何かあるってこと?」


僕が聞くと蔵峰さんはそうだね、と肯定してから一言付け足した。


「恐らく突き当たりのあのエレベーターの八階を押すと何かがあるんだろうね。因みに他のエレベーターじゃこの現象は起こらなかったし階段で八階に上がっても普通に病室があるだけで他のフロアと何も変わらなかった」


「お主はそのエレベーターに乗ってみたのかえ?」


寺墨の質問に蔵峰さんは首を振って否定した。


「いや、もう少し調査を進めておいた方が良いと思ってね。一通り情報が出揃ったまさに今日、乗るつもりだよ」


「なるほど、では他に何が分かったんじゃ?」


蔵峰さんは写真を隅に置いてレコーダーを手に取った。


「次はこれだ。本当はカメラの映像を見せたかったんだけどね、八階に着いた途端にカメラが何も撮さなくなるから音声だけ抽出したんだ」


蔵峰さんは人差し指を口元に当てながらレコーダーの再生ボタンを押した。

僕等四人と一匹?は静かにそれに向けて耳を澄ませた。


『・・・gerogerogerogerogerogerogerogerogerogerogerogerogerogerogerogerogerogerogerogerogero』


「・・・」


寺墨は顎に手を当てながら何かを考え始めた。


「蛙の鳴き声?」


僕がそう言うと蔵峰さんは小さく頷いた。


「一応調べたんだけどね、この病院のどこにも蛙なんていなかった。にも関わらずこのレコーダーには大量の蛙の鳴き声が録音されてるんだ」


おそらくこの蛙の正体は、と蔵峰さんは寺墨を見て言った。

それに気付いているのか分からないが、寺墨は徐にある事を言った。


「それらしい怪異ならある・・・確か、オトキガエルという名じゃ」


蔵峰さんは目を見開きながら口元を僅かに歪ませて笑った。

そしてレコーダーを隅に放り投げて二枚の写真を僕等に見せた。


「御説蛙、四十景観色の周期で産卵に備えてヒトの寿命を喰うイキモノ、合っているか?」


乱雑に並べられた極彩色の後光のような光を放つ緑色の坊主の絵を映した写真と真っ白でちっぽけな蛙の絵の写真、一体何の写真なのか僕には分からなかった。

寺墨は蔵峰さんの妙な発言に怪訝な表情を浮かべた。


「寿命を喰うというのは確かじゃが・・・産卵じゃと?・・・お主何を知っておる?」


寺墨の言葉に答えず、二枚の写真を指さして蔵峰さんは言った。


「これはな、例のエレベーターから八階に行った五十代の男と十二歳の少年がそれぞれ見たモノを絵に起こさせたものだ」


「全然違うものを見たって事なのか」


僕の言葉に笑みを深くしてこう言った。


「そうだ、大まかに言うと四十前後の人間には思わず教えを乞いたくなるような格式高い坊主に見える。それよりも若い者には何の特徴らしいものは無く興味も持てないツマランただの蛙に見えるそうだ」


そして、と蔵峰さんは更に続けた。


「年代を大きく分けた四人を四日間八階に通うように仕向けたところ五十代以上の老人は四日目以降もこちらの意志と関係なく自分達で通うようになった。そして六日目からは一度八階に行かない限りこちらのいかなる行動に何の反応を示さなくなった。逆にそれよりも若い人は三日目から抵抗の意志を示すようになり、五日目以降頻繁に眠るようになった」


「二夜を・・・他人を実験体にしたのか!?」


僕は少し困惑しながら訊いた。

いつからか話の途中で二夜はすでに眠っていた、そもそも今日会った時点でベッドで寝たきりにしてはやけに眠そうな様子だった。

それに実験そのものもまたおかしい、調査の時点でそこが危険な場所である可能性はあった筈なのにこんな事を他人に強制させるなんて無茶苦茶だ。

蔵峰さんは僕の問いにあっけらかんと答えた。


「二夜君はまた別件だよ、それに彼は僕が来た時点で末期症状に陥っていた。そして僕がやったのは実験じゃない、彼らに協力を仰いだだけ。元々、四日間の協力だからと僕はあらかじめ忠告していたし、それは四人とも納得していたことだ。なにより途中で投げ出されたら結果的に犠牲が増えるだけだよ。君は御説蛙が大人しく去るまで黙って喰われろと被害者に言えるかい?」


「そりゃ、そうだけど・・・これは強引すぎる」


僕がそう言うと、蔵峰さんは確かに、と少し納得したような顔をした。


「強引であることは確かだ、でもこれ以上犠牲者を増やすわけにもいかないだろう。インフルエンザのワクチンを作るようなものさ、まああれは鶏の卵から作るんだけど・・・しかし今、狙われているのは人間だけだ。だから人間を用いてヤツの特性を見出すしかなかったんだ」


とりあえず、と蔵峰さんは続けた。


「オトキガエルの追い払い方について君たちに教えよう」


蔵峰さんは写真を隅に置いて鞄から箱を取り出した。

そしてその蓋を開けると、中から蛇の抜け殻と牙が出てきた。


「これともう一つ、蛇の目を使う」


蔵峰さんは僕を見ながら確かにそう言った。

次の瞬間、僕の左目が猛烈に痛みを発した。


「がっ!!??」


突然の痛みに備えることも出来ず僕は思わず床に蹲った。


(返せ・・・目を返せ・・)


ラロの恨み言のような強い念のような普段と違う声色の言葉が頭の中でガンガンと響き渡る。

寺墨は僕の突然の行動に戸惑い、そして蔵峰さんに向かって叫んだ。


「貴様!何をした!?」


しかし蔵峰さんもまた困惑した声でこう言った。


「何だ?・・・ウツシメは依り代に対して悪影響を及ぼしたりしない筈だ・・・。なあ寺墨くん、彼は蛇を用いたヒトグミの呪いを受けたんじゃないのか?」


蔵峰の言葉を受けて寺墨の語気が一気に強くなった。


「何故そこまで詳しく知っている!!おかしいぞ貴様、一体何者だ!正体を見せよ!!」


激しい剣幕で叫ぶ寺墨に蔵峰さんは動揺しながら答えた。


「ち、違う・・・監視してたんだ!この街に居る怪異に憑かれた人間を取材するために・・・あらかじめマークしてた。だけど、僕はこんなもの知らなかったんだ!!!」


「貴様、怪異の被害者を金儲けに利用しようとしたな!恥を知れ!!この痴れ者が!!」


二人の言い合いの声が大きくなるにつれ痛みもまた酷くなっていく。

誰か二人を止めてくれ、そんな風に考え出したその時。


「うるさい!」


寝ていたはずの二夜が二人を一喝した。

二人は一瞬飛び上がると、やがて静かになった。

二夜は小柄な体躯に似合わぬハッキリとした声でこう言った。


「お前らが何を火種に言い争おうがオレはどーだっていいさ。けど、一やここの人を助ける気がねえなら迷惑だ!外でやってろ!!」


寺墨と蔵峰さんはシュンとして何も言い返さなかった。

騒ぎが収まったことと関係があるのか分からないが目の痛みも治まっていた。

二夜は僕の様子に気付いたのか小さく溜め息を吐いてからベッドに潜り込んだ。


「とりあえず喧嘩はやめて目先の問題を解決した方が良い」


僕が出来るだけ明るく振る舞うと二人は申し訳ないと一言言って再び話を再開した。

不意に二夜が布団から腕だけ出して僕の服の袖を引っ張った。

僕は二人にバレないようにベッドに近づき二夜に何事かと聞いた。


「悪いな一、目はもう大丈夫なのか?」


「大丈夫っぽい。てか、こっちこそ二人の喧嘩を止めてもらっちゃって・・・怪我人に無理させちゃったな」


僕がそう言うと二夜は構わん、と言ってくれた。


「これはまだ説明してなかったんだが、蔵峰をこの病院に呼んだのはオレなんだ」


「じゃあ病院の異変に最初に気付いたのは二夜だったのか?」


僕が聞くと二夜はそれを否定した。


「いや、元々は別の事だったんだけどな。急に病院の様子がおかしくなったんでオレもちょっと調べてたんだ」


「それ大丈夫なのか?」


んなわけないだろ、と二夜は軽口で答えた。


「八階にも行ったんだ。一目でヤバいと思ったね・・・辺り一面蛙蛙蛙・・・じいさん達は有り難いもんを見るみたいに平伏するし、蛙が一声鳴く度に手を合わせてお祈りみたいなことしてた。見れば見るほど不気味であそこにオレは五分といれなかったよ」


それ以来夢見も悪くなってる、と二夜はぼやいた。


「蔵峰はな、オカルト雑誌のカメラマンと謳っちゃいるが本来は風見っつー陰陽師を含めた霊能者の家の分家に位置する人間でな。あんなナリでも一応呪いを祓うことを専門にしている霊媒師なんだと」


「へえ・・・て、呪い?何かあったのか?」


ああ、と僕の問いに頷いた。


「うちは普段は何の変哲も無いとこなんだが祭事や神事の時にはちょっとした手伝いみたいなことをやっててな。まあ蔵峰の家の連中ともそこで知り合ったんだ」


二夜はモゾモゾと動き回りベッドと布団の隙間から顔を覗かせた。


「家の庭からマネキン人形が五体も出てきたんだ。親父が掘り出したらしいんだが、その直ぐ後になってオレは骨折して入院。それ以来親父もお袋も妹もどことなく体調が優れねえんだと。それで気になって蔵峰に相談したらちょっとした呪いだって話だ。それから暫くしてこの病院もオレも怪異に憑かれてるかもしれんって話になってな、それ以来解決させろ~って息巻いてるんだ。まあいけ好かないヤツだけどあれでも本人は至って真面目に祓う気はあるんだ、あんま嫌わないでやってくれ」


善処するよ、と伝えると二夜は満足したのか再び布団を被って寝てしまった。

ソレを見て僕はオトキガエルの影響はきちんと祓わない限り消えないのかもしれない、何とかするためにも早く怪異を祓った方が良いと感じた。


「それで、どうする?」


僕が話し合っている二人にそう聞くと二人はバッと勢いよく振り返って


「なんじゃ、聞いておらんかったのか」


「しょうがない、追々説明するからエレベーターに向かおう」


と言いながら僕を引っ張って病室から連れ出した。

病室から出る際に二夜の寝ている布団が寝息で小さく上下しているのが見えた。

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