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クラムレウンの異形大全  作者: 曲線定規
1/2

ヒトグミ

(はじめ)よ、二夜(ふたや)の見舞いの品はもう決まったか?」


突然後ろから話しかけられ、僕はびっくりして椅子ごと飛び上がってしまった。

その時の椅子の音に気付いたのかセンセイがこっちの方を向いてきた。

これは怒られるかもしれないと僕は覚悟を決めた。


「誰だか知らんが授業中に寝ない方が身のためだぞ、なにしろもうすぐ期末だからな」


センセイはそれだけ言って黒板に向き直った。

どうやら今日は見逃してくれるらしい。

僕は少しホッとしながら後ろの席の寺墨(てらすみ)に小さく抗議した。


「寺墨・・・お前なぁ~」


「いやすまん、いきなり飛び上がるとは儂も想定外じゃ」


想定外というか、人が考え事してる最中に話しかけられたら誰でもびっくりするだろう。飛び上がるのは滅多にないだろうけれど。


「それで・・・二夜のお見舞い品だっけ?俺は全然考えてなかったなあ~、いつ行くんだっけ?」


僕がそう聞くと寺墨は一瞬黙りこくってから答えた。


「今日の放課後行くって儂が先週から言っていたんじゃが・・・」


「え」


全く記憶になかった。というより忘れていたのかもしれない。


「ごめん」


僕はそれだけ言った。

なにせこれは言い訳のしようもないパターンだ。それに頭の良い寺墨に対して下手な屁理屈を捏ねるのは失策だ、こっちの無知を指摘されて恥をかくこと間違いないといえるだろう。


「一応先週から毎日言ってたんじゃが・・・あまり詮索はせぬが、ぬしゃあ最近上の空でいる事が多いぞい」


「え、分かる?」


確かに最近考え事が増えたのは確かだけどそこまでお見通しだったとは思わなかった。


「お見通しというかな~、後ろから見ててもハッキリわかるくらいにはお主は派手じゃぞ」


ハッキリと隠し事が苦手であることを指摘されて僕は少し凹んだ。


「まあお見舞い品なぞ適当に蜜柑でも何でも買えばよい。二夜もちょいと骨折しただけらしいしあまりやり過ぎても困るじゃろ」


「温州蜜柑でも買うかな」


「なんでもよいとは言ったがふざけるのはいかんぞ、普通に渡すことじゃな」


「だな」


寺墨曰く大事にし過ぎるのもまずいが茶化し過ぎるのも良くないとのことだった。

僕自身もああ言ったものの、怪我人の前でいきなりふざけるつもりは無かった。


「それで一よ、何ぞあったかえ?最近様子がおかしいしテストまでそれを引きずったらまずいじゃろ~。儂がちょちょいと悩み相談くらいしてやるぞい」


悩み相談をしてくれるというのは凄く嬉しい話だった。

学力学年一位の寺墨だ、話して損のない良い話だろう。

だけど


「う~ん折角だけど遠慮しておく」


悩みというにはソレはあまりに突飛な話故、話すことが躊躇われた。なにしろ僕の悩みはここ数日夢見が悪いということだからだ。

家族に言ったときはあまりにくだらないのと他人にどうこうできるモノではないということからか真面目に受け取ってもらえなかった。

ならば、誰かに聞くより自分で解決するしかない、そう思ったのだ。


「ふむ?そうか・・・」


少し残念そうな気持ちのこもった声を出すとそれきり寺墨は授業が終わるまで何も言わなくなった。


悪夢が始まったのは一週間ほど前からだ。

最初は蛇の夢だった。

暗い廃ビルの一室のような空間にポツンと置かれた学校机、その引き出しを僕が引くのだ。

その中から現れたのが蛇だ、底なしに思えるほどギッシリと詰め込まれた蛇はピクリとも動かずに僕を見た。

パズルのピースの様に正確に詰められた蛇たちは僕を見ながらチロチロと赤い舌を出していた、どんな感情を抱いているのか分からない顔で。

僕への怒り?それとも悲しみ?ひょっとしたら僕を見て喜んだのかもしれない、楽しかったのかもしれない、でも僕には夢で現れたあの蛇の気持ちが分からなかった。

最後に僕は知るのだ。

その部屋の出口には鍵が掛かっていて、窓から出ようと身を乗り出すと外にもまた地面が見えなくなるほどギッシリと敷き詰められた蛇が居る。

そしてそのすべてが等しく同じタイミングで赤い舌を出すのだ。

その突然のこと、電気信号に操られた蛇が一斉にビルを這い上がり窓から天井から鍵穴から頭が左右で等しい長さの蛇が排気口から顔を出してチロチロと赤い舌を出すのだ。

僕は半狂乱で机を横に投げ倒し、引き出しの蛇に叫んだ。「さっさとここを空けろ!ここは俺の居場所だ!お前らは外で這いまわってチロチロと赤い舌を出すのだ。

もちろん蛇たちは返事をしない。

僕は興奮しながら引き出しをひっくり返して蛇を追い出そうとする、すると中から大量の蛇がドロドロと音を立てて落ちてくる。

地面に落ちながらも蛇たちは同じタイミングで赤い舌をチロチロと出すのだ。

部屋中に蛇が敷き詰められたところでようやく引き出しが空になり、僕は引き出しの中に足を入れて勢いよく机の中に戻した。

そうしたら僕の足は確かに無くなり蛇がチロチロと赤い舌を何度も出し入れしていた。

今度は腕を引き出しに入れて机の中に戻す、僕の腕は無くなり蛇はザリザリと部屋を掻き毟った。

僕は赤い舌をチロチロと出しながら残りを引き出しに入れ、重力の気まぐれで机の中に入ると真っ暗な中空に放り出された。

落ちながら地面が見えるころに僕はチラリとそれを見た。

僕の手足が地面に敷き詰められていた。


そんな夢を見た。

この夢を思い返す度に僕は何かを忘れているような気がする。


「飯を食うぞ」


後ろから寺墨に話し掛けられて僕はまたびっくりして椅子ごと飛び上がってしまった。


「む、寝ていたのかえ。すまんな」


「いや、いいよ。とはいえこのままじゃテストやばいな」


僕はそれだけ言うと別の話題を出して寺墨にこれ以上言及されないように取り繕った。

寺墨はというと、珍しく何も疑うことなく流されてくれた。

そのまま放課後まで何事もなく、僕は相変わらず考え事をしたまま終わった。

掃除も終わり学校から出るとまた後ろから寺墨が話し掛けてきたが、今度は驚かなかった。


「ほう、今度は驚かなかったようじゃな」


「そりゃ何度もやられてたら嫌でも警戒するよ」


寺墨も少し安心したような声色でそうかそうかと納得していた。

よく分からないが嬉しそうなのは良いことだと僕もその時は納得した。


「さて、お見舞いの品は結局蜜柑でよいのか?」


「え?」


よく分からなかった。

お見舞いの話なんて聞いた記憶が無い、いや忘れていたのかも知れない。

僕は一拍遅れてから


「ああえっと・・・蜜柑で良いと思う」


と返事を返した。

が、これ以上寺墨を誤魔化すのは無茶があったようだ。

寺墨はいきなり僕の肩を引いて視線を合わせてきた。


「何があった?聞かせてみよ」


驚くほど真剣な眼差しだった。

視線を逸らすことすら出来ない鋭い眼光に僕は立ちすくんだ。


「い、いやあ大丈夫だってちょっと今ぼうっとしてただけ」


「良いから聞かせてみよ!事は急を要するかもしれんぞ」


いつも温厚な寺墨が見せた凄まじい剣幕に僕はとうとう観念して全てを話すことにした。

最近見た悪夢の数々、その一つの蛇の夢のこと。


「・・・お主、最近旅行に行ったか?」


「いや、ここ一ヶ月は町を離れてないよ」


寺墨はそれを聞き終えると一瞬の逡巡も迷いも見せずに一つの結論を出した。


「お主、ヒトグミに憑かれておるぞ」


「ヒトグミ?」


聞いたことの無い単語だ。

ましてや憑く?騙すにしてもオカルト話というのは今時無茶だろう。


「あのさ、からかうのは良いけど人の悩みにつけ込むのはやめて欲しいな。俺も二夜をからかうような言い方はしたけどあれもお前に言った冗談だからさ」


違う、端的にそう答えて寺墨は僕の手を引いて何処かに走り出した。


「おい!どこに行くんだ!病院はこっちじゃないだろ」


「当たり前じゃ!今のお主はヒトグミにほとんど喰われて弱っておる。そんな状態で日頃生死渦巻く病院になぞ行ってもみよ!こまい怪異に集られてお主なぞ簡単に喰らい尽くされるぞ!」


意味が分からない。

病気なら病院に行った方が良いに決まっている、なのにそこを危険な場所みたいに扱うのはどうして?

相変わらず寺墨に手を引かれるまま進むと普段近寄らない裏路地のような間隔の狭い住宅街に着いた。しかしまだ目的地では無いらしく多少スピードは落ちたもののズンズンと進み続けていく。


「よいか、ヒトグミというのは光の当たらぬ裏路地の塀等に潜む怪異じゃ。一昔前は石垣を好んでおったが現代に適応してきたようじゃな」


「石垣?城の下にある壁みたいなアレ?」


「そうじゃ、それらは普段見るモノと見ないモノがあってな。何かしらの陰になって何十年と見ない内に怪異となる。そして怪異化した己を見た者に取り憑き、記憶ごと存在を喰らい尽くす化け物ぞい」


「なんだそれ、俺は普段見ない壁なんてないぞ。ここ一ヶ月以上旅行に出かけたこともないしそんな奴に憑かれる覚えなんてない!」


「ああ、その通りじゃ。だがお主が見た夢がヒトグミのやる形見喰らいと良く似ておるのだ。よし着いたぞ」


寺墨が手を離すとそこは夢で見た廃ビルそっくりの建物だった。


「・・・この建物」


「おそらくお主が見た夢の部屋はここにある」


「どうしてわかったんだ?」


話を聞いただけでどの建物か分かって、尚且つ案内出来るというのは尋常じゃない。

しかし寺墨は僕の問いに答えず、人差し指を口元に当てて小さく頷いてから語り出した。


「・・・・ヒトグミに憑かれないようにする方法は簡単だ、自分とヒトグミの間に何かしら障害物があれば良いのだ。人間でも良いし、植物でもいい、何なら眼鏡やサングラスでも良い。とにかくそれらを通してヒトグミを一度でも見れば奴らは手を出すことが出来なくなる」


「なるほど・・・」


「このような分かりやすい性質を持っているからこそかもしれぬが、ヒトグミを用いた呪いというものがあってな」


「呪い?」


まさか僕は呪われたのか?一体誰に?


「ああ、これまた簡単でな・・・ちょいとこちらに来てみよ」


寺墨に付いて廃ビルの裏側に行くと、そこには壊れたブロック塀があった。

寺墨は地面に転がる塀の破片を幾つか拾って僕に見せた。なんの変哲も無い塀の破片、壊れた塀が無ければ石ころと誤認してもおかしくはないだろう。

寺墨はポツンとなんのこともなしにこう言った。


「この破片からでもヒトグミを憑かせることが出来る」


あり得ないと思った。無茶苦茶だと思った。

そんなことが出来たら世界中ヒトグミに憑かれた人で溢れかえるだろう。


「不可能だと思うかえ?」


「そりゃあ・・・それが可能なら皆憑かれるんじゃないの?」


その通りじゃ、そう言って寺墨は破片をポイと捨てた。


「確かに、破片だけではヒトグミを人間に憑かせることは出来ん。虫やその他動物でも無理じゃ」


「じゃあどうやって」


「ヒトグミを伝染させる方法がある、そしてそれが呪いの正体じゃな」


怪異を伝染させる?

そんな事が出来るのだろうか。少なくとも怪異を知ったばかりの僕には何一つ理解出来ない話だった。


「まあそう悩むな、これもそう難しくはない話じゃ。儂は先ほど、破片からヒトグミを憑かせると言ったな?」


「うん」


言っていた。


「そして破片だけではできないとも言ったな?」


「・・・・つまり?」


「まず生きた生物を用意する。虫でも動物でも良い、人間でも良い、口と目があればそれで良い。次に好む大きさの立方体型の器を用意する。ここまでが準備じゃな」


「目と口って何に使うんだ?」


それは追々分かるぞい、そう言って寺墨は再び説明に戻った。


「ここからが具体的な方法ぞい。まず用意したソレにヒトグミを憑かせる。そしてヒトグミがいた塀の破片を21g丁度になるまでソレの体に納めさせ、左目をくり抜き、立方体の器に破片と共に隙間なく納める。これで完成じゃ」


左目をくり抜く、石を食わせると悪趣味な工程に少し気分を悪くしつつ僕は寺墨の話に引き込まれていった。


「最後に完成した生き物を呪いをかけたい相手に見せればヒトグミが伝染する。注意すべきは自分がヒトグミに憑かれぬようにすること、そして左目を納めた器は誰にも見られぬようにすること、用意した生物がなんらかの方法でヒトグミの憑依を逃れた場合呪いは失敗するということじゃな」


「失敗したら呪いが返ってくるのか?」


然り、と言いながら寺墨は頷いた。


「失敗した場合、ウツシメという別の怪異として術者に呪いが返ってくる。というかヒトグミと似通った方法を用いる呪いじゃからなあウツシメは」


「じゃあ俺が呪いを解いたら術者が呪われるのか・・・、というか本当に俺は呪われているって確証があるのか?」


「モチのロンじゃ。とりあえず詳しい話は幾つか省いて返した呪いがどうなるかじゃが・・・物凄くザックリと説明すると術者の左目がくり抜かれる形で返ってくるぞい」


聞きたくなかった話だ。

物凄く痛そうな上罪悪感が出る、何しろ僕は呪いをかけた相手も分からないし今の今まで呪いを受けたという自覚も無かったのだから。言ってみれば悩みの種を解決したと思ったら他の人が犠牲になったということと同義なのだ。

そんな様子を一目で見抜いたのか寺墨はこう言った。


「あまり気にするでない。なにしろヒトグミは間違いなく人を殺す怪異じゃ、そんなモノを呪いとして使ってきた相手に対して慈悲の気持ちをくれてやる道理なぞありはしないのだからな」


「・・・そうだナァ」


「さて、ここからが本題じゃな。まずヒトグミに憑かれた場合の対処法を説明するぞい」


「なあ、寺墨」


説明を始めようとする寺墨に話し掛けた。

一つ気になることがあったからだ。

説明を遮られたからか少し不満げな声で寺墨は返事をした。


「なんじゃ?気になることがあったかえ?言うてみい」


「寺墨はなんでこんなことを知ってるんだ?」


「・・・」


少し黙りこくってから寺墨は語り出した。


「一、儂はお主と二夜を一度家に招待したことがあったな」


「ああ、でかい家だったな」


「その時は何も言わなかったが家の裏には蔵がある、その中に遠い昔の代の人間が怪異を書き記した絵巻物があったのじゃ。儂は子供時分からちょくちょく蔵に忍び込んでは絵巻物を読み漁り、叱られたもんじゃ」


寺墨は少し興奮気味に鼻を鳴らして語りが早くなっていく。


「ここに入学する頃にはもう絵巻物は読み飽きてな、それからは古本を探しては読みふける事を繰り返しておった。が、今時オカルト話なんぞ信じる方が馬鹿らしいと言わんばかりの世の中じゃろ?儂はずぅっと我慢しておったんじゃ!!」


「あの・・・さ」


「むぅ、なんじゃ今度は?」


明らかにむくれながら溜め息を吐く寺墨に若干引きつつ自分なりの考えを言ってみた。


「要するに、オカルト仲間が欲しくて俺を騙したって事?」


正直面白かったので仮に騙されていたとしても寺墨を攻める気持ちは無かった。

むしろ、現代では感じられないであろうあの不気味さが今も僕の好奇心を刺激しているくらいだ。

しかし、寺墨は一転して大まじめな口調でこう言った。


「いやそれは違うぞい。まあ仲間を探していたというのは嘘ではないが、ヒトグミの話は決してお主を騙す為にでっち上げた嘘ではない。そもそも嘘だったらお主をこの廃ビルに連れてこられた道理が無かろうて」


「ああ、そうか・・・そうだったなあ・・・・!じゃあどうしてこの廃ビルに連れてこられたんだ?」


ああそれはな、と前置きしてから寺墨はアッサリと言いのけた。


「勘じゃ」


「はあ?」


オカルト好きにも程があると攻めたくなるほど無茶な話だった。


「まあまあ、そう興奮するでない。勘というのは少し言い過ぎたかも知れん、だが賭けではあったぞ」


「どういうこと?」


「ヒトグミの対処法の一つに、誰も見なくなった塀にヒトグミを連れて行く方法があるんじゃ。ヒトグミは賑やかな場所を嫌う、だからヒトグミは憑いた人間の記憶を喰らい見えなくなろうとする。それはつまり、居場所を求めて人を食い殺すという意味ぞい。だから、ヒトグミに新たな居場所を提供することでやり過ごすことができる。無自覚にヒトグミに憑かれたものはこうしてやり過ごす事が多いぞい。逆に言えば、通常ヒトグミに憑かれるのは旅先の可能性が高いという事でもある」


「ああ、俺はしばらく旅行をしてなかったから・・・」


「ああ、それに夢の内容から見るにお主に憑いたヒトグミは呪いじゃろうとあたりを付けた、そして必然的に術者はお主の近くに居る人間の可能性が高くなるじゃろ?それも呪いたくなるほどの気持ちを持っているなら同じ町に住んでいていつも顔を会わせる人間じゃろうて」


「でもそれだけで・・・」


「確かにな、じゃがある程度の想像は付く。つまるところここからは勘ぞい。この町の何処かにある誰も見なくなったとされる塀と隣接している廃ビル、そこまで考えを絞り込めればあとは儀式の行われた可能性のある場所を虱潰し。まさか一発で引き当てるとは思わなかったがな」


「そうだったのか・・」


あの一瞬であそこまで考えをまとめられるのも大した物だが、今回は運も味方に付いてくれたらしい。


「さて、長話も何だ。呪いを解きに行くぞ、後は歩きながら話すぞい」


そう言うと寺墨はビルの中に入っていった。

なんとなく塀の近くに居たくなかったので僕も慌ててビルの中に駆け込んだ。

中は酷く汚かったが崩壊した様子は無く比較的安全に階段を上れそうだった。


「さてな、ヒトグミに憑かれたものの見分け方なんじゃが。悪夢を見るというのが通説らしい」


「らしいって言うのは?」


そう聞くと寺墨は少し恥ずかしげに頬を掻いて言った。


「儂はヒトグミに憑かれた者を一度も見たことがないんじゃ。ついでに言えば霊感やそれに類するものを何も持たぬ・・・オカルト好きとしてはショックな事じゃ」


実物を見ずに絵巻物だけで心を満たす日々は辛かった、そう言いながら寺墨はワッと泣き出した。


「ああ、うん・・・ゴメン」


僕は何となくやっぱり引きながらそう答えた。

実体験してようやく知ったオカルト、それは恋い焦がれるような気持ちにはほど遠かったからだ。


「まあよい、ようやく本物の存在を知れたんじゃし、どちらかというと今はとても機嫌が良いぞ。とまあ話が脱線したが、ヒトグミが見せる悪夢というのが塀なんじゃ」


「塀?」


「ああ、敷き詰められた塀に自分がはめ込まれていく夢を見るそうじゃ」


確かにソレは悪夢だ。しかし僕が見たモノとは少し違う夢だ。


「それって違くない?俺は蛇の夢だったし、その後も何度か別の夢を見たしさ」


寺墨は少し深刻な声色でこう答えた。


「うむ、まず別の悪夢なんじゃが・・・ひょっとするとお主はヒトグミ以外の怪異にも憑かれておるのやもしれぬ」


「ええ?そうなの」


「ああ、病に対する熱のように怪異に対して何らかの免疫のような作用をもたらすとされるのが夢、そういう話を以前本で読んだことがあるぞい。もしそれが本当なら複数の悪夢、それはヒトグミに喰われたことで弱ったお主に取り憑いた別の怪異とも考えられる。が、今のところ幾つか聞く限りではヒトグミ以上に危険な怪異は取り憑いて居らぬ、故にまずヒトグミを祓おうというわけじゃな」


「怪異と病か・・・」


弱った体は病を引き寄せると聞いたことがあった。

怪異というのはある意味病に似た性質なのかもしれない。


「うむ、そして蛇の夢なんじゃが・・・お主最近蛇を見た覚えはないか?」


突然の問い、僕は必死にここ数日の記憶を掘り起こそうとするが生憎記憶に無かった。


「いや・・・・」


「ふむ、まあ一週間も複数の怪異に憑かれておったわけじゃし、朝の様子からしてここ最近の記憶の殆どが喰われていたとしても不思議ではないな」


「う~ん、じゃあその蛇が俺にヒトグミを移したと考えて良いのか?」


「恐らくな。お主と蛇、その二人?に同じヒトグミが取り憑いたから夢が混ざり合ったと考えて良い筈じゃ。先に憑かれた蛇は恐らくすでにヒトグミに喰い尽くされておる、故に塀ではなく蛇が敷き詰められていた」


「うええ、それで・・・どうやったら退治できるんだ?」


寺墨は首を振った。


「退治はできぬじゃろうな、呪いとしては完成しておるし蛇が死んだ今となってはやり過ごす以外にヒトグミから逃れる方法はない。というか知らんぞい」


「なんか重要なとこだけ頼りにならないな~」


僕がそう言うと寺墨は嗜めるようにこう言った。


「儂とて素人、聞きかじっただけの人間にアッサリ退治されるような怪異なら現代にまで生き残ることすら出来ないと考えるべきぞい。む、あの机か?」


寺墨が指を指した方向には夢で見た机が確かに置いてあった。

よく見れば部屋の構造も殆ど同じ、まるであの時見た夢が現実だったかのような感覚さえ覚えた。


「こ、ここだ。確かに夢で見たところだ」


「よし、なら机の引き出しを開けてみよ」


分かった、そう言うと僕は引き出しを勢いよく開けた。

中にあったのは敷き詰められた蛇、ではなく直径五センチもあるかという小さな箱だった。


「なにこれ」


「それが呪いに必要な立方体の正体じゃ」


「え!?んじゃこれに目玉が入ってるのか?」


寺墨はまたしても頬を掻いて呟いた。


「儂に聞くな・・・開けてみい」


僕は小さく頷いて箱の蓋を取った。

中には大量の砂粒がぎっしりと入っていた。

僕は箱を引き出しの中にひっくり返して中身を指でさらってみた。

すると案の定蛇の目玉がそこに入っていた。

正直気持ち悪かったがなんとなく指でつまんでみたくなり、ソレに触れた。

その瞬間、猛烈に左目が痛くなった。

針で刺されたような痛みと指で目玉をえぐり出されるような痛みに思わずうなり声を上げて蹲る。

背中から寺墨の声が聞こえた。


「おい!無事か!?しっかりせんか!!!くそっ何が起きたのじゃ!?」


何度も声をかけられ、うなり声を上げていたが次第に意識が遠のいていく。

最後に覚えているのは地面に倒れ込んだ時の衝撃で頭がガンガンと鳴り、上も下も分からなくなったところまでで、そこから先の記憶が無い。



返せ、という言葉を聞いて僕は再び意識を取り戻した。

ハッと目を開けて辺りを見ると僕はまだ廃ビルの一室にいた。

しかし寺墨がどこにも居なかった。


「帰っちゃったのか・・・いや、何かおかしいような」


少し気になって周りの景色を凝視していると僕はある事に気付いた。

左目の痛みが無くなっていた。

痛みを思い出して思わず左瞼を押さえるがちゃんと左目はあったことで僕はホッとした。


「目は無くなってない・・・呪い返しに失敗した訳じゃあ無さそうだ」


そう呟いてからフッと机の上に置かれた引き出しに目を向けた。

引き出しの中には蛇の目玉も砂も箱も無かった。

代わりに蛇が引き出しの中に所狭しと敷き詰められていた。

僕は思わず机からサッと身をひいた。


「な、なんで蛇の引き出しがここにあるんだ・・・」


まさか、と思った。

恐らく、いや間違いなく僕は今夢の中に居るのだろう。

あの悪夢の中にいる。


「ヒトグミ・・・まだやり過ごせてもいないのか」


僕がそう言った瞬間に引き出しが突然机の反対側に落ちた。

それほど変な場所に置いていたわけではない、それどころか僕には引き出しが自分から落ちたように見えた。


「かえせ・・・私の目を・・・かえせ」


落ちた引き出しの向こうから女の子の声がした。

ハッとしてそちらを見ると机を挟んだ向かい側に着物を着た女の子が立っていた。


「どういうことだ・・・ヒトグミを移されたのは俺と蛇だけじゃ無いのか」


ジッと女の子を見た。

髪の毛が酷く長く乱れに乱れておりざんばら頭もかくやという状態だ。

前髪も後ろ髪も無いとばかりに伸び放題で女の子の目がどうなっているのか僕には分からなかった。

僕の視線に気付いたのか女の子はがらがらの声で僕にこう言った。


「貴方が・・・目を奪ったんですのね・・・」


よく分からないが勘違いで僕を恨んでいるようだった。


「いや、違うよ。俺は君に何もしてない」


とりあえず否定の言葉を投げかけてみるが彼女が聞いている様子は無い。


「貴方の目玉を・・・寄越しなさい!!」


突然女の子が僕の方へ勢いよく飛びかかってきた。

その時、彼女の前髪が払われ、その下にあるモノが見えた。

彼女の左目はポッカリと空洞になっていた、そしてその反対の右目には細長い瞳孔の目が怒りをたたえて僕を激しく睨み付けていた。

僕はアッサリと倒され彼女は僕の上に馬乗りになった。


「待ってくれ!人違いだ、俺じゃない」


「うるさい!目を返せ!泥棒め!」


必死に否定の言葉を投げかけるがやはり耳を貸してくれない。

しかしここで僕は焦りで荒ぶる思考を回すことである結論を出していた。

何故人の姿をしているのか分からないが彼女は恐らく引き出しの蛇そのものだ、蛇と僕に取り憑いたヒトグミが見せた悪夢が混ざっていることと現実で彼女がヒトグミに喰い尽くされたせいで彼女は今僕の夢の中に居座っている状態なのかもしれないということだ。

夜行性の蛇だとかそんなことは今はどうでもいい、とにかく彼女を説き伏せるしか僕が無事で居られる方法は無い。

僕の左目に向かって伸ばされた彼女の手を必死に掴みながら僕は呼びかけた。


「聞いてくれ!君は誰かに目を奪われた以外に何をされたか?例えば砂を食べたとか記憶が無くなったとか悪夢を見たとか何でも良い!」


ピタリと女の子の動きが止まった。


「何故知っていますの・・・やっぱり貴方が私の目を!」


「違う、証拠になるモノは無いけど俺は君に何もしちゃいない。ただ、多少似たような事情を抱えてるだけの人間なんだ」


彼女の右目がキューッと細くなった。


「似たような事情?」


「俺はここ最近ずぅっと悪夢を見てきた。引き出しに蛇が敷き詰められている夢を、そして最後に俺自身がバラバラになって敷き詰められる夢を見たきたんだ」


彼女は一瞬ビクリとして何か考え始めた。

ハッキリとはまだ分からないがとりあえず無事を確保できたのかもしれない。


「似てる・・・貴方の見た夢と私の見た夢。待って・・・貴方の顔、どこかで・・・夢?、違う・・・壁、人間・・・っ!?思い出した!」


突然彼女は興奮した様子で僕に言った。


「貴方の姿を私は二回見た覚えがありますわ!大きな建物の砂でいっぱいの庭で見たのと、夢の中でも・・・貴方は何者ですの?」


「だから俺は君と同じ事情を・・・ってもういいやとりあえず全部説明するからちょっとどいてくれない?」


あ、ごめんなさい、そう言って彼女は僕の上からどいた。

僕は一呼吸吐いて頭を落ち着かせてから寺墨から聞いた話をそのまま伝えた。


「ふーむ、不思議ですわね~」


一通り伝え終えると彼女は開口一番にそう言った。


「なにが?」


「いえ、呪いやヒトグミ・・・という怪異とは直接関係ないと思うのですけど。私が仮に死んだとして、何故ここに居るのか分からなくありません?」


確かに、魂の存在を認めたとして、体も無いのに存在し続けられるというのは不思議な話だ。

なにより喰い尽くされたというのなら魂とて例外ではないのではなかろうか?


「確かに、そもそもヒトグミという怪異が人を殺すとして最後はどうなるのか分からないなあ」


「でしょう?記憶を喰い尽くすにしても私は貴方を見た記憶がありますし仕事が中途半端ですの」


しばらく僕は考え得る限り最もそれらしい考えを出すことにした。


「君がまだ死んでいないという可能性はどう?ヒトグミがどのくらいの期間をかけて人を喰らうかはハッキリと言及されてないしありえそうじゃない?」


彼女は首を振った。


「確かにそれなら良かったですわ。でも生憎と私は死んでいると思いますの。なにしろここ最近の記憶がありませんし、貴方の夢に最初に現れてからずぅっとこの場所に居続けていますの・・・それはつまり、貴方が悪夢を見た時期と重ね合わせると一週間は意識が戻っていないことになりますわ。自分事だからこそハッキリと分かります、私はもう死んでいますの」


今の季節は夏、素人目に見ても冬眠はありえないだろう。

一週間眠るというのはやはりおかしな話のような気もする。

どう考えてもポジティブな考えが見つからず、僕は大きく溜め息を吐いた。

元は蛇とはいえ今は人と同じ姿をしているし会話も出来る。そうなると急に死んだという事実が凄く重く感じるのだ。


「ふふ、優しいんですのね」


彼女はざんばら頭を指ですきながら小さく笑った。


「いや、どうだろうね。君が人の姿じゃなくさっきの、蛇の姿だったならここまでショックは受けなかったと思うよ」


どちらかと言えば僕は現金な奴だろう。


「それはお互い様ですわ。私だって普段食べている生き物に対して罪悪感なんて抱きませんし、姿形で抱く気持ちは変わって当然だと思いますの」


そんなものかなあ、と答えると僕は再び思考の沼に嵌まっていった。

彼女もそれを察してか暫く僕等の間には沈黙が訪れた。

どのくらい経ってからだろうか、彼女が不意に顔をあげてこう言った。


「ヒトグミって結局なんなんですの?」


「うーん、発生の仕方からして悪霊とか妖怪と言うには少しおかしい気がするね」


誰も知らないなら魂の存在すらないだろうし妖怪のように人々に噂されることも無いだろう。

そうなるとやはり不気味な存在だ。


「誰にも見られることの無かった石垣や塀から生まれる、でしたっけ?そして見た人の記憶と存在を喰らい尽くす・・・でも私も貴方もヒトグミ本体を見た事はありませんでしたわね~」


その通りだった。

僕は一度もヒトグミの姿を見たことが無い、見たのは彼女の姿だけで彼女は塀を見たという話だ。

ではヒトグミとは実体が無い怪異なのか?


「怪異・・・実体が無い。現象?」


僕はハッとした。

喰われる記憶は時系列もてんでバラバラだと思っていた・・・。

最近の記憶から順に消えていくのは最も鮮明な記憶を狙っていたから!最も情報の多い記憶だったからだ!

だとしたら、ヒトグミの正体とはそういうことなのだ!

僕は女の子に向かって早口になりながらこう聞いた。


「君!名前は?」


僕は彼女に名前を尋ねた。

突然の事にびっくりしながら彼女はこう言った。


「ええっと、ラロですわ」


ラロ?思っていたより変わった名前でびっくりしてしまった。


「ラロ、ね。分かった!とりあえずここから出よう!」


僕の誘いの意味がよく分からなかったのかラロは少し困惑していた。


「出るというと・・・この部屋からですの?それとも夢?」


僕は一言こう言ってあげた。


「両方だよ」


僕は部屋の扉に手をかけた。

やはり鍵は掛かっていない、ここまでは僕の予想通りだ。

ノブを引くと扉はアッサリと開いた。


「え?いつもの悪夢なら扉は開かない筈じゃありませんの?」


「これはいつもの悪夢じゃあ無いって事だろうね。とにかくここから出るよ、付いてきて」


部屋を出るとそこはやはり現実の廃ビルと同じ構造だった。

僕はラロの手を引いてビルの階段を降りていく。


「一体何が分かったんですの?」


「ヒトグミの正体」


「ええ?それって一体何ですの?」


「俺たちはずっとヒトグミは塀や壁に潜むモノだと思ってた。それが間違ってたんだ」


ヒトグミの正体は壁でも生き物でも無い。


「ヒトグミは記録の怪異なんだ」


「記録?」


「そう、時間や経験のような感覚的なモノの怪異。誰にも見られることが無いって事はある意味、ソレはもう時間の流れから断絶された存在と言っても良い」


「・・・???」


「昔通りにあったお店が最近通ったら無くなっていた、そういう感覚に似てるな。昔あったことは知っているけど今どうなっているのか分からないモノ、それが怪異と化したのがヒトグミなんだ」


「つまり、壁に何かが潜んでいるのではなく壁そのものがヒトグミなんですの?」


「そういうことだろうね。記録の怪異といったのはヒトグミが記憶を喰らう理由もそこにあるからだよ」


「記憶を喰らう理由?」


「ヒトグミが人に憑くのは記憶を喰らうため、その理由は恐らく記録の補完なんだ」


「誰も知らない空白の時間を他人の記憶を奪うことで補うということですの?」


ラロの答えに僕は頷いた。


「恐らくそうだ。発生方法が単純なわりに人を殺すこともある危険な怪異なのはその記憶を奪う行為に限度が無いからだと思う」


「!!・・・あくまでヒトグミはその場所の記録が怪異化したモノだから憑いた相手を活かすように手加減をすることが出来ない!?」


「多分それで間違いない。別の場所に行くことで対処出来るというのも同じく怪異化したもの同士だからこそ記録の共有を行えるんだろうね。無生物に憑けるのかはまだ確証が無いからなんとも言えない・・・ただ、サングラスを通したり障害物を通してみれば良いという話から察するに植物も無生物も例外なくヒトグミは憑くのかもしれない。」


「ん~、ちょっと私の考えも聞いてくれます?」


柄にもなく熱く喋ってしまった。

寺墨のが移ったのかもしれない。


「ああ、ゴメン話しすぎたね」


「それは構いませんわ。ただ、一つハッキリさせたい事がありますの」


「なんだ?」


「ヒトグミは呪いの方法を取らずに複数の人間に憑けますの?」


ハッキリとは断言できなかった。

だが、想像はついた。


「出来る、だろうね。呪いはあくまで間接的に憑かせる手法であって、ヒトグミ側は記録を欲しているんだ。標的は多いほど良い筈だ」


「ふむふむ、でしたら私の考えとしては、ヒトグミが人に憑く為の条件もあると断言できますの」


急に強気になったラロに僕は少し困惑した。


「どういうことなんだ?条件って?」


「理由はありますの、障害物を通して見れば手を出せないというのはヒトグミが同時に複数の標的を狙えるという事実に反しますわ。つまり、障害物を通して見ることでヒトグミが憑けなくなる条件を満たすということに他なりませんの」


確かにそうかもしれなかった。

何らかの条件を満たすことでヒトグミから絶対に狙われなくなる、それは一体何だ?


「その条件っていうのは?」


ラロは人差し指を口元に当てながら不敵に笑った。


「秘密ですわ。これを知ったらきっと貴方はヒトグミを恐れなくなる。でもソレはきっと危険なこと、だから教えない。怪異は恐れられてこそ安全、それだけは言っておきますの」


「けち」


「んなっ!?」


結局ラロが教えてくれることは無かった。

ようやく廃ビルから出られた僕等は直ぐに裏の塀に向かった。

塀は、現実のものと違って壊れていなかった。


「ここだけ現実と違いますのね」


「ああ、そしてこれこそがヒトグミの今の記録補完状況を示しているってわけだ」


「そうなんですの?」


「そうだよ、ここは俺の夢であって君の夢でもあり、ヒトグミそのものでもあったんだ」


記録の補完、空白の過去を経て今に至る為の経験の蓄積を最後まで行うことでヒトグミという怪異は消滅する。

僕の勘はそう告げていた。

いつもの僕なら勘なんて信用しないけど、今日の僕はオカルトが好きだ。

不確かな確信にわくわくしている。


「記録の補完をするにはヒトグミが他者の記録を奪うこと、そしてもう一つ」


僕は思いっきり力を込めて塀を殴りつけた。

その瞬間、塀が勢いよく弾け飛び、破片がそこら中に散らばったのだ。

僕の拳には痛みは無い、それはここが現実で無いということを示しているも同然だった。

ラロは僕の突然の奇行に絶句していた。


「えええええ、何をやっていますの!?」


僕はしたり顔で言った。


「これがもう一つの補完方法だよ」


「・・・」


「人の記憶を奪うより自分が経験する方が記録の蓄積が早いからね。現実の塀は壊されて今に至っているのだからヒトグミの記録にあるこの塀も壊してしまえば良い。現実と異なる過程だろうが結果が同じなら構わないだろうしね」


「どういうことですの?」


「そりゃあヒトグミが塀の存在と関係の無い記憶を無差別に喰らっていくってことはつまり塀だろうが塀じゃなかろうが今に至るまでの何らかの記録さえあれば良いんだよ。それが何十年分も積み重なってるから人死にが出てるんだろうけどさ」


「で、でも今のパンチで何十年分の記録になりますの?」


「なるわけないよ、でも時系列関係なく最近の記憶を奪ってるというのなら塀が壊れた時系列なんてそれこそヒトグミには関係ない。どの時期に今の状態になったのかなんて知らないけど三年前から塀は壊れていて今もそのままというのなら三年間の記録なんて補完するまでもなくなる。夏休みの日記に今日は昨日と同じって書くのと何一つ変わらない」


「そんな簡単な話なんですの~?」


ラロは脱力してその場にへたり込んだ。


「良いんだよ、ほら」


僕が壊れた塀を指さすと落ちた破片の数々が突然吹いた風によってわずかに動き現実の状態と寸分違わぬ状態になった。

それと同時に空が少しずつ色彩を失い崩れていくのが見えた。


「これでヒトグミの見せた悪夢も終わりだろうね」


「ええっと、私はどうなりますの?」


忘れていた。

そういえばラロの現実の体はすでに亡くなっているかもしれなかったのだ。

僕はとりあえず全く考えていないという旨を伝えた。


「そんなぁ、理不尽ですわ!」


「とはいってもラロの生死は夢の中の出来事じゃないから生き返らせるなんて無茶だしなあ」


「こうなったら・・・」


ラロは何か思いついたのか突然ビルの中に戻っていった。


「おい!もうすぐ夢が覚めるぞ!」


僕はそう言いながら追いかけようとした。

しかし、ビルの階段はすでに消えており上階に上る術は無かった。

一体ラロが何をしようとしたのか、そしてさっき教えてくれなかった事の答えを僕は知らないまま夢は終わった。




目を覚ますとまたしても廃ビルの中だった。

しかし隣にいるのはラロではなく寺墨だった。

僕は間違いなく現実に戻ってこれたことを確信して大きく息を吐いた。


「助かった~」


「なにが助かったじゃ、心配させおって」


寺墨は涙をにじませた表情のまま僕にそう言った。


「やれやれ、思えば大冒険にだったよ」


「また、悪夢を見ておったのか!」


「ああ、それと寺墨。ヒトグミの話なんだけどさ、多分寺墨の言ってた話と大分違ったぞ」


僕がそう言うと寺墨はああ、そうじゃろうな、とどこか知っていたような口ぶりで言った。


「本や他人の話だけでは本当のことは分からん、あの本が間違っていたのか、それともヒトグミやその他現代に未だ残っている怪異そのものが過去のソレとは異なるモノなのかもしれんぞい。それに、ある程度の分類分けこそしては居るが全く同じ怪異というものは実際には一つとしてないのやもしれぬぞ。人の顔と同じくな」


「そうか・・・そんなもんかあ」


「あまり気負うな、そして理解しすぎるなよ。怪異を知りすぎれば慢心を生む、それこそが最も危うい事じゃ。恐れられるくらいが丁度良い、それくらいが最も安全なんじゃ」


恐れられるくらいが安全。

その言葉を聞いて僕は机の上の引き出しに置かれた蛇の目玉を見た。


「どうなったんだろうか、ラロは」


生きているのか、それとも・・・。


「ところでお主、いつからカラーコンタクトなぞしておったんじゃ?」


「え?」


「左目じゃ、さっき痛いと言っておったがまさかゴミが入ったから等とは言うまいね?」


僕はサッと左目を押さえた。

別に抉られたわけではないらしい、しかしどうなっているのか全く分からない。


「鏡か?ほれ」


寺墨は鞄から手鏡を出すと僕に渡してきた。


「さんきゅう」


そう言って僕は手鏡を開いて左目を見た。

細長い瞳孔の左目がそこにあった。


「うわっ」


思わず手鏡を落としそうになる、が突然聞こえた声によってそれすらも叶わなくなった。


(おまたせですわ)


「はあ!?どういうこと?」


思わず叫んでしまった。


「どうしたんじゃ?」


寺墨が訝しげに僕を見る。

慌ててなんでもないと誤魔化して寺墨に聞こえないように小さな声で聞いた。


「どうして俺の所に?」


(体がありませんし他に行ける場所と言ったら貴方の中しかありませんの。幸い夢が混ざっていたことで上手い具合に体に入り込めましたわ。まったく、私だけに名前を名乗らせていくなんて失礼ですのよ)


「ええ、一体どうやって?」


(秘密ですわ、知らないことは多い方が良いんですの)


「どうしたんじゃさっきからブツブツと」


流石に誤魔化しきれなかったらしく寺墨に突っ込まれた。

大人しく僕は夢の中での出来事を全て話した。


「ほう、なら今のお主の中にラロという蛇がおるのじゃな?」


(正解ですわ)


「正解だってよ」


僕は一頻りラロと寺墨の問答の通訳をさせられることになった。


「中々面白いが左目がいくら何でも目立ち過ぎじゃな」


「それくらいなら私が一時的に眠れば元に戻るはずですわ」


僕は口調一字一句間違えずに通訳した。


「なるほど、それなら問題は無いじゃろ」


ラロも寺墨も全く突っ込みを入れないのでこの先もこの通訳をさせられる気がしてならない。

ひとまずいくつかの雑談を終えて廃ビルを後にした、ラロはというと疲れたらしく眠ることにしたらしい。

自己紹介はまた後にとの事だった。

帰りの道中、少し気になったことがあったので寺墨に聞いてみた。


「そういえば、二夜の見舞いはどうするんだ?」


「ああ、明日でも良いという話じゃ。お主の様子がおかしい放課後の時点で連絡はつけておったんじゃがな」


「ああ、そうだったのか。ってじゃあ放課後のアレはかまをかけるために言ってたのか?」


まあそんなところじゃ、と寺墨はアッサリ白状した。


「はあ、とりあえずありがとな。正直寺墨が居なかったらここに居なかったかも知れないしさ」


「感謝をするのは良いが明日から呪いをかけた相手を探したり、まだ払いきれてないこまい怪異の対処もしっかりせねばならんのだぞ?今日の出来事だけで感謝をしていたら身がもたんぞい」


まだ自分の身に幾つかの怪異が取り憑いている。

そう言われるとなんだか不気味な話だった。


「ああ・・・そういえば呪い返しは起きたのかな」


なにしろ変な方法でヒトグミを消してしまったのだから呪いがどうなったのか分からない。

そう思っていると、寺墨はあっけらかんと答えた。


「今起きとる、術者には返っておらんがな」


「え?それって・・・」


「儂はこっちじゃから、ではな。明日もしっかり生きて学校に来るのじゃぞ」


僕の言葉を遮るようにして寺墨は夕闇の向こうへと消えた。

まあいいか、僕はそう思った。

明日にでも聞けば良いと。

ラロも今は眠っているので僕は今日久々に一人になれたような気がする。

そういえば、今日の夢はどうなるのだろうか。

また悪夢だろうか。

寝てみないと分からないけれど、きっと明日は楽しくなる。

そんな予感がする。

今日は少しオカルトが好きになった。

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