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転落

作者: 優しい詰将棋

秒読みの中、自分の負けだということを悟っていく。それと同時に手を読むための思考の中にだんだんと雑念が入ってくるのだ。

どこで負けにしたんだ、何が悪かったんだ、もっといい条件の攻め合いはなかったか。悔しい、負けたくない…しかしどうにも逆転どころか粘ることもままならない。辛い。早く投了してしまいたい。△4八馬 ▲7六桂 △8三銀 ▲6二飛 △8二角 ▲7二金 △同銀 ▲同飛車成 △83銀 ▲8四桂 やっぱり負けだ。一手一手のジリ貧。相手玉に隙はないし飛車を持ったって2手連続で指しても詰まない。

だが自玉にも詰みはない。さて、どこで投げようか。


投げ時はいつも考えている。美しい棋譜を求めるものは汚く粘ることを良しとせず、反対に必ず詰み筋に入ってから投げる者、頭金まで指す者もいる。人の投げ時に口を挟めるほど俺は偉くない、どれが正解でどれが間違ってるなどとは言えない。

しかし人の将棋を見ていて何故こいつは投げないのかと思う時がある。これは棋譜が汚くなるからだとか希望がないからということではない。辛くないのだろうか。はた目から見ても勝敗ははっきりしていて見ているこっちまで苦しいほどに顔をゆがめている、おそらく敗者になるだろう人は、自分で「ありません。負けました。」この一言二言を言うまで最高に苦しい時間を味わう。それが怖いのだ、嫌なのだ。早く楽になってしまいたい。投げた後ももちろん辛いが、それは対局中ほどではないのだ。さらに、敗勢から粘る手は例外なく惨めで具合の悪くある手である。見返したくない。棋譜なんてみたくなくなる。大まかに俺が早投げである理由を羅列してみたがその理由は別段不思議ではないと思う。共感する人もいるのではないだろうか。



とあるプロ棋士の棋譜を並べた。タダで桂を相手に渡す、所謂桂のタダ捨てが決め手となり70手目にして先手の敗勢。全く見えていなかった手で感動した。それと同時に先手はいつなげるのかも気になった。どうやっても先手陣はボロボロになりながら駒損していくのは目に見えている。すぐ投げるかもしれないと思った。しかし棋譜用紙はまだまだ書いてある、あと40手強。本当に何もなくなるまで指していた。

先手の某棋士について調べると以下のような発言をしていた。

「負けと知りつつ、目を覆うような手を指して頑張ることは結構辛く、抵抗がある。でも、その気持ちをなくしてしまったら、きっと坂道を転げ落ちるかのように、転落していくんだろう。」



きっと自分は今、最も転落したところにいるのだろう。

これからは粘ってみよう、そう思うことに「遅い」ということはない。

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