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求む。怪獣つき女房!

作者: 藤乃ごま

30XX年、日本。

ここは、実に平和な国だ。

いや、日本だけではない。世界の全てが平和なのだ。―――今は。


今から千年以上前、20XX年に人類は深刻な全国家、世界を巻き込んだ戦争危機に直面する。人と人、国と国との争いがもつれ、こじれた末に止めることが出来なくなったらしい。結局、それは偉大なる各国の英雄たちにより何とか回避された。その後、度重なる会談を重ねた世界のトップたちは戦争という悲しく非生産的な行いから目を反らす為なのか、人類は新たな飛躍を遂げるために更なる目標や努力、研究を重ねるべきだという指針を打ち立てたのだという。


人が鳥のように自由に空を飛べるように開発された軽くて丈夫な翼。


時空や世界を超え、リアルな現場を体験出来るように開発された扉。――これに関しては歴史を変えようと試みる、時間犯罪者が闊歩しているので、賛否両論なのだが――。


人が行う医術では限界だった箇所へのロボット手術導入。


地球の環境問題への不安から、事前に関知し、それを補い自ら補正する機能を持った、新型人工衛星。


人類増加問題に悩まされた末に開発された、海上都市及び、宇宙移住化計画。


これら全てが、今30XX年には通常使用で可能となっている。西暦2000年代には青いタヌキ型ロボットに出してもらう以外、不可能だとされていたらしいので、やはり先人達は偉大だったのだろう。

私はそんな事をボンヤリと考えながら、サングラスを掛けたまま、自然の朝陽を嬉々として浴びていた。


日本領内として認識されている小さな島。

通称『エンジェルアイランド』

本土からは遠く、改良された現代の乗り物をもってしても、二日は掛かってしまうこの小島だが、人気は絶大で観光客の足は決して途絶えることは無い。


なぜならば、この島は天然の陽光を浴びることが出来る世界屈指の楽園だからである。私は、サングラスを少しずらすと、海面をキラキラと反射する陽の光の粒を愛しく思いながら、ニッコリと微笑んだ。


発達した新型人工衛星を用いても、浄化しきる事は出来なかった地球に蔓延し蓄積された汚染物質。

現在はそれらを緩和させるキュアバリアーなる物を地球全体に覆うことで何とか現状を維持、改善しているのだが、その画期的な発明にも代償があった。


それが『天然陽光の遮断』である。


キュアバリアーで覆うと、どうしても燦々とした陽の光は浴びれなくなる。ブルーの薄い膜に地球がスッポリと覆われたような状態だろうか。まあ、さすがに全ての光が遮断された訳ではないが、やはり西暦2000年代に比べると格段に弱い光だという。

それでも、名だたる博士達が調べ続けた結果、世界の数ヶ所だけは天然陽光が綺麗な状態で差し込む場所を発見することに成功した。しかも、不思議な事にそれらの場所は汚染されても浄化することが可能な作用まで持った地域だというのだ。


まさしく『エンジェルアイランド』


発見された天然陽光が採光可能な地域が必ずしも島や陸であるはずもなく、海の上であった所にも数ヶ所発見されている。そこには早々に海上都市が建築されたが、やはり人工より、天然の方が貴重な気がしてしまうのが人の(さが)か。一日の上陸人数や滞在日数が厳重に管理されているこの小島は世界中の人々が観光を憧れて止まない場所。その人気を踏まえても、ここは世界に誇る、いや世界の財産たる島なのだろう。

そんなエンジェルアイランドに私は三日前から滞在している。滞在期間は、無期限。十九歳の一般人である女性に許可されるにしては破格の待遇だった。

もちろん、それには訳がある。

私は研究者として、とある企業の依頼を受け、この島に派遣されているのである。


――とまあ、言葉だけなら格好良いが、実際のところは、大学の休暇を利用して、企業が募集しているアルバイトをこなしにきたのだった。


「グギャー! グギャー!」


私がせっかく、理想的な環境でウットリしているというのに、足元から非常に煩い雑音が聞こえてきた。


「グーー、グギャー!」


「んもー、ギャオ、少しは情緒というものを感じなさい!」


「……グギァオ?」


ギャオと呼ばれた奴は言葉の意味が分からないのか、首を傾げるようにこちらを見上げてきた。


ギャオ。

外見は『ゴジ○』という日本文明における特撮代表作にそっくりな容姿をしている。――全身が真っ赤で、身長が百センチにも満たない事を除けば、だが。この赤い怪獣は私の研究成果の賜物……いや、失敗の権化だろうか。


私はレッドデータアニマル。所謂、絶滅危惧種の復活を研究テーマとしている。生物が持つ個体データを組み合わせて、絶滅してしまった生物を生き返らせてみたかったのだ。しかし、その過程として生まれてしまったのが、……このギャオである。


性格は、甘えん坊――生まれたばかりの時は、抱っこ紐で抱えながら、一日中あやし続けさせられた。


特技は、大食い――百センチにも満たない身体のくせに、その辺の草を山のように食う。芝刈りに利用したら、さぞかし重宝される事だろう。


弱点は、ヘタレな事――小型犬の代名詞であるティーカッププードルに向かって、ギャオが震えてみせたのは記憶に新しい。


……もうお気づきかとは思うが、断言しよう。

つぶらな黒い瞳を持つこの『チビゴジ○』は、はっきりきっぱり言って見かけ倒しなのである。いっそのこと、本家のゴジ○様のように街中を暴れて、吠えまくってくれたら、ある意味成功と言えたのに。

しかも、悲しいかな、偶然に出来てしまった産物なので、成長の仕方や有効な使い道等が全く思い浮かばない。下手にぐんぐん成長されても草の補食量が増えるだけなので、お勧めできないし、有効な使い道など、もっての他だ。


甘えん坊で大食いで、ヘタレのチビゴジ○――。特撮ファンなら、欲しがってくれるかもしれないが、身長百センチで全身真っ赤なので、リアリティーを探求される方にとっては微妙に不服な存在(クオリティ)だろう。しかも、一応怪獣なので、現在の食物連鎖にも全く引っ掛からないのだ。


一生、離れることの出来ない、パートナーにヘタレ怪獣を選んだ(選ばされた)私……。


当初は、新たな生命を生み出せた事に、興奮や感動を覚えたものだが、ギャオが誕生してから一年経った今となっては、自分の悲しい未来を予想して、気が遠くなる。


『求む。怪獣つき女房』


こんな、求人があったら、すぐに飛び付くのに。いやいや、さすがにそれは無いか。内容があり得ないって事ではなく、私の心情的に。


――私には、大好きで、大好きで止まないあの人がいるのだから。


「ギャオ! そろそろ、仕事の時間だから、ラボに戻ろうか」


「ギャ?」


「お仕事なの。良い子で待ってたら、ご飯いっぱいあげるよ?」


「グギャオーー!」


よしよし。乗り気になってきたな。ここでゴネられたら、押しても引いてもテコでも動かないから、慎重に行かないと。さっき、雑草がボーボーの草むらを発見して良かった。


「この島の草は陽光をいっぱい浴びてるから、美味しいでしょー?」


「グギャッ!」


「ふむふむ。良かった、良かった」


そうこう言いながら、私はうまいことギャオを誘導することに心を砕く。



      ※※※※※※※※※※



それから、三十分もかけてアルバイト先の企業所有のラボ入り口、本館にたどり着いた私とギャオ。


「さっ、仕事するから、ギャオは部屋で待っててねー」


「……グギャー……」


「ほらほらっ、お部屋にクマちゃんのぬいぐるみ置いてあるからさー」


「……グー」


「あっ、うさちゃんも持ってきたんだっけ? 良いなー良いなー」


「……グギャオ?」


「うんうん、羨ましい、羨ましい。仕事終わったらすぐに行くから、そしたら、いっぱい遊ぼうね! ね? ね? ねぇっ?!」


「……グギャー」


ようやく私の言葉に納得したのか、ギャオが背中を向けて、私とギャオに与えられた個室がある別館居住フロアへと去っていく。心なしか、肩をしょぼんと落としている。あ、ゴツゴツの尻尾が垂れ下がって引きずってる。……あれは、戻ったら甘えん坊倍増だなぁ。


「ふぅ……」


「くくく。相変わらず、なつかれてるねぇ。澪子(みおこ)ちゃん?」


「っつ……。急に耳元で話しかけないで下さいよ! (さかき)先輩!!」


私は、背後から囁くように発せられた声に顔を赤くしないように気を付けながら振り向いた。そこには、思った通りの顔が。うっ、思ったよりも近くて緊張する。


「あれぇ? 澪子ちゃん、ちょっと顔が赤いよー?」


「ききき、気のせい気のせい気のせい!」


「棒読みじゃん」


「……うっ」


私の狼狽ぶりに満足したのか『ま、良いけど~』なんて良いながら、榊先輩はさっさとその場を後にしてラボへと入っていく。彼は、同じ大学で一年先輩の榊大地(さかきだいち)先輩。大学での研究を一手に任されている『とある客員研究員』をお互いに師事しているため、何かと接する機会が多いのだ。しかも彼、いや、奴はなぜか私をからかうことを一日の息抜きとしているらしく、ああやって無駄に無意味に絡んでくるのだった。


「まさか、アルバイトも一緒だなんてぇ……」


『とある客員研究員』として大学に雇われている私達の師匠。しかし本来は、企業での研究も担っているので、大学がお休みの期間は企業での研究業務につく。私たちも今回はそちらの応援でこの島に来ていた。


「そりゃあね、私だけ特別に誘われるとは思ってなかったけどさー……」


でも、ほんのちょっぴり淡い期待をしていたのだ。二人きりでの研究、二人きりでの食事、二人きりでのむにょむにょ……。


それなのに、着いてみたら、側には意地悪そうな笑みを浮かべた榊先輩と足元にはギャオのみ。肝心の師匠は、研究室に籠りっぱなしで、一向に出てきゃしない。


怪物とドS野郎に囲まれて研究だなんて、せっかくのエンジェルアイランドが台無しだ!!


「ううう、今日、今日こそは部屋に入れて頂くわぁー!」


師匠、愛しの師匠。頼むから、部屋(個別研究室)に入れてください。



       ※※※※※※※※※



ブーブー


ブーブー


ブーブー


決して、これは私の鼻息ではありません。身分証明書をセンサーに提示して、ラボ内に入った私は早速、師匠がいる個室へと足を向けたのだったが……。


「やっぱり、出てこない……」


今日で三日目。私がこの島に来てから、一目もお会いしていない。もしかしたら、三日どころか、数週間は籠っているんじゃなかろうか? 早めに休暇を取った師匠の事だ。……十分にあり得る。


「ま、まさか、倒れてたり……?!」


ま、まさかねぇ。……いっくら、研究が大好きで三度の飯より研究で、恋人なにそれ? なんの成分? を地で行く師匠でも……。お風呂? なにそれ、分解できる? の師匠でも……。ご自分の健康管理くらいはねぇ。


「………………」


出来るわけねぇよぉぉぉ!!


ブーブーブーブーブーブーブーブー!!


私は鼻息……ではなく、部屋に取り付けられた呼び出し用のブザーを連打する。


ドンドンドンドン!


「師匠! ししょー! 如月(きさらぎ)師匠! 鷹人(たかひと)師匠! 天才奇才、変人奇人、如月鷹人ししょー!!」


ドンドンドンドン!


ダ、ダメだ、開きゃしねぇ!!


「うーるせぇなぁ。何、人の研究室前で悪口諸々、叫んでんのさぁ?」


「あ、ちょうど良い所に、榊先輩! ちょっとこのドア蹴破って下さいませんか!!」


「…………はあ?!」


「あ、さすがに脚力じゃ無理ですか?! んー、そしたら、そしたら、小型爆弾で……ブツブツ」


「おいおいおいおい」


榊先輩は落ち着いた……というよりゲンナリした様子で、はぁーっと深く息を吐いた。


「澪子ちゃん、お前はちょっと落ち着け」


「えっ? 私は至極真面目に落ち着いております! でも、如月師匠が中で倒れているかもしれないんです! だから、新型小型爆弾で……」


「それ! そこから違うっての! なんで、人の部屋前に小型爆弾セットしなきゃならんのかな? ヘタしたら、本当に如月さん死んじゃうよ?」


「だだだ、だってぇー!」


「大体さぁ、部屋から出てこないのなんて、いつもの事じゃん。大方、中で寝てんじゃね? あの人、夜型だし。まぁ、寝るというより、疲れから失神するように寝落ちしてる可能性の方が高いけどさぁ。アッハハ」


「……そ、それって、やっぱりダメじゃないですか?」


「うーん、まぁ、その…………大丈夫、でしょう!」


「今、間が空きましたよね?! や、やっぱり突入しますっっ!!」


そんな不毛なやり取りをしている私達の前で、開かずの扉……もとい師匠部屋の扉がギギギ……と音を響かせながらゆっくりと開いた。


「ふぁぁぁー、何ですかぁ? ……騒がしいですねぇ」


そこから、フラッと現れたのは、私の愛しの愛しの愛しの師匠……!


「し、し、しししし」


「し?」


「ししししし」


「? どうしました? 東さん」


「しっしょーーーー!!」


私は、思いっきり師匠に抱きついてしまった。だって、言葉が出なかったんだもの。心配したんだもの。若い乙女なんだもの。


「生きてたー! 師匠、師匠、師匠ー!」


「あー、はいはい。……困りましたねぇ。榊くん、一体、何がどうしたのでしょう?」


「いやー……、俺にも分かんないっす」


そんな会話が頭上を通りすぎるが、この際どうでも良い。やっと会えたよー! 愛しの師匠!


「あー……と、東さん?」


「……ふぁい?」


引き離されると思い、本当は返事をしたくなかったが、渋々言葉を返した。もちろん、顔は師匠の胸に埋めたままだ。


「えーっと、非常に言いにくいのですが……。僕は二週間ほどお風呂に入ってなくてですねぇ」


「良いです、良いんです、そんな事」


「…………ダメだろ」


榊先輩の言葉も聞こえたが、全力で聞かない。


「あー、しかも、僕は薬品を白衣に溢しまくっていますから……」


「良いです、良いんです! それも予想の範囲内です!」


「…………ダメだよ」


またもや、最後に雑音が聞こえたが、フェアリーだとでも思っておこう。いや、フェアリーだなんて、可愛すぎるな。これは風だな、風。そんな事を考えながらも師匠の胸に顔を寄せ、さらに深くスリスリする。


あー、幸せー。大学内ではさすがにこんなこと出来ないから、嬉しいし、新鮮だし、……なんかものすっごく熱いわぁ。


ん? 熱い? 熱いって変じゃないか?


師匠にお熱ってか? いや、確かにそうだけれども!


「あ、あの、師匠。ちなみに何の薬品を溢したのでしょう…………?」


ヒリヒリ、ピリピリする頬っぺたを抱えながら、私は九割の確信と、一割の期待を込めて師匠に問い返した。


「あーー……、それがですねぇ。こちらの島の陽光を百億分の一程度に圧縮させまして……。それを液状にしたものを……数滴、いや数十滴溢してしまいまして……」


「……つつつ、つまり、陽の光を圧縮したものが師匠の白衣に着いていると? 数十滴も?」


「あははは。そうですねぇ、はい。あれ? もしかしたら、それすらも予想済みでしたか? 僕は本当に優秀な弟子を持って幸せですねぇ」


「…………」


「…………はあ」


私の沈黙と榊先輩の溜め息が重なる。……師匠、それは予想の範囲外でした。優秀な弟子像を裏切ってすみません…………。


「……あれ? あ、東さん?!」


「うわぁ!! 澪子ちゃんがショック症状で倒れた! 如月さん、ボーッとしてないで、医療対策班呼んでくださいよ!」


「え? でも、予想の範囲内では?」


「だぁーから、範囲外だったんすよ!! これ見りゃ分かるでしょう! うわぁ、死ぬなよー澪子ちゃーん!!」


……そんな師匠と榊先輩の声が遠くに聞こえる。うん、これからは榊先輩に少しは優しくしよう。師匠だけだったら、絶対死んでるよね、私。


私はそんな事を考えながら、必死に応急処置を行う、二人を尻目に意識を手放していった。



      ※※※※※※※※※※



如月(きさらぎ)鷹人(たかひと)師匠との出会いは、私が八歳の頃まで遡る。その頃、師匠は二十歳。その道の第一人者として名を馳せていた私の父を師事して、住み込みで家へ下宿していた。サラサラの黒髪は色素が薄いのか、薄い陽光を浴びてもキラキラと輝いて見えた。少し細目の瞳は真面目な顔をしていれば、少し鋭利で怖いのだが、ふんわりと笑った顔を浮かべるとその目尻も下がって、愛らしさが増す。黒縁のオシャレじゃない、本気眼鏡もこの際、私の好みだ。


つまり、師匠は私の初恋相手で、唯一の人なのである。一目見たときから、彼だけが輝いて見えた。下宿人は他にも多数いたが、彼しか目に入らない。八歳の頃からだから、片想い歴、早十一年。少し、ストーカーチックで怖いかもしれないが、どうしても諦めきれなかった。


小学生の時は、師匠に勉強を教えてもらい、良い成績を取って褒めてもらった。とても、満足した。


中学生の時は、父や師匠と同じ科学の世界に足を踏み入れ、世界科学コンテストに入賞した。彼に近づけたようで、とても、満足した。


高校生の時は、師匠が客員研究員として、国立科学大学の研究室に派遣されることが決まっていたので、ひたすら猛勉強した。結果、その成果が実を結び、大学に合格した。ちなみに、世界科学コンテストでは、最優秀賞も頂いた。これは、師匠も貰っていた賞なので、お揃いで肩を並べた気がして、とても、満足した。


――そして、現在の私。

予定では、この辺りで恋人同士になるはずだった。師匠の研究室にサポート要員として入り込めたし、ああ見えて神童とうたわれた榊先輩ほどでは無いけれど、右腕……いや左腕位の存在にはなっていると思う。げんに、今回は極秘開発である企業プロジェクトにも榊先輩と二人で参加させてもらっている。


――だけど。


だけど、それだけなのだった。いや、もしかしたら、以前よりも師匠との距離が後退している気がする。小学生の頃までは、抱きついても離れることなく、むしろ頭をポンポンしてくれた。中学生の頃までは同じ家で下宿していた。高校生の時までは、澪子ちゃんって名前で呼んでくれた。


それなのに、今はその全てが無い……。抱きついたら、やんわり外されるし、家も出ていってしまったし、名前もなぜか東さん呼ばわりだ。


「……これって、諦めろって事なのかなぁー?」


そんな言葉がつい口を出てきて、ついでに意識も覚醒していった。


「……お? 目ぇ覚めたかぁ?」


「………………さ、かき先輩?」


やっぱり、師匠は居ないんだなぁ。分かってた事だけれど、悲しくて切なくて泣きたくなって、ついでに頬っぺたがまだジンジン熱かった。


「ふ、ふえぇ……」


「お、おいおいおいおい! なんだよ、どうしたよ? まだ顔が痛むのか?!」


目の前で榊先輩が激しく狼狽している。少し癖のある金髪を無造作に纏めてはいるけれど、目鼻立ちは整っていてきりっとしている。さすがにイケメンだけあって、困った顔もイケている。


「でも、私が側に居て欲しいのは、榊先輩じゃなーーーい!!」


「いやいやいや、さりげなく……いや、普通に当然に失礼だぞ?」


榊先輩は、私の暴言に顔をしかめていたが、思うことがあったのか、口を開いた。


「お前、なんか、勘違いしてないか? 如月さんは今の今まで―――」


「お待たせしました!」


カラガラガラと医務室の扉が開いた。そこには髪をポタポタと滴らせた師匠の姿が。


「すみません、席を離れてしまって……って、東さん、目が覚めたんですね! ああ、良かった!!」


「………………」


「……? 東さん……?」


私の顔色と涙を見て、怪訝そうな師匠。榊先輩が慌てて、間に入ってきた。


「ああーーっと、その、今はそっとしといた方が良いって言うか、柔らかい乙女心っつーもんが揺れているっつーか、女のヒステリックっつーかぁ……」


「? 乙女心? ヒステリック?」


「だああ! だから、俺に聞かれても分かんないっすよ! ほんっと鈍いな、あんたっっ!!」


「? ……はい?」


なぜだか必死な榊先輩のフォローすら、今は胸に痛い。第三者の榊先輩ですら、側にいてくれた。師匠が側にいなくて、私が泣いてしまったことを察してくれた。


――それなのに。


それなのに、この木偶の坊は、薬品をつけた張本人のくせして、あろうことか風呂に入っていたのだ!! 二週間入らなくても平気な人が! 今、この時、この瞬間に!!


「……ふ、ふふ。弟子としても、女性としても、あり得ない対応……よね。ふ、ふふ、ふふふふ」


「え? なにか仰いましたか? 東さん」


「あちゃー。…………俺、知らねぇっすよ」


榊先輩は、静かに後方へと下がっていった。


「……十一年です……」


「? はい?」


八歳からこれまで詰め込んできた想い、そして、今失望した思いが攻めぎ合いながら溢れでる。頬っぺたよりも胸が熱い。口調なんか、到底気にしていられない。


「八歳から、十九歳までの今まで! 私はあなただけを見てきたのに!! なんで? なんで、今、今に限って風呂? ふふふ、風呂って!! 二週間平気なんだったら、一日くらい延びても良かったでしょうがっっ!!」


「え? え、えっと……」


「大体ねぇ、危険な薬品なんて浸けた白衣、早く処分しなさいよ!! 科学者としても、人間としても完全に失格よ!!」


「いや、だから、それは……」


「良いから聞きなさい!! ……そもそもねぇ、部屋の鍵とかどっちかに預けておきなさいよ! 何かあったらどうするつもりだったの?!」


「は、はあ」


「あなたはいつもそう! 結果が出てからでないと学ばない! 動き出さない! それじゃ、いっつも遅いのよぉぉぉ!」


「…………すす、すみません…………」


「…………ううっ」


師匠の後ろに立つ、榊先輩までもがわざとらしく胸を抑えている。ふんっ、これでもまだまだ言い足りない位だわぁ!


「「「…………」」」


はあはあはあ、と私の呼吸音のみが木霊する医務室。


私は最後にして、一番言いたかった事を切り出すために、少し冷静になった頭で口を開いた。


「私は、師匠――ううん、如月鷹人さんが好きなんです」


「なっっ!!」


「ぐっほっ! こ、公開告白かよ……。俺の身にもなってくれよぉ……」


この際、榊先輩には証人になってもらおう。公開だろうがなんだろうが構わない。この鈍男には、これ位しないと伝わらないのがよっく分かった! 今日、身を持って、これ以上無いほど良く分かったのだ!!


「あ、あの、東さん……?」


「私は『東さん』ではありません」


「ええ?!」


「私の名前は澪子です。あなたに抱きついてポンポンして欲しいし、澪子ちゃんって呼んで欲しいし、もっともっとずっーと一緒に居たい!!」


「……っ」


「あなたの背中だけ追いかけて来ました。……ずっと。でも、今日私は二週間放置しても平気だったお風呂にすら負けた。だから、すごく悔しかったんです。どうしても、どうしても、振り向いて欲しかった……けど……」


「東さん……」


気が付くと、またポタポタと溢れる涙。頬っぺたはジンジンするし、胸は熱いし、目は腫れぼったい。鼻も詰まって息をするのも苦しい。まさに三重苦。いや、それ以上か。あー、やっぱりちょっと……いや、かなり辛いかも。


「ご、ごめんなさい。……私、ちょっと混乱しているみたいで。二人とも申し訳ないんですが席を――」


「僕で良いの?」


「…………え?」


席を外して欲しい。と願う言葉は口に出されることは無かった。呟くような小ささで発せられた師匠の声が聞こえない。いや、聞こえてはいるのだが、理解が全く追い付かないのだ。


「あ、あの……?」


「東さん……君は僕より十二歳も年下だ」


「え、ええ、まあ……知ってます」


「君は、恩師の娘さんだ」


「え、ええ、それも……知ってます」


「君は、才能溢れる若者で…………その、とても可愛らしく魅力、的だ」


「え、ええ、知って…………ませんっっ!! え? え? い、今、今なんて?! か、可愛い? 魅力的? ……とか聞こえませんでしたぁぁぁ?!」


思わず、後方の空気と化している榊先輩に確認する。先輩は、顔をしかめつつ、ご自分の口元に一本の人差し指をつき当てた。


黙れって事ですね。……オッケーです、先輩。


「あ、東さん」


「はっ、はっ、はいい?!」


俯きがちだった視線を元に戻すと、ガッチリと師匠と目があってしまった。ううう、こんなに目が合うのって何年ぶりだろぉ? き、気のせいかも知れないけど、師匠の瞳が熱を持ったように潤んでいる気がする……。


「君は、本当に僕で良いの?」


「え、えっと……」


「君の素直な所や真っ直ぐな所が本当は、とても、とても、愛おしいんだ。……でも、君が今を振り返ったとき、いつか僕を選んだ事を後悔するんじゃないかって……」


あ、ヤバい。せっかくの師匠の瞳の熱が少しずつ暗闇に囚われていく。んもー!! ギャオだけじゃなくて、この人もヘタレだーー!! 私は前のめりになって、師匠の腕を捕まえた。


「師匠! 私は、私は……ぜえええっっっったいに、後悔なんかしませんよ!!」


「え?」


「だって、十一年間、諦められなかったんですもん!! この想いが枯れることなんてあるはずが無いんです!」


「……東、さん」


じっと瞳の中を覗く、師匠の真剣な眼差し。私も真剣に見返す。


あなたが好きです。あなたと一緒に居たい。あなただけしかいりません。


瞳から想いが伝われば良いのに。本気でそう思った。


ふいに、師匠がふにゃりと微笑んだ。私の大好きな優しい笑み。そしてそのまま、師匠の腕がそっと私の身体を抱き締めてくれた。


はあーーーーー、幸せだあ。まさか、本当に師匠の彼女になれるなんて……。もう、他には何もいらない。


「……み、澪子ちゃん?」


抱き締めたままの状態で、言いづらそうな状態の師匠。


「は、はい。……なんでしょう?」


「大学……卒業したら結婚してくれる……かな?」


「はいはい。…………って、ええっ?!」


後方で、空気と化した榊先輩も思わず『気ぃ早っっ!』とか何とか叫んでいる。でも、師匠はめげることなく、照れ臭そうに笑って言った。


「大人になるとね、けじめや決まりで、誠意を表したいと思うものなんだよ。……特に、相手が若くて可愛くて心配な場合は、しっかりがっちりと捕まえておかないと……ねぇ?」


「え、ええ、あの……は、い?」


何だろう、にっこりふんわり笑顔が少しだけ、すこーしだけ怖い……かもしれない……かな?


でも、これでギャオも私も一緒に歩いていくパートナーが決まったなぁ。ギャオ、師匠にはなついてるから喜ぶかも。


ふふっ、そんな事考えてたら、楽しみになってきた!!


『求む。怪獣つき女房』


そんな求人、あるはずないと思っていたけれど、実は一番身近な所にあったなんて。

私は二重の幸せに頬を緩めた。

補足


澪子が運ばれた時、如月師匠はお風呂に入るつもりは無く、付きっきりで面倒を見ようとしました。が、しかし医療対策班の面々に、衛生面で強烈な却下をくらい、強制的に風呂場へ連行されたのでした……。


ちなみに所要時間、十分。


うーん、もう少しマメに入って欲しいものですね。気が向けば、続編を書く予定です。


お読み頂き、ありがとうございました!

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