ロバの恋?電話友達?
こうして僕とあかりは結婚することになったわけだけれど、もしあの時の一本の電話がなかったらどうなっていたのだろう。そんなことを考えていたら、なんだかあの頃の記憶が鮮明によみがえってきた。
♪
着信音が鳴る。スマートフォンの画面には知らない電話番号が表示されていた。
「もしもし。私だよ!」
「…ああ」
なんだ。同じ学年のあの人か。何度か会話をしたことがある。
「『ああ』じゃない。ちょっと話しを聞いてくれる? ロバくんにはわからない悩みをきいてほしいんだけど」
「ロバ…ひどいなあ」
僕のコンプレックスの名称を言われた。顔がロバに似ているからだろう。彼女にはあだ名で『ロバくん』と呼ばれている。全然嬉しくないけど。
「え。勘違いしているかもしれないけど、ロバって動物のほうの意味じゃないんだからね」
動物じゃないほうのロバってなんだよ。それ以外の意味でなにがあるんだよ。内心は聞きたい欲求にかられたがやめておいた。
なぜ、聞けなかったのか。それは電話ごしの彼女の声音が震えていたからに他ならない。
鼻水をすするような音がした。
「…ん?」
「なんでもない! だから話しをさせてよ。ロバくんにストレスをぶちまけたら発散できる気がするからさ」
ひどい言い方だなあと思ったが僕は話しを聞くことを承諾した。どうしたのだろう。今日の彼女はいつもと様子が違う気がする。学校で見ている陽下あかりさんは、天真爛漫な自由人! という言葉が似合う人だ。陰鬱な学校生活をおくっている僕とは、人種が違うと思っていた。
でもそれは思い違いだった。そこまで違わなかったようだ。もしかすると弱音をはく相手は、同じ境遇にいる人に多いのかもしれない。
この電話ごしに鼻水をすする音と呼吸しづらそうな声をあげていたのは、たぶん泣いていたのだろう。
「ヒっ」
「イヒ?」
「殺すぞ。気にすんな」
僕はなるだけ角をたてないでオブラートに包み込むように心がけながら聞き役にまわった。
まあ内容は単純に『学校であの人がああいう態度であんなことを言った』とか、『自分だけがのけものにされた』とかそんな感じのことだ。まあよくある話しである。
ロバにストレスをぶつけたからスッキリしたのだろう。電話を切る前に元気な『今日はありがとう!』が聞けた。
次の日、学校にいくといつもの日常が始まった。給食当番だった僕は食器を給食センターに返さないといけなかった。重い食器の入ったかごを持ちながら廊下を歩いていた時、五組の教室から出てきたあかりさんと出くわした。
「あ。ロバくん!」
肘だけまげて小さく手をふっている。
「…僕はロバじゃない」
なぜだか相手の顔が見れなかった。それに急に食器を返しにいく足が速くなった。心臓の鼓動も速くなっているのがわかる。やめてほしい。僕は右手の平を左胸におしつけて妙な感覚におそわれた。
なんだろう。この小気味よい心拍は? バカバカしい。昨日、女子に電話で悩みを打ち明けられただけなのだ。だったそれだけで恋愛に発展すると? はは。ふざけている。信じられるか。これじゃあまるで僕が性欲にだらしない男みたいじゃないか。そんなやつとは違う。考えるな。もう考えるな。
思考を中断したら心拍が平常に戻った。…なんだか真横から視線を感じる。
「よお、イケメン」
「…僕はイケメンじゃない」
声がしたのは食器カゴの片側の取っ手を持っていたK•Yからだった。加藤吉出ことKY。クラスのみんなが彼のことをそう呼んでいる。だから僕も空気をよんで、
「それにKYのほうがイケメンレベル高いだろうが」
と言った。
「あれれ。こりゃあ無自覚なパターンか? ロバくんと呼ばれていてイケメンでないわけがないのに」
意味深な微笑をうかべている。
「いやロバくんと呼ばれていてイケメンでないわけあるだろ」
「この無自覚な偏見男が。ところでさっきのはイケメンの彼女か?」
「そんなわけない」
「そうなのか? なんだか親しそうな挙動だったけど」
「昨夜、電話がきたんだよ。それで打ち解けた気になったんだろ。だいぶ話しこんだからな…ていうか一方的な愚痴だったけど」
泣いていたな。
「ははーん」
「なんだよ。その笑顔は…ていうか食器おろさないか? 重いんだが」
二人で運んだ食器を指定の位置に置いた。
♪
なぜだろう。あの頃の僕は恋というものを疑っていた。思い込みによる錯覚が好きという感情をよぶのだと心の中で自分に言い聞かせていた。
それは正しい考えだったかもしれない。感情は未来に約束できない。だからほとぼりがさめるまで待とうとしたあの判断に後悔はしていない。
たった一本の電話。あれだけで一人の男の心がゆさぶられただなんて、なんて滑稽なのだろう。たしかにバカバカしいと思った。どうせこの気持ちもすぐに忘れてしまえるだろうと信じていた。
でも忘れられなかった。あれから定期的に彼女の愚痴や悩みの電話がかかってきたからだ。
先月に結婚式場へ下見にいった。あの時に見た彼女のウエディングドレス姿はとても綺麗だった。昔の僕に見せてあげたかったくらいだ。
二人が撮影された記念写真を見つめ過去を振り返ることにした。優しすぎたあの頃を。
♪
「優しすぎる男は信用できない。なにかやましいことがあるにちがいないと思うよ」
「…すぎたらねぇ」
「男は簡単に女の人を好きになれる気がする。たぶん誰でもいいから彼女がほしいんだろうね」
「…んー」
なぜ男限定なのだろう。
「周りの友達が私の過去の恋愛話しをきりだしてくるんだけどめんどくさい。昔は好きだったってだけで今はなんとも思っていないのにね」
過去に好きだった異性が⁉
「女の人はなかなか、大変だねえ」
「ん? そういえばロバくんて男だったっけ?」
「いやいや…冗談でしょ?」
「冗談じゃないよ。なんか、ロバくんは異性に思えないんだよね。ただの友達っていうか」
なんだか悲しくなる発言だなあ。たぶんすこし期待していたのかもしれない。何回も電話をかけてくるってことは僕に気があるのだと思っていた。でもそれは友達としてだったらしい。
次の日にいつもの学校が始まった。別段、楽しいこともなかった。午後から全校集会があり、体育館に向かった。
全校生徒が集合していた。どこも整列されておらず人がまばらに行き交っていた。僕は並んでいるつもりなのだが、他の多数が会話にいそしんでいるから列にならない。
「よお、イケメン」
「なんだKYか。はやく並べよ。あと五分で全校集会が始まるぞ」
「ふん」
イケメンじゃないし、なぜか鼻で笑われた。
「お前さっきからどこ見てるんだー? 五組の方が気になるのか?」
「べ、別に、気になってねえし」
なんだかツンデレみたいな返答になってしまった。これが男のツンデレというやつなのかもしれない。
「嘘つけ。やるべきことはわかっているんだろ? 背中を押してやるからはやく行けよ!」
え! ちょっと⁉
力強く背中を押され、僕は無理やり五組の集団に連れていかれた。
「お。ロバリオンのロバくんだ!」
なんだよロバリオンて。
「…僕はロバじゃない。…ロバリオンてなんだよ?」
恥ずかしいから、相手の顔が見れない。背中の方を振り向いてもKYはいない。あのやろう。空気をよみやがって。
「ロバリオンはね。すっごく優しいんだよ。一度も私のかけた電話に出なかったことがないんだから」
まさか。そういうオチだったのか。
「僕が異性に思えないって…そういう意味だったの?」
「だって私はロバくんのこと信用しているからね!」
視線をあかりさんの顔に向けるとその表情がはにかんでいてドキドキと心臓が高鳴った。
♪
電話こい! とあの時の君はケータイを肌身離さずに持ちあるいていた。それは恋だったのかい? それとも電話友達としてだったのかい? 曖昧になし崩してしまえる答えに君は苦悩していたにちがいない。それでも大丈夫。いつか君は勇気を振り絞りその答えを相手に告白する日がくるのだから。
中学校の卒業アルバムを見ながら過去をふりかえっていたら自室にあかりが入ってきた。薄暗いこの部屋にこれから新婦となる彼女がやってきてこう言った。
「挙式はもうすぐね」
君の記念日がやってくる。