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半吸血鬼ゲイリー・ロマノフの気高くも気だるい日常・1

ゲイリー・ロマノフとそこそこ愉快な友達が繰り広げるかもしれない日常的冒険の数々をごたんのうください!

 ゲロゲロ。ゲロゲロゲロ。目覚まし時計代わりのヒキガエルの鳴き声に鼓膜をひどく揺さぶられたゲイリー・ロマノフは瀟洒なベッドから上体を起こし、緩慢な動作で目をこする。と、華奢な握り拳を恨みとともにカエルの鳴き声が聞こえる黒檀製のベッドサイドテーブルに叩きつける。哀れなヒキガエルがつぶされるメメタァという音が耳にこびり付くが当のゲリーは両生類に対する哀れみなど持ち合わせてはいないでも言うように小指についた黄色いカエルの血を一舐めしたあと、同じ手の親指で寝ぼけ眼をこする(実際哀れみなど持ち合わせてはいないのだ)。ママったら、最初は活動のこと小馬鹿にしてたくせに、いつのまにか自然回帰派が語る時代錯誤的な妄言にすっかり乗せられて、今では会合に参加するたびに妖しげな“昔ながらグッズ”を持って帰ってくるんだからイヤになっちゃう……。もちろん、彼女がたった今叩き潰した、大昔の魔女たちが愛用していたという目覚ましカエルもその一つ。胡散臭い呪いがかかってるせいで、潰しても潰しても翌朝になると蘇ってあの頭にくる鳴き声を部屋一杯に響かせる。このカエルがどれくらい大昔に流行ったシロモノかっていうと、スマホやパソコンどころか電卓もない時代、それどころか時計すら発明されてるかもあやしくて、時間を計るのに日時計とかを使ってたような時代の遺物なのだきっと。由来が古ければ古いほどもてはやされるのって、なんか違うと思う。そんなことを、潰したばかりのカエルの死骸、うつろな目で半開きにした口からピンク色の舌をだらしなくはみだしたままコトキレている亡骸をまるで汚物を見るかのような横目で見ながらゲリーは考える。クラスメイトたちの中でも目端の利く今時の連中は脳波目覚ましを使ってるっていうのに(これは、睡眠中の脳波を観測し、もっとも目覚めに適したタイミングで使用者を覚醒させるというハイテク目覚ましである)、私のは原始人でも使わないようなカエルなんだもん、これってどういう不公平!?……本当にいまいましいったら!

 ゲリーが朝から不機嫌なのは珍しいことでもない。彼女は、最高級のガチョウ羽毛掛け布団(一羽の子ガチョウからわずかに四本しか取れない幻の羽毛をふんだんに使用した天国のような寝心地)を乱暴に蹴り飛ばすと、潰れたカエルの隣に置かれているヴェネチアガラスの水桶に両手をつっこみ、張られた水をすくうと顔を洗う。ただの水ではない。P+++++紫外線除去機能成分が配合された洗顔液である。洗顔水の中に黒い粒があることは気にしない。忌々しい目覚ましガエルがこの水をプール代わりに使っていようと、あまつさえ何粒かの糞をこぼしていようと、気づかない振りをしておけば無かったことになるのである。P+++++の性能、すなわち、朝それで顔を洗っていればその日一日はどんな強力な紫外線だろうと完璧にシャットしてくれる魔法の(というよりも文字通り魔法の)ボディケア用品をゲリーは首筋や細っこい腕や太股や足にぺたぺたとおざなりになすりつけながら、板が雑に打ち付けられた窓からかすかに漏れる朝の光を恨めしげににらみつける。太陽なんて大嫌いなのだ、生まれつき。紫外線除去機能がついたコンタクトを両目にはめて、制服を着る。


 階段を下りたゲリーが食卓に入ってゆくと、朝食が用意されているところだった。

「うげえ」

 食卓に並んだ鶏を見て、ゲリーは心の底からつぶやく。

「よう、姉ちゃん」

 弟のミグが、同じようにうんざりした口調で言葉を返す。

「あらおはよう、目が覚めたのねゲリーうふふふふ」

 ゲリーの声が聞こえたのだろう。朝から妙なテンションで、母親が台所の向こうから顔を出している。自分用の食事を作っているのだ。おそらくサンドイッチだろう。食卓の上では、くけえ、と、鶏が鳴く。両足と翼が針金で止められているので四羽の鶏どもに許された自由はもはや鳴き声をあげることだけだ。

「ねえ、ママ」

 ゲリーは雄鳥の一羽と見つめ合いながら言う。

「私たち、人工血液でも全然いいんだけど……、別に鶏のじゃなくて」

 となりではミグが姉の言葉に同意するように力強くうなずいている。

「……人工血液? ダメよ、ダメ、ダメ。あんな身体に悪そうなもの。ああ、ひょっとしてそういうことかしら、そうね、きっとそういうことなので、だってゲリーも高校生だものね、そういう年頃なのね、うん、そうね、そうに違いないわうふふふふ。けどやっぱりダメよ、だって人工血液なんて、不自然だもの、不潔、不潔」

 ママの言う『そういうこと』がどういうことなのかはさっぱり分からないが、どうやら勝手に納得したらしい母親はサンドイッチの皿をテーブルの上に置き、ハムサンドを一つ取って口に運ぶ。

「なんでよ! 今時の人工血液って栄養バランスもすっごくちゃんとしてて、それにすっごくおいしいんだよ!」

 このまま押し切られると色々とまずい気がするのでそう言った。主張すべきことは主張せねばならないのだ。

「ていうか母ちゃん、姉ちゃんが高校生だから何だってんだよ」

 援護射撃でミグのつっこみも飛ぶ。

 すると、一瞬母親は遠い目をして、ここではないどこかにその視線を向けて言うのだ。

「そうねえ……。あなたたちの年代って、ご飯のこと、単なる栄養補給ととらえがちで、むしろちゃんとしたお弁当をウイダーインゼリーとかパワーバーで代用することに一種の反抗的なステイタスを見いだしかねない年頃じゃない? 分かるのよ、だって他ならぬ母さんがそうだったんだもの、うふふふふ」

 懐かしいわね、あのころは朝昼晩とカロリーメイトを食べてたものだったわ、と、意識を過去に軽くトリップさせている。

「けどね、ダメなの。いくらカロリーメイトが一箱で一日の三分の一のミネラルとエネルギーを補給できる素敵な食べ物だといっても、身体は本当はそんなものを欲してはいないの。あまりにも人工的すぎてダメなのね。生き物というものは、野菜とか新鮮な水とか、そういうのをきちんと取らないと病気になって死んでしまうの。そんなのって、最低じゃない? ホント、最低、最低。あ、勘違いしないでね、ママはあなたたちに死んでもらいたくないからこういうことをいうのよ? 要するに、愛ってことね、うふふふふ、愛」

 母親は、そう言って二つ目のサンドイッチをぱくぱくと口に放り込んでごくりと飲み込むと、辞書で聖母の項目を引けば額付きの写真で印刷されていてもおかしくないくらいに慈愛に満ちた笑顔を浮かべて鶏の一匹をテーブルの上から無造作に掴みあげる。鶏がぐえ、と鳴き声をあげる。自らの運命を察したとおぼしき鶏の訴えかけるようなつぶらな目からゲリーは思わず視線を逸らし、鳥類という種が宿命的に背負う食材としての運命に今更のように思いを馳せて朝からほんのり陰鬱な気分になる。ごめんね鳥ちゃん。次に生まれてくるときは捕食者になれるといいね。

 ゲリーがそんなことを思う間にも、母親は慣れた手つきで鶏の首を両手でぽきりと折る。切れ味の良い包丁で首の根本をざっくりと切り落とすとそこからあふれ出す血液を用意されたワイングラスで受ける。

「どうぞ、お飲みなさいな。レディファーストよ、それに鮮度は折り紙付き、ビンビンよ、うふふふふふ」

 ゲリーはうんざりした目で弟と目配せする。

「あの、ママ、私、ホントに今日はあんまりお腹すいてないんだけど……」

 言って、母親の顔を見て、気づく。

 やばい、目が笑ってない。

「分かるわ。血吸鬼でも人間でも、あなたたちの年齢になると体重とかスタイルがとても気になってくるのよね。だから無理なダイエットに走りたくなるのは分かるの。けどね、お母さんはそういうダイエットが身体にとっても悪いと言うことも知ってるの。そう、お母さんが女学生だった頃、クラスメイトに、みやびちゃんっていうそれはそれは綺麗な子がいてね、うん、とても綺麗で、街を歩くたびにスカウトのお兄さんに声をかけられて難儀してたっけ。もちろんその綺麗さは寝る前のハチミツパックとか、毎朝欠かさずヤモリの粉末を飲んでたりとかそういう日頃の努力の賜なんだけど。みやびちゃん、実家が薬学系の魔女だったから美容関係は詳しくてママも色々教えてもらってたっけ。そうそう、思い出すわ、みやびちゃんはちょっと無口で照れ屋のくせに拗ねたところがあって背がとても低くてお人形さんみたいに綺麗だったの、うふふふふ、こっそり近づいてお尻をつるりんって撫でると顔を真っ赤にさせながらひゃああああって言って驚くの、可愛かったなあ」

 はじめは真面目っぽく始まった話がいつの間にか脱線している。ツッコミどころは沢山ある。結局なにを言いたかったんだ、とか、クラスメイトにセクハラすんな、とか、ママの言うみやびちゃんってたぶん今ウチの学年の魔女クラスを担当してるみやびちゃんのことだよね、とか。

 しかしながら、思い出話に浸って気が緩んでいる今はチャンスでもある。

「うん、そうだね、それじゃ私、学校が始まっちゃうからもう家、出ないと!」

 そう、抜け出そうとするのだ。が。

 母親は、立ち上がろうとするギリーの値を見て、ぎぎぎと歯をならす。

「ギリーちゃん、ママのいうこと聞いてたかしら? 朝ご飯はちゃんと食べようねえ!」

 そう言ってママが突き出すワイングラスの中の鶏の血には、細い羽が浮いている。うう、変な臭いがするよう。私は覚悟を決めると目を閉じて中身を一気に飲み干す。げろの味がする。もちろん本物の吐瀉物の味がするってことじゃなくて、ゲロゲロな味って意味。すくなくとも朝一で毎日飲みたくなるようなさわやかなモノじゃない。けどまあ、ママが言うように健康的な飲み物であることは確かだ。それは認めてあげないといけない。

「うふふ、さすがギリーちゃん、いい飲みっぷりね。誰に似たのかしら、うふふ、もちろんパパに決まってるわよね。それじゃ、おかわりはいかが?」

 言うなりママは二羽目の鶏を絞めた。げろげろ。


 学校に行くと、二年一組のクラスに入ったのは私が一番早かった。早くきたのには理由がある。今月はもう九回遅刻をしてしまっており、次に遅刻をすればママを呼ぶと脅されているのだ。この例からも分かるとおり、本来なら誉めて育てるべき子供を脅して言うことを聞かせるのが現代教育の方法論だ。やり口が汚い。とてもじゃないが、文明的であるなどとはいえないと思う。

 ところでいくら私が早いといっても、この世にはもっと早く学校に来る奇特な一団が存在する。部活をやっている子たちで、彼らに比べると私なんてまるでウサギと亀だ。けど、それはしょうがない。なぜって運動部の連中というのは、朝練という名の強制召集に応じ、朝の六時とか七時とかからホームルームが始まる九時までのきわめて短い時間に私が月曜から日曜日までに行う全活動のまさに三倍にも匹敵するであろうほどの量の運動をこなすという特殊な性癖を持っているからだ。夏でも冬でも変わらず、だ。正直言って、まともな頭脳の持ち主のやることじゃない。夏はギリギリまで寝てたいし、真冬の寒さ加減の前では、できるものならコタツを背負って生きていたくなるのがまっとうな人間と言うものだ。きっと、彼ら彼女らは、脳味噌の大切な部分を締めるためのネジをお母さんのおなかの中に置いてきてしまったに違いないと私は考えてる。そのネジは、お母さんたちのおなかの中に永遠にとどまり続けるのだ。この仮説の正しさは、そのうち現代医学が証明してくれるだろう。

 そんなわけで、私は一番廊下側にある自分の席に座りながら、窓ガラス越しに聞こえてくる野球部員達のかけ声を聞いてぼーっとしている。本来なら何かをしたいとこだけど、ここは学校だ。学校というのは、何か生産的なことををするようにはできていない。この際だから指摘しておくことにしよう。一般的には、学校という場所は私たち学生がまなびというものをやる場所だと思われているらしい。少なくとも、教師達には本気でそんなことを信じている節が見受けられる。それどころか、そんなたわごとを私達生徒にまで押しつけようとする。愚かなことだ。そんなのは、動物園の飼育員達が、ライオンに、自分の檻がサバンナであると思わせようとするのと同じことだ。ライオンは賢いから、決して自分の檻をサバンナだと思いこみはしない。私たち学生が、学校のことを、まなびというものをやる場所だと思いこむようなものだ。正気の沙汰ではない。正確には、こうだ。学校という場所は、授業と呼ばれる拘束期間中、先生の言葉を子守歌代わりにしながら、寝ていない振りを装って上手に眠るための技術を獲得する場所であり、カワイイ男の子を眺めて幸せな気分になるための場所であり、友達とぺちゃくちゃおしゃべりに興じるための場所だ。そして、もちろん給食を食べる場所でもある。まったく、学校という場所は人生におけるドブのようなものであり、私達はそこに貴重な青春を捨てているのだ。

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