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過去話と現在

続き、投稿していきます



 十一時ぐらいにオレ達は街へ向かった。

 イオルは昨日の時もそうだったが、よくもまあ食べる。本人が言っていたが、まともな食事は何年も取っていないと言っていた。久しぶりに炊き立ての白米を見て、泣くほど感激していた。それから、何杯もおかわりし、おかずもバリバリ食べていた。あっという間に食卓の上が静かになった。オレ達は苦笑いしていた。しかし、元気で何よりだ。

 今日の朝もよく食べていた。オレはたいしたものは作れないので、ご飯とか味噌汁とか、そんな感じの一般な朝食を作った。昨日の段階でイオルの食は理解できていたので、多めに作ったが、それも無くなった。まあ、栄養失調気味の体なんだから、多く食べる事に越したことはない。だが、少しは遠慮してもらいたい。というのが少々な本音ではある。

 イオルもその事を一応は理解しているのだが、食べると、つい我を忘れてしまうらしい。本当に、まともな食事にありつけるのが嬉しくてたまらないらしい。

 今日の予定はデパートで買い物だ。生活の必需品を買いに行く。あとは、服とか色々。どうやら、というかやはり、イオルはオレの所でしばらくは過ごすことになるので、そういったものが必要となっていく。果たしてうまく生活していけるのか、そこが議題となっていくが、まあ、なんとかなるだろう。

 今日の費用は全てオレが持つ事になっている。美麻も少しは出す、と言っているが、オレにはちょうど、余るほどお金があるのだ。史さんからの仕送りである。この時の為に溜めていたようなお金だと思えば、安いものだろう。快く使わせていただこう。

 最初は、美容院へ向かった。イオルの髪型を整えてもらう。イオルの髪の毛は地面に届きそうなぐらい伸びていた。ここに来る前にオレの家で美麻がイオルの髪型を整えてはいたが、それでも、うまくはいっていないようだった。女子の髪型についてはよくは分からにが、美麻は三つ編みとくしゅくしゅ結びとかいうやつを合わせた髪型、と言っていた。服の方は美麻のおさがりである。イオルは年齢に比べて小柄なので、一〇歳前後の服がちょうど合っていた。女子の身長とかはあまり変わらないと思っていたが、そんな事はないんだな、と感じた。

 やはり先に昼飯でもとっとくべきだったか、少々小腹がすいて来た。当たり前ではあるが美容院は長い。美麻もついでにやってもらっているので、オレ一人が待たされている形になっている。オレは携帯をいじりながら暇をつぶしていた。

「ごめん。お待たせ」

 ようやく終わったらしく、二人は申し訳なさそうに言った。美麻はパーマをかけたようで、髪がクルクルと巻いていた。イオルの方は、ただ短くした、という感じで、腰ぐらいまでの長さになっていた。ナチュラルストレートというもので、特にいじってはいなかった。だが、これがイオルに一番似あっている髪型だと思う。年齢にあった女の子の可愛さが十分に出ていた。その可愛さは誰もが立ち止って見惚れてしまうほどである。

 会計を済ました後、昼食を取りに行く。オレ達は洋食店へ向かった。美麻が一回行ってみたかったお店があるという事で、そこに行くことになった。昼の時間は過ぎたとしても、多少混んでいた。お店の外で座りながら待つ事にし、そこでこれからの事を話していた。昼食を終えたら、ここの下の階にあるお店で色々回るということを決めた。

 そして、ようやく名前を呼ばれ、店の中へ案内される。店の中はあまり広いとは言えなかったが、雰囲気は静かな感じで良い印象を受けた。四人用のテーブル席に案内され、そこで、オレ達は腰を落ち着かせた。

 オムライスがうまいという事なので、二人はそれを選び、オレは無難にカレーライスを選んだ。オレはイオルの分を少し貰って、それを味わってみたが、確かに、おススメするだけあって美味かった。卵が口の中で溶けるようにトロトロとしていていた。食レポは苦手なので、これぐらいで勘弁してもらいたい。とにかく、美味しかった。もちろん、カレーも。

 そんなこんなで昼食を終え、オレ達はイオルの服を見て回った。基本、美麻が選び、オレがそれを判断する、という形だったが、ほとんど店員さんと話して決めていた。イオルは着せ替え人形のように遊ばれている感じに見えた。みんなノリノリだった。

 オレは外で待っている、と美麻に一言声をかけ、外の自販機でジュースを買い、それを飲みながら、エスカレーターの前のベンチに座った。オレはため息をつきながら、二人を待っていた。

 ぼんやりしていると、オレの目の前を通った男性が、メモ帳を落としたのだ。それに本人は気づいていないようだった。オレは急いで、「あの、落としましたよ」とそれを本人に渡した。

はじめその人は、何だ? オレを訝しく見ていたが、オレの用件を知ると、「すみませんでした」と態度を変えた。

 男性は二十後半ぐらいの人で、眼鏡をかけていた。優しそうな表情をする人で、いい人そうだなと第一印象では思った。

「ありがとうございます。これには大事なことが書いてあるので……」

「そうですか。それは大変でしたね」

「ところで、誰かを待っているんですか?」

「え?」オレは急に質問されたので、うろたえた。

「いえ。何となく、そんな感じかなと思っただけですよ」

「いえ。確かに……そうですね。買い物が中々長くて困りますよ」オレは頭を掻きながら笑う。

「という事は女性ですかね?」

「まあ、そうです。友達ですけどね。」

「そうですか。女性の買い物は長くて大変ですから。それに、荷物持ちとかさせられますから、困ったものです」肩をくすめる。

「面倒くさそうです」

 オレはこの人とは初対面なはずなのに、こんなにも気さくに話をしている。この人の特性でもあるのか。話しやすかった。

「何はともあれ、友達は大事にするべきですよ。人生は何が起こるかわかりませんから。一人でも、心を許せる友人がいるといないとでは、全然違いますから」

「そうですね」

「人との関わりが強い今を大切にしていってください……ああ、すみません。年を取ったのでしょうか。変なことを言ってしまいました」

「いえ。オレは大丈夫ですよ」

「では。ちょっとお詫びに……」と、言って男性は何もない掌から、パッと一輪の花を取り出した。「手品です」いつ仕込んだのだろうか「スカシユリという花ですよ。これをご友人にでも差し上げてください」と、そう言った。

 オレは「ありがとうございます」といってそれを受け取った。男は薄く笑い会釈し、そのまま去っていった。

 何だったんだろうな……。とその後姿を眺めていた。そうすると、買い物を終えた二人がやってきた。

「お待たせ」

 両手にたくさんの紙袋を下げていた。

「……トオル、今の……誰?」

「ん? あー。さっき会った人だよ。ああ、そうだ。これをあげるよ」

 オレは、さっきあの人にもらった花をイオルにあげた。

「何これ?」と、美麻が訪ねた。オレはスカシユリと教えてもらった名前をそのまま言った。

「……ありがとう」イオルは表情を曇らせていた。オレがどうかしたか? と尋ねると、首を横に振った。

「スカシユリって、飾らぬ美とか、注目を浴びるとか、そんな花言葉だった気がする」

「花言葉か。そんなのをよく知っているよな」

「何となく、知っていただけ。可愛いじゃん。なんか」

「……ユリ……か……」

 イオルが哀しそうな顔で呟いた。その声は切なく聞こえた。

「……別に。なんでもないよ。それより、次のとこ、いこ?」

「そうね。そうしましょう。という事で、透、少し持って」

「はいはい」

 そんなこんなでオレ達は買い物をつづけた。終わったのは五時ぐらいだった。オレは勘弁してくれ、と疲れ切っていたが、二人はどこにそんな体力があるのか、元気だった。

 買い物を終えた後、オレ達は、美麻の家の途中まで行き、そこで別れた。オレとイオルが二人きりになり、そこから、家に帰ることにした。




「今日は楽しかったか」

 オレ達は荷物を両手に下げて、のんびりと夜の道を歩いていた。空を見上げると月が見えた。その輝く月はオレ達を照らしているようだった。

「……うん。今日は、わたしの、ために、ありがとう」

「いいってことよ。何かあったら言ってくれよ。大体は要望に応えるから」

「……あの、じゃあ、早速いい? …………公園。……あの公園。そこに行きたい」

「あそこか。そういえばオレもあれから行ってないな。よし。じゃあ、行くか。ちょうど近いしな」

「いいの?」

 イオルは急にパッと顔を明るくした。相当嬉しいのだろう。それもそうだ。あそこの公園はオレ達にとっては思い出深いものだ。あそこで出会い、そしてその関係は今に繋がっているんだ。とても感慨深い場所だ。

 オレ達は公園に向かって歩き出す。昔、ここの道を使ったのを覚えている。オレは少年野球に所属していて、その帰り道にこの道を使っていた。その少年野球の友達と一緒に自転車を漕ぎながら、あの公園を通りがかっていた。そこで独りで、たった一人で、遊ぶ少女がいた。それがイオル。ずっと気になってようやく声をかけたのだ。

 イオルは最初怯えていた。オレはまあ、こういうもんだろうな、と笑っていた。そしてそれは時間が解決してくれた。会う回数を重ねる度に、距離が縮んでいき、友達と呼べるようになった。

「……ここ?」

 歩くこと数分。オレ達は公園にやってきた。そう。公園があった場所に。それを見てイオルは絶句していた。そして、震える声で、オレに確認を求めた。

「そう……だな」

 そこの、あの思い出の場所は見る影もなかった。工事を行っていた。看板によれば、マンションの建設をしているようだ。要するに、もう思い出の場所はどこにもなかったのだ。

「……そう……なんだ……」

 イオルは哀しい顔をしていた。目をつぶり、何かに浸っていた。昔の思い出に浸っているのだろう。

「公園……なくなっちゃった……ね」

 オレは何も言えなかった。天を仰ぎ見た。月が雲に隠れて見えなくなった。照らすものが無くなった。風が吹く。イオルの髪が風に流され横に躍る。沈黙が続いた。何もない。言葉も何も。ただの風の音。そして、どこかの住宅から漏れる家族の楽しそうな会話。それだけが聴こえる。

「変わっちゃうんだね。何もかも……全部……」

 イオルは顔を見せなかった。影に表情を隠していた。そしてオレは静かに、口を開いた。くさいかもしれないが、イオルにオレが思った気持ちを言葉にのせた。

「時が流れれば、そりゃ、何もかも変わるさ。だけどな、変わらないものはある。それは……思い出だ。経験ともいう。それだけはいつまで経っても色褪せやしない。風化しない。だからさ、仮に今がどんなに変わったとしても、それを思い出せばいい。だけど、いつまでもそれに囚われてはいけない。それは、前に進むために、背中を押してくれるもんだと思えばいいんだよ」

「……トオル」イオルは顔を上げる。イオルの表情は朗らかだった。何の心配もいらなかっただろう。「……長い」

「……そりゃあ、悪かったな。とりあえず、昔は変わらないけど、それでも前を見て成長しろ、て話だ」

「……。…………。………………、ありがとう」

「どういたしまして。だからさ、これから、新しい思い出を築いていこうぜ」

「……そう、だね。なれたら……いいよね」

「なれるさ」

 オレは笑いながら言った。


「あのさ、イオル。寄りたい所があるんだけど、いいかな?」

「うん。いいよ。わたしもつきあって、もらったし。それで、いいよ」

 オレはあそこに行くことにした。正直、オレにとっては最悪な場所である、あの場所へ。

 毎年オレはお墓参りに行くが、あそこへは行っていない。嫌なことを思い出してしまいそうだから。そういう理由だ。だけど、今日に限って、行く決心がついた。イオルに言った言葉、自分が言った言葉だ。それでオレは過去と一度向き合わなければならないと感じたのだ。

 ただ見に行くだけだが、それで何かが変われるような気がした。

 オレはイオルを連れだし、あの事故現場へ向かう。七年前の、あの、悲劇的な、悲惨な、あの事故があった場所へ。オレはそこの地に立つ。

「……」イオルは無言だった。そしてしばらくそれを保った後に「ここは?」と開口する。

「七年前に、事故があったんだよ。ここで。それで……色々、あってな……」

 オレはイオルに説明する。人づてに聞いた話をそのままイオルにする。オレはプログラム的に話す要領で説明していた。

「……………………つら……かった?」

 ずいぶんと長いタメだった。その後、消え入りそうな声で言った。イオルに、こんな話をして、どうしたんだろうな。オレは。余計な心配をかけさせてしまった。

「……あの……トオルは、憶えて……ないの?」

「ああ。そこだけ記憶がな。気づいたら病院だ」

「……そう」イオルは大きく深呼吸する。そして、紙袋から、一輪の花を取り出した。オレがあげた、あのスカシユリとかいう花だった。それをイオルは電柱の傍に置いた。しゃがみこみ、手を合わせる。黙祷する。弔いをしている姿をオレはただ黙ってみていた。

 車が煩わしい音を立てながら何台も通る。車の排気ガスでゴホゴホと軽くせき込む。目にゴミが入る。しばらく目を開けていられなかった。

 その時、突風が吹いた。オレは反射的に腕で目元をガードした。「あ!」とイオルの声がした。何かに驚いた声だ。イオルが手向けた花が空中を舞っていった。風に飛ばされたのだ。

 イオルは慌ててそれを取ろうとする。しかし、そっちは道路だった。オレは「危ない!」とイオルの腕を取り、引き戻した。車がイオルの目の前を通る。危険だった。オレが手を引いていなければ、イオルは轢かれていたかもしれなかった。

 オレは車がいないのを確認してから、花を拾った。花は幸いにもつぶれておらず、無傷だった。

「ホラ。気をつけろよ」オレはそれをイオルに渡す。イオルは「ありがとう」と礼を言った。

 しばらく、イオルは固まっていた。それをずっと眺めていた。握りしめ、ただジッと。イオルは何を思い浮かべているのだろうか。オレには知る由もなかった。

 イオルは、何を思ったのか、それを紙袋の中に戻した。

「いいのか?」

「……うん。わたしのなんか……。いや……」イオルは首を横に振る。「また……ちゃんとしたの……持ってくよ……」

「……そうだな」イオルが言い直す前の言葉が気になったが、それ以上を追及するのはやめた。空を見上げる。月は隠れ、星も見えない。雲が空を一面に覆っていた。

「……行こう」イオルは腕で目をぬぐう。少し泣いているように見えた。「……何か買って帰ろうか」ポンとイオルの頭に手を置いた。


「おう! 透!」

 少し歩いた時、後ろから聞き覚えのある声がした。オレは振り返る。

「なんだ。松田か。なにしてんだよ。こんなところで」イオルがオレの後ろに隠れる。

「いやー。忘れ物を取りに帰っててな」

 松田は明るい口調で話す。昨日のようにまた何かを背負っていた。そして、片手にビニル袋を手提げていた。

「今日は何を背負ってんだ?」

「あーこれか。さっきゴミ捨て場で見つけてさ。勿体ない気がしたから持って帰ろうかなとおもってな」

 そう言って松田は見せる。イオルぐらいの背丈の……マネキン? だった。何でそんなものがゴミ捨て場に落ちていたのかという疑問より、何でそんなものを持っていこうと思ったのかが気になってしょうがなかった。

「あそこで寝泊まりしたのか?」オレは追及するのもあほらしいと思い、話題を変えた。

「おう。そうだよ。意外に快適だったな。ところでそこの子は誰だよ? お前ってそういう趣味だっけ?」

「違う。オレの昔の友達だよ。小四の時に公園でよく遊んでたんだ。昨日会ってさ、今、家出していて、泊めてあげてるんだ」

「ほう。可愛らしい子だな。手出すなよ」

「何でお前はそんな発想しか出てこないんだよ」

「まあまあ。しかし、外人か。いいね。この子、将来有望だよ」ニヤニヤと、顎をさすりながら、言った。イオルを凝視する。すると、眉を潜める。「うむ……? この子、どっかで見たことがあるような……。どこだったかな?」

「さっき説明しただろ? あれ? 当時、お前には公園の子の話はしなかったっけ?」

「いや? ……うん。言ってたな。まあ、そんなことはどうだっていい」松田はイオルと同じ目線にかがみ、質問した。「……イオルちゃん、君は廃墟に興味はあるか?」

「……」イオルはより一層警戒し、さらに隠れた。隠れた後、首を横に振った。

「あらら。まあいいさ。透よ。お前も興味があれば来いよ。誰でも大歓迎さ」

「いつか、な。考えとく」

「そうかい。とりあえず、じゃあな」松田は片手をビシッとあげる。そして、そのまま去っていった

「……誰?」

 松田がいなくなったのを確認して、イオルはひょっこりとオレの後ろから出てきた。

「松田ってやつだよ。変わってはいるが、いいやつだよ」これは、確かだ。「ま、帰るか」

「そうだね」イオルは小さく首を縦に振った。




 オレ達は今日の疲れを体に感じなる。長いこと歩いたのだから当然か。オレは自宅の鍵をポケットから取り出して、それを鍵穴に差し込む。捻ると、鍵が開く音が響いた。ドアノブを捻り手前に引いた。

 だが、開かなかった。押しても引いても開かない。試しに、もう一度鍵を捻ってみた。すると、ドアが開いた。出かける前にはしっかり戸締りを確認したはずだ。二回捻って開いたということは、元から玄関は開いていたって事になる。

 デジャブを感じる。オレは不穏な空気を察しとった。何か嫌な予感がする。昨日のイオルの出来事みたいに何か最悪な出来事が起こるようなそんな予感を。

 オレはイオルを流し目でみる。イオルは眉を潜めたが、それはオレに対する怪訝だ。オレの様子がおかしいことに疑念を持っているだけに過ぎない。

 オレは不安を胸に抱かせながら昨日とは違う、ただの思い過ごしになる事を祈りながら、家の中に入る。

 玄関には何もなかった。いつも見る場所だ。昨日と違うのは、血まみれのイオルがいないという点だ。とりあえず一安心する。

「遅かったですね」

 リビングから、声がした。それは男の声だった。オレはギョッとする。その声の主に対して身構える。男はリビングに電気をつけて、テーブルの前で正座していた。

 男は眼鏡をクイッとあげる。そして、口角をあげて、オレを横目で見る。

「お前は……」

 今日のあの時、デパートであった男だった。そいつがどういう訳かオレの部屋にいた。頭が混乱する。どうしてこうもおかしなことが立て続けに起きるんだよ。一種の憤りを感じる。

「黒木……!」

 イオルが口にした。ピリッとした寒気を身体が感じ取った。オレはイオルから距離を置いた。イオルからは怒気のような殺気のような、そんなオーラが漏れていた。オレはこんなイオルを見たことがない。他人に対してこういった敵意をむき出しにするのを見たことがない。

「こっちに来たらどうですか? 透さん。そして、イオル(・・・)さん?」

 イオルの事を知っている? それにイオルもコイツの事を知っている。もしかして……。

「あいつが、『研究員』か?」

 オレはイオルに耳打ちをする。イオルはオレの袖を引っ張りながら「そう」と静かに言った。目はとがったままだった。イオルの警戒は相当なものだった。

 手に汗を握るとはまさにこの事だ。オレの手はひどく湿っていた。冷や汗が頬をつたる。オレはイオルを後ろにさせながら、黒木というやつと同じ部屋に入った。

「安心してください。私はただ話をしに来ただけですから」

 ニッコリと笑う。それは簡単に作ったニセの笑いだと感じ取れた。

「お前……今日、デパートで会った奴だよな?」

 恐る恐る奴に訪ねる。オレは警戒心を一層強くする。

 奴は肩を大きく揺らしながら笑う。そして、「そうですよ」と口角をつり上げていう。

「お前らの目的はなんだ?」

 黒木の目の前に立つ。オレは周りを警戒する。部屋には黒木だけだ。しかし、誰かが隠れているかもしれない。全神経を張り巡らし、警戒を怠らないようにする。

「安心してください。私しかいませんよ」

「……確かに。ここには……ね」イオルが言った。その言葉で黒木が小さく笑った。

「……分かるのか?」

 イオルは「ここには」といった。それはつまり、外にはいるという事だ。

「気配で」さすがといおうか。ずっと逃げ続けてきただけはある。

 緊張が高まる。心音がハッキリと分かる。

「さて。座ってください、話をしましょう。大丈夫です。何もしませんよ。あなたたちが変な気さえ起こさなければ、ですが。フフ。ここは平和的に行きましょう」

「黙れ。まず、さっきのオレの質問に答えろ」

 黒木は「はあ」と深いため息をついた。

「わかりました。質問にお答えいたしましょう。なに。簡単な話です。イオルさんの捕縛です。理由も必要でしょうね。イオルさんが危険因子だからです。彼女は、彼女という存在は脅威でしかありませんから」

 イオルも似たようなことを言っていた。ただ、能力者だからという理由で、そんな扱いにするなんて、間違っている。

「それがどうだっていうんだ。確かに、イオルには他の人が持っていない力があるが、それだけの理由で……!」

「なるほど。貴方はまるでわかっていませんね。彼女がどれほど危険なものか……」

「どこが危険なんだよ! お前らこそ、イオルの事を何もわかってないじゃないか。イオルはなどこにでもいる普通の女の子なんだよ。お前らがイオルの自由を、人生を、奪う筋合いはないんだよ!」

「……――トオル」

「ハハハハハハッ!!!」

 黒木は大笑いする。上を仰ぎ見ながら、大口を開けて、笑うのだった。

「何が可笑しいんだ」

「いや、失礼。あまりにも貴方が滑稽なもので……。我々がイオルさんの事を知らない? 貴方の方が何も知らないじゃないですか」

「何……!」

「彼女は……」

「やめて!」

 イオルが今まで出したことのない大きな声で、叫んだ。オレは目を見張る。

「フッ……。まだ良い子でいたいと。図々しいですね。……それだから友人を見殺しにできるんですね」

「黒木!」

 イオルは黒木に飛びかかる勢いだった。オレはイオルを抑える。イオルは暴れる。怒りで周りが見えていないようだった。イオルは荒い呼吸をする。怒りを懸命に鎮めようとしている。奥歯をギシッと噛みしめる。

「そのまま押さえておいてください。下手に力を使われると厄介なので」

 黒木は眼鏡を拭きながら、冷静に言った。

 イオルは黒木を鋭い目つきで睨み付け、震えるような声で、「……リリィは……無事なの…………?」と言った。瞳には涙があふれていた。

 オレは悪寒を感じた。どす黒いオーラがイオルからふつふつと湧き出ていた。まさに一触即発だ。これ以上イオルを刺激するなら、全てが終わってしまうような、そんな気が。

「貴女が見捨てたのでしょ? 何を今更……」

「違う! リリィは! わたしを庇って……」

一体何の話をしているのだ? リリィというのは誰の事だ? イオルが前に言っていた友達のことなのか? 

「わたしは……わたしは……」

 イオルはオレの腕からするりと抜けて。その場にしゃがみ込む。顔を手で覆い、むせび泣く。

「そうやって逃げてればいいんですよ。……さて。透さん。私たちでお話ししましょうか」

「……いや。その前に、だ。さっきの事を説明しろ」

「……ああ、リリィさんの事ですか? あれは三年前の話です。私たちが彼女を追い詰めた時です。リリィさんは彼女の変わりに我々へ投降したんです。その間に、彼女は逃走したのです」

「そのリリィというのは、今はどうしてる?」

「機密ですからね。そんな事よりも私は早く用件を済ませたいのですが」

「それはお前の都合だろ。オレにはそんなの関係ない」

「やれやれ。貴方も強情な方ですね。世の中には知らなくてもよいことがたくさんあるのですよ」

「……トオル……いいよ。……黒木……! リリィは……わたしが……必ず、連れ戻す」

「やれやれ。そんな事は出来ませんよ」不敵な笑みを浮かべる。「そうそう。思い出しました。リリィさんは最後(・・)に、貴女に会いたい、そう言っていましたよ」

「……! ふざ……!」

「イオル!」

 オレの声にイオルは我に返る。オレは危惧した。このままではイオルがイオルではなくなってしまうような。そんな事を。

「勘違いしないでください。私たちは彼女を傷つけるようなことはしていませんよ。そういう定めだったんです」

「………………」イオルはふさぎ込んだ。脱力する。友を失くしたことによる喪失感、絶望、失望。あらゆる負の感情がイオルを襲っている。

「イオル。惑わされては駄目だ。これは、お前を動揺させるための罠だ。気をしっかり持て」

「……」イオルは頭を抱え、ふさぎ込む。そして、泣いているばかりだった。

「さて。透さん。話を戻しましょうか……?」

「…………」オレは答えない。何も聞きたくないし喋りたくもない。

「だんまりですか。それもいいでしょう。では、私が勝手に喋ります。今日来たのは他でもない。交渉です。イオルさんを我々に引き渡してもらえないでしょうか? なるべく穏便に事を済ませたいのです。分かりますでしょ?」

「……断る。誰がお前らなんかに……」

「ええ。そう言うだろうと思いましたよ」

「お前は……交渉が下手だな。その気でいたのなら、何故わざわざ煽ることをするんだ? 気分を害すことを言ったりするんだ? ……初めから、力づくで行く気だからじゃないのか?」

「……ふう。確かに、貴方の言うとおり交渉が下手なのかもしれません。……私はこう見えて、感情で先走ってしまうタイプでしてね。それが長所でもあり短所でもあります。私はね、透さん。我慢ならないのですよ。貴方たちみたいな、分からない人は」

「分からないのはお前だろ」

「貴方はイオルさんの事をどこまで知っているんですか?」

「どこまでって……それはどういう意味だ」

能力(ちから)の事とか、ですよ」

「それは……知っている。前からな。イオルから聞いたが、そういう能力(ちから)のルーツは地球外生命体から……とか」

「なるほど。そういう感じですか。……少しだけ、補足で説明させていただきます。まずはですね。そのルーツから説明させてもらいましょうか」

 そういうと、黒木は言葉を次々と紡いでいった。自分の記憶の中にある本を音読するように。

「これは一番有力な一説です。紀元前七千年頃、この星に小さな隕石が落ちました。そこには、地球の外の宇宙から飛来した、ヒトに似た生命体がいました。それは容姿がヒトとそっくりなのですから、簡単にこの地球に溶け込むことが出来ました。その上で、この地に居づき、そして繁栄していったのです。その遺伝子は今でも続いているのです。そして、私たちの体の中にも、その遺伝子が組み込まれているのです。そして、その中でごく稀に産まれる希少種がいるのです。それは、この人間の遺伝子と、地球外生命体の遺伝子とが見事に半分に混ざり合った生命体です。それが彼女たちなのです」

 黒木はイオルの事を説明し始めた。これは、イオル自身が言っていた事とほぼ同じことだった。黒木はさらに言葉を紡いでいく。

「『SMP』。私たちは彼女たちの事をそう呼んでいます。人並み外れた力。いわゆる超能力と呼ばれるものを扱える、そんな種族。先祖返りしたと言っても間違いはないでしょう。しかし、彼女はそれの亜種なのです。本来生まれてはならない危険因子。奇跡の中にある更なる奇跡から生まれた可能性。それは茶色の砂場から一つしかない金色の砂粒を摘まみ上げるがごとく。それ程の価値が彼女にはある。そしてそれと同様に危険でもあるのです」

「危険……? さっきも言っていたが、どこがどう危険だというんだよ。イオルは奇跡的に生まれただけなんだろ? それだけで殺す必要なんかないじゃないか」

「確かに、そうです。しかし、彼女の能力(ちから)に問題があるのです。それは、彼女自身が一番よく分かってらっしゃることですよ」

「そうなのか……? イオル」

「……」イオルは何も答えない。ただうつむいているだけだった。

「例え話をしましょう。もし仮に、人語を理解し、話せる猿がいたとしましょう。さらに、その猿は異常に発達していて、人間とまったく同じように生活しています。社会のルールにのっとり、猿としてではなく、人として暮らしています。その猿は周囲に溶け込み、周りからの信頼も厚いです。しかし、中には快く思わない人たちもいます。なぜなら、猿だから。いつまた野生の心を取り戻し、人間を襲うかわからない。貴方も知っているでしょう? 野生の猿による被害が絶えない事を。つまり、そういった恐怖がぬぐえない限り、決して安全とは言えないのです。少しでも、その危険性があるとしたら、先に手を下すべきなのです」

 黒木の長い説明が終わった。それはオレにとって理解しがたいものだった。

「なら、オレ達普通の人間でさえも、同じ人間を襲う可能性があるから、殺していいという事だよな?」

「いいえ。彼女たちは『SMP』なのです。我々人類に酷似していますが、別の人種であることには変わりません。別の進化、別の可能性。それが『SMP』なのです」

「別なものか。同じだろ。『SMP』であろうがなんだろうが、オレ達と変わらず、普通に人として産まれるんだ。そして、人として生きていくんだ。そんな理由で、生きる道筋を壊されてたまるか」

「少し、例えが悪かったようですね。それでもいいでしょう。さて、透さん。もう一度お尋ねします。その子を渡す気は……」

「ない!」

「……でしょうね」黒木はため息をついた。「しかし、我々は彼女しか狙っていません。『SMP』という希少種を絶滅させるわけにはいきませんからね」

「お前にとっての『SMP』とはなんだ?」

「ただの、モノですよ。貴重なサンプルでもあります。『SMP』は超能力、いわゆる第六感が異常発達しているのです。普通の人間にはあり得ない程に。今日まで謎である、理屈では説明しえないモノを解明できるかもしれないのです」

「なら何故、その『SMP』であるイオルを……?」

「先ほどの例でも申した通り、人間とは違うから。そして、人間の脅威になる可能性があるから。それだけです」

「イオルが何をしたっていうんだよ。そういえば、さっきも……」

「私はね、本当は、貴方みたいな一般人を巻き込みたくはなかったです。が、仕方がありません。申し訳ありませんが、貴方はもう少し、彼女と関わり、それから彼女の事を知るといいでしょう」

「いったい何を……」

「すみませんね」

 黒木はパチンと指を鳴らした。すると、玄関のドアが開く音がした。そして、数人の足音が、重なって聞こえた。

「……トオル!」

 さっきまでふさぎ込んでいたイオルがオレの名前を呼び、そしてオレの腕をつかんだと思うと、不思議なことが起きた。

「(目、つぶって!)」頭からイオルと同じ声が聴こえたのだ。そして、「(早く!)」とその声は急かすのだ。オレはどういう訳か分からなかったが、咄嗟にその声に言われたとおりに目をつぶった。何が起きたか分からない。しかし、バリン! と上から何か割れる音がした。その破片がパラパラと落ちてきた。割れたのは蛍光灯か?

「くっ……!」黒木の声だ。オレは目をつぶっているため、音でしか物事を判断できない。壁にぶつかり、小さく呻く声だった。

 イオルはオレの手を引く。そして頭の中の声が「(こっち)」と誘導する。オレはそれに従った。

 すると、ドン! と大きなものが倒れる音がした。オレは目を開け、その物音がした方を向いた。辺りは真っ暗だった。蛍光灯が割れたせいだ。リビングについていた明かりはなくなっていた。そして、先ほどのあれは、収納ボックスが落ちた音だったようだ。いくら足止めする為とはいえ、無茶苦茶にするな。

「(窓から!)」と、また、イオルの声が頭の中に聴こえる。

 窓がひとりでに開く。オレ達はそこから脱出する。イオルの能力(ちから)での足止めが功を奏し、難なく奇襲を抜ける事が出来た。

「行く! このまま!」

 今度はイオルの口からちゃんとして出た言葉だ。

「ああ!」

 オレは頷く。手をつなぎながら、一緒に走る。

 幸いなところ、こちら側に人員を配置していなかったようだ。なので、難なく家から離れる事が出来た。

 オレは無我夢中で逃げる。手の握る力が強くなる。オレはこの手は離さない。そうしないと、イオルがどこかへ行ってしまうような、そんな気がした。だからオレは懸命に走るのだ。素足のまま、暗い夜道を駆けるのだ。

 ――走る。――奔る。

 アテも見えぬ、先も見えぬ。そんな暗闇をただ夢中に、駆けていく。

 ――イオル。オレが必ずお前を守ってみせる。

 オレのこの声はバイクの音でかき消され、イオルには届いていなかった。


イオルのたちの事を「SMP」と書きましたが、「Superior miraculous possibility」の略です。

「優れた奇跡的な可能性」という意味をネットの翻訳でやっただけですので、正しいかはわかりませんが、そういう事にしておいてください。

最後辺りの頭の中からしたイオルの声は、テレパシーです。

次回辺りに、そのあたりは説明します。

とりあえず、次の投稿は、1、2か月先になります。

なるべく早く書けるように精進したいです。

では

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